主催:公益社団法人日本フィランソロピー協会
共催:毎日新聞社、
   特定非営利活動法人日本クリニクラウン協会
未来への手紙プロジェクト
 
~Archives~
 
2017.12.30
ひ孫の真乃助君へ
藤原英幸
風薫ることし5月、真乃助君、君は6番目のひ孫として生まれてきたね。君の生まれた岐阜から大阪までの距離を考えると、首がすわるまで会うのはお預け……。ひいじいちゃんは待って、少しばかり首が伸びたかと心配したよ。
 
9月の末、パパとママと3人で遠路、車でやって来た。くりくり動く目と、まあるいほっぺの可愛いこと!。長旅の疲れも何のその、ママに抱っこされた君は、両足をパタパタさせ上機嫌だったね。ひいばあちゃんが抱いたときはちょっと泣きベソだったのに、ひいじいちゃんが抱くと、ワンワン泣くのだもの。ママに渡したら、ピタッと泣きやむんだから、ママの魔法はすごいね。
 
君が帰るとき、ひいじいちゃんは、いつまでも手を振っていたよ。君はこれから、パパとママの愛情を受け、すくすく育つだろう。ひいじいちゃんは、いつまで君の成長を見届けられるかな。君の中学校入学ぐらいは見届けたいけど、そのためにはお酒は程々にって、ひいばあちゃんがうるさいんだ。酒は百薬の長なのにね。
 
感激の対面から1か月。この頃、本気で考えるよ。君たちの未来のために、大人は何ができるだろう。莫大な遺産は残せなくても、日本の今の平和を維持し、きれいな空気を少しでも取り戻す努力をするのが大人の責任だってね。そして、ひいじいちゃんが今できることは、健康に気をつけて、一日でも長生きすることさ。
 
また、会いにおいで。
 
2017.12.23
たくさんの宝物をありがとう
まあば
稜(りょう)ちゃん、じいちゃんとばあちゃんに、たくさんの幸せをありがとう。元気と、やる気もありがとう。何よりもたくさんの夢と希望をありがとう。
 
じいちゃんは、去年8月に脳内出血で倒れ、3回も手術をしたんだよ。はるかママに赤ちゃんがやどったことを聞いたときはうれしかったなあ。じいちゃんは「そうか、そうか。じいじになれるんだ」と、うれし泣きしたんだよ。でも、ばあちゃんに、「リハビリをがんばらないと、じじいって呼ばせるからね」と脅されて、じいじと呼ばれたい一心で、リハビリを続けているんだよ。
 
稜ちゃんが生まれた7月、ばあちゃんは自転車をとばして報告に行ったよ。じいちゃんは病院で「バンザーイ、バンザーイ」と右手を挙げて何度も叫んだ。恥ずかしいからやめてと頼んでも、幸せでうれしいんだからいいんだと言って、大声で男泣きしながら、バンザイを続けていた。
 
病院のみんなに「孫が生まれたんですよ。3,775グラムの男の子なんですよ」と、報告しまくったじいちゃん。ばあちゃんは、稜ちゃんが「じいじ」と呼ぶことを許してあげようと思っているよ。
 
呼んであげてね、「じいじ!」と。
 
2017.12.16
何て呼ぼうかな
大ママ
君の父ちゃんは、私の孫です。孫嫁ちゃんは、グレートグランドママは長すぎるので、私をグレグラマと呼びました。君の父ちゃんと、そのお兄ちゃんはアメリカで生まれたので、グランドママと呼んでもらおうかと思ったんだけど、短く言うとグラマーと聞こえてしまうし、そのころ私はボインでグラマーだったので、君の父ちゃん叔父ちゃんは、米国籍を持っているので、和洋まぜて大(おお)ママなのです。君のじいじは変だと言ってるけど。
 
じいじは飛行機で10時間くらいかかる遠いアメリカで仕事をしていて、ばあばも、なかなか君に会いに来られません。日本にいるグレグラマは、1時間くらいで君の家へ行ったりします。もう、ニッコリする顔が可愛くてたまりません。君の父ちゃん母ちゃんは、君を大事に育てているので、とてもいー子ちゃんです。私以外は皆、英語日本語ができる家族なので、両方の言葉で話せるように育てると言ってます。
 
グレグラマも英語の絵本を買ってきてしまいました。きっと二つの国の言葉で活躍できるような素敵な大人になってくれるでしょう。君の親たちは、父ちゃん母ちゃんと呼ばせると言ってるけど、その呼び方も面白くていい。まじり気のない日本人なのだから。
 
グレグラマは、今88歳。生きていて、君に会えて本当によかったと思っています。
 
2017.12.09
食いしん坊姉妹
稲川フチ子
2歳になった結和(ゆいな)ちゃんに、妹の和花(のどか)ちゃんが生まれました。グシュグシュー、スポーン。アー出て来た。皆待ってたよー。予定より1週間ほど早くこの世にデビュー。マイペースでお母さんのおなかから飛び出してきたよ。あまりに急で、お母さんはおなかが痛くてキャーっと悲鳴をあげそうになったんだって。それでも元気に生まれたので、皆ニコニコ顔です。
 
和花ちゃんが生まれたとき、結和ちゃんは手足口病にかかっていました。お母さんは「和花ちゃんに近づいてはいけませんよ。」と言うのですが、妹が可愛くてたまりません。すぐに近づいてジィーっと見つめていました。お母さんもあきらめ顔。お父さんは「髪の毛薄いけど大丈夫かな」なんて、もう女の子の心配していますよ。
 
結和ちゃんは、とっても繊細でちょっと泣き虫屋さん、和花ちゃんはマイペースです。性格は違うけど、二人とも食べるのが大好きで食いしん坊。サンドイッチ、フルーツ、その他……。たくさん食べておなかポッコリだよー。結和ちゃんは保育所ではお友だちのお昼ごはんまで食べそうになるんだって。お母さんは「家で食べさせていないみたいではずかしー」
 
でもね、この地球上のいたる所で、お母さんのオッパイもでない、ミルクも食物もなくおなかをすかして泣いている子どもたちがいるのです。あなたたちが大人になったらそれを知ってほしいのです。そして、この地球上の子どもたち皆がおなかいっぱい食べられるよう、世の中のために尽くしてください。そんな思いやりのある大人になってほしいと願っています。
 
2017.12.02
星也くん、琢也をパパにしてくれてありがとう
福岡悦子
平成2年3月6日、いつもより帰りの遅い保育園年長の三男琢也(たくや)を迎えにいかなかった私のミスで、家の前で交通事故に遭わせてしまいました。左側頭部脳挫傷。琢也は次の日緊急手術をし、小さな体に無数のチューブをつながれ、3週間、意識不明の状態でした。毎日、声をかけ、足をさすり、いつか目をあけてくれることを信じていた。意識が戻ったら、車いすでどこでも連れていけるし、それなら大きなワゴン車もいるね。私は世界中の神様、仏様にお祈りし、涙も枯れてしまいました。
 
3週間目にパチリと目が開いた時、先生方や皆様に感謝し大変うれしかった。琢也は奇跡のようにどんどん回復し、3か月後には小学校、そして中学校、高校、大学へ進学しオーストラリアへ。ホームステイもし、無事就職。お嫁さんが来て、昨年5月8日には星也のパパになりました。
 
あの琢也がパパに……。感無量の喜びでした。あの当時、長男、次男も小さかったのに、いろいろ協力してくれ、我が家が一つになりました。保険会社の方に就学前の事故は親の責任と言われ、私の心には、大きな傷が残ったのですが、主人はきょうまで一言も私を責めることなく見守ってくれました。今は、車いすではなく、ベビーカーを載せてワゴン車で小さな旅行を楽しんでおります。星也君、生まれてきてくれて本当にありがとう。
 
2017.11.25
あわてんぼうの君へ
創ちゃん、蒼ちゃんママ
君は早く外の世界を見たかったのかな? それともパパやママ、君のお兄ちゃんに早く会いたかったのかな? 「オギャー」。か細い泣き声を聞いたとき、私は安堵と不安な気持ちが入り交じった。なぜなら、君は出産予定日より1か月も早く誕生したから。保育器に入り、たくさんのチューブにつながれた君と対面したとき、生きてうまれてきてくれたことに感謝するとともに、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。君はそんな私を気遣うかのように、みるみる元気になり、我が家にやって来た。
 
君と過ごして6か月、おもちゃを握るのも、首すわりも遅かった。寝返りもまだせず、すべてがゆっくり。だけど、君は君のペースで良いのだよ。これからの君の人生はとっても長いのだから。
 
2回の入院も体験したね。心配で眠ることもできず、願うのは君が早く元気になることだけ。親は赤ちゃんがおなかにいる間、ただ元気にうまれてきてくれるのだけを願う。それが、こんなふうに育ってほしいといつしか欲張りになり、希望するようになる。
 
