機関誌『フィランソロピー』

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機関誌377
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No.377
 
2016年12月号
特集/フィランソロピー推進25周年記念(5)
 
寄付に託すもの~寄付月間に寄せて

 
巻頭インタビュー (記事全文をご覧いただけます。)
「利他のリターン」を通してより幸せな人生を築いていこう
岡本 和久 氏

I-O ウェルス・アドバイザーズ株式会社 代表取締役社長

特別座談会 (記事全文をご覧いただけます。)
石橋 弘行 氏
キユーピー株式会社 CSR部 部長
氏家 佳世子 氏
損害保険ジャパン日本興亜株式会社 CSR室長
吉江 則子 氏
富士ゼロックス株式会社 CSR部長

元気な社会のフィランソロピスト (記事全文をご覧いただけます。)
堀尾 静 氏

元気な社会のフィランソロピスト
Nick Masee 氏

元気な社会の架け橋
おてらおやつクラブ

社員による寄付プロジェクトの事例

私のフィランソロピー
木全 ミツ
認定特定非営利活動法人JKSK 女性の活力を社会の活力に 会長

連載コラム(第51回)富裕層「あ・い・う・え・お」の法則
 増渕 達也
 株式会社ルート・アンド・パートナーズ 代表取締役社長

リレーコラム 学校から考える社会貢献(第2回)
 村上 洋子
 岩手県大船渡市立日頃市中学校 校長

見たこと聞いたこと
 JWLI2016 東京サミット
 田辺三菱製薬「手のひらパートナープログラム」助成活動報告会

Others
 PHILANTHROPY BOOK REVIEWS
 JPA PHILANTHROPY TOPICS
 次号案内 編集後記

 
 
