連載コラム/富裕層「あ・い・う・え・お」の法則
第21回
新年になりはや1ヶ月が過ぎました。今年は日本フィランソロピー協会も設立20周年の節目を迎えるとのこと、成人式を迎えた同協会のますますの発展が楽しみですね。自戒を込めて言うことにもなりますが、最初の20年間なんてほとんど何もできないアップアップの助走期間で、ここからの10年で最初 のハードルが待ち構えている。そしてその次の10年で責任のある仕事をやったなあ、と初めて言えるような環境に遭遇する。本稿をお読みになっているほとんどの方々に頷いていただけるのではないでしょうか。そういった意味で日本フィランソロピー協会のここからの一年一年は実りの多い年月になっていくことと信じています。
さて、この20年と言えば最初の10年間は、いわゆるバブル崩壊、山一證券の倒産やアジア金融危機、ネットバブルの崩壊と、失われた10年と言われた時代にふさわしい(?)外部環境の変化が起こった10年間でした。後半10年で言えば記憶に新しいところとしてみずほ銀行の1兆円増資、サブプライムローンの破綻に続くリーマンショック、そして東日本大震災。個人法人を問わず前向きな活動を阻害されるような外部環境の悪化が目立った10年間でした。私にとっては、電通マンを辞め、独立に向けて舵を切り、現在のビジネスの原型となる富裕層向けの出版社の社長となったのがこの10年間の最も大きな出来事でした。そして独立するにあたって自分に約束したこと、それが、本稿の題名にもなっている「あ・い・う・え・お」、つまりは基本を知らずして応用に走ることをしない、ということでした。何度か本稿でも述べさせていただいていると思いますが、社会に出てみると痛感することのひとつに、「足し算引き算を知らずに微分積分に取り組もうとしているような環境の多さ」があります。商売で言えば(ちょっと意味合いが違ったら失礼!)リンゴを売れないのにパソコンを売ろうとしている・・・、そんなような環境です。小さいことや簡単なことをすっ飛ばして、なぜか大きな話をまとめようとしている。物事がうまくいかない理由はこんな単純なところにあるんじゃないかと痛感するわけです。
誰でもできることを仕組みにすることこそ持続可能性の最たるもの。そういう視点から本稿を書き続けています。私の役割は、「フィランソロピー」とは「簡単なもの」で「誰でも取り組めるもの」であることを言い続けること。人間は考える葦である、といういい言葉が残っていますが、その前に人間 はごく普通に考える生き物です。小難しい話よりも聞いてわかることの方が行動に表しやすいに決まっています。そう考えていくと「私のフィランソロピー」も明確になってきますし、一人ひとりに宿っている個別のフィランソロピー魂に目覚まし時計を掛け続ける存在になれると思うのです。迷いに迷 う最初の20年を経て、ここからフィランソロピーが実行可能で想定可能なこととして普及していくことを願って止みません。