巻頭インタビュー

Date of Issue:2019.10.1
<プロフィール>
福岡孝則さん
 
ふくおか・たかのり
1974 年神奈川県藤沢市生まれ。
米ペンシルバニア大学芸術系大学院ランドスケープ専攻修了後、米国 Hargreaves Associates, Gustafson Guthrie Nichol Ltd を経てドイツ Atelier Dreiseitl GmbH(現Ramboll Studio Dreiseitl) にて、中東やアジア・オーストラリアの持続的都市・環境デザインプロジェクトを担当。コートヤードHIROO で2015年度グッドデザイン賞受賞。神戸大学持続的住環境創成講座特命准教授を経て現職。
編著『海外で建築を仕事にする2都市・ランドスケープ編』(学芸出版社)、『Livable City(住みやすい都市)をつくる』(マルモ出版)、共著『決定版!グリーンインフラ』(日経BP社)、『アナザーユートピア:「オープンスペース」 から都市を考える』(NTT出版)など。
 
巻頭インタビュー/No.394
自然と人、人と人が共に生き 未来につながる空間を再構築する
ランドスケープ・アーキテクト、東京農業大学准教授
福岡 孝則 さん
自然や生態系のはたらきを活用するインフラストラクチャーや土地利用を「グリーンインフラ」という。加速する環境破壊と社会の課題が深刻化するなかで、みどりと水循環を取り込んだインフラによるランドスケープの可能性について、世界で活躍するランドスケープ・アーキテクトであり、東京農業大学で学生たちにランドスケープデザインを教える福岡孝則さんに聞いた。
アメリカでランドスケープを学ぶ
― グリーンインフラのことを聞いた時、視界が開けたように思いました。インフラストラクチャー(以下:インフラ)はお役所の仕事と思いがちですが、一人ひとりの暮らしのなかで、それぞれが紡ぐことができる身近なものに見えてきます。まずは、福岡さんのランドスケープ・アーキテクトへの道程に興味があります(笑)。
福岡孝則さん(以下敬称略) もともと自然が好きで、環境問題を解決する具体的なことがしたくて、東京農業大学造園学科に入りました。ところが20年以上前のことで、想像と違った、造園とランドスケープの間のギャップに悩みました。出版社で編集アルバイトをしていた時に、デザインをさらに学びたいと思うようになり、アメリカのペンシルバニア大学芸術系大学院へ留学しました。
― そのころアメリカはランドスケープの先端をいっていたのですか?
福岡 ペンシルバニア大ランドスケープ学科は、地球規模で環境を考える「Design with Nature」という本を書いたイアン・マクハーグ(Ian L. McHarg)が創始者で、エコロジカル・プランニングが主流でした。2000年当時、わたしがいた時は、ニューヨーク市にある ハイライン(High Line)をつくったジェームズ・コーナー(James Corner)が学科長でした。
エコロジカル・プランニング:生態的土地利用計画のこと。オープンスペースの開発に際し、生態系を乱さないように均衡バランスを保ちながら行うというのが基本的な考え方となっている。
ハイライン:高架貨物鉄道の廃線を空中公園化。ニューヨーク市マンハッタンの西側のガンズヴォートストリートから34丁目まで。
― ハイラインには行きました。マンハッタンの真ん中なのに、自生の自然を感じさせて、驚きました。市民の声でできたものだとか。
福岡 ちょうど先週行っていたのですが、いまでは年間600万人の観光客が訪れています。すでに都市計画で取り壊されることが決まっていたところ、二人の市民が立ちあがり、こんなに美しい場所が残っているのになくすのはもったいないと反対したのが始まりです。「The Friends of Highline」というNPO団体を結成しました。
― 都市計画を覆したとは知りませんでした。二人の熱い思いが動かした。
福岡 大学の設計課題でアイデアコンペがあったほど、みんなが注目する場所でした。最終的に選ばれたのが、コーナー教授。選考では建築家かランドスケープ・アーキテクトかで論争があったようですが、推進する市民といっしょに働けて、彼らの提案「keep it wild」に沿って、時間とともに変化するデザインが選ばれました。
― そのころ福岡さんは、どんなことを勉強していらしたのですか?
