理事長・髙橋陽子のブログ

髙橋陽子
 
2019.03.08
第8回/子どもたちに学ぶ
ことしで3回目になる「寄付川柳」の入賞者が決まった。4歳から94歳までの人が応募してくださった。ことしは特に、高校生の入賞者が多く、お話を伺いたいと思い、彼らを訪問した。
 
中でも感心した少年がいた。16歳の夜明君の句は、
 
「募金箱 細い穴から 君を見る」
 
彼の弁によると、最初は「君を見る」ではなく「明日を見る」というのを考えたそうだ。彼曰く、
 
「書いた句を見ると、何だか偽善っぽい匂いがむんむんしたんです」。モヤモヤした気分でいた時、講演会に行った。そこで、講師の人が、「主語が大きくなると、偽善になる」と言ったのを聞いて、「これだ!」と気づいたという。そして、「君を見る」に変えてみて、すっきりしたのだそうだ。高校生、畏るべしである。君に届けたい、また、君はそんな僕を見つめている、そういう双方向のまなざしに、彼のしっかりした思いが伝わってくる。
 
今週は、国際ユニバーサルデザイン協議会の国際会議でバンコクに行っていたが、SDGs時代のユニバーサルデザインについて、各国から興味深い発表が続いた。久しぶりのタイだったが、経済発展とともにユニバーサルデザインの研究はどんどん進んでいて驚いた。最初に訪れたのは、20年以上前になる。5年連続で訪れたタイ・中部のナコンサワン州の小さな町の小学校の話を思い出した。
 
貧しい村で、せめて昼食だけでも、学校で給食を出して、子どもたちに栄養を与えたいという要望を受けて、寄付を携えて通っていた。昼食時は、体育館のような広場に全員が集まり、1年生から6年生までが1グループで6・7人で車座になって食べる。母親たちが交代で昼食を作りに来ている。6年生が順番に並んで鍋におかずを入れてもらう。7人でも肉や魚は3切ぐらいしか入っていない。それを6年生が、1年生から順番に小さな肉をさらに切り分けながら渡していくのである。皆、貧しく、そしてお腹がすいているはずなのに、その健気な「分け合う文化」にこみあげてくるものがあった。子どもたちの幼き者への思いやりと、感謝の心を実感した瞬間だった。
 
子どもは、大人たちが忘れかけている大事な心をしっかり持っている。私たち大人は、それに学びながら、彼らの心をまっすぐに伸ばしていく責任がある。
 
それにしても、バンコクでは電車に乗ると、すぐに若者が席を譲ってくれる。彼らが優しいのか、こちらが年を取ったのか? 両方だ・・・。
 
2019.02.01
第7回/石巻日日新聞に見るメディアの責任
先週は、嵐の活動休止宣言で大騒ぎだった。大野リーダーはじめ、5人のメンバーの記者会見の対応の何と素晴らしかったことか。どんな職業も、その道を究めた人は、プロフェッショナルとしての矜持があり、若いミュージシャンたちに大いに学ばせていただいた。片や、政治家のお粗末な会見を見るにつけ、自らの誇りと職業人としての矜持を示してほしいと国民の一人として切に思う。同時に、メディアの扱いには違和感を覚えた。全国紙がいずれも、嵐の休止宣言について写真入りで1面に取り上げている。かろうじて、日経新聞は社会面での扱いであったが。昨今、メディアの責任が言われているが、報道の扱い方、報道した内容のフォロー、いずれも首を傾げざるを得ないことが多々ある。政治家のレベルもメディアのレベルも国民のレベルを表していると言われている。健全な民主主義を考える時、大事な材料としたい。
 
ところで、先日、セミナー開催のため、久しぶりに石巻を訪れた。町は、震災直後の、すべてがひっくり返っていた灰色の様相から、落ち着いた町に戻っていた。セミナーの始まる前、石巻日日新聞が震災翌年に創立100周年を記念して設立した「石巻NEWSee」を訪問した。
 
大正元年(1912年)の創刊、昭和16年(1941年)の「新聞統制」による「一県一紙」指令により、同紙は廃刊するか、河北新報に統合されるかの道を選ばざるを得なくなった。だが、同社はそれを拒否した。紙の配給が停止されると、家にあった藁半紙に鉛筆で記事を書き、地域に配ったという伝説がある。
 
