第5回
児童生徒の声から「いじめ」を考える
~ 教育の成果・結果は、制度を超える期待を込め ~
昨年(2012年)の東京都品川区公立中学校に通う男子生徒が自宅で自殺を図った痛ましい事件から、一年が過ぎます。自殺の原因追求から「いじめ問題」が浮上し、にわかに社会問題として取り上げられました。その後は、文部科学省はじめ東京都教育委員会でもいじめ調査が全校実施され、今春に結果の報告、先月東京都では処分の状況をホームページに公表いたしました。同時期に、国会では「いじめ防止対策推進法」が公布されました。国レベルで、いじめ撲滅の機運が高まることは、我々学校現場に携わる者としては大きな追い風と認識したいところですが、法整備されれば解決されるような単純な問題ではありません。刑法を厳しくすれば犯罪が減少するのか、と通ずる関係も感じ取れます。
それより現在、学校現場では生徒たちからのムーブメントが始動しています。
私の勤務する杉並区では、この夏休み毎年開催されております「中学生生徒会サミット」で、いじめをテーマにした各校の取り組みの報告会、代表者によるパネルディスカッションが行われました。区内23 校すべての中学校が参加し、生徒たちからの本音が聞ける討論会となりました。このサミットを受けまして、先月、学区域の公立中学校でも「いじめ」に関する全校討論会が授業公開に併せて開催されました。私の天沼小学校からも、五、六年生の全員が参加いたしました。テーマは、「① クラスの皆から度が過ぎている〝いじり〟を受けています。しかし本人は笑っています。これはいじめですか」「② 大勢vs一人がいじめなら、一人vs一人はいじめですか」の2つです。討論会は、始めにそれぞれのケースは「いじめか、いじめではないか」を挙手し、その後、自由討論をした後に、再度「いじめか、いじめではないか」の挙手をとる方法がとられました。小学生の意見では〝いじり〟もいじめと認識する児童が多いのに対し、中学生は〝いじり〟は遊び・悪ふざけと思う生徒が多く見られました。共通した意見は、「本人の気持ちが重要であり、本人がいじめと考えるのなら、それはいじめだ」という考えです。
今回の中学校での討論会では発言がありませんでしたが、夏休みの中学生生徒会サミットでは、「小学生の時にいじめをうけ、先生に相談しても解決に至らなかった」とか、「今、クラスから〝いじり〟を受けているけど、このままで良いと思う。何か自分から発信するといじめに発展しかねない」等の意見が聞かれました。我々教員としては、この生徒たちの生の声を真摯に受け止め、どのように見守るべきか、どのように健全なクラス集団を成立させるかを直球勝負された気がいたします。そんな思いで、私も中学校の全校討論会に参加いたしました。
「いじめの結末は不幸しか生み出さないが、一人vs一人の場合は不幸を生み出すとは限らない。何故なら、いじめは理由がなく、喧嘩は感情のぶつかり合いと言う理由が背景にある」と、中学校の討論会で自分なりの考えを強くもちました。この討論会の最後に、中学校の校長先生が話されました。
「この討論会はオーブンエンドです。オープンエンドとは、意見をまとめたり結論づけたりすることはしません。この会場にいる小学生と中学生一人一人が、自分の考えをしっかりもつことが大切なのです。その各自の考えが行動となり、いじめを撲滅することにつながります」と。
いじめ問題は、現在、日本全国の社会問題として取り上げられるようになりました。今回のような中学生の生の声から、小学生に、保護者に、地域に広がるムーブメントの胎動を感じる討論会でした。もしかすると、「教育の成果・結果は、制度を超える」事例になるかもしれません。それは、我々、学校現場を預かる管理職の使命であるとも思います。