連載コラム/富裕層「あ・い・う・え・お」の法則
第16回
私は学校法人文化学院で常勤講師もしているのですが、20歳前後の学生にフィランソロピーについて問いかけたところ、まさに「あ・い・う・え・お」を地で行く話をした学生がいました。今号はまずその全文をご紹介したいと思います。
「フィランソロピーの意味は人生の質を高めることだとある。ではこれは一体誰の人生の質を高めるのだろうか? 結論はおそらく自分自身の人生の、だろう。
目に見える即物的な善意というものは、受け取る側としては有り難いもので、直接的に受け取った人の生活の質を向上させる。しかし同時に、その善意を見せた人間の人生の質も向上すると考えている。それには、二つの理由がある。
まず、第一に挙げられるのは『名誉』である。慈善的な行為を行ったその人物は、社会的に賞賛を受ける。偽善だ、と罵られることもあるかもしれないが、慈善行為を行ったという事実は変わらない。やらない善よりやる偽善、と反論してしまっても構わないのではないだろうか。それによって恩恵を受けた人がいるというのも、また事実であるのだから。
そして次に『充足感』である。慈善行為 ― 人から賞賛される行為を行ったということは、自分の中に『充足感』を生む。つまり、人のためになることをし、それによって人から褒められた、というのは、自身にとって嬉しいことである。フィランソロピーを行う人の心中に、こういった〝自分のため〞という考えが全くないとは、考えにくい。だがこれは、悪いことではない。当たり前のことだ。人にいいことをすれば、それは自分のためになる。〝情けは人の為ならず〞ということである。
それはわかっていても、なかなか実行に移すことができない。しかし、コンビニでもらったお釣りのうち小銭数円を、備え付けの募金箱に入れてみるところからでもいい。一歩踏み出して、自分のためになるかもしれないという考えがあってでも、人に手を差し伸べるのが、フィランソロピーの一歩だと思う。」
20歳の鳥羽拓人君の意見文章だが、大変的を得ていて感心しました。深い洞察に満ち溢れていると同時に、自分なりに「今すぐにできること」をしっかり捉えた上でフィランソロピーを定義している、つまりフィランソロピーを自分の言葉で説明できているわけです。
自分が本当に理解していることは誰にでも説得力をもって説明できます。逆に本質的に理解をしていないことを人に説明しようとすると、聞く相手には説得力をもって伝わりにくい側面があります。より簡単に、より現実的に。若い世代がフィランソロピーを考える際にも「あ・い・う・え・お」は自然と受け止められていくことを確信しました。