同紙のもう一つの伝説は東日本大震災発災直後。震災で町のほとんどが水没、電気・ガス・電話もネットも止まった中、紙の新聞が発行できなくなったが、手書きの「壁新聞」で、新聞発行を継続したのである。新聞社も浸水。水没を免れた新聞用ロールをカッターで切り出し、原稿を当時の報道部長、武内宏之氏が読み上げ、社長の近江弘一氏がフェルトペンで書いていく。6枚の同一の壁新聞を書き上げると、胸まで水に浸かりながら、手分けして6か所の避難所に貼りに行った。電気が通じるまでの1週間、出し続けた新聞が壁に貼られている。避難所にいる人の人数が貼り出されている。この数は単なる数字ではなく、家族が生きてそこにいるかもしれないという希望であった。地域メディアの矜持を示す石巻日日新聞の6枚の壁新聞は、圧倒的な熱量の記者魂とねがい・・・を思い起こさせてくれる。
 
2019.01.08
第6回/「ボヘミアン ラプソディ」を観て
平成最後の年が明けた。平成の30年間、ひたすら前を見て走り続けてきた。その大半がフィランソロピーの推進に従事してきたわけだが、振り返ってみて、いったい何ができたかを考えると、はなはだ心もとない。ただ、「微力だが無力ではない」と自らに言い聞かせて、精進を続けたいと思う。
 
遅まきながらではあるが、ことし最初の映画鑑賞は「ボヘミアン ラプソディ」
 
ロックファンではなかった身にとっても、クイーンと言えば、心騒ぐ年代である。改めて今、映画を観てみると、皆が熱狂したのがうなずける。あの時、武道館に行っておけばよかったと後悔するような魅力満載の映画だった。
 
この映画の本質は何か?彼らが自分たちの映画を一番届けたかったのは、「弱き者、居場所のない者、悩める者、名もなき者」である。その集大成がチャリティイベント、ライヴ エイド。圧倒的な迫力と魅惑で聴かせ、見せてくれた。
 
少し見方を変えてみると、これはまさにフィランソロピー映画だ。ヒューマンというには、あまりにむき出しの夢と欲望、摩擦、葛藤、裏切り、そして、性と生のぶつかりが生身の人間に容赦なく突き刺さる。そして・・・、生き直すには家族・友との信頼の絆が必要であることを描いた最後のライブ。主役のフレディのお父さんが言い続けた「善き思考」「善き言葉」「善き行動」に反発しながらも、フレディは、人生の最後、それを生き切った。ライブの間中、寄付申し込みの電話が鳴りやまない。音楽と、善きことへの本気と、命を懸けた表現。寄付文化の醸成を言い続けているが、相手に届き、心が震えなければ寄付には及ばない。まだ人の心を掴む努力が足らないということだと、観念した。
 
そして・・・ことしは、できることからやろうと、新たな動きを始める。「誕生日寄付」の推進である。年に一回、いのちを与えられたことに感謝し、寄付をしようというもの。
 
「Thanks Birthday, Happy Donation!」を合言葉に1月中にはスタートするので、また、ご報告をしたい。共感してくださる方が増えると嬉しい。
 
「ボヘミアン ラプソディ」は、年初にあたり、心に躍動と感動を与えてくれた。我々も、少しでも共感と賛同の輪を拡げていきたいと思う。
ことしもよろしくお願い申しあげます。
 
2018.11.26
第5回/20年ぶりの「まひるのほし」上映
ことしも、12月20日に、年に一度の 映画上映会第351回定例セミナー を開催することになった。
 
ちょうど20年前の1998年、日本財団からの助成を受け、知的障がい者の暮らしとアートをテーマにしたドキュメンタリー映画を作った。生産性、効率性から言うと、まったく真逆の人たちだが、魅力的で、おかしくて、そして、時々厄介で、何とも“アートな人たち”だ。昼間も輝いているけれど、明るさにかき消されて見えないだけだという意味を込めて映画のタイトルにした。
 
製作委員長は、元フジテレビの名プロデユーサーだった 横澤 彪さん(よこざわ・たけし/当協会理事、2011年1月死去)にお願いした。横澤さんは、抹香臭いのではなく、笑える映画にしようと言われた。佐藤真監督の非凡な感性で、笑えるシーンの多い映画になった。
 
