巻頭インタビュー

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Date of Issue:2023.6.1
巻頭インタビュー/2023年6月号
稲葉 剛さん
いなば・つよし
 
1969年広島県広島市生まれ。東京大学教養学部卒。母は疎開先から原爆投下直後の広島に入った「入市被爆者」、父は原爆で家族を失った「原爆孤児」で、在学中から平和運動や外国人労働者支援活動にかかわる。2001年、湯浅誠氏と共に自立生活サポートセンター・もやいを設立。2014年まで理事長を務める。同年、一般社団法人つくろいファンドを設立。2019年より認定NPO法人ビッグイシュー基金共同代表に就任。
近著に『閉ざされた扉をこじ開ける~排除と貧困に抗うソーシャルアクション』(朝日新書、2020年)がある。
「まずは住まいを最優先」 ―
見えない貧困の拡大を食い止めるハウジングファースト
一般社団法人つくろい東京ファンド 代表理事
稲葉 剛 さん
2014年6月、「市民の力でセーフティネットのほころびを修繕しよう!」を合言葉に、東京都内で生活困窮者の支援を行なってきたメンバーが集い、一般社団法人つくろい東京ファンドを設立。代表を務める稲葉剛さんの原点は、新宿ダンボール村での路上生活者との出会いだった。「まずは就労優先」という従来型の支援ではなく、「まずはハウジングファースト―住まいを優先」の支援に奔走する稲葉さんに、活動にかける信念を聞いた。
路上で亡くなる人がいる ─ ダンボール村で知った日本の現実
― 稲葉さんは広島ご出身で、大学時代から平和運動をなさっていたそうですね。
ホームレス支援にかかわるきっかけは何だったのでしょうか。
稲葉 1994年に新宿のダンボール村で暮らす人たちと出会ったことです。一番衝撃を受けたのは「路上で人が亡くなる」という事実でした。具合が悪くても病院に行けず、路上で死んでしまう。救急車で運ばれても、病院をたらい回しにされて医療にアクセスできずに亡くなってしまう。夜回りで凍死寸前、餓死寸前という人に会いましたし、中にはそのまま亡くなられた人もいました。
学生時代は南北問題に関心があって、貧困イコール発展途上国というイメージが強かったのですが、ダンボール村にかかわって、貧困が足元にあったことに非常にショックを受けて、なんとかこの状況を変えたいと活動を始めました。そういう意味では、やっていることは平和運動と変わらないですね。
路上生活に逆戻りする悪循環 ボトルネックは居住環境だった
― 具体的にどのような支援を始められたのですか。
稲葉 炊き出しや夜回りから始めて、具合が悪い人がいたら救急車を呼んだり、お医者さんや看護師さんにボランティアで来てもらうという活動が中心でした。しかし、例えばアパートを借りるにしても保証人がいなければ、路上生活者が現状から抜け出すのは難しい。住まいの確保は最も重要ですから、それを引き受けようと2001年に、湯浅誠さんと任意団体「もやい」を立ち上げました。2003年に法人格を取得し「特定非営利活動法人自立生活サポートセンター・もやい」を設立しました。
― 活動を続ける中で、どのような変化があったのでしょうか。
稲葉 2002年にホームレス自立支援法が成立したことをきっかけに、生活保護の窓口対応などもだいぶ改善されて、申請して路上生活から抜け出す人も増えていきました。しかし、ここで問題になったのが、いわゆる貧困ビジネスです。
― 貧困ビジネス? 具体的にはどういうことなのでしょう?
稲葉 生活保護は住まいがなくても申請できますが、路上生活をしながら保護費を受け取ることはできないので、申請したら施設などに入らなければならない。公的施設は圧倒的に不足しているので、役所は民間の施設を紹介するのですが、劣悪な環境の施設や、保護費から不当な搾取をする施設も多く、結局路頭に舞い戻る。一緒に生活保護の申請に行ったのに、集団生活になじめず人間関係のトラブルを抱えて、数か月後にまた路上で再会することもたびたびあって、居住環境がボトルネックになっていることを痛感しました。
― 住まいが鍵なのですね。
アメリカから広がった「ハウジングファースト」の取り組み
稲葉 そのころアメリカでは、「ハウジングファースト」という取り組みが行なわれていま“住まいは人権であり、人は誰しも安全な住まいで暮らす権利がある”という「ハウジングファースト」を提唱したのは、臨床心理学者のサム・ツェンベリスです。
それまでは薬物依存やアルコール依存を完全に断ち切ることが支援の条件でしたが、ツェンベリスは、基本的な人権として、ノージャッジメント―つまり無条件で、プライバシーが保たれ安定した住まいを保障することを提案しました。
― 支援も条件設定を当たり前と捉えがちですね。
稲葉 もちろん住まいの確保だけではなく、医療や福祉の専門家、あるいはピアサポーターなどとチームを組んで、当事者を家庭訪問して、地域で生活を継続できるような支援を行なうというものです。これによって8~9割の人た ちが地域に定着でき、結果として医療費を含む社会的なコストが安く済むことが証明されて、ニューヨーク市からアメリカ全土、そしてヨーロッパに広がりました。
 
