<贈呈理由>
西脇麻耶さんの最愛の夫・西脇和昭氏は、米国会計事務所アンダーセンのパートナーとして働き盛りの48歳の時、肺がんに侵され、麻耶さんの1年半に及ぶ献身的な看護もむなしく亡くなった。悲しみに打ちひしがれる麻耶さんに資産の整理、遺産相続などの現実がぶつけられた。和昭さんは、老後の生活のために不動産をいくつか取得しており、さらに生命保険がおりて遺産は莫大な金額になった。これを手にした麻耶さんは、「こんなにたくさんのお金があっても無駄。せいぜい老後に慎ましく暮らしていけるだけのお金があればいい、何かの役にたてたい」という思いを持ったという。
生前の和昭さんは、大変な努力家・勉強家であったらしい。三菱重工の経理部に勤めながら、公認会計士の資格を取ってアンダーセンに転職したのだが、麻耶さんはその猛勉強ぶりを目の当たりにしていた。がんの闘病中も、ご本人は助かるものと信じていたので、宅建や情報処理の資格を取得、将来のキャリアに備えて努力を惜しまなかった。また、勉強家の和昭さんは、養護施設を出ても社会になかなか馴染めずにいる子どもたちのための施設に、毎年寄付をしていた。向学心のある子どもたちに修学の機会をあげたいという思いがあったようだという。
こうした思い出をたどるうちに、麻耶さんは、和昭さんはもっともっと勉強したかったのだろう、その無念な気持ちを未来ある子どもたちに託そうと、税理士に老後までの生活費を試算してもらい、残りをすべて養護施設を出た子どもたちの修学のために寄付することを決意した。
そして、1986年(昭和61年)東京都社会福祉協議会の中に「西脇基金」を設立し、その利子で、一人につき奨学金を月3万円支給することにした。しかしながら、その後、基金の利子はどんどん落ち込み、存続が危ぶまれたが、1997年(平成9年)に西脇さんの活動を知った米国のアンダーセンから、4,575万円の寄付があり何とかしのいだ。しかし、それでも基金は不足し、西脇さんは鎌倉にあった不動産も売却し、さらに毎年200万円ずつ寄付し続け、2002年5月には寄付総額が2億4,277万円に及んでいる。ところが、2002年度の給付児童は74人、助成を継続するにはあと2,500万円が必要である。こうした危機は、数年前より続いており、その度に西脇さんが補填するという綱渡りである。
こうした窮状を知った東京都社会福祉協議会の監査を担当している税理士・宮内眞木子さんは、何とか応援したいと1997年に「西脇基金を支える会」を設立、毎年チャリティイベントを開催して資金を集めている。また、新聞紙上などで西脇基金のことを知った人から、数百万円単位の寄付が振り込まれることもあるという。「日本人も捨てたもんじゃない」と、宮内さんはうれしい驚きの声をあげている。
「私自身は子どもがいないので、その分、他の子どもたちに役立ててもらえばそれでいいんです」と淡々と話す西脇麻耶さんであるが、志半ばで逝った夫の無念を何らかの形で未来ある子どもたちに託したいという妻としての愛情が、麻耶さん自身の志へと深まっていったことが、困難な寄付を継続させている原動力になっているのではないだろうか。
西脇麻耶さんのまっすぐな志が宮内眞木子さんを動かし、宮内さんの私心のない素直なエネルギーが多くの人の心に響き、支援の輪がすがすがしい波動のように広がっている。今、共に人生を歩む夫婦の絆、子を持つ親のまっすぐな愛、そこから広がる人間としての共感が忘れられている。素直な心に立ちかえった時、自ずと寄付の心が沸いてくることを示してくれた西脇麻耶さんは『まちかどのフィランソロピスト』そのものであると確信する。