当協会の機関誌の「まひるのほし」特集に寄せてくださった横澤さんのコメントをご紹介しよう。
自分を利口だと思っている人は意外に多いものだ。いや、正確に言えば、利口だと思わなければ生きていけない人が多いのだ。青年だったら、小生意気だが元気があっていい、ぐらいで済むが、年をとってもまだ自分を利口だと思っている人は本当に始末が悪い。世の中をダメにするからだ。逆に、自分を馬鹿だという人は少ないが、屈折した精神の人が多いから、油断すると痛い目に遭う。この映画の主人公たちは、世の中から知恵遅れという烙印を押されているが、決して自分からは利口だとも馬鹿だとも言わない。全エネルギーをアートにぶつけているだけだ。その想像力の奥深さに圧倒される。利巧と馬鹿を超越しているからだ。
生産性や効率性の先の利益だけが目的化しがちな薄っぺらな今日、「まひるのほしたち」の深淵を改めて見つめ、自らのあり様も自問してみたい。彼らや彼らの作品が素晴らしいという単純なものではない、さらに奥深い重いものも、映画が進む中で噴出し、アートって何? 障がい者って何? 生きるって何?という混沌とした思いが、井上陽水の「ハートブレイクホテル」の歌と共に掻き立てられる。そんな映画だ。
 
利己と利他の狭間で仕事をしていて、横澤さんの言葉をもう一つ思い出した。「21世紀は個性の時代です。自分のためにだけではなく、社会のために個性を発揮するという心構えが大事。」逆説的に物事を見たり、常識を疑ってみる今は亡き師匠の言葉を、日を追うごとにかみしめている。年末のお忙しい時期ではあるが、是非、足を運んでいただきたい。今なお、瑞々しい映画だ。
 
2018.11.01
第4回/House Vision 2018 in 北京
先週は、北京に行っていた。初めての訪問であったが、システム化が進む大都市、スマホで呼ぶタクシー、清潔な街のトイレ、親切な市民、真っ青な青空、どれも想像で持っていた固定観念を覆す北京の姿だった。ただ、まだまだ国民の意識変革、ライフスタイルの変化などが追い付いていない現実もあった。これだけは予想通りだが、今後を注視しなければならない国であることには間違いない。
 
今回の主目的は、House Vision 2018 Beijing Exhibition の視察。これは「企業と建築家/デザイナーが協働し、これまで体験したことのない家のあり方を、原寸大で具体化する取り組み」。エネルギーや移動手段、通信、素材開発、AI、シェアリングなど、すべての産業は家とつながっている。従って、「家を考えることは、私たちの未来を複合的に考えること」だというコンセプトの下、中国で躍進する企業と気鋭の建築家/デザイナーが知恵を絞り作りあげた10棟の未来の家を実体験できる場である。建築家の原研哉さんのディレクション。会場の設計は隈研吾さん。今回は、当協会の活動にご協力いただいている土谷貞雄さんのご縁で視察に出向いた。土谷さんは、企画コーディネーターとして、この Exhibition 開催を果たした立役者だ。
 
北京オリンピックの会場となった有名な“鳥の巣”を背景にした家々を回ってみた。生活に使用し余った太陽光パネルによる発電と風力発電などのエネルギーを利用して、空気を水に転換し、それが水玉となって植物に注ぎ、育てるという仕組みを持つ家。「農」の概念がリセットされると共に、超スローな野菜の生育を媒体に、人と人とのより深いコミュニケーションをめざしている。
 
次は、火星で暮らす家! 説明によると、「人間の生活環境が整わない極限の地を想定することで、究極のサステイナブルな暮らしを研究できる」。火星移住において、輸送中は折り畳み、できるだけコンパクトにして、火星到着後はスーツケースのように居住スペースを作るというもの。自分の想像力を追いつかせるのに必死で・・・参った!
 