福岡 当時は、「工業化時代の先」が社会のテーマでした。鉱山や採石場、工場で汚染された跡地の将来を考え、デザインする課題に取り組んでいました。
― 日本ではまだ、ランドスケープをデザインする、などという発想自体マイナーでしたよね。そのまま、アメリカで就職されたんですね。
福岡 はじめは、サンフランシスコ市にあるハーグリーブス・アソシエイツ(Hargreaves Associates)という、世界的に有名な事務所で働きました。シアトルにある汚水処理場のランドスケープを担当し、敷地から雨水を集めたり、水環境のプロセスを取り入れたデザインをしました。
― 水との出会いがすでにあったのですね。その後、そのシアトル市に?
福岡 学生のころから、ファッションデザイン出身で、ヨーロッパで活躍したランドスケープ・アーキテクト、キャサリン・グスタフソン(Katherine Gustafson)の布のような美しい造形にあこがれていました。そのグスタフソンのいるシアトルの事務所 Gustafson Guthrie Nichol Ltd.にポートフォリオ(作品集)を送り続けていたら、ある年末に電話がきて、2週間後に来られますかと。トランク2個で引っ越しましたよ(笑)。
美術家や、裕福でアートに見識ある人のプライベートな仕事や「シカゴ美術館」のコートヤードを担当し、そこでは、コンセプトから設計、模型づくりまで全部自分でやり、厳しいデザインのトレーニングを受けました。
― ビル・ゲイツ邸なども担当したのちに、パブリックな仕事に興味をもたれたとか。
福岡 最後に担当したのが、シェラトンホテル前の街路です。暗くて、シアトルで一番醜悪な通りといわれていたところの再整備でした。この仕事で、パブリックな空間をつくる面白さを知りました。
以前はアメリカも、一般市民はオフィスで働いたあとは、車で郊外の家に帰っていましたが、住宅政策が変わり、都市の中心部に住み始めると、庭が持てません。それに代わるのが、公園、広場、公開緑地や人が歩く街路で、1990年代後半から 重点的に再整備しています。
― 最近は、日本でもパブリックな空間への注目が高まっています。
福岡 東京などの都市に人口が集中し、課題もあるなか、都市をつくり変えるとしたら、どういう町にしたいか。日本でも、ランドスケープが注目されています。
ドイツへ水に特化した事務所に
― その後、水環境を専門に学ばれたのが、環境の先進国ドイツ。
福岡 アトリエ・ドライザイテル(Atelier Dreiseitl)という水に特化した事務所でした。3、40年も前から、雨水を集めて水景施設や水の遊び場をつくったり、家庭のシャワーを浴びた水を湿地で浄化する環境システムをつくったりしていました。中国、シンガポールやアメリカのポートランド市(Portland, Oregon)にも拠点があり、海外の仕事をたくさん担当し、中東などの仕事もしました。
― 中東ですか、水は難しそうですね。
福岡 アラブ首長国連邦の首都アブダビの美術館です。水が全くないところに、建築家から、建築物で空気中の水分を集め内部に取り込むという提案を受けて、砂漠の真ん中に、山のランドスケープをつくるような仕事をしました。
― 砂漠に山とは、チャレンジです。異文化コミュニケーションも鍛えられたでしょうね。
福岡 事務所の場所は、南ドイツにあるボーデン湖という大きな湖のあるところで、人口3,000人。自転車で生活できて、携帯がなくても集まれるような小さな町です。アメリカ人よりドイツ人とは相性も良いと感じました。よく家に招かれたし、わたしも家に招いて、寿司をつくったりしました。
― 中国といえば、そのころの開発の勢いはすごかったのでは?

現在取り組む、公園を核にした官民連携の都市再整備
南町田グランベリーパーク
福岡 100、200ヘクタールの計画や、市長が来て、「川を3本お願いする」みたいな仕事もありました(笑)。その川といったら考えられないほど酷い状態で、ハイストレスでしたが、日本にはないスケールの仕事ができて、タフだけど面白さはありました。
― ランドスケープに、水からアプローチすることで、クライアントに広がりがありますか?
福岡 面白いと思ったのは、ランドスケープは、見た目が美しいとか環境にいいといっても、それだけではお金が落ちませんが、水の循環によって環境を整えるというインフラには、お金が落ちることです。
中国では立派な建物が建っていても、インフラ整備が追いつかず、雨が降ると道路が冠水してしまう。その下水道を整備する時に、グリーンインフラで道路や歩道から雨水を一旦浸透貯留させてから、余剰分を下水に流すことで、下水管の口径が削減でき整備費用が安くなるというと、「ではやりましょう」と。
― 水の技術はどうしたのですか?
