2011年1月号巻頭インタビュー

◆巻頭インタビューNo.336/2011年1月号
セルフ・リーダーシップが新しい社会を創る~自分自身がリーダーになる時代~
西水 美恵子(にしみず・みえこ)さん/前・世界銀行副総裁

西水美恵子さん <プロフィール>
1970年、米国・ガルチャー大学(経済学)卒業。1975年ジョンズ・ホプキンス大学大学院博士課程(経済学)卒業。同年、プリンストン大学経済学部・兼ウッドロー・ウィルソン・スクールの助教授に就任。
1980年、世界銀行入行。1997年、南アジア地域副総裁就任。2003年、世界銀行退職。現在、世界を舞台に執筆、講演、アドバイザー活動を続けている。2007年よりシンクタンク・ソフィアバンク シニアパートナー。
著書その他は、www.sophiabank.co.jp を参照。

「株主は国民、お客様は貧しい人たち。」西水美恵子さんは、23年間、世界銀行で仕事をする中でこの鉄則を貫いてきた。局長、副総裁となっても、自ら貧しい人の暮らしに飛び込み、徹底した現場主義を率先垂範する中で、悪しき官僚主義に陥っていた部下を目覚めさせ、トップのブレない思いが組織に大きな変革をもたらした。西水さんは、2003年に世界銀行を退いた後、若者にリーダーシップの本質を伝える講演活動などを続けている。そ の中で、一人ひとりがリーダーになることの大切さを説くという。リーダー不在を嘆く日本。西水さんのお話から活路を見出してみたい。

高校生で日本脱出、自分で決める人生のはじまり

―現在は米国の首都ワシントンと英国領バージン諸島にお住まいの西水さんですが、お生まれは大阪で、幼少時代は北海道で過ごされたと?

西水/生まれは豊中市です。父は京都大学を卒業して、後の通産省になる役所に入ったのですが、そのとたんに菓子折が届いて。中にはお札が入っていたのですって。父自身も驚きましたが、それを見た祖父がこんなところは辞めなさいと。そして三井鉱山に転職して、私がまだよちよち歩きの頃、北海道に引っ越しましたが、中学2年のときに閉山。父の本社転勤とともに東京に移りました。

―西水さんは著書『国をつくるという仕事』の中で、お母様への感謝の言葉を記されていますが、いつもお母様が西水さんのアクティブな人生を後押ししてくださったのでしょうか?

西水/母だけでなく父も祖父も応援してくれました。

―先程、お金が届くような仕事からお父様に辞めるように進言されたお祖父様。その正義を貫くDNAが西水さんに引き継がれているように思いますが。

西水/さあどうでしょう。しかし厳しい両親でした。自分のことは自分でしなさいという教育を受けてきましたらから。

―高校時代にアメリカに行かれたのもご自身で決められたのですね。

西水/私の場合は、アメリカに行ったというより日本脱出です。入学した都立西高校は、そこで勉強したら、だいたい皆、東大に入るという恐 ろしいくらいの進学校でした(笑)。しかし、当時は、男子なら将来の仕事や夢を描けましたが、女子はそのような時代ではなかったのです。大学には男女平等、学力次第で入れるけれど、その後は人生の選択が極端に狭まるという、今ではあまり問題にならない悩みがありました。女性が外で働くこと 自体、色眼鏡で見られる時代でしたから。

―女性の仕事といったら、教師、音楽などの芸術関係、役所くらいでしたからね。

西水/私は英語で身を立てたいと思っていましたし、両親もこれからは女性も経済的に自立する時代だと言ってくれていました。それで留学生試験に合格して、1年間フィラデルフィアの高校に行きました。日本の教育レベルが高かったおかげで首席で卒業できました。進学カウンセラーの先生が「こちらで大学に行ったら?」と勧めてくださって、全額奨学金をいただいて大学に入ることができたのです。逃げ道ができたと思いました。つまり卑怯者です!

