巻頭インタビュー/No.381
<プロフィール>
谷川洋氏
 
たにがわ・ひろし
1943年福井県生まれ、東京大学経済学部卒業後、丸紅に入社。鉄鋼・企画部門を振り出しに 業務推進部長などを経て、芙蓉航空サービス役員、2004年AEFA設立、認定NPO法人アジア教育友好協会(AEFA)理事長
 
巻頭インタビュー No.381
世のため人のため、東奔西走する熟年の生きがい人生
認定特定非営利活動法人アジア教育友好協会
理事長
谷川 洋
社会に対して恩返しをしたいと、退職を機に、認定特定非営利活動法人アジア教育友好協会(以後AEFA)を設立した谷川洋氏は、アジアの国々の山岳地帯に住む少数民族のために学校を建設し、現地と日本の子どもたちとの国際交流を推進する活動を行っている。右肩あがりの時代を駆け抜けた猛烈商社マンから、アジアと日本の次世代育成に夢をかける猛烈NPOマンへと転向した同氏に、その第二の人生について語っていただいた。
60歳、第二の人生をスタート
― AEFAを始められて、何年目になるのですか?
谷川 (2017年)6月15日で13周年を迎えました。出発点では、一生に50校できればと思っていましたが、すでに250校を超え、今年は270校になります。
― 270校! すごい数です。ドナーはどのような方々ですか?
谷川 個人の方も法人もいらっしゃいます。最近ですが、個人では、お子さんがいらっしゃらない年配の女性が、恩返しをしたいと連絡してこられます。法人は、オーナー企業が多いですね。利益だけが目的ではないことを社員に伝え、共通の目的を持つことができて、社員教育になるからと利用されます。そういう経営者は、リピーターになってくださいます。
― 谷川さんは、17年前、奥様を亡くされた大きな悲しみのなかで、リタイアしたら人生を切り替えよう、お兄さんとの約束を果たそうと思っていらしたそうですが。
谷川 戦後3年、まだ5歳だったころに、福井地震 で自宅が全壊。下敷きになった次兄とわたしは、奇跡的に助かった経験があります。多感な中学時代になると、その兄と「助かったのは天命だから、世のため人のためになる人間になろう」と誓い合い、兄は医師に、わたしは商社マンに。直接世のため人のためになるという意味では、兄に引け目を感じていたので、いつかはやるぞと思っていたことがあります。
【福井地震】
1948年(昭和23年)6月28日発生。震源は福井県坂井郡丸岡町(現坂井市丸岡町)付近。直下型地震、M7.1。
― そしてリタイアなさったら、日本財団から「アジアで学校づくり」をする人はいないかと声がかったのですね。経験のない「教育」分野で、ハードルを感じませんでしたか?
谷川 両親と一番上の兄と姉も教師ですから、教育には身近なものを感じていました。父は常々「教師は誰に対しても、同じ目線でものを言える。こんな職業はほかにない」と言っていて、先生になりたいと思ったこともありました。
― まさにフェアネスですね。お父様のその言葉が、谷川少年の心に沁みていた。
谷川 それと、わたしの子どもたちが小学校でいじめを受け、教育の在り方について考えていたので、なにかできることがないかという思いもありました。
徹底的な現場主義
― そして活動開始。自宅を事務所にするや、現地調査に飛び出されたわけですが、村を訪ねるときはスーツにネクタイ。相手に対して服装で敬意を表したのですね。その律義さ、大切ですね。
谷川 日本の学校建設支援から漏れている地域を探し、タイ・ベトナム・ラオス・中国・ミャンマーの山岳地域の少数民族を選びましたが、どんな村でも文化への誇りがあり、同時に貧しさへの恥もあります。そのときに、こちらが上から目線ではいけない。対等に、相手の誇りをいかに大事にするかが、第一歩です。向こうは、かなりびっくりしてましたけど(笑)。
【写真】メッセージを書きこんだ鯉のぼりを手にしたベトナムタンホアA小学校の子どもたち。東日本大震災の被災地の学校へ、寄付とともに届けられた。
― 出されたカエル・蛇・猿・バッタの料理をモリモリ食べて、倒れるまで歓迎のお酒を飲んだそうですが、現場での手ごたえはどうでしたか?
谷川 一番感じたことは、村に入りこんで何度か話し、一緒に作っていかなくちゃダメだということです。最初に村人から「学校なんかいらない」「字が書けることで、いいことがあるのか」と言われたときに、単にお金をだして学校を建設し、渡すだけではいけない。魚をあげるのではなく、漁り方を教えなくてはと感じました。
― はじめから難しい状況でしたね!村人は公用語ができないとか、大人の9割が読み書きできないと、谷川さんも お書きに なっていました。学校建設より前に、教育の意義を理解してもらわないといけなかったのですね。
著書「奔走老人」(ポプラ社, 2016年発行)
谷川 どうしたら学校が必要だといえるのか。そこで思いついたのは、「学校は村のための最大の守りになる」ことです。
