機関誌『フィランソロピー』

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機関誌382
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No.382
 
2017年10月号
特集/
 
健全な民主主義を育てる図書館の役割

巻頭座談会 (記事全文をご覧いただけます。)
 民主主義の砦としての図書館…
 松岡 享子 氏
 公益財団法人東京子ども図書館 名誉理事長
 永井 伸和 氏
 株式会社今井書店グループ 代表取締役会長

特別寄稿 (記事全文をご覧いただけます。)
 図書館はフィランソロピーと民主主義の原点
 神代 浩

 東京国立近代美術館長

元気な社会の架け橋
 
 鳥取県立図書館
 公益財団法人東京子ども図書館
 国分寺市内藤地域センター 図書室
 寿町総合労働福祉会館 図書室


米国ポートランド寄稿
 
 コミュニティを活性化する「知のインフラ」

リレーコラム(第10回)私のフィランソロピー
 毛受 敏浩
 公益財団法人日本国際交流センター 執行理事
 第352回定例セミナー のご参考として、記事全文をご覧いただけます。)

連載コラム(第56回)富裕層「あ・い・う・え・お」の法則
 増渕 達也
 株式会社ルート・アンド・パートナーズ 代表取締役社長

リレーコラム(第7回)学校から考える社会貢献
 チャリティーリレーマラソンを通した学びが生きる教育展開
 本田 雅隆
 熊本県高森町立高森東学園義務教育学校 教頭

見たこと聞いたこと
 「DIALOGUE IN SILENCE ~静けさの中の対話~」に参加して
 東洋大学「ソーシャルビジネス実習講義」に協力


Others
 PHILANTHROPY BOOK REVIEWS
 JPA PHILANTHROPY TOPICS
 編集後記

 
 
巻頭座談会/No.382
民主主義の砦としての図書館
公益財団法人東京子ども図書館 名誉理事長
松岡 享子
株式会社今井書店グループ 代表取締役会長
永井 伸和
 
図書館について、人の豊かな成長のために、また、人の成長を促す地域の発展のために、それぞれの場で先駆的な役割を果たし続けてきた松岡享子氏と永井伸和氏に、図書館の魅力と可能性について語ってもらった。
図書館の本質と司書の役割
<プロフィール>
松岡享子さん
 
まつおか・きょうこ
1935年兵庫県生まれ。神戸女学院大、慶応大を卒業後に渡米。ウェスタンミシガン大学大学院で児童図書館学を学び、ボルティモア市立公共図書館に勤務。帰国後、大阪市立中央図書館勤務を経て1974年、石井桃子氏らと財団法人(現公益財団法人)「東京子ども図書館」を設立。2015年まで理事長、以後名誉理事長。
著書に「子どもと本」(岩波新書)、「なぞなぞのすきな女の子」(学研プラス)、訳書に「くまのパディントン」シリーズ(マイケル・ボンド作、福音館書店)など多数。英米児童文学の翻訳、創作、評論など多方面に活動する。
<プロフィール>
永井伸和さん
 