<プロフィール>
岡本和久さん
 
おかもと・かずひさ
米コロンビア大学留学後、慶應義塾大学経済学部卒。1971年日興證券株式会社入社。ニューヨーク現地法人などで証券アナリストとして働く。1992年に退社し、バークレイズ・グローバル・インベスターズ日本法人を設立し、年金運用業務に携わる。2005年、同社が年金運用資産額で業界トップになったのを機に退職。個人投資家向け投資セミナーを行うI-Oウェルス・アドバイザーズ株式会社を設立。各種セミナーを開催し、長期投資家仲間によるクラブ・インベストライフを主宰。マネー教育教材「ハッピー・マネー® のピギーちゃん」を販売し、子どものためのマネー教育を行うハッピー・マネー教室を展開している。
巻頭インタビュー/No.377
「利他のリターン」を通してより幸せな人生を築いていこう
I-Oウェルス・アドバイザーズ株式会社 代表取締役社長
岡本 和久
証券市場で45年、そのうち証券アナリスト、外資系年金運用会社社長としてそれぞれ15年間働いた後、2005年に一般生活者を対象とした投資セミナーを行う会社を設立。大人はもちろん、子どもたちに向けてマネー教育を行っている岡本和久さん。長年、金融の世界で働きながら考え続けてきたお金と心の関係、投資と寄付の類似性、人生とお金のユニークな関わり方について話を聞いた。
平和があってこそ幸せになれる
― 岡本さんは、投資や寄付などの教育を通して「品格のあるお金の使い方」を提唱されています。その活動の原点には何があったのでしょう。
岡本 私は戦後まもなくの1946年12月14日生まれで、生家の台所には焼夷弾の焼け跡が残っていました。空襲の時は消防車も警察も来てくれませんから、父親が自分で火を消したそうです。私の名前は和久。平和が久しく続くように、という意味で親が付けてくれました。
また中学2年生のときに出会った英語の先生にも、大きな影響を受けました。彼は卒業前の最後の授業で、「君たちに言いたいのはこれだ」と言って、黒板いっぱいに「Be a peace maker!」と書いたのです。世界を平和にする人になりなさいということですね。それくらい戦争や平和について感じることが身近な時代でした。ですから私の中には、平和についてのイメージがずっと存在しているのだと思います。
― 岡本さんは1965年から2年間、コロンビア大学に留学されています。当時は、まさにベトナム戦争が激化している時代ですね。このときの経験はいかがでしたか?
岡本 アメリカ人の友人は18歳になると、徴兵局に行って徴兵登録をします。当然「ベトナムの戦場に行け」と言われれば、行かなくてはいけない。みんなベトナムのことが気になって、重苦しい雰囲気でした。成績が悪い順に行かされるのではないかという噂が流れたりしていました。そういう中で、悲痛な叫びがボブ・ディランなどの反戦歌に込められていたんでしょう。
ところが、日本に帰ってきたら、まさに「我が世の春」で、高度経済成長を謳歌している。反戦歌をファッションとして楽しそうに歌っているんですね。その姿を見て、日本が「平和なのは、なんとしあわせなことなんだ」と思った。そういった経験を通じて、自分の中で、世界平和が生涯のテーマになっていったのです。
自分が本当に望むことを実現させる
― 大学卒業後、日興證券に入り、ニューヨーク、東京で証券アナリストとして15年間キャリアを積んだ後、退社。1990年にアメリカの年金運用会社の日本法人社長になられます。これは大きな転機ですね。
岡本 あるとき、家でテレビを見ていたら、不祥事を起こした会社の社長が、お詫び会見で頭を下げていたんです。
妻が「どうしてみんな、社長になりたがるのかしら」と言うので、私は自然と「社長になったら影響力が強まるし、いくらでも世の中のためになることができるじゃないか」と答えていた。そうやって話しながら、自分で納得して「そうだ、社長になればいいんだ」と気がつきました。
― そんな動機で社長になったんですか?
岡本 それから毎朝、「いつの日か社長になって、みんなが幸せになれるような仕事ができますように」とお祈りをしていたら、アメリカの年金運用会社から声がかかったんです。
― お祈りとはこれまたユニークな!
岡本 私は特定の信仰は持たないのですが、「生かされている」という意識はいつもあります。また、非常に尊敬していたアメリカの伝説的投資家、ジョン・テンプルトン卿の「投資で成功するには、雑事を離れる、富を人々と分かち合う、祈ることが必要です」という言葉に感銘を受けていました。そんなことで毎朝、お祈りをしていたのです。
その後、瞑想を始め、ここ20数年、朝夕、瞑想をしています。私が実践する超越瞑想(TM)は宗教とはまったく関係がなく、心を扱うテクニックなんですね。ストレスの多い仕事で生き延びてこられたのも、瞑想のおかげだと思っています。自 分が本当に望むことを毎日祈っていると、想いがだんだん強くなり、実現へ向けて自分が行動するようになる気がします。
― そうして、まさに天職が降ってきたという結果になったのですね。
岡本 声をかけてくれたアメリカの会社も素晴らしいところで、「とにかく顧客にとって一番いいことをやろう。どの競合相手より、お客様が喜ぶサービスをすれば、君たちはトップになれるんだ」と言うのです。まさに天から降りてきた言葉と同じだった。お客が喜んでくれれば、お金儲けを考えなくても、収益はあとからついてくるのだと。
― 確かに、それがあるべき姿だし、それを、全うしなければいけないのですね。
岡本 事実、そうなって、2005年には、投資顧問会社として年金運用資産額が、日本で最大級になりました。
― まさに社長として会社をトップクラスに育て上げた時、岡本さんは突如、退職され、投資教育のための会社「I-Oウェルス・アドバイザーズ」をひとりで作られた。今回もまた大胆な転身です。
岡本 運用資産額がトップになったことで自分のなかに達成感というか、満足感がでてきたのです。上に立つ社長が満足しているようでは、会社の成長も止まってしまうと思い、退職させてもらいました。そして今後は世の中へご恩返しをしたいと考えて、一般の生活者の人が、どうやったら退職後のためのお金を準備できるのか、どうしたら豊かで幸せな人生を送れるのかということについて一緒に考えるような事業を始めたのです。株式会社ですが利益を目的としない社会貢献企業です。
感謝のしるしとしてお金を使っていく
― 日本では、お金については学校でもまったく教えませんし、親世代でもお金の正しい知識は、持っていないように思います。
岡本 退職後に備えて、お金を増やしていくことは、もちろん大切ですが、より本質的に重要なのは「お金を何と交換するか」ということです。自分が必要なものやサービスを得るためにお金を使う。そういうものが手に入れば、ありがたい、嬉しいと思う。お金で得られる幸福感に対する感謝のしるしがお金なんですね。これが基本的なコンセプトです。
― どのようにお金を使うかで、感謝することができるし、自分の幸福にもつながりますね。
岡本 そうです。自分が持っているお金の額が増えれば、それはそれで嬉しいでしょうが、資産がある一定額になると、それ以上、幸福感は増えないという研究もたくさんあります。結局、そこに上積みをして幸福感を増やすには「利他のリターン」。お金でモノやサービスを得るだけでなく、お金で人を笑顔にする。それによって、自分も笑顔になれる。「超マネー」のリターンですね。こういう風にお金に対する考え方を変えていくと、すごく違ったものの見方ができるようになります。
―「利他のリターン」ですか! 寄付などで利他としてお金を使うと、笑顔のリターンをいただける。それは、お金を出した側の幸福感を、大いに高めてくれますね。
岡本 そうやって周囲に笑顔を増やしていくのは、結局、私の生涯のテーマである平和ということにつながっていくと思うんです。
世界平和といって、別に国連に勤めたり、外交官になったりしなくてもいい。自分のやっている仕事や行動で、まわりの人たちが少しでも幸せになるようにしていけば、小さな平和のサークルができます。一つひとつは小さいかもしれないけれど、それがたくさんできれば、平和がどんどん大きくなっていきます。
ハッピー・マネー四分法でお金とのつきあい方を学ぶ

