2011年2月号巻頭インタビュー

◆巻頭インタビューNo.337/2011年2月号
笑いのススメ
~「ゆるっ」とした笑いが日本人を元気にする~
森下 伸也(もりした・しんや)氏
関西大学人間健康学部教授・日本笑い学会会長
森下伸也氏 <プロフィール>
1952年8月生まれ。鳥取県出身。1976年京都大学文学部哲学科社会学専攻卒業。長崎大学助教授、金城学院大学助教授、ウィーン大学客員研究員を経て現在に至る。研究分野は社会学、ユーモア学。笑いの哲学、笑いの宗教社会学を得意とする。ユーモア学のオールラウンドプレーヤーとして、2010年7月日本笑い学会会長に就任。著書に『もっと笑うためのユーモア学入門』、『ユーモアの社会学』など。
元気がない、希望がない、明日が見えない、夢がない。「日本人」にそんな形容詞がついてどれくらい経っただろう。大人から子どもまで、なぜこんなにも縮こまってしまっているのか。江戸時代の日本は外国人が驚くほど、おおらかな笑いに溢れる国だったという。森下伸也さんは、関西大学でユーモアや笑いについての教鞭をとり、日本笑い学会会長として笑いの福徳を日本に広める活動も展開している。笑い研究の第一人者である森下さんにお話を伺い、元気な日本再生のヒントを探してみたい。
究極の笑いは愚者になること
―人間健康学部は、昨年4月に新設された学部で「健康で笑いのある、心ゆたかな暮らしを実現する」と紹介されています。どのような勉強をするのでしょうか。
森下/スポーツと福祉、おまけにユーモアという感じでしょうか。本当はもっとストレートにユーモア学部を作りたかったのですけどね。文部科学省に色々と言われてしまって(笑)。
―文科省にユーモアがなかったんですね(笑)。このような学部は他大学にもあるのでしょうか?
森下/ないと思います。笑いやユーモアは学問としてまだしっかり固まっていないからでしょう。ここにはユーモア科学研究センターがあって、4名の専任スタッフがいます。このような施設は世界のどこにもないと思いますよ。昨年4月に入学した本学部第1号の1年生が、この春から2年生になってセンターでの勉強が始まりますから、いよいよ本格始動です。
―それは楽しみですね。先生は昨年7月に「日本笑い学会」の会長にも就任されましたが、この学会はどのような方が参加されているのですか?
森下/まあ笑い好きの集まりですね(笑)。もともとは1994年に「笑学の会」として、笑いの芸能に携わっている人が中心になって立ち上げたものです。だから今でもテレビ関係の方が多いですね。それをワンランクアップさせたのがこの学会。学者の集まりでなく一般市民にも開かれた組織を目指そうと、関心のある人は誰でも参加できるようにしたんです。そしたら変人奇人が集まって(笑)。
―具体的にはどのような活動を?
森下/笑いの研究ですね。いろんな角度から笑いをあれこれ考えてみようということです。それと笑いの福徳を広げること。「笑いはええもんじゃ、広げようじゃないか!」と。中には目立ちたがり屋もいて「笑いの福徳を広げるぞ!」と言って、ただ人を笑わせに行く人もいますよ。
―人を笑わせるって素敵な活動ですね。私は、究極の笑いは自分を笑い者にできるということだと思うのですが、先生はどう思われますか?
