<贈呈理由>

伊倉二郎さん(右)と当協会浅野史郎会長
伊倉二郎さんは、1926年、静岡県御殿場市に生まれる。生家は小作農家、12人兄弟で貧しい暮らしだった。姉たちが奉公に出ているのを見て、自らも早く働いて家計を助けたいと14歳で鉄道省に入省。採用試験時、解答用紙が白紙であることを見た隣の席の秀才学生(隣村出身)が、答を記入してくれたおかげで採用となるが、その秀才学生は身体検査で不採用、戦争中に死亡したことを聞き、他人の命をもらったような思いを持つ。
また、同省では、車両修理工として勤務するも、作業中の事故で大やけどを負った。「足を切断しなければ助からない」といわれたが、母親はどうしてもそれは忍びないと退職させ、地元の獣医に懇願、その思いが通じ4年半をかけて治癒。その獣医は治療代を一円も受け取らなかった。復職も果たし、母や医師の献身的な治療や看護によって命を与えられたという感謝の念を強く持つに至る。
終戦後、もはや国に依存するのではなく、自らの考えと力で生きようと「人生八十年計画」を立て、子どものため、平和のために社会に役立つことを決意、子ども会を設立。その後、給与の3分の1を子ども支援はじめ社会活動に充てる生活を続ける。原水爆禁止運動、公民館運営審議委員としての地域づくりなどの活動に従事する。
退職後「ひかり幼児園」設立。「子どもたちのために戦争のない世界を作ろう」とその敷地内には平和祈念の碑を建立。平和祈念集会は今も続けている。さらに相模原市在住の私費留学生に年間6万円の奨学金を支給する相模原国際奨学基金を創設。274名の奨学生が巣立った。この資金は、駅頭に立っての廃品回収などで確保。2年前、脳梗塞で倒れそれは断念したが、その後は、ぶどうの鉢植えを栽培・販売して資金に充てている。80歳を期に幼児園の閉園を決め、2006年、園地の一部、580㎡(地価8,000万円)の土地を子どもたちのための平和祈念公園として相模原市に寄付。
平和のため、次代を担う子どものために、自らの財と汗を使い、志と愛を貫いてきた生き様は「まちかどのフィランソロピスト」としてふさわしいものである。