福岡 会社に水のエンジニアがいて、デザインしながら一緒にやることが、面白かったですね。
水を考える時は、降ってから出ていくまでなので、ある敷地内というのではなく、集水域全体を考えることが必要で、勉強になりました。また、完璧な答えがないことを学びました。ベストな答えを出しても、1年後には変わってしまう。それに適応しながら、やりながら考えていくことが重要です。
― いい環境で仕事をしていらしたころ、東日本大震災を機に、日本にもどっていらしたとか。
福岡 福島第一原子力発電所事故のあと、ドイツ人は、真剣にテレビなどで討論していました。みどりの党が躍進して、エネルギー政策が大きく変わりました。そのときに、はじめて日本に帰りたいと思ったんです。ちょうど神戸大学で、持続的住環境創成講座 で働く機会を得て、帰国を決心しました。
グリーンインフラの可能性
― 以来、グリーンインフラを推進していらっしゃいます。そのはじまりは?
福岡 アメリカに、その流れがありました。雨水と下水の合流式が多いアメリカでは、大雨が一気に流れると、処理できない水が川に流れます。30年ほど前ですが、ポートランド市では、下流の氾濫しやすいところの家が浸水して、訴訟問題が起きました。そこで、グレーインフラ を整備しつつ、グリーンインフラも整備しましょうと。水を道路から集めて植栽帯に流す仕組みの「グリーンストリート」などを始めました。
ポートランドでは、下水と道路局の財源を使って、グリーンインフラの実装を推進してきました。わたしも、日本でも、下水や道路に向けて働きかけています。
グレーインフラ:道路・港湾・堤防など、コンクリートによる人工構造物に代表される従来型の社会基盤の総称。
― 考えてみると、地面に雨水を浸み込ませるのは新しいことでなく、日本でも昔はやっていたこと。日本庭園の枯山水には、雨水を浸み込ませる機能があるとか。
福岡 わたしが関係しているところでは、横浜市で、農地のグリーンインフラについて実験をしています。東京都世田谷区でも、ゲリラ豪雨対策として、グリーンインフラが展開され始めています。
― 降った雨を集めて地面に浸透させることで、水の循環、地下水の浄化や涵養のほか、みどりによる生物多様性向上や水分の蒸発で暑熱緩和効果もあると聞きました。そのほか、どんな可能性がありますか?
福岡 エディブルガーデンにしたり、農業もできるし、グリーンインフラには、多面的な機能や価値があると思います。
エディブルガーデン(edible garden):野菜や果物など食べられる植物を植えてある庭や菜園のこと。
― 下水の問題だけでなく、健康や福祉にもつながりそうです。
福岡 ペンシルバニア大のあるフィラデルフィア市周縁部は、空き地率20%以上。中心地域以外は荒廃していましたが、そこにNPOが入って、花畑にしてウェデイング用の切り花をつくるなど、暫定緑化で新しい小さなビジネスが生まれています。刑務所の中でトレーニングをして、出所したあとに、みどりの仕事につけるようにする更生プログラムもあります。
― 新しいビジネスや社会貢献。いろんな可能性がありそうですね。でも、みどりはきれいで環境にいいけれど、評価が定量的でないとか、変わっていくので、やりながら考えるというお話もありました。日本ではリスクを心配して、なかなか前に進めないことがありそうですね。
福岡 ポートランド市でグリーンインフラをやっている人は、毎日自分に問いただしているといっていて、"We are building a plane as we fly." 飛びながら飛行機を組み立てている感じだといっていました。
日本でも、まちづくりに社会実験が行われるようになり、街路の「にぎわい創出」として、期間限定で道路を閉じて広場のように使い、結果が良かったら変えていきましょうという動きもあります。
サンフランシスコの若者が始めた「パーキングデー」では、道路の縦列駐車の場所を車だけに使わせるのはもったいないと、公園のように使ったりする「パークレット」も、世界的な動きになりました。
― 変化のスピードはほんとうに速いです。SDGsのいう2030年も目の前ですね。