ながい・のぶかず
株式会社今井書店グループ代表取締役会長。1942年鳥取県生まれ。早稲田大卒。家業を継承し、傍ら1972年境港市内で児童文庫を開設し、県内各地に次々と文庫を誕生させる。「地域図書館」と「地方出版」の重要性を訴え、シンポジウム、討論会・講演会を開催。1987年県全体を巻き込んだ本の国体「ブックインとっとり 日本の出版文化展」開催。1995年「本の学校」を開設し、出版人の養成と地域の生涯学習の場を提供。2012年特定非営利活動法人に。1991年サントリー地域文化賞を受賞。共著書に出版ニュース社「いま、市民の図書館は何をすべきか」
― 健全な民主主義に何が必要かと考えると、一人ひとりが自立した市民になるために、だれもが利用でき、いつでも学ぶことのできる図書館の役割は、大きいと思うのですが。
永井 「図書館の自由に関する宣言(図書館は、基本的人権のひとつとして知る自由をもつ国民に、資料と施設を提供することを もっとも重要な任務とする)」と、その精神を貫く専門的な職務集団として、図書館員の倫理綱領が作られています。市民国民の知のインフラとしての図書館。しかし、多くの人にそこまでの意識はありません。図書館界では、みんなが利用しているという錯覚に陥りますが、「図書館とは何か」ということを理解している人は、2割以下ではないかと思います。
松岡 人は、自分自身の存在に安心感を持ち、社会に貢献することができれば、幸せなのではないでしょうか。子どもの教育では、その幸せな状況に向かっていけるよう働きかけます。一番よい人間の在りようが記録されているのは、本です。本により、人間のイメージをプラスにできるよう、子どもには楽しい本をたくさん読んでほしい。それが、わたしどもが図書館を運営している理由です。
いっとき、図書館の数や蔵書の予算が増え、図書館を取り巻く状況は、よくなりそうだと思ったのですが、指定管理者制度が始まってから、混乱している感じがしますね。
― 手段としての経済的なことが、目的化しているのが20世紀の負の遺産だといえますが、図書館も、経済や効率化という流れに振り回されているということでしょうか。
永井 そういうことに一番なじまないのは図書館。公共教育機関ですが、官僚主義でもなく、社会の空気にも流されないために、司書の専門性が重要です。
― 図書館司書は、国民一人ひとりの「知る権利を保障する」という重い任務を持っているのに、日本では認められていない気がします。
松岡 アメリカでは、学部を卒業した人が、大学院の図書館学科で専門に勉強して、ライブラリアンの資格を取ります。図書館では、専門職と一般職は区別され、読書の相談、選書、読書普及の活動は専門の仕事。その職務に継続して携わり、他の行政の部署に異動することはありません。日本では図書館で働いていた人が、税務署などに異動させられたりします。自分の知識や経験を蓄積し、成長する機会がないのです。
― 司書は、生涯教育に携わるという意味でも、専門職の最たるものなのですね。
松岡 図書館はスパンの長い仕事をします。2、3年で異動していたら、長期的な方針を立てたり、選書方針に従って蔵書を成長させたりできません。図書館の大事な仕事をするためには、働いている人が勉強をして、見識を持って経験を積まないと、図書館の将来に希望が持てないと思うのです。
― 市民の働きかけによって公共図書館が設置されてきたアメリカの図書館には、まだまだ学ぶところがありそうですね。松岡さんはその洗礼を受けられた先駆者です。
松岡 慶応の文学部図書館学科でアメリカの公共図書館について学び、留学。実習として図書館に就職しました。それが、アメリカでも屈指の図書館でした。
― まさに図書館の真髄を学ぶ場。
松岡 その図書館は、家庭では本など買ってもらえないような、経済的に恵まれない人たちのいる地域にありました。子どもたちがサンダル履きでやってきて、本を取ると、バージニア・バートンの「ちいさいおうち」だったり、H・A・レイの「おさるのジョージ」だったり。図書館員が選んだ、極め付きの良質な本を手にする。図書館がなかったら、その子たちは、本に接することができなかったし、本を読んでもらい喜びを感じる機会も、与えられなかったでしょう。学校に行けない人がいても、勉強する気持ちさえあれば、図書館は全面的に支援してくれます。知的、教養的格差が広がらないように、図書館が支えているのです。
永井 わたしもアメリカで学校図書館と図書館を見学し、目からうろこでした。職員の位置づけが非常に高く、図書館を社会のセイフティネットとして大事にしていました。
開かれた図書館を目指して
― 松岡さんはアメリカと大阪で司書をされ、ご自分でつくった「松の実文庫」、石井桃子さんの「かつら文庫」、ふたつの土屋児童文庫が母体となり、1974年に「東京子ども図書館」を設立されたのですが、石井さんと松岡さんは 「私のお師匠さ ん」だと永井さんが言われていますが、その心は?
永井 わたしは小学校のとき、担任の先生が読んでくれた石井さんの「ノンちゃん雲に乗る」が大好きで、それが楽しみで学校に行っていたものです(笑)。その石井さんの岩波新書「子どもの図書館」に啓発されて、当時設立準備中だった東京子ども図書館を紹介していただき、松岡さんのご指導で、1972年のクリスマスイブに、境港市で「麦垣児童文庫」を始めました。
