第3回
時代とともに変わる、教師のステータス
前回の投稿で、「先生の話をちゃんと聞きなさいよ」という親の一声が及ぼす教育効果を伝えた。反して、子どもの話を親が全て鵜呑みにして肯定し、子どもと教師の関係性を難しくしている現状も伝えた。現場では、教師のステータス(地位)が下がっている現状を肌で強く感じる。いつ、どのようにして教師へのリスペクト、ステータスが低下したのだろうか。
そもそも「先生」と呼ばれる歴史は、江戸の寺子屋時代から始まる。当時は識字力が低い故、「知識の伝承」は教師の語ることを聞き耳に頼る「聴覚情報」によっていた。
明治になると学制がひかれ、少数とは言え識字が可能となり「知識の伝承」は文字というツールを介し、「聴覚情報」から「視覚情報」の要素も加味された。聞き耳に頼っていた「記憶知識」から「記録としての知識」に移行された訳である。それ故、「先生」は知識の伝道師であったと推察される。反面、「道徳性や社会性」の育成は地域社会が、各家庭が担っていた事が容易に理解できる。その後、国民の識字力が高まるにつれ、知識の習得は、新聞という文字情報、ラジオという聴覚情報からも得られるようになるが、疑問に答えてくれるという双方向の環境にある「先生」との関係には及ばない。明治後期、大正時代の親たちは、生活を豊かにする知識を獲得させてくれる「先生」に絶大な畏敬の念を抱いていたはずである。
昭和初期、軍国主義に走ると、国内の意志統一に学校教育が利用された。教師は清廉高潔な聖職者として敬われていた。
戦後は、教師に労働者論も生じ、学校も完全義務化となり、膨大な情報量を発信するテレビの登場で知識の習得は大きく変わる。が、その頃の親世代は戦前の「教師=聖職者」の意識から、先生に対する畏敬の念を我が子に伝え、それ教育効果をあげる大きな支えとなっていたのは先に述べた。
しかしその後、時代の流れとともに希薄になり、さらにインターネットの導入により、教師のステータス低下に拍車がかかる。必要な時に、必要な知識・情報が、容易に迅速に入手できる。それも、教師以上の知識と情報である。平成の保護者は十分な知識も持ち備え、教員免許の取得者も多い。教育史上百年続いた教師の使命である「知識の伝承」はアウトソーシングの傾向にあり、教師に期待されるニーズは、元来、地域・家庭が担ってきた価値観「道徳性と社会性」の育成に変移してきている。社会経験、人生経験の少ない若年教師には、この使命は高いハードルであり、そこで尊敬を得るのは困難な状況となっている。教員養成大学も未だ時代にマッチしたカリキュラム構成となっていないことは、教師のステータス低下を後押ししかねない。
教育改革が問われる中、義務教育のカリキュラム改革や授業時数確保、体力向上等の課題解決よりも、次世代社会を担う教師のステータスを国レベルで引き上げることが、真の教育改革ではないだろうか。教壇に立つ前の企業経験、海外・地域ボランティア等の社会経験は、教師の総合指導力を高めるだろう。