No.356巻頭インタビュー

◆巻頭インタビューNo.356/2013年6月号
「共感」から「信頼」へ ~行政と市民の「新しい協働」のかたち~
林 文子 (はやし・ふみこ) 氏
横浜市長
<プロフィール>
1946年東京都生まれ。1965年東京都立青山高等学校卒。
1999年ファーレン東京株式会社(現・フォルクスワーゲンジャパン販売株式会社)代表取締役社長、2003年BMW東京株式会社代表取締役社長、2005年株式会社ダイエー代表取締役会長兼CEO、2007年同取締役副会長、2008年5月日産自動車株式会社執行役員、2008年6月東京日産自動車販売株式会社代表取締役社長などを歴任。2009年8月より現職。
第30次地方制度調査会臨時委員、内閣府少子化危機突破タスクフォース委員、東京女学館大学客員教授。
これからの公益を担う役割は、行政だけではなく、企業にもあり、市民にもある。そういう視点から、改めて行政のあり方を考えるとき、横浜市の事例はひとつのターニングポイントともいえる。
今、大きな話題になっている待機児童の問題を、就任後わずか3年あまりで解決してしまったのが、林文子横浜市長である。長年、民間企業で培ってきたマネジメントの能力を行政の世界で遺憾なく発揮。市職員と市民の力を引き出す優れた手法と、一人ひとりを大切にする独自の発想についてお話を伺った。
市民の皆様と共感する関係を目指して
―林文子市長は、自動車販売のBMW東京株式会社をはじめ、様々な企業でトップを経験された華々しい経歴をお持ちで、まさにマネジメントの世界を知り尽くしていらっしゃいますね。
 私はちょうど10年間ほど、経営職を経験してきました。4つの会社で経営をやらせていただきましたが、どの会社もスカウトされて、経営職に就きました。どの企業も必ずなにか大きな課題があり、大変な状況でした。そういった特別な場合でなければ、外部から、トップとして女性を連れてくるなどということは、日本の風土としてあり得ないということだったのでしょう。
―ある意味、招かれざる客であったという形でしょうか。
そうですね。例えばオーナー社長のもとで延々と築かれてきた会社が、途中で経営難に陥り、資本が変わって外から人が入ってくる。そんな状況です。ですから、そこにいらっしゃる社員さんから見たら、戸惑いがあると思います。全然知らない人が経営のトップに来るのですから。
―2009年に横浜市長に当選され、民間出身の女性市長として初登庁されたときも、まさに似たような雰囲気だったのでしょうね。
 もともと新しい環境に入っていくことについて、ある程度は自分の中で覚悟がありました。すでに4つの会社でそういうことをやってきましたから。やはり市役所でも、最初はみなさん、「選挙で選ばれた、この人は誰なんだろう」というところから始まる。でもその点では、私の中には戸惑いはありませんでした。
―横浜市という行政の中に入ったとき、民間の世界とは異なる壁を感じることはありましたか?
 民間企業では営業部隊があり、何もないところからビジネスを起こしますが、役所はそうではありません。歳入は定期的に入ってきます。経済的な状況が悪ければ歳入も減りますが、国に影響される部分もあり、なんとなく他人事の感覚になってしまう。自分たちの責任で歳入が減っていくという感覚が薄いと思いますし、コスト意識は民間とは違います。ただし、それは職員の皆さんが悪いのではなく、そういう風土の中で仕事をしてきてしまったということだと思います。やはり歴史的に、民間の経営者をやってきた方々が、市長という職にはあまり就いていない。その辺りが意識の違いになっていったのでしょう。
―実際に市役所での仕事がスタートしたとき、どんなところから変えていかれたのでしょうか?
