お正月明けに日本フィランソロピー協会の髙橋理事長とお会いして、今年(2011年)の私自身のフィランソロピー活動についてお話ししました。以前この連載でも書かせていただきましたが、私なりにフィランソロピーに関して「やる理由」を明確にし、宣言したわけです。まず当社が得意とする富裕層マーケティングの商品に利益の5パーセントを寄付する旨、企画書に明記しました。普段取り組んでいることに私なりの第一歩としてフィランソロピーを組み込んだわけです。最近では売上や利益の一部が必ず寄付される仕組みになっている商品も珍しくなくなってきました。このようなエシカル消費を志向する消費者はどんどん増えるでしょうし、それは転じてビジネス上の取引にも波及していくのも間違いないでしょう。まずやってみること、まず与えてみること。連載をしているからでもなんでもなく自分の意志でできることから、ある意味無意識に始めてみようと思います。うまく言えないのですが、やっていることを忘れるぐらいのほうが長続きすると思うのです。
お金を貯めるということも、ある意味同じことであるという話を富裕層から何度も聞きました。貯めていることを忘れるくらいのほうが貯まっていくものだと。ピーターリンチという著名なファンドマネジャーも、ある意味忘れてしまうこと=続けることの大切さを次のようなニュアンスで語っています。「自分は毎日行く駅前の喫茶店の株式を購入して、株主であることすら忘れ、消費をたのしめることがアマチュアの利点である」と。
考えてみれば、「あ・い・う・え・おの法則」も同じようなものなんですね。「あいうえお」という言葉をいつも意識している人はそんなにいないでしょうけれども、「あいうえお」という言葉を使わない日などあるわけがありません。無意識になるくらいでないと長続きしないってことじゃないかと。文章力をあげるために日記を書いてみよう、みたいな話がありますが、本当に日記を書き続けられるというのは日記を書くという意識を持っていなくて、日常生活の一部になっている人なのではないかと思うんですね。特別なことを考えず普段自分が取り組んでいること、もちろん普段買っているものでも何でもよいわけですが、その中に少しだけ自分なりのフィランソロピーを組み込んでみる。多少ビジネスっぽい言葉で言えば、ビルトイン型のフィランソロピーなら個人から会社まで幅広く取り組むことができるはずです。無意識に取り組んでいることに対して恩の形で何かしら返ってくるようなことがあれば、もっともっと続けようとする。そんな2011年にしてみたいものですね。