「ピギーちゃん」の貯金箱
― 岡本さんはお金の教育の中で「ハッピー・マネー 四分法」という考え方を広めておられます。お金の使い方を「つかう」「ためる」「ゆずる」「ふやす」の4つに分けて学ぶことで、お金と幸せなつきあい方ができるという、ユニーク な理論ですね。
岡本 もともとこの考え方を学んだのは、2010年ごろにアメリカの友だちから紹介されたのがきっかけです。彼が息子に豚の貯金箱を買ったら、背中に4つの穴があるという。面白いなと思ってその会社を調べてみました。4つの穴は、それぞれ「Spend(つかう)」「Save(ためる)」「Donate(ゆずる)」「Invest(ふやす)」と名付けられていて、目的別に自分のお金を入れていく。それを見てピンときて、米国イリノイ州シカゴの北の方にある製造元の会社、マネー・サビー・ジェネレーション社と連絡を取り、シカゴに行き、社長とランチ・ミーティングをしました。話しているうちに、すごく共感する部分があって、彼らと独占販売契約を結び、2013年4月からこの貯金箱の販売を日本で始めました。
現地では「マネー・サビー・ビッグ」という名前ですが、日本では「ハッピー・マネーのピギーちゃん」と呼んでいます。
―「ピギーちゃん」に貯金するたびに、4つのどの穴に入れようか考えます。それがお金の使い方教育につながりますね。
岡本 アメリカでは、これは3歳の子どもから使っている教育玩具です。「つかう」というのは、今欲しいものを買う。つまり今の自分のために使うということです。「ためる」は、欲しいものなどを買うために貯金をする。毎月のお小遣いでは買えないけれど、時間をかけて貯めることで大きな買い物ができる。これは少し先の自分が喜びを得るために、お金を貯めるということです。「ゆずる」というのは自分のためでなく、他人の喜びのためにお金を使う。寄付をするということです。そうやって人に笑顔をあげると、自分も笑顔になれるのです。
―「Donate」を「ゆずる」と翻訳されたのは、とてもいいセンスだと思います。
岡本 「ゆずる」だと小さな子どもでもわかるし、寄付に対する抵抗感がないんですね。それに、ただ募金箱にお金を入れるだけでなく、主体的に気持ちを込めてお金を「ゆずる」んだというイメージがでます。
― 最後の「Invest」が「ふやす」となっています。「ためる」との違いとはなんでしょうか。
岡本 「Invest」は投資ということです。今、自分が必要としないお金を、今、必要とする人に使わせてあげる。その人がビジネスをはじめて、世の中に役立つ仕事のためにお金を使い、みんなから感謝されて、お金が集まってくる。その収益の一部が自分のところに戻ってくる。自分のお金が外の世界に出て、働いてくれているのですね。
そう考えると、今の自分はとても小さな世界に住んでいても、投資を通じて未来の世界につながっていける。そして自分のため、人のため、世の中のためと、だんだん意識の中の時間と空間が広がっていきます。
― 岡本さんから説明していただくと、「投資」という一見難しいお金の扱い方がストンと納得できます。
岡本 私は、基本的には投資のリテラシー教育とか、金融教育をしないでもいいのが理想だと思っているんです。コンビニで買い物をするのに、コンビニの買い物リテラシーなど学んだこともないし、上手な買い物方法を学校で教わったわけではない。それでもみんなは、自分が何を求めているのか、何が必要なのかをわかっていて、メーカーや値段、カロリー、賞味期限などを見ながら上手に買い物をしています。
投資についても同様で、最低限の知識を、ある程度持っていればいいと思うのです。そのためには理論的に正しい方法で、しかもだれでも手軽にできる資産運用法が必要です。私の仕事は、それを普及することだと思っています。
― 基本的なことを知ったら、あとは「実践する」でしょうか。
岡本 水泳を覚えさせるのに、まず本を読んで水泳理論を学ばせる人はいないでしょう。最初は浅いプールに入り、水に慣れて、楽しいと思ったら、ちょっと深いところまで入ってみる。スマホが普及したのは、みんながスマホの構造を理解したからではない。使い方が簡単になったからです。投資についても、そうやって簡単な方法から身につけるのが良いと思います。
投資と寄付のユニークな関係
― 「投資=ふやす」と「寄付=ゆずる」というのは、まったく違う言葉ですが、笑顔を増やすという点では、共通点を感じます。
岡本 まず、お金全体の流れを考えると、我々は働くということで、企業に知力、労力を提供して、対価として賃金をもらいます。これが「つかう」「ためる」「ゆずる」「ふやす」の原資になっていきます。
この中で「つかう」と「ためる」は、モノやサービスを買うことで消費者になるということ。また同時に銀行預金、あるいは年金や生命保険などのお金は間接的に企業に流れていて、投資という形で、資金を企業に活用してもらいます。これらのお金の動きによって、企業はできあがっているのです。
― 私たちは仕事をして企業からお金をもらい、そのお金を今度は企業にまわしているということですね。
岡本 そして企業が世の中のためになることをして、みんなから感謝されることで利益が上がる。これが投資のリターンになって、また戻ってくる。その中の一部分が、今度は寄付という形で中間支援組織にいったり、福祉事業、社会貢献事業にまわっていく。あるいはお金を通さず、直接、労働と時間を提供するというボランティア活動に取り組む人もいるでしょう。
― それが「ゆずる」につながる。
岡本 さらに考えてみると、企業というもの自体がもともと存在し、そこに我々が従属しているわけではありません。生活者が、一人ひとりの小さな力を合わせて、自分たちは「こういう社会を創りたいな」という共通の想いをもって、集団を形成してできたのが企業です。
企業は結局、消費者である顧客、従業員、直接、間接に提供される生活者のお金によってできている。もとになっているものは何かといったら、全部生活者。生活者が便宜的につくっているのが企業だというところに発想を変えていくべきではないかと考えています。
生活者として、あるときは消費者、あるときは従業員、あるときは資本の出し手として、企業の行動を統治していくのが本来の姿です。こういう大きな枠組み中で考えていくと、お金を使うこと、増やすこと、寄付も含めて、ひとつの絵としてまとまるのかなと思っています。
貯蓄か投資かではなく寄付から投資へ
― 岡本さんご自身も、さまざまな寄付活動をされていますね。
岡本 70歳になるのを機にというわけでもないのですが、明治大学に寄付をして「株価指数研究所」を作っていただきました。
明治以来、ずっと続いている日本の証券市場の基礎データを集めるのが目的です。日本は、アメリカでできあがった理論を持ち込み、それでなんとかやってきたのですが、やはり不十分なのですね。明治時代、さらに言えば堂島の米相場など歴史的な伝統は今も引き継がれている。これらをできる限りデータとして残したいと思い、取り組んでいただいているところです。
また、私の実践する超越瞑想(TM)の普及を支援する活動も(2016年)12月から始めました。人々のストレスが解消されれば、世界も平和に少しは近づきますから。
― まさに「品格のあるお金の使い方」ですね。
岡本 無駄なことに使うだけではなく、できるだけみんなが喜ぶことのためにお金を使うといいですね。それは究極的には寄付ということだし、あるいはミュージックセキュリティーズ株式会社が実施している「セキュリテイ被災地応援ファンド」のように半分寄付、半分投資という形も面白いと思います。
最近、よく言われるような「貯蓄から投資へ」ではなくて、「寄付から投資へ」という発想の転換です。
セキュリテイ被災地応援ファンド:東日本大震災で被害を受けた事業者に対して、1口5,000円の寄付+5,000円の投資を行うマイクロファンド。応援したい企業を自分で選び、長期にわたって支援をする。投資家特典として、支援企業の商品が届いたり、分配金が支払われるが、場合によっては元本割れしてしまうこともある。
― 被災地支援で、最初はみんなで寄付をしましたが、それが投資へと移っていくということでしょうか?
岡本 寄付というのは、困っている人を応援する。助けを必要としている人を応援することで、それが最初の段階です。その後、応援した人たちが育って、彼らが行っていた事業が大きくなり、最終的には、その収益の一部をもらうことになると、それは「ふやす」投資でもあるし、収益ではなく、育てたという喜びをもらうという意味では、「ゆずる」という寄付でもある。また、寄付を受ける側も、単に助けてもらうだけではなく、リターン、お返しもしたいと思う。貯蓄から投資へというのではなく、寄付の延長線上に投資があると考えていくと、ものの見方がすごく変わってくると思うのです。
― 寄付も投資も、信頼と感謝の循環を創りだすものですね。私どもも、寄付育という形で、子どもたちの利他の心をカタチにして、より幸せで豊かな成長の伴走ができればと思っています。お金を媒体とした関わりというのは、とても奥が深く、心豊かな創造性に富んでいるものだということがわかりました。
本日はありがとうございました。
【インタビュー】
公益社団法人日本フィランソロピー協会
理事長 高橋陽子
 