 まず感じたのは「相手に寄り添い、共に感じる」「共感する」ということが足りないように思いました。でも「共感」という言葉を役所で使うと、「共管」と誤解されてしまいました(笑)。
―なにかの事業について、たとえば横浜市が、どこかの省庁と共に管理をするというような意味ですね。
 そうです。でも私の言うのは管理ではなく、相手に寄り添うということです。市長に就任して間もない頃、内部の会議等で職員の皆さんが「市民が、市民が」という言葉を使うのを聞くとたまらない気持ちでした。「市民」と呼び捨てにすることがです。市民の皆様にお世話になっていると思っていても、そういう言葉が習慣になっている。口にしている本人もまったく悪意はありません。でも言葉は非常に重要だと私は思いますし、「『市民の皆様』と言いましょう」と言い続けました。「行政サービス」と簡単に言うけれど、サービスをするにはお客様がいます。私たちにとって市民の皆様がお客様なのです。当然「いらっしゃいませ」「ようこそいらっしゃいました」となります。これまでの市役所にはそういう感覚がなかったのです。
―今日、横浜市役所に入って来たら、職員の方々が明るく「いらっしゃいませ」と声をかけてくださって。すごく新鮮に感じました。まさに市長の薫陶ですね。
 お客様に対してですので、それが当たり前です。職員の皆さんも自然と言えるようになりました。
―役所の職員の方々は、民間の人たちとどうつきあっていいのか、戸惑っているのかもしれませんね。
 これは当然なのですが、行政は非常にコンプライアンスが厳しい場所です。ですから市の職員の皆さんは、民間の人の中に入っていくのは非常にリスクが高いというような気持ちを強く持っていたようです。そして、いつの間にか内側にこもって「向こうから申し出があったら聞きます」というスタイルになったのでしょう。実際、私たちは批判される対象ですから、どうしても身が縮こまり、一歩を踏み出さなくなります。私は、その意識を変えることをやってきました。「自分から市民の皆様のところに出ていって、ニーズを聞き取る」という発想が重要です。
揺るぎない方針で待機児童ゼロを実現
―現在、都市部を中心に保育所などに入れない待機児童が問題になっています。横浜市も、かつて待機児童数で全国ワースト1になったことがありました。ところが今年(2013年)4月時点での「限りなくゼロ」が見えてきました。大変な実績ですね。※
 待機児童の問題の重要性は、どの自治体も認識していて、なんとかしなければと思っています。しかし施設を拡充しても、それによってますます保育希望者が増え、いたちごっこになり、待機児童数ゼロという目標は達成できないのではという漠然とした感じも持たれています。でも民間の発想でいうと、必ず「目標値」がありますから、私は「待機児童を限りなくゼロ」にすると、はっきり掲げたのです。
―横浜市は待機児童ゼロに向けて、認可保育所のほか、市が一定の基準を設ける横浜保育室、家庭で少人数の子どもを見る家庭保育福祉員、幼稚園での預かり保育、そして各区に「保育コンシェルジュ」の配置など、様々な方法を駆使しておられますね。
 待機児童をなくすという目標に向かって、あらゆる人たちを巻き込んで進めました。保育施設の拡充も、民間の力を入れてきました。横浜市では、株式会社と有限会社が運営する保育園は全体の約%ですが、こういう自治体は稀です。社会福祉法人でなければダメという自治体も多いようですが、それでは待機児童の問題は解決できません。
―これからの公益を担うのは行政だけでなく、民間企業も個人も関わっていく必要があると思います。そのコーディネイト的な役割が行政に求められているのですね。
 その通りです。コーディネイトという仕事を、横浜市役所の職員とともに取り組みましたが、こんな優秀な人たちはいません。私は本当に嬉しくてワクワクしながら働きました。もちろん仕事の内容は非常に厳しいです。けれども、これだけの人材がいるのですから、実行できないことはないと思いましたし、やってみたら、ほぼ実現したんです。「私はこのようにやります。大丈夫ですよ。揺るぎなく、こういう方針でいきますから頑張ってくださいね」と、プロセスの間、ずっと声を掛けていましたから、職員の皆さんも安心して実践できた部分があったかもしれません。/div>
―市長の本気が伝わったのでしょうね。
 公務員の皆さんは入庁するときに「全体の奉仕者としてがんばります」という趣旨の宣誓書に署名します。税金をお預かりする以上、当たり前のことですが、でも、まさにその通りの方々です。これは市民の皆様のためになると思ったら、徹底してやってくれるのです。こういう素晴らしさをより活かすために、オープンな気持ちで民間の方たちと交わりながら仕事をすることを、もっともっと自覚していただけばより良くなると思っています。