― それでお師匠さん(笑)。今井書店さんは明治5年創業。初代は医者で私塾をしながら、本屋を始めたとうかがいました。まさに地域貢献の精神を引き継いだ永井さんですが、文庫活動を始められたのは?
永井 1972年に、今井書店の創業100年を記念した地元紙の座談会で、「市立の図書館をぜひとも」と見出しに書かれたことがきっかけです。その中で、三代目今井兼文が「県立と市立図書館の違いすらまだ理解されていない。文化的な関心 が低い」と言っています。その見出しの提案が、使命のように感じられました。当時、鳥取県には市立図書館はひとつもなく、県立の鳥取図書館、米子図書館と分館がありました。それが図書館だと思っていたわたしは、図書館について勉強し、児童文庫を始めました。
― 文庫活動で、気づいたことは?
永井 子どもの居場所としての役割と、県立図書館だけでカバーすることの限界です。
松岡 子どもは行動範囲が狭いので、歩いて行けるところに、読書の施設があることがとても大事なのです。永井さんやわたしどもが文庫を始めたころは、県立図書館などの大きな図書館は、ほとんど子どもを対象にしていなくて、全国の図書館で、子どものために係を置いて、サービスをしていたのは、3分の1くらいではないでしょうか
永井 文庫を始めた翌年に、NHKブックス「図書館の発見」がでて、わたしは「公共図書館」を知りました。感銘を受け、それを機に県内に児童文庫を広げていく過程で、身近に図書館がほしいという運動へと発展。そのころ県でも、県立だけの図書館では限界があると方針が変わり、両方がマッチして、市民運動と行政の両輪で、市町村に図書館をつくろうと動き始めました。
― まさにグラスルーツで広がっていったのですね。一般の人の意識も変わりましたか?
永井 人の意識を変えることは簡単ではありませんから、広く県民に関心を持ってもらおうと、児童文庫活動をしていた人たちと、社会実験のイベントをやりました。実行委員会を作って、県民市民の手で模擬的な図書館を作る(事務局は書店組合)。それが1987年の「ブックインとっとり 日本の出版文化展」です。鳥取、倉吉、米子でのリレー開催で、3万5千点の出版物を集め、手作りでの多様な展示、ミュージカルやシンポジウムまで。出版で地方から地方へネットワークを広げようと「地方出版文化功労賞」を制定したのも、そのときです。本年(2017年)10月29日(日)には、鳥取県立図書館で、第30回の表彰式と記念シンポジウム「(1)韓国へ広がるブックイン (2)地方出版と ブックイン のこれから」(※)を開きます。
― いまでこそ図書館イベントも盛んですが、実に発想が自由でしたね!
図書館と出版社の関係
松岡 永井さんが、いつも出版社と読者をつなぐ接点のところで仕事をしていらっしゃることは、大事なことだと思います。出版と図書館は、手を取りあって進まなければいけないはず。例えば、図書館大会という図書館協会の集まりには、アメリカだと出版社がたくさんのブースをだし、出版界と図書館界の合同会のようです。アメリカやイギリスの児童図書館員と、出版社の児童書担当編集者は個人的に大変親しいけれど、日本では、一緒に集まって何かをするとか、個人的に親しくなるという機会が少ないですね。
永井 最近では、風潮が変わってきましたが、縦割り社会の問題というか、頂を高くするためには裾野を広げなくてはいけない。その共通意識を共有できないところが課題です。
― アメリカでは、なぜ図書館と出版の協力関係が生まれたのでしょう。
松岡 理由のひとつは、図書館が購買力として大きな力を持っていることです。図書館が、出版社の出した本を買う割合が大きくて、特にクオリティブックスといわれる質のよい本では、最初は、書店の店頭売り7、8割、図書館2割ほどですが、出版してから年数が増えるごとに、図書館の買う割合が増えて、最終的には8割ぐらいになる。そうなると、出版界も図書館の動向に敏感になるし、図書館側もよい本をだしてもらうために、出版社を支えようと思うので、そこでよい関係が生まれます。
永井 日本は、先進国のなかでは、公共の教育費にかける予算規模が最低のほうだし、国が地方交付税という形で予算を組んでも、それを活かさない悪循環があります。
地域の市民が支える図書館と民主主義
― 図書館には、司書の位置づけや予算規模など課題がありますが、市民の知る権利を保障する図書館の本質、民主主義における図書館の役割の理解が、進まないのはなぜでしょうか。
永井 行政が、いまの形にしているのは、市民の責任でもあります。民主主義は、一人ひとりが学ぶことを前提にしないと本物にならないし、定着しないですね。
松岡 1970年代から、図書館の数が増え、サービスが行き届くようになったので、図書館をありがたいと思っている人の数は増えたと思います。でも、その人たちが、図書館を支える力になっているかというと、危ういのではないでしょうか。 読みたい小説が無料で借りられるから嬉しいとしか思わない人が、多いかもしれません。