(2016年10月26日 公益社団法人日本フィランソロピー協会にて)
 
 
特別座談会/No.377
社員による寄付プログラムについて それぞれの取り組み、現状と課題
石橋 弘行
キユーピー株式会社 CSR部 部長
氏家 佳世子
損害保険ジャパン日本興亜株式会社 CSR室長
吉江 則子
富士ゼロックス株式会社 CSR部長
きき手: 髙橋 陽子
公益社団法人日本フィランソロピー協会 理事長
活動に関わる社員が寄付先を提案する
― 個人による寄付は、今日でもなかなか進んでおらず、行政や企業に依存する傾向が続いています。そんな中、マッチングギフトなど参加しやすい仕組み作りで、社員個人の寄付活動を進めている企業も少なくありません。今回は、その中でも先進的な活動をされている3社をご紹介しながら、現場での課題を共有しつつ、個人の寄付文化を広げるきっかけ作りを考えたいと思います。
まず1991年に富士ゼロックスが始めた「端数倶楽部」(はすうくらぶ)は、マッチングギフトの老舗ともいえる存在ですね。
 
吉江則子 氏
富士ゼロックス株式会社
CSR部長
吉江 ありがとうございます。「端数倶楽部」というのは、名前の通り、給料と賞与の100円未満の端数を、毎月自動引き落としで寄付するというシステムで、ここにプラスして1口100円で99口までの寄付を任意で加えることができます。平均を取ると、2、3口の人が多いですね。「端数倶楽部」に集まった資金を外部団体に寄付する際は、会社から同額のマッチングギフトがプラスされます。
― 同倶楽部の設立のきっかけは、なんだったのでしょうか?
吉江 当時、富士ゼロックスらしい社会貢献活動を模索していて、一人ひとりの社員が、社会で生き生きと活動してもらい、そのバイタリティを社内にも持ち込んでもらおうという運動をしていたときでした。自然災害などで急に寄付をしたいという状況になったとき、事前にプールしてある資金があればいいねという意見があり「端数倶楽部」の形にまとまったのです。
― メンバーの人数は?
吉江 「端数倶楽部」は富士ゼロックスの中では有名な取り組みで、現在単独で社員数は8,300人ほどですが、会員は3,800人弱。約40%の人が入会しています。新人研修のときにも取り組みの説明をして、勧誘をしています。
― 寄付先は、どのように選定しておられますか?
吉江 会員全員の中から年2回、寄付先の団体を募ります。寄付を申請する人は、寄付先の団体に、なにかの形で関わっていなければならないという決まりがあって、そこが「端数倶楽部」の特徴だと思います。ただ寄付をするだけでなく、会員がイベントを開催したり、活動の提案もするのですね。やはり社員本人が社会にアンテナを張り、地域コミュニティの人間としても、経験を積んで欲しいという考えがあるからです。
誰もが参加しやすいシステムを模索する
― 損保ジャパン日本興亜の「SOMPOちきゅう倶楽部」も、社員から寄付を集めていますね。
 