森下/確かにそうですね。自虐は究極の笑いかもしれません。アメリカの大社会学者ピーター・バーガー先生は1997年に『癒しとしての笑い』というすばらしい本を書かれていて、実は日本版は僕が訳したのですが、その内容の一部を昨年11月、安永祖堂さんというお坊さんが著書『笑う禅僧』の中で引用してくだ さいました。彼はその本の中で「愚者になる。」 これが究極の修行の理想であると言っています。キリスト教に聖愚者という言葉があるように、禅の坊主も目指すのはそれではないかと。徹底的にばかになる。それが宗教の目指すものではないかと言うのです。まさにその通りだと思っていたので、引用していただいてうれしかったですね。
―そういうお坊さんが増えて欲しいです。しかし、反対に相手を少しばかにして、コミュニケーションをとることもありますよね。私はこれで失敗して怒られることがたまにあるのですけど(笑)。
森下/そういうコミュニケーションはとても値打ちがあります。しかし、デリケートだから少し間違うと困ったことにもなります。「毒にも薬にもならない」と言いますが、その逆で、「毒にも薬にもなってしまう。」 対人関係の究極的なセンスが求められます。
ユーモアが作り出す「緊張と緩和」の効用
―まだ、修行が足りません!(笑)。でも、こうしたユーモアは一朝一夕に身につきませんよね。子供たちに、小さいころから学校でも磨いてもらいたいと思うのですが。
森下/そうなんですけど、まず先生が固い。勉強と笑いは別のものだと誤解しています。学問の本質がわかっていないのです。学問の一番の楽しみは目からうろこが落ちることで、何かを習得してテストが解けることではありません。リラックスして先生の話を良く聴いて、気づきを得たらうれしくて楽しいでしょ?
―先生ご自身はどのような授業をされているのですか?
森下/私の社会学の授業は冗談で成り立っています。笑わかされて、社会学がわかるというもの。それをここで理屈で説明するのは難しいですね(笑)。一度ぜひ聴きに来てください。一言で言うと、緊張と緩和ですね。落語は「何?どういうこと?」と頭を働かせて聴いて、最後のおちでふっと息が抜ける、あ の感覚です。「○○とかけて何と解く、そのこころは」というのも緊張と緩和。そこに笑いが生まれるのですね。人間は「なるほどそうか!」と気が付くと笑えるんですよ。これが学問の本質。この緊張と緩和のリズムが崩れると体調も崩れちゃうんですね。
―会社で緊張と緩和のリズムがとれなくて苦しんでいる人が多い昨今です。
森下/過労死や自殺が多いのは、会社の中で笑う余裕がなくなっているからなのでしょう。一昨年よりは減ったものの、昨年の自殺者は3万2千人。内男性が2万3千人です。日本はいまだ男性優位社会だから、社会的にも家庭的にも責任を背負いこんでしまう男性が多いことが一番の理由だと思っています。もちろん、生物学的に女性が強いのかもしれませんけど(笑)。しかし、男性は笑わないですよ。同じ話をしても女性だと大爆笑なのに。体が硬くなっている感じがします。
―緊張状態が続いているのでしょうね。
森下/私が理事をしているNPO法人日本ホスピタル・クラウン協会にこんなエピソードがあります。ホスピタル・クラウンは、病院に行き子どもたちを笑わせるのですが、ある病院に半年間、声が出せない子どもがいました。その子は、ホスピタル・クラウンが一生懸命笑わせてもなかなか笑いません。しかし、最後には「ありがとう」と言ってくれました。なぜ、言えたのか。この子はずっと点滴や注射で痛い思いをしてきて体がこわばって、息ができなくなっていた。「あいうえお」でさえ息を吸わないと言えないんですよね。そんなときにクラウンがおもしろいことをしたら、心がゆるんでリラックスして空気が入ってきたのです。だから「ありがとう」と言えた。笑うためには深く息をしないといけませんが、行き詰って笑えない男たちもこの子と同じ状態にあるのではないでしょうか。競争、競争の社会でからだがこわばって息ができない。
―まさに息詰まって(行き詰って)いるのですね。
森下/うまい!その通りですね。
ユーモアが参加型社会を作る鍵
―日本の男性社会の象徴とも言える政治家。笑わないですよね(笑)。欧米の政治家にはもう少しユーモアがあると思うのですが。
