巻頭インタビュー

Date of Issue:2021.2.1
巻頭インタビュー/No.402
 
やすなが ゆうげん
 
1954年東京都生まれ。慶応大学経済学部卒業。ケンブリッジ大学大学院博士課程修了。三和銀行(現・三菱UFJ銀行) に21年間勤務。経営幹部人材のサーチ・コンサルティングなどを行なう島本パートナーズの代表取締役社長を経て、2015年現職に就任。
お寺は存在自体がSDGs
コミュニティの中心で人々の人生を支える存在になる
築地本願寺 宗務長
安永 雄玄 さん
少子化、檀家制度の崩壊など、寺の存続の危機が叫ばれる一方、社会は新型コロナウイルスの流行、環境や経済などの問題が山積みで、人々の悩みは深まっている。その間に立ち、仏教の新しい伝え方を模索する動きが少しずつ始まっている。
銀行員、コンサルティング会社経営を経て、2015年、築地本願寺宗務長(しゅうむちょう)に就任した安永雄玄さん。その異色な経歴から生みだされるユニークな発想と実行力は、17世紀創建の古刹、築地本願寺を大胆に変革し続けている。
親鸞聖人、蓮如上人という歴史上のイノベーターの存在を踏まえ、今、令和のイノベーターとして邁進する安永さんに話をうかがった
資金が回ってこそのサステナブル
― 最近は葬式も墓もいらない、散骨でいい、という人も増えていますね。人々の寺離れというのは、かなり深刻なのでしょうか。
安永 日本のお寺は約7万7,000あると言われていて、コンビニの数より多いのです。もっとも約2万は無住のお寺で、実態は5、6万くらいではないでしょうか。今はもう親は親、子は子、孫は孫となっていますから、家を継ぐという意識はゼロです。まして檀家として、寺とのつながりを受け継ぐなどという人も、どんどんいなくなっています。
現在でも、本山なら寄付は集まりますが、地方の檀家を抱えるお寺が建て替えようと思って、檀家さんに50万円の寄付をお願いすると、檀家が3分の1いなくなったという事例も珍しくありません。
「50万円も支払うようなサービスを、私たちは受けていません」と、今の時代の人は思うんです。
江戸時代の中頃から、このお寺に世話になり、祖父母が親身にお世話いただいたことを記憶して、実感される関係でもあれば、50万円を寄付されるかもしれません。しかし、家制度はもうありませんし、今後、お寺はどんどん潰れていきます。
― 築地本願寺というのは銀座から徒歩10分ほどの好立地と、古代仏教建築を模したインド風の外観で、まさに東京を代表するランドマークのひとつです。その古刹でも寺離れがあるのでしょうか?
安永 参拝者数は減り続けていましたし、築地本願寺の一般会計はすでに毎年億単位の赤字が出ていました。これまでの積立金を取り崩したり、門徒からの懇志(お布施の一種)でカバーしていたのです。
檀家制度が崩壊し、門徒数が減り続けているのですから、先細りは目に見えています。お寺でもNPOでも、いいことをやっているけれど、見返りがなければ続きません。私は企業社会にいたから骨身に染みています。本当にサステナブルにしていくには、ちゃんと資金が回っていかないといけないのです。
プロダクトアウトとマーケットインを合わせる
― 安永さんは大学卒業後、三和銀行(現・三菱UFJ銀行)で働き、ロンドンに赴任し、ケンブリッジ大学に留学。帰国後はコンサルティング会社を経営され、社長時代に自己啓発の一環として得度(とくど)。実にユニークな経歴です。築地本願寺のいわば社長のような立場である宗務長になられたのは、当然、改革の旗手を期待されていたのですね
安永 私は得度して、約3年間副住職をやり、寺院の世界も理解していました。しかし、ビジネスの世界から来たよそ者でもあります。そういう人間にこそ思い切った改革ができると思われたのでしょう。