氏家佳世子 氏
損害保険ジャパン日本興亜株式会社
CSR室長
氏家 1992年に、当社の社長が、経団連ミッションの団長として、リオで開催された地球サミットに参加しました。その際、これからはNPO/NGOなどと連携して、環境問題を考えていく時代だろうということを感じ、社内で強く訴えた ことで、翌年に「SOMPOちきゅう倶楽部」が発足。1996年から社員による寄付活動もスタートしました。システムとしては、社員有志から1口100円以上の寄付を、毎月の給料から天引きしており、現在は4割ほどの社員が、参加してくれています。
― 寄付先の選定方法は、どのようにされていますか?
氏家 社員の代表で構成される運営委員会、選考委員会で審議し、支援先を決めています。あらかじめ基金としてお金をプールしているので、震災があったときなどは、迅速に支援することが可能です。金額はそれほど大きくないですが、フレキシビリティがあります。
― できたばかりのNPO法人にも、使途を限定しない助成金を出すということもされています。その発想がニーズを先取りしていて、心強いですね。
氏家 そうですね。災害のときはスピーディに助成金を払わせていただく仕組みを、また高齢者、障がい者などさまざまな角度からの取り組みも視野に入れています。いろんな形で社会に還元していくことを考えないと、現場のニーズについていけないのではないかと思っています。また寄付活動に参加することで、社会に貢献しているというマインド醸成も高まって、社員のボランティア活動もかなり活発に行っています。
― キユーピー株式会社の行っている「QPeace( キユーピース)」も、有志社員が毎月、給料から1口100円を天引きして寄付するシステムですね。
 
