2011年9月号巻頭インタビュー

◆巻頭インタビューNo.343/2011年9月号
受け継がれたDNAが復興支援を牽引
「ヤマトグループだからできることがある」
木川 眞(きがわ・まこと)氏
ヤマトホールディングス株式会社 代表取締役社長
木川 眞氏
<プロフィール>
1973年4月株式会社富士銀行入行。2004年4月株式会社みずほコーポレート銀行常務取締役。2005年3月同行退職。同4月ヤマト運輸株式会社入社。同6月常務取締役。2007年3月ヤマト運輸株式会社代表取締役社長。2011年4月ヤマトホールディングス株式会社代表取締役社長に就任。現在に至る。


4月7日、ヤマトグループは「宅急便1個につき10円の寄付」を始めることを発表した。東北3県の復興事業に対し、1年間で約130億円を拠出するという。その金額の大きさもさることながら、同時に発表さ れた木川眞社長の「決意表明」に、同社の復興にかける強い意思と心意気を感じた人も多いはずだ。まさに日本企業の底力。企業のDNAに裏打ちされた復興支援について木川社長に語ってもらった。
DNAが導いた約130億円の寄付
―この度の震災では、日本人が心を寄せ合い、企業も積極的に支援の手を差し伸べています。日本人も捨てたものではないと感じますが、その中でも御社の復興支援は圧倒的で、金額だけでなく心意気を感じます。
木川/私どもが続けてきた一連の被災地支援活動は、ヤマトグループのDNAそのものです。震災後、各企業ともすばらしい活動をされていますが、その根底にあるものは企業文化です。それぞれに企業の歴史、価値観、風土に合った活動をされている。ひと言で言うとそれがDNAなんですね。「宅急便1個につき10円の寄付」も、金額の大きさをアピールしようとしたものではなく、「我々として何ができるか」を考えたときDNAが導いた、ごく自然な帰結だったのです。
―しかし、1年間で約130億円とは桁が違います。木川さんは今年の4月1日にヤマト運輸の社長からヤマトホールディングスの社長になられましたが、その就任挨拶のときに初めて幹部社員にこの寄付を発表されたと。
木川/発表したとき社員から大きな拍手が起こりましてね。嬉しかったです。涙が出そうになりました。普通の会社であれば「こんな多額の寄付をするなら、給料を上げてくれ」と言いたくなりますよね。しかし、全く反対意見はありませんでした。社員からは「いい会社に勤めている」とか「お客さんに評価されてうれしい」という声が届いています。
―社長就任と同時によくこのような大規模な寄付を決断されましたよね。
木川/確かに、オーナーでもない私が、純利益の4割にもなる寄付をよく決断しましたよね(笑)。この話を海外でしましたら、「すばらしい」 の声と同時に、「良く言えばユニークだけど、悪く言えばクレイジーだね」と言われました。「そんな意思決定を、よく株主が了解してくれたね」とも。これが欧米の企業経営者の反応でしょう。しかし、私どもの企業風土を知っている日本の方からは「ヤマトらしいね」と言っていただいています。
―私もそう思いました。ですから感激はしましたが、すぐにストンと納得できたように思います。
木川/当社の企業風土をご存じない方は、単なる営業活動じゃないの? CRM(Cause Related Marketing)じゃないの?と思われるかもしれません。しかし、営業やマーケティングに純利益の4割もかけないでしょ?(笑) やるべきことを考えたら結果として金額が大きくなり、そしてそれを社員が自然に受け入れる。ヤマトグループだからできたことなのでしょう。
―まさに脈々と受け継がれるDNAの力を感じます。社外の皆さんの評価はいかがでしたか?
木川/株主の皆様には、6月の株主総会で、支援活動のDVDを見ていただきました。その時、会場から拍手が起こったのですが、一人の方から「あの拍手では全員が賛成しているか分からない。もう一度きちんと説明して欲しい」との意見がありましたので、私からもう一度説明して最後に「ご賛同いただけるなら、拍手をください!」と拍手をお願いしたんです(笑)。そうしたら、ものすごい拍手が沸き起こって。少なくともこの日参加した株主の皆様にはご承認いただけたものと思います。また、外国の機関投資家の方々には折に触れてIRの中で説明し、了解をもらいました。明確な反対意 見はどこからもありませんでしたね。ただ、1社だけ「株主代表訴訟について、そのリスクは検討しましたか?」とのご指摘がありました。もちろん、そのリスクは認識していましたが「当社が社会的使命としてやるもの。そんな思いでやっています」と説明しました。これも全てDNAが言わせたことですよ。
―応援する人は御社のDNAをよく知っていらっしゃるのですね。
木川/そうですね。しかし、本当にヤマトグループのDNAが発揮されたのは、震災直後、現地で被災した社員が、自ら救援物資の配送を始めたときです。私はそのことを心から誇りに思っています。
真の協働が実現した「救援物資輸送協力隊」
―震災では御社の拠点も被災され、お亡くなりになったり、行方不明の社員の方もいらっしゃって。
木川/はい。そのような中でも、数日後には現地の社員たちは、誰の指示を待つのではなく、被災地域の至るところで自発的に救援物資の配送を始めていました。当初は情報が寸断されていましたから、そんな社員の動きを私たちは知ることができませんでした。しかし、徐々に状況が見えるようになってきたとき、このすばらしい社員の思いを会社として応援しようと、全国のグループから車両200台、要員500人を集め「救援物資輸送協力隊」を立ち上げました。そして東北3県の災害対策本部に支援を申し出たのです。
―物流のプロが助っ人に来てくれたら心強いですね。当時は物流が混乱していましたから。
木川/役所の方には「効率的な救援物資の配送システムを作り上げますから、物流については私たちに司令塔をやらせてください」とお願いしました。これに気仙沼市が応えてくださって。市長以下、ヤマトグループがコントロールタワーになる体制を認めてくれたのです。
―公平を重んじる行政が、複数ではなく御社の申し出を受け入れたのですね!
