巻頭インタビュー

Date of Issue:2021.12.1
巻頭インタビュー/2021年12月号
宮本吾一さん
みやもと・ごいち
 
1978年東京都生まれ。高校卒業後、オーストラリアに滞在。2000年に帰国し栃木県那須に移住。その後も日本やヨーロッパで旅を続ける。2003年リアカーを屋台に見立てた「リアカーコーヒーUNICO」、2005年にハンバーガー専門店を開業。那須の生産者とともに、2009年から軽トラ朝市、2012年から足掛け8年間「那須朝市」を続けた。2014年に「Chus(チャウス)」を開業。2018年から「バターのいとこ」を開発・販売している。
那須の「大きな食卓」に集う仲間と
食をテーマに社会課題の解決を目指す
株式会社チャウス代表
宮本 吾一さん
2021年度グッドデザイン賞を受賞した、那須のしあわせ新銘菓「バターのいとこ」。酪農家、東京・代々木八幡の人気レストラン「PATH」のオーナーシェフとタッグを組んでこの事業を立ち上げたのは、地元で〝おいしい・たのしい・があつまる。那須の大きな食卓〞をコンセプトにした複合施設「チャウス」を運営する宮本吾一さん。生産者、消費者、そして地域を笑顔にする〝三方良し〞の取り組みにかける思いについて聞きました。
「大きな食卓」に一人ひとりに合った椅子を用意したい
― 宮本さんは農業、福祉、観光の分野で事業を展開されていますが、関わる人たちが楽しく、自然体で仕事ができるということを常に考えておられると思っています。どんなご家庭で育ったのでしょうか。
宮本 両親と両親の祖父母がそれぞれ牧師という家庭で育ちました。礼拝の後の食事会が慣例で、テーブルにはお年寄りも幼稚園児もいて、みんなで一緒に食事をするのが日曜日の恒例行事でした。
「チャウス」では、あらゆる背景を持った人たちが食を通してコミュニティをつくることを理念にしていて、これを“大きな食卓”と呼んでいます。同じ椅子を並べてそれに座れる人たちだけが参加するのではなく、子どもや障がい者など、それぞれに合った椅子を用意しなくてはならないということに気付いたことがきっかけです。「バターのいとこ」の生産工場は、就労支援施設A型として運営しています。知的な障がいがある方が7人、身体障がいの方が1人、精神疾患がある方が15名、このほか主婦やシングルマザーの方々が働いています。工場ではみんなマスクをつけて帽子をかぶり、同じユニフォームを着て作業していますから、ビジュアル的には誰が誰だかわからない。つまり障がい者であるかどうかはお互いに分からないので、それがいいなと思っています。
健常者も障がい者も4時間労働が基本です。もっと働きたければ最大8時間まで働けますし、来ても来なくてもいい自由出勤にしています。だから、きょうはちょっと子どもの調子が悪いから家にいたいということにも対応できる。障がいのある人たちのために椅子を用意しようと思ったときに見えてきた世界が、実はマイノリティ、あるいは弱者といわれる人たちにも働きやすい環境を用意することでもありました。世の中にはいろいろな椅子が必要なのに、それを整える仕組みがまだできていないと思います。
宮本吾一さん
― 福祉の世界でも、「靴に足を合わせるのではなく、足に合わせる靴を」と言いますが、一人ひとりの足に合わせることは大切です。一方で危険だと思うのは、多様性という名の画一性です。それで一括りにされると、その中でまた格差が生まれてしまいます。
宮本 個人の中にも多様性があるので、そこも考えなければなりませんね。抽象的な言い方ですが、僕は満員電車の仕組みが無理でした。例えば、満員で200%という状態は4人掛けの椅子に8人座るということで、5人乗りの自家用車だったら10人が乗っていることになるわけで法律違反になる。車はだめなのになぜ満員電車はいいのか、国の都合じゃないのかと思って、高校生の時に先生に話したら、「早く卒業しろ」と言われました(笑)。リベラルな方で、理解してくれました。
― ご両親の理解も味方したんでしょうね。先日30周年の記念シンポジウムを開催したのですが、基調講演で小説家の平野啓一郎さんが、「分人」(ぶんじん)について話されました。一人の自分の中にいろいろな側面がある。学校でうまくいかなくても、快適に過ごせる相手や環境はあるだろうから、ひとつがうまくいかないからといってすべてがダメと思う必要はない。
