◆巻頭座談会No.345/2011年12月号
「よそ者」の力を地域再生のエンジンに

震災から9か月が過ぎ、被災地の復興も本格化してきた。その中で、今後必要となってくるのは、被災した人々が自ら主役となって、地域社会を新しい形で再生していくこと。そして外部の人間にとっては、これらの動きをどのようにサポートできるかが大きなテーマになる。
被災地域の復興ひいては日本社会全体の新たな再生のために、どのようなアイデアを出し、実践していくことができるのか。雇用創出や地域作りの分野で斬新な活動を実践している3人の方にお集まりいただき、お話をうかがった。
≪座談会出席者≫
大塚 洋一郎(おおつか・よういちろう)氏
NPO法人農商工連携サポートセンター 代表理事
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<プロフィール>
科学技術庁国際課長、文部科学省宇宙開発利用課長などを歴任。2007年、経済産業省大臣官房審議官として農商工連携促進法の制定に関わる。以来、農商工連携による地域活性化・雇用創出をライフワークとして取り組むことを決意し、2009年、公務員を退職。NPO法人農商工連携サポートセンターを設立。
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立花 貴(たちばな・たかし)氏
合同会社OHガッツ 発起人
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<プロフィール>
1999年に6年間勤めた伊藤忠商事退社。2000年に食品流通系会社エバービジョン 設立し代表取締役社長就任。2010年同社退任後、日本の食文化・伝統工芸の発信を通して地域活性化を目指す合同会社四縁を設立、昨年から世界遺産 奈良薬師寺の敷地内でレストランとショップギャラリーを運営。代表をつとめる。本年8月には石巻市雄勝町の合同会社「OHガッツ」に参画。同地に住民票を移し、出身地でもある宮城県復興に力を注いでいる。社団法人SweetTreat311代表・社団法人東の食の会理事。
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渡邊 智恵子(わたなべ・ちえこ)氏
株式会社アバンティ 代表取締役
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<プロフィール>
1985年、株式会社アバンティ設立。1990年からオーガニックコットンの輸入を開始する。2009年、新宿区優良企業表彰経営大賞「新宿区長賞」受賞。経済産業省「ソーシャルビジネス55選」の選出。「東北グランマのクリスマスオーナメント」プロジェクトを運営している一般社団法人「チームともだち」の理事をつとめる。
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≪司会≫
高橋 陽子(たかはし・ようこ)
公益社団法人日本フィランソロピー協会 理事長
手作りの小さな仕事が女性たちの生きがいを育む
―今回、ユニークな手法で被災地支援に関わり、復旧ではなく、まさに新しい復興を目指して邁進している方々をお招きしました。まず渡邊さんの活動からお話しください。
渡邊/私はもう21年間、オーガニックコットン屋をやっているんです。オーガニックコットンの原綿をアメリカのテキサスから輸入して、糸作り、生地作り、そして製品作りまで、一貫した企画製造販売を行ってきました。そして震災後、自分には何ができるのか一生懸命に考えたのですが、なかなか行動に移せなかったんです。支援物資といっても、うちのような小さな会社はせいぜいTシャツを100枚、200枚用意する程度。それでは大した援助にもなりません。そして考えたのが「仕事を作る」ということでした。これまでずっと働き続けてきた人たちが、震災と津波で一気に仕事を失って、このままでは本当に辛くて生きていけないと思ったんです。
―そして渡邊さんが取り組まれているのが「東北グランマのクリスマスオーナメントプロジェクト」ですね。オーガニックコットンの残布を使って、クリスマスオーナメントを作るというもので、仕事の場を失った漁村などの女性たちに作ってもらい、それを日本各地で販売する。被災地と支援する側を繋ぐユニークな試みです。
