連載コラム/富裕層「あ・い・う・え・お」の法則
第23回
フェイスブックやツイッター、リンクトインなどのソーシャルメディアに触れていると面白いことに気がつきます。ほとんどの方の場合(私もそうなのですが)自分が勤務している会社名などを自己紹介に使っているのですが、自分のことを「エヴァンジェリスト」(おそらく近い意味としては「伝道師」ということになるかと思います)や「ビジョナリー」(こちらは「特化している」、「目立つ存在」とでも訳せましょうか)紹介している方々もいるんですね。ビークルエヴァンジェリストと名乗っている方は乗り物伝道師、インターネットヴィジョナリーと名乗っている方はインターネットビジネスで世界を変えようとしている・・・そんな意味合いを強く持たせているんじゃないかと想像しています。
これらの例と同様に、自分を「フィランソロピスト」と名乗っている方々を、特にリンクトインで発見しました。彼らに共通する点は、まず年配であること(といっても50代の方も見受けられますが)です。また、自分のことをフィランソロピストと呼んでいるくらいですから、自分主催でチャリティパーティなどを実施しているのがよくわかります。特に同世代以上の方々を対象にしたチャリティパーティを実施しているようですが、履歴をみて感心するのが、やはり「継続的」にやっていることです。小さい活動でも継続しなければ意味がないことを深く認識しているんじゃないかと思うんですね。だから、ある意味で期限のある会社名などによる自己紹介でなく、自分の意思次第ですが期限のない呼称で自分を表現できるのだと思います。気がつきにくいことですが、なかなかできないことだと思います。
私自身本連載でも繰り返しお話させていただいていますが、誰でもできる簡単なことを継続することから自分自身のフィランソロピー物語は始まるとすれば、「私はフィランソロピストです」と堂々と公言することは、もしかすると継続的な自分自身のフィランソロピー活動に大きな影響を与える、とても簡単で画期的な方法論かもしれません。言ってしまったからやらねばならない、というような強迫観念でなく、言っていれば忘れることがない、というレベルでもいいんじゃないかと。たとえばフィランソロピー活動を的確に表現しているとてもいい言葉が日本語にはあります。それが「お裾分け」です。お福分けとも言われるように恵みや利益などを自分の理念で配分することを意味していますが、フィランソロピストというのは「幸せのお裾分け」を自分の意思で継続的にできる人、とも言うことができ、横文字だからわかりにくいということではなくて、元来日本人のDNAにとてもマッチしているものなんじゃないかと思います。フィランソロピストが大袈裟なら「お裾分け伝道師」でもいいじゃないですか。「あ・い・う・え・お」から始めましょうよ・・。