主催:公益社団法人日本フィランソロピー協会
共催:毎日新聞社、
特定非営利活動法人日本クリニクラウン協会
共催:毎日新聞社、
特定非営利活動法人日本クリニクラウン協会

2016.12.31
啐啄同時(そったくどうじ)
福爺
かほちゃんへ、はじめまして。私が爺ジよ。お母さんは、出産予定日の3か月前から爺ジの家にいたんだよ。かほちゃんの心臓に病気があることがわかったから。
かほちゃんと出会うまで、お父さんとお母さんは、いろいろな病院でたくさんの検査を受けました。やーっとの思いで、お母さんのおなかにたどり着きました。かほちゃんが、おなかの中で足げりする時、うれしさと同時にゴメンねの痛みがあったそうです。幸せと同時に心音へのドキドキ感もありました。生まれる前も、生まれてからもいっぱい不安なことはあります。
でも、かほちゃんは、お母さんが、ご飯を食べた後に「グリィグリィとおなかを蹴って」おいしさをアピールします。「イテ・テ・テ…、かほちゃんが暴れおる」とお母さんが言うと、お父さんが、「どれどれ」と言っておなかに手をあてて「うぁ~、元気に動いている~」と、はしゃぎます。
「啐啄同時」という言葉があります。かほちゃんと両親が、いっぱい遊んで、いっぱい触れ合って、いっぱい感じ合いながら、お互いの願いや思いをやりとりし合える、そんなすてきな出合いを表す言葉です。
いよいよ、今週には母ちゃんのおなかとバイバイですね。みんなが、待ってますよー。そして、1か月したら、1回目の手術をします。今度は、自分の力で踏ん張ってほしいです。と同時に、あなたの生命は、全地球よりも重いので、ドッシリと構えて応援します。ご安心を。
2016.12.24
いつも笑顔でありがとう
松山のばあば
旭陽(あさひ)君へ
あなたが生まれる準備をするため、お母さんとばあばは二人で買い物に行っていました。その時、突然産科の先生からお電話があり、再度血液検査をするよう言われたのです。お母さんの不安はとても大きいものでした。
先生に勧められるまま検査をし、個人病院より総合病院の方が良いと説明があり、病院も変えました。お母さんは、あなたがどんな状態で生まれようとも、この世に出てくることを強く望みました。予定日より7日遅く生まれましたが、大きな産声をあげ、元気に生まれてきました。
ばあばの頃は父親が分娩(ぶんべん)室に入ることはありませんでしたが、あなたのお父さんは助産師さんに誉められるほど、上手にお母さんに息の仕方を教え、マッサージをしてくれ、とても心強かったそうです。
あれから1年、保育園のお兄ちゃんやお姉ちゃん、先生方に可愛がっていただき、いつも笑顔ですね。「おいで」と声をかけると、ハイハイし、ニッコリ手を出してくれます。寝ている時以外はじっとしていないので、目が離せません。
人から聞いてはいましたが、こんなに孫が可愛く、ばあばの人生まで明るく楽しいものになるとは想像していませんでした。これからの人生いろんな事があるでしょう。旭陽君、どうぞその素敵な笑顔で、悲しいこと、辛いことを乗り越え、皆様に好かれる人生を送ってください。
2016.12.17
生まれてくれてありがとう
中山幸子
あと1、2回いきんでも生まれてこなければ帝王切開になるという状況の中で、日付が変わった4月27日、琥(こう)ちゃん、あなたは元気な産声をあげ、生まれてきました。のんびり屋さんなのか、それともお母さんのおなかの中の居心地があまりに快適だったのか、予定日を過ぎても、なかなか生まれてくる気配のないあなたにやきもきしながら、お母さんとおばあちゃんは本門寺に散歩にでかけました。
春風が心地良く、お参りをして境内を散策しましたが、大きなおなかを抱えて、琥ちゃんのお母さんはきっと大変だったと思います。その甲斐あってか、その日から4日後、あなたは無事に生まれてきてくれました。
でもホッとしたのも束の間、あなたは同日の午後、他の病院に転院することになってしまいました。周りの部屋からは、赤ちゃんの元気な泣き声が聞こえてくるのに、病室でひとりぼっちのお母さんはどんなに辛(つら)かったことか……。琥ちゃんもお母さんと離れて寂しかったよね。でも琥ちゃんもお母さんも頑張りましたね。
これからは、お父さん、お母さんと琥ちゃん、3人ずーっと一緒です。天国に旅立った2人のお爺ちゃんも、あの世からずーっと見守ってくれていると思います。生まれてきてくれて、本当にありがとう。
2016.12.10
翔太朗君へ
司じいちゃん
翔(しょう)ちゃん、君の誕生予定は昨年の12月28日でした。年末年始になると、出産費用が高くなると周囲が気をもんでいました。それを知ってか、君は26日に生まれてくれ、早くも親孝行をしてくれたと、周囲は皆喜んで祝ってくれました。
その日は、夕方から陣痛が始まり、出産まで時間がかかるだろうと思い、私と妻は時間に余裕をもって病院に着いたのですが、何と君は既に生まれていました。短時間で、しかも陣痛もそれほどでもなかったそうで、初産なのに、またまた二つ目の親孝行をしてくれました。君のパパが立ち会ってくれて、本当に良かったね。私たちが産室をのぞくと、7人の新生児が眠っていましたが、君が一番体重が重く、うれしかったですよ。今では家の中を、元気よくハイハイしていて、目が離せなくなりましたが、順調に育っている証拠だと安心しています。
しかし、残念なことがあります。それは、祖父の私が声をかけると私の顔を見て泣き出すのに、祖母が声をかけると大声で笑うことです。そのたびに、妻は私にしたり顔をするので、いつも悔しい思いをしています。
これから先、翔ちゃんの人生には何が待っているのかわかりませんが、私が生きている間は見守っていますよ。これからもよろしくね。
2016.12.03
家族のあゆみ
みちこはん
私たちの第一子の赤ちゃんは、昭和58年12月16日、北風吹く寒い日に、誕生しました。とってもとっても大事な長女の誕生です。7か月目の時、つかまり立ちからの転倒が原因で、救急車で運ばれました。硬膜下血腫(こうまくかけっしゅ)でした。それから長い長い、親子の入院生活が始まりました。主人は毎朝病院から出勤し、仕事が終わると病院に戻る生活が続き、私をいつも支えてくれました。でも私はこの闇のトンネルから、抜け出せるのかと不安でした。
3年が過ぎて、重い重い後遺症が残りましたが、やっとのことで自宅に帰ることができました。祖父母と家族の頑張りで、また自宅でみんなと生活ができるぬくもりを感じました。これまで娘と関わり、命を助けてくださった多くの先生方に励まされ、慰められ、今まで頑張ってこられました。助かる見込みがないと何度も言われましたが、奇跡的に元気を取り戻しました。娘の生命力と、家族を必要としている気持ちが、みんなの心をつないでいると思いました。
小中学校は、クラスのみんなの協力で何とか学校行事にも参加でき、卒業できました。娘の後には、元気な弟が二人でき、現在は社会人になって頑張っています。娘も32歳になり、家族で楽しく暮らしています。自分のことを表現できない娘ですが、気持ちだけは伝わり、それがすべてのつながりとなっています。これからも母子ともに頑張ります。
2016.11.26
伝えておきたいこと
トトロじいさん
君が生まれてくるまでの道のりが、どんなものだったかを知ってほしい。
今から3年前、君のお母さんは意識不明の重体で、大阪市立総合医療センターの救命救急センターに入院した。診断では、脳室内穿破(のうしつないせんぱ)、脳内出血、急性水頭症そして、妊娠22週5日目。意識が戻るには、家族の呼び掛け、励ますことが大事ですと先生はおっしゃる。手足をさすり、毎日懸命に声を掛け続けました。回復の可能性は30パーセントぐらいだと知らされる。不安がいっぱい。生きていてほしい。神社や寺にお願いしたり、ただ祈ることしかできませんでした。
みんなの祈りが通じたのか、入院して22日目、お母さんはしっかりした声でしゃべった。うれしかった。ほっとした瞬間だった。その間、「赤ちゃんは元気ですよ」「しゃっくりしたり、あくびもしてますよ」と順調な様子。カテーテルの手術2回、出産は帝王切開と、大きな仕事を三つもやり遂げたんだよ。
今は日常生活を無難にこなし、育児に専念しているお母さん。入院中そして退院後も、どんなに不安だったことでしょう。私たちは、君が成人するのを見届けることはできないでしょう。君はおなかの中で、お母さんと一緒に病気と闘い、頑張った。そしてお母さんを助けてくれたのだと、じいちゃんは思っています。君が成長していくなかでお母さんを助け、支え合って、元気に育ってほしいと思います。
2016.11.19
感謝している
ケイエム
結婚して夫に女の子が欲しいと言われました。男の子はちょっとなあ……と。私はプレッシャーに感じながらも、じっと待っていました。めでたく妊娠し、生まれてきたのは女の子。
夫は喜び、名前を考えるのに余念がありません。いくつかに絞って、かなえと名付けました。そして漢字は私にゆだねられ、加える加に、野菜の菜、恵みの恵で、加菜恵という、あまり使われていない漢字にしました。夫は娘が歩けるようになると、ピョコピョコなるサンダルを履かせ散歩しました。帰ってくるとピョコピョコでわかるのです。
