2012年3月号巻頭インタビュー

◆巻頭インタビューNo.348/2012年3月号
「With You」
寄り添う中で子どもたちは健全に育っていくのです
本間 博彰(ほんま・ひろあき)氏
宮城県子ども総合センター所長/医学博士
本間博彰氏 <プロフィール>
1950年静岡県生まれ。弘前大学医学部卒業。同大学院医学研究科修了。医学博士。日本児童青年精神医学会認定医。青森県で10年間地域の精神科病院および大学病院精神科にて臨床経験を積んだ後、1988年より宮城県中央児童相談所に移り、児童福祉と児童精神科医療に従事。2001 年からは新設された宮 城県子ども総合センターにおいて、乳幼児および児童精神科医療に従事。現在同センター所長。この間、北欧の乳幼児精神保健システムを導入すべく、フィンランドおよびスウェーデンの臨床家との交流を深め、そのノウハウの一部を現センターの臨床に導入。専門は、乳幼児および児童精神医学で、特に親の精神病理とその治療に取り組み、厚生科学研究主任研究者を5 年間つとめた。主な著書に『虐待と思春期』(編集、岩崎学術出版社、2001年)、『乳幼児と親のメンタルヘルス』(単著、明石書店、2007年)など。
東日本大震災から1年が経とうとしている。スピードが遅いと言われながらも復興に向けた行政の取組みが伝えられ、産業界からの支援も続いている。一歩ずつ復興に向けて歩き出している東北の映像の中に、時折、子どもたちの笑顔を見つけて、こちらが元気をもらうことも少なくない。
しかし、宮城県子ども総合センター所長・本間博彰氏は、あの日の恐怖や不安な気持ちを口にできず、心の中に抱え込んでいる子どもがたくさんいると話す。いち早く沿岸部を巡回する「子どものこころケアチーム」を立ち上げ、自身も児童精神科医として直接子どもの心に向き合ってきた本間氏。子どもたちの心の今を聞くべく、宮城県子ども総合センター(以下、センター)を訪ねた。
相談から治療まで子どもの心のケアの専門機関
―こちらの建物には、センターのほかに宮城県中央児童相談所も入っていますが、先生は初め、児童相談所に所属されていたと伺っていますが。
本間/はい。1988年、ここの児童相談所に勤務したんです。当時は児童相談所に児童精神科医がいること自体が珍しかったですね。私は、病院より気楽に足の運べる行政機関の中で、子どもの心の治療や家族の相談にのることが重要だと考えていたんです。しかし、児童相談所は行政機関で薬も出せない。本格的な治療ができないんです。そこでクリニック機能を持った機関が必要だと、子どもセンターの構想を打ち出しました。はじめは前例がないとか、反対意見がほとんでしたよ(笑)。それでも関係者や知事に直訴して、2001年4月にこのセンターの活動が始まりました。日本で初めての「子どもの精神保健センター」と言われています。
―日本初の取組みなんですね。その時の知事はもしかして・・・。
本間/浅野史郎さんです。日本フィランソロピー協会の会長さんですよね。
―まあ、良いことをされたようで私もうれしいです(笑)。センターでは具体的にどのようなことをされているのでしょうか?
本間/センター内の診療所では児童精神科医が子どもの心の治療にあたっています。児童精神科医は児童精神医学の研修を受けた専門医で、全国に300名ほどしかいないと言われています。県によっては1人いるかどうかなのですが、ここには4名もいます。広汎性発達障害、自閉症、アスペルガー症候群、注意欠陥・多動性障害、学習障害、不登校などの子どもの治療から、子ども虐待、産後うつ、子育ての悩みといった親の相談も受けています。
―かなり広範囲のサポートですね。
本間/医師の他に保健師、心理士、教師、保育士などの専門職員がいるからできるんですよ。子どもだけでなく、家族関係の調整をしていくこ とも大切な役割です。
―相談から治療まで。まさに子どもの心のケアについてのワンストップ機能を担っていらっしゃるのですね。
「With You」子どもの心に寄り添うことの大切さ
―3月11日、先生はこちらにいらしたのですか?
本間/はい。この部屋で仕事をしていました。すごく大きな揺れが長く続きましたから、怖かったですね。診察で子どもたちも来ていましたが、卒業式が重なっていたので予約が少なく、センター内でけが人が出ることはありませんでしたが。
―沿岸部はひどい状況になっていた。それをお知りになったのはいつですか?