図書館が、自分や子どもに役立ち、地域の知的水準を支えるために必要だと思えば、予算削減や職員の異動に反対するなどで、市民が図書館を支えるようになればいいのですが、まだ、なかなかそこまではいかないですね。
永井 図書館をどのように位置づけるかが、国の未来を占うバロメーターだと言えます。大きな潮の変わり目なので、イメージを共有し広げることが、図書館にとっても、地方自治にとっても、民主主義にとっても大事な時代です。
わたしが鳥取県の社会教育委員だったとき、鳥取県立図書館を鳥取県立中央図書館という名前にする話がありました。そのときに、「中央」という言葉を取ってもらった。なぜなら、第一線に市町村立図書館があり、第二線に県立図書館があることが本位。県立の目的は、市町村の図書館を支援することが第一義です。国があって県があって市があるという上下の関係を逆転させる、そのモデルが図書館です。
― そこが、民主主義の具現化、図書館の真価ですね。
永井 それを可能にするためには、地域で学び、地域を結ぶ参加型ネットワーク社会が、必要だと思っています。この国の形である大都市中心の「縦」の関係を逆転させたいと、図書館の振興では基礎自治体での設置を、出版では、地方出版文化功労賞の事業を30年続け、いまやソウル中心主義の韓国でも、この活動が広がっています。
地方創生といいますが、上から束ねるのではなく、地域からの自発的内発的な立ち上がりの環境をどう整備するかと考えると、図書館の果たす役割は大きいと思います。
松岡 図書館は、そのために最適の場ですが、そこに、地方で物事を興していく人を支える人がいないと、物事も動かないのではないかと思います。鳥取県では、片山善博さんが知事でいらっしゃったときに、司書は司書として採用し、本人が希望する限りは異動させず、研鑽を積んでよい図書館員になってもらうことが必要だとおっしゃっていました。
永井 その片山さんに、教育委員に任命されたのですが、そのとき全国に先駆けて、県立高校の職員として正規司書を公募しましたが、優秀な人たちが集まりました。司書職ですから県立図書館との入れ替わりもあり、その人たちが、県立図書館の第二第三世代として育っています。一方、基礎自治体は各市町村によって温度差があり、それは市民が声をあげていかないと変わらない。
― 永井さんご自身が民間の経営者で、県や司書の在りようを考え、実践していらしたのはすごいです。
永井 やんちゃ坊主で、言いたいことを言いましたが、主語はいつも「永井」ではなく、「永井は球拾い」。歴代の知事の後押しがあったこともあります。行政から役を受けている方がたくさんいると思いますが、その方たちには、参加した以上、積極的に発言してほしいですね。
松岡 日本では、図書館に匹敵する数の子ども文庫があり、何十年も活動している人がいます。民間で蓄えたノウハウを、行政に活かせる道が開けるといいと思います。
― 松岡さんが、「東京子ども図書館」をつくられたのも、完全に民間で実現した社会実験。40年以上継続されて、そのご努力の源泉をうかがえたように思います。
松岡 日本の社会に、子どもの読書のことを考え、何かをしたいと思う人たちが、一定数、地層のような形でいらっしゃるから、存続できていると思います。その人たちの助けになる情報を提供したり、活動したりしていけば、支えられるという信念は、43年で培いました。
いまの世の中、ネット情報を操作されたら、社会が一気に一方に傾むいてしまうのではないかと怖いですね。本からくる情報で、自分の考えや感覚を養う人がある程度いないと、社会が健康でなくなるんじゃないかと心配です。
― 図書館は、情報の真偽を確かめ判断できる人を育て、民主主義の質を高める場所なのですね。
松岡 土台ですね。学校教育は義務としての機関ですが、図書館は、赤ちゃんとしておなかにいるときから、生きている長い間の自己教育機関。自発的に学びたい人を援助するほか、やりたい気持ちを起こさせることも図書館の役割です。その意味で、大事な生涯に渡る教育機関ですね。
― では最後に、本に関わる今後の抱負などを。
松岡 本は先人の生きてきた経験の蓄積だと思います。わたしなど、自分で考えたと思っていることも、実は本によって養われた、そのおかげで今日のわたしがあるのだと、最近とみに感じます。ですから、わたしが益を受けた源である本に、子どもも近づいてほしいし、そこから何かを得てほしいと願う気持ちが強いですね。ただ、子どもが本を読むのは、義務でも勉強でもなく心底楽しい経験だからだと思うので、その楽しさを、子ども時代にできるだけ味わってほしい。子どもが本に見せる反応を見ると、本には子どもを楽しませる力があると確信します。そこに自分の軸足を置いて、仕事をしていきたいと思います。
永井 師匠の言われた言葉につきますね。自分という存在が、何でできているかといえば、人との出会い、本との出会い。そのことを考えるほど、わくわくするような楽しさを感じて、それを広げてほしいですね。紙とか電子を超えて、本質的なものだと思います。
― 図書館の役割と本質をうかがい、改めて健全な民主主義の実現を目指す当協会も、市民一人ひとりの自立と社会参画を推進してまいりたいと思います。
どうもありがとうございました。
【ききて】
公益社団法人日本フィランソロピー協会
理事長 高橋陽子
 