日本でもシェアハウスに関心が高まっているが、中国型新しいシェアハウス。個に分断された暮らしと住まいから、再びコミュニティを創りだす方法として考えられたもの。しかも、新たに建てるのではなく、空きビルや空き店舗などを再利用する。日本だとせいぜい10人単位だが、中国だと100人単位になりそう。そこで、起こりうるプライベートとパブリックの境界、家具などの私有と共有の混在など、面白い実験場となりそうだ。
 
公共の問題を考えたり、行動に移す場合、自分の暮らしのイメージの中で可視化してみることで、リアリティあるものとなる。未来の暮らしと人々の関係性に新たな地平が見えてくるような予感。なかなか濃密で刺激的な北京だった。ついでに報告すると、あまり関心のなかった北京ダックが、北京で食べて好物になった。
 
2018.10.23
第3回/ベルリンで見た『謝る力』
先週はベルリンに行っていた。仕事が半分、遊びが半分。4回目の訪問だが、これまではとんぼ返りで、観光をゆっくりしたことがなかったので、今回は、美術館巡りやベルリンフィルのコンサートも楽しんだ。やっと夏休みが来た。
 
散歩がてら、ホロコースト記念碑に行ってきた。ここは、ホロコーストで虐殺されたユダヤ人犠牲者のための記念碑。棺のような形のコンクリート製の石碑2,711基が19,073㎡の敷地に様々な高さで広がっている。子どもたちがその間を駆け回り、石碑に腰かけて語らっている人もいる。自分たちが二度と同じ過ちを繰り返さないために、いつも意識できるようにというものだとか。 それぞれがいろいろな思いを巡らし、鎮魂と平和への祈り、非戦の決意を自らに問うているのかもしれない。過去の過ちを歴史の一コマとして傍観するのではなく、自らの問題として捉えるドイツ人の底力が心を打った。日本人の平和への希求は、唯一の被爆国としての、反戦への強い意志であるはずだが・・・。他を批判するだけではなく、一人ひとりの強い願いをカタチに表すことが民主主義の原点であることを改めて確認した。
 
折しも『謝る力』(著者:毎日新聞編集委員・城島徹氏/清水書院)を読んだところだった。城島氏がこれを書くことを決めたのは、日本大学アメリカンフットボール部の“悪質タックル問題”で、日大選手の潔い記者会見がきっかけだったと言う。人のせいにすることなく、自分の責任であることをまっすぐに伝えた会見には、多くの大人も子どもも感動したと思う。過去の企業不祥事などにも触れながら、参天製薬の顧客の安全を第一に考え、「損失より消費者を守る」ことを優先して行った商品回収の話など、大人の毅然とした人間力も思い起こさせてくれた。ところで、「ささやき女将」で有名になった「船場吉兆」の次男の尚二氏は、今は小さな割烹の板前として創業家の味を守っているそうだ。一度失った信頼を取り戻すのは難しいけれど、真正面から非を受け止め、その償いを果たしたら、再挑戦は応援したい。日大の学生さんも、新たな挑戦に向かってほしいと切に願う。
 
思いがけず、『謝る力』の真髄をベルリンで見た思いがした。そして『謝る力』は前に進む力を得ることにつながる。ただ、社会の中に、敗者復活を可能にする理解と応援が不可欠である。日本では、一度レッテルを貼られると、そこが難しいところだが、今こそ、『謝る力』『赦す力』を持って、前に進もう。
 
2018.10.01
第2回/万引き家族と樹木希林
女優の樹木希林さんが亡くなった。大学生になり、上京した初めての休日に訪れたのが、樹木さんが最初に所属した、信濃町にある文学座のアトリエだった。杉村春子はじめ太地喜和子など文学座の女優さんはみんな好きという感じだった。最初に勤めた千代田女学園は樹木さんの母校でもあり親近感を持っていた。「寺内貫太郎一家」を楽しみに観ていた世代としては、樹木希林は存在感あり、かつ軽やかさも兼ね備えた憧れの女優さんだった。何とも寂しい。
 
「万引き家族」でのおばあさん役も、骨太さと哀れさを併せ持つ素晴らしい存在感だった。
 
虐待されていた女の子を引き取って(社会的には誘拐だが【笑】)世話を焼く樹木希林の姿には、育ちや境遇を超えた母性を彷彿とさせる強さとはかなさが混在している。
 
虐待や貧困で辛い思いをする子どもたちを支える伴走者の研修を10月から始めるが、原点は、児童精神科の本間博彰先生の言葉だ。「過酷な境遇にある子どもたちはたくさんいるが、そのまま落ちていく子どもと、そこから立ち上がって成長する子どもがいる。その違いを作る大きな要素の一つは、身近に、自分のことを親身に思ってくれる大人がいるかどうかである」。映画の中で、女の子が、お兄ちゃんの帰りが遅いので心配して縁側で待っている場面がある。それを見た母親役の安藤サクラが、「優しくしてもらったことがない子は、こんな風に人のことを心配するなんてできない。誰かに優しくしてもらったことがあるんだね。」
 
