巻頭インタビュー/No.388
<プロフィール>
山田洋次さん
 
やまだ・ようじ
映画監督、脚本家。1931 年生まれ。国民的大ヒット映画「男はつらいよ」シリーズ(全49 作)ほか、『幸福の黄色いハンカチ』『学校』シリーズ『たそがれ清兵衛』『おとうと』『東京家族』『母と暮せば』など数々の名作を生んでいる。日本アカデミー賞最優秀監督賞3度のほか、国内外での受賞多数。2012年に文化勲章受章。2019年に50周年を迎える『男はつらいよ』のシリーズ50作目となる新作映画の公開が発表された。
 
2018年10月6日からBSテレ東にて、毎週土曜日夜6時30分より『男はつらいよ』全49作品が放送される。
 
表紙
機関誌『フィランソロピー』
No.388/2018年10月号
巻頭インタビュー/No.388
理性的な努力が人間関係を深め 家族をつくる
映画監督・脚本家
山田 洋次
映画監督の山田洋次さんは、渥美清さんとの名コンビで、日本中に笑いと心温まる想いを届けた代表作「男はつらいよ」シリーズをはじめ、数々のヒット作品を発表し、国内だけでなく、世界でも高い評価を得る日本を代表する映画監督。その山田監督が、時代や背景は異なっていても、常に映画のなかで描き続けるのは「家族」だ。
 