石橋弘行 氏
キユーピー株式会社
CSR部 部長
石橋 我々はみなさんより遅れて、1998年からスタートしています。寄付をしたいけれど、一歩を踏み出せない従業員を後押しすることで、社会貢献の意識を高めたいという目的で始まりました。毎年5月から翌年4月までのサイクルで、1年に一度、入退会ができます。みなさんと少し違うのが、最初の寄付を行う段階で寄付先を決めていること。「食」「子ども」「環境」の3つのコースがあり、各自が任意の口数(上限10口)をかけていきます。またマッチングギフト として、集まった寄付金と同額を会社が支援します。
― 支援先は社員からの提案ですか?
石橋 そうです。従業員から自由に支援先を提案してもらい、約10人の選定委員が従業員代表として、また会社代表としてCSR部からも人を出して、選定に参加します。ことし(2016年)は、25団体に寄付金を届けました。また年に数度、活動報告会も行い、支援先団体の方に来ていただき、講演をお願いしています。
― 報告会の参加者は多いですか?
石橋 やはり一定の人しか出てこない傾向があるので、開催時間を昼休みにしたり、20~30分ほどの短時間の報告を3回行うなど、参加しやすい方法を模索しています。
CSRの担当になって見えてきたこと
― 石橋さんはCSR担当になられて、どれくらい経ちましたか?
石橋 1年ちょっとです。それまでは広報部にいました。当時は同じ本部に所属しているものの、自分の意識が低かったこともあって、CSR部が何のために、どんな活動をしているのかが、あまり理解できていなかったかもしれません。実際にCSR部に来てみると、こんなにいろんな活動をしていたのかと驚きました。とはいえ「QPeace」への参加率はまだ高くはなく、活動の認知がまだまだ不十分と感じています。
富士山麓に「キユーピーの森」と名付けた森林があり、その保全活動などを行っているのですが、こういうボランティア活動へ、より多くの従業員に参加してもらって、自然への感謝の気持ちを、そして社会貢献への意識を高めてもらえればと思います。
― 確かに、実際の体験があると考え方も変わりますね。また氏家さんも、ことしCSR室に入られたそうですね。
氏家 私は2月からですが、石橋さんと同様、多岐にわたる活動に驚きました。先日も200人弱の人が集まり、認知症サポーターの研修を行うなど、社員が一丸となってボランティアに取り組む土壌があり、手前味噌で恐縮ですが、「いい会社だな」と思います(笑)。社員一人ひとりの取り組みが、企業としての品格につながって、お客さまから「保険に入るなら、損保ジャパン日本興亜で」と思っていただけたら幸甚です。
また、当社は従業員が多いので、全体の40%といっても1万人超という人数になります。1万人超が寄付やボランティアなど、間接的、直接的に関わることで、社会に良いインパクトを与えることができたらいいですし、地道に継続的に辛抱強く取り組むことも大切だと考えています。打ち上げ花火的なプロジェクトではなく、草の根活動に落とし込んでいく。それを模索しながらやっていかなければと思っています。
強く、やさしく、おもしろい活動をする
― CSRについては企業トップのコミットメントが重要になってくると思います。富士ゼロックスの場合、小林陽太郎元会長の影響が大きいですね。
吉江 私自身、10年以上にわたり、小林の対外的な活動をサポートする仕事をしておりましたから、小林の考え方は直接理解しておりました。小林は早くからコミュニティ・エンゲージメントの重要性について認識していましたし、当社は1992年に「強い、やさしい、おもしろい」から成る「よい会社構想」を発表しています。
「強い」というのは財務的に強いということ。「やさしい」は環境や社会に優しいということ。加えて「おもしろい」というのを入れたのが特徴で、一人ひとりが仕事もプライベートも面白いと感じて生きて欲しいという意味です。「端数倶楽 部」も会社だけでなく、コミュニティでも面白く、生き生きといろんなことを感じ取って欲しいということで始まった活動です。
― まさに企業のカルチャーになっていますね。
吉江 そうですね。企業風土として育ってきたということがあります。ただ、今の20代、30代の世代になると当時の経験を共有していませんから、CSR部として、DNAを伝えていかないといけないと考えています。小林は、企業は、プロダクト・アウトでないことは勿論、「マーケット・イン」を超えて、社会にとって価値のあるものを提供していくという「ソサエティ・イン」を目指すべきと、当時から言っていたのですが、今はオープンイノベーションという言葉も広がっているので、社外と連携して、新たな価値を創っていくことが大切です。
― キユーピーの場合はいかがですか?
石橋 社是・社訓の影響力が強いと思います。
社訓として「道義を重んずること」「創意工夫に努めること」「親を大切にすること」の3つがあり、そして、それが実践できれば「世の中は存外公平なものである」という大切な教えがあります。それがお世話になった方々への感謝や社会への貢献の意識につながっています。何かあったら社是・社訓に立ち返り、物事の判断基準を社是・社訓において考えることが、グループ従業員に周知されることで、このような風土が継承されているのだと思います。
― 経営理念を通じて方向性を示して、その中でどんな活動をするかを考えると、老舗らしいぶれない哲学になっていくのですね。
地道・継続・全員参加で活動を続けていく
― 今後はますます若い世代の参加も重要ですね。老舗ならではのご苦労もあるのでは?
吉江 「端数倶楽部」ができた1990年代は、寄付活動にしても他にきっかけがないような状況だったと思います。しかし、今の時代はさまざまなチャンネルがあるので、なぜわざわざ会社で寄付をするのか。そこに特徴を持たせ、「ここの活動は面白いよね」と思ってもらえることが大切です。
― 社会貢献への意識が高まり、追い風ではあるけれども、チャンネルも増える。そういう意味では皆さん、同じ課題を抱えておられるのでは?
石橋 寄付先を新たに募集すると、いろんな団体を知ることができて、発見ができますね。ことし、新たに決まった寄付先に「ハタチ基金」があります。東日本大震災の被災地で20年間、子どもの学びや自立に関わる支援を行う団体です。震災から5年以上が経過し、支援の在り方が変わる中、その支援内容に感銘しました。活動支援を行っている団体の活動報告会からは、たくさんの気づきがあります。そして、こういう刺激を受けることで、従業員の中から活動リーダーになる人も出てきています。
吉江 私たちも寄付だけでなく、社員を活動自体に関わらせることを、もっと活発化させたいというのがあります。ボランティアをしている人もいますが、比較的、決まったメンバーになりがちで、活動のために休日を使うということが広まらない傾向があります。また全体の運営企画などの裏側の仕事に時間を割けない人が多いということもあって、運営委員のなり手を探すのが大変だったりします。
― どのように動機づけするのでしょうか?
吉江 特別なことはなく、私も毎回、会議に参加して議論をするなど、こつこつとできることをしています。
石橋 みなさんの会社で人気のある取り組みは、どのようなものなのでしょうか?
吉江 オックスファム・トレイルウォーカー というイベントがあって、4人で50キロ、もしくは100キロの山道を制限時間内でランするのですね。事前にファンドレイジングをして、東北支援に寄付を します。海外からも多くの参加者がありますが、これに「端数倶楽部」からも4チーム出ました。ことしはコースが福島の安達太良山だったので、富士ゼロックス福島の「端数倶楽部」からも40人くらいのサポーターが来てくれて、炊き出しから安全確保、誘導など、いろいろな仕事を手伝ってくれました。富士ゼロックス単独だけでなく、多くの販売会社にも「端数倶楽部」があるので、いろんなところで連携できるのが楽しいですね。
オックスファム・トレイルウォーカー:オックスファムは、1942年に英国オックスフォードで設立された国際協力団体。貧困のない公正な世界を実現するため、現在は世界90か国以上で活動している。オックスファム・トレイルウォーカーは、オックスファムが主催し、世界各地で行われているトレイルウォーキング&ランニング・イベント。寄付金を集め、チームで参加する。日本では2007年から毎年開催されている。
氏家 当社でも全国47都道府県にある支社や支店とともに、地域活動の活性化を支援しています。これはCSR室の活動ですが、ことしは全国の福祉・障がい者施設などと連携し、サッカーをモチーフにした障がい者の方の絵画コンテストのトップスポンサーを務めています。トップスポンサーとして、各47都道府県から1作品を表彰する47都道府県賞を設け、各支店・支社で贈呈式を開催しています。地域の皆さまとともに、地域に根付いた取り組みを展開しています。CSR室ができることは限られているので、参加して楽しい、参加して自分も幸せになれるようなプログラムを、どう考えていくのかが課題です。
― 各支店も、無理なく協力してくれるのでしょうか。
氏家 人数の少ない拠点もあるので、多少の温度差はありますが、各拠点が自ら創意工夫をして、贈呈式の準備・開催をしています。「SOMPOちきゅう倶楽部」を発足して20年超、社会貢献マインドが着実に根付いていると自負しています。
― 地方でそういう活動をすると、必ず地方紙が記事を書いてくれますから、それもひとつのモチベーションになりますね。
氏家 私はきょう、ちょっと変わったピンクのTシャツを着てきました。胸に「くまモン」がついているんです。先日の熊本の震災のとき、義援金も集めたのですが、グループオリジナルのチャリティTシャツを作りました。このTシャツが手元にあることで、社員は常に熊本を忘れないでいられる。サステナブルな活動にするにはどうしたらいいのかという発想です。
― 常に相手を気にかけるという気持ちのあり方は、共感を作る上でも、とても大切ですね。
氏家 「SOMPOちきゅう倶楽部」で寄付をしているのは社員の4割ですが、倶楽部のメンバーは社員全員という位置づけでやっているので、この精神をもとに社会貢献を続けていけたらと思っています。地道、継続、全員参加がキーワードです。
寄付は世界へと開く大きな窓のようなもの
― みなさん個々人にとって、寄付とはどんな存在でしょうか。
氏家 私たちは社会の中で収入を得ているので、社会貢献のために還元できる機会があればしていきたいという気持ちがあります。「SOMPOちきゅう倶楽部」のような取り組みやすい環境があり、自分の給料の一部を社会貢献のために活用していただいていることを、幸せに感じています。
石橋 私はCSR部にいるので、子どもの貧困の現場、たとえば社会福祉協議会がやられているような活動に参加し、料理を一緒に作って食べたりすることもあります。子どもにとって、食育はとても大事で、意欲、想像力、発想力の源なんですね。やはり現場で子どもたちの喜ぶ顔を見ると感動しますし、活動の大切さを感じます。とはいえ他の部署の従業員は、そういう機会に接する時間があまりありません。活動報告会などで情報を提供し、活動の理解を深めてもらい、自分たちで活動はできなくても、寄付による支援を推奨することは、私たち部署の大切な役割だと考えています。
吉江 私にとって寄付は世界への窓のような感じです。普段はつい近視眼的に身の回りのことだけになってしまうのですが、寄付のチャンスがあれば「社会ではこんなことが起きているんだ」という気づきになりますし、限られたことだけれど、自分でもこれならできるということがあります。国連のSDGs(持続可能な開発目標) でも、世界から貧困をなくすなどの17の目標を挙げていますが、それも決して遠い話ではないんですね。食べ物を残すのをやめて、フードロスをなくすとか、関連するNGOに寄付しましょうとか、自分ごととして身近なところで活動ができます。寄付というのは、遠い世の中のいろんな問題を「自分ごと」にできる機会だと思っています。
― 企業が推奨する活動は、個人の中に潜在する利他の心をカタチにするきっかけを作るという共通の役割が見えてきました。暮らしの中で自然にこうした活動ができるよう、私どもも面白い企画を提案したいと思います。
本日はありがとうございました。
【2016年11月1日 公益社団法人日本フィランソロピー協会にて】
 