(2017年9月12日 当協会会議室にて)
 
 
<プロフィール>
神代 浩氏
 
かみよ・ひろし
1962年大阪市生れ。1986年東京大学法学部卒、文部省入省。在米国日本大使館参事官、文部科学省生涯学習政策局社会教育課長、文化庁文化財部伝統文化課長、科学技術・学術総括官兼政策課長を経て、2017年4月より東京国立近代美術館長。ビジネス支援図書館推進協議会理事。
特別寄稿/No.382
図書館はフィランソロピーと民主主義の原点
東京国立近代美術館長
神代 浩
図書館に対する関心と無理解
近年図書館をめぐる様々な話題が新聞、テレビなどで報じられることが増えてきた。施設の老朽化に伴って新たな図書館を建設する動きが各地で起きたり、ツタヤに代表される、これまで図書館とは無縁と思われていた民間企業が図書館経営に参入したり、これまでのイメージと異なる図書館像が打ち出されたりしていることがその要因であろう。
そのような事情は思わぬところにも影響を及ぼしている。例えば、落語。私の大好きな落語家、立川志の輔師匠は2014年に「モモリン」という新作落語を披露している。ある架空の市の市長がゆるキャラの「モモリン」のかぶり物を軽い気持で付けてみたら脱げなくなってしまい、大騒ぎになるという話である。実はこの落語の重要な伏線として、市長が悲願としている図書館建設が、一人の地主の反対で実現できないという事情が盛り込まれているのである。
世間の動きに敏感な落語家のネタに登場するほど、人々の図書館に対する関心は高まっていると言っていいだろう。しかし、その一方で図書館に対するイメージは、いまだに「無料で本が借りられるところ」にとどまっている。多くの自治体では「子どもや高齢者の娯楽のために税金を使うのはいかがなものか」とばかりに図書館の資料費(図書購入費)が削減されている。
その一方で、後述する住民の課題解決支援に奮闘している図書館も全国各地に広がっている。しかし、そのような図書館に対して以下のような歌を詠む人もいる。
図書館はハローワークのようになり「起業・自立」の本が並びぬ
(2016年1月4日付朝日新聞「朝日歌壇」馬場あき子選第一首)
選者は「近年の図書館の開架式書棚には第一首の指摘するような本がかなり増えている。ハローワークという比喩に今日的なきびしい状況がみえる」という解説を付けている。
資料費を削減する自治体職員も、図書館をハローワークに喩える住民にしても、図書館に対する無理解という点では共通している。せっかく関心が高まっても、このような状況では、図書館は本来の役割を果たすことはできない。
図書館本来の役割
では、図書館の本来の役割とは何か。昭和25年に制定された図書館法第三条には「図書館奉仕」と題された条文がある。やや大仰な表現だが、現代風に言えば「図書館サービス」ということである。「図書館は、図書館奉仕のため、土地の事情及び一般公衆の希望に沿い、更に学校教育を援助し、及び家庭教育の向上に資することとなるように留意し、おおむね次に掲げる事項の実施に努めなければならない」という本文に続き、第一号から第九号まで事項が定められている(全文は末尾参照)。
この中で「無料で本を貸し出すこと」に相当するのは第一号である。様々な資料を収集して「一般公衆の利用に供すること」と規定されている。
つまり、世の大多数の人が考えている図書館の役割は、図書館法に定められた図書館サービスのごく一部に過ぎない。では、他にどのようなサービスが定められているのか?特に注目してほしいのは第三号と第六号である。
第三号には「図書館の職員が図書館資料について十分な知識を持ち、その利用のための相談に応ずるようにすること」とある。いわゆるレファレンス・サービスのことを指している。図書館でほしい本や情報が見つからないときには職員に聞けばよいのである。
また、第六号には「読書会、研究会、鑑賞会、映写会、資料展示会等を主催し、及びこれらの開催を奨励すること」とある。図書館所蔵の資料を活用して、様々なイベントを開催するということである。
図書館法上の図書館、すなわち地方公共団体の設置する公立図書館と、日本赤十字社又は一般社団法人若しくは一般財団法人の設置する私立図書館は、上記のサービスを全て提供することが努力義務とされ、実際に大半の図書館が提供している。問題はそのことを多くの国民が知らず、本を借りる以外のサービスをあまり利用していないことにある。
なぜ利用されないかと言えば、図書館側の広報宣伝がまだまだ足りないからである。今世紀に入って以降、この状況を改善しようと多くの関係者が努力を重ねてきた。それが冒頭に紹介した「関心の高まり」という一定の成果につながっている。
ビジネス支援図書館推進協議会と図書館海援隊
では、手前味噌と言われるのを承知の上で、これまで図書館関係者が図書館本来の役割を国民に理解してもらうべく重ねてきた努力の典型例を二つ紹介したい。