本間/震災後初めてテレビを見たのは、14日の月曜日でした。何日か職場に宿泊しながら「早急に子どもの置かれている状況をつかまなけれ ば」と、現場を歩きました。センターはここの診療所の他に、県内に石巻・気仙沼・大崎の3か所に出張所を持っていますが、支援を沿岸部の被災地にシフトさせるべく4グループに分かれて「子どものこころケアチーム」を派遣しました。
―その時の活動については1月に発行された『がれきの中の天使たち』(椎名篤子・著/集英社)に詳しく書かれていますね。もうすぐ1年ですが、子どもの状況をご覧になってきていかがでしょうか。
本間/振り返ってみると、初期段階は緊急の問題に対応していましたね。眠らない、取り乱すといった急性ストレス障害の子どもの対応です。今は急性期の子は減って、慢性的に生活がうまくおくれない子がでてきています。心の問題を解決するには子どもたちに「症状を出す力」がいります。この力がないと、後々になって複雑な問題になってしまうのです。
―その力を引き出すために必要なことは何でしょうか。
本間/大人が子どもに向き合うこと。これはとっても大事なことです。僕は県南の山元町にある民間の保育園のサポートに入っています。ここは 8人の園児が亡くなったんです。昨日も訪問してきたところですが、ようやく先生たちも、子どもたちと寄り添える時間が充分とれるようになってきました。そうしたら、子どもたちも自分の問題に取り組めるようになってきたんですね。
―寄り添うことで子どもの様子も変わってくると。
本間/変わりますね。その保育園の6歳の男の子のケースですが、彼の家は津波で流されて、震災直後はかなり攻撃的でした。仕事をしている 先生の後ろから肩に飛び乗ったり、僕にも突進してくるような遊び方をしていました。最近はだいぶん落ち着いて、行動が和らいできました。彼は弟がいて「おにいちゃんね」という枕詞をつけて話すのですが、あるとき「おにいちゃんね、こわかったんだよ」と、3・11のことを語ろうとした。「何が怖かったの?」と先生が聞くと、「それ、はなしてもいいの?」って言うんです。彼は、同級生が海水の中から引き上げられていたその場所に居合わせた。その子は助かったのですが、その時の怖さを心の中に秘めていたんですね。その時、初めて「たすかってよかった」と言ったそうです。彼は最近、洗面所の石鹸の泡を手にとってそれを先生の手につけるそうなのです。ある種の遊びですが、先生とつながっているという確認なんですね。それでようやく、心の中のことを先生に言えるようになった。
―言ってはいけないと抑えていたんですね。
本間/子どもたちは、大人が傷ついている姿や、落ち込んでいる顔をずっと見てきていて、そんな大人を思いやる気持ちから、本当の気持ちを言わないんです。でも、一人の子が「津波に遭った」と言い始めると、「うちにも来た」「うちも来た」って、その子もあの子も言い始めます。本当は話を聞いて欲しいんですね。前ほどではないですが、今でもそんな反応があります。
―立派ですね。子どもたち。
本間/ある4歳の女の子は、家が流されてアパートに住むようになりました。震災前、2匹猫を飼っていたのですが、いなくなってしまいました。彼女は「一匹は天国にいったけど、もう一匹は地獄にいった」と怒った顔で先生に話すんです。実は猫のことを理由にして、別の怒りを表しているんです。今のアパートに引っ越してから、お母さんも仕事をするようになって、以前のようにかまってくれなくなった。その上、集合住宅では、少し騒ぐとうるさいと言われて。そんなストレスからくる苦しい気持ちを猫にかこつけて表している。
―「症状を出す力」ですね。ある意味、逞しい感じもします。
本間/その逞しさを大人がつぶすわけです。そんなこと言っちゃだめとか言って止めさせてしまう。本当はそれを聞いてあげないといけないのに、忙しいとか、忘れなさいと言ってしまう。自分が聞きたくないんですよ。でも心がおだやかになって、揺れないようになってきたら聞けるようになる。育児不安は育児が不安なのではなく、自分が不安で、不安な自分が育児をすることが不安なんですね。不安の本当の原因がわかれば、育児の不安は 大きくはならないものです。
―平常時でも育児不安のお母さんが多いのに、不安が増幅されていませんか?
本間/被災地3県は、今まだとても苦しい状況にあるのに、現実的な援助がなされていない。復興計画が決まったと言われても、何も具体的でないんですから。これから山を削って平地にして、建物を建てるまで何年もかかる。現実的な話ではないから見通しが立たないんですね。生活の見通しが立たないとイライラして、その気持ちを子どもにぶつけてしまうこともあるでしょうね。
―不安でいらだつ気持ちもわかります。親の支援も必要ですね。
本間/気持ちがコントロールできるようになれば、子どもの言葉に耳を傾けられるでしょう。親も先生も「With You」。子どもに寄り添っていく中で子どもたちは健全に育っていくんです。私の先程の山元町の保育園でしている仕事は、先生のケアをすることなんですね。先生の相談を受けて、話を聞いて、「そうか、この子はこういうことなんだね」と話かけているんです。
遊びの中に込められた思い遊びの中で専門家を育てる
―しかし子どもに向き合うというのは大変なことですよね。
本間/傷ついた子どもやその親の話を聞くということは、彼らの大変さに共感しなければできません。そうでないと話をしてもらえない。相手の苦しさや落ち込みを同じように感じなければならないわけです。保育園の先生も含めて、子どもと関わる専門家はこの苦しさに耐えなければなりません。心が壊れないように、時々休みながら向かい合わないと、ですね。
―向き合いながら折れないように。特に若い人には難しいように思いますが。
本間/トレーニングしていませんからね。本やコンピュータばかりに頼って頭でっかちになっている。体験から学んでいませんからまずいです。
―専門家の教育も必要ですね。先生は今、アメリカから遊びの中で子どもの心のケアをするワークショップを取り入れようと準備されていますが。
本間/ボストンのNPOが作りあげたワークショップで、子どもと遊びながら遊びのテクニックを身につけるプログラムです。対象は学校の先生、保育園や幼稚園の先生など子どもに接する人たち。今年の春以降、気仙沼、陸前高田などで開催していこうと思っています
―やはり遊びは、子どもの心とつながっているんですか?