渡邊/小さなクリスマスオーナメントならミシンがなくても作れますし、みんなで集まってワイワイおしゃべりしながら手仕事ができるかもしれないと考えました。最初に仕事を持っていったのは、石巻市の大指( おおざし) という、38所帯しかない小さな漁村です。一カ所の避難所に全世帯が集まっていて、最初のうちは支援物資がほとんど届いていない状態だったそうです。私がここに行ったのが6月26日で、持っていった布を見せたら、もともと漁村で男性と同じように力仕事もしていた女性たちなので、こういう針仕事は難しいという言葉も出ました。でも最後に一人のおばちゃんが「よし、みんなでやろうよ」と言ってくれて。また販売するだけでなく、購入した人にサイトへメッセージを送ってもらっています。今は皆さん、仮設住宅に移ったのですが、集会所に来て作業をして。最初の頃に比べると、みなさんの顔がどんどん明るくなっていますね。
立花/これはいいアイデアですね。やはり何かがなければ人は集まれませんから。
渡邊/今、仮設住宅で孤立して、体を壊したり自殺したりする人も出てきています。まずは外に出てきて貰わないといけない。そのためにも、この仕事には意味があったと思います。
復興トマトと復興キャベツで塩害を乗り越える取り組み
―農商工連携サポートセンター代表理事の大塚さんは、農業と商工をこれまでにない形で連携させて付加価値をあげ、地域に雇用と活力
を創り出すという活動をされています。
大塚/私はこのNPOを始めて2年ちょっとなのですが、農村の人が都市に来て物を売るとか、都会の人を農村に連れて行って農業体
験をしてもらうというツアーをたくさんやっていたんです。ただ都市と農村は距離が離れていますし、農業体験そのものは個人の集合です。これをどう発展させるのかを考えていたとき震災になりました。このとき津波が農村に押し寄せて、23,600ヘクタールの塩害農地が生まれたんです。日本全体の耕作放棄地が40万ヘクタールですから、その5%にあたる広さの耕作放棄地が突然増えたことになる。そして、そのほとんどがいまだ復興していないのです。これをなんとかしようと活動を始めました。
―そこで、土壌改良して塩害に強い作物を植えるプロジェクトに着手された。
大塚/もともと熊本県には塩分濃度の高い干拓地で栽培される「塩トマト」という種類があるんです。小さなトマトですが非常に甘くて、ブランド品として1個100円もの価格がついています。これを塩害農地に植えることにしました。田畑の半分近くが塩水に浸かった宮城県岩沼市で塩トマトを植えるボランティアを募集したら予定以上の応募があって、総勢49人で600株植えました。塩トマトは被災地の復興を願って「復興トマト」と名付けたのですが、ひとつも枯れず、8月20日に収穫できました! これは嬉しかったですね。
―トマトを植えるボランティアというのも新しい形ですね。
大塚/瓦礫の片づけは難しいけれど、トマトの植え付けなら手伝えるといって、女性はもちろん子どもまで参加してくれました。2万円という交通費を払って、みなさん来てくれるんです。トマトの次は「復興キャベツ」を作る活動をやっていて、今は仙台市の畑で無事に育っています。また王子ネピアさんのご支援もあって、大槌町の塩害農家の支援も始めています。
現地に行き、見て、感じる。そこから人は行動を始める
―立花さんはもともと伊藤忠商事のご出身で、現在は日本の食と文化を国内外に広め、地域活性化を図る合同会社四縁の代表をされていま
す。震災支援との関わりは、仙台市宮城野区のご実家の被災がきっかけだったとか。
立花/震災当日は東京にいたのですが、宮城野区の近くの荒浜で遺体が300から400見つかったという第一報が入り、翌日、山形経
由で現地に向かいました。避難所を探したら、その日のうちに無事に家族と出会えたのですが、その避難所には一週間、水も食料も届かなかったんです。すぐに東京の仲間に連絡して、とにかく水と食料を持ってきてくれと。それを配ったり、炊き出ししたりというところから
活動が始まりました。自分でもまったく想定していなかったことです。
―その後、4月中旬という早い時期から石巻市雄勝町の中学校で給食の支援を始められました。
立花/当時、食事支援などで1か月くらい活動をしていた中で、雄勝中学から給食支援の相談を受けたんです。雄勝町は小学校も中学校も津波で流され、4,300人の人口が1,000人弱に減り、中学も町から10キロ以上離れた場所に間借りしていました。雄勝中学の校長先
生は生徒の方だけを向いて全力で当たっている素晴らしい方で、私もすぐに承諾し、それから毎日100食を仙台の実家で自ら作って、車で
2時間かけて運びました。実家が総菜屋をやっていたので、母と妹に協力してもらいました。すべて自費でやっていたので、見るに見かねて仙台市の商工会の方がバトンタッチしてくださるまで続けていました。
―そこから雄勝町との繋がりが生まれたのですね。