カフェから眺める築地本願寺本堂
― 実際、次々と改革を進めておられますね。以前、駐車場だった場所に素敵なカフェができて、窓から美しい本堂を眺めることができます。ここで食べられる「18品の朝ごはん」は女性に大人気です。また本堂で行なわれた女性シンガー、AIさんのコンサートにも驚きました。聖歌隊が入って、ゴスペルも披露され華やかな舞台でした。
安永 音楽をやるのはいいが、なぜお寺でキリスト教の音楽なのかという反対の声はありました。しかしさまざまな文化と融合していく時代に合わせて、ダイバーシティ、お寺も変化するべきだという意味で、このコンサートは築地本願寺流でした。
コンサートの前には15名の僧侶による伝統に則った法要と法話を行ない、一般の参加者の方々も静かに聞いてくださいました。おそらく築地本願寺に来たのは初めてという人が大半だと思いますが、少しでも仏教に触れていただくご縁になったと思います。
― 2017年には「築地本願寺合同墓」が創建されました。30万円以上という冥加金で、いわゆる「永代供養」していただける。東京の一等地にあるのですから、遺族のお参りも楽です。都会に暮らすひとり暮らしの人にとっても、非常に助かる存在だと思います。
安永 築地本願寺はお寺ですから、仏教、浄土真宗の教義、法要、葬式、お墓についての知識は膨大です。「葬儀、お墓、死とはどういうものなのか」という問いへの答えがある。経営用語で言えば、これまでの築地本願寺はプロダクトアウト(※1)なのです。しかし、それをどのような形で提供するかは、マーケットイン(※2)の視点からの工夫が必要なのですね。
※1 プロダクトアウト:企業側からの発信で、商品開発、生産、販売などの営業活動を行なうこと。
※2 マーケットイン:市場のニーズを把握し、買い手が必要とするものを、必要とする形で提供すること。
― 安永さんの発想は、私たち一般社会に生きているものにとっては分かりやすいですね。お寺という場で必要とするものを、提供していただけるのですから。
安永 一般的な言葉では顧客といいますが、築地本願寺とご縁のできた方々を惹きつけて獲得し、本当の信者さん、浄土真宗の門徒さんになっていただくプロセスを、私なりに考えて実践しています。
お寺の存在はSDGsそのもの
― マーケットインに注力するのと同時に、プロダクトアウトも今の時代には非常に大切ですね。その伝え方の工夫が肝ということですね。
安永 我々は仏教教団でお寺ですので、教えを伝えるという本来の役割、上位概念が存在しています。では、それを伝えるためになにをするのか。教えの中身は変わりませんが、伝え方、表現の仕方は、時代に合わせて変えなければいけません。
たとえば「うちの子は引きこもりですが、阿弥陀様は救ってくれますか?」と尋ねられたとき「救われますよ」とは言えます。でも、具体的に救う手段が相手に伝わらないと理解できないと思います。「癌で余命半年と宣告されました。残された時間を有意義に過ごしたいのですが、お坊さん、なにかアドバイスしてください」と言われたとき、いくら阿弥陀様が見ているから大丈夫ですと言っても、やはり、具体的な救いが相手に伝わるように、お寺だからこそしていかないといけない。
― そのニーズに応えるのが、「築地本願寺倶楽部」というプロジェクトなのですね。お坊さんになんでも相談できる「よろず僧談」、「心の専門家によるグリーフサポート」など、無料で受けられるとは驚きました。カルチャーセンター的な場として「KOKORO アカデミー」もスタートされています。仏教だけでなく、こころ、終活、体験、教養と、現代人のライフスタイルで求められる項目全般をカバーするような講座が低料金で受けられる。まさにかゆいところに手が届くサービスです。
安永 心のサポート、生きがいサポート、終活サポート。この3つを合わせた人生サポートこそ、お寺に求められているのではないかと思い、スタートさせたプロジェクトです。
そういう意味では、お寺がSDGsに取り組むのは当たり前なのですね。SDGsの理念である「誰一人取り残さない」は、まさに仏さまの心そのもの。それを伝えるお寺の存在もSDGsですし、コミュニティの中心で、何百年と生きながらえてきた理由もそこにあります。
世の中の人の声を一生懸命に聞き続ける
― 就任して5年半でここまで大きな変革をされて、組織の中での軋轢はかなりあったのではないかと想像できますが。
安永 当初の予定より倍の時間がかかっていますね。なかなか予想通りにはいきません。私は、寺の中では外部の人で、商売人という範疇に入ってしまうのです(笑)。
築地本願寺の職員の多くは寺院の息子、娘で、寺という特殊な環境で生まれ育ち、仏教系大学を卒業し得度したという人ばかりですから、外の世界をあまり知りません。従来通り、お寺にご縁のある門徒さんを大切にして、いままでと同じようにやっていれば大丈夫と錯覚しているのです。お寺という先祖伝来の人たちが築き上げてきた価値の上にいるだけ。いわば遺産があるから、そのつながりがあるうちは、お参りにきてくれるだけだと言っても通じませんでした。
― でも、あるのが当たり前という世界で生きてきた人たちですから、先細りのイメージが持てず、抵抗がありそうですね。
安永 はい、ものすごい抵抗です。あなたはビジネスマンだからいいけれど、僕らは僧侶で育ってきて、お金に固執してはいけないものだと思っていました。というところから始まります。社会では価値のあるものを提供しなかったら、お金は入ってこないのが当たり前です。でもお寺の人は、檀家さんは、頼めばお金を自然と持ってくるものだと思っているのです。
― 何とかなってきた、また、むしろ、だからこそ価値があるという感覚なのでしょうね。でも、改革の手は緩めない。
安永 世の中の事業再生の物語のような華々しいことをしているのでなく、普通のビジネスとして当たり前のことを当たり前にやっているだけです。
世の中に評価されなければ、お客様も来ないし、お金も回らない。我々も存続できないのです。だから世の中の人がなにを期待しているのかを一生懸命に聞いて、理解して、それを提供するということを、愚直に繰り返しやろうとしているだけです。
― かつて蓮如上人は、庶民に向けてわかりやすい「御文章」(ごぶんしょう)を書いて、それが大変に好評で、一気に布教が進みました。庶民の求めるものを提供したということですね。
安永 「御文章」は、いわばあの当時の宣伝の文章で、現代風に言うとアジビラです。それを、我々は今でも当時の古文で読むんです。室町時代はそれでよかったのですが、今、私たちが聞いて読んでも、意味が完璧にはわからない。お経の現代語訳は難しいですが、せめて「御文章」は現代文にしたらいいと、私は思っています。伝えるなら、伝わるようにしないといけません。
― 確かに、わかる言葉でないと、意味が入ってこないし、目的そのものが果たせないですね。
やりたいことを先延ばしにしない生き方