行政と企業を連携させる仕組みづくり
―横浜市には「共創フロント」という仕組みがありますね。行政と民間がコミュニケーションをとり、新しい事業機会を創出し、社会的課題の解決を目指していく。まさに、これからの日本社会に必要な取り組みだと思います。
林文子市長(右)と高橋陽子理事長 私も大変すばらしい仕組みだと思います。これまで行政の仕事は行政の中だけでやっていた感がありましたが、今後の行政の役割は、いわば「旗振り」です。私たちは市民の皆様の一生にかかわり、一生の暮らしをお守りしています。そしてまさに360度、横浜市全体を俯瞰できる立場にあります。一方、民間の方々はそれはできない代わりに、時代の変化や住民ニーズを敏感に感じ取り、迅速かつ柔軟な対応ができます。ですから、民間の方々からいただいたお申し出を、最適な場所へコーディネイトし、結びつけることで、公的サービスをより充実することができます。
―年に何度か「共創フォーラム」を開催して、企業やNPO、様々な立場の人が集まり、対話と交流を行ってるのですね。
 はい、そうです。成功事例をプレゼンテーションさせていただいたり、人と人をお繋ぎすると、それがもとで商談になることもあります。例えば先日、横浜市薬剤師会の方々から、緊急時の災害時用医薬品について、素晴らしいご提案をいただきました。これまでは市内146か所の地域医療救護拠点に薬の備蓄をしていましたが、この方法では、期限が切れた薬は廃棄しなければならず、非常にもったいなかったのです。今回、この方法を見直し、薬の在庫を薬局内で持ってくださるようになりました。期限が切れる前に使いながら、ストックをする。そして、いざ災害が発生したら、薬剤師の方々がリュックサックに医薬品を詰めて、背中にしょって、走ったり、自転車に乗ったりして休日急患診療所などの各区の医療活動拠点に届けてくださる。私も実際にそのリュックを持ってみましたが、かなり重かったです。
―全市の薬剤師さんがネットワークしてくださるのですね。
 各区の医療活動拠点から2キロ以内の所にある薬局の方が連携してくれています。いざというときにどんな薬が必要なのか、薬剤師さんはよくわかっていますし、薬の効能もご存じです。我々がただ薬を備蓄するだけでは、ここまではできません。しかも、これで廃棄する医薬品が減り、費用の節約にもなります。
―これまではストックが一つの価値と思われていましたが、それをフローにすることによって、そこに人の心も入り、人の力も入ってくるのですね。
 その通りです。私は経営者をやっていましたから、その発想が強く出たと思います。また民間の方と協働しながら、仕組みとして受け入れる姿勢が、市役所の側も自然と身についてきました。私は市の職員の皆さんに「これからの行政は営業マインドを身につけないとダメだ」と絶えず話をしてきましたから、本当にみんな営業職のようになりました。
人々の心のあり方が社会を支えていく
―市長のおっしゃるとおり、市民は「お客様」でもあるけれど、一方で、自らの責任を自覚し、自分たちから「いい市を創る」ことを目指していくことも必要だと思います。
 そういった市民の皆様の力を引き出すには、やはり行政側の人間が自分から外へ出ていって、「皆様のお力をお貸しください」という気持ちをアピールし続けることが大切だと思います。私自身、いろんな場所に出て、アピールしています。また市民の皆様が一緒に取り組める政策を出していくのも大事です。例えば前市長が30%のごみの減量をやる、という政策を提案したとき、市民の皆様はびっくりされたと思います。でも自治会、町内会の力がめざましく、地域で一緒に取り組んでくださって、40%を超えるごみの減量が可能になったのです。結局、活動の核になるのは、自治会、町内会などの地域の方々と、地元の役所とのコミュニケーションです。現場でいかに人と人が顔を合わせて話をしているかが勝負です。制度や仕組みを作れば、それで解決したように思うかもしれませんが、実際はそうではありません。結局は人の心です。
―確かに、こういう時代だからこそ、個と個が繋がることがよりいっそう大事になってますね。
 そうです。市民の皆様には、自治会、町内会の活動にぜひ参加していただきたい。横浜市では、市民活動や市民ボランティアの拠点として「市民活動支援センター」を設置しています。市民活動に対する相談や情報提供、人材の発掘、育成もやっているので、地域貢献をしたいと思う方には、いろいろ勉強する機会があります。
―市民と行政がいろんな形での協働を行い、成功事例を増やしていくことが大事ですね。
 特に今後、増加し続ける高齢者の方を見守る活動などは、地域住民の方しかできないことで、連携は本当に大事です。