―すごい!でもさすがにご両親も心配なさったでしょう。

西水/相当反対されました。しかし、ワシントンに近くて日本でも知られていた大学でしたから、外交官のお嬢さんなど日本人もちらほらといました。そして全寮制で寮母さんもいらしたことから、最後にはここならいいだろうと。

―人生は少し勇気を持って動くことで、変わることってありますね。そのタイミングを逃さないことが大事ですね。

西水/そうですね。でも思い返すと、結局、自分で開拓しているのでしょう。迷っても最後は自分が決めているのですから。

現場を知ったリーダーの本気が世界銀行を変えはじめた

―大学では経済学を学ばれて。その後、プリンストン大学などで教鞭をとられ、1980年に世界銀行へ入られた。その時の印象は?

西水/はじめから、世銀の組織文化が気に入らなかった。官僚体質の男性組織文化で。女性差別も相当ありました。このままでは世銀はだめに なってしまうと、早いうちから組合活動や女性解放の活動にも加わってきました。しかし、ヒラ職員がどう動いても組織文化は簡単には変えられない。だめかな・・と思っているうちに融資担当局長になって。

―いよいよ組織改革に着手されたわけですね。

西水/当時、懇意にしており、パキスタンで素晴しい活躍をしていた某NGO会長に「組織文化を変えたい」と話したら、「ミエコ、君はお客様である貧民が大事と言うけれど、実は貧しさを知らないと思う。顧客を知りたいのなら自分がお客様になりきれ。」と言われました。彼は自分のNGOスタッフを貧しい人たちの中に送り、ホームステイを体験させていました。NGOのスタッフはあの国のエリートで、裕福な家庭の子女が多いものですから、 現場で生活をしたら何かが生まれ変わることを知っていたのです。それで、私も同じようにパキスタンのカシミールで、貧村ホームステイの実現させてもらいました。

―世銀の幹部で現地に入って行かれたのは西水さんが初めてなのでしょうか?

西水/視察訪問ではなくホームステイをしたのは、私が初めてです。そのホームステイを終えてワシントンに戻り、部下へ発した第一声は「数週間前のミエコと、今ここにいるミエコは、全く違う人間です。覚悟しなさい!」(笑)そして、私がどのような生活をしてきたかを報告しました。
 私が住んだのは、読み書きのできない未亡人の家で、ここでは母をアマと呼ぶのですが、アマは1日に6~7時間かけて水汲みをしていました。たいへんな重労働です。急斜面を登り、帰りは頭と腕に自分の体重と同じ重さの水瓶を乗せて降りるのです。私も手伝おうとしましたが、私の肩くらいの背しかないアマにはかなわなかった。アマに私は「もし自分の時間があったら何がしたい?」と聞いてみました。そうしたら「自分の時間という感覚がわ からない」と言って泣き出したのです。生きることに一生懸命だから、自分の時間など持ったことがないのです。そして「もし、そういうすばらしいことがあったら、読み書きを習いたい。読み書きができない暗闇から出たい」と。

―「自分の時間という感覚がわからない。」涙が出ます。

西水/そのころ、世銀では成人教育を重視していました。特に次の世代を立派に育てるには母親の教育が重要だと。しかし、世銀も途上国の政府でも教育部門の担当者たちは、貧しい女性には時間がないことまで気づいていなかった。男性やエリート階級の人ばかりで村を「視察」して、国民の目線と言いながら、問題の本質を知らずに仕事をしていた。「成人教育を重要視していると言っても、水道部門の担当者とその話をしたことはある? 水汲みにかかる平均時間は6時間。1日の4分の1、起きている時間の半分に当たる。この時間を教育に充てたらその効果はどのぐらいになるか考えてみなさい」と問いかけました。世銀も縦割り組織で、結局は予算の取り合いをしていたわけです。「水道が解決しないと成人教育はできない。専門分野を超越して、私たちがチームになってこそ可能な仕事だ。国民の目線から自分の仕事を見てみなさい!」と泣きながら話しました。

―心に刺さるボスの言葉ですね。現地を知った人の迫力があります。

西水/でも、最後に自分も白状しました。「私もこんなに偉そうなこと言うけれど、アマの小屋に荷を解いた時『いやだ』と思った」と。こん 西水美恵子さんなやせ細った無識字の女性に自分の身の安全を託すのはいやだと。同時に、「いやだ」と思う自分を客観的に見つめる自分もいた。貧困解消と偉そうに言いながら、貧しい人を見下していたことを知ったのだと。無意識の差別心。今思ってもぞっとします。心の奥に潜んでいたお化けを見たような思いでした。正直に部下たちに話して「私はアマのおかげで、今までとは逆さまの人間になった。君たちも逆さまになれるか? 縦横関係なく、株主である国民、お客様である貧しい人のための世銀が作れるか? それができない限り世銀はだめだ。君たちはそれをやれるのか?」。部下のほとんどが年上の男性でしたが、泣いていました。