君の存在が私たちに初心を思い出させてくれた。お兄ちゃんも君も元気な笑顔を見せてくれてありがとう。大切な存在が増えれば、その分だけ心配も増えるけれど幸せも無限大である。
 
創生(そうき)、蒼波(あおは)、君たち二人が仲良く、時にけんかもし、成長していく姿を、私たち夫婦は楽しみにしています。
 
2017.11.18
すぐに天国にいった2人の赤ちゃんへ
宮本喜久子
私は今、87歳。生涯で5人の子どもを産みました。2番目と4番目の子は死産でした。当時は産院や家での出産でした。今は3人の子どもと6人の孫、2人のひ孫に恵まれています。しかし今も2人の子への思いは続いています。
 
戒名は、夢水骸女位(むすいがいじょ)と、香風嬰女位(こうふうえいじょ)
 
この世の風にそっとふれただけ。そして夢のように消えた2人の赤ちゃん。母の私のおなかが居心地よかったのか、2人のうちのお姉ちゃんは大きくなりすぎた難産だった。下の子は生まれるとき、逆子になってすぐに天国へ逝ってしまった。
 
どうしてますか。家の仏壇に2人の名前を書いてまつっています。私が天国へ召されるときは、2人の名前を書いた位牌(いはい)を連れて行く予定です。「ずっと家族を見守ってくれてありがとう」と、一番にお礼を言うつもりです。2人は口をそろえて「お父さん、お母さん、みんなずっと見てたのよ。お母さん、自転車に乗って元気で家事をしてがんばってくれてご苦労さんでしたね」と言ってくれるでしょう。3人で手をつないで、話をするのを楽しみにしています。
 
2017.11.11
抱きしめたい結映ちゃんへ
鈴木モリ子
結映(ゆえ)ちゃん、生まれて来てくれてありがとう。可愛い目元、口元、もみじのようなおてて。あなたのお母さんが、お姉ちゃんが、お兄ちゃんが、待ちに待っていた宝物なの。
 
結映ちゃんは何も知らず、すやすやと眠って我が家へ帰ってきました。出産直後に逝ってしまったお母さんが望んでいた3人目の赤ちゃんです。結映ちゃん、あなたのなまえは、お母さんの「映子」と、結映ちゃんの絆がいつまでも離れることなく続くようにと、お姉ちゃんとお兄ちゃんが考えた最高のなまえです。
 
結映ちゃん、可愛い、いとおしい赤ちゃん。ばあばは、しっかりと守り育てようと、心に決めています。あなたのみずみずしいパワーを88歳のばあばに分けてください。頑張れる気がします。
 
あなたが生まれてから1年が過ぎ、6月21日、結映ちゃんのお誕生日を家中でお祝いしました。ママの写真も飾ってネ。1年間大勢の皆様に見守られ、お世話になってきょうがあります。こんなに大きく成長した結映ちゃんをお母さんに見てもらいたい。お母さんもさぞ見たかったと思うと、ばあばはさびしくて、無念で、可哀そうで、一人涙しています。
 
結映ちゃんは、今、菜の花こども園でお世話になり、お友だちと遊び、学び、たのしい日々を過ごしています。家にいてもチョッピリ悪さをしたり、ヨチヨチ歩いて愛嬌(あいきょう)をふりまいてみんなの人気者です。
 
いつまでも皆様に愛される、可愛い結映ちゃんでいてください。
 
2017.11.04
あなたが生まれてきてくれた奇跡
山口百合
蒼生(あおい)へ。
 
2017年8月10日、不安と期待で胸が苦しいような、そんな中あなたの産声が聞こえてきた時、私の目は涙でいっぱいになりました。
 
思えば、私は卵巣のう腫という病気で3回も手術をして、卵巣を一部切除していたので、妊娠できるのかどうかとても不安でした。なので、あなたが私のおなかの中に宿っているとはじめて知った時、本当に心からうれしく思いました。
 
おなかの中にいる時も、あなたのことがいとおしくてたまらなくて、よく頭をなでていましたよ。生まれる前に、パパから私の誕生日に買ってもらったミシンであなたのベビー服をつくっていた時も、とても幸せを感じていました。
 
ずっと逆子だったので帝王切開手術になり、それと合わせてまた卵巣のう腫が見つかり除去してもらえたので、もしかしたらわざと逆子でいてくれたのかな?と思いました。
 
蒼生、あなたが生まれてきてくれた奇跡が、今、私の胸いっぱいにあふれています。生まれてきてくれて、本当にありがとう。これからどんな日々があなたを待っているのかな。時に悲しいことがあったとしても、それを包み込む大きな大きな幸せが、いつの日もあなたにたくさん訪れますように。
 
2017.10.28
待ちに待った赤ちゃん
雨宮由利子
パパ、ママ、お姉ちゃま、皆で待っていた7歳離れた可愛い赤ちゃん。9月3日に生まれたので、久美(くみ)と名づけたのよ! お姉ちゃまと顔を合わすことなく、ママに抱っこされることもなく、9月7日に一人で天国へ……。5日間の短い命だったけど、パパ、ママ、お姉ちゃまは久美を忘れていませんよ。
 
時は流れて、17年前にパパが久美のもとへ行きました。天国でパパにいっぱい甘えていることでしょうね! お姉ちゃまは、3人の男の子を授かり、すっごくたのもしいママになっています。パパと久美に会えず残念だけれど、とても元気なやんちゃな3人です。久美ちゃんを一度も抱っこできなかった分、お姉ちゃまのやんちゃな3人をいっぱい抱きしめています。
 
10歳、7歳、4歳の男の子! バーバは、大変です。ママは、久美ちゃんにとってはママ、3人にとってはバーバです。久美ちゃんもパパに、ママの分も抱っこしてもらってね!
 
あら! 生きていたら37歳。抱っこは無理ね。だ~い好きだよ。ママにとっては、いつまでも、生まれたばかりの久美ちゃんです。
 
2017.10.21
なんでやねん!
西雄一
(りゅう)くん、涙が止まらへん。急に離れ離れになったんやから。ほんまは8月6日の予定やったのに、突然きょうになってしもうた。ママが、こけて肩を脱臼して骨折したからやねん。ママは2~3週間ほど、実家の病院に入院せなあかんことになってしまったんや。
 
竜くんは、まだ3か月。母乳しか飲んでへん。いつもママと一緒や。けど、ママが入院せなアカンから、しばらく母乳は我慢やで。
 
竜くん、それでもしばらくはママについとったってな。パパはお盆にはそっちに行くから。
 
パパは涙がとまれへん。新大阪で竜くんとママを降ろした後、帰りの車の中で涙がとまらへんかった。何度も何度も手のひらを鼻にあてた。さっき新大阪で抱っこした時の竜くんの感触と、においを確かめるためや。家に帰ってから、誰もおらへん部屋みて、がっくりや。3人一緒に寝ていた部屋も、きょうから一人ぼっち。竜くんの、おっぱいほしがる声が聞こえへん。膝に乗せた時の竜くんの笑顔も見られへん。一緒に風呂も入られへん。竜くんの泣き声が聞かれへん。ベビーカーおして、イオンの中、歩かれへん。パパ、悔しくてたまらん。
 
でも、竜くん、しっかりママを支えたってや。竜くんがおったら、ママの手術もたいしたことない。お盆にいっぱい遊ぼな。ほんで、大阪に戻ってきたら、毎日一緒に散歩いこな。竜くんが、パパとママの宝物やで。ホンマに好きやで。
 
2017.10.14
直樹くんへ
チビブタ
「ただいま」「おかえり」の声を退院の日に聞けてとても感激しました。
 
9か月と1日で、急な出血。産院から保育器ケアのある病院に救急車で運ばれ、緊急帝王切開に。保育器に入った小さな君(1,844グラム)を見たとき、バーバァは涙が出ました。40歳という高齢出産だしね。でも君はおなかにいるときから「ちょっと大きいけど元気ですよ」と言われてたから、バーバァもお母さんも安心しすぎたね。お母さんは産後うつになり、涙、涙だったそうです。
 
でも、病院で日に日に元気になる君を見て「無事生まれてきてくれてありがとう」と。お父さんも休みの日は1時間かけて病院に来てくれたよ。冷凍母乳を届けること1か月と2日で無事退院。夜、昼となく「おなかすいた」「オシッコ出た」「ダッコして」と、小さな身体で精いっぱい自己主張する君。家族全員手のあいている人にダッコしてもらい、スヤスヤ。
 