また横浜市内には大学が28校もあるのですが、ここでも今、横のネットワークを作っています。様々なイベントを行ない、市との連携事例も増えています。
―横浜市のあり方を見ると、まさに企業から個人、学校まで、あらゆる立場の人が幅広く行政と関わっていくという道筋が見えてきますね。
 企業、NPO法人、大学、自治会、町内会、市民活動団体の皆様とお互いに知恵や工夫を出し合う。限られた資源の中で、これまで以上に連携して、行政や社会の課題の解決に取り組んでいくことが、より必要になると私は思っています。民間の皆様と行政が対話することによって、質の高い公共サービスの提供ができます。それと同時に、民間の皆様にとっては新しいビジネスチャンスを作り出すことにもなります。
やり続けることで結果は必ず出てくる
―横浜市長に就任されてもうすぐ4年、いよいよ今年、任期満了ですね。この4年間はいかがでしたか。
 中期4か年計画を作って、今はその総仕上げをやっています。就任以来、「共感」と「信頼」という言葉をずっと言い続けてきました。というのは、行政の中にはそういう言葉がほとんどなかったからです。ただ「信用しろ」とだけ言っても、決して信用はしてもらえません。まず「共感」して、相手に寄り添って、初めて「信頼」が生まれる。行政にはなかったそういうステップを創っていこうとしています。
―従来の行政には、「共感」をし、相手に寄り添おうとする、その手法がなかったのかもしれませんね。
 私はずっと車のセールスの仕事をしていましたから、その部分では徹底的に勉強してきました。例えば、何度通っても、車を買ってくださらないお客様もいらっしゃる。その時には結果がでないかもしれません。でも人間関係が築けますと、お客様は買わないことで、セールスマンになんとなく借りを作った感じになります。その後、絶対にいいことがあります。その人が買わなくても、他の方を紹介していただけるとか、一生懸命にやったら、やっただけのことが返ってきます。
―ただ、結果が出るまでに時間が掛かりすぎて、めげてしまうことはないですか?
 それはないです。私は18歳から仕事をし続けていますが、一生懸命やったことには必ず答えが出ます。例えば車のセールスをしていた頃に私が担当したお客様で、非常にクレー市民と交流(横浜女性ネットワーク会議にて)ムの多い方がいました。難しい相手でしたが、私は黙って、ひたすら尽くました。気まずいことがあっても、次の日には何事もなかった顔をして「こんにちは」とお訪ねすることをやり続けました。それから年経って私がBMWの社長になったとき、その方がわざわざ会いに来てくださいました。「ごめんね、あの頃、僕はストレスが強くて怒鳴ったりして、本当に申し訳ないことをしました」とおっしゃって、新車をご祝儀で買ってくださった。これまでも、そのような経験がたくさんあります。
―そういうご経験を通して、市長は「おもてなしの行政サービス」を推奨されているのですね。
 そうです。「いらっしゃいませ」「ありがとうございます」、そして、「雨が降ってきたので、お足元に気をつけて」とひと声添えてくださいと職員に言い続けてきました。そして、その取り組みが結果として表れてきました。毎年、横浜市内の全18の区役所で、窓口満足度調査を行っています。「窓口の応対はいかがでしょうか」「書類の記入が難しいということはないでしょうか」など、様々な設問にお答えいただくのですが、昨年(2012年)11月末の調査では「やや満足」「満足」を合わせて96.6%となりました。
―行政が市民に寄り添い、市民が行政に対して抱く「信頼」が厚くなれば、行政からの「力を貸して下さい」「一緒にやりましょう」というメッセージも、心にすんなりと伝わります。日頃こんなに親切にしてもらっているのだから、次は自分が行動しようという気持ちになりますね。
 私を含めて、市民の皆様は毎日を感情をもって生活しています。ですから我々が会議をやって、規則を作り、ロジックで固めても、市民の皆様には私たちの考えがなかなか伝わりません。暮らしにもっとも身近な市役所、そして現場の最前線であるの区役所こそ、地域の皆様に寄り添っていくことが大切なのです。批判し、叩き合うのではなく、相手に共感し、信頼関係の中で協働するという風土作り。そして市の職員はもちろんのこと、市民の皆様にあるお力を見極めて、それぞれの強みを引き出すのが、トップである私の役目だと思っています。
―民間でのキャリアを遺憾なく発揮なさって、それをカタチにしておられるご様子がよくわかりました。私どもも、セクターをつなぐ役割を積極的に担っていきたいと思います。本日はありがとうございました。
インタビュー
公益社団法人日本フィランソロピー協会
理事長 高橋陽子