 
<プロフィール>
堀尾静さん
 
ほりお・しずか
医療法人 堀尾医院・社会福祉法人 碧晴会 理事長
取得資格/日本東洋医学会、医学博士
堀尾医院:愛知県碧南市新川町5-108
URL:http://www.horioclinic.jp/
元気な社会のフィランソロピスト/No.377
楽しんだその一部を「おすそ分け」
堀尾 静
名古屋から電車で50分の三河湾に面した町、碧南市(へきなんし)にある「堀尾医院」では、毎年、9月の第2土曜日の夕方に、イベント「桜の木の下のコンサート」を開催している。400人を超す地域の人々が集まり、その収益金が寄付される。院長の堀尾静(ほりお・しずか)さんは、開業した1994年からイベントを主催し、一度も休まずにことしで22回目。そのイベントと寄付について聞いた。
ご出費をお願いします!
イベントの開催日、午後早くから医院の駐車場ではテントが立ち並び、美味しそうなにおいが漂う。
 
50人ほどのボランティアの人たちが、出店の料理の仕込みや会場の準備に忙しい。食べ物は、ネギ焼き、タコス、ピザ、おでんなど。その味は評判で、開場前から並ぶ近所の人たちも多い。出店では料理のほかに、持ち込みの手作りの品々や募金箱も設置され、すべての収益金と募金が寄付される。
 
