No.350巻頭インタビュー

◆巻頭インタビューNo.350/2012年6-7月号
日本という国は、私たちの中にあるのです
長谷川 裕一(はせがわ・ひろかず)氏
株式会社 はせがわ 会長
長谷川裕一氏 <プロフィール>
1940年福岡県生まれ。1963年龍谷大学文学部仏教学科卒業。父が経営する長谷川仏具店に入社。1966年、株式会社長谷川仏壇店設立と同時に専務に就任する。1976年社名を「株式会社はせがわ」に変更。1982年に同社社長就任。2007年東京藝術大学に「お仏壇のはせがわ賞」創設。2008年 同社会長および社団法人日本ニュービジネス協議会連合会会長就任。2012年4月より公益社団法人日本ニュービジネス協議会連合会顧問。
東日本大震災を経験したあと、日本人のものの考え方、生きる姿勢の変化が指摘される。それにともなって、今、改めて生きる哲学としての仏教のあり方を再考する動きが、仏教界や既存の寺院をはじめ、これまでお寺とは縁の無かった一般の人にまで広がっている。自宅に安置し、仏像や位牌を納める仏壇は、家族のための祭壇であり、日本仏教の象徴でもある。この仏壇の家庭普及に大きな影響を与え、また自らも仏教的な生き方を貫く「株式会社はせがわ」の長谷川裕一会長に、改めて今の日本人にとっての仏教、求められる生き方の哲学をうかがった。
コントロールできるのなら欲は大きい方がいい
―今年(2012年)3月、東京証券取引所市場第二部に上場され、おめでとうございます。創業者で長谷川会長のお父様、故長谷川才藏さんもお喜びではないでしょうか。
長谷川/ありがとうございます。
―長谷川会長は子ども時代、かなり活発なご長男で、ご両親からは厳しくしつけられたとか。
長谷川/私は3歳までにジフテリアと百日咳で、2回生死をさまよいましたし、子ども時分はあまり体が強いほうではなかったんです。しかし腕白坊主で、捕まえられたら逃げ出すし、幼児期は野獣みたいなものですから、あの手この手で、子どもながらにサバイバルを考えていたんでしょう(笑)。そんな私を母は心配して、「卑怯なことをしたらいかん。逃げたらいかん。言い訳は言うな。弱い者いじめはするな。男は正義のために生きるんよ。母ちゃんはおまえが正義のために死ぬなら泣かんきね」と言い続けて私を育てました。
―「正義のために死ね」とは、お母様はサムライ魂を持っておられたのですね。でも、お母様が心底心配するくらいやんちゃなタイプだったんですね。
長谷川/母だけでなく、父も心配していたと思います。私はもともと非常に欲の深い性格で、たとえばうちにお客様が来られて私にお菓子をくださったら、父はまず仏様のところに持っていこうとします。私はお菓子を渡したくないから暴れて、取られてしまうとダーッとひっくり返って泣くんです。うしろに柱があれば、ちゃんとよけて寝転がる。本当に困った子どもです(笑)。まんじゅうを2つに割って、友達と分けなさいと言われた時も、父は大きい方を友達にやった。それで私は1日中、不機嫌でした。まず自分が大きいものを取りたい。「自分のものをなんで人にあげないといけないのか」という発想です。
すべてがこんな調子ですから、父は私の将来を心配しました。「こんなに欲の深い子どもでは、世間でみんなに嫌われる。利己主義はいかん」と毎日のように言い聞かせて育てたんです。おかげで私も小学3年生くらいになると、2つに割ったまんじゅうの大きい方を自分が取ったら、1日中気分が悪く感じるように変わりました。以来、いつも大きな方を友達にやるというのが私の基本になりました。私と一緒にいると損をしないから、友達もなにかやるときは私を呼びに来る。正義感も強いので、人が集まってきます。幼児の時からの母の教えで、なにか卑怯なことをやると体が硬直する。言い訳を言うと体が硬直する。理屈じゃなく、体が拒むのです。
―体にしみこませる。しつけの原点ですね。立派な息子に育って、ご両親もホッとされたことでしょうね。
長谷川/父が亡くなる2、3カ月前、病院に見舞いに行くと、父が私の顔を見て笑っているんです。「どうしたの?」と聞くと「おまえは欲が深くてよかった」と言う。「欲が深いから、まんじゅうでも大きな方を人にやれと毎日教えて、おまえは欲望をコントロールできるようになった。コントロールできるのなら、欲は大きい方がいいんだ」と言ってくれました。
明確なビジョンを持てば進む方向に迷わない
―やはり小さな時の教育は人の一生を左右するだけの大きな意味がありますね。