その後、第2子は死産となり、第3子も生まれず、加菜恵が2歳半の時、夫はがんでこの世を去りました。それからの娘と私の2人の生活は、経済的には恵まれましたが、寂しさは募るばかりでした。でも明るい娘の成長に励まされ、支えられ、子育てができました。いつも笑っている娘でした。私が落ち込んでいても、知らん顔して笑顔でぶつかってくるのです。ポジティブな娘でした。つくづく支えられたなと思いました。
娘は夫を喜ばせ、私を元気づけ、大人になりました。ことし26歳になった娘は結婚し、何と3人も孫を産んでくれたのです。みんな宝です。ありがとうをいくら言っても足りません。昨年、娘一家と私の6人で、私の還暦の祝いを兼ねて記念写真を撮りました。こんな日が来るなんて、私を選んで生まれてきてくれて本当にありがとう。
2016.11.12
麗ちゃんへ
吉成由紀子
はじめてあなたに会ったのは、新生児集中治療室(NICU)の保育器の中で大きなサングラスをして、ちいちゃな手に点滴をしながら頑張っている姿だった。小さな息づかいをしているあなたがかわいそうで……、おばあちゃんの胸はドッキン、ドッキンした。
でも、強かった。頑張ったね。名前が麗(れい)ちゃんに決まり、小さいながらも順調に育つ様子をママがメールや写真で知らせてくれる。麗ちゃんのはじめての声、4歳上のお姉ちゃんが「れいちゃん、れいちゃん」と呼ぶと、「アーアー」と答えていたね。「れいちゃんて言われるのはうれしいのかな」って、お姉ちゃんは何回も何回も「れいちゃん」て言ってたよ。「麗ちゃんの動画が送られてくると、癒されるわー」が、おばあちゃんの口癖になった。
この間、麗ちゃんに会ったとき、オイチ、オイチと、2階へ上がろうとする元気な麗ちゃん。危ない危ない。上を見上げてる麗ちゃん。「そーか、これを見たかったのか」。抱っこして階段に座ったら麗ちゃんは身動きもせず、じーっと木のことりが揺れるのを見てたね。
あの静かな時間と麗ちゃんの温かい体温を思い出しながらお手紙書いているよ。元気に育ちますようにと願いを込めて。
2016.11.05
琴葉ちゃんへ
松下照子
あなたは、ママのおなかの中で、一生懸命にキック、パンチのエクササイズを行い、その都度ママは、興奮していました。予定日より1週間早い、9月2日未明、産声をあげ誕生しました。
13日目に待ちに待った対面がかない、曽祖母のヒーバーは白いエプロンの膝の上でだっこしました。泣いたり、怒ったり、寝なかったり、おっぱい飲まなかったり、まわりの人々は、結構手こずっていました。ところがヒーバーにはすんなりだっこされ、無心の笑顔さえ見せ、長い手足を絶えず動かし、足の指で、パー。手の握りこぶしを口に入れ、指は鼻の穴。見ていると飽きないジャンケンポンです。琴葉(ことは)ちゃんとヒーバーは、波長が合うのかも知れないね。そう思ったらうれしくなり、神仏に感謝してしまいました。
白紙の状態から日々成長する有様は、果てしなく広がる未来が虹色に見え、ママの重大な責任と喜びにつながると思いました。戦前、戦中、戦後と70年生きた、老人には過去しかありません。これからの生き方に少し光が見えて来ました。私の今の夢は、琴葉ちゃん、ママ、バーバ、ヒーバーの4世代が、来年の5月ごろプールに一緒に入ることです。
2016.10.29
私をお母さんにしてくれてありがとう
まるちゃん
寛(かん)ちゃんがおなかにいるって分かった時、信じられなくて何度も先生に確認したっけ。まだまだ大人になれず子どもだった私を、君は母親にしてくれたね。不安が先走って育てられるかなとか考えた日々もあったけど、私を変えてくれたのは、間違いなく寛ちゃんだよ。
産声が聞こえた時は、陣痛の痛みを通り越してうれし泣きの涙が出たんだよ。あれから1か月。まだ目はぼんやりとしか見えないみたいだけど、泣いて必死にお母さん探してくれてる姿を見ると可愛くていとしく思うよ。子育ては大変だけど、寛ちゃんとご飯を食べたり、手足で遊んだり、お風呂入ったり、寝たり……。今まで普通だった事が幸せに感じるよ。
これだけ甘えて頼ってくれて、一緒にいる時間は今が一番だと思うから、この時を大切にしていきたい。これからいろんな出来事や人に出会って、たくさん人生経験していくだろうけど、何事も応援できるお母さんになりたいと思ってます。早く大人になった寛ちゃんを見たい気持ちと、まだまだ子どもでいてほしい気持ちの両方あるけど、あなたのペースで大きくなってね。
頼りないお母さんだけどこれからもよろしくね。
2016.10.22
一番の大声
ノッコちゃん
2度の流産で、私は子どもに恵まれないと覚悟した。夫は「いなけりゃいないでいいよ」と優しい。結婚して5年、ひそかに不妊外来を訪ねた。頸(けい)管無力症からくる習慣性流産。
絶望の中で3度目の妊娠を知り、かけがえのない福音(ふくいん)に小躍りした。夫からは外出禁止令が出て、腫れ物を触るような日々。しかし、また安定期の6か月くらいに出血をみてしまった。「やはりまた。ダメなんだ。子どもに縁がないのだ」。情けなくて涙ぐむのが精いっぱい、夫に言葉は無い。即入院、半ばあきらめていた。
だけど胎児の子宮内での生存、成長を確認した医者があらゆる方法を取ると励ましてくれた。安静生活を強いられたが、出血が止まり、希望が生まれた。私にできることは、がんばる胎児に本当の気持ちを吐露するだけ。絶対に幸せにするから、生まれてきて、産むからね、くらいついていて、パパの悪口を言わないから、お勉強しなくていいからと語り続けた。
そしてそれが、通じたのだ。赤い顔で小さなおめめ、あぐらをかいた鼻、そしてパパに似たむちゃくちゃ大きな声。母が「まァいやだわ、諄(じゅん)さんにそっくり」。夫はニコニコと義母の暴言を許していた。
新生児室で一番大きな声で泣いていた息子。何でも一番はいい。私は、幸せな眠りについた。
2016.10.15
ハッピーバースデー花和ちゃん
幸汰兄ちゃん
「起きろ、赤ちゃんが生まれるぞ。」
9月1日の真夜中、お父さんがぼくと弟を起こしに来ました。ぼくは、すぐに目を開けてとび起きたけど、弟はびくともしませんでした。でも、「釣りに行くぞ」とお父さんが言うと、ようやく目が開きました。真夜中の2時に、家族みんなで車に乗って、助産所に行きました。いよいよ妹が生まれます。助産師さんは、最初に、お母さんのおなかにモニターをつけて、赤ちゃんの心臓の音を聞いて、元気か調べました。ぼくも聞かせてもらったら、車のエンジンのような音でした。元気な妹だなあと思いました。
その後、ぼくとお父さんで、お母さんにたくさんマッサージをしました。弟は、となりで日本地図のパズルをはめてあそんでいました。パズルが半分できてきた時、赤ちゃんがお母さんの出口に近づいてきました。出口が開いてきて、お母さんが深呼吸をしだしました。お母さんは、強くふとんをつかんで痛そうでした。その時、ぼくと弟が組み立てて完成したパズルを見せました。お母さんが、「上手だね」と言ってくれました。
1時間ぐらいしたら、妹が生まれました。お母さんは、妹をおなかにのせて、「生まれてきてくれてありがとう、ありがとう」と言ってうれし泣きをしていました。ぼくもうれしくなりました。
真っ暗だった空は、もう白くなっていました。9月1日始業式。何回も眠くなりながら、花和(かの)のことを考えていました。
2016.10.08
あなたはママの子よ。
ゆうきママ
あなたを初めて見たのは、毎日新聞の片隅のグレーの写真でした。まだ3か月のあなたは、笑っていなくて、すました顔をしていました。そんなあなたに、パパもママも一目ぼれして、あなたのお父さんとお母さんになる決意をしました。
まだこの世にいなかったあなたが、長年不妊治療をしていて、疲れきっていたママの夢に出てきてくれたことがあったよね。パパと手をつないでこっちをみていた。苦しんでるママを助けるために、産めないママに代わって、違うお母さんのおなかに入ったんだね。
あなたの親になるための手続きを経て、あなたが8か月の時、ようやく初めて会えました。パパもママもうれしくて仕方なかったよ。今は戸籍も同じになり、普通に毎日一緒にいるね。笑ったり、泣いたり、怒ったり。当たり前のことが一緒にできるのは、あなたがうちに来てくれたからだよ。
ありがとう。ママはあなたを産んでいないけど、あなたはママの大切な子どもです。パパもあなたを誰よりも愛しています。3歳になってたくさんお話出来るようになったあなた、いつかうちに来てくれたことを話すけど、悩んだり苦しんだりしないでいてくれたらいいな。
これからも血のつながりのないことを越えて3人で一緒に幸せになろうね。
2016.10.01
可愛い悠陽くんへ
としじいさん
おじいちゃんほか、みんなが、あなたの誕生を首を長くして待っていました。お母さんのつわりがひどくて、あまり食べられないので、おなかの中の悠陽(はるひ)くんに栄養が届いているのかと大変心配しました。また、お母さんのおなかの中には、大きな腫瘍が5つもあり邪魔で窮屈だったのでは?