実は、祖母には優しくしてもらっていたことがわかるという設定。
 
「マイナスのこと、また、マイナスのことがある。でもすべて心の栄養になったわね」と言う話を樹木さんが言っていた。現実をありのままに受け止める強さとしなやかさ、そしてはかなさが最後に見せてもらった演技だった。
 
映画から学ぶことが多いが、秋からの研修(※下記注釈)で、辛い状況にある子どもたちが、強く成長するための伴走者が地域にたくさん輩出したい。そのために謙虚に粘り強く、かつ軽やかさも忘れずに尽力したい。時々、伴走者が転んだりつまずいて、弱音を吐くのもいいかもしれない。子どもたちが手を差し伸べてくれる・・・かも。
 
 
2018.09.20
第1回/マズローの欲求理論
最近刊行された、内田樹氏編著の『人口減少社会の未来学』によると、2024年には3人にひとりが高齢者となるようだが、氏曰く、人口減少が問題というより、「外側は老人で中身はガキという『老いた幼児』が多くなることが問題だというのだ。数年前、ある評論家が「団塊の世代の特徴は、過度な経済志向と個人主義という名の下の私生活主義だ」ということを言っていたことを思い出した。団塊世代は、敗戦後の価値観の変化により、家より個人、義務より権利、もっと豊かに、もっと便利に、そして我々は最大のマーケットという日常的な雰囲気の中で育った。そして…今。
 
学生時代、マズローの欲求5段階説というものを学んだ。ご承知の方も多いと思うが、人間の欲求には5段階あって、生理的欲求、安全への欲求、社会的(帰属)欲求、尊厳(承認)欲求、そして自己実現欲求となる。まさにこの自己実現をめざして駆け抜けてきたのが団塊の世代だ。定年を迎え、形を変え、自己実現欲求への階段をまだまだ上っている。それでいいのだろうか・・・?
 
最近、関心が高まっている SDGs だが、めざすべき「誰も置き去りにされない社会」を実現するためには、相当の覚悟ある取り組みが必要となる。マズローが今、生きていたら・・・。実は、マズローは、第6段階を考えていたのだそうだ。それは自己超越(コミュニティの発展)だとか。亡くなる直前に、それを公表したらしい。また、実際には、これらの欲求も、段階を踏んでというより、むしろ循環しながら欲求が輻輳的に進化するように思う。
 
さて、これからの高齢者の中核をなす団塊世代。マズローの理論を待つまでもなく、「老いた幼児」ではなく、地域のため、次世代のために尽くす「かっこいい老人」の姿を若者に示してほしいと切に願う。自己実現の捉われから解放されてると、案外、人生の下り坂もおもしろいかもしれない。
 
2018.09.20
理事長ブログを始めます
このたび、理事長ブログを書かせていただくことになりました。
 
当協会は、健全な民主主義社会をめざして、個人や企業の社会貢献を核として事業を進めております。事業そのものは多岐にわたっており、読者の皆様には、わかりにくい点もあるというご意見などを頂く中で、ホームページを、まずトップページから変えることにいたしました。それに伴い、代表者である私が日頃考えていることをご披露し、皆様からのコメントをいただき対話をより密にしながら、当協会の使命を方向を違えることなく果たしていきたいと思っております。
 
以下の視点から書かせていただきたいと考えております。
 
1. 第3セクターに身を置くものとして、その重要性と責任を認識しておりますが、その点について、自分発だけではなく、俯瞰的・客観的な視点を忘れずに参りたいと思います。
2. 当協会の最終的なターゲットは一般の方々です。従って、専門的なことより、むしろ、日常の暮らしの視点を大切にしたいと思います。
3. ものの見方を、ちょっとずらした視点から見てみたいと思います。
4. ちょっと笑っていただき、読んでいただいた後に、少し元気になっていただくことを心がけたいと思います。
不定期にはなりますが、皆様との対話を心がけ、一人ひとりを大切にし、誰もが役割を担うことができる社会創りをめざしてまいりますので、ご意見・ご感想など頂けたら幸いでございます。
公益社団法人日本フィランソロピー協会
理事長 高橋 陽子
「理事長・髙橋陽子のブログ/2018年度」おわり