長谷川/あるべき姿がはっきりするとぶれないし、ビジョンが明確になるんです。また使命感があると動揺することもなくなります。
たとえば、こんなエピソードがあります。私は高校時代、生徒会長をやっていました。当時、学校は老朽化のために移転が決まっていて、校舎は取り壊しになる予定でした。どうせ壊してしまうので、生徒たちは校舎の掃除がいいかげんで、土足で上がる者もいたんです。しかし私は納得できませんでした。壊すからといって、校舎が汚れていて、いいものではない。ここからは何千人という先輩方が卒業し、社会に出て、活躍されている。尊い場所なのだから、校舎に最期のお別れをする時は感謝の気持ちを込めてぴかぴかに磨いてから壊していただくのが筋だと思ったのです。
それで、まず同学年に呼びかけて武道館に集まってもらいました。すると生徒会の招集なので、生徒たちはなかなか整列ができない。10分たっても20分たっても遊んでいます。それを見て、私は「自覚しろ!」と怒鳴って並ばせました。「先生が言って並ばんのはわかる。でも、俺は君たちが選んだ生徒会長ぞ。俺の言うことが聞けんのなら、もう生徒会長をやっていく自信はないからやめる。これから20分間、話し合え」と言いました。そして話し合った結果、掃除に協力するというのです。
―生徒会長の鶴の一声ですね。
長谷川/しかし現実は厳しいです。土曜に集まって掃除をすると約束し、実際に来たのは180人中30人くらいでした。その人数で一生懸命、窓を洗ったり、床を拭きました。その後もなかなかきれいにならないので、私は朝7時半に登校し、1人で掃除をやりました。3日であかぎれができて辛かったですね。でも、そのうちに風紀委員が見かねて手伝ってくれる。そうやって校舎は少しずつきれいになりましたが、まだ土足であがる生徒がいるんです。見かけるたびに「これ、靴を脱がんか!」と注意をしていました。
―正しい考え方で呼びかけても、やはり大勢の人たちを統率するというのは大変です。
長谷川/中でも一番辛かったのが、学校の番長のような男子生徒の存在でした。私が他の子を注意していると、「俺だけじゃない。シンちゃんには言いきらんと!」と反論された。つまり弱い者には注意をして、番長のように強い者には注意をしない生徒会長だと思われたんです。私はそれが悔しくて涙がぼろっとでました。
その瞬間、見ると番長(シンちゃん)が土足で校舎に上がっていたので「シン、脱げ!」と叫んだら、彼が「外に出ろ!」と言う。取り巻きがついてこようとしたのですが、番長は「来るな!」と言って、2人で校庭の先にある堤防の道を300メートルくらい歩いたんです。彼のほうがずっとケンカが強かったので、いつなぐられるかと思っていましたが、覚悟はできていましたし、何のためにやっているのかという強い気持ちがありました。あの時、彼が実際になにを考えていたのかはわかりませんが、ふと彼が立ち止まって私の方を向き、「俺にもメンツがあるきな」と言った。そこで私も「俺の立場も考えちゃんない(考えてくれ)」と言うと、お互いに腰を叩き合って、にっこり笑って学校に帰ったんです。
―生徒会長と番長が仲良く帰ってきたら、みんなはびっくりしますね。
長谷川/そうですね(笑)。それからは番長が自分で雑巾を持って掃除をするようになったので、当然、他の悪い連中も掃除をするようになり、校舎はきれいになりました。
私がなぜこんな若い頃の話をするのかというと、基本が大切だと考えるからです。ビジョンを描く、正しい決断と行動をする。その軸がぶれていないかどうかが重要で、 そこが決まっていれば、あとは本を読んだり、人の話を聞いて勉強すればいい。物事はすべてシンプルに考えることができるのです。
感謝し譲り合う共同体の文化
―長谷川さんが長谷川仏具店に就職された1963年に発生した三井三池炭鉱の大事故では458人の方が亡くなられました。その時に長谷川さんが取られた行動も、ある意味、非常にビジョンが明確で使命感がおありでした。
長谷川/11月9日に事故があり、その3日後に現地へ行きました。すると御遺体が体育館にずらりとご安置されているんです。そういう状況の中で、私は地元のお寺様にご相談し、ご遺族を訪問して、お仏壇をお勧めしたいと申し出ました。勝手に訪ねるわけにはいかないので、紹介してほしいとお願いしたのです。それで炭鉱の労務課長さんを訪ねたら「人の不幸を商売にするのか!」と怒鳴られました。しかし私は「なにをおっしゃるのですか。今、なにが大切か。犠牲になられた方々の尊い命を敬うことではありませんか? そして、その仏様をお祀りするお仏壇は、残されたご遺族にとって、何よりの心の支えになるのではないでしょうか」と思いを伝えました。それで理解してくださり、今度は労働組合の委員長を訪ねたのですが、また叱られました。でも同じように説得し、遺族名簿をいただいたんです。それで亡くなられた方の数だけお数珠とお線香を用意し、一軒一軒、当時新婚だった家内と一緒にお参りして回りました。