立花/雄勝中学のPTA会長が漁師さんで、今度、漁師を集めて合同会社「OHガッツ」を作りたいという話を聞き、協力することにしたんです。それも、ただ漁師が集まって漁をやるのではなく「未来に開かれた地域」を築き、消費者と一緒に新しい漁業を創るというコンセプトです。その一環として「そだての住人」を募集しています。牡蠣や帆立、ほやの稚貝を購入してもらい養殖し、成長したらお送りする。いわゆる予約販売ですが、普通と違うのが「そだての住人」には漁業にも町づくりにも関わっていただき、養殖作業イベントなどを通して、できるだけ雄勝に来てもらう。私は今まで、東京から雄勝まで車で88往復していて、500人くらいの人を雄勝に連れて行きました。やはり今回起こったことは、頭で考えるのではなく、見てもらって、感じてもらうのが一番いいと思うんです。雄勝に行った人たちは、内側からエネルギーが湧いてきて、みんな進んで関わってくれる。ですから今は、できるだけ大勢の人を雄勝に連れて行くという活動に力を入れています。
―被災地を実際に見るという行動は人を大きく変える可能性がありますね。
大塚/確かにそう思います。私は6月4日に初めて現地に入りましたが、あの破壊の光景が360度広がっているのを見ると言葉をなくします。その体験は圧倒的です。東京、大阪にいるとどんどん忘れますが、決して終わっていないというのがわかるんです。これまでもそうですが、来年の4月から始まる大槌町でのプロジェクトでも、ボランティアを募って一緒に現地に行くのは、被災地とそれ以外の人をつなぐという意味もあります。
立花/一度現地に連れて行くと、もうみんな同じ目線でものを見てくれるようになります。一緒に活動したいという個人ベースのボランティアで霞ヶ関の方々も連れていっています。2万人いる霞ヶ関のメンバーの5%が関わってくれたら、日本の新しいまちづくりができると思っているんですね。それが将来、全国のまちづくりのモデルになってくれればと期待しています。
よそ者の力が生み出す新しい出会いのチャンス
―「そだての住人」はすでに1,600口ほど集まっているとか。みなさんの活動には賛同者が非常に多いですね。
渡邊/クリスマスオーナメントも25,000セット生産し、一袋1,000円ですが、本当に大好評です。やはりクリスマスオーナメントというのはハッピーのおすそわけで、これを嫌がる人はいないんですね。また期限があるというのも、みんなの意志統一を図るのにいいと思
います。次は幸せのお守りを作ってもらう企画を考えています。
大塚/それはいい。きっとよく売れますよ( 笑)
渡邊/私たちは支援というつもりではなくて、復興のパートナーだと思っているんです。私の役目は売る場所を見つけてくる。そういう形でなければ、長く続かないじゃないですか。お互いに自分の持っている良さ、技術を出し合って、なにか新しいことを作ることができたら、こんなハッピーなことはないと思います。
大塚/活動を始めるとき、自分はよそ者だからと、僕もすごく遠慮していたんですが、実はよそ者ができることはたくさんあると最近は思うようになりました。東京から連れて行くと、ボランティアの人が刺激を受け、そして受け入れ側も刺激を受ける。そして人が動き出すんです。塩害農地の復興が進まないひとつの大きな理由は、農業者の方が「国がなにをやってくれるのだろう」「補助金はどれくらいおりるのだろう」と様子を見ているところがある。しかし国の政策はすぐに変わるし、現実にはあまり頼れない。たまたま支援があれば受けてもいいくらいの気持ちでいないとだめですね。だからこそ、よそから入った人が率先して行動することが必要です。
―そんな中で企業が新しい動きを始めるには、どんな仕組みがあればいいのでしょうか。
立花/最初はとにかく現地に入ってもらうことだと思います。社員全員が順番に見に来るような感覚で関わると、確実に人は動き出してくれるんです。そしてもうひとつ大事なことはお金です。たまたま「OHガッツ」は僕がいたので伊藤忠商事など、いろいろな会社が協力企業として名前を連ねてくれました。大企業はネットワークや信用力、強いブランドがありますから、それを使って小さな組織に対しても支援をして欲しいんです。
―これまで企業はユネスコ、ユニセフ、赤十字など、寄付先のブランド力を借りて自社のブランドを高めようとしていたんですね。でも今はむしろ自分自身のブランド力を社会貢献に使うということが、すごく大事になってきますね。
目の前のリアルさがまちづくりのパワーになる
―復興支援は10年単位の長いスパンで考えなければいけない活動になると思います。みなさんの今後の方針を教えてください。
渡邊/私はもっと農業に絡んでいきたいと思います。第一次産業、第二次産業を元気にしないと、日本の土台が強固なものにならないと思っているんです。というのも、すべての原料は農業から生まれ、原料があれば、ビジネスとして、いろんな産業に波及することができます。
―具体的に取り組んでいる作物はあるのでしょうか?
