<贈呈理由>

宗次徳二さん(左)と当協会浅野史郎会長
宗次徳二さんは1948年石川県生まれ。生後すぐに兵庫県尼崎市の児童擁護施設に預けられ、いまだに実の両親は不明。
3歳の時、子どもに恵まれなかった同市在住で雑貨商を営む夫妻に引き取られるが、それまでまじめであった養父が競輪にのめり込み、全財産を失い借金に追われる生活となる。父は、母が内職で得た生活費も取り上げるようになる。父親の暴力に耐えかねた母は家出。電気、ガス、水道を止められたアパートで、ろうそく1本の明かりのもとで暮らすような父子二人の生活が始まる。父に殴られることもひんぱんだったが、同行したパチンコ屋でこぼれ玉やシケモクを集めて渡すとニッコリ微笑んでくれるような父が大好きな少年であった。
母は、一旦は一緒に暮らすものの、競輪にのめりこんだ父に愛想を尽かし再び別居。父と母の間を行き来する中学校時代を経て全日制高校の商業科に入学する。全日制の高校生活は、生活費を工面するためのアルバイトの負担が大きく、赤点続きで中退の瀬戸際に立たされた。苦手な数学の試験の最中に、“養父の危篤”が知らされる。養父はほどなく亡くなったが、境遇を知った学校が進級させてくれた。「もし高校を卒業できなければ、その後の運命は違うものになっていたかもしれない」と、結果的に卒業を助けてくれた父に感謝の気持ちを持つ。
卒業後、入社したダイワハウス工業で、妻となる直美さんと出会う。1972年に二人は結婚。不動産業で独立するかたわら、結婚2年後に直美さんの提案で喫茶店を開店する。そのとき直美さんの考えた「おなかにたまるライスメニュー・直美さんの手作りカレー」がカレーハウス CoCo 壱番屋の原点である。1978年に創業した小さなカレー屋は、1998年(宗次氏50歳のとき)には500店舗になった。そして2002年、CoCo 壱番屋の持ち株をハウス食品に売却したときの銀行口座には20億円以上が振り込まれていた。
日々の糧にも事欠く境遇にありながら、いつも養父の喜ぶようなことをしたいと思って育った宗次氏と、二人三脚で同社を発展させた直美さんは、「これは私たちのお金じゃなくて“一時預かり金”。社会にお返しするのが当然」という意見で一致し、使途を考えた末にクラシック音楽のために使うと決めた。高校2年生の時、アルバイトで買った中古テレビから流れてくる、岩城宏之指揮のメンデルスゾーンのバイオリンコンチェルトに心を震わせた。以来、いつも心を癒してくれたのはクラシック音楽であった。「若い演奏家に発表の場を与え、もっと多くの人にクラシックに接してもらいたい」と、地域貢献も視野に、名古屋市の繁華街にクラシック専用の「宗次ホール」をオープンした。還暦を前に、経営からは完全に離れ、宗次ホールの運営に奔走する毎日である。
恵まれない境遇で育ちながら、それをまっすぐに受け止め努力する強靭な精神力と、小さな幸せに感謝する心の積み重ねが、同氏の人生を貫いている。今日、心の荒廃が言われる中、仕事に真摯に邁進する過程においても、弱き者への共感と人の喜びを幸せとする心の有り様は、若者に勇気を与えるものとして『まちかどのフィランソロピスト』にふさわしいものである。