― ホームレスの人にまず無条件で住まいを提供して、その人の基本的人権を保障する。それが結果的に社会コストの削減につながる。理にかなった仕組みですね。
稲葉 2000年ごろから、日本の地方都市ではホームレス支援のNPOが一棟を借り上げて宿泊施設やシェルターとして運用するという取り組みが行われていましたが、東京は家賃が高くて実現できませんでした。
2013年の年末、私たちを応援してくれているビルのオーナーさんが、ワンフロア空いたので困っている人たちの住宅支援に使ってほしいと声をかけてくれました。そこで、家電製品や寝具などを購入する資金をクラウドファンディングで募り、個室型シェルター「つくろいハウス」を開設しました。パイロット的でリスクもある事業でしたので、2014年に、一般社団法人つくろい東京ファンド を設立して、そこで運営することにしました。
つくろい東京ファンドも参加している「ハウジングファースト東京プロジェクト」の発起人の一人で、精神科医の森川すいめいさんは、路上生活者のための心療内科・精神診療「ゆうりんクリニック」の医師でもあります。森川さ んたちの調査によると、路上生活者の3人に1人は軽度の知的障がいがあり、全体の4~6割の人に何らかの精神的な疾患がみられるそうです。発達障害も含めて、こうした見えない障がいを抱える人が実は非常に多いのです。
住まいの確保はスタート 支援はエンドレス
つくろい東京ファンド
 
つくろい東京ファンドのマスコットキャラクター「つくろい猫のぬいちゃん」。セーフティネットの穴をふさぐため、せっせとほころびをつくろっている。
― シェルターに入った方々は、自立に向けてどのようなステップを踏むのでしょうか。
稲葉 まずは生活保護の申請を行ないますが、中には住民票がわからない、戸籍がないという人もいますので、住民票設定の手続きも並行して進めていきます。そして銀行口座を開設し、携帯電話を契約、マイナンバーを取得してもらって本人確認書類と身分証を整えて、ようやく部屋探しができる状態になる。ここまでで3~4か月はかかります。この間に病気を抱える人には通院、クリニックの訪問医療や訪問介護の調整もします。落ち着いたら、西武新宿線の沼袋駅前の不動産屋さんの協力で一緒に部屋探しをして、アパートに入居するという流れになります。
― この間ずっと伴走されるのはかなり大変だと思いますが、どのような体制で運営されていますか。
稲葉 従来型の支援は、シェルターからアパートに移ればゴールですが、ハウジングファーストは住まいの確保がスタートで、支援はエンドレスです。スタッフは数人ですので、サポートできないところもありますから、ボランティアに協力してもらっています。学生とシニアがほとんどですが、毎週月曜日に事務所に集まって、午前中ミーティングをして、午後からは安否確認も兼ねた家庭訪問や部屋の清掃などをやってもらっています。また精神科のクリニックや訪問看護ステーションなどの医療機関との連携にも力を入れています。
― 現在はシェルターも58室に増えたそうですが、すべて寄付でまかなっているのでしょうか。
稲葉 2020年3月の段階で25室でしたが、コロナの影響で仕事や住まいを失ったという相談が急増しました。
2017年の調査では、都内のネットカフェ生活者は約4,000人でしたが、4月の緊急事態宣言でカフェが休業することになり、彼らが一斉に行き場を失うという状況が生まれた。そこで他団体と一緒にメール相談でSOSを受け付けたところ、きょうから泊まるところがない、所持金が100円しかないといった相談が相次ぎました。急遽チームをつくり、要支援者のところに出向いて当面の宿泊費を渡し、翌日生活保護の申請をサポートするといった活動を続けました。今は外国人を含め相談者も多様化していますから、そのためのシェルターの確保も必要です。幸い寄付が集まったこともあって、58部屋まで増やしました。急拡大でしたから厳しい運営状況ではあります。民間の助成金と個人からの寄付で、行政のお金は入っていません。
― 要支援者も高齢化されていると思いますが、どのように対応されていますか。
潮の路
 
