主催:公益社団法人日本フィランソロピー協会
共催:毎日新聞社、
特定非営利活動法人日本クリニクラウン協会
共催:毎日新聞社、
特定非営利活動法人日本クリニクラウン協会

2019.12.28
壱佳(いちか)へ
佐藤美都子
もうすぐ1年。私の可愛い孫娘壱佳は、誕生日から6か月目を迎えることなく旅立ちました。キリッとさえた夜、お月様も見守っていました。かぐや姫のように逝ってしまいました。壱佳は、心臓に疾患があり、3か月の間に6回の手術、小さい体はよく頑張りました。
看護師さんたちには、いっちゃんと呼ばれ、枕元には手作りクラフトがたくさん。動物、気球、ハロウィン飾りなど。身体にチューブが入ってるので声は出せないけれど、ありがとうの代わりに大きな黒い瞳で見つめ、小さな手でギュッと握ってくれたそうです。みんなから、愛をもらい、愛を返してくれた、天使でした。
旅立つ3日前、ママは二人だけの時間を作ってくれました。いっぱいお話したね。ばあちゃんの指をずっと握っていてくれました。ありがとう。緊張気味のお兄ちゃんにも抱っこされ、最期はママの腕の中で逝きました。旅立ちの晴れ着はママの七五三の着物。とっても似合っていたよ。ピンクの髪飾りも付けて。
逝ってから1年。あなたは今も一緒に生きています。お兄ちゃんと、学校にも行っています。ランドセルに壱佳の写真いりキーホルダーを付けて。写真には壱佳の手元が写り、隣で一緒に勉強しているのでしょうか。同じ位の女の子をみると壱佳を重ねて、微笑んでしまいます。ずっと忘れない。壱佳は、いつも一緒。
愛をありがとう。
2019.12.21
3元号家族の君へ
石田恵子
12月上旬に初孫が生まれる予定。
最近の検診は目を見張る。見えないはずのおなかの中が見える。4Dエコーと言って立体的に胎児の姿が見られるのだ。生まれる前から姿形のある記念写真。画像はギリシャ神話の彫像のようだ。
自分の孫と思うとゼウスのように見えてしまうから面白い。この世に出る前の自分の姿を見せられた時、子どもはどんな感想を持つのだろうか。その子どもの父親・私の息子は31歳。生まれたのは昭和があと2週間で終わる頃だ。お嫁さんは同学年だが平成元年3月生まれ。息子たちの学年は唯一同学年に二つの元号が混在する世代。そして孫も31年振りに同学年に元号が二つ混在する世代になる。
パパが昭和最後の年、ママが平成元年、そしてきみが令和元年。
3人がちょうど区切りのよい記念すべき年代の揃った家族になる。
もう少しで会える初孫くん。偶然とはいえ元年に生まれる君はやはり意味のあるものを背負って生