一つ目はビジネス支援図書館推進協議会(以下「BL協議会」)である。BL協議会は2001年に図書館関係者、図書館情報学・経営学の研究者などにより設立された。ニューヨークの公共図書館などで当たり前のように提供されているビジネスマンや起業家向けの情報提供・相談サービスを参考にしながら、我が国の図書館においても同様のサービスを普及拡大することを目的として、調査研究や人材育成などを行っている。ビジネス支援と聞くと大企業の金儲けを図書館が支援するのか?と誤解されそうだが、BL協議会のウェブサイトには、次のように書かれている。
「図書館の持つ冊子情報源やデータベース等を活用すれば、市民の起業とNPOやSOHOを含むマイクロビジネス等の創業を喚起し、また、地域経済の担い手である中小企業やベンチャービジネスの支援を行うことが可能となります。これにより、地域における創業の増加と中小企業の活性化を図ることができ、図書館は、地域経済の発展に寄与することができます」
すなわち、ビジネス支援の対象は我が国の企業の99%以上を占める中小企業や非営利団体など多岐にわたる。彼らの活動が持続的に発展するために、企業の信用情報を集めた本、業界の動向を収集・分析したデータベース、業界紙など、一企業や個人では高価で購入できない資料を揃えて利用できるようにしたり、中小企業診断士を招いて図書館の資料を活用しながら経営相談会を開催したりするサービスが全国の図書館に広がりつつある。
これらのサービスを支える人材を育成するのが、ほぼ毎年度開催されているビジネス・ライブラリアン講習会である。これまでに講習会修了者は300人を超え、全国各地で活躍しているだけでなく、図書館サービス全体の向上のため、活発な交流を続けている。
二つ目は、私が文部科学省の社会教育課長時代に発足させた「図書館海援隊」である。リーマン・ショックの影響で職を失った人々に対する支援として始まった年越派遣村に違和感を覚えた私が、「失業者向けに図書館としてできることはないか?」と呼びかけ、これに応えた有志の公共図書館で結成したネットワークである(詳細は 末尾の拙著 参照)。
図書館海援隊は、ビジネス支援の発想をさらに拡張し、あらゆる人々がおよそ人生で遭遇するであろうあらゆる課題に対し、その解決を支援するのが図書館に不可欠なサービスの一つであるとの認識を共有し、様々な取組を進めている。失業者だけでなく、がん患者とその家族向けの支援コーナーを設けたり、Jリーグのクラブチームと連携して地域活性化の応援をしたりしている。
実はそのような取組を現場でリードしている司書の多くは、ビジネス・ライブラリアン講習会修了者である。
BL協議会や図書館海援隊の活動を見て、多くの図書館関係者や自治体関係者が現代社会における図書館の役割を再認識し、図書館の機能強化が地方創生など地域の課題解決に大きな効果を発揮することに気付き始めている。そのような人々が、これまでのイメージを打ち破る、新しいタイプの図書館づくりに挑戦しているのである。
「健全な民主主義社会」の実現に図書館は不可欠
日々生きていく中で何か困難な課題に直面したら、まずは図書館へ行く。図書館には世の中のあらゆる事柄に関する本や資料を揃えているから、その中に必ず課題を解決するために有益な情報がある。それを自分で見つけられればよいが、見つからなかったら司書に聞く。司書は図書館資料の専門家である。あなたが求める情報を見つけるお手伝いをしてくれる。医療や法律など、専門家の力を借りねばならない場合でも、あらかじめ図書館の資料で学習しておけば、その後の相談もよりスムーズに運び、課題の解決を早めることができる。
もし、あなたの直面する課題が、資料から得られる情報だけで解決しないもの、すなわち社会の制度に関わるものであったらどうするか?法律や条例などを改正すればたいていの課題は解決するはずである。では、法律や条例を改正するにはどうすればよいのか?あなたと考え方を共有できる人を国会議員、自治体の首長や議員に選ぶか、自身がその地位に就くことである。
公益社団法人日本フィランソロピー協会では、企業フィランソロピーを中心に活動しているものの、個人フィランソロピーを健全な民主主義を創出するための原点と位置付けておられる。そして、個人が「より良い社会創造のために自ら考え、課題解決に向けて行動する」ことを推奨しておられる。
課題解決に向けた行動として、だれでもいつでもどこでもできることの一つは、自ら考えるための情報を得ることである。と書くと誰しも「インターネットで調べられる」と思うだろう。しかし、全ての情報がネット空間にアップされているわけではない。ネットにない情報はどこにあるのか?図書館にある。
全ての人々が自らの課題解決に必要な情報を得られるようにするためには、全国各地に豊富な資料を揃えた図書館が整備され、そこに優秀な司書が安定した条件で雇用され、どこに住んでいても図書館の資料にアクセスできなければならない。
そして何よりも、税金を使ってそのような環境を整え維持することについて地域住民のコンセンサスが成り立っていなければならない。そのためには、住民がそのような考え方の首長及び議員を選挙で選ばなければならない。
図書館を生かすも殺すも、私たち一人ひとりの考え方次第である。
 
(参考)図書館法第三条
 
(図書館奉仕)
第三条 図書館は、図書館奉仕のため、土地の事情及び一般公衆の希望に沿い、更に学校教育を援助し、及び家庭教育の向上に資することとなるように留意し、おおむね次に掲げる事項の実施に努めなければならない。
一 郷土資料、地方行政資料、美術品、レコード及びフィルムの収集にも十分留意して、図書、記録、視聴覚教育の資料その他必要な資料(電磁的記録(電子的方式、磁気的方式その他人の知覚によつては認識することができない方式で作られた記録をいう。)を含む。以下「図書館資料」という。)を収集し、一般公衆の利用に供すること。
二 図書館資料の分類排列を適切にし、及びその目録を整備すること。
三 図書館の職員が図書館資料について十分な知識を持ち、その利用のための相談に応ずるようにすること。
四 他の図書館、国立国会図書館、地方公共団体の議会に附置する図書室及び学校に附属する図書館又は図書室と緊密に連絡し、協力し、図書館資料の相互貸借を行うこと。
五 分館、閲覧所、配本所等を設置し、及び自動車文庫、貸出文庫の巡回を行うこと。
六 読書会、研究会、鑑賞会、映写会、資料展示会等を主催し、及びこれらの開催を奨励すること。
七 時事に関する情報及び参考資料を紹介し、及び提供すること。
八 社会教育における学習の機会を利用して行つた学習の成果を活用して行う教育活動その他の活動の機会を提供し、及びその提供を奨励すること。
九 学校、博物館、公民館、研究所等と緊密に連絡し、協力すること。
 
(参考文献)
 片山善博・糸賀雅児「地方自治と図書館」(勁草書房)
 菅谷明子「未来をつくる図書館」(岩波新書)
 猪谷千香「つながる図書館―コミュニティの核をめざす試み」(ちくま新書)
 岡本 真・森 旭彦「未来の図書館、はじめませんか?」(青弓社)
 神代 浩「困ったときには図書館へ~図書館海援隊の挑戦~」(悠光堂)
 
 
<プロフィール>
毛受敏浩さん
 
めんじゅ・としひろ
慶應義塾大学等で非常勤講師を歴任し、現在、自治体国際交流総務大臣表彰選考委員、新宿区多文化まちづくり会議会長、未来を創る財団理事を務める。著書に『人口激減-移民は日本に必要である』、『異文化体験入門』、『地球市民ネットワーク』など。
第10回 私のフィランソロピー
毛受 敏浩
公益財団法人日本国際交流センター 執行理事
フィランソロピー活動には、分かりやすいものと、分かりにくいものがあります。前者は、理解されやすく企業の支援も得られやすいもので、その例として「子どもの貧困」があるでしょう。一方、後者は理解が進まず、支援も得られない。私が取り組んでいるのはまさに後者で、それも従来、タブー視されてきた「移民政策」というテーマです。
こうしたテーマを掲げると、個人的にネット右翼に厳しく攻撃されることもあります。ではなぜ、あえてこうしたテーマに取り組むのでしょうか?
それは、長年の国際交流の経験から、外国人との接触によって、多くの日本人が啓発を受け、日本のよさを見直す絶好の機会になると考えるからです。外国人が定住することで、単に、労働力を確保できるだけではなく、日本人自身にも大いに刺激となり、閉塞感を打破するきっかけにもなるでしょう。
日本の将来には、人口減少という大きな暗雲がかかっています。今後、人口減少は加速し、2020年代の人口減少は620万人、30年代には820万人、40年代には900万人と、東京の総人口に匹敵する人口減少が、十数年ごとに繰り返される未来が、目の前に迫っています。政府は地方創生、一億総活躍、働き方改革など、次々に新方針を打ち立てましたが、肝心の人口減少は止まる気配がありません。
日本が危機に瀕しているのであれば、一過性の国際交流に留まらず、親日国から、有能で日本語がある程度できる若者を段階的に受け入れ、彼らに定住の道を開き、日本の若者と、ウインウインの関係ができるような受け入れ策を構築する。それが将来にわたり、日本の持続性を維持する唯一の方法でしょう。巨大な負債を抱えた日本では、人口減少がこのまま続けば、国家破たんの可能性も出てきます。
筆者は、公益財団法人日本国際交流センターの活動として、10数年前から、多文化共生や外国人定住化に向けての政策提言というテーマに、取り組んできました。今年(2017年)6月に出版した『限界国家』(朝日新書)では、堺屋太一氏に序文を寄稿いただき「本書は、長期にわたりこの国が繁栄するためのよい導きの書となるであろう」という評価をいただきました。
元警察庁長官の国松孝次氏らとともに「定住外国人政策研究会」を行い、賛同者も徐々に増加してきました。タブーや無理解を乗り越えて、ここまで活動を続けてきたのは、日本の近未来への強い危機感があったからです。未来を切り開くアクション、それは、フィランソロピーの究極の姿かもしれません。
機関誌『フィランソロピー』2017年10月号/No.382 おわり