―ご遺族のご様子はどうだったのでしょうか。
長谷川/炭鉱で亡くなられた方は若い人が多く、奥様と小さな子どもたちが残されたんです。生まれて間もない赤ちゃんや、せいぜい小学生です。まだ補償金の話もまとまらず、この先の生活の見通しが立ちません。そういう方にお仏壇をお勧めするのです。
―その時期だと、なかなかお仏壇にまで心が行かないかもしれないですね。
長谷川/しかし私は、お子さん方のためにも、お仏壇が必要だと思ったのです。それで奥様にお話しました。
「これまではご主人と2人で子どもをお育てになっていらっしゃったでしょう。これからはお一人で育てるとは思わないでください。ご主人はお浄土に還られ、仏様となられて、いつも見守ってくださいます。そのご主人とご一緒に子育てをしているということを信じてください。お仏壇はお浄土の玄関だから、お仏壇に手を合わせれば、いつでもご主人とお話ができるでしょう。お子さんが通信簿を持って帰ったら、奥様がご覧になる前に『お父さんに見ていただきましょうね』と言って、お仏壇で報告させる。もし成績が悪かったら、手を合わせながら『お父さん、ごめんなさい。次はしっかりがんばって、お父さんに喜んでいただきます』と言う。そうしたら、きっとお父さんが声をかけてくれます。お父さんが『がんばりなさい』と言ってくださるから、『お父さんが守ってくれるから大丈夫だね。がんばろうね』と言う。そういう子育 てができるのです」と。
―今のお話は、日本人として心にストンと落ちますね。また東日本大震災で、長谷川さんは被災者の方々に小型仏壇と仏具セットを2,000基寄贈されています。
長谷川/社員が仮設住宅を回ってくれました。そうやって被災地を見て気づきますが、日本という国は世界の中にあって、他国とまったく違う。なにが違うかというと、世界の国はすべて個人主義です。日本は「おかげさま」「おたがいさま」の共同体文化です。ですから東日本大震災で、着るものも食べるものもなにもない究極の状況下で救助隊が来て、物資が届けられる。その時、決して我先にならない。自分も欲しいけれども、この先にはもっと困っている人がいるから、そちらへ行ってくださいと譲るのです。キリスト教でも他の宗教でも、まずは自分がいただき、それから分けてやる。しかし日本は自分が取る前に、どうぞと譲る。これがまさに仏教国たる所以だと思います。
お布施の感覚で社会貢献をする
―お話をうかがっていると、長谷川会長の行動のすべてに迷いがなく、まっすぐに進んでおられますね。
長谷川/迷うのはなぜか。それは自分を中心に考えるからです。自分の欲望、自分の煩悩。苦しみも悲しみも、ほとんどの悩みは自分から出ています。
―煩悩に苦しむ自分を客観的に見るのは大切で、同時に大変なことです。
長谷川/そうです。その時に仏教は重要な役目を果たします。なぜなら仏教は宗教ではなく、真理であり、宇宙の理法なんです。だから日本人は宗教心が薄く、外国人は宗教心がある。キリスト教徒はキリスト教というひとつのドグマを信じ、ユダヤ教徒ならユダヤ教というドグマを信じる。しかし仏教にはそれがないのです。だから日本人は仏教徒であるのだけど、普段は仏教を意識していない。一番極端なのはクリスマスを祝い、お寺で除夜の鐘を打ち、初詣で神社に行き、バレンタインにチョコレートを贈り、結婚式はキリスト教式であげる。そこにはなんの矛盾もない。これが仏教です。今回の東北の姿はまさに仏教的で、外国の人達から見たら、日本人の行動は完全に仏教徒のふるまいです。
―こういう時期だからこそ、改めて仏教を意識することに意味がありますね。
長谷川/仏教は偏らない心、こだわらない心、とらわれない心です。最初はなにもないところから始まって、どんどん膨張し続ける宇宙と同じで、広く広く、もっと広く無限に供給していく。決して減らないんです。
たとえば私たちが他人に愛情を注ぎ、親切にすると、愛は減るでしょうか。減りません。その上、愛情を注ぐほど相手が仕合わせになり、私たちも仕合わせになります。
