第2回
「ちゃんと、先生の話を聞きなさいよ」に救われ
私は下町育ちで、隣の家と軒がくっつくような街並みで、隣家の二つ年下の男の子が家を出る音を聞いて、自分も学校に行く用意をし始めていた。母は、口癖のように「ほら、また遅い」と言いつつ私をせかし送り出す。学校に送り出す時の決め台詞が「ちゃんと、先生の話を聞きなさいよ」であった。当時は、何も感じていなかったこの言葉に、教員となり管理職となった今、どれだけ救われたかことか想起される。
「学校であったことをお家でも、話しなさいね」と、担任は子どもに諭す。「今日ね、学校で先生がこんなことを言ったんだよ」と、子どもはやや不満げな話を夕食の団欒に持ち出す。母親は「えっ、そうなの?」と、鵜呑みにして先生を疑うような返答。これで、子どもと担任との関係性に溝が生じる。子どもは「やっぱり、先生が間違っていたんだ…」と担任の非を見つけた如く、自分が優位になったと思いこむことが多々ある。
昭和の時代はどうであったであろうか。少なくとも、昭和の母親は、「それは、そうだよ」とか「みんなも、何かしていたんじゃないの…」等と、先生の言動に腑に落ちないことがあろうとも、まずは軽くあしらい、子どもの考えを鵜呑みにするような発言はしなかった。場合によっては「それは、先生が正しいよ。あなたの考え方が違うんじゃない」とさえ、後方支援もしてくれたものだ。それ故、子どもと先生の関係性は構築、維持され、教育活動の効果ある成果が得られていたのであろう。まさに、担任と保護者の連携に成り立つ指導である。私の教員デビューは、昭和54年。高学年担任時の保護者は、戦前もしくは戦後間もない生まれの方々である。その保護者の方々は、紛れもなくご自身が子どもの頃、「先生の話だけはちゃんと聞きなさい」と口酸っぱく言われ、先生というステータスに対して威厳を超えた崇拝の念を抱いていたと推察する。私は、このアドバンテージに救われ、教員としての成長をも促されたと認識している。若気の至りで、自分自身のプライベートを子どもたちに自慢げに話した日の夕方、保護者がそっーと教室に現れ、世間話をする中で、「先生。先生の言動は子どもたちの模範となるので、派手なプライベート話は、気をつけた方がいいかもしれませんよ。」と苦言を呈された。翌日、その保護者の子どもに何となく探りを入れると「お母さんが、先生は若くていいね。と言っていたよ」と言う。来校したことも子どもに言わず、私を立ててくれていた。この時ほど、自分の浅はかさと、聖職と呼ばれる教職の身を痛感したことはない。保護者に私は、育てられたのである。勿論、子どもとの関係を維持しつつ。
中央教育審議会でも、一般新聞でも「学校だけで教育は完結できない」と言われ、家庭の教育力の重要性、家庭との連携を説いている。しかし、現状は、子どもの登校時に「先生の話をちゃんと聞きなさいよ」という家庭が何軒あるだろうか。何か、問題が起きようものなら、我が子同様に先生批判に走る保護者が多くなっている。教員の資質能力に課題がある場合も十分に考えられるが、大人としての客観性を持たずに初めから子どもと同じような反応をしていては解決の糸口にさえならない。いつから、こうなってしまったのであろうか。私なりの考えについては、次回に述べたいと思う。教育再生は、朝の「行ってらっしゃい。ちゃんと先生の話を聞くのよ」と、親が子どもを見送る光景から生まれるのではないだろうか。