 実は、その前に経験がありました。別の村で、村人が、学校建設地の木をただで切らせたと嬉々としていたのですが、実は、高価な木に目をつけた悪徳商人が、ただで木を持っていったとわかりました。無知に付け込まれて大損したわけです。教育があれば、搾取するやつは来ない。そう言うと納得しました。
― 現場だから、わかることですね。
谷川 同時に気づいたのは、「学校はいらない」とか「女の子は家で手伝わせたほうがいい」というのは親父たち。そもそも男尊女卑で、集会には男しかいません。しかし、お母さん方は、自分自身、字が書けないことが悔しく恥ずかしいから、子どもには学んでほしいと思っています。子どもを思う母心は、父親の何十倍ですから、村人集会にお母さんを入れると、はじめて集会が変わりました。
― 素晴らしいです。そこに気づくとは、えらいです(笑)。
谷川 現地パートナーのNGOが、徹底的に自由にさせてくれたことも大きいですね。
― どのように探されたのですか?
谷川 自分で、地域に根差したNGOを探しました。一方で、わたしたちの理念に沿うNGOに育てる義務もあります。
 欧米系のNGOに慣れていると、学校を作ればいいで終わってしまう。それでは、お金を出してくださるドナーに対する責任が果たせません。学校を建設し、自立させ継続させていくことが、理事長の責任ですから。現地の人たちのやる気と参加を確認してはじめて、ドナーさんからの寄付を約束する。これはAEFAの活動理念です。
― お聞きしていると徹底的な現場主義の商社マンであり教育者。いままでのすべての経験は、無駄ではないということですね。
生きていることの幸せ
― アジアの村での体験は、谷川さんご自身にとっては、どうだったのでしょうか?
谷川 6、70年前の田舎を思い出し、むしろなつかしかく思いました。ゆったりとした時間、子どもたちの目の輝き。知らないうちに忘れていたことです。それが、なぜなくなったのか、悲しくなりましたね。
― 心の中に原風景があったと。
谷川 改めて「幸せ」とはなにかと考え、「生きていることそのものだ。単純だが、これこそが大切で、人と比較するうえでの幸せじゃない」ということを、日本の子どもたちに伝えたいと思いました。
 AEFAは、住民参加の学校建設と、日本の学校がフレンドシップ校となる国際交流がミッションです。その一環として、現地の子どもたちの様子を伝える出前授業を始めて、これまでに610回やっています。近年は、年に100回くらいでしょ うか。
― すごい数ですね。
谷川 わたしやうちのスタッフ、交流校の校長OB、お手伝いくださる方みなさんでやっています。上から目線でなく、子どもたちが薪をとりに行ったり、小さな弟を連れて学校に来ていることなどを話します。
 「アジアの子どもたちは、小さいときから能動的に生きています。みなさんは、物質的な豊かさのなかに、大事なことを失いつつあるんじゃないかな」というと、子どもたちは「このままではアジアの子に負けちゃう。もっと生きる力を持たないといけないぞ」と気づきます。
― 現場のお話ですから、なによりも説得力がありますね。
谷川 日本の子どもたちは、たくさんの情報を持っているけれど、間接話法に過ぎないので情報が通り過ぎてしまいます。ところが、わたしたちが、自ら取ってきた情報を自分の言葉で伝えると、その手触り感には、訴える力があります。
 話していると、子どもたちと視線が合い、見ていることがわかります。先生方は、それがうらやましいと言いますよ。
― いま、日本の学校の先生が疲弊していると感じますが、先生を勇気づけ、元気づけることにも、つながるといいですね。
谷川 そうできればと、先生も一緒にアジアへ行くことを勧めているんですよ。
 山岳地域の学校では、家の遠い一年生が、勉強するために寮に入ります。すると、おねしょはするし病気にもなる。先生は全部面倒をみています。その彼らの頑張りに感銘を受けて、日本の先生自身が熱血に変わるという例があります。子どもたちに本当に信頼されてみて、教師は聖職だと実感できるのではないかと思います。そこへ、どうもっていくかですね。
― そこに、さまざまな経験をしたシニアの役割がありそうですね。
「アジアの子ども」から「アジアの友だち」にかわるとき
― AEFAでは 国際交流 のほかに、子どもたちの寄付による学校建設「ワンコイン・スクール」という活動を行っておられます。子どもたちが自主的にお手伝いをしたり、漢字を勉強したり、何かを我慢して貯めたお金(基本的に1回 10円で500円〈ワンコイン〉貯まると寄付する)で学校を建てるという、子どもたちの気づきを行動に結ぶ、素晴らしい活動ですね。
【写真】アジアの子どもたちのメッセージが書きこまれた鯉のぼりを受け取った飯舘村小学校(3校)の子どもたち
【国際交流】
建設したアジアの学校と日本の学校で姉妹校提携を結び、フレンドシップ校として互いを知り、交流を深める。手紙や絵、壁新聞などを作り、AEFAスタッフが直接届けて橋渡しする。
谷川 始めるときは、学校の協力を得ることが難しく大変でした。学校は、基本的にお金に関係することはやりにくく、子どもたちから「やりたい」と、言い出したことで実現できました。