そんな心配をよそに、予定より4、5日早く、しかもお父さんより、身長、体重ともに少し大きく生まれて来てくれました。
5か月過ぎたこの頃、ミルクをたくさん飲み、まるまる太って重くなりましたが、家族の誰もが、悠陽くんの寝顔や笑顔に癒やされています。あちこち「ハイハイ」するころには、お母さんの腫瘍も無事に摘出してることでしょう。
悠陽くん元気に生まれて来てくれて本当にありがとう! どんな子になるのかな? 心優しい人になってください、大変楽しみです。我が家の一生の宝物、お母さんのお父さんお母さん、それにお姉さんもみんなでずっと守っていくからね。
2016.09.24
お父さんにしてくれて、ありがとう!
笑顔の笑助
妻とわたし、ふたりで訪れた産科病院の先生。「心音が少し弱いようですね。少し元気づけましょうか」。若い私たちには、衝撃的な言葉でした。
その日から、妻は皮下注射を受け痛い目もしましたが、元気で生まれてほしい一心で耐え、月満ちて、男の子が生まれました。いまでも、その時のうれしさを忘れることはありません。母体の関係で、ひとりっ子のさだめを最初から課せられた子どもは可哀そうでしたが、わたしはなんとか年の離れた兄弟のようになれぬものかと、心を砕きました。より自立できる子どもにと、時に無理をさせたかもしれません。
でも、大きくなった子どもが今、「お父さんがあの時は、あんなことをしてくれた、こんなことも」と、幼かったころをよく覚えていてくれるのが、とてもうれしいのです。口には出しませんでしたが、わたし自身が望んでいた道を、子どもが選んでくれたときの喜びは、何物にも例えようがありませんでした。
「赤ちゃんよ、息子よ。生まれてありがとう。お父さんにしてくれてありがとう」。子どもには、感謝の言葉しかありません。その子どもも58歳。元気で、1児の父としての役割を果たしつつあります。
うれしい限りです。
2016.09.17
護へ
福森茂香
2歳のお誕生日おめでとう。この1年で歩けるようになったり、とってもおしゃべりが上手になったり、あまりの成長ぶりにびっくりすることばかりです。大好きな車や電車の名前がスラスラ言えたり、お歌を上手に歌えたり、親バカだけど、天才か!と思うほど。うれしい反面、まだまだ赤ちゃんでいて欲しいと思うのは、お母ちゃんのワガママかな。
歩けるようになってから、お外が大好きになり、体が弱いお母ちゃんはなかなか連れて行ってやれず、可哀想な思いをさせてばかりでごめんなさい。かみついたりたたいたりするのは、そのストレスのせいなのかな。
胃腸炎や気管支炎など病気もたくさんしましたね。苦しそうなあなたをみているのはつらかったけれど、それも成長の証だと思っています。保育園の一時預かりも経験しましたね。
内弁慶で慎重なあなた。これからいろんな経験をして、強くたくましい人になってね。いつでもあなたのそばにいるから、安心してください。いつも「お母ちゃん大好き!」と言ってくれるあなたはお母ちゃんの宝物です。
2016.09.10
私自身生死をさまよった出産の記
大前静子
昭和22年8月、戦後間もなく、お産に対する情報も本もなく、家庭分娩での出産を迎えました。当時は前もって入院しての出産は、ほとんど耳にしませんでした。
一昼夜の苦しみは生死をさまよう思いでした。最後、助産師さんはお手上げ状態で、急きょ医者の手による「鉗子(かんし)分娩」でやっと生まれましたが、子に泣き声はなく、後の話では長男をさかさまに振って数秒後、泣き声を発したと聞きました。
人生の波は誰しも味わうものでしょうか。現在静岡県に在住の長男は会社で香港の支店長までつとめて退職。しかし、華やかな人生を共に喜び合った2年後、脳梗塞(こうそく)を起こし、左半身まひの生活です。本人はあくまで前向きで、自動車も改造してもらい、生活の範囲を広げているとはいえ69歳です。毎日の無事を祈ることしかできない私も90歳半。
人生ケセラセラと観念。彼とパソコンとメール、ラインのやりとりに時間を費やす毎日です。
2016.09.03
唯ちゃんへ
中野治子
予定日を過ぎてもいっこうに生まれる気配もなく、元気にママのおなかを蹴っていた唯(ゆい)ちゃん。結婚して10年目でやっと授かり、期待と不安のママ。おりしも台風が近づいて来て、直撃するという日でした。
まさかこのタイミングで陣痛がきたらどうしようと思っていたら、唯ちゃんから合図があった。早朝、暴風雨の中、おばあちゃんが必死で運転して病院へ行きました。ママが落ちついていたので、あせらずに済みました。着いて4時間ほどで生まれて、対面した時の感動は忘れられません。
お産の時もママは落ち着いていて、先生に上手でしたと褒められましたよ。パパは連絡を受けて新幹線に乗りましたが間に合いませんでした。代わりにおばあちゃん2人が立ち会いました。
産後2か月余り、おばあちゃんの家で一緒に暮らしました。ママは、オッパイを飲ませたり、おむつを替えたりと一生懸命でした。おじいちゃんが1年前に亡くなり、一人暮らししていたおばあちゃんにとって楽しい日々でした。
可愛い可愛い唯ちゃん、よちよちと歩けるようになって1歳のお誕生日を迎えます。おめでとう。生年月日にラッキーセブンの7が三つもあります。これからも健やかに成長しますよう祈るばかりです。
2016.08.27
しずくちゃんありがとう
額塚(すくもづか)のバアバア
昨年6月30日夕方6時、きばってきばって、大きばりをして、娘の安美がしずくちゃんを産んでくれました。その夫の康彦君と私は、安美の両脇で一緒に「頑張って、頑張って」と励ましながら、「1、2の3、1、2の3」と3人で力みました。声を出してこれでもか、これでもかーとしずくちゃんの頭が半分出かかっているのに出られない。しずくちゃんを心配しながら、一生懸命に頑張りました。
安美も弱音をはかずに最後まで必死で力んでくれました。陣痛がきたときには「3時ごろには生まれるでしょう」と看護師さんに言われていましたが、なかなかどうして……。「オギャー」と泣いた時には、康彦君はものすごく喜んで飛び上がっていました。
必死でしたので、その時は何も思いませんでしたが、後でじっくり思ったのは、バアバアと同じ日に生まれてきてくれたのが本当に不思議でした。一時は妄想で、同じ日になるといいナーなんて思っていましたが、365分の1の確率にぴったり合ったので、不思議な気がしました。
しずくちゃん、バアバアはうれしくてうれしくて。その日は私の母の命日でもあり、母は羊年、しずくちゃんも羊年の女の子。代々続いていく不思議な因縁を感じずにはいられません。元気に生まれて、すぐにおっぱいをすっているあなたに、びっくりポンでした。
しずくちゃん、生まれてきてくれてありがとう。安美、最高の親孝行をしてくれてありがとう。
2016.08.20
すずちゃんへ
川田弥生
すずちゃん、あしたは、おじいちゃんの四十九日です。おじいちゃんはすずちゃんの誕生をとても楽しみにしていました。すずちゃんが生まれた日、おじいちゃんは、病院で、生まれてすぐのすずちゃんを抱きました。退院したら、すぐに絵本を買ってきて、首もすわらないすずちゃんに読み聞かせしていました。
首がすわったかと思うと、すぐにダンボール箱にざぶとんを敷いてすずちゃんを座らせ、部屋中引っ張って遊んでくれました。毎日、ベビーカーにすずちゃんを乗せて、お散歩に連れていってくれました。すずちゃんもおじいちゃんが大すきで、おじいちゃんに会うと、キャッキャッと声をたてて笑いました。すずちゃんとならんで寝転んでいたおじいちゃんの顔は、本当にやさしい笑顔でした。おじいちゃんは、すずちゃんが保育園に入ったら、いっぱい送り迎えをしようと張り切っていました。
でも、おじいちゃんは、すずちゃんが6か月になったころ、病気が見つかって、すずちゃんが1歳になるほんのちょっと前に、亡くなってしまいました。おじいちゃんは、息を引き取るとき、「すず、誕生日」とつぶやきました。すずちゃんの成長を本当に楽しみにしていたのです。
すずちゃん、おじいちゃんとの写真がいっぱい残っています。どんなことをしてくれていたか、いっぱい聞かせてあげます。すずちゃん、あなたを本当に心から愛してくれたおじいちゃんのこと、しっかり覚えていてくださいね。
2016.08.13