宮本 心配していたと思います。でも東京では、定数を超えた状態で生活することを強いられているという感覚でした。高校を卒業して1年間オーストラリアに行きましたが、すごく自由で、解放されました。最初はホームステイをしていましたが、その後は車を買って寝泊まりして、行きたい街に行くという生活でした。オーストラリアでは、ワーキングホリデーのビザを使って年間5,000人ぐらいの日本人が来ていますから、旅をしているとけっこう会うんで すよ。中には医者や企業の経営者もいましたが、年齢も職業も関係なくて、同じ旅人としてフラットにいろいろ話ができる。すごく楽しくて帰りたくなかったんですが、お金が無くなって帰りました(笑)。いったんは実家のある東京に戻りましたが、やはり無理で、田舎に行って働こうと思って出会ったのが、那須だったんです。
大事なものをシェアするにはナラティブ(物語)が必要
― 那須にはご縁があった?
宮本吾一さん
宮本 まったくなくて、たまたまリゾートホテルの仕事があったんです。そこで、田舎には移住者を呼び込むための企業が必要だということがわかりました。
― 本質的なことと、現実的なことがぴったり合うかたちでの気づきがあったんですね。
宮本 いつも、何かしら疑問があるんです。自分がいいなとか、普通だと思っている考え方と世の中の考え方が相違したら、その相違点を探る。すぐに答えは出なくて、10年後、20年後に見つかることが多い。でも少しずつ体系化できるようになりました。
― 答えを探しながら動ける人と、そこで立ち止まってしまう人がいる。やはり、教会で育ったという環境もあるのではないでしょうか。自分に問いかける習慣はつきますよね。
宮本 キリスト教に限らず、宗教に触れていると、なぜ生きているのかを考えますよね。僕の場合は、小学生ぐらいから、人生について話す相手もいましたから。
― 「チャウス」は、ひとつのメディアになっている印象があります。食事や買い物をするだけではなくて、そこに想いがあり、発信や受信がある。ナラティブ・アプローチ という手法がありますが、もともと目指すところがそこだったのでしょうか。
ナラティブ・アプローチ: ナラティブ(物語、語り)を通して解決法を見いだしていく手法。1990年代に臨床心理学の分野から生まれたもので、医療やソーシャルワークの分野でも実践されている。
宮本 自分にとって大事なものをシェアしたいと思ったときに、ナラティブは必要です。消費者も商品に対する物語を欲していると思います。「バターのいとこ」であれば酪農のこと、「チャウス」であれば生産者のことを伝えることによって露出が生まれ、消費者に気付いてもらえる。そこには事業性もあるので、朴訥(ぼくとつ)とやっているわけではなく、そのほうがキャッシュポイントがあると思ってやっているところもあります。
― 事業家としての戦略はどうやって培っていったのですか?
宮本 仲間とやっているうちに、ですね。廃校になった小学校を利活用しようと、農家の人たちとファーマーズマーケット「那須朝市」を7年間やったんです。1回目は300人程度でしたが、どんどん来場者が増えて右肩上がりに なってすごく楽しかった。経済至上主義の考え方と一緒です。でも5,000人来るようになったら、駐車場が足りないとか、周辺の道路が大渋滞して、学校や職場に予定通り行けないと怒られるようになった。この土地にとって宝物の農家の人たちが元気になれば、町のみんなにも還元されるという思いで、無償でやっていたのに、一方では怒られる。すごく違和感がありました。やればやるほど、コストがかかるし、疲れるし(笑)。
― 7年も無償で続けられたのはすごいですね。
宮本 でも自転車操業で、僕らの労働力は持ち出しだからダブルワークになる。最初は比重が軽かったのでうまく回りましたが、どんどん大変になって、右肩上がりだけがいい世界ではないということに気付いて止めました。ただ最終的な出口はつくりたかったので、常設のマルシェとして「チャウス」を作りました。自分としては良いかたちで転換ができたと思っています。失敗から学ぶことが多いですね。
― 経営状態はいかがですか。
Chus01
Chus02
 
