ホーム > フィランソロピー事業 > 研修 > 定例セミナー > 過去のセミナー > 
第233回定例セミナー報告


2008年度の定例セミナー一覧へ戻る


第233回定例セミナー【報告】

テーマ:
「進化するCSR 〜企業責任論を超えた〈変革〉への視点〜」
講 師: 岡本 享二 氏(ブレーメン・コンサルティング株式会社 代表取締役社長)
実施日: 2008年11月21日(金)
会 場: 三菱地所株式会社 大手町ビル 6F 670区

会場

岡本 享二 氏
 本日は皆さまにCSRの本質と今後の方向性についてお話しします。 1998年からCSRの研究を行なっていますが、日本のCSRの現状は「宣伝と広告」としてとらえがちで、本質を忘れているのではないかと感じています。 アメリカは、1970年代まで製造業で世界を牽引し、その後80年代と90年代にはIT産業で世界をリードしました。ITバブルがはじけると、90年代から2008年にかけて、金融工学を駆使して世界経済を牛耳ってきました。その金融システムも崩壊してしまいました。 では次に来るのは何か? それは、環境であり、CSRです(図1参照)。 ヨーロッパは環境やCSRの重要性に早くから気づいて2000年以前からかなり力を入れていました。日本はまだCSRの本質の追求が遅れています。いま日本の企業が行っているCSRは見せかけで、CSR報告書を書くためとか、企業の宣伝として使われているのではないかと、生活者が気にしはじめています。2004年に拙著『CSR入門』でCSRを俯瞰するピラミッドを提示しました。この図にそってお話を進めます(図2参照)。

● CSRを俯瞰する
 一番下の段はCSRを作る土台になるものであり、企業が守って当然なことです。マネジメント・システムさえきちんと構築していれば、法律や条例で規定されているので守られるはずの部分です。 真ん中の段は、社会や環境に良い影響を与える企業活動で、コストもかかるが見返りも期待できる部分です。これには環境対応製品やメセナ活動も含まれます。 そして一番上が、CSRの本質である「貧困の撲滅」「生態系・生物多様性の重要性」「先進国の消費のあり方」の三つです。これがなかなか理解されません。 ビル・ゲイツが11月に来日したとき、「人間は、髪の毛が薄くなると毛を増やそうとたくさんのお金を費やすけれど、わずか百ドルで飢えている最貧国の子の命を助けられるのに、その百ドルは出さない」と言っていました。二十億の人々が貧困や食糧問題に苦しんでいます。この1番上の三つはこれから非常に大事になります。そして、これらが三位一体であることが今後わかってきます。

● マネジメント・システムがなぜ重要なのか
 次に、CSRとマネジメント・システムについてお話しします。 マネジメント・システムとは、各レベルの役割や責任の所在を明確にすることです。 分かりやすくお話しするため、「永田町のおでん屋」でのエピソードを例としてあげてみましょう。 店内で客同士のいざこざがおこりました。ある客の喫煙を別の男性客が「やめてくれ」と言ったところ、喫煙している男性は「ここは禁煙の店ではない」と反論してもめている。別の女性客が「確かに禁煙ではないけれど、この人は喉が痛いので控えてくれたら嬉しい」と諭したことでその場は収まりました。実は日本中至る所でこういう現象が起きています。 イギリスでは、三年前から国レベルで喫煙を規制しています。バーでの禁煙はイギリスでは絶対に不可能といわれていましたが、アイルランドが実施したため、イギリスが意地になって成功させました。 これをおでん屋の話を当てはめてみると、下の図3のようになります。おでん屋の店主が禁煙にすればいざこざは起こらないが、店主は客が減るのを恐れて決断できない。そこで神奈川県のように条例を決めたり、いっそのこと国が法律で決めてしまうことで解決します。 アメリカでは第二次世界大戦の時に、ルーズベルト大統領がそれまで年間四百万台作っていた自動車生産を全て止めて、戦車、航空機、船舶などに切り替えました。国民は困ったが「戦争で勝つために何をすればいいのか」というトップの決断に納得して、遊びのためのドライブを諦めました(図4参照)。 アメリカは、オバマ政権下で環境政策・温暖化対策をEU並みに厳しくやると宣言しています。極端な話、ビッグスリーが全部環境問題に取り組むという、この戦時中と同じようなことが起こるかもしれません。