アル君がオペする日
ちーばぁ
まだあんなに小さい身体なのに、ようやく7か月になったばかりなのに……。全身麻酔のオペをするアル君。ドクターの話を聞いていたら、急に胸がざわざわしてきたよ。「そんなに難しいオペじゃないですよ。乳児ですから慎重にするため、少し時間がかかりますが……」
隣にいるママの気持ちを考えたら、ちーばぁがうろたえたら駄目だと、平然としていました。誕生時、ママが初めてアル君に出会ったとき、すでに足にギプスがしてあったね。そのころの写真を見ると切なくなるんだ。オペのあとに足の定期検査も待っているよね。ママはどんな気持ちだったんだろう。きっと不安で辛かったと思う。
思えばアル君がママのおなかに宿ってから、つわり、切迫早産と気が休まることがなかったね。ママはわがままなのに、へんに我慢強い人だから、本音は語らないし、泣かなかったけれど。いっぱいの不安と心配をひとりで抱え込んでいたと思うんだ。
アル君はママの宝物。ママの愛情たっぷりの母乳で育って、今はしっかりオペに耐えられるハム太郎です。オペ可能な体重になって迎えるオペの日、ちーばぁの60歳の誕生日。無事に終わって、6本のローソクを立てたお誕生ケーキをほおばるのが待ち遠しいよ。そして何よりのプレゼントはアル君の笑顔です。
2016.08.06
生まれながらにして親孝行な君へ
小杉由佳
香乃(かの)さん、君がこの世に生まれてきてくれて、9か月が過ぎました。おなかの外の世界はいかがですか? 生まれてきてくれて本当にありがとう。お母さんは毎晩、君の布団にこぼれるほっぺたをみるたびににやにやしながらそう思います。君は生まれながらにして親孝行です。今まで37年間、人生駆け足で走っていた私の生活を一変してくれました。
実際に、せっかちなので、ちょこまか走ってもいました。ところが君がおなかにきてくれてから、なんかあっちゃあいけないと、自転車で走り回るのもせかせかと走り回るのもやめました。そうしたら、急いでいたときには見えなかったものが見えるようになってきました。小さなこと一つ一つを大切にできるようになっていました。
今は、夕方になるとこの世が終わるとばかりに大声で「ぎえぎえ」と泣く君と、「まあまあ、気分転換しようよ」と一緒にでかける散歩が楽しみです。毎日歩く道でも、梅が膨らんではちり、桜が膨らんで、季節がどんどん変わっていくのを一緒に見ましたね。来年も、再来年もいろいろなものを一緒に見ようね。
でもいつか、君はどんどん自分の足で歩いていき、お母さんとは違う世界を見るようになるのだろうな。そのときは、その違う世界のことを一緒に話し合おうね。君の歩いていく世界が、君にとって楽しいものでありますように。そして、君の見る世界が、素晴らしいものでありますように。
2016.07.30
もうすぐやってきてくれるはずのあなたへ
らぴ
あなたのお父さんとお母さんは、もうすぐやってきてくれるであろう、あなたのことをずっと心待ちにしています。
あなたのお父さんは子どもと遊ぶのが大好き。いつも全力で遊びます。あなたが来たら何をして遊ぼうって話もします。
あなたのお母さんは、お父さんがそんなふうにして遊ぶ姿を思い浮かべて、ほんわかとして温かい気持ちになります。早くあなたに会いたくて、今いろんなことを調べたり試したりしていつもあなたのことを考えています。
病院でいろんな検査や治療もしてみましたが、特に大きな問題は見当たりません。それなのに、どうして来てくれないの?と焦ったり、もう来てくれないんじゃないかと不安になったりすることもあります。赤ちゃんは親を選ぶという言葉があるけれど、まだ旅をしているのかな?
もうすぐ、人工授精を行うことを考えています。本当はごく自然に、当たり前に来てくれると思った。でもきっと、私たちの準備がまだ整っていなかったのね。ごめんね。でもいまは、いつでもあなたを迎え入れる準備ができていますよ。いつでも来ていいからね。
あなたがきっと来てくれると信じて、祈っています。そのためにできることを精いっぱい頑張るからね。力不足で不器用な私たちかもしれないけれど、楽しく過ごそうね。
2016.07.23
らんちゃんへ
柏のばあば
あなたのママと40歳過ぎて結婚したパパのところへ、あなたは急いできてくれましたね。ママのおなかの中でも急いだのか、予定日まで3か月近くもある頃、切迫流産で入院、絶対安静。周りはお産の済んだママばかりで、あなたのママは、どんなに辛い思いをしたことでしょう。どんなに不安だったことでしょう。
それでも、病院の先生、パパやママのご両親の支えで、なんとか予定日を迎えることができました。けれども、帝王切開で突然、外界に出されたあなたは呼吸が安定せず、すぐに救急車で新生児医療の整った病院に搬送、ママと離れ、人工呼吸器がつけられました。あのときはただ祈るしかできませんでしたが、みんなの祈りが通じたのか、数日で呼吸器もはずれ、18日目には無事退院できました。
そんなあなたも大きな病気をすることもなく、すくすく成長し、4月から元気で幼稚園に通っているようですね。近くにいるママ方のおじいちゃん、おばあちゃんには初孫で、愛情いっぱいに可愛がられ、これまた近くに住む、半年違いのいとこのはるとくんという、ケンカもするけど良い遊び相手にも恵まれ、幸せならんちゃん。幼稚園でも、お友だち、たくさんつくってね。
2016.07.16
智音ちゃんへ
ときわのばあちゃん
智音(ともね)ちゃん、2歳になったね。この1年は、脳の発達が著しく、言葉もたくさん言えるようになったね。ばあちゃんが「ブーブー」と言えば、「くるま」と言い直せるんだものね。
あなたがママのおなかに宿ったと知って喜ぶまもなく、ママのつわりが始まって大変だったよ。エコー画像でまだ点のようなあなたが、あの時大きく成長しようとしていたんだね。
そしていよいよ予定日が近くなったころ、軽い陣痛らしきものが始まり、夕方には10分おきぐらいになり、夜の10時に入院したよ。まあ生まれるのは朝になるだろうと軽く考えていたのが、2時間ぐらいで破水してママは分娩室へ。まもなくあなたの産声が……。パパも駆けつけてくれていて、じいちゃんばあちゃんと待合室で飛び上がったよ。
生まれたばかりのあなたはまさに「赤ちゃん」の言葉がぴったりの赤いお顔の、小さな小さな壊れそうな存在でした。夜中に顔にふとんがかぶさっていないかと息を確かめたこともあったよ。けれど日々順調に体重は増えてゆき、体つきもたくましくなって、初めの心配がうそみたい。
そして今2歳のあなたは「いやいや」と言ってママを困らせています。でもみんなにとってあなたの存在はかけがえのないもの、ひとつひとつの成長に一喜一憂しています。
生まれて来て、ここまで育ってくれてありがとう。あなたのまわりのみんながあなたの成長を見守っているよ。
2016.07.09
一吹の初めてのお誕生日
久美子バァバ
5月生まれの一吹(いぶき)、初節句と1歳のお誕生日が一緒に巡ってきた。両家の日程が合わず、別々に2回もお祝いしてもらったね。我が家でした時は、バースデーケーキの揺れる一本のろうそくの火を不思議そうにじっと見つめて、ニコニコ笑っていたね。その可愛らしい笑顔を見てるいるだけで、幸せな気持ちになれる。
でもこんな日が来るとは思えなかった。そう、2年前、21週目で生まれてしまった双子のお兄ちゃんたちは、産声をあげることもできずに仲良く寄り添うように天国へと旅立ってしまいました。両親はどんなに悲しかったでしょう。両家共初孫だったので、本当に楽しみに待っていたので可哀想で悲しくて、皆、涙枯れるまで泣きました。
その後に一吹が生まれて来てくれたのでとても喜びました。今はスクスクと育ち、きっと2人のお兄ちゃんたちの分まで元気をもらっているのかも? 離乳食もよく食べ、体も息子似の筋肉質で、まるでお節句の金太郎さんのようです。声も大きく、まだお話しできないけど、ア~ア~と叫んだりしています。今はほんの数秒間1人で立てるのがうれしいらしく、ほめると何回も披露してくれます。
これからもその素敵な笑顔で、周りの人を幸せにできる優しい人になっていってくださいね。
2016.07.02
誕生学を学んで
脇田美里
今回のお便りは、堺市立美原中学校で「未来への手紙プロジェクト」を使った授業をした際に生徒が書いた「手紙」です。
