第11回
教育は質であり、量ではない
2007年度から始まった全国学力テスト。小学6年生は国語と算数、中学3年生は国語・数学・英語が実施されます。学習環境や生活の諸側面等に関する設問もあり、学力とクロス集計されます。ことし(2014年)4月に実施された学力テストの結果が8月末に公表されました。今年度(2014年度)も秋田県、福井県が秀でた結果でしたが、上位と下位グループの差が縮まり、底上げが進んでいると文部科学省は分析しています。同省の意に反し、全国平均を上回った学校の校長名を公表した静岡県や、秋田方式を取り入れて算数の数値を大きく上げた沖縄県も、話題です。
我々学校現場を預かる者には、児童生徒に確かな学力を身に付けさせる使命がありますが、それは、日々の学校生活で培われる全人格形成の、知的な一面の量としての表出でしかありません。
学力テストの当初の目的は、戦後の民主主義を基盤とする新教育の検証でもありました。その目的は達成され、過度な競争原理を生む懸念から、学力テストは1964年に廃止されました。再開に至った背景は、OECD(経済協力開発機構)等の国際学力調査で日本の順位が低下したことがあります。義務教育の機会均等や一定の教育水準の確保、教育委員会や学校が広い視野で教育指導等の改善を図る機会を提供するということで、43年ぶりの実施に踏み切ったわけです。
30余年の間、現場で見てきた子どもたちの変容、保護者の思い、地域社会の教育力、教育界に対する社会風潮から判断し、私は「学力テストは、教育の質の低下を量感に置き換えた施策」と捉えています。昭和後期の社会病理である荒れた中学校、いじめ問題、不登校等の問題等で、教育の質の低下が叫ばれるようになりました。教員のサラリーマン化、指導力不足教員などともいわれ、いつしか「教育の質の低下=教員の質の低下」と定義された感もあります。
質は元来価値であり、数値化できるものではありません。学力という見える数値で、教育の質の低下をぼかした施策ともいえます。つまり、【学力という量感】で教育の質の向上を読み替えているわけです。
私は、教育の質の低下の要因は、先生と称される教育公務員に対する、保護者や地域の、敬意の低下だと考えています。子どもは親の背中を見て育ちます。担任を信頼しない親の言動は、当然、子どもと先生との信頼関係にも影響し、教育効果・成果は半減します。特に、全科教員である小学校担任の児童への影響力は、大きなものがあります。心病める教員が、保護者の敬意の低下に伴って増えているのも事実です。私は、小手先の指導技術の向上やICT(情報通信技術)機 器を導入したわかりやすい授業の提唱よりも、担任に対するリスペクトに勝る学力向上の方策はないと考えます。
学力テストの結果に一喜一憂し、数値アップのために戦略的に取り組んだ学力結果は、時間とともに消えゆくものです。数値のマジックに惑わされず、質の高い教育の保障に向けた議論をすることが、次代を担う子どもたちへの実ある投資です。
拙稿の思案中に、都内で小学生女児2人が自死したという耳を疑う報道が入ってきました。いじめに悩んでの現実逃避という従来のケースとは違い、クラスのリーダー的存在で明朗快活な女児が、中学校受験の勉強が大変という遺書めいたものを残して自死したとされています。教育の量感重視の、あってはならない事例です。
知的な一面のみを学力として数値化し、1点2点の変動に騒ぐより、今子どもたちが抱える内面の問題をどう改善するのか、真剣に議論することが必要です。それこそが教育の質の向上だと思います。