次作映画のクランクイン直前で多忙なスケジュールの山田監督を、2018年9月11日、東京・東銀座の松竹株式会社にある監督の部屋に訪ねた。
人間について考える
― 1969年に始まった寅さんの「男はつらいよ」シリーズは、全49作品。寅次郎と異母妹のさくらと、それを取り巻く人たちが、さまざまな騒動を経て絆を深めていく物語です。そのなかで、さくらさんは家族や地域をつなぎ、みんなの心のかなめとなる存在ですね。
山田監督(以下敬称略) 人生を大事に生きている、丁寧に生きているといいますか。それは、女性の得意なことではないでしょうか。男は大味なところがある。だから男は、女性のそこに惹かれる。
 太古の昔から、男は動き回って獲物を取ってくる役で、女は待っていて、子どもを育てるという形がありました。だから、男は力が強くて、女を守るというのかな。しかし、力が強いからといって、偉いわけではない。対して女性は柔軟で優しい。それは特性です。むしろ、補い合うということではないでしょうか
― それぞれの役割りがあるということですね。
 それで思い出したのが、「母べえ」です。吉永小百合さんが演じた母佳代の危篤の病床で、娘が「戦争中に獄死した『父べえ』に会えるね」と言うと、佳代が、「あの世でなんか会いたくない。生きてる父べえに会いたい」と言った場面がありました。佳代は再婚もせず、子どもたちのために頑張ってきた人ですね。
山田 生身の女性として、どんなに寂しく暮らしたかということです。彼女が寡婦を貫いたことが、偉いということではないんです。ほんとは寂しかったと、最後に娘に告白したんですよ。
― 人間を描くときには、いろんな感情、側面があるのですね。夫が獄死したことへの悔しさ・無念さのほうに、目が行ってしまいました。
山田 人間は面倒くさい存在だから、常に人間について考えることをし続けなくてはいけない。そのために、映画もあれば、芝居も小説もあるわけです。
 ぼくの両親は、ぼくが高校生のころに離婚しているんです。まだ中学生だったぼくの弟は、かなり傷ついて、それが生涯トラウマになっていた。その話を、瀬戸内寂聴さんにしたことがあります。すると、「ひとりの女が幸せになることで、誰かが被害を受ける。そんなことはあるのよ」とおっしゃるんです。「そういうことなしに、ぬくぬくと幸せになれるわけはない」と。
 あなたは、お母さんが離婚を諦めて、仲の悪い夫と一生暮らせばいいと思うのかと問われて、「そうか、人間はそういうものだな」と思いました。
― 一筋縄ではいかないと。
山田 一人が幸福になるために、誰かが傷つくことはある。これはどうしようもないことで、それが人間なのだと受け入れて、その辛い思いに耐えて生きていくことなのでしょうね。
― お母さまについて、監督自身はどう思われたのですか。
山田 高校生だったぼくは、理性の上では、愛情の消えた夫婦が、夫婦であり続けることはおかしいから別れるべきだと考えるのだけれど、それが自分の両親となると、簡単には受け入れられない悲しみがある。理性的に考えることと感情は一致できないものだと、そのときは苦しかったですね。
― お母さまと、その後は?
山田 おふくろは再婚しましたが、晩年はぼくが面倒をみました。最後には、「お前たちには迷惑をかけたけれど、わたしは後悔してないよ」と言いましたね。
― その言葉を聞いたときに、どう感じられたのですか?
山田 子どもたちへの罪の意識は、重かったんだなと思いました。懸命に自分に言い聞かせていた言葉でしょう。ぼくは、母親が問題なく死んでいく人よりも不幸だとは思わない。この人は、人生を深いところまで歩いたんだと考えています。
― 映画「学校」のなかで、夜間中学の子どもたちが、幸福について話す場面がありました。みんなの境遇は、決して幸せじゃないけれど、幸福ってなんだろうと。
山田 答えなんか出ないんですよ。考え続けることが大事なのでしょうね。
― そのなかで、田中邦衛さんが演じた、字も書けなかったイノさん。都会で孤独に暮らしていて亡くなりますが、彼の幸福は、あの夜間中学にあったのでしょうか。
山田洋次著「悪童 小説 寅次郎の告白」講談社
山田洋次監督の初の小説。映画では描かれなかった寅次郎の少年時代を赤裸々に描く。愛すべきキャラクターである「寅さん」の様々な秘密がついに明らかに。2018年9月発行
山田 竹下景子さん演じた田島先生にラブレターを書いたとき、彼は幸福だったと思います。
 寅さんの第5作目「望郷編」だったか。制作して2、3年したころ、当時新宿に3本立てで観られる地下の映画館がありました。東映のやくざ映画や、日活ロマンポルノ映画と一緒に寅さんもやっていて、それを観に行ったことがあるんですよ。
― えー!目立ちますね。
山田 いや、わかりませんよ(笑)。休み時間に、ビニールの切れたようなソファのあるロビーで、タバコを吸っていたら、見るからに浮浪者のおじさんがそこにいたんです。
「おじさん、寅さん観てたの?」というと、
「ああ、観たよ」
「よかったかい?」
「とってもよかった」
 どんなところが印象に残っているかと聞くと、
「家族みんなが集まって、寅の就職の心配をしてやるところだ。寅はいいなあ。あんな家族がいるからな」
 ぼくは、このおじさんは、寅さんを自分の身内のように思ってくれているんだなと思い、同時に、その浮浪者の孤独を感じました。
― ほかに、自分を気にかけてくれる人もいないし、自分が気にかける人もいないということですね。
 横浜の寿町で「おんな赤ひげ先生」と呼ばれる佐伯輝子先生のお話をうかがったことがあります。家出してきた人は、一旗揚げてから帰ろうとか、もう少し稼いでから戻ろうと思っている。先生は、3年から5年以内に帰りなさい、電話しなさいと言うそうです。稼げないことは十分わかっていて、許してくれている。帰っていらっしゃいと言ってくれる。でも、10年経ったら、向こうにも新しい生活ができてしまう。だから、見栄を張らないで帰りなさいと言うのだと。でも、それができない人が多い。
 それにしても、ご自分で映画館にいらっしゃるんですね。変装して行くんですか?
山田 そんなことはしないけれど(笑)、よく行きますよ。映画館で観るのはDVDとは違いますから。
― 監督は、映画のなかで、こうした社会から取り残されている人たち、置き去りにされているような人たちにも、目を向けていらっしゃいますね。
山田 カッコいいヒーローが活躍する映画など撮ったことがないですね。人間は、常に失敗をする存在なんだよというのが喜劇です。代表的なのがチャップリン。失敗ばかりしている男です。ホームレスで仕事もなくて、みんなにバカにされている。その男を懸命に見つめる、なおかつ笑っちゃうというのが、喜劇なんです。
― 自分にも同じところを感じて、笑うんでしょうか?
 