本間/5月、6月は地震遊び、津波遊びといったことが多かったのですが、子どもたちは遊びの中で心の中の怖い体験と折り合いをつけるんで す。本物の地震が起きた時は何もできなくて怖かったけど、地震ごっこなら途中でやめることもできるし、自分でコントロールすることもできる。そうやって心の中のわだかまりや怖さを処理するんです。こんな遊びがあります。建物に見立てたイスの下に人形を置いて「きんきゅうじしんそくほうがでました。だいじょうぶですか?」と言って、その後人形を抱えて、教室の中の少し高いステージに上がります。建物に見立てた机を上から眺めて「あーよかった。せんせいもにげないとだめだよ」って。
―なるほど、遊びの中にいろんな思いが込められているんですね。その意味でも先生が計画されているワークショップは非常に重要だと思います。
福祉にも危機管理が必要
―震災から1年になろうとしていますが、まだまだ課題は山積しているように思います。
本間/やらないといけないことは山ほどありますよ。10月に小宮山厚労大臣が、東京に東日本大震災中央子ども支援センターを作ることを発表し て、宮城にもその窓口が作られたのですが、担当する職員はたった1.5人。宮城全体でですよ。それで僕は考えた。こんなわずかな人数なら一番大事なことをしようと。それはやはり保育所・幼稚園です。地域の中で一番子どものことを抱えているところですから。
―保育所や幼稚園でしっかりケアしてくれたら親も安心できますよね。しかし、小学校は大丈夫なのでしょうか。
本間/大丈夫ではないと思いますよ。保育所は厚労省の管轄でしばりが少ないから入りやすいのですが、小学校は文部科学省、教育庁、市町村教育委員会、校長と統制されていてなかなか入り込めないんですね。
―もっと地域に開かれるべきですよ! 最近、ある役所の方から「学校は教育を私物化してしまった」という言葉を聞きました。学校を核にして地域みんなで育てるという発想が必要ですね。そうすれば先生のような方の力も借りられるのですから。
本間/そうです。地域と一緒に運営すればいいんです。
―学校もそうですが、今回の震災では行政のあり方について色々と問題点が指摘されています。先生もある意味で行政の仕事をしていらっしゃいますが、どのように感じていらっしゃいますか?
危機管理の問題でしょうね。福祉の危機管理がなされていない。震災は危機管理そのものです。役人は平常時は強いですが、変化するときは弱いですね。迅速さがない。僕らはいつも緊急事態(笑)。常に非常時ですから上司に相談なんてしている暇はありません。医療はいつでも危機管理。
―そうですよね。これは行政システムの問題でしょうか。
本間/頭の使い方でしょうね。平常時と非常時では使い方が違うから。初代内閣安全保障室長の佐々淳行さんが、危機管理のノウハウについて記された本があるのですが、その中にとてもいいことが書いてあります。危機管理は3Cだと。コマンド・指揮系統をはっきりさせる、コミュニケーション・部下と情報を共有する、コントロール・全体を掌握する。本当にわかりやすい。
―なるほど!先生も震災のとき、3Cを実践された?
本間/そうですね、僕は震災直後は独断専行でした。周りにこまごまと相談していたら話にならないですから。役人は現場に行かないで会議ば かりしています。しかし本来は何を差し置いても現場。現場をアセスメントすることが大事です。次に作戦、そしてコミュニケーション、コントロールですよね。
―日本国そのものの危機管理も心配ですよね。
本間/普段から危機が起こることを想定してシュミレーションしておけばいいのです。今、愛知県の保健師が応援に来ていますが、いろんな勉 強ができると心底言っていますよ。1週間ではだめです。厚労省も若手を3ヶ月や半年こちらに送ってやらせてみたらいいと思います。東北だけでなく、台風で土砂崩れのあった和歌山県もあります。
―企業のボランティアも先を見越して、危機管理の視点からもしっかり被災地にはりつけるような派遣を考えることも必要なのかもしれませんね。支援もまだまだ必要ですね。当協会も、本当に必要とされているにも関わらず声が届きにくいものにアンテナを張って、それを伝え、支援をつなぐことを心掛けたいと思っています。
ありがとうございました。
聞き手
公益社団法人日本フィランソロピー協会
理事長 高橋陽子