森下/欧米の政治家がユーモアを大事にするのは、「ジェントルマンはユーモアを語る」というイギリスの伝統に由来しています。民主主義が広がるにつれて、この伝統が共有されてきたのが、欧米の政治家だと言えます。
―なるほど、イギリスのジェントルマン的な考え方が起源なのですね。
森下/しかし、もっとルーツを辿ると、民主主義の発祥地ギリシャのアリストテレスに行きつきます。喋って相手を打ち負かすのが民主主義の基本ですが、その方法にはいろいろあります。理詰めで突き倒す方法もありますが、「負けそうな状況でも自虐的なユーモアで聴衆を笑わせると勝てるのだから、ユーモアっ て大事ですよ」と最初に言ったのはアリストテレスでした。彼に続くキケロも弁論のスーパースターですが、彼もユーモア好きで、自分の経験を踏まえた笑いのとり方も本に書いています。
―民主主義の原点にユーモアがあった。それがギリシャからヨーロッパの国々へ広がったわけですね。
森下/イタリアのカスティリオーネも、エリートや上流階級向けの著書『宮廷人』の中で、ユーモアが大切だと言って、相手を傷つけない方法なども含めながら、人の笑わせ方を延々と書いています。ナイフとフォークを使った食事作法などがイタリアからフランスに伝えられたことは有名ですが、このようなユーモアの大切さもイタリアからフランスに、そして民主社会に移ったイギリスに広がったのです。このような長い歴史を受け継いで、ユーモアの大切さが欧米の政治家に受け継がれていったわけです。
―なるほど。しかし日本は少し違うようですね。
森下/日本はパターンが違います。武士がユーモアを言って下々の人を笑わすということはなかったようです。もちろんユーモアは好きだったのですが、それは教養としてのユーモアです。日本では明治以降もこの武士道路線が政治家のスタイルとして固まっていき、冗談を言って人を楽しませるという政治的な手法は育たなかった。
―昨年は龍馬が流行りましたが、同じ土佐の武市半平太は理詰めで攻めたものの、みんなの気持ちの中には反感だけが残ったと小説には書いてありましたが、ユーモアの不足も関係したのでしょうか?
森下/誰でも理詰めで倒されたらうれしくないですよね。逆に、笑わせてくれた人には悪意は持たないものです。おもしろいことを言った人は、なんだかいい人だなぁみたいな。
―ユーモアは参加型社会の実現には欠かせない要素なのですね。そういう意味ではNPOにもユーモアが足りないのかもしれません。「こんな立派なことしています! 」と理屈を声高に訴えるだけでは賛同者は集まってきませんね。
若者に広がるユーモア以前の問題
―私はときどき「フィランソロピーは偽善です(笑)」と言って笑いをとるのですが、それが最近、若い人には通じないのです。偽善という言葉がわからないようで。
森下/教壇に立つと若い人の変化が良くわかりますよ。我々の常識では、授業が始まるとノートを開いて鉛筆を握りますよね。しかし今は、机にノートが出ていない学生が結構います。ノートを取る習慣のない学生が多いんです。
―学校もおかしいですよね。それで卒業できるのですから。
森下/全くその通りです。ノートを取らない原因の一つが、パワーポイントを使った授業にあります。講義のポイントをビジュアルで示して、最後にそのコピーを渡す。あれは良くないです。また、ノート取っている学生も少し漢字を崩して板書すると書き写せないのです。以前なら少し乱れた漢字でも、文章や話 の流れの中からある程度は想像して書き取ってくれました。しかし、今の学生はそれができないのです。話を聴いて解釈する力が育っていない。
―深刻な状況ですね。ある意味、学生を笑わせている場合ではないですね。
森下/これは他大学でも起きているごくごく一般的なことだと思いますよ。私も担当しましたが、関西大学ではノートを取る練習ゼミがあるんですから。
―へぇー!小中高のうちにノートを取る習慣を作ってこなかったのですね。
森下/きちんとノートを取るには、先生の話を聴いてポイントを掴まないといけません。そのために頭を使いますよね。ノートを取る力は、話のポイントを聞き分ける力なんです。今は話のポイントをパワーポイントで教師が示してしまう。そんな教育を小学生のときから受けているのですから恐ろしいですよ。
―確かに、会話のかみ合わない若者に出会うことが多々あります。
