2011年8月号巻頭インタビュー

◆巻頭インタビューNo.342/2011年8月号
「無常」を自覚すると、今を輝く「いのち」が見えてくる
山折 哲雄(やまおり・てつお)氏
宗教学者
山折哲雄氏 <プロフィール>
1931年アメリカ生まれ。1954年東北大学インド哲学科卒。鈴木学術財団研究部、春秋社編集部を経て、76年駒澤大学助教授、77年東北大学助教授、82年国立歴史民俗博物館教授、88年より国際日本文化研究所センター教授を経て、同センター所長などを歴任。2010年南方熊楠賞受賞。『神と仏』 『道元』 『わたしが死について語るなら』 『絆 いま、生きるあなたへ』など著書多数。
宗教学者として、仏教をはじめ、様々な思想、哲学について、わかりやすく、かつ刺激的な言論を提案し続けている山折哲雄氏。16年前の阪神淡路大震災を経て、今年、東日本大震災を経験した日本人は、日本列島という風土に暮らす中で育まれた「いのち」のとらえ方について改めて自覚する契機だと語る。想像を絶する自然の巨大な力を前に立ちつくす日本人の、これからを生きるための思想について伺った。
「民主主義」とは犠牲を伴う「生き残り主義」
―今回の震災後、東北の方々の我慢強さ、粘り強さ、他人に心を寄せる温かさについて多く語られています。しかし、災害時の人々のあり方として、もしかしたら、これが本来の日本人の原型ではないかという気もするのですが。
山折/おっしゃるとおりですね。今度のことで「さすが東北人は粘り強い」という言い方をされる。しかし、ここをあまり強調しすぎると、それは一種、東北を差別した言葉になる可能性もある。関西や東京に比べると、東北という地域は抑圧の歴史が長いですから。しかし、ご存じのように阪神淡路大震災のときも、被災者の方々の表情は穏やかで、忍耐強かったですよ。たとえばアメリカでハリケーンが大災害を引き起こしたり、スマトラ島に津波が押し寄せるというようなとき、その地の方々の表情には怒り、悲しみ、苦しみがあふれ、まさに叫んでいる。その様子を見て、一方で日本人と比較して、その違いは何だろうかと。これは日本列島に生活してきた人たちの、ある心の光景、あり様だろうと見た方がいいんじゃないかと思うのです。
―日本人は西洋の考え方をあらゆる分野で取り入れて、現在の社会を作ってきました。しかし、そのベースには日本ならではの心のあり方が抜きがたくあるということでしょうか。
山折/確かに日本の明治以降の150年は、西洋文明の果実をいただいて、ここまで来ました。ものの考え方から社会の制度まですべての面で、その恩恵を受けていま す。この「恩恵」の真ん中にあるものはなにかと考えると、それは「生き残りたい」「生き残らなければならない」という欲望だということに気がつきます。これは、まさに西洋文明の根本にあるものですね。どんな危機が訪れようと、どんな災害が訪れようと、とにかく人間は生き残らなければならない。その意志と欲望は非常に強いのです。アングロサクソンは、それで世界を支配したし、同じようにアメリカがその考え方で突き進んでいる。これを難しい言葉でいうと「資本主義」。やさしい言葉、柔らかい言葉でいうと「生き残り主義」だと私は言っています。そして我々自身もまた、その恩恵を徹底的に受けてきました。
―自分自身をふり返ってみても、その思想は日本人の中に深く入り込んでいるような気がします。
山折/一方で、この「生き残り主義」とつかず離れず存在しつづけた、ひとつの考え方があります。生き残りの欲望、意志を貫くためには必ず犠牲が伴う。この文明は、それが前提にあったのだと思います。主流に乗り遅れる人間がいるし、外れる人間が出てくる。破れる人間もいる。もちろん、こういった人たちをすくい取ろう、平準化しようという動きがなかったわけではないんです。でも最終的に犠牲は避けがたい。日本人は「生き残り主義」の果実は受け取っていても、この部分を忘れているんです。生き残りとはサバイバルですね。この言葉は、すっかり日本人の日常語になっています。いろんな条件の中で、なんとかサバイバルして、犠牲を省みないそういう生き方になってしまっているのです。
―私たちは、戦後民主主義という言葉を使って今の日本社会を理解しようとしていますが、その実態は都合の良い私生活主義なのでしょうか。