―心が揺さぶられたのですね。

西水/心に火種がついたのです。それで、私の局のマネジメントクラスの人材をホームステイに送り込みました。全員、逆さまになって帰ってきましたよ。私と同じように自分の心の中にいたお化けを見てぞっとしたと。読み書きもできず、自分より劣っていると思っていたお父さん、お母さん、兄弟たちが、経験豊かで英知ある人々だと知った。ラジオで勉強しているから、質問も高度で、聞かれても答えられないことも多々あったそうです。ホームステイを通して、「彼らも自分も同じ人間。自分はこうして自分の時間を持って、生き甲斐や希望のある生活をしている一方で、彼らは生き るだけの生活をしている。しかしこれは偶然にすぎない。もしかしたら自分もそうだったのだ。」そんなことを体感したのです。

―関わる人たちと共感すると、仕事に向き合う姿勢も気持ちも変わりますよね。それで組織が変わっていった。

西水/しかし意識改革は厳しいですよ。マネジメントクラスをホームステイに送りだすとき、全員に「もし帰ってきて、こんな上司と一緒に働くのが嫌だと思ったら正直に言ってほしい。私は同じ思いの人と働きたいから。」と伝えました。彼らと話し合って、自分たちは同じ価値観を持ったチームにならないといけないというコンセンサスを得ました。「本気でチームになるなら、反チームな言動は首だ。」と言ったら、皆も賛同してくれました。結果的には2人を首にしましたが、皆と考えて一緒に決めたことだから、辞めてもらうときも笑って別れました。もちろん、次の職は世話しました。

―トップがブレないことが大事ですね。

西水/1年間局長をした後、副総裁になりましたが、痛感したのは、私がブレてはいけないということでした。しかし、人間だからブレること もあって。どうしたらブレないのかと悩んでいたとき、ブータン国王・雷龍王四世の在り方にその答えを見つけました。四世は、失礼ながら正直にばかがつくほど正直な王です。陛下を見習えばいいのだ。私もばか正直になろうと。そうしたら楽になりました。

―それは自分を信じることができないとできないことでもありますよね。

西水/もちろん間違えることもあります。その時は謝ればいいのです。私も副総裁時代に大間違いをしたことがあります。部下から上がっていた反対意見に耳を貸さずに進めていたことで、結局は部下の指摘通りのリスクが起きてしまった。その時はその経緯を全員に報告して「ごめんなさい」と謝り、検討をし直すことにしました。そうしたら、今まで副総裁と呼ばれていたのに、気が付いたらミエコと呼ばれるようになっていました。職員との理想的な関係は、上下関係ではなく人間関係なのです。ブータン国王も国民とそのような関係を築いておられました。約67万人の国民ほとんどの名前と顔を覚えておられるそうで、誰でも気さくにお声をかけられます。

一人ひとりがリーダーになる時代

―西水さんは雷龍王四世を心から尊敬されていますよね。

西水/はい。ブータンの国王は代々すばらしい方が続いていますが、四世も、現在の五世も大変に立派な王であられます。四世は急逝なさっ たお父上の後を継がれて即位されましたが、「王の座は束の間与えられたもの、だから奢るな、おまえも同じ人間なのだ」という哲学を学ばれていた。四世に拝謁したときに、「あなたがうらやましい。資格があってその職に就いたのだから。それに比べて私は、偶然王となった。だから、今、国民は私を良い国王だと言ってくれるが、自分が悪い王だったらどうなるかをいつも頭に置いている。」とお話くださいました。その人の出自で指導者のポストに就く組織や国は、いつかだめになると確信しておられるからこそ、ご自身を強く戒めておられるのでしょう。