 2007年に、仙台の小学校のイベントで出前授業をして、ラオスの小学校建設予定の村の話をすると、「何かしたい」と思った子どもたちから、イベントの収益金が学校建設資金として贈呈されました。これが「ワンコイン・スクール・プロジェクト」となり、全国の小中学校に広がりました。
― いま、どのような学校が実施していますか?
谷川 神奈川県の鎌倉学園中学校・高等学校があります。生徒が集めた寄付で、来年3月に、開校式を迎えます。
 一昨年の3月ですが、同学園の修学旅行で、アメリカ・ヨーロッパと、アジアへ行くグループがあり、アジアのグループからボランティア活動ができないかと相談がありました。そこで、生徒25人で建設した学校を訪ね、村人や子どもたちと学校の整備をしたのです。それが評判を呼び、翌年はもっと人数が増えたので、3年の分割払いで、学校を一校作ることになりました。先日の資金集めの学園祭では、1万人以上が来場したそうです。
― 東日本大震災のときには、アジアの子どもたちから寄付が届いたそうですね。
谷川 ベトナムの子たちが一生懸命募金をしてくれました。現金がないので、鶏やお米を持ってきたり。そのときに、わたしが日本の鯉のぼりを持っていたので、うろこ1枚1枚に、子どもたちの応援メッセージを書いてもらって持ち帰り、福島に届けました。
― 子どもたちの素直な思いに大人は圧倒されますね。学校はどれくらい建ったのですか?
谷川 5校です。子どもが「自分たちは大事なものを忘れている」と気がつくと、「アジアの子どもたち」という中立的な表現が「アジアの友だち」になり、「友だちのために、なにかをしたい」という気持ちに変わります。その瞬間が、この活動の醍醐味ですね。
― まさに「受益者は日本の子どもたち」とおっしゃっていることですね。子どもたちの気づきの力、まっすぐな気持ち、「勝れる宝子に及かめやも」ですね。
ジジババ応援団と嬉し涙製造所
― AEFAの活動は、村の住民の意識を変え、子どもたちの心を成長させています。さて、シニアにとってはいかがでしょう?
谷川 わたしがアジアの山奥の村で感じた喜びを、熟年のみなさんにも味わってほしいと思い、「ジジババ応援団」を作っています(笑)。AEFAには250の現場がありますから、10校を任せるので、年1回、子どもたちや村の様子をアップデートする巡回派遣員になりませんかと、声をかけています。
― 学校の里親のようなものですね。反応はどうですか?
谷川 まだまだ一歩を踏み出せない方が多いようです。
― 谷川さんは、第2の人生の達人のロールモデルだと思うのですが、ある意味、特別な方と感じられる方も多いと思いますが、そういう方にアドバイスをお願いします。
谷川 たくさんのドジを踏んだからできたんですよ(笑)。ドジを踏ませてもらえるのは、それだけチャンスをもらえること。それと、まっすぐに自分を全部出すこと。失敗してもいい、辛いときは辛いといえばいいのです。
― そこが、日本のシニアの方々には難しい。心のハードルでしょうか。
谷川 その通りです。まさに名刺を捨てる気持ちです。これをやりだしたときは、ずっこけもしたけれど、なにをやっても楽しかった。
 海外に一緒に行った方は、夢中になります。観光旅行ではない、知らなかった世界で、ハートとハートの交流を経験するのですから。
― 視察旅行も、やっていらっしゃるのですか?
谷川 商社や旅行会社のOBなどをリクルートして、スタディツアーにチャレンジしようと思っています。「嬉し涙製造所」の実施ですね。いまのところ、ドナーさんで開校式に参加した方が嬉し涙を流していますが、そのほかの方たちも、嬉し涙を流せるような仕組みを作っていきたいと思います。
 もうひとつは、ご自分の仲間で学校建設や国際交流をしませんかというもので、始めるに当たっては、AEFAの仕組みを全部お貸しします。それが次のステップかなと考えています。
― 嬉し涙製造所は、生きがいとなる第2の人生製造所ともいえますね。
谷川 協会の頭文字AEFAは、アジアに「A明るい E笑顔を F振りまき A歩く会」。笑顔は気持ちよく、人を結びつけます。明るい笑顔で生涯現役。熟年は老人ではないのですから、笑顔で一緒にやりましょう。
― 生きていることへの感謝の気持ちが、谷川さんを突き動かしているのだと思います。その命を使い切ること、「使命を果たす」意味が伝わってきました。シニアよ、与えられた命、使い惜しみするなですね。谷川さんは、死ぬまで頑張るとおっしゃっているので、ずっと長生きして、奔走し続けていただきたいと思います(笑)。
 今日はありがとうございました。
インタビュー/
公益社団法人日本フィランソロピー協会
理事長 高橋陽子
 
(2017年6月20日 認定特定非営利活動法人アジア教育友好協会事務局にて)

 

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