山折/必ずしも否定的にだけ言っているつもりはないんです。当時の日本人としては致し方なかったという部分が大きいし、上手に生き残り主義を受け入れて、これを活用した。そういう部分では非常に知恵のある、能力の高い民族だと思います。その結果、フィランソロピーの考え方はあまり受け入れなかった。たとえば「犠牲を伴う博愛」といったような表現は強すぎるんですね。リスキーな表現ではあるのですが、それくらいのことを言わないと気がつかないのかもしれない。やはり犠牲を伴わない博愛はないのです。
「受け入れる」ことで見えてくる「無常」の姿
―東日本大震災では、犠牲に対する、ある種の受け止め方が日本人の間にあったような気がします。
山折/確かに日本人には日本人固有の犠牲の精神があると思います。起こってしまった悲劇的な状況、悲惨な状況を最終的には受け入れる。苦悩を乗り越えて生き残る―という方向に心のベクトルが動くのではなく「受け入れる」という方向に動くのです。言葉にするのは非常に難しいのですが、これが「無常」ということにつながります。
―「無常」という表現は、確かにスッと心に入ってきますね。
山折/とても味のある言葉なのですが、日本の知識人やマスコミは特に無常が嫌いですね。少なくとも阪神淡路大震災のときは「無常」嫌いでした。当時、私はいろいろなメディアから取材を受けて、その時「やはり、この事態は無常なんだ」と答えたのです。無常には三原則があって、「地上に永遠なものはひとつもない」「形あるものは必ず壊れる」「人は生きて死ぬ」の三つです。これは誰も否定することのできない客観的事実です。これを仏教、あるいはアジア的な価値観では「無常」という。その点はマスコミもジャーナリストも認めます。しかし、被災地の現場に行き、苦しんでいる人に「無常だ」とはとても言えないと彼らは言う。その代わりに「寄り添う」というさしさわりのない言葉を使ってみたりするわけです。
―今回、東北の被災地を歩いてみると、まさに無常としか言いようのない状況が数多くありました。
山折/私も震災現場を訪ねました。その時に自然が自然そのものを破壊するという恐ろしさを見て、これは阪神淡路のときには感じなかったことだと思いました。第二次世界大戦の時の空襲とも違う。自然の恐ろしさの質が違ったのです。そういうことをマスコミも感じ、精神的に葛藤したのだと思います。その結果、今回は新聞などでも「無常」という言葉を使い始めた。阪神淡路大震災から16年経ち、一番変わったのがこの部分ですね。日本人が考えを深めていく契機になったのかもしれません。
―なにがなんでも生き残るという発想ではなく、そこにはなにかもっと静かで、ある種の諦観を伴う、しかし強いものがあるように思います。
山折/地震や津波など、自然の恐ろしさというのは太古の昔から日本全体にあって、まさに日本列島人の問題だったのです。ですから先の「生き残り主義」あるいは「資本主義」に対して、「無常主義」とでも言うものがあった。そのふたつを日本人は自然と持っていたということを、今回、改めて自覚したのではないでしょうか。我々の頭の中には「資本主義」が詰まっていますが、首から下は「無常主義」。その二重構造で日本人はアジアで一番の近代化を成功させました。ですから、これからの世界に対して、この二重構造の構えというものは重要な価値観になってくると思います。世界に対して、もっとアピールしていくべきもの。そこは日本人として自信を持とうよと言いたいです。
―今回の震災では多くの命が失われました。風土を通して、日本人がDNAの中に持っている「無常主義」を自覚すると、その現実を何か違った形で受け入れられるのかもしれません。
山折/なんとしてでも生き残るための関門をくぐり抜けよう、くぐり抜けようとすると、今度は緊張と不安が強くなります。「安心安全神話が崩壊した」という言い方がされますが、この生き残り主義をやめると、その安心安全神話も同時になくなっていくのですね。自分の生死はどうなるかわからないのだから、自然のままでいるほかないし、どうなってもそれを受け入れると思うようにしていれば、スッと楽になります。
なにものにも囚われずいのちと死について語る
―どうしたら「生き残り主義」への執着を手放すことができるのでしょうか。
