2010年9月号巻頭インタビュー
 
◆巻頭インタビューNo.333/2010年9月号
丸の内払い下げから120年
進化し続ける丸の内から日本の未来像を見つめる
木村 惠司(きむら・けいじ)氏/三菱地所株式会社 取締役社長


木村惠司氏 <プロフィール>
1947年、埼玉県生まれ。1970年、東京大学経済学部経営学科卒業。同年5月、三菱地所入社。1998年1月企画部長。2000年6月取締役企画本部経営企画部長。2003年4月取締役常務執行役員企画管理本部副本部長。2004年4月専務執行役員海外事業部門担当兼ホテル事業部門担当兼ロイヤルパークホテルズアンドリゾーツ取締役社長。2005年6月取締役社長。

今年4月、丸の内の芸術文化の新拠点として注目される 三菱一号館美術館 がオープン。2008年からスタートした「丸の内再構築」第2ステージの目指す先進性が形になりつつある。日本の最先端都市として脱皮し続ける大手町・丸の内・有楽町地区の姿を通して、日本社会の進むべき道を三菱地所・木村惠司取締役社長に伺った。

新しい生活の場を提供する丸の内という街の伝統
―「三菱一号館美術館」が開館し、大手町・丸の内・有楽町地区の歴史の深さを改めて感じます。この建物はまさに三菱地所の原点であり、日本の都市の原点でもありますね。

木村/明治の頃、三菱は海運業を経営するかたわら、あらゆる事業領域の中で国家はどうあるべきかを常に考えていました。その中のひとつとして、近代国家の繁栄には国際的ビジネスセンターが必要だとの思いがありました。そして1890年、明治政府から丸の内一帯の払い下げがあり、購入を決断しました。

―そして1894年、日本初の近代的オフィスである三菱一号館が完成し、まちづくりの第一歩が始まったんですね。

木村/三菱一号館から始まった赤レンガの街並みは「一丁倫敦(いっちょうロンドン)」と呼ばれ、1923年に旧丸ビル(丸ノ内ビルヂング)が竣工 し、近代的ビジネスセンターになった丸の内は「一丁紐育(いっちょうニューヨーク)」と呼ばれるようになりました。その後の、丸の内第二次開発は戦後の高度成長期にスタートしました。急増するビジネス需要に対応するため、小さく分散していた建物を、まとめて大きなビルを建てました。これが1960年代からスタートして75年くらいまで続きます。
 ところがしばらくするうちに、東京の様子がまた新しく変わってきました。丸の内の他にも赤坂、西新宿と次々に開発が進み、人の流れが変わってきました。「丸の内のたそがれ」などと新聞に書かれて、危機感を感じました。当時は、殺風景なビジネス工場のような雰囲気があって、朝はビジネスマンがビルに吸い込まれていき、夜は残業を終えて帰る人が通る。土日は人通りが少ない、魅力のない街になっていました。

―確かに、丸の内は銀行が多いですから、平日でも3時過ぎると、街がシャッター通りのようになっていた頃がありましたね。

木村/そこで1998年に10年間にわたる「丸の内再構築」の第1ステージをスタートさせました。当時、ニューヨークのフィフス・アベニュー(5th Avenue)などを多少イメージしたかもしれませんが、まずはビジネスオンリーの街からの脱皮を考えました。ここで働く人、外から訪れる人に楽しんでもオープンカフェでランチタイムを愉しむ街にらえる、世界で最もインタラクションが活発な街にしようという発想です。最初は賑わいを作ろうということで、世界的なブランドショップに入ってもらうなど、商業からスタートしました。
 もともと1923年に竣工した旧丸ビル( 丸ノ内ビルヂング) は、ビルの中に商店街を作った初めてのビルで、誰でも自由に出入りすることができました。その開かれた旧丸ビルのコンセプトを受け継ぎ、さらにその機能を充実させ、現在では商業施設、美術館などゆっくり散策のできる他にない街並みを形成 しています。

―ここ数年で、丸の内仲通りも華やかになりました。街の魅力を維持するためには、時代に合わせて常に変化しなければいけない。丸の内は、まさにそれを体現し続けているのですね。

不動産業界における環境トップランナーを目指して

―21世紀に入り、御社の環境への取り組みは、まさに日本を代表する地区ならではの先進性があります。

木村/2002年竣工の「丸ビル」は設計上の工夫などでCO2排出量を、当時の標準的な同規模のオフィスビルと比べて30%ほど削減しています。その後、丸の内のビルの建替えにおいては、新しいビルほど環境性能を向上させてきました。2009年竣工の「丸の内パークビル」では、超高効率型照明やエアフローウィンドウシステムの導入などにより、更にCO2削減ができています。

丸の内パークビル―丸の内パークビルは太陽光発電、超高効率型照明など、まさに最先端技術のショールームのようですね。

木村/一方で、既存ビルの対策は課題です。設備更新時に省エネ機器を導入するなどの対応は行っているものの、CO2排出量の削減という点では、ハード面での対応には限界があります。そこで、2008年より各ビルに地球温暖化対策協議会を設置して、テナントの皆様のご協力による省エネ活動の啓発や促進を進めています。
 また昨年から「知的照明システム」の実験を本社内の一部でスタートさせました。オフィスで働く人が各自で好みの照度を選択するシステムですが、実際に運用してみると、一般のオフィスビルの照度750ルクスに対し、400から600ルクスくらいに設定するケースが多いことが判明しました。照度を調整することで、電力の節約になりますし、落ち着いて仕事をするには良い環境であるとの声もあります。このモデルケースを、テナントさんにもぜひ見て欲しいと思っています。