おいしい・たのしい、があつまる。那須の大きな食卓
「Chus(チャウス)」

MARCHE(直売所)、TABLE(ダイニング)
YADO(宿)を備えた複合施設。
宮本 コロナで厳しかったですが、先月(2021年10月)ぐらいからだいぶ戻ってきました。助成金などもいただきながら、日中だけ営業しています。
― 「バターのいとこ」も「チャウス」も、建物やキャッチコピー、ネーミングのセンスがいいですね。
宮本 ネーミングは僕が考えました。「バターのいとこ」の施設ができたのは2020年6月ですが、デザインや設計、イラスト、デザイン、家具などは仲間が協力してくれました。僕がどういう意図で何を目的にしているかを伝えると、それを汲んでくれる仲間がいるのはありがたいですね。
ただお菓子を売るのではなく取り組みに共感してもらいたい
― 価値観が合って、それを共有できるのは、“大きな食卓”の理念があったからでしょうね。「バターのいとこ」は、酪農家からお話があったのですか?
宮本 森林ノ牧場の山川将弘さんは、もともと非常に良質な牛乳をつくる仕組みを作られていました。その牧場が困っているというので何かできないかと思って、スキムミルクを購入してお菓子に加工することにしました。商品を開発してくれたのは、フランスの三ツ星レストランのメゾン・トロワグロで、アジア人初のシェフ・パティシエを務めた後藤裕一さんです。フランスの菓子職人は、地域の生産者と地域の食材に根差したお菓子をつくることを大切にしているけれども、東京ではなかなかそれができないという思いを持っておられて、協力してもらいました。だからお菓子を売るだけではなくて、「バターのいとこ」というお菓子とともに、牧場の取り組みにも共感して消費してもらいた い。
― まさに伝道師ですね。モノを売るだけでなく、相手に分かりやすい、相手の心に響くように伝えておられる。
宮本 地方で仕事をする、仕事をつくるのは一筋縄ではいきませんが、ここには素晴らしい牧場があり、生産者がいて、さらに観光地です。農業と福祉の連携に加えて、出口を観光にすることが面白いと思っています。
最初の頃、百貨店や東京駅に販売に行きましたが、前情報がないのにお客様が並んでくれたんです。ありがたいなと思って、「バターは牛乳から4%しか採れない貴重なもので、その残りのほとんど(90%)が無脂肪で、脱脂粉乳で安く販売されています」と説明していると5分はかかる。10人目の人は1時間ぐらい待たされるわけで、「早くしてくれ」と言われるんですが、僕は思いが強すぎて、「お菓子を売りに来ているんじゃなくて話をしに来ているんだ」と言ってしまう(笑)。
これではお客様も僕もストレスになる。やはり「美味しい」「かわいい」といったお客様にとってのベネフィットがまずあるべきで、興味があれば、説明を読んでもらえればいい。インターネットで検索してもらえば、たくさんヒットするし、取材に来てくださるメディアの方に丁寧に説明すれば、代わりに伝えてもらえる。その循環図が見えました。
― 失敗から学んだのですね(笑)。
一人ひとりの少しの我慢で最適化につながる仕組みをつくりたい
― 売り上げは伸びていますか?
バターのいとこ
 
那須のしあわせ新銘菓「バターのいとこ」
酪農家が愛情を込めてつくり出すおいしい牛乳からとれる良質なバターはわずか4%。残りの90%は無脂肪乳となり、脱脂粉乳として安価に販売される。その価値を高めたいと生まれたお菓子。
宮本 少しずつですね。営業時間は16時までですが、だいたい12時ぐらいには売り切れてしまう。経営としてはもっと生産数を増やして売り上げを上げればいいということになりますが、一方で働いてくれる人たちの生活も考える必要がある。労働時間は4時間という仕組みですから、お待たせしたり、売り切れてご迷惑をかけることもありますが、お客様だけでなく、働く人たちや生産者に目線を向けて、“三方良し”という状態をつくりたい。これが労働力の最適化になるし、お客様に良い商品を届けることにもつながる。そのバランスを構築することがこの事業であり、一人ひとりの少しの我慢が、実はみんなにとって良いことになり、最適化の仕組みになると思っています。
― 少しの我慢が幸せへの道になる。Win-Win からの発想の転換ですね。
宮本 来月、「バターのいとこ」と北海道をテーマに、新千歳空港に出店する予定です。自然栽培で数十年、大切に大納言小豆の種をつないでいる方に、契約農家になってもらっています。きちんと収入につながる仕組みをつくりたいという気持ちで取り組んでいます。
― 小麦はどこから仕入れるのですか?
宮本 国産ということだけ決めています。自然栽培の小麦を使うと、販売価格がいまの4倍から5倍に跳ね上がって、買いづらい商品になってしまう。この商品の大事なところはスキムミルクやそれぞれの味に使っているテーマ食材(小豆やカカオ)なので、それだけはトレーサビリティのあるところからきちんと買って、それ以外はあえてこだわらないという考え方をしています。
― 折り合いをつけながら、優先順位を決めるということでしょうか。今後の展望を聞かせてください。
宮本 すぐ近くの森を購入したので、全国の仲間に呼びかけて、商業施設をつくる予定です。例えば、建物を建てるときに土地に対する衝撃をできるだけ減らしたいので、掘った土は壁材に使うなど、持続可能で、拡張していくような施設をつくりたいと思っています。
まだジャストアイデアの段階ですが、例えばお客様に苗木を購入して植えてもらって、それが大きくなって建材や燃料になるという仕組みを作れば、永遠に回り続ける場所ができるのではないかと思っています。C to C のビジネスモデルを組み込んで、お客様には思い出や体験にお金を払っていただいて、そのお金で運営できる仕組みをつくれないかと頭をひねっているところです。
サステナブルとはどういうことか。リオ五輪では、選手村で余った食材を使って、イタリアの三ツ星レストランのシェフがホームレスの人たちに料理を振舞ったという話がありましたが、フードロスの問題が貧困者の救済レストランになる。昼食はホームレスの人に食べてもらい、夕食はきちんとお金を払っていただき、ドネーションの気持ちで食事をしていただけば事業としても回るのではないか。施設全体としてどう回すかということを、いま一生懸命考えています。
― 「大きな食卓」経営ですね。これからの資本主義のあり方にもつながると思います。本日はありがとうございました。
【インタビュアー】
公益社団法人日本フィランソロピー協会
理事長 髙橋陽子
 
(2021年11月4日「バターのいとこ」店舗にて)
機関誌『フィランソロピー』巻頭インタビュー2021年12月号 おわり