山折/我々には千年を超える歴史があるのですから、そこに学ぶ以外にないでしょう。歴史に学ぶというと、どうしても軍国主義の記憶があまりに強く日本人をしばりつけるのですが、考えてみると日本の歴史の中では長期にわたる平和な時代が二度あったのです。平安時代の350年と江戸時代の250年ですね。平安時代は辺境の地で闘いがなかったわけではありませんが、王朝政権はずっと続いていましたし、江戸時代は完璧に平和な時代でした。ヨーロッパは常に戦乱の時代が続きましたから、両者を比較すると日本の歴史は非常にユニークで、千年の射程で考えれば日本列島人は平和愛好民族だったことがわかります。まずこの事実を知って欲しいのですね。また西洋の考え方を受け入れつつ、それを自己薬籠中のものにする、血肉化するには、伝統の価値観と照らし合わす必要があると思います。日本人の精神生活に大きな影響を与えたのは、万葉集、源氏物語、平家物語、能楽。近世なら浄瑠璃と歌舞伎の世界でしょう。
―戦後の教育では、やはり西洋の文学、哲学の勉強が中心ですから、自分たちの伝統的なものの考え方を知らずに来ていますね。
山折/両方の優れたものを比較しながら教えることで、自分たちのアイデンティティがどこにあるのかが、わかりやすくなります。ただし万葉集といっても、戦後の万葉集教育は相聞歌中心で、挽歌、死の歌はあまり重視されませんでした。源氏物語はもののあわれ中心で、もののけなどの恐ろしい世界についての内容は排除されている。これは一種の偏向教育です。生老病死の「生」だけで、とにかく「生きる」ことが第一。私は文科省の委員会などに出席して「生きる力は大事だけれど、それ一本槍ではだめですよ。老いと死の問題をきちんと教えないと」とずっと言い続けていますが、必ず反対論が出ます。
―教育の場で光だけを語っても、現実はそうではありません。光と陰をトータルで見ないと、そのギャップに陥って身動き取れなくなる人が増えているように思います。
山折/共生ばかりを言って「人は死んでいく」ということは語るなという。これは教育の場だけでなく、仏教界でも同じような傾向がみられます。明治以降の寺院の住職たちを教育したのは、西洋の学問に基づいて作りあげられた仏教学、宗教学です。したがって考え方の基本は西洋文明で、常に合理的な解釈、分析的解釈をしている。しかし、無常は分析のしようがないんです。そこで彼らの多くは社会学的な思想とか心理学的な研究の後追いをしてしまう。
―一方で庶民は最終的に無常を受け入れていく素地があるように感じます。
山折/私はいろんな場で若い人と話すことがあります。最近の若者は全体として頼りないと言われますが、しかし私は今の30代、40代に未来を託すことが出来ると思っているんです。組織に対しても、また西洋世界に対しても、我々世代が持っていた国内的、国際的な縛りや足かせのようなものがありません。やりたいことをやる、という精神構造になっている。それは素晴らしい可能性ではないでしょうか。その最大のメリットは、男女差の垣根が低くなってきたことにもみられます。今や、女性のパワーが全開し始めています。今度の「なでしこジャパン」の大活躍を見てもわかるように、今はどこへ行っても女性の力が大きくて、驚くことばかりです。これからの日本を救うのは女性だと、私はいつも本気で言っているんですよ。
―いのちの大切さと同時に無常についても、男性はどこか観念的なところがあるように思います。女性は子どもを産む性として、よりストレートにいのちに向き合っているのかもしれません。
山折/かつて出産は命をかけた行為だと言われていました。子どものために犠牲になる母親像というものがあって、それは全面的に正しいということではないのですが、そういうリスクを負って初めて生命が誕生する。その尊さ、ありがたさを教えていくことが必要ですね。もろちん男女は平等です。それは当然のことなのですが、その上で日本社会にとって、母とは何か、母の力とはなにかを問い続ける必要があるのではないかと思います。
―先生から女性へのエールをいただきました(笑)。今こそ、いのちに向き合い、「無常」の本質に向き合って、フィランソロピーの日本的具現化のために精進します!本日はありがとうございました。
聞き手
公益社団法人日本フィランソロピー協会
理事長 高橋陽子