そのことを帰ってお母さんに言うと、「特にお姉ちゃんとお父さんの愛情をたくさんもらってるねんで」と言われ、私は、うそやろと言ってしまったけど、後から考えてみると、お姉ちゃんには初めての妹やし、とっても愛情をもらったのかな、と考え直しました。
お姉ちゃんとはいつもケンカしてしまうし、お父さんにはすぐ、きもいとかうるさいとか言ってしまうけど、お姉ちゃんとのケンカも、お父さんからの注意も愛情なのかなと思いました。もうすぐお姉ちゃんは高校生になるけど、たくさんケンカして仲のいい姉妹になりたいです。
あと、授業でビデオを見てすごいなって思ったのが「ハイヒールがスニーカーに、ファッション誌が育児書に、ビールが牛乳に、私も変わった」という母親の話です。私も大人になり赤ちゃんを産むとき、こんなんになれるかな~とすごく不安ですが、やさしく赤ちゃんが大好きな親になりたいです。そして自分の親にも産んでくれてありがとうという感謝の気持ちをもって生きていきたいです。
◇
授業で、愛情をかけて育てないと1歳にならないうちに赤ちゃんは亡くなることもあると知ったとき、私はもう13歳にもなって、たくさんの愛情をもらったんだなと思いました。
2016.06.25
幸せなきもち
村井茉紀
今回のお便りは、堺市立美原中学校で「未来への手紙プロジェクト」を使った授業をした際に生徒が書いた「手紙」です。
教室で赤ちゃんの人形をだっこさせてもらいました。初めてだったので、たとえ人形でも顔を見ていると、幸せな気持ちになりました。ほんとうの人間の赤ちゃんではないけど、赤ちゃんっていいな、かわいいなと思えた瞬間でした。
産むまではほんとうにしんどいと聞いたので、不安もあります。自分を産んでくれたお母さんは、本当にすごいと思います。でもしんどいから、産まれた時のうれしさとか幸せな気持ちもあるんじゃないかと思います。
一番びっくりしたことは、生命のはじまりが0.1ミリだということです。それがこんなに育ったっていうことは、たくさん食べさせてもらったからだと思います。私は両親にほんとうにありがとうと言いたいです。
◇
私はあんまり自分の小さいころとか赤ちゃんのころに興味がなくて、知ろうともしませんでした。でも助産師さんのお話を聞いて、あぁー、こんなに愛されていたんだなーと初めて思いました。いつも、迷惑ばっかりかけているから、私のことがめんどくさいんじゃないかなーとか、邪魔なんじゃないかなーって思っていたので、とても幸せな気持ちになりました。
2016.06.18
ありがとう 赤ちゃん
能登のまりちゃん
夫は現在要介護2の認知症患者で、私の介助があれば生活上、不自由はありません。けれど何事にも興味を示さず、今は晩酌の一合の日本酒にしか関心がないみたいです。
それがどうしたことでしょう。近所にある大型スーパーで見知らぬ赤ちゃんを見る度に、「かわいいなあー、かわいいなあー」を連発し、にこにこして愛想笑いをします。するとほとんどの若いお父さんやお母さんは喜ばれます。
そもそも夫は、あまり子どもが好きなほうではありませんでした。私たちには4人の子どもがおりましたが、だれ一人として父親に遊び相手をしてもらったことがないはずです。私もずっと、子育ては自分の仕事だと思っていました。孫が1ダースほどいますが、夫が抱っこするのは写真を撮るときくらいでした。
そんな夫が、よその赤ちゃんのしぐさがかわいいとじっと見入っているのです。頬をゆるめて。私も夫の側で喜んでよその赤ちゃんをながめていて、飽きることがありません。
子や孫が幼かったころ、ちっとも相手をしてくれなかった夫でしたが、認知症になって、これから成長する子どもたちと、次第に衰える自分自身を心の中で比べているのかもしれません。それはともかく、私は何にも興味を示さない夫が、うれしそうに赤ちゃんを見入る姿にいつも感動しています。
2016.06.11
あっぱれ、心晴ちゃん
木下宜計
昨年の11月20日、息子のお嫁さん、綾さんが赤ちゃんを産みました。木下家にとっては、初めての孫の誕生です。爺さんの私は、背中の圧迫骨折にて入院中、動けない状態でしたが、私としては、喜びの気持ちを何としても言葉で表現したいと思い、思いつくままに文章にして、生まれてきてくれた赤ちゃんに送った言葉です。
「うまれた、うまれた、うまれたよ」
「よかった、よかった、よかったね」
「うれしいね、うれしいな、うれしいね」
「ばんざあい、ばんざあい、ばんざあい」
「あっぱれ、あっぱれ、心晴(こはる)ちゃん」
入院中なので、孫の、あっぱれ心晴ちゃんは、写真と動画でしか見ていません。でも、生き生きと、お母さんのオッパイを、「んぐっ」「んぐっ」とよく飲み、よく寝て、みんなを優しさに包んでくれている様子を、夫婦二人が話して聞かせてくれます。
名前は「心晴ちゃん」。「あっぱれ、あっぱれ」と生きていってください。この世の中でいろいろなことが起きるにしても、まずは、「面白がって生きていってください」。木下家みんなで、「心晴ちゃん」が心豊かに生きるように、ずっと、ずっと拍手を送り続けます。
「よかった、よかった、よかったね」
「うれしいね、うれしいな、うれしいね」
「ばんざあい、ばんざあい、ばんざあい」
「あっぱれ、あっぱれ、心晴(こはる)ちゃん」
2016.06.04
おなかの中のあなたへ
K
東日本大震災から3月で5年がたった。あの時はまだ、高校生だった私がもうすぐ母親になる。ママの実家は福島県のとある町で現在、勝手に出入りは許されない。あの時に負った心の傷は大きくて、思い出すといまだに涙が止まらないんだ。
パパと出会ったのは震災から2年後、県外の避難先でできた友だちを通じて紹介してもらった。福島出身と言ったものの、自分の地元のことが言えず悩んでいた。高校生の時に転入を経験して、優しく声をかけてくれる人もいれば、放射能がどーのこーのと陰口をたたかれたこともあったから。自分のことを他の人に言わないということが、いつの間にか自分の中のルールになっていたんだ。
だけど、ついにパパに伝えた。するとパパからは「だからどうしたの?」と、思いがけない言葉が返ってきてあ然とした。気にしてるのはもしかして自分だけだった? そう思うと心がパッと開けた。
それから3年がたち、あなたをおなかに授かった。あの日、震災がなかったらパパに出会うこともなく、あなたを授かる幸せもまだ知らなかった。出産まであと1か月。おなかでのんびり大きくなって、元気に出てきてね。あなたが大きくなってママの実家はどこ? と聞いてきたら、胸をはってママの地元のことを話すよ。そのころにはパパと三人でママの育ったところを見に行けるといいね。
2016.05.28
おねえちゃんへ
わあママ
あなたは、1月におねえちゃんになりました。あなたの弟が生まれるまで、ママは3回入院したね。ママが入院するたび、あなたの小さな胸は、不安と心配でいっぱいになりました。
わずか1時間の面会の終わりに、涙目で無理して笑ってバイバイと手をふる姿や、耐えきれずに「さみしい、ママ帰ってきて……」と泣いて抱きついてくる姿を思い出すと、今でもママは涙が込み上げてきます。
ママが退院しても、また入院するんじゃないか、もしかしたら死んじゃうんじゃないかと、ずっと不安で過ごしていたね。ママのおなかを気遣ってお手伝いをたくさんしてくれてうれしい半面、赤ちゃんが生まれてくる前に、あなたの心がつぶれてしまうんじゃないかと心配になりました。
たくさん我慢して、たくさん涙を流して、やっと弟に会えました。今までのつらさを忘れて、「かわいいー!」と生まれたばかりの弟を抱きしめるあなたを、とてもとてもいとおしく感じました。
おねえちゃんへ
この1年、つらいこといっぱいでごめんね。その小さな体で、耐えてくれてありがとう。これまでもこれからも、あなたは、たった一人のかわいい娘です。だいすきだよ。
2016.05.21
大好きな、くうちゃんへ
しげばあちゃん
くうちゃんは5年前、ママが39歳のときにやっとママのおなかに来てくれたね。でもママのおなかの中には、筋腫がいっぱいあったんだよ。しげばあちゃんはパソコンの画面をみた。ママのおなかの下の方にむけて、大きな筋腫がじゃまをしていて、帝王切開の準備をしていたんだよ。
でもネ! ビックリしたよ!