● エネルギー消費六分の一の世界へ
 現在の日本の食糧自給率は40%を切っています。一方で食糧のうち約四割は捨てられています。これは世界の食糧援助に回っている量とほぼ同じです。昭和30年代に日本人が食べていた量は今の半分以下でした。現在捨てている食糧を止めれば、国内生産量で賄うことができるような気がします。このように、貧困の撲滅と先進国の生活のあり方は裏表の関係となっています。 現在、条例や法律で「環境」と言われている言葉は、企業が「これぐらいだったら出来そうだ」と考えているものにすぎません。生態系や生物多様性に対しては絶対量で決めるべきです。 昆虫や小動物がいなくなっても人間の食糧には問題ないのではと思いがちですが、実は飛行機と同じで、リベットが一つ無くても飛べるかもしれませんが、これが三つ、四つと無くなって行ったら飛行機は墜落してしまいます。 薬品の半分以上は植物由来です。植物と動物は共存しているわけで、生態系や自然から学ぶことは非常に大事です。動植物の世界では廃棄物というものは出ません。こうした知恵を「バイオミミクリ(自然から学ぶ技術)」といって製造業では既に多数取り入れています。シロアリ塚の構造を真似て冷暖房を使わない家 を造る。住宅には向かないけれど倉庫には利用できる、ということが実際行なわれています。 例えば高層ビルを建てるときに、屋久島の杉のように根と根が横に繋がって補強しあえる構造にすれば、地震に強い構造が作れるようになるかもしれません。 モノは今の十分の一、エネルギーの使用量は六分の一を目指すことはあながち不可能ではないのです。それは昭和30年代のレベルです。私はあのころ小学生でしたが、決して不便は感じませんでした。モノをあまり作らない、作り方も自然から学ぶのが大事です。 手押しポンプで出る液体石鹸がありますが、泡で出すようにすると、液体石鹸の量が四十分の一以下になるそうです。つまり我々は四十倍も無駄に使っていることになります。石鹸を売るセールスマンは困ってしまいますが、これからは企業の姿勢もそういう風に変えていかなければいけないと思います。 自動車産業で言えば、一千万台作るのではなくて百万台で済むインフラを作る必要があるのではないでしょうか。つまり十分の1の思考です。 モノはどんどんつくりたい、でも世間がうるさいから環境対策やCSRに取り組む、というようなことは本質を見てないから起こることです。ヨーロッパでCSRの本質を押さえて企業活動に活かそうという動きがあります。 アメリカは来年からこれに追従するでしょう。そこで日本だけが取り残されないために、先ほどの図2の上段にあるCSRの本質部分をもっと考えてほしいと思います。 あらゆるものを「生態系にいい」という発想でやれば必ず社会にいいことになる。社会にいいことは企業にもいい。企業にいいことは部門にも個人にもいい。来年以降はここがもっと明確になっていくでしょう。 そこには3つの波があります。一つはITです。二つめは、社会自体が変わらざるを得なくなる状況。三つめは、みなさんが企業人であると同時に、生活者であるということ。消費者としての視点です。

● 七世代先を見据えたCSR
 ヨーロッパへ行くと、日本のように自動販売機はありません。 コンビニも、7時から11時までの営業で充分ではないでしょうか。クールビズやウォームビズのように「ちょっと我慢」という発想がこれから必要で、それが先進国の役目なのではないかと思います。 企業の立場からすれば、どんどん売るという発想になりますが、生活者の立場からすれば、むしろたくさんあるものを減らせばいいのです。七世代先、少なくとも百年先を見据えてCSRに取り組む覚悟が企業には求められています。 「水・空気・石炭・石油に原価はない」という発想から出来た古い経済学から脱却して、地球規模での全体最適を考えることができる企業がこれからは生き残っていくのではないかと思います。