木川/全国からの支援物資が体育館や公民館にどんどん運び込まれましたが、物資を管理運用する専門家がいないと滞ってしまいます。気仙沼で自衛隊と協働する救援物資輸送協力隊は、協力隊は集積所となった青果市場で、仕分け、在庫管理、賞味期限の把握なども行い、短期間で物流を正常化させることができました。その仕組みに自衛隊が入ってくださったのも大きかったですね。「国の命を受けて支援活動に入っているのに、なぜヤマト運輸の下で?」と反感を持つのではと思いましたが杞憂でした。自衛隊の大型車が入れない奥地はヤマト運輸が受け持つなど、役割分担もできましてね。パンクをしたときは自衛隊がさっと直してくださり、物資の仕分けも手伝ってくれました。官民が一体になって体制が組めた、この実績は大きいと思います。
―メンツを超えてそれぞれの力を出し合い真の協働が生まれたのでしょう。物流といえば御社の本業でもありますし。
木川/我々は社会的使命として、第一に地域に密着した宅配事業者としてのネットワークを復旧させなければなりません。それと無償の支援活動被災地を走る「クロネコ」宅急便を一緒にすると支援活動がおろそかになります。どうしても自分の仕事を優先したくなるからです。ですから、この2つはチームを分けて、1つのチームには協力隊の支援活動を徹底的にしてもらい、もう一方は事業者としての復旧に全力を尽くしてもらいました。
―実は昨日、岩手の田野畑村で被災した知的障がい者の施設を支援している人に会ったのですが、「救援物資を全国の支援者から送ってもらおうとしたとき、ヤマト運輸は配送してくれたので助かりました。お礼を言っておいてください」と言われました。
木川/10日後に集配を再開できたことは、「宅急便は生活に不可欠なインフラである」という使命感があったからです。社員は、電気、水道、ガス会社と同じように、自分たちの会社が社会の公器であることを認識しています。できるだけ早く直接お届けするということを心掛けました。営業所でお預かりするのは簡単なのですが、あの状況ではお客様に取りに来ていただけませんから。
―場所ではなく、人に届けるということですね。「電気、水道より先にネコが来た。」これは新潟中越地震の後に荷物を受け取ったお客様の言葉ですよね。まさに宅急便が日本のインフラであることを言い表しています。
新しい企業寄付のカタチを示す
―震災から半年が過ぎようとする中で、企業の被災地支援も緊急支援から復興支援へと、その内容も移りつつあります。先ほどもお話いただきましたが、御社の「宅急便1個につき10円の寄付」は、東北地方の生活と産業復興のために使われるとか。
木川/はい。使い道にはこだわりました。何よりも、産業が復興しなければ地元の雇用も生まれませんからね。特にこの地域の主要産業である水産業と農業の再生は欠かせません。また、当社も地元とともに生きる企業で、社員もそこで暮らす住民のひとりです。ですから、学校や病院といった市民の生活基盤の復旧にも寄与したいと考えました。従って、寄付の用途はこの生活基盤と産業基盤の再生の2つに限定しました。35年間、宅急便を、特にクール宅急便を育てくださった東北の皆様への恩返しでもあります。
―助成対象事業も1件あたり概ね1億円以上と規模が大きいですよね。
木川/現在の税制では、県や市町村への寄付は無税ですが、漁協などの団体に対しての寄付は一定の金額を超えると課税対象となります。しか し、寄付金約130億円のうち、3割も4割も税金に充てたら株主に怒られます。そこで、これを無税化するために、1ヶ月半かけて財務省と粘り強く折衝を続けてきました。そして、最後はヤマト福祉財団への寄付を「指定寄付金」に指定いただいたことで、100%の無税化を実現できたのです。
―ヤマト福祉財団が募金窓口となって、一旦、御社の寄付金を財団に移すスキームですね。財団への寄付は「指定寄付金」で全額経費扱いとなり法人税がかからない。今回の寄付の公共性の高さを鑑み、財務省もこれを認めたわけですね。
木川/財務省も当初から、私どもの志をご理解くださってとても協力的でしたが、簡単に税法を曲げることはできません。「指定寄付金」は税 逃れなどに悪用される可能性があるからです。しかし、それを認めてくださった。一企業が中心となる募金活動を、日本赤十字社の募金活動と同じ位置づけであると認めたわけです。日本の税法史上、はじめてのことですし、世界的にも珍しいことではないでしょうか。自画自賛で恐縮ですが、ヤマトグループでなかったらブレイクスルーできなかったと思います。