くうちゃんが元気で力があって、その大きな筋腫を上へ動かして、普通分娩で生まれてきたんだよ。くうちゃんを初めて見たときは、男前でなんとハンサムないい子だと胸が熱くなったよ。
きのうも幼稚園の帰りにママと遊びに来てくれたネ。しげばあちゃんは、孫を抱けると思っていなかったし、まして手をつないだり、しげばあちゃんと呼ばれることも考えていなかったよ。くうちゃんの大好きなトーマスも、ドラえもんも、アンパンマンも大好きになってしまいましたよ。
これからもよろしくネ!!
2016.05.14
希望の光
ぷらびだ作業療法士
ことし1月17日、自宅で小さな小さなお産をしました。
8週目、4ミリの小さな赤ちゃん。妊娠がわかったときは、本当にうれしかったよ。また、お母さんになれる、って。6週目の検診で育っていないと告げられたとき、一気に絶望の闇に突き落とされた気持ちになりました。次の検診で、まだ小さいままだけど心拍が確認できたときは、暗闇の中に一筋の光がさしたようで、あなたに「光希(みつき)」と名付けようと決めました。
だけど17日、出血と陣痛のあと、あなたの意志としか思えないほどの力強さで、あなたは生まれてきました。言葉で表せないくらい悲しかった。今でも辛くて急に泣いてしまうときがあります。子どもが10か月の間、無事におなかの中で育って、生まれて、健康に育つことがどれほどの奇跡で尊いことか、気付かされました。あなたのお姉ちゃんが笑顔で私の側にいることがどんなに幸せなことか、改めて気付きました。
それに、流産したとき、医療従事者の対応に傷つく思いをしたけれど、同じ医療職である自分が、患者さんの心に寄り添った仕事ができているのか考えさせられました。あなたは私に大事なことを伝えるために来てくれたんだね。
光希、お母さんのところに来てくれて本当にありがとう。あなたを失った喪失感は消えることはないけれど、芯の強い優しいお母さんになれるよう見守っていてね。お空で私たち家族を見守っていてね。ずっと大切な私の赤ちゃんだよ。
2016.05.07
暖大くんへ
加太のばあちゃん
ひな君が生まれて6か月が過ぎました。今では寝返りもして、離乳食のスプーンにも慣れて、上手にゴックンできるようになってきましたね。
暖大(ひなた)という名前は、あなたのお母さんが読みを考えて、ばあちゃんがパソコンや画数の本とにらめっこをして、漢字を考えました。この字のとおり、ひな君はとてもおだやかで、赤ちゃんなのにとても大人な感じです。お父さんに似てるのかもしれませんね。
ばあちゃんは心臓が悪いので、ひな君をだっこできるかとても不安でしたが、今ではそんなことは何のその、反対にいっぱい元気をもらっています。
暖大くん、ばあちゃんはあなたのことが、大大大好きです。ひな君が大きくなっていくこれからの未来が、どうかどうか平和でありますように。そしてひな君が元気で、ずっと幸せでありますように、ばあちゃんは心から願っていますよ。
2016.04.30
感動の一日
君子おばあちゃん
4年前のことです。娘が2人目の妊娠をしました。長女との間に10年がたっていました。長女も妹はあきらめていたらしく、小学校へ上がって数年たって、友だち同士で姉妹のことを話すのがうらやましかったと、ママに話したそうです。
夫婦で話し合って病院に行き、努力しても駄目だったとしてあきらめていた矢先、妊娠を知らされたそうです。とっても喜んだそうですが、出産まで生唾がとまらず、8か月くらい大変だったそうです。
パパは長距離運転手のため、留守がちです。夕方に陣痛が始まり、入院準備はしていたもののオロオロしていたら、長女が「ママ、大丈夫しっかりして」と言って、荷物を持ってタクシーのところまで手伝ったらしいです。
知らせがきて、私も病院まで行きました。誕生した娘は、元気に足を上げて、とってもかわいく、うれしかったです。でもそれ以上に、長女が病院まで手伝ったことにとっても感動し、涙が止まりませんでした。
今は、長女は中学2年生、下は幼稚園年中組です。2人共心やさしい人間に育ってね。
2016.04.23
柚葉ちゃんへ
田畑美千代
もうすぐ1歳になるね。去年の今ごろは、まだママのおなかの中にいたあなたは、ママのおなかの中で暴れていたよね。短大生だったママは、およそ2か月間、24時間点滴を受けてベッドに横になっていたんだよ。
柚葉(ゆずは)ちゃんは、お外の世界が気になったのか、32週で誕生してきましたね。ママもパパもばぁばたちもびっくりしたよ。柚葉ちゃんは小さかったから、ママと一緒に退院できなかったね。
日に日にママと同じお顔になってきて、可愛くて仕方ないよ。ばぁばも51歳で、ばぁばデビューして間もなく1年。柚ちゃんより先にお誕生日だから52歳になったよ。1歳のお誕生日を楽しみにしているよ。
そろそろあんよができるかな? おはなしも上手になったよね。たくさんおしゃべりしてね。ママは20歳、パパは21歳と若いけど、全力で頑張っているから安心してね。優しくて思いやりのある女の子になってね。
2016.04.16
かわいい双子の女の子へ
小寺真知子
みのりちゃん、かんなちゃん、本当に私たちのところに来てくれてありがとう。
あなたたちの両親が、いろいろな困難を乗り越えてやっと授かった二人だから、私たち家族の喜びは、まるで年末の宝くじが当たったようなさわぎでしたよ。お母さんは、初めての子育てで慣れていないので、最初は寝られず、お乳もあまり出ないので、少しばかりベビーブルーだったけど、最近はすっかり良妻賢母に変身ですね。なにせ双子なので、お産も帝王切開だったのよ。苦しみを幸せにしてくれたのは、みのりちゃん、かんなちゃんが順調に成長しているお陰かな?