名前のように、素直でたくましい子に育ってね。みんなであたたかく見守っているからね。
 
2017.10.07
誕生したばかりの君へ
前田栴児
君が生まれてくるのはまだ先だと思っていたら、突然実家から「生まれた」という連絡がはいり、パパはもうびっくりでした。君に会いに行けたのは夕方ごろでしたが、君は保育器の中で、あくびのような仕草をしていましたね。その時はいきなりだったので、まだ十分実感がわきませんでしたが、君もママも元気そうで安心しました。君が生まれた時、ママはね、ちょっと泣いたんだって!。ママらしいよね。
 
帰ってからようやく落ち着いたので、ママに手紙を書いています。今、深夜の2時です。君は今どうしているかな? 結婚以来、1年2か月目にして授かった赤ちゃん。最初の赤ちゃんを流産させてしまい、しばらくは辛い日々を過ごすことになりましたが、再びママの妊娠を知った時は、とてもうれしかったです。
 
そして、そこからは君を中心とした生活。君を守るための生活が始まりました。ママは自分ではのん気なようなことを言っていましたが、どれくらい一生懸命だったかは、パパが一番よく知っています。パパとママにとって、子育ては全く未知の世界です。これから先が本当の意味で大変なのかもしれませんが、二人で力をあわせて頑張っていきますからね。君は安心してくれていいですよ。
 
本当に無事に生まれてきてくれてありがとう。そして、ママ本当によく頑張りましたね。
 
2017.09.30
産声に感動
あっきーママ
(あきら)がおなかに宿ってから誕生まで、本当にあっという間でした。結婚前の妊娠発覚で、周りが認めてくれるか不安だったけど、パパはあなたのことを一番に喜んでいました。
 
それからの9か月間は、じいじ、ばあば、親戚、お友だち、みんなが輝の誕生を心待ちにしてくれました。無理してはいけない妊娠初期もママは仕事で走り回ったり、重いものを持ったり、輝には苦しい思いをさせてしまったかもしれません。それでも元気に育ってくれてありがとう。
 
何度もおなかの中のあなたに「会いたいよ~」と声を掛けたのだけど、聞こえたかな?。予定日を過ぎ促進剤での出産が決まり、薬頼りだとしても、やっと輝に会えると思うと、本当にうれしかった。しかし破水してしまい、「羊水も濁っていて赤ちゃんが苦しい状態、帝王切開に切り替えましょう」と。急なことについていけず、輝にも申し訳なくて情けなくて、ママは号泣。泣き虫で弱虫なママでごめんね。不安な中、挑んだ手術。輝がおなかから取り上げられ、すぐに聞こえた大きくて元気いっぱいの産声。本当に安心してうれしくてまた泣いて、涙でボヤけていたけど可愛い顔も見れて、しっかり握手もできて、本当にあの瞬間は感動で胸がいっぱいでした。
 
我が子は本当に可愛い。苦しい中でも元気に生まれてきてくれてありがとう。これから、家族で楽しい思い出をたくさん作って行こうね。宇宙で一番愛しているよ。
 
2017.09.23
旺世君へ
竹本康子
旺世(おうせい)君、6月16日は1歳の誕生日だね。おめでとう。
 
昨年は2人のおばあちゃんが分べん室の外で今か今かと待っていました。ママは朝から君の誕生のために一生懸命でした。パパはママの傍にいて応援しているのだけど、君はなかなか生まれてくれません。ママのおなかの中がよっぽどよかったんだね。
 
それでもママは力を振り絞って頑張りました。昼近くなり、突然「オギャア」という君の泣き声が聞こえてきました。「生まれた」。2人のおばあちゃんは叫びました。君は3,576グラムのりっぱな赤ちゃんです。ママは本当にたいへんでした。でも君の泣き声がうれしくてたまりません。誰もが皆笑顔です。パァーと幸せが飛び込んできたのです。
 
その日は、いろんな人が君の顔を見に来ました。しばらくパパもママも眠れない日が続いたけれど、君はすくすくと育ってくれました。今では、大声で笑います。歯だってはえてきました。スプーンを持って食べようとします。つかまり立ちができます。君のする事ひとつひとつがかわいくてたまりません。
 
こんなにも幸せにしてくれた旺世君、元気に育ってね。君の誕生に大勢の人が喜んだことを忘れないでね。生まれてきてくれてありがとう。おばあちゃんにならせてもらったよ。
 
2017.09.16
りおくんへ
ねこぱんち
もう3歳になりましたね。パパが一生懸命に頭はこっちだよと伝えたのに、結局逆子のまま左足の膝から出てきましたよ。たまたま逆子好きの先生でそのまま出産させてくれました。
 
後で調べたら、とても危険な出産だったんだって。腕の良い先生で本当にラッキー。あなたも上手にクリンと回って出てきたんですって。逆子なのにうっ血もなく、とてもきれいな顔だねって、看護師さんが言ってました。
 
パパと一緒で、ママの言うことを、いーっこも聞かないけれど、ママはパパとりおくんが大好き。小さいあなたに助けてもらうこともたくさんあるよ。りおくんが我が家に来てくれて本当に良かった。
 
パパもママも仕事が忙しくてなかなか一緒に遊べないし、毎日ヘトヘトだけれども、りおくんはたくさん元気をくれます。りおくん、いつも楽しませてくれてありがとう。
 
これからもよろしく。
 
2017.09.09
生まれて来てくれてありがとうね
後藤 博
去年のお正月だったんだ。あなたのパパとママもお年始に来ていてね。ちょうど、妊娠中のパパの妹夫婦も2歳になる長男君を連れて来ていたんだ。その帰りがけ、パパが叔母チャンに「2人目の出産はいつ」って聞いたんだ。「5月末よ」と叔母チャンの回答。そして、皆が次の「それなら、うちと同じ月だあ」のパパの言葉にあぜん・ぼうぜん・大騒ぎ。だって、あなたのママは結婚15年のキャリアウーマンで、パパと同い年43歳の高齢初産。しかもパパ単身赴任中。「何それ」「どうなってんの」だったよ。
 
そして、ことしのお正月。じじばばの家は「オムツいとこ3人衆」のそろい踏み。この1年間はいろんなことがあったけど、あなたはママのお母さんの助けも受けながら5月25日に誕生し、それより3日早く、叔母チャンちの次男坊君も誕生。じじもばばも「孫の顔は見れないかもね」なんて言い合ってたのに、アッという間に「一姫二太郎の孫もち」になってしまったんだ。
 
でも、残念だけど後期高齢間近のじじばばは、「大人」になったあなたたちを見届けられないかもしれない。けれど、心から元気で健やかに育ってくれることを祈っていますよ。世の中は、個性や多様な生き方を否定するような嫌な空気が漂ってきているけれど、「生まれてきて良かったなあ」と思える豊かな「人生」を歩んでほしいと願っていますよ。
 
じじもばばもあなたたちに会えて本当にうれしい。「オムツ3人衆」よ、生まれてきてくれて本当にありがとう。
 
2017.09.02
おなかの中の赤ちゃんへ
プレママ
おなかの中の赤ちゃん。もう少しでやっと会えるね。大きくなっていくおなかに、力強い胎動や可愛らしいしゃっくりを感じる日々は、あっという間のようで、長いようで、不安なのにワクワクするような、とても温かく幸せなものです。
 
パパもママも「慎(つつしむ)」という漢字が好きで、あなたが男の子だと分かってすぐに、「つつしむ」「これ」「すけ」で、慎之介という名前を付けようと決めました。「慎」という漢字が持つ意味のように、人や物事を大切に、思いやることができる人になりますように。そして私たちも、あなたのことを大切に、思いやりを持って育てていくからね。
 
パパとママだけでなく、みんながあなたの誕生を楽しみにしてくれています。ついこの間は、家族のみんなが集まって、あなたを迎え入れるためのお祝いのパーティを開いてくれました。たくさんの人の声がして、おなかの中でビックリしていたかな? 家族が増えることは何にも代え難い喜びだと、改めて感じました。
 
あなたは小さな体でたくさんのことを教えてくれています。おなかの中の赤ちゃん。私たちの元に来てくれてありがとう。早く、泣き声を聞いて、お顔を見て、ギュッと抱きしめたいな。
 
2017.08.26
一護くんと凛護ちゃん
神薗博子
一護(いちご)くんが3歳、凛護(りんご)ちゃんが生後2か月の時にパパは難病の宣告をされ、入院生活が始まりました。
 
凛護ちゃんが4か月の時に、パパは生きる希望を胸に移植を決意して頑張ったのよ。ママと一護くんと凛護ちゃんは、ずっと寝泊まりしてパパのそばで応援していたけど、悪い病気の力が強くて、パパは35歳で天国に旅立ちました。
 
凛護ちゃんは生後6か月でパパとサヨナラになったね。3歳の一護くんもパパの死が理解できてないけど、バァバはママと力を合わせて2人を見守るからね!
 