―その粘り強さは、宅急便を広げるときに旧運輸省と渡りあったDNAですね。
木川/欧米では、経営者や企業家が個人的に多額の寄付をする文化がありますが、日本ではあまりみられません。日本は個人よりも企業が多額 の寄付をする文化を育てる必要があるのではないでしょうか。
―確かに、社員の募金活動、給料天引きによる寄付など、組織で寄付をすることに抵抗はないのかもしれません。
木川/しかし、民間企業は最終的には利益をよりどころにしています。上場していれば、なおさら株主に対する責任がありますから、将来に 亘って株主の利益を損なう可能性のある寄付はできません。言い換えると、使い道がはっきりしない寄付はできないということです。日本赤十字社のような機関は、あまねく公平に分配しますが、結局、最後のところでどう使われたか見えません。ですから、企業は多額の寄付をすることができないのです。
―なるほど、今回の御社の取り組みは、財団を通して寄付金の使い道を明確に株主に説明できるということが重要な要素だったわけですね。
木川/はい。ヤマト福祉財団で第三者委員会を組織して寄付先を決めてもらいます。日本には公益法人を持っていらっしゃる企業がたくさん ありますよね。今回の取り組みで功績があるとしたら、企業と関係のある公益法人が指定寄付金の受け皿となることで、企業が喜んで多額の寄付ができる、そんな前例を作ったことではないでしょうか。
―企業寄付の新しい道筋を作られた。かつて、日本に存在しなかった宅急便を一から創り上げた元会長・小倉昌男さんの姿が重なります。
「ヤマトは我なり」小倉イズムを受け継いで
―ヤマトグループのDNA。一連の支援活動はこの言葉に尽きますが、木川さんは、2005年4月にヤマト運輸に入社され、それまでは銀行マンでいらっしゃった。このDNAにはなじまれましたか?
木川/私の場合、短期間でなじんでしまいましたが、もともとこのような文化が好きで、自分にマッチしたのだと思います。今回の寄付も、典 型的な銀行員だったらできなかったと思いますしね(笑)。
―木川さんは小倉昌男さんから直接、薫陶を受けられたのでしょうか?
木川/富士銀行時代に何度もお話を聴く機会はありましたが、私がヤマト運輸に入社して2ヵ月後に亡くなったので、社内で言葉を交わすことはありませんでした。
―小倉さんの時代から受け継がれている「ヤマトは我なり」の社訓。社員一人ひとりが会社を代表していることを意識して行動すべしという意味が込められていると聞きます。
木川/この言葉から始まる社訓は、全世界で唱和されていますが、社訓や経営理念を仕事の中で活かすことは容易ではありません。今回、結果と して実践した姿を社員に見せることができたように思います。
―小倉さんも天国で「よくやった」と喜んでいらっしゃることでしょう。
木川/そうですね。しかし、社員が喜んでいることが一番うれしい。特に現地の社員が、喜んでくれています。集荷に伺ったお宅で寄付の話になると「本当にうちの会社は何を考えているんでしょうかねぇ」と言いながら、心の中で誇らしく思っているらしいのです(笑)。
―その姿、目に浮かびます。ヤマト運輸には、2007年度に障がい者の働く場を拡大したメール便事業で企業フィランソロピー大賞・社会共生賞を受賞いただきました。そのときも思いましたが、御社は本当に手を抜かないですよね。
木川/うちの社員はやるといったらやりますからね。やりすぎるくらいです(笑)。障がい者支援も、徹底してやり続けています。しかしそれ も自立をするきっかけ作りをお手伝いしているに過ぎません。今回の寄付も金額は大きいですが、わが社1社で復興できるなんて考えていません。私たちが一石を投じることで、新たな企業の寄付活動が始まるきっかけになればと思うのです。
―現地支援においては、自衛隊や行政と新たな協働の実績をつくられ、今後の復興支援においては、新しい企業寄付に先鞭をつけられました。常に「生活者」だけでなく「生活弱者」にも目を向けビジネスを展開してこられましたが、今回の支援はまさにその延長線上にあると思います。御社のDNAに根差して新しいチャレンジを続ける木川さんとグループ社員の皆様の今後の活動に期待しております。ありがとうございました。
聞き手
公益社団法人日本フィランソロピー協会
理事長 高橋陽子