連載コラム/富裕層「あ・い・う・え・お」の法則
第18回
最近「日本中枢の崩壊」という本を読みました。経済産業省の現役の官僚が天下国家を論じているものです。霞ヶ関の衰退ぶりなどが克明にわかりやすく描かれているもので、読み物としての迫力には多少欠けるものの大変面白い本だと思いますのでぜひご一読をお奨めいたします。
さて、この本の中で2点、同感!と思える箇所がありました。1点は「富裕層医療」に関する記述です。その論調は「高いお金を払うのであれば高度な先進医療を受けることができていいはず。どんどん使ってもらうのがいい」というものです。私は富裕層の消費という観点からこの意見に大賛成です。詳細は省きますが、消費が継続的に増えればまわりまわって税収も継続的に増える、という視点は疑いようがなく正しいことであると思いますし、それが日本の構造上の問題の解決に少しでも役立つのであればどんどんやればいいことだと。もう1点は「観光産業はリーディング産業になる」という指摘。これもその通りだと思います。アウトバウンドの視点で考えれば、もっともっと世界を見て多くのことを感じる人生のほうが豊かな人生になりますし、インバウンドで考えれば、日本の魅力を外国人にわかりやすく説明するためにひとりひとりが日本文化をもう一度整理するということが、国益につながるライフワークにもなりえる、とすら言えると思います。
しかしながらこの2点に悪い意味で共通していることがあります。それは「受け入れ体制」の問題です。「高度な医療を日本で受けたい」、「日本文化に大変興味があるので日本に旅行したい」と思っている富裕層は、国籍を問わずどんどん増加しているにも関わらず受け入れることがあまりできていない。構造上の問題として行政府に責任をなすりつけるのは誰でも簡単にできますが、もっとも大きい問題は我々ひとりひとりの心の中にややもするとまだ残っている閉鎖性や島国根性のようなもので、これをゼロベースで取っ払う必要があると思います。空港整備の問題などは確かに行政府の問題ですが、「相手の国の言葉『も』きちんと意思疎通に困らない程度に万遍なく覚える」、「相手の国の文化『も』きちんと勉強する」などは、我々個人がごく普通にしていかねばならない「あ・い・う・え・お」以前の問題です。ところが「郷に入っては郷に従え」という諺を都合よく解釈しているケースが多々あります。つまり、「日本に来るなら日本語話してね」、という自分勝手な言動です。これではグローバル社会の中でおいていかれるのも無理はありません。それが許された時代はまだしも、現在でももはや外国人の消費に頼らなければ日本の未来はないという経済環境になっています。いつまでも鎖国の延長みたいなことをやっていないで開明的な「あ・い・う・え・お」はじめてみようじゃないですか。きっと日本経済はどんどん潤うはずです。