築地本願寺(つきじほんがんじ)
京都の西本願寺を本山とする浄土真宗本願寺派の寺。宗派の中では全国唯一の直轄寺院。
所在地:東京都中央区築地3-15-1
公式HP:https://tsukijihongwanji.jp/
― 予想のつかない不安な時代、僧侶としての安永さんにも、さまざまな相談が寄せられるのでは?
安永 コロナの時代をどう生きたらいいのかということを、いろんな人から聞かれるんです。私など50歳になってからお坊さんになっているので、まずはこうして生まれて、育って、先祖があって、親があって、まわりの人に支えられて生きてこられたというのが、ありがたい。これは素直に感謝しようねと伝えています。
やはり太古からずっと繋がってきた奇跡の連続があって、何億分の1の確率で精子と卵子が受精して、それが連綿と続いて、今日の私がある。これは「あること難し」という意味の「ありがたい」だと。これはアプリオリに納得できますね。それをないがしろにして、俺は勝手に好きな人生を生きるんだというのは違う。
― いわゆる一神教などと異なり、仏教は自然宗教、アニミズムに近いのですね。
安永 とくに浄土真宗では、それまでは個人が修行をして悟りにいたるという仏道修行を転換した。親鸞聖人が修行をしても悟れないと諦めたのが素敵なところなのです。その反転が起こったことにより、すべて私たちは、阿弥陀様から救われる存在で、それを心から受け入れるだけでいいと言い切った。それをありがたいとお唱えするのが念仏、南無阿弥陀仏という言葉だというのが浄土真宗の教えです。私は純粋に、納得感があると思っています。
― その「ありがたい」を日常生活の中に取り入れられたらいいですね。
安永 皆さんにおすすめしているのが、まずはお墓参りに行きましょうということ。お仏壇があれば、毎日でなくてもいいから手を合わせて、ありがとうと言いましょう。
そして2番目は「やりたいことを先延ばしにしない」ということです。誰でも一律に寿命を与えられているのではないので、明日死ぬかもしれないし、ちょっと調子が悪いと思って病院に行って、余命半年と宣告されるかもしれません。ですから私はやりたいことを先延ばしにしません。少なくとも、2、3週間以内には、実行に向けて第一ステップをスタートさせる。5年後にやろうと思ったことも、逆算して分割すれば、きょうのやるべきワンステップになる。そうやって実行すれば、たとえ途上で倒れても、悔いがないじゃないですか。そういう生き方をしたらどうですかという話を皆さんに申し上げています。
いまあることに「ありがたい」と感じながら、よりよく生きていくためのサポートをする。これからのお寺は、皆さんの人生に寄り添い、コミュニティの中心という役割を果たすべきだと考えています。
― 「ありがたい」を日常生活の中に取り入れることは、人や自然とのさまざまな関係性を豊かにしますね。当協会が取り組む『誕生日寄付』も、生まれたことに感謝する気持ちを、次世代を担う子どもたちへの寄付を通して表し、次世代に繋げたいという思いで始めました。カフェやイベントでも広めていただきありがとうございます。
コミュニティのなかで、心のサポート、生きがいサポート、終活サポートをしてきたお寺は、存在そのものがSDGsなのだと。それを、時代に合わせて翻訳しつつ積極的に示していく。果敢に改革にチャレンジする安永さんの姿には、蓮如上人もびっくりなさっているのではないでしょうか。現代の仏教界のイノベーターに大いに期待しております。
本日はありがとうございました。
【インタビュー】
公益社団法人日本フィランソロピー協会
理事長 髙橋陽子
 
(2021年1月8日築地本願寺にて)
機関誌『フィランソロピー』No.402/2021年2月号 巻頭インタビュー おわり