福岡 工業化時代が終わり、これからの産業を考えると、そのひとつにグリーンインフラが入ってくると思っています。今回、アメリカに行った時に、SDGsのゴールについて聞くと、「それは、日常的に仕事のなかでやっている」といわれました。日本の企業でも、住み続けたい都市とか、気候変動や水のテーマなどを、もう少し具体的なプロジェクトにして、わかりやすい形で社会実装を推進することが大事だと思います。
愛着の持てるランドスケープを目指して
― 福岡さんが取り組まれた東京の「コートヤードHIROO」のプロジェクトでは、その場所を使って、イベントや、子どもたちのワークショップなどを開いて、人が集まる工夫をなさっているんですね。
コートヤードHIROO(東京都港区西麻布):築46年の旧厚生省公務員宿舎・駐車場跡地を集合住宅・商業の複合施設として再生させた。

コートヤードHIROO
福岡 「夏の自由研究所」では、子どもたちが「夢の公園」をデザインしましたが、「楽しかった」「そういう仕事があることがわかって面白かった」と言ってくれました。初めて公園の模型をつくったのですが、自由な考えがすごい。うちの学生も手伝い、その柔らかい発想に接して、いい経験になったのではと思います。
― 子どもたちにとって、そこで公園をデザインした楽しさは、夏休みの思い出になりますね。
福岡 ランドスケープ・アーキテクトとして、プレイス= 場所は重要です。なぜかというと、人は、何かをしたりする場所に愛着を持ちます。そこで人がかかわり、よかった、好きだなという気持ちになれる場所。それをプレスメイキングといいますが、誰でも、いろんなところで実現できます。
東日本大震災のあと、神戸大学の元同僚が、「『失われた街』模型復元プロジェクト」を進めていました。地形と街並みを再現した真っ白な立体模型に、被災地の人の話を聞きながら記憶をたどって、模型の上に記憶の旗を立て、色を塗っていきます。すると「ここで花見をした」とか、おばあちゃんが一気に話し出す。場所の力はすごいなと思いました。
なぜ、人間は場所の記憶や、場所への愛着を持つのだろうと考えた時に、ランドスケープの目指すものは、根本的に同じだと思いました。
― しあわせの感じられる場所づくりでしょうか。最後に、これからのご自身の夢をお聞かせください。
福岡 わたしたちの分野の人は、ランドスケープをつくることが目的になってしまいがちですが、それを媒介にして、社会に変化を起こす可能性が高いはず。
興味があるのは、人間の活力を引き出すこと。そのために、みどりやランドスケープが役立てないかと考えていますが、インパクトを最大化するためには、ひとりではできません。既存の造園業者や、みどりの行政にかかわっている人に、変わってほしい。特に、これからそういう空間になる可能性のある下水や道路という、一番難しいところの人たちを変えることに、やりがいを感じます。
そして、日本中にあるネガティブだった場所、魅力的でないところを、オセロを返すみたいに変えたいですね。農大には、花やみどりが好きだからと高校生が入学してきます。時代は、自然、環境を求めているので、それに応え、地域に変化を起こす人を育てられるかが課題です。
― オセロって、一気に変わる時が来ます。なんだかわくわくしますね。
福岡 海外から帰ってきて思うのは、日本の素晴らしさです。住みやすく安全で、いろんなポテンシャルがあります。それをよくして、自分たちがランドスケープを軸に、次世代のまちづくりや暮らしづくりのモデルを創っていかなければと思います。そして、これから開発していくアジアの国々に、今まで、日本はグレーインフラを輸出してきたけれど、持続可能なまちづくりやみどりを輸出していくことに、変わらなければいけないと思っています。
― 自分の故郷で、世代を超え、属性を超え、つながりながら共に暮らすことで、愛着が湧き、そこが帰りたい場所になる。若者が故郷に帰りたくなることで地方創生につなげたいですね。子どもたちと共に、何か仕掛けたいですね。
グリーンインフラがこれからのまちづくりの核になりそうです。きょうは、希望と勇気の湧くお話をしていただき、ありがとうございました。
【インタビュー】
公益社団法人日本フィランソロピー協会
理事長 高橋陽子
 
(2019年9月6日 当協会にて)
機関誌『フィランソロピー』No.394/2019年10月号 巻頭インタビュー おわり