森下/学生たちは講義でノートも取れないのに、一方では就活だといって走り回っています。彼らに「就活に成功する人はノートが取れる人だよ。企業の人は君たちに丁寧に話のポイントは教えてくれないよ。わかる?」と言うとようやく理解します。
―ユーモアどころではなくなってしまった感じです。
森下/ユーモアに至る前段階での問題です。ユーモアというのは、落語が良い例ですが、笑うポイントがあります。有名な演目『芝浜』の最後に「夢になるといけねぇ」というおちがありますが、これだけ聞いても意味がわからない。それまで50分の噺を聞いてきて、ようやく最後に腑に落ちるわけです。なるほど、うまい!と反応できる。
―話を聴いてポイントを押さえるトレーニングがされていないと、このおちが理解できないのですね。このままでは落語を楽しめる若者もいなくなってしまう。以前は家での会話や、学校に通って普通に身につけてきたことなのに。
森下/この現状を変えるには、ポイントをまとめたわかりやすい授業ではなく、読みにくい文字で板書する。ある意味で「いい加減な」授業が必要なのでしょう。
日本人特有の笑いのDNA
―きょうはユーモアや笑いを軸にお話を伺いましたが、逆にこわばった日本人が浮き彫りになったようにも思います。
森下/しかし、日本人はとてもすばらしい笑いのDNAを持っているんですよ。「日本人は笑いの徳がわかっている人種だ」と柳田國男さんも言っています。渡辺京二さんの著書『逝きし世の面影』には、江戸時代末期から明治初頭にかけて来日した外国人の反応が書かれているのですが、彼らがびっくりしたのは、日本 人は実に「ゆるっ」とした民族だということなんです。裸んぼうで町を歩いたり、男女で混浴をしたり、まあだらしないんです(笑)。そして、何しろいつでも笑っている。しかし、その一方で精密な絵を描いたり、精緻な道具も作っているから更に驚くわけですね。
―まさに、緊張と緩和の世界。その時代の「ゆるっ」としたおおらかさが、今まさに必要なのだと思います。
森下/しかし、それが明治以降ひっくり返ってしまった。今では外人にこんなジョークを言われます「世界で一番薄い本。それはイギリスの料理本、日本のジョーク本。開けてみたらすぐ裏だ」
―笑ってられないですね。日本人にはユーモアがなくて、ジョークが通じないと思われていますよね。
森下/実はそんなことはなくて、落語などはとんでもなく奥深いジョーク芸で、世界に冠たる笑いと言えます。落語に出てくる笑いに比べたらアメリカやイギリスのジョークなんて、ほんの先っちょの笑いですよ。今、それがグローバル化などと言われてぐちゃぐちゃにされてしまったんです。
―落語の笑いには人間の情がありますよね。
森下/古典落語のゆるっときて、うれしくって、心に沁み込む人情の通った豊かなジョーク。私はこれからの日本は、江戸の終わりに外国人をびっくりさせたあの「ゆるっ」とした日本を取り戻すことを目標にしたら良いと思っています。日本人らしい笑いに満ちていて、みんなが笑っている社会。日本はもっとゆっ たりした社会でいいと思います。今、十分豊かなのですから、これ以上あまり考えずに、人が笑える社会になるよう仕組みを変えるべきだと思うのです。
―「幸福の指標」といった言葉が聞かれるようになってきましたが、あまり細かいことに拘らないほうが良いように思いますが。
森下/その通り。楽しく笑っていればいい。単純でわかりやすいですよ。「儲かりまっか?」から「おたくの会社、笑ってまっか?」が挨拶になる感じがいいじゃないですか。
―なるほど!人情通う「ゆるっ」とした日本の笑いが、家庭、会社、学校、町の至るところから聞こえてくる。そんな社会にしていきたいですね。ところで、先生ご自身の今後の夢は?
森下/もちろん、楽しく笑っていることです。
―先生の周りの皆さんも、きっといつも笑っていらっしゃることでしょうね。
森下/まあ、これが苦笑だからややこしいんですよ(大笑)。
―いろんなことを相対化すると、あまりしかめっ面する必要もないかもしれませんね。お互い「許されて存在しあっている」と思えばいいのかなと。今年も笑いながら精進します!”新春初笑い”をいただき、ありがとうございました。
聞き手
公益社団法人日本フィランソロピー協会
理事長 高橋陽子