―省エネ技術の進歩は、まさに日進月歩ですね。

木村/そうですね。空調についても、本社の一部においてハイブリット型天井輻射空調システムを実験導入しました。輻射空調は、天井にパイプを通して冷温水を流し、温度を調節するシステムですが、室内の温度分布が均一になり、送風式空調の気流(風)や騒音、冷えなどの不快感を解消した健康にも優しい空調システムとして注目しております。また、輻射空調の水搬送では動力の消費電力を約4分の1に削減可能で、外気温度が低い時期には、外気との熱交換により使用する水を冷やしたり、夜間に建物躯体に蓄えた冷熱を利用するなど、省エネ効果も期待できます。より快適な技術、自然にやさしい技術が次々と出てきますから、今後も最新の環境配慮技術を積極的に導入し、最先端の環境共生型まちづくりに取り組んでいきます。

あらゆる国籍の人が成長できる新世紀の街へ

―2008年からは「丸の内再構築」第2ステージがスタートしました。注目の「三菱一号館美術館」も開館し、文化芸術方面での発信が期待できます。

三菱一号館周辺地図木村/もともと三菱の第2代社長・岩崎彌之助が丸の内の土地を取得したときから、開発構想の中に美術館や劇場を作る計画がありました。三菱一 号館を設計したジョサイア・コンドル(Josiah Conder)は「丸の内美術館」計画という図面を残しており、一世紀以上を経てその構想が実現しました。
三菱一号館の復元、そして、三菱一号館美術館の誕生は、丸の内の歴史の継承・発展であり、都市文化の形成へ向けた取り組みでもあります。これからは伝統、歴史、哲学などを含めて、新たに知的なものを作っていくことが重要となります。そして文化芸術は、それらに対して刺激を与え、創造性を高めるために必要なのだと思います。実際、「三菱一号館美術館」の来館者の3割近くが、ビジネスワーカーだそうです。

―新丸ビル10階には丸の内エリアの環境戦略拠点として「エコッツェリア」が設立されましたし、早朝時間の活用として先駆的な「丸の内朝大学」も大人気です。また「東京ジャズ」などさまざまな芸術活動が盛んになっています。これらの活動の総合的な姿から、丸の内エリアの未来像が見えてくるように思えます。

丸の内パークビルと三菱一号館の間にある一号館広場木村/丸の内は約120ヘクタールの中に約100棟のビルがあり、当社はそのうち約30棟を保有しています。また共同事業やコンストラクションマネジメントでお手伝いすることもあり、私たちのプロジェクトは常に面開発を意識しています。さらにソフト面でも機能を充実させ、この120ヘクタールを世界に冠たる代表的な街にするというのが、私どもの将来の夢です。

―今年、インドと日本企業の相互進出をサポートする「丸の内インド・エコノミック・ゾーン」が開設されましたが、非常にユニークな試みですね。

木村/当社では新丸ビルの新事業創造支援拠点「日本創生ビレッジ」、「東京21Cクラブ」の運営を通して、様々な事業支援や人的ネットワークの構築、企業間のマッチングを行ってきていますが、今回、インド・日本間でのビジネス相互進出支援を開始しました。上海やシンガポールをはじめとした都市間の国際競争が激しくなる中、その競争を勝ち抜くにはグローバルな視点で様々な人・モノ・カネ・情報が集まるような魅力的な都市づくりが必要となっています。こうした中、外国企業が進出しやすいような環境、外国の方が働きやすいような場所にしていくことが必要であると考えます。

―日本の成長発展のエンジンとしての都市づくりですね。

木村惠司氏木村/これまで都市再生と言えば、サプライサイドに対する提言が多く、規制緩和により、より良い建物を建てて、いい街を作る―という形でした。しかしこれからは、ディマンドサイドにも目を向けていくことが大切です。少子高齢化で生産人口がどんどん減っていく中、女性の働きやすい環境を作ること、外国人の方にも働きやすいような場所にしていくことが必要になってきます。たとえば、ロンドンのヒースロー空港の賑わいなどは、国際的ですごいですよ。民族同士で調和しながら多様性を作ることで、日本も世界から見直される国にしなければならない。

―丸の内でも、今後はもっと積極的な国際化が必須なのですね。

木村/大手町の再開発では、外国からの観光客やビジネスパーソンが安心して医療を受けられる「国際医療サービス施設(仮称)」の構想もありますし、「金融教育・交流センター(仮称)」のような施設も考えています。高度な金融ノウハウを習得するための人材育成拠点として、参加者が交流できる場の提供を目指します。そういうところから丸の内の魅力が国家戦略の一部を担えるのではないかと考えています。

―「丸の内再構築」第2ステージは、国境をも超えた人と人との関わり合いへと進化していく過程にあるようです。

木村/最後は人間がどこまでやれるかですから。丸の内再構築は、そのための器づくりであり、ソフトづくりでもある。日本だけでなく、世界中の人がここに集まって、成長できる場になってくれれば、丸の内はさらに面白い街になると思います。経済的な数字オンリーではなく、仕事もしっかりやり、人生を楽しみ、自然も愛し、人にも気遣いを忘れない。そういう大人たちが働く世界にしていきたいですね。

―まさに、それが「人を、想う力。街を、想う力。」という三菱地所のブランドスローガンの下に進める丸の内再構築のあり方なのですね。あ りがとうございました。

  
聞き手/法人日本フィランソロピー協会
公益社団法人日本フィランソロピー協会
理事長 高橋陽子