一方でものにとらわれ、自分の欲望にとらわれると不自由になり、悩みがでます。あの人が上だとか下だとか、互いに比較して差別し、自分との違いを求めるから苦しいのです。
「おかげさま」という気持ちは相手をそのまま受け入れますから、格差のない世界ですし、感謝の世界です。人生の目的である悟りに近づいていくのですね。
―当協会では、個人の寄付文化を広げたいと思って活動しています。税金ではなく、企業にだけお願いするのでなく、個人が主体となって行動するということです。でも 20年間、活動していて、なかなかうまくいかない。でも日本人の感覚として「お布施」という言葉を遣うと、心がほどけ、執着が解かれる気がします。
長谷川/しかも布施はお金だけではないんですね。たとえば「床座施」は場所や席を譲る。「房舎施」は傘や宿を貸す。「心施」は優しい心、感謝の心で接する。「身施」なら、相手の肩をもみ、手を取ります。このように財産がなにもなくても、布施はいくらでもできるのです。
―確かに、こういう形での布施が広がれば、寄付も無理なく理解され、社会全体によい影響がでてくるように思います。仏教は、まさに真理なのですね。
また御社は、2007年に東京藝術大学において「お仏壇のはせがわ賞」を創設。文化財保存修復を専攻している優秀な学生たちを毎年顕彰し、その育成に力を貸しておられます。
長谷川/日本人の祈りの心が数多くの文化財、芸術を生み、それらを大切に保存修復してきたという歴史的な背景があります。優れた文化を残すというのは、社会的にも非常に重要なことだと考えています。
なにかのせいにした途端、私たちはダメになる
―今、私たちにもっとも必要な考え方はなんだと思われますか?
長谷川/私たちの社会は「おたがいさま」でつながった網の目のようなものです。そのどこかがほころびると、全体に影響し、ついには全部がほころびてしまうのです。そういう意味で一番大切なのは、個人個人の責任感です。
たとえば私は今、社長を弟に譲り、「株式会社はせがわ」を経営してもらっています。私は役員会には出席しても、意見はほとんど言いません。社長が私のことを意識せず、リーダーシップを発揮してくれることのほうが、はるかに重要で成果が大きいですから。社長は常に自己責任が取れる立場にしないとだめなのです。「会長がああ言うから、やってみたら悪かった。自分のせいじゃない」と社長が思った途端、会社は潰れます。社長が「人のせい」「社会のせい」「国のせい」と言い出したら、もう会社は駄目になります。
―自己責任の重要性ですね。これは私たち一人ひとりの問題でもあります。
長谷川/「あなたの会社はどこにありますか」と聞かれれば、答えは「私にあります」となる。良くも悪くも私です。社長のせい、同僚のせい、お客様のせいにするのは間違っているんです。それと同じように、「日本はどこにありますか?」と聞かれたらどうでしょうか。
―私たちの中にある。
長谷川/そうです。良くも悪くも「日本は私にある」のです。実は今、非常に胸を痛めていることがあります。「法律さえ守っていれば、なにをやってもいい」という、とんでもない考え方が世の中にまかり通っているのです。私たちは1,000兆円もの借金をしていますが、返済はすべて子どもたちがやるのです。たとえ法律に従ってやっていたとしても、赤ちゃんやこれから生まれてくる子どもたちの財産を奪ってよいのでしょうか。これは泥棒より酷いことです。みんな自分さえよければいいと思っている。これで子どもたちは先輩をお手本にできるでしょうか。
―おっしゃる通りです。自分たちの手でなんとかするという覚悟の問題ですね。
長谷川/だから私は声を大にして訴えています。私たちは政府のお役に立っても、できるだけ政府のお世話にはならないようにしようと。人間は何かに頼ると隙が生まれ、力が抜けます。だから何ものにも頼らない。国を食いものにせず、国のお役に立つ。この国は自分たちで守るんです。
―私たち一人ひとりが主体的に責任をもって社会づくりに参加し、問題解決のためにできることをする。これが私たちのめざすフィランソロピーの考え方ですが、まさに長谷川会長のお考えと共通しています。
長谷川/そうですね。私はまだまだ非力ですが、ひとつの社会活動として、この国のかたち、この国の誇りを正しく理解し、次の世代に伝えていきたいと思っています。
―力強いお話をありがとうございました。
インタビュー
公益社団法人日本フィランソロピー協会
理事長 高橋陽子