いつの日か、パパがどれだけ頑張ったか!2人をどれだけ愛していたか! お話をするからね! だから健やかに明るく育つことを心から願っていますよ。
 
2017.08.19
「ゆこりん」へ
ごとうまさこ
ゆこりんを授かったと知った時、女の子だと信じ、名前を早々と決めて生まれるのを待ちました。
 
赤ちゃんの時からいつもしがみついていて、幼稚園へ行くようになってもなかなか離れず、送り出すのが大変でした。帰宅後も1時間くらいじっとしがみついていました。泣いてもぐずっても可愛くってそんな時は私のほうが抱きしめていました。
 
高校生になったある日、熱を出して喉が痛いと言った夜、お父さんと一緒に川の字になってゆこりんと寝ました。時々枕元の洗面器にタオルを浸して、ゆこりんのほてった顔を冷やしました。翌日は何事もなかったように学校へ行く姿を見て、愛情と手当ての大切さを悟りました。
 
ゆこりんは結婚が遅くて気をもみました。いい彼に出会いほっとしましたが、それもつかの間、手術で赤ちゃんが産めない体になってしまい、何と声をかけたらいいのか胸が張り裂けそうでした。今は落ち着き、彼と週末はあちこちに出かけ楽しんでいる様子。ゆこりんが元気にしているのが一番うれしいです。
 
今までの私の人生で折れそうになった時でも、ゆこりんが心の支えになってくれて立ち直ることができました。遠くへお嫁に行ったけど、一日とて忘れたことはなく、毎日ゆこりんの健康を神様に祈っています。ゆこりんがいたから私もきょうまで生き続けることができて、感謝しています。不行き届きな点は許してね。
 
2017.08.12
寛治くんへ
雅世ばあ
寛ちゃん、5歳のお誕生日おめでとう。毎年、寛ちゃんの誕生日には、あなたが生まれた日のことを特に思い出します。
 
妊娠7か月に入ったばかりのあなたのお母さんが朝から腹痛を訴え、念のためにと病院へ行くと、なんと出産が始まっていると病院中が大慌て! ICU(集中治療室)のある遠くの病院へとそのまま救急車で運ばれました。何が何だか解らず、不安だらけの中、祈ることしかできないばあでした。
 
その夜、お父さんが仕事先から病院にかけつけてすぐ寛ちゃんが生まれました。1,000グラムの小さな小さな赤ちゃん。無事に育ってくれるのかと、とても心配でした。
 
あなたの3か月間の入院中、お母さんは猛暑の中、毎日母乳を届けに電車で病院に通ったんですよ。寛ちゃんが退院して、初めてだっこできた時の感動は忘れません。いつもニコニコの寛ちゃんといると、心がじんわり温かくなります。やんちゃな寛ちゃんが元気に育ってくれることで、当たり前のことなんて何ひとつないんだなあ……と、ばあはたくさんのことに感謝ができるようになりました。
 
44歳も年上の私に大切なことをいっぱい教えてくれる寛ちゃん。あなたの存在はとても偉大です。ありがとう。
 
2017.08.05
つぶらな瞳
優芽香ばあば
我が家に孫の優芽香(ゆめか)が加わって11か月。にぎやかになりました。
 
娘は結婚して6年。半ば諦めていたところに突然の朗報。驚きと心配。娘は初産にして高齢の部類に入るからです。「案ずるより産むが易(やす)し」の格言どおり、元気に生まれて安心しました。
 
ハイハイも、遅まきながら10か月で、保育園に入ったその日にできるようになりました。今では、つかまり立ちもするようになり、誕生のお祝いを心待ちにしています。
 
保育園から帰ると、まず、ひい爺様のお部屋にごあいさつ。ベッドの下から、ゴミ箱、くつ下、ティッシュなど、ひとしきり引っ張り出します。傍らではひい爺様がベッドの上で目をパチクリ。下の2本の歯を見せて、愛嬌を振りまく優芽ちゃん。興奮すると、「キャーッ」と歓喜の声。今時、大家族も珍しいですが、お互い良い刺激になっています。女四代でお出掛けしたり、優芽香の乳母車をひい婆様が押して散歩したりと、世代を越えて仲良しです。
 
つぶらな瞳の優芽香ちゃん、大きくなって、ひいお爺ちゃんのお世話をしてあげてね。
 
2017.07.29
いとしいのんちゃんへ
洋子おばあちゃん
のんちゃん、生まれてきてくれてありがとう。いとおしくて、可愛くて、まわりの人を笑顔にしてくれるあなたは、本当に神様からのプレゼントです。
 
のんちゃんはのんびりしていて、予定日を12日過ぎてやっと生まれたのよ。生まれるその日までお母さんのつわりが続き、心待ちにしているみんなはとても心配しました。
 
あなたには、一足先に家族の仲間入りをしたお兄ちゃんたちがいるのよ。やさしいお父さんとお母さんは、捨てられて死にかけていた2匹の猫をほっておけなくて、家族に迎え入れることを決めたの。その2匹の子猫ちゃんが、長男のポコ太君と次男の黒の介君。そう、のんちゃんのお兄ちゃんたちです。
 
そして、お兄ちゃんたちに導かれるように、あなたがお母さんのところに来たのよ。でもね、お医者さまから、あなたが育つかは五分五分だと言われたの。でも、お母さんたちは、きっとお兄ちゃんたちが招き猫だから大丈夫だと信じていたんだって。その願いどおり、元気なのんちゃんが生まれたのよ。
 
のんちゃんは、幸せと笑顔をいっぱい連れてきてくれましたね。お兄ちゃんたちと仲良く、すくすく育ってね。
 
2017.07.22
彩映ちゃんへ、バトン
れいこバァバァ
「陣痛が始まった、今から病院に行くね」
 
昨年7月25日、ひい爺ちゃんのお通夜が始まろうとした時にママからの電話。分べん台の上で「ひい爺ちゃん安らかに」と、「無事に生まれるように見ててね」とお祈りをいっぱいしたと、後になってママから聞きました。
 
皆の願いどおりに、7月25日、元気な産声をあげた彩映(さえ)ちゃんは、離乳食もパクパク食べ、もうつかまり立ちも出来るようになりましたね。彩映ちゃんの笑顔をみつめると、ひい爺ちゃんの笑顔が重なり、うれしいけど泣けてきます。
 
つながってる命のバトン。そのバトンをしっかり握って大きくなっていってほしいです。
 
2017.07.15
尚平君へ
アーちゃん
尚平くん。春が来ましたよ!
 
1月24日の夕食後、フラフラっと立ち上がって、1歩2歩、アンヨの練習。お母さんとアーちゃんは思わず顔を合わせて、「今、歩いたよネ!」って。尚くん1歳2か月と1週間の時でした。その日の午後8時半には、17歩も歩けました。その間、ニコニコ笑って両手でバランスを取りながら、何度も何度もチャレンジ。
 
思い返せば、初めての寝返り、ハイハイにお座り、階段登り、そしてつかまり立ち。どれも成功した時の、あの本当にうれしそうな笑顔。誰に言われたのわけでもないのに……。赤ちゃんの成長って、その時が来ると、身体が勝手に次のステップに進むのですね。尚くんのお父さんもきっと同じだったのでしょうが、アーちゃんは見ていなかったのでしょう。
 
今、尚くんを通して、神様のなさることを見せていただき、感謝の気持ちでいっぱいです。あの日から2か月。今も自分で歩いているのか、風に吹かれてフラフラのようにも見えますが、ちゃんと行きたいところに向かっています。まだ「ア~」とか「ウ~」しか言葉は無くても、自分の気持ちを伝えます。「靴を履かせて」「外に出たい」と尚くん。
 
本当の春が来ました。ウグイスも鳴いています。尚平君を、オンモ(戸外)が、待っていますよ!
 
2017.07.08
お空から
あしおママ
お空からママを選んで、ママのおなかで10か月の間がんばってスクスク育ってくれてありがとう。パパとお姉ちゃんと一緒に、あなたに会える日を楽しみに待っていたよ。
 
あなたに会えるまでいろいろ乗り越える山があった分、あなたに会えた喜びはとても大きいのですよ。お姉ちゃんのときは、パパとママだけだったから、とっても静かな環境の10か月だったけど、あなたはみんなの笑い声、おこっている声、お姉ちゃんの叫び声、泣き声、たくさんの音を聞いた10か月でしたね。でもその分、楽しい時間だったかな。
 
予定日がママの誕生日と近いから、もしかしたら性格とか顔とかいろいろ似ている子なのかな?って、ちょっとうれしい気持ちもあったのですよ(笑)。なんとかママが41歳になる前に生まれてきてくれましたね。パパもあなたが生まれる瞬間に立ち会うことができて、私たち家族はいつもいつもとても運がいいなと思っています。
 
無事にママのおなかから生まれてきてくれてありがとう。ママもあなたを授かるためにたくさんがんばりました。あなたのおかげで、ママは今まで自分に満足することや、認めることができない40年間でしたが、はじめて自分のがんばりや自分自身を認めるというか「自分はよくやったよ」って思うことができたのですよ。これからは、あなたとお姉ちゃんのために強いママになります。よろしくね!
 
2017.07.01
こんな毎日をありがとう
ママ
あなたがおなかにいるとわかったのは、あなたのおばあちゃんの63回目の誕生日でした。流産、長い不妊治療をしていた私でしたが、多くの人の力添えがあり、無事生まれてきてくれましたね。「よい季節に授かった宝物だから瑞季(みずき)と名付けよう」とパパが言ってから、干支(えと)が一回りし、新緑の中あなたは12歳になりますね。
 
あなたと一緒に笑い泣きする毎日は、私を童心にかえらせ、私に人間として足りないものを気づかせてくれ、そして何より、よちよち歩きのあなたまでしか見ることができなかったおばあちゃんの存在をいつも私の心の中に置いておいてくれましたね。
 
算数の宿題に悪戦苦闘するあなた、素質を与えてあげていないのに、プールの選手として頑張るあなた、あくせく家事をする私に「余裕のある人きれいだな」と鼻歌を歌うあなた、困っている人を見ると何かしたくなるあなた、すべてがいとおしいです。
 
これからもどうぞよろしくね。おばあちゃんの最後の言葉「ゆっくり大きくなり」をモットーに歩んでいってね。いつもどんな時も応援団だよ。
 
2017.06.24
大切なゆうちゃん
孫大好きバアバ
私は64歳の祖母です。現在4歳の孫は、生まれつき単心房、単心室という心臓病を持ち、生後1か月くらいの時、心臓の手術を行いましたが、術後の心肺停止により、低酸素状態の時間が長く、脳に大きなダメージを受けてしまいました。
 
改めてこの子の誕生により、健康で生まれてくることの幸せを考えさせられました。3歳でやっと立てた時の喜びは、待ちに待った感動でした。言葉も、短い単語が少しずつ増えています。まだ歩行も目を離せない状態ですが、今までできなかった小さなことにも大きな喜びを感じるようになりました。
 
いつも前向きでパワフルに子育てに専念しているママの姿には、頭の下がる思いです。私たちは孫の病気を理解し、協力し、ゆっくりゆっくり成長していくこの子を大きな愛情を持って育てていきたいと思っています。今後もたくさんの悩み、困難の中で家族が笑顔を失わず生活できるよう、自分に何ができるのかを考えていきたいと思っています。
 
孫の存在により、障害をお持ちの方についていろいろ考える機会を持てた事に感謝をしています。神奈川の障害者施設での事件では、大きなショックを受けました。障害者は決して社会のお荷物ではなく、私たちに大切なことを気づかせ、小さなことにも喜びを与えてくれる大切な宝物だと思います。今後社会が障害者に対して理解を深め、思いやりのある方向にもっと進んでいくことを心から願っています。
 
2017.06.17
孫・直子のおなかの赤ちゃんへ
大ばあちゃん
(なお)ちゃんのおなかの中のまだ名もない男の子の赤ちゃん、はじめまして。80歳を過ぎた大ばあちゃんです。生きる喜びを与えてくれてありがとう。
 
あなたと初めて会ったのはテレビのような画面の前で、妊娠4か月目ぐらいの体全体をしっかり動かしている姿でした。私は両手を合わせ、涙を流すほど感動しました。大ばあちゃんの時代には想像できない映像でした。
 
あれからすくすくと育っているようで安心していました。しかし、妊娠7か月目に急に入院しました。きっと大きくなりすぎ、おなかが窮屈で外へ出たかったのでしょうね。皆で心配しましたが、1か月ほどで退院でき、ホッとしました。
 
妊娠8か月目の映像ではずいぶん成長。可愛いお手々もよく動かしているとの知らせを受け、喜んでいます。
 
あなたのおかげで私の少しの病もふっとび、会える日を楽しみに待っているのです。家族のきずなも深まりました。そして生まれてきてくれても、毎日、奈良と横浜とのメールのやり取りは続くことでしょう。まだ名もない直子の赤ちゃん、あなたは私の生きがいです。ありがとう!
 
2017.06.10
40年前のあなたたちへ
花村紗知子
私たちの最初の赤ちゃんは、帝王切開のかいなく死産でした。しかし次の年、元気な男の子が産声を上げました。それから1年10か月、また元気な双子の男の子が生まれました。神様は私たちに元気な3人の兄弟を授けてくださったのです。
 
上のお兄ちゃんは、とても感受性の強い子で、うららかな春の日タンポポの綿毛がフワフワと風に舞うのを見て、「うわぁタンポポのおばあさんだ」と青空を見上げていました。40数年たった今では結婚し、商社マンの傍ら趣味のギターでライブを楽しんでいます。
 
双子のお兄ちゃんは、やさしい子どもでした。中学時代の作文を友だちに盗作され、その友だちが大変評価されたとき、「僕と同じ考えだったのだ」と黙っている子でした。今では女子中学生の父親、にぎやかな家族を作っています。
 
三男は何でも挑戦することが好きな子でした。東京で就職しましたが、ある日突然「おれ新潟へ婿に行くよ」と言って私たちを驚かせました。今では女の子と男の子に恵まれ、親ばかぶりを発揮しています。
 
40年前のあなたたちは、将来このような人生を歩むことが想像できたでしょうか。あなたたちにはまだまだ長い未来があります。タンポポの綿毛の齢になった時、幸せだったと思えるような「今」を生きてほしいと思います。
 
2017.06.03
本物の涙
お花屋さんの娘たちのママ
今でも鮮明に覚えています。ゆりちゃんが生まれてきた日のことを。37週の健診で急に血圧が上がり緊急入院。陣痛促進剤を使って出産することに。初産のためなかなか陣痛が起こらず、2日かけて促進剤を使い、いよいよ出産。
 
パパは入院してからずっとママのそばにいてくれて、出産にも立ち合ってくれました。最後の力を振り絞り生まれてきてくれたゆりちゃん。ホッとしてパパを見ると、目から涙がこぼれていました。普段は、喜怒哀楽を出すことが苦手なパパから自然と流れた涙を見て、ママはうれしくなりました。
 
妹のるりちゃんが生まれたときは、特に大きなトラブルもなく、ママのお願い通り、スッと生まれてきてくれました。その時もまたパパは涙を流していました。
 
今度また一人家族が増えます。弟か妹かまだわからないけど、るりちゃんもお姉ちゃんになります。ゆりちゃんみたいな優しいお姉さんになってね。
 
パパの3度目の涙は見られるかなぁ……。
 
2017.05.27
助産師だった母
宮本恵子
今は亡き母は助産師でした。65年以上、天職として貫き、6,500人の子どもを取り上げたのでした。学校から帰っても、母は家には滅多におりません。仕事がわかっているので、私は弟たちの子守をしたものでした。母は娘の私に「生まれてくる子どもには責任はないのよ」と、口癖のように話していました。オギャーと生まれてきた赤ちゃんを手にした時には、必ず立派な大人になるようにと心の中で祈りながら、子どもをわが手に包み込み、命ってすばらしい、一人ももれなく育って行くことを願っていました。
 
特に印象に残った赤ちゃんが2人の男の子。生まれた時からとても大きかったそうです。彼らが成長して、田舎の学校ながら初めて高校野球に出場することを新聞で知った母は、うれしくてお祝いを送ったそうです。彼らはピッチャーとキャッチャーでした。
 
現代は病院でのお産ですが、母の時代は一対一のお付き合いでした。家族のようなつながりがあったのでしょう。母のお葬式は、あまりの参列者の多さにびっくりしました。「先生、お世話になりました」の声が、今も耳に残っております。
 
母は命を授かる仕事が大好きだったのでしょう。しかしほかの赤ちゃんにはとても優しい眼差しを送っていましたが、我が子は厳しくしつけました。大人への成長は並大抵ではないでしょうが、夢や希望があり、不可能を可能にすることが人生だと思います。赤ちゃんを我が手にしたならば、立派に育てるのが親の務めであり、責任でしょう。未来に向かってネ
 
2017.05.20
親にしてくれた2人の子どもたちへ
さくらもち
今や私の背丈を追い越し、りっぱな男子に成長した2人の子どもたち。私は君たちが生まれたときのことを知りません。きっと、2人とも産みの親に待たれて、この世に生まれてきたと思います。事情があって、私たち夫婦のところへやってきましたが。私たちのところへやってきた日が私たちにとっては、君たちが誕生した日なのです。
 
もうかわいくて、かわいくて、でも初めてなので、どうだっこしていいかもわからず、ずっと緊張しっ放しでした。「我が子」と呼べることがこんなにもうれしいのかと、じっと寝顔を見つめていました。夜寝るときに絵本を読んでいましたが、覚えてますか。寝つけないときはおんぶして自作の子守歌を歌っていましたが、覚えていますか。
 
私たちを親にしてくれた2人の子どもたち、本当にありがとう! 今もこれからも君たちは、かけがえのない、大切な大切な存在です。血のつながりより同じ釜の飯を食べてきたことが重要なのです。日々の何気ない日常が歴史なのです。自分が生まれてきたことに誇りを持って生きていってほしい。君たち2人が二度生まれてきた訳を考えて。きっとそれが君たちの存在の意味だからね。
 
もう一度言うよ。親に育ててくれてありがとう!!
 
2017.05.13
おじいちゃんから「お父さんを誇りに」
川﨑依邦
彩葉(あやは)ちゃんは、2016年3月31日、体重3,100グラムでこの世に生を受けました。お父さんは、同じ年の2月13日に、34歳5か月の若さで虚血性心不全にて突然死しました。彩葉ちゃんに会えませんでした。
 
この1年、お母さんやおばあちゃんは一生懸命育てて参りました。お父さんは中小企業の経営者として、社員の先頭に立っていつも頑張っていました。お父さんは生前「今度生まれてくるぼくの初めての女の子は会社の中で育てる」と言っていました。
 
その言葉通り、お母さんは産後8週間の5月7日、彩葉ちゃんと共に職場復帰しました。「首がすわった」「ハイハイする」「つかまり立ち」「歩いた」。成長を会社の事務所の全スタッフ、お母さん、おばあちゃんは見守り、一緒に生きてきました。
 
そして今春、保育園に入りました。おめでとう。おじいちゃんには、彩葉ちゃんが字が読めるようになったら、ぜひ読んでもらいたい本があります。それはお父さんの生きた歩みを書いた本です。「ピンチはチャンスなり、スピードは力なり」という、お父さんとおじいちゃんの共著です。「心優しい元気な子が生まれますように 川﨑晃弘 香奈子」と神社にお参りした写真も中にあります。
 
彩葉ちゃんのお母さんは「寂しいときは、お父さんのことをたくさん話したい」と言っています。おじいちゃんも、お父さんを誇りに思っています。彩葉ちゃん、しっかりと生き抜いてください。
 
2017.05.06
皆、元気に育ってね。
山本のバアバ
彼女とは昔、職場の同僚であった。同僚と言っても年齢が30歳ほど違ったが、なぜか気が合い、きょうまで交流が続いている。
 
彼女には3人の子どもが居る。1人目はK君7歳。3歳ごろに、うちに遊びに来てゲームをし、「1回くらい、僕に勝たせてよ」に対し「人生が思い通りにならないことを今から知った方が良い」と言って勝たせず、精神力を鍛えたつもりだったが、周りからは「大人げない」と非難された。
 
2人目はNチャン3歳。生活発表会で、3匹の子豚の母ブタ役に抜てきされたのに歌わず、語らず、先生に抱っこされたままだった内弁慶さん。家ではお兄ちゃんのK君を家来に暴れ回っているというのに。
 
そして3人目はAちゃん7か月。早くお目見えしたかったのか、予定日より随分早く、その上、陣痛も早く進み、自宅マンションから、産院に向かおうとしたが、間に合わず、マンションエントランスで出産、へその緒が繋がったまま、産院入りという衝撃的なデビューを果たした。色白で、よく笑う天使のような女の子である。
 
私は、この3人を孫のように思っています。また、昨今の国内外の動きを、とても不安に感じています。この3人が大人になっても平和な世の中であり続けますように心から願っています。
 
2017.04.29
芽生ちゃん
村田幸栄
芽生(めい)ちゃんがおなかにいるのがわかったのは、おととしの2月末でした。パパ、ママ、二人そろって知らせに来てくれました。おじいちゃん、おばあちゃんは、我が家は孫には縁がなかったと常々思ってたので、喜びはひとしおでした。
 
それから予定日の10月7日まで、ママは大きなおなかで、足をパンパンにはらしてお仕事も頑張っていました。暑い夏も過ぎて10月に入り、おじいちゃん、おばあちゃんは、ママのいるマンションに毎日通っていましたが、予定日を過ぎても、陣痛もなくって、初産なのでとっても心配してました。
 
10月17日、おばあちゃんは近所の氏神さんへ無事出産を願ってお参りに行き、帰りにウォーキングをして疲れて横たわっていたところへ、パパから切羽詰まった声で、ママが緊急で1時間後に帝王切開で出産するとのこと。おばあちゃんは急いでかけつけ、パパも立ち合い、無事出産しました。しかしママの貧血がひどく、最悪の場合、輸血も考えていると先生のお話があり、とても心配しましたが、輸血することなく、ママも順調に回復、退院できました。
 
今は、1歳半になり、元気に歩きまわって、ことばもおぼえて、愛くるしい仕草を見せては楽しませてくれてますね。おじいちゃん、おばあちゃんも元気で長生きをして、成長を見守りたいと思います。すくすくと元気に育ってね。
 
おばあちゃんより
 
2017.04.22
楽しみな来年の桃の節句
田口克江
晴菜(はな)ちゃん、お見舞いに来てくれてありがとう!
 
あんよが上手になったね。爺(じい)は今、脳こうそくのリハビリで入院中。日々、あんよの練習のリハビリで頑張ってます。おかげでだいぶ回復して来たよ。右手、右脚にマヒが残ってたんだけど、今は杖をついて歩けるし、右手でメールも打てるんだ。
 
メールは婆(ばあ)がリハビリで打てとうるさいから。入院してるとどんな様子か気になるし、リハビリにもなるという理由で打てるようになったんだ。なんしか爺は、頑張り屋さんなんだよ。
 
早いね。あなたが生まれて1年2か月。新生児のあなたが我が家にやって来た。うれしかったな。爺、婆は、張り切りました。やれ沐浴の道具やら、おむつやら、体温計やら。爺はどれだけお店に走ったやら……。沐浴したあなたを、ガラス細工でも扱うようにテーブルに載せて拭いていた爺の真剣な顔を思い出します。
 
退院まであとわずか。リハビリの総仕上げにかかっています。爺の今の一番の願いは、晴菜ちゃんと遊べるようになること。鬼ごっこ、お散歩、絵本を読んだりね。そして、かけっこでは負けないようにと闘志を燃やしているで。晴菜ちゃんとどちらが早いかしらんと、婆は今から楽しみにしています。晴菜ちゃんも、しっかり練習しといてね。
 
そして、来年の桃の節句には必ず、晴菜ちゃんのおひな様、二人で見に行くからな。桜餅持って!
 
2017.04.15
20歳になるさとちゃん
智子
さとちゃん、もうすぐ20歳の誕生日おめでとう。
 
さとちゃんがおなかに宿ったとわかった日、心が躍り、自然と笑顔がこぼれました。生まれたばかりのさとちゃんは、白くてキュートでキラキラしてて、我が家のアイドル、家族みんな笑顔になりました。幼稚園では、兄ちゃんにべったりの甘えん坊。兄ちゃんと離れると泣いてばかりでしたよ。心配でこっそり、幼稚園の様子を見に行った日が懐かしいです。
 
小学校、中学校、高校、大学では、厳しい注意もたくさんしました。何でも前向きに、努力を惜しまず頑張るさとちゃんを、家族みんなでサポートしました。サポートできることをとても幸せに感じています。どんどん素敵な女の子になり、毎日がうれしさの更新です。完全に親バカですね。さとちゃんのことを思うお父さんや、兄ちゃんの優しい心を感じることができることも、とても幸せで誇りです。
 
みんなに、ありがとうと、感謝の気持ちでいっぱいです。自分を大切に、大切な人を大切に、これからも人生を楽しんでくださいね。それが、私の一番の願いです。
 
2017.04.08
かほ佳(かほか)ちゃんへ
かのよママ・ちからパパ
かほ佳ちゃん、2月22日で生まれて100日になったね。予定日は11月7日だったかほ佳ちゃん。ママは予定日までに産むぞ!って張り切って、陣痛ジンクスといわれる焼肉を食べたり、炭酸栄養ドリンクを飲んでいっぱい歩いていたよ。
 
でも、なかなか陣痛が来なくて1週間がたったね。11月13日の夕方にやっと陣痛が来た時は、ついに会える!ってうれしくなったよ。あなたを産んだ瞬間、涙は出なくて、こんな子がおなかの中にいたのかぁ!と、とても不思議な気持ちになりました。
 
立ち会ってくれたパパも、同じ気持ちだったみたい。あなたを毎日抱っこしてお世話する日々は、何にも換えられない幸せな気持ちになるよ。早く大きくなっておしゃべりしたいような、ずっと赤ちゃんでいてほしいような、矛盾する思いをもってるけど、ゆっくりでいい。かけがえのない日々を家族3人仲良く、笑顔で過ごせたらそれだけでいい。
 
ママとパパのところに生まれてきてくれてありがとう。
 
2017.04.01
私の子どもへ
北川綾乃
今回のお便りは、福井県敦賀市立気比中学校で「未来への手紙プロジェクト」を使った授業をした際に生徒が将来の我が子へ宛てて書いた「手紙」です。
もし、あなたが男の子なら、「大希(だいき)」と名づけたい。私にとって、あなたは大きな希望の光だから。
 
もし、あなたが女の子なら、「陽美(ひなみ)」とつけたい。私はあなたに、太陽のように美しくみんなを照らす存在であってほしいと願っているから。
 
私はあなたに、あなたの名前の意味を覚えていてほしい。そして、もしあなたが壁にぶつかったり、先が見えない悲しみにおそわれたりしたとき、思い出してほしい。そしたらきっと、あなたは、あなたを信じて頑張れると思うから。
 
もし、悩んで、悔やんで、苦しんだときは、私を頼ってほしい。私はいつもあなたのことを見ているし、あなたの側にいるから。私はあなたが私を嫌ってもかまわない。それはかまわないから、自分のことは嫌いにならないでほしいと思う。
 
楽しく生きてね。
 
2017.03.25
凜汰郎くんへ
斉藤奈津子
りんちゃんが生まれて、ちょうど100日。あっという間の100日でした。
 
じぃじと、ばぁばと過ごした1か月半。たくさんかわいがってもらったね。そして、お父さん、お母さんと3人での生活が始まって、元気にいっぱい泣く姿に、四苦八苦しながらも楽しく過ごし、毎日があっという間に過ぎていきました。
 
2か月を迎えた次の日、りんちゃんの目の病気がわかりました。すぐに手術が必要な状況だと知って、とっても不安になったよ、まだこんなに小さいのに……。
 
手術の日、14時間もおっぱいをがまんして本当にえらかったね。おなかぺこぺこだったろうに、手術室前でのりんちゃんの笑顔、お母さんはずっと忘れないよ。心配しないでって伝えてくれたんだね。手術と入院生活は大変だったと思うけど、よく頑張りました。りんちゃんを誇りに思います。
 
まだ生まれて100日だけど、りんちゃんは、たくさんのことを教えてくれました。同じように頑張っている子がたくさんいること、それを支える家族の強さ、病院の方々の優しさ。教えてくれてありがとう。
 
これからりんちゃんは、その大きなおめめでたくさんのものを見て成長していくでしょう。ずっとずっと一緒に成長していけるのを楽しみにしているね。100日おめでとう!
 
2017.03.18
咲奈ちゃんへ
ひいばあちゃん
わたしたちのひ孫、咲奈(さな)ちゃん、こんにちは。わたしたちの初めてのひ孫です。咲奈ちゃんの生まれて来るのを指折り数えて待っていました。そんなことが伝わったのか、予定日より少し早く、一昨年の暮、咲奈ちゃんのおばあちゃんと同じ誕生日に生まれました。
 
体重は2,720グラムと少し小さ目でしたが、元気な産声をあげ、足のふんばりも強い元気な子で、私たちの目の前がパッと明るくなりました。1か月ほどしてお父さんの待っている家に帰りましたが、その後お母さんが落ち着いたころから、時々お母さんの運転する自動車におとなしく乗って会いに来てくれました。こちらへ来るたびに、寝返りを始めたり離乳食を食べたり。好奇心旺盛で、どんどん知恵もつき体の動きも活発になって来ました。
 
その後お母さんが仕事に戻るので、咲奈ちゃんは保育園に入ることになりました。保育園での咲奈ちゃんは、持前の明るさと元気で先生やお友だちと仲良くなり、いろいろなことを吸収して一段と大きくなりました。咲奈ちゃんの成長はお母さんから送られてくる、スマホの動画で逐次見ることが出来て、私たちの励みになります。
 
先日は私たちのダイヤモンド婚式に出席してくれてありがとう。咲奈ちゃんの明るい笑顔がみんなの笑顔になりました。春になり桜の花が咲いたら、一緒にお花見に行きましょう。咲奈ちゃんは私たちの天使です。私たちに生きる喜びを与えてくれました。
 
生まれて来てありがとう。
 
2017.03.11
あーちゃんへ
髙田八寿子
あーちゃん、正義感の強いあなたのママは、幼い時から、人々の役に立てる仕事に就きたいと言っていました。小学校のときからいっぱい頑張って、大学卒業後、子どものころからの夢の職業に就きました。小学校の卒業文集で「もし結婚してこの仕事を辞めるようになるのだったら、私は結婚しないと思う」とまで書いていたのですよ。だからおばあちゃんは、あなたのママが結婚することも、まして孫を授かることも考えたことはありませんでした。
 
でもママは、素敵な方と出会って、結婚し、あーちゃん、あなたが生まれて来てくれました。12月6日が予定日だったのですが、それから5日後の11日に、パパに立ち会ってもらって、元気な産声をあげてくれました。
 
分娩(ぶんべん)室の外でおじいちゃん、私、パパの方のおじいちゃん、おばあちゃん、パパの妹さん、そしてその10か月になる赤ちゃんの6人で、今か今かと待っていたんですよ。あなたの声を聞いた時は、みんなで大歓声でした。あなたの小さな愛くるしい身体を抱っこできる幸せをみんなで感じています。
 
どうか元気で誰からも愛される人になってくださいね。それから、ママはまたお仕事を続けると思うけど、あーちゃんのことはいつも忘れずにいると思うから協力してあげてくださいね。それが、おばあちゃんからのお願いです。
 
おばあちゃんのところに生まれて来てくれてありがとう。
 
2017.03.04
直翔(なおと)くん、海翔(かいと)くんへ
京子ばあちゃん
2か月も早く生まれて、鼻にチューブが入り、保育器に小さな体がふたつ。あなたのお母さんは、あなたたちが早く生まれないように、少しでも長くお母さんのおなかの中で育つようにと2か月も入院して動けず、寝たまま点滴を打ち、頻繁に襲ってくる嘔吐と闘い、2人の命を守ったのよ。
 
ばあちゃんは、側で、ただあなたたちが、無事に生まれてくることを祈るしかできなかった。平成29年3月7日、その小さな命に、1歳のお誕生日が来ます。どこへ行っても、「双子さんですか」「大変ですね」。でもその後には必ず「可愛いですね」と。
 
まさかふたつの命を授かるとは。皆がびっくりしたのよ。神様からボーナスをもらったねと、幸せを感じました。あなたたちのお父さん、お母さんは、夜も寝ないで泣いていたあなたたちを、2人で抱っこして必死で育てましたよ。
 
ばあちゃんは、いつまでもあなたたち2人の成長を見守っていきたいけれど、年をとってしまったので、いつ、さよならが来るかもしれません。ばあちゃんは、2人のことは忘れないよ。ミルク、離乳食、おむつ交換、楽しい毎日だったよ。愛くるしい笑顔で癒やされました。
 
ありがとう。神様からいただいた命を大切にしてね。愛情たっぷりのお父さん、お母さんを大切にね。
 
2017.02.25
大きくなぁ~れ
マキ大叔母
姪夫婦が不妊治療の末、やっと授かったミユちゃん。姪が38歳での初産。いろんなことを心配しました。
 
予定日より2週間前に、姪から「破水したけど、子宮口が開かず、このままだと、赤ちゃんが干からびるので、促進剤を使って、それでもだめなら帝王切開だって」と電話があった。姪の不安を思うと、心が痛んだ。次の日には姪の夫から「出産しました。母子共に無事です。ただカンシが目の上に当たって赤黒くなっていますが、消えるそうです」との報告があった。
 
はやる気持ちを抑えて5日後に病院に行き、ミユちゃんと対面した。低体重だったので、スペシャルボックスの中でスヤスヤ眠っていた。
 
「キャッ、可愛い。お地蔵さんみたい」と私が姪に言うと、「時々、手足を動かして、生命力あるよ」と満足気だった。
 
あれから1か月余り、お正月に再会したミユちゃんは、ちょっと、ふっくらし、泣いては眠り、4歳と2歳のいとこにかまわれ、うれしそうに見えました。ゆっくりで良いから、大きくなってね。新米ママ、パパをはじめ、皆が見守っていますよ。
 
2017.02.18
実紗ちゃん 1歳おめでとう
清水美智子
お誕生日の10月2日は保育園の運動会。雨上がりの快晴でした。やっと歩けるようになって、初めての靴をはいて、初めての運動会。パパかママに抱っこされて行進するだけなのに、実紗ちゃんの真剣な表情に、おばあちゃんはハラハラしました。こんなに小さいのに、その頭も胸も、緊張と不安でいっぱいなんだと思います。慣れない保育園で、毎日一生懸命がんばっているのね。そのけなげさに胸がいっぱいになりました。
 
パパとママが結婚して10年目に生まれた実紗ちゃん。パーン!と錫(すず)婚式のギフトがやってきました。大きな宝物です。実紗ちゃんが生まれて、実紗ちゃんのパパとパパのご両親とも本当の家族になれたと実感しました。
 
大きな声で泣いて、笑って、いっぱいごはんを食べて、スクスクと大きくなる実紗ちゃん。あんよがうれしくて、ころんでも、ぶつかっても、泣きながらまた歩く。コンセントが大好き。本棚の本を全部出して、満足の笑顔。紙を破くのも、とても楽しそう。止まらないエネルギーの塊、元気王。
 
おばあちゃんには最良のビタミン剤。年をとって良かったと思います。おばあちゃんになれて良かったと思います。おばあちゃんになると、こんなに幸せになれるなんて知りませんでした。実紗ちゃんと遊べる今が一番幸せです。ありがとう、実紗ちゃん。
 
2017.02.11
はやちゃん、ようこそ我が家へ
和樹パパ桜子ママ
はやちゃんがおなかにいるのが分かったのは、昨年の1月13日。パパとママは、大喜びしました!。はやちゃんがおなかに来た日からみんなママの身体を大事に思い、特にパパはかなり心配性になりました。元気に私たちの元へ生まれてきてくれるのを待っていました。
 
残暑が厳しい日。予定日より1週間早い9月5日、はやちゃんが生まれました。元気な産声を聞いた時、ママのおなかに初めてのった時、今まで感じたことのない、穏やかな、とてもうれしく安心した気持ちになりました。 これから、はやちゃんが楽しく、幸せな人生を過ごせるよう、パパとママは、はやちゃんを一生懸命サポートすることを誓いました。
 
「颯真(はやま)」の意味は、さわやかな風のような優しさをもちながら、素直で真っ直ぐな人生を歩んでいってほしいと思い、名付けました。はやちゃん!私たちをパパとママにしてくれてありがとう。最近少しずつ、いろいろな表情や仕草を見せてくれるようになりました。これからゆっくり、一緒に成長していこうね。
 
ようこそ、わが家へ!
 
2017.02.04
葵乃ちゃんへ
明石のおばちゃん
ママの大きなおなかにいた葵乃(あおの)ちゃん。5月に、ママが出産のため群馬から岡山へ里帰りする途中、明石に寄ってくれました。予定日より出産が遅れ、岡山まで来ていた群馬のじいちゃん、ばあちゃん、パパは、とても待ちわびていました。
 
6月8日、急に帝王切開になりましたが、元気な声をあげて生まれてきてくれたそうです。ママのおっぱいですくすくと大きくなり、1か月健診を終えた葵乃ちゃんは7月16日の夜の11時、群馬に帰る途中に、今度は岡山のじいちゃん、ばあちゃん、ママと4人で、明石に寄ってくれました。
 
髪の濃い、大きなお目めに、かわいいお口と3拍子そろった葵乃ちゃんは、おばちゃんの腕の中でほほえんでくれました。ひと休みして、4人が群馬に着いたのは、翌朝の10時だったそうです。
 
その後、お宮参りをすませ、じいちゃん、ばあちゃんは、岡山に戻ったそうです。今度明石に来るときは、ぜひ泊まってください。
 
2017.01.28
和希くんへ
坂巻まり子
和希(かずき)くんは、2月14日、バレンタインデーに誕生しました。日曜日でしたので、パパも出産に立ち会えましたよ。予定日は2月17日でしたが、ママはおなかをなでながら、「2月14日に会いたいなー」と、毎日呼びかけていました。なぜなら、2月14日は、パパのお父様、つまり和希くんのおじいちゃまの誕生日だからです。
 
ママの願いが通じたのか、和希くんは本当におじいちゃまと同じ誕生日に生まれてきてくれました。もちろん、おじいちゃまもおばあちゃまも産声を聞くことができ、すぐに対面してくださいましたよ。とてもとても喜んでくださいました。
 
平和で希望に満ちた人生でありますようにと、平和の「和」と、希望の「希」の文字を取りパパとママが願いを込めて名付けられた和希くん。足の指と手の指が長いのは、おじいちゃまの遺伝だそうですよ。パパは今から、バレンタインの日にはパパの分までチョコレートもらってきてねと、和希くんに期待しています。皆に愛されて、これからもスクスク健康に育ってほしいと願っています。
 
2017.01.21
かいくんへ
さやかお母さん
かいくん、もうすぐ1歳のお誕生日だね。かいくんが生まれてきてからの1年間、お母さんはそれまで生きてきた時間の中で一番よく笑っていました。
 
でも生まれたばかりのころは、かいくんはあんまり泣かないし、おっぱいを欲しがることもなく、本当によく眠っていたので、もしかしたらどこか具合が悪いんじゃないのかと心配しました。それが今では、おなかがすくと指をくわえて、ごはんを欲しがる食いしん坊になりましたね。よく食べて、よく寝て、好奇心旺盛で、家じゅうハイハイで探検するその姿は、もう生まれたばかりのあのふにゃふにゃとした赤ちゃんではなく、すっかりたくましい男の子です。
 
かいくんがやって来てから、目に映るすべての景色がこんなにも美しく、明るいものだったのかと驚いています。毎日のお散歩にも新しい発見があって、そろそろ歩きだしそうなかいくんと手をつないで歩くのが、今からとても楽しみです。春になったら桜の並ぶ川岸でお花見しよう。夏になったら波打ち際でかけっこしよう。秋になったら落ち葉の上でスッテプ踏もう。そして、冬になったら雪の冷たさに笑いあおう。
 
かいくんに見せたい景色がたくさんあります。かいくんに伝えたい言葉もたくさんあります。伝えたい言葉はあまりに多すぎて書ききれないけれども、きょうはひとつだけ。かいくん、お父さんとお母さんのところに来てくれて、本当にありがとう。お誕生日おめでとう。
 
2017.01.14
茉那ちゃんへ
久保田政子
4月に遠く静岡の掛川から来て、バァバの家で茉那ちゃんの2歳の誕生祝いをしたね。ケーキの上のキャンドルの灯りを消そうとしたけど、なかなか消えなかったね。「大きくフーッと吹くのよ」と言われ、やっと消した時、みんなで手をたたいたら、それがうれしかったのか「もう1回、もう1回」と5歳の分まで消したんだよ。
 
2歳児健診では、心身共に3歳児なみの成長ぶりと言われたんだってね。それを聞いておじちゃんが「あんなに可愛い子はないな、正に天才だ」と、おじ馬鹿ぶりを前面に出して言っていたよ。
 
脳の働きは、3歳ぐらいで、7割から8割ほど完成すると言われているから、冷静に子どもを見ることも必要だけど、おじ馬鹿だからこそ優しく育つこともあると思うよ。
 
何にでも興味を示す2、3歳。見るもの触るものに「これなんだ」を繰り返す茉那ちゃん。帰りに車の窓から見えた富士山に、「富士山バイバイ」と手を振っていたね。
 
11月にはお姉ちゃんになったね。米寿の曽祖母の私は、茉那ちゃんといつまで会えるかわからないけれど、あなたに会えたことは、本当に幸せだったなとつくづく感謝しているのよ。
 
2017.01.07
大好きな暖空(はるあ)
そらMAMA
はる、お誕生日おめでとう。はるがおなかの中にいることに気付いたのは、3月のはじめでした。ママの大切なお友だちが妊娠して、お兄ちゃんも2歳になり、そろそろ兄弟をつくってあげたいと思っていたころで、とてもうれしかった。
 
妊婦健診では手を振ってくれたり、11週で性別を教えてくれたりしましたね。先生が、エコーで写して説明してくださいました。女の子だと思い込んでたママに、必死で伝えてくれたんだね。
 
恥しがりなあなたは、手で顔を隠したり、反対方向を向いたりしたけど、健診の前日「明日はお顔見せてね」とお願いすると、必ずいい顔でエコーに映ってくれましたね。生まれる時も「パパがいるときにしてね」「スルッと生まれてね」「明け方にね」など、ママの好き勝手なお願いをほぼ叶(かな)えてくれたよね。
 
パパが車で2時間弱の道のりを実家まで来てくれるのを待って、お兄ちゃんが寝てから日付が変わるころ産院に行き、まだ自力で歩けるくらいの痛みだったけど、分娩室で時を待って、早朝1時47分、元気に生まれてきてくれたね。へその緒でつながったままのはるを胸に抱きながら、幸せいっぱいでした。
 
はるに出会えた感動と、思い描いていた出産ストーリーが現実になったこと。ステキな助産師さんにも恵まれて、和やかで心暖まるお産でした。
 
暖空、生まれてくれてありがとう。いつもいつまでもあなたのことが大好きです。