―お父様の帝王学を引き継がれていらっしゃる、すばらしい国王ですね。

西水/四世は、王としてのあり方をいつも三世のそばで見て学んでこられました。道などない時代にも関わらず、三世は国中を歩き回られましたが、そのときはできるかぎり四世を連れて、ご自分の背中を見せておられたのです。しかし、手をとって教えるよりも、自分の五体六感で考えよという方針だったそうです。間違いは成長の糧ですからね。そして今、四世はお子さまである五世に対してもまた、自分で考えるよう導かれておられます。王者の哲学は叩き込むけれど、解決は自分でと。

―親としては子どもを突き放すのは難しいことですよね。どうしても過保護になってしまう。そして親が先回りをした結果、人間としての力が弱くなってしまうことはよくあることです。

西水/今、日本は経済で元気がなくなっているので、若者も元気のないようなことを言われますが、私が全国で会う中学、高校、大学生、みな元気ですよ。立派な夢やいい意味での野心を持っています。世のため、人のためになろうという若者がたくさんいます。

―それは頼もしいです! 西水さんは講演で全国を飛びまわっていらっしゃいますよね。

西水/東京が嫌いですから(笑)、首都圏外からお招きいただくと喜んで行っています。私は今、東北公益文科大学院の客員教授をしていますので、帰国すると山形の庄内に行きますが、今回はその他に、福岡や新潟の長岡にも行きました。福岡は九州大学の学生さんから、私の本を読んで、ぜひ西水さんを呼ぼうと声がかかりました。長岡では民間企業のリーダーや若い世代の方が走り回って招待してくださったのです。

西水美恵子さんと高橋陽子―皆さん、西水さんからたくさんのことを吸収されるのだと思いますが、何が一番心に刺さっているのだと思われますか?

西水/強いて言えば、私のような日本を飛び出した火星人も、自分たちと同じことを考えているという安心感でしょうか。地位やお金に関係なく、人のために何かしたいという思いが、自分を引っ張り他人をも引っ張る。それがリーダーシップ。しかし、そうは言っても不安になることもありますよね。これでいいのかと。そんなときに、私から「大丈夫、誰でもどこでもそうですよ」と聞くだけで元気になるのでしょう。

―リーダーのロールモデルがないからみんな不安なのですね。しかし今の日本国はリーダー不在と言われて久しい気もします。

西水/講演でよく言うのですが「人に頼るな、リーダーに頼るな」です。例えば、「どんな総理大臣を望みますか?」と聞かれれば、だいたい皆さん同じことを言いますよね。でも自分が望むようなすごい人は、すぐに現われません。リーダーが欲しいのなら他人に頼るのではなく、現われるのを待つのではなく、自分がリーダーになればいい。「自分がその理想のリーダーになってごらん。」と若い人には言います。リーダーシップはセルフ・リーダーですから。自分で自分を引っ張っていくことだと思います。自分が成長して変われば、家族、職場も変わります。一人ひとりのそういう力が大切なのだと思います。

―今は国民一人ひとりのリーダーシップが問われていますね。

西水/そうです。一人ひとりが自分のあり方を、リーダーと言われる立場にいる人たちに示すことが必要です。その力を結集させて、日本の民 主主義を育むシビルソサエティとなり、政治家の寄合組合のような政党と対峙できる力学関係に発展することが必要です。国民1票といっても、それだけではバラバラですからね。

―政治家だけでなく、教師や親も含め、地域にも子どもたちから尊敬される大人が少ないように思いますが。

西水/全て反面教師と考えれば良いのです。子どもさんが先生の悪口を言ったら、「じゃあ、あなたが先生になったらどうしたい?」と考えてもらえばいいのです。物事をプラスに見ないとね(笑)。

―おっしゃるとおり。世の中には色々な人間がいますから。西水さんのポジティブシンキング、すばらしい!

西水/いえいえ、普通のおばちゃんです(笑)。

―組織を変える、社会を変えるのは、自分の身近な与えられた境遇の中で、一人ひとりがリーダーシップを持つことから始まるのですね。実はそれは、自分の哲学を持つことです。それを発信し合いながら醸成したものがシビルソサエティでしょうか。これからも、”世界のおばちゃん”として、全国でポジティブメッセージを送っていただいて、日本に真のシビルソサエティを創るために、ぜひご尽力ください!

聞き手/
公益社団法人日本フィランソロピー協会
理事長 高橋陽子