夕暮れ近く、おなかも満たされビールでいい気分になるころ、舞台ではパフォーマンスがはじまる。鑑賞は無料だ。今回の演目は、ボーカルショー、等身大の人形による幻想的な人形劇、津軽三味線の三本立てだ。出し物は多彩で、地域では見られないものをと、堀尾さんが毎年演目に趣向を凝らす。昨年は阿波踊りの連が総勢40名、観客も一体になって乱舞した。
 
料理の材料費やパフォーマンスの出演料などは、堀尾さんが支出する。「手伝いはわたしの仲間で、みんなボランティア。仲間がいるから、続けてこられたんですよ」という。
 
こうして集められたお金が64万円。今回は、熊本地震への義援金、東日本大震災への育英募金、精神障がい者を支援するNPOや、堀尾さんが尊敬する中村哲医師の「ペシャワールの会」(※)などに寄付された。
 
「皆さんには、楽しんでいただく。その『おすそ分け』を困っている方にさしあげましょうというのが、イベントの趣旨。食べて飲んで楽しんで、出費をお願いしています。」
※ペシャワールの会:1980年代よりアフガニスタンの山岳無医村で医療活動を続ける中村哲(なかむら・てつ)医師を代表とする国際NGO(NPO) 団体。2002年から「緑の大地計画」として、医療事業・水利事業に加え農業事業をはじめた。
ネパールの子らに文房具を

ネパール・イソダラ仏教学校にて、歓迎の看板の前で花束を持つ堀尾さん(看板の右側)。
寄付活動を続ける堀尾さんだが、はじめから寄付に特別な思いがあったわけではなかったという。しかし、1999年に転機が訪れた。
 
イベントを手伝う「安兵衛」という居酒屋の飲み仲間と飲むうちに、「ネパールへ行ってみよう!」と話が盛り上がった。しかし、ただ行くのでは面白くないので、学校に募金と文房具を届けようと話し合う。そして「今宵ビール1本を我慢して、ネパールの子どもたちに文房具を」をスローガンに、寄付活動がはじまった。こうして集めたトランクに満タンの文房具と募金を、堀尾さんほか二人の飲み仲間が、届けることになったのだ。
 
ネパールに着くと、三人は紹介された仏教学校で、480人の生徒たちに迎えられた。子どもたちから、祈りの花マリーゴールドの花束やレイを捧げられて、屈託のない素朴な笑顔の大歓迎を受けた。一人ひとりに鉛筆やノートを手渡すときの、子どもたちの素直な喜び、目の輝きに接して、三人とも胸がいっぱいになったという。
 
「裕福な日本から貧しいネパールにプレゼントをあげようと思って来たのに、一番感動し、喜んでいるのは自分たちだったと気づきました。」
 
寄付は、なにかをしてあげることでなく、「自分が幸せに感じること」だと教えてもらったネパールでの体験は、堀尾さんの寄付への考え方を大転換させたという。
 
それから「ビール1本我慢してネパールへ」が合言葉になり、「桜の木の下のコンサート」に併せて寄付を継続し、毎年文房具と募金を届けた。その募金で、学校では井戸が掘られ、電気がつき、トイレが整備されていった。
 
その後、ネパールの政情不安のため訪問は一時中断。そして2015年の地震で寄付を募り、昨年は、堀尾さんが再びネパールを訪れた。
生活のなかの医療として

昨年(2015年)の阿波おどり。演じるものと観るものが一体となった。
堀尾さんは代々続く医者の家系に育ち、東京の医科大学を卒業した。その後、地方の病院勤務を志願し、隣町の西尾市民病院に勤務。そこで精神科医になるはずだったが「お前の顔は外科向きだ!」との外科部長の一声で、外科医としてスタートを切った。
 
当時は、病院も「家庭的でのんびりした雰囲気があった」という堀尾さん。院内には芝居のグループもあり、仲間とイベントを企画した。地域の人たちを招き、医師や看護師が役者として舞台で演じ、出店では医師が売り子になった。このときに、イベントが「こんなに楽しいものかと味をしめた」と堀尾さんは笑う。その目的は、「病院の敷居を低くすること」と「医療者が、売り買いのロールプレイを通じて世間を知ること」。そこには、生命にかかわる仕事をするものとして、患者さんや地域の人とのより近い関係をつくりたいという、堀尾さんの医療への信念があった。
 
  また、イベントをはじめたころ、患者さんにもよい影響があることを知った。足も腰も痛くて歩けなかった高齢の患者さんが、その日は歩いて出演者におひねりを渡し、翌日の診察で「先生、楽しかった」と嬉しそうに報告したのだ。慢性的な病気の日々にあって、楽しみは重要だ。「生活者の視点で医療を考えると、イベントも、わたしの医療の実践と位置付けています」という。
 
寄付は、市民病院のイベント時代からはじめて、医院のイベントとして継続し、ネパールとの出会いがあった。「寄付の趣旨を参加者全員が共有しているかどうかわかりませんが、楽しく過ごし、その一部をおすそ分けとして寄付し、どこかで喜んでもらえる。少し意識が広がって、参加してよかったねという思いが残ればいいと思っています。」
 
寄付はみんなで楽しんだ「おすそ分け」と考える堀尾さんは、あくまで自然体。そこに、地域の人を巻き込んでいく寄付へのヒントがある。
機関誌『フィランソロピー』2016年12月号/No.377 おわり