元ホームレスの働き場所と居場所
カフェ「潮の路」
稲葉 2014年から事業を始めましたが、路上生活から脱してシェルターから近隣のアパートに移った人は140名を超えました。ただ高齢や、障がいがあってフルタイムの就労が難しい人も多い。そこでホームレス経験者が社会的に孤立しないよう、居場所と働く場として、2017年に「カフェ潮の路」と古書房「潮路書房」をオープンしました。ランチを食べに来てくれる地域住民とも交流できる場でもあります。
また葬送支援も行なっています。もともと身寄りのない人、家族や親族と縁が切れている人もいますから、遺骨の引き取り手がいない場合は私たちが引き取り、山谷にある光照院という浄土宗のお寺の「結の墓」に納めています。。
絶対的貧困は減ったが相対的貧困は拡大している
― 7人に1人が相対的貧困といわれていますが、貧困を身近に感じられない人が多いように思います。行政の支援、あるいは社会の意識変化については、どのように感じておられますか。
稲葉 路上生活者の支援については、2000年代以降かなり進んできたと思います。狭い意味でのホームレス(路上、公園、河川敷といった屋外で暮らす人)は、この20年間で8分の1まで減りました。厚生労働省の統計によれば、路上生活者の数が最も多かったのは、2003年の約2万5,000人で、現在は3,000人程度。東京では1999年の5,800人が最も多く、現在は660人ほどです。雨露しのげる場所すらない、食べ物の確保にも事欠いて亡くなるといった絶対的なレベルの貧困はだいぶ改善されましたね。
しかし、相対的貧困のすそ野は広がっています。短期の不安定な仕事で日銭を稼ぐことはできても、お金を貯めて住まいを確保するまでには至らない。ネットカフェに泊まったり、住み込みで働いたり、友だちの家を転々としたり、都市を漂流している若者も多い。見えないホームレス、見えない貧困は確実に広がっていると思います。
稲葉剛さん
― 一方で、「東京アンブレラ基金」も立ち上げられました。対処療法だけでなく、いろいろな仕組みをつくっていらっしゃるところもすばらしい。
稲葉 さまざまな困難を抱える人を支援するNPOなど、17の組織による協働プロジェクトです。安心できる住まいを失っている状態がホームレスですから、ネットカフェで暮らす若者や、LGBTQで親から理解を得られず、友人の家を転々としている人たちもホームレス状態にある。専門分野は別々ですが、それぞれの団体できょう泊まる場所、帰る場所がないという人たちの相談に乗っているので、緊急の宿泊支援のために共通の財布をつくろうということで、2019年に基金を設立しました。翌年からコロナになって需要が高まったこともあり、かなり活用されています。
「住まいは基本的人権」を軸に支援を継続したい
 
― さまざまな期待を背負い続けていらっしゃるわけですが、今後については?
稲葉 「住まいは基本的人権」と言い続けています。幸い若手のスタッフも育ってきていますから、安定した住まいの確保を軸に活動を続けていきたいと思っています。
NPO法人ビッグイシュー基金 は、兵庫県尼崎市の「REHUL(リーフル)」事業に参画しています。市が建て替えを予定している市営住宅の空き室を、若者、外国人、DV被害者など生活困窮者を支援するNPO団体のネットワークに貸し出すというものです。ビッグイシュー基金も現在8室を借りて、入居していただいています。東京でもそういう事業をやりたいと思っています。都営住宅などでも、空き室はたくさんありますから。
― あちこちからお声がかかって大変だと思いますが、くれぐれもお体も大切に。ますますのご活躍をお祈りしております。
【インタビュアー】
公益社団法人日本フィランソロピー協会
理事長 髙橋陽子
 
(2023年4月20日 カフェ「潮の路」にて)
機関誌『フィランソロピー』巻頭インタビューⅠ/2023年6月号 おわり