渡邊/うちは綿が欲しいのですが、綿の種である綿実を牛に食べさせると乳質がよくなるんです。それでオーガニック酪農家と一緒に綿の栽培を千葉県で始めています。また麻も面白いですね。私は芯の部分の繊維だけ欲しいのですが、茎の外側はアスベストの代わりに天井や壁などに使う自然の建材になります。種は亜麻仁油の原料なので食品などに活用できます。幅広い用途があるので、これでひとつの立派な産業になりますね。またカモミールは良い香りのするハーブで、鎮静効果があって、不眠症にいいんです。花言葉は「逆境に打ち勝つ力」。まさに被災地に植える植物ではないでしょうか。荒れ地で育つし、耐寒性もあるので、今度、岩手県の行政の人と一緒に畑を探しに行く予定です。仮設住宅に播くのもいい方法だと思います。
―農業をしっかりやると、それがいろんな産業に波及していきますね。
大塚/私はシンプルに、塩害農地で農作物を育て、販売するという、普通の農業で農家の方々の自立を応援しようと思います。岩沼市の復興トマト、仙台市の復興キャベツ、そして新たに開始される大槌町の支援と3か所それぞれの農家さんたちの活動を着実に支援し拡げていきます。
―大塚さんは前経済産業省大臣官房審議官という立場から華麗な転身をされて、新しい発見が多かったのではないでしょうか?
大塚/最初は思ってもみなかったのですが、トマトとキャベツが私の事業の大きな柱になってきて、すごく面白いですね。役人をやっていたときは政策、国益や省益というところで動いていて、仕事は大きかったかもしれませんが、人の生活からは遠く、抽象的でした。今、私のやっていることはすごく小さいけれど、目の前の誰かが喜んでくれるし、東京から連れて行った人がすごく喜んでくれる。キャベツが育つこと、トマトが枯れなかったことがリアルで、まさに本物なんです。そういうことがすごく面白いですね。
渡邊/身の丈で目の前のことをひとつひとつやっていくのが大切ですね。
―立花さんは雄勝のまちづくりという大きな仕事があります。
立花/今、実際に雄勝に住んでいる人は500人くらいしかいないのですが、5万人の、そこに住んでいない人たちが、いつも雄勝に心を置いておけるような、日本にはこれまであまりなかった新しいまちの形を目指しています。そこには自分が持っているものを出しきって関わっていくというイメージです。教育に関わる人、食に関わる人、伝統工芸やアート、まちづくりに関わる人。遠くに住んでいても、年に一度は雄勝に来ないと落ち着かない。そんな関係です。また財政面も含めて、まちが支えられるようなしくみを目指していきたいです。民間企業がまちを応援したらこうなるというようなモデルを作りたいと思っているんです。
―雄勝は教育でも優れたものを目指していますね。
立花/地元中学で生徒たちは太鼓の練習をしています。太鼓はみんな流されたので、古タイヤにビニールテープを巻いて練習していますが、子どもたちの生きる力、人間の原点のようなものが音に乗るので、聞いている人がグッとくるんです。それを今、全国に広げる活動をしていて、先日も東京駅のリニューアルイベントで演奏させてもらいました。目指すは紅白歌合戦への出場です(笑)。
グッと来る心の動きが新しい時代を創る
―震災と津波の被害は甚大でしたが、まちの復興は決して復旧になってはいけないですね。不景気、後継者不足、過疎などの問題は以前からあったもので、これらを乗り越えて、新しいまちづくりが必要です。
渡邊/自分たちの利益のことだけでなく、本当に三方良しの基本的な考えがあれば、これからすごいことができると思うんです。この先十年、私の残りの人生を使って、かっこいいモデルケースを作ったら、またあとに続いてくれる人がいるのかもしれません。
―確かに、この厳しい環境だからこそ、固定観念を崩して新しいものを作るひとつのチャンスです。
立花/抽象的な言い方ですが、感じて動く時代になったんじゃないかと思うんです。人間の持つエネルギーは、人に喜ばれた時に伝わるし、それが相手のエネルギーになって増幅していく。それが9か月間、支援活動をしてきて、僕自身が強く感じることです。頭で考えるというより、湧いてきたままに動く。人間のエネルギーはそういう性質のものではないかと感じます。それで最近、僕は「グッと来る」という言葉を頻繁に使うんです。
―楽しいとか嬉しいではなく、もっと深く心が動かされるということですね。
立花/そうです。グッと来た人は感じて、動き出さずにはおれない。みんなで話すときにも「今のはグッと来た」という話題になって( 笑)、それで共感できるんです。
大塚/それがまたいいご縁に繋がっていきますね。私も自分がNPOをやらなければ、今日のような出会いもありませんでした。
―グッとくるいい動きをすると、それが人と人とを繋ぎ、広がりへと続いていくのでしょう。本日はありがとうございました。