連載コラム/富裕層「あ・い・う・え・お」の法則
第14回
東日本大震災から約10日が経ち本原稿にとりかかっています。私は自宅が新浦安(千葉県浦安市にあるJRの駅名)で周辺が液状化に見舞われ現在もホテル暮らしを余儀なくされています。今回の震災で被災されて皆様にお見舞いを申し上げます。
こういった有事の際にいつも感じることは様々なレベルにおける「配分の理念」というものです。国家レベルで言えば被災地域にヒト・モノ・カネを集中させなければならない、という配分の理念を持つのが当然ながら望ましいのでしょう。どさくさにまぎれた増税や政治のご都合主義による一層の混乱は言語道断ですが、予算の組み替えはあってもいいと私は思います。巷間子ども手当や高速道路無料化の実証実験予算を被災地復興予算に組み替える話が出ていますが、現在のイギリス政権が進めているように各省庁の特別会計予算も含めて一律20%を国家特別会計として計上する、など大胆な方策があってもよいのではないかと思います。ゼロベースで考える=「あ・い・う・え・お」レベルで考えることが求められていると思うんですね。
一方個人レベルにおいて求められることというのが「できることをきちんと実行する」という意味での時間・カネ・モノの配分の組み替えであると思います。自宅やオフィスに不用品がないはずがないし、それらを救援物資として関係団体に持っていくのにそれほどお金もかからない。また、一日24時間のうちの10分だけでも被災者のことを考える時間をつくれば、その10分が1日の残りの時間の有意義な配分に役立つはずです。買い物の際のおつりを寄付することも、多額でない限り無理なく続けられる話です。生産人口6千万人程度がそのような意識を持てば、タンスの中に眠っている埋蔵品やごく普通の消費までも被災者に対する埋蔵金に変えられる可能性があるわけです。一方、高所得者あるいは高資産家に求められる「あ・い・う・え・お」は資産の1%を寄付するなどの配分の理念ではなかろうかと思います。1%資産が減ることが人生を左右するほどの一大事になるとは思わないと同時に、富裕層に属していない方々からもっとも称賛されるお金の使い方ではないかと思うんですね。
配分というものには必ず理念が出ます。特に個人の支出レベルの配分はなおさらのことでしょう。このような理念を育んでいくことがフィランソロピーのすそ野を広げることに役立つと思いますし、特に富裕層の方々に関して言えば復興主計官の役割を果たしていただきたいと思います。このような理念の共有があれば、資産課税など実施しなくともよいというのが私の考えです。有事の際、あるいはそれをきっかけに、戦前の国家総動員法の現代版のようなものがでてくるのはこりごりですからね。助け合うことは人類の起源の基本なのですから、何の変哲もなく取り組みたいものです。