映画「男はつらいよ」50周年プロジェクトのポスター
公式サイト:https://www.tora-san.jp/50th/
山田 共感の笑いです。馬鹿にしているのではなく、人間はみっともないということを認め合う。お前もみっともないけど、おれも相当みっともない。それに気がついたところで、少し進歩できるんじゃないかと思います。
家族であるための努力
― 家族について、監督が書いていらしたことで、「知的な努力」という言葉がありました。家族は、自然のままにしていれば愛情あふれるわけではなく、努力が必要だと。
山田 人間には、血がつながった人たちが一緒に生きているだけの長い時代がありました。それが近代になって、人間関係がシビアになってきます。支配関係ができ、雇用する側と雇用される側ができて、貧富の差が生まれた。そのなかで、さまざまな苦しみが生まれる。血がつながっているからといって、家族は愛し合っているのではない。ずいぶん酷い家族もいる。ほんとの親子兄弟でありながら、口もきかない家族も。
― なぜ、そうなってしまったのでしょう。
山田 家族が家族であろうとする努力をしないから、努力をしようと旗を振る人がいないからではないでしょうか。
 血のつながりよりも大事なことは、人と人との温かいつながり。それがわかっているさくらのようなお母さんがいれば、さくらを中心に、たとえ赤の他人でも抱え込んで、一緒に生きていくことができる。
 寅さんは、どんなに大喧嘩をしても、隣のおやじをポカリとなぐったりしても、一緒に生きている家族や、地域の住民のことは意識しています。本当に傷つくようなことはしないし、そんな悪口も言わない。その約束事を踏まえたうえで喧嘩している。それなのに、「お前なんか出て行け」と言われれば、寅さんは「それを言っちゃおしまいよ」と出て行くしかない。
― 家族は、努力してつくるものなんですね。
山田 仲間として暮すのは、そういう理性的な努力が大切なのでしょうね。大喧嘩したあとで、なんとかして回復しようと努力する。
 ビールを飲みかわして、「この間はすまなかった」「いいや、こっちこそ」
 仲直りは面倒くさいけれど、それを繰り返して人間関係は深くなり、知恵を深める。今の日本人は、もっと賢くなる必要がありはしないでしょうか。
― 隣近所のあいさつはしないほうがいいとか、関わりをむしろ避けていますね。
山田 でも、昔をなつかしがっても仕方がない。この先、増えていく孤独な老人の淋しさを、どうすれば救えるのかというようなことを、国をあげて真剣に考えるべきです。
― 孤立している人、居場所のない人に温かいつながりの場が必要です。その意味で、夜間中学っていいですね。まだまだ数は少ないですが。
山田 「いい子」という考え方に、とても反発を感じます。
 いい子って何だ。教師に逆らったり、ひねくれていたり、いたずらばかりする子もいる。そういう子を含めて人間です。寅さんは落ち着かないし、勉強はしないし、いつも悪いことを考えている。決していい子じゃなかった。
「寅さん」とともに考える
― 寅さんは、愛されている。そういう関係があることに、わたしたちは心惹かれます。その寅さんが、50周年ですね。特別な企画があるとか。
山田 半世紀を経て、寅さんをまた作ろうとしています。  第一作のクランクインが1969年。60年から70年にかけて、日本人が戦後で一番幸せな時期だったと思います。一生懸命働いて、車を買いたい、カラーテレビを買いたい。それが満たされることに、幸せを感じる時代でした。この国の国民は、前 向きで充実していたし、勢いもありました。でもそのときに、本当の幸福とはなんだろう、このままでいいのだろうかとなぜ考えなかったのかと思います。ぼくは中学生でしたが新憲法ができたときには、この国が素晴らしい国になるのではない かと思ったものです。
 20世紀は、科学技術の進歩イコール人間の幸せだった。しかし、21世紀に入っても地球上で戦争はなくならないし、核兵器は増える一方です。本当に人類は賢いのだろうかと思わないわけにはいかない。
― 自分だけのことを考えていては、結果的に誰も幸福になれない。2019年の50周年の寅さんにも、そんな思いを込めていらっしゃる。
山田 大きくギアチェンジをする必要のある時代だけれど、それがどういう方向なのか、この映画を観て考えてくださいという想いです。
― 人の温かいつながりを紡ぎ、だれも取り残さない社会へですね。家族は本来、それを叶えるための一歩を作る単位。原点にもどって考えたいと思います。
 きょうは、お忙しいなか、ありがとうございました。50周年の「寅さん」を楽しみにしています。
【インタビュー】
公益社団法人日本フィランソロピー協会
理事長 高橋陽子
 
(2018年9月11日 松竹株式会社にて)