昨年の11月で1歳を迎えた二人は、行動範囲がどんどん広がってきましたね。そしてあっという間に歩いて、すべり台に登れるようになりましたね。食欲も旺盛で離乳食にはいると、食事が足りないのか大きな目から大粒の涙をポロポロとあふれさせて、もっともっととジェスチャーするみのりちゃん。運動神経の良さをことさらアピールするかんなちゃんは、ソファの上に登ったのに降りられないと、困った顔でお母さんを見てますね。
生まれた時から二人一緒なので、二人の時は元気百倍、でも一人になったらなんだか不安気なのかな……。二人だと悲しいことは半分、嬉しいことは2倍だから、二人でお父さんお母さんをうんと喜ばせてあげてくださいね。
2016.04.09
80対1
勝山恵子
晃(あきら)君へ あの日から1年がたちました。少しあきらめかけていた周りの大人たちに、期待と喜びを抱えて君がこの世に顔を出してくれたのが1年前の1月29日です。君はどんな大人になっていくのかな? 見届けることができそうもありませんが、きっと誰からも好かれてすてきな青年になっていくことと思います。
「80対1」は、晃君と私の年齢比です。80年生きている間にはいろんなことに出合いました。子どものころは戦争で食べるものも、本も、おもちゃもありませんでした。恵まれた時代に生まれ、何不自由ないのは幸せですが、心配もしています。
晃君の人生にも、いろいろなことが待ちうけているかもしれません。どんな時にも君の名前の由来のように、明るく立ち上がって挑戦してください。
いっぱい経験を積んで自分の糧にしてくださいね。少しお説教めいた手紙になってしまってごめんなさい。いつかこの手紙を読んでくれる日が来るのが待ち遠しいです。
小さな手で先ほど握手をして別れました。そのぬくもりが残っていて、生きていることをうれしく思います。
晃君も「生まれてきてよかった」と思う日がきっとくることでしょう。
きょうはお誕生日おめでとう!
2016.04.02
心結ありがとう
リア
ママは、不妊治療しないと赤ちゃんが授かれない身体だったんだ。でもママは、どうしてもママになりたくて、治療することをためらわなかった。だから心結(こころ)を妊娠した時は、本当にうれしかった。妊娠中は辛いこともあったけど幸せで、家族みんなが心結が生まれてくるのを楽しみにしてた。
名前もみんなで決めたんだよ。家族の心を結ぶ子になりますようにって。今では家族の誰もが心結に笑顔で話しかける。そして寝顔に癒される。みんな抱っこしたくてそわそわしてる。泣いたらみんなが慌ててママを呼びに来る。みんな心結のこと大好き。大切な大切な娘。育児は大変だけど、それ以上に幸せを感じてます。
まだ生まれてから15日目、ゆっくり大きくなっていこうね♪ 毎日楽しみにしてますね。
心結、元気に生まれて来てくれてありがとう。
心結、ママをママにしてくれてありがとう。
心結、ママは一生の宝物を手に入れたの。ずっと守っていくからね。
心結、ママをママにしてくれてありがとう。
心結、ママは一生の宝物を手に入れたの。ずっと守っていくからね。
2016.03.26
あーちゃんへ
佐久のばば
あーちゃんは、パパとママが結婚して8年目、秋の初めにやって来てくれました。その時の心境は言葉では言い表せない感動でした。おとなしくて、ママの手をあまりわずらわせない、とても育てやすい女の子でした。
それから1歳6か月を迎えたころ、とても不思議な行動をたびたびしたそうです。大急ぎで病院へ連れて行くと、即入院となりました。病名、病状を聞いた時は、目の前が真暗になり、気が動転。それは、現在の医学では治療法の見つかっていない病気でした。
もう話すことも不可能かと思うと、涙が止まりませんでしたが、いつもにこにこと可愛い仕草で、周囲の人の心を温めて、和ませてくれました。
あれから4年。お陰様で日常会話もできるようになり、とても理解のある幼稚園に元気に通園しております。これから幾多の困難が待ち受けているかもしれませんが、前向きに道を切り開き、そして乗り越えて生きて行ってください。
あーちゃんは、ばばの天使だよ。いつもいつも応援してるよ。
2016.03.19
あーちゃんへ
おばあちゃん
爽起人(あきと)くん、おばあちゃんはあなたの誕生を首を長くして待っていました。おばあちゃんだけでなく、大おばあちゃんも、2年前に亡くなったおじいちゃんも、おとうさんもおかあさんも待っていました。
やっと授かったと聞いた時は本当にうれしかった。予定日が、亡くなったおじいちゃんの命日といっしょと聞いて、おじいちゃんがきっと応援してくれたのかもしれません。
予定日より少し早く、少し小さく生まれてきたけれど、元気で可愛いあなたの顔を見て、無事に生まれてくれたことに感謝しました。おかあさんも体調をくずしがちでしたが、頑張ってくれました。
名前は、おとうさんとおかあさんが考えてくれ、おじいちゃんの1字を取ってつけてくれました。あなたの成長が本当に楽しみです。ミルクをたくさん飲んで、早く早く大きくなって、おばあちゃんといろんなお話をしたり、いろんな所へ遊びにも行きましょう。すごく楽しみにしています。
生まれてきてくれてありがとう。
2016.03.12
利加ちゃんへ
大和直子
37年前、未熟児で生まれたあなたが、2人目を出産しました。
あなたが生まれる前は、お姉ちゃんが8歳、お兄ちゃんが6歳だったので、私はもう産まないと思っていたのに、どうしても3人目が欲しくなって……。アメリカで、生まれて初めて救急車に乗り、無痛分娩(ぶんべん)のはずが普通の出産。保育器の中のあなたは小さく、大事な所が男の子に見えて、パパは本当に女の子?って看護師さんに聞いたほどよ。
末っ子で、お姉ちゃんお兄ちゃんに鍛えられ、可愛がられて、育ったね。8歳上のお姉ちゃんの最初の子どもが生まれた時は妹としてよく面倒をみて、保育士になる動機になったんだよね。
あなたは1人目が生まれてからも保育士を続け、今回もお産直前まで働いていて、よく頑張ったと思うわ。本当におめでとう。2人とも男の子でちょっと残念だったけど、すてきなお嫁さんが来ると確信できます。宙也(そらや)君(3)、陽也(はるや)君(生後20日)。将来何になるのかなあ……。
私はできるだけ長生きして見届けたいけど、元気で食欲旺盛な2人だもの、心配ご無用ね。本当にお疲れさまでした!
2016.03.05
ガッツな優ちゃんへ
ばばちゃん
優ちゃん、あなたが生まれたのは、予定日の3か月も前でした。734グラムの小さな小さな赤ちゃんです。ママは「もっと気をつけていればよかった」と、涙を流しました。ばばちゃんは、そんなママが可哀そうで替え歌を作って歌ってあげました。
「あわてん坊の優ちゃんは、予定日前に生まれたよ。急いでルンルンルン、急いでルンルンルン、ママの顔が見たい」
ママがちょっと笑いました。
目が見えないんじゃないか、知能はちゃんと発達するだろうか、肺が弱いのではないか、たくさんの検査を乗り越えて、無事に20キログラムの女の子になり、春には1年生になります。
優ちゃんが言いました。
「その歌覚えているよ。ばばちゃん、何回も歌っていたもの。でもね、優ちゃんは、すごく早くママに会いたかったんだから『急いでビュンビュンビュン』の方がいいよ」
優ちゃんに教えてもらって、ばばちゃんは心が温かくなりました。あなたが生まれた日、1人でドキドキしながら待っていたら、看護師さんが「おめでとうございます。ママによく似た目の大きなガッツな女の子ですよ。ちゃんと産声もあげました」と教えてくれたことを、今でもはっきり覚えています。
優ちゃんは生まれた時からガッツがあったんです。どんなことでも乗り越えていけると信じています。これからも、ばばちゃんにいっぱい教えてくださいね。
2016.02.27
ひ孫の千紗稀へ
吉田美恵子
千紗稀(ちさき)は、2015年4月5日、23時3分、体重3,150グラム、身長49.5センチで、桜花満開時に誕生しましたね。それから7か月、「千紗稀」っとあやすと、にっこりと笑ってくれます。
曽祖母バアバは78歳なので、認知症予防にと、昨年1月からタブレット型パソコンを始めました。そのタブレット型パソコンには、パパ、ママ、祖母が送信してくれた、千紗稀のお宮まいりや日常の写真が、たくさんあります。
97歳の高祖母は、その大きな千紗稀の写真をとっても喜びます。曽祖母バアバは、高祖母と千紗稀のツーショットを年賀状に仕上げましたよ。この春、高祖母の白寿祝を企画しています。そのとき千紗稀に着てもらおうと、私は、タブレット型パソコンで春用のスカートを見つけて、千紗稀は、もうお歩きができるかな? 片言が話せるかな?と、大きな楽しみを胸いっぱいに持って、今、一針一針編んでいます。
こんなうれしい幸せをくれたパパ、ママ、千紗稀に、心からありがとうを言います。
2016.02.20
ひ孫の千紗稀へ
にゃんこ母ちゃん
璃心(りこ)ちゃん、やっと会えたね。生まれて2日目に対面してから、テンションが上がりっぱなしです。璃心ちゃんは私の喜びであり、その生命力は、私を刺激し、私に生きる力を与えてくれます。だから私ももう少し頑張れます。
スクスクと成長していく璃心ちゃん。璃心ちゃんが成人するまで、ひいばあちゃんは生きていたいと思います。ひいばあちゃんは、20歳で母親になり、42歳で、おばあちゃんになりました。璃心ちゃんのお母さんも20歳、璃心ちゃんのおばあちゃんも42歳です。とても、不思議な縁を感じます。
ひいひいばあちゃんもまだまだ元気なので、5世代になります。大変な世の中ですが、健康で、強く、やさしい、しなやかな人間になってください。
ひいばあちゃんより
2016.02.13
8か月のチハルへ
チハルママ
チハルがパパとママのおうちにやってきて、8か月。
去年の冬はチハルの温かみをおなかで感じ、春からの生活が楽しみで、まるで夢のなかにいるみたいだったよ。
チハルが生まれてすぐは、小さくてホニョホニョで抱くのもこわいくらいだったのに、いつのまにか、プリプリの赤ちゃんになって、ママのいくところをズリズリ一生懸命はいずりながらついてきて、ママの足にしがみつくね。
遠くにいてもチハルはいつもじっとみていて、笑いかけると声をだしてコロコロ笑います。それがかわいくて、ママはこれからもずっとチハルにニコニコ笑いかけていこうと心に決めています。
ベビーカーより抱っこが好きで、いつもママとくっついていたい甘えん坊さん。どんどん重くなってママの肩と腰はガチゴチだけど、抱っこひものなかから外の様子を好奇心いっぱいでのぞいているチハルはとてもかわいくて、いつもぎゅっと抱きしめます。
チハルは毎日どんどん成長していくね。早く立ちたい、早く歩きたい、早くしゃべりたいといつも一生懸命。でもね、パパもママも、もっともっと赤ちゃんのチハルとの生活を楽しんでいたいな。そんなに急いで大きくならなくていいんだよ。
2016.02.06
あなたがくれたもの
小川雪乃
ママは毎日、あなたのことが、可愛くて可愛くて仕方がありません。それ以上に、あなたのことを誰よりも尊敬しています。そして、いつもあなたに感謝しています。
あなたが生まれてきた日。あなたは私に、何よりも素晴らしいプレゼントをくれました。ママは幼いころからずっと、いじめられっ子でした。生まれてきたのがつらくて、生きているのが苦しくて、そんな思いに押しつぶされそうになりながら生きていました。
あなたのパパと出会ったときは、どんなにつらくても、そのつらさを分かち合って生きていける人ができたのだとうれしく思いました。けれど、あなたが生まれた日。小さくて頼りないあなたを胸に抱いた時。私は、生まれて初めて「生まれてきてよかった」と思いました。つらくても今まで生きてきてよかったと心の底から思えました。
はるか、私に生まれてきた意味をくれてありがとう。私の人生に生きる価値があると教えてくれてありがとう。私は、あなたのしあわせを何よりも願っています。きょうも、あしたも、ずっとずっと先の未来までも、あなたがしあわせでありますように。そして、いつの日か、あなたが私のもとを巣立ち、輝かしい未来へ旅立って行く日を楽しみにしています。ありったけの敬意と感謝を込めて。
2016.01.30
生きて成人式を見たいな
市川バアバ
理冴(りさ)ちゃん、1月8日があなたの誕生日。もう1歳になりましたね。
おめでとう!!
あなたのお父さんから、「ようやく父親になれました」と、喜びのメールが入ったとき、とてもびっくりしましたよ。だって生まれるなんて、聞いてなかったからです。
それまでにバアバが何回もガッカリしていたからでしょう、きっと。ごめんなさいね。
バアバは、ことし70歳。理冴ちゃんが成人式を迎える20年後は、90歳。生きて、理冴ちゃんと一緒に、成人式を迎えたいな。
頑張るからね。
2016.01.23
しあわせな感じ
帰ってきたけんにいちゃん
はなぼうが生まれてまだ間もないころ、お母さんがおっぱいをあげているときに、けんにいちゃんはお母さんに聞いてみたんだ。「どんな感じがするか」って。するとお母さんは、ちょっと考えてこう答えた。「しあわせな感じ」
けんにいちゃんは男だから、赤ちゃんに自分のおっぱいをあげることはできない。けれど、その「しあわせな感じ」を、どうしても体験したくなった。それでここからは内緒の話なんだけど、お母さんが買い物に出かけている間に、一度、自分のおっぱいに牛乳をつけて、はなぼうの口元に持っていったことがあるんだ。衝撃の事実でしょ。さすがに思い直したけどね。なにかあったら取り返しがつかないから。その甲斐(かい)もあって?、はなぼうは大きな病気ひとつせず、すくすくと優しく可愛く育ってくれて、もう中学生だもんな。
というわけで、けんにいちゃんにとっての「しあわせな感じ」は、はなぼうの健やかなる成長です。また、誕生日にはマカロンの24個入りを持っていくからな! これからも、たまにでいいので遊んでください。
2016.01.16
息子へ
ひまわり
今回のお手紙は福島県郡山市にある「JDF被災地障がい者支援センターふくしま」の利用者からです。
おなかにいるとき、すっごく揺れてびっくりしたよ。あなたが男の子ってわかった次の日に、地震があったんだ。いろいろ移動して疲れなかった? あんまりごはん食べられなくて、ごめんね。おなかの中で元気に育ってくれてありがとう。
破水して、2日たっても陣痛がなかったときは、ママはすっごく心配したんだよ。点滴で陣痛をおこさせようとしているときに、あなたがおなかの中で苦しんでいると聞いて、ママはすっごく不安になったんだよ。急に帝王切開になって、ママはあなたが無事に生まれてくれるか不安だった。でも、あなたの大きな産声をきいたとき、ママはすっごくうれしかったよ。
無事に生まれてきてくれて、ありがとう。体重3,345グラム、身長49センチ。他の子より体重があったんだ。一緒に退院できてよかったね。
でも、2か月のとき「入院」ってなった。ママはびっくりしたよ。ミルクを飲んで、何回も吐いたから入院になった。でも、1か月で退院になってよかったね。あなたが元気でよかった。そのあとは何にもなくて、すくすく育っているね。
私のところにきてくれてありがとう。これからもよろしくね。元気よく育ってね。
2016.01.09
赤ちゃん、ママがんばります。
さくら
今回のお手紙は福島県郡山市にある「JDF被災地障がい者支援センターふくしま」の利用者からです。
初めての出産でした。体重は、2,118グラムでした。少しちいさく生まれましたが、うれしかったです。
1か月健診のとき、体重は3,670グラムと増えて、よかったと心から安心しました。
私は、病院で出産しました。破水してから、すぐに分娩(ぶんべん)室に入り、23時間かけて、赤ちゃんを産みました。1歳になって、体重が8,100グラムになり、よかったです。異常もなくて安心しました。でも、2、3歳のときに、健診で目が悪いと言われて、私はショックを受けましたが、今は受けとめています。
体重は、すくすくと増えていきました。うれしかったです。このころは、いろいろと不安がありました。ごはんのことや、赤ちゃんのからだのことなどです。でも不安は少しずつ解消されていきました。4歳になって、体重が変わらなくなっていき、私は大丈夫かな?と不安ですが、子どもらしくすくすくと育っていますし、見守っていきたいです。
今、メガネをかけていますが、子どもなりにがんばっています。私は、育つ子どもを見守っていき、支えていきたいです。子どもには、かしこく、やさしい子に育ちますようにと思っています。そして、私もがんばって育てていきたいです。
2016.01.02
あお君へ
あお君のばぁば
1歳のお誕生日おめでとう。この日を迎えられて、ばぁばはうれしいです。
あお君は少し早くうまれそうだったの。「もう少しおなかにいれておいてください」という、お医者さんのことばに、あお君のお母さんは、仕事をしていたのがいけなかったのかと自分を責めて、不安で心が張り裂けそうになりながら、がんばりました。
「ただ、元気にうまれてきてくれたら」。それだけでを願って、ばぁばは、毎日100円玉を握って、近くの神社にお参りに行っていました。
「もう出てきていいですよ!」。お医者さんのことばを聞いたら、本当にスーッとうまれてきてくれました。
あれから一年、いろいろな不安を抱えながらも、ただ、あお君が可愛くってお母さんは子育てに励んでいます。どーぞ、たくましく育ってほしい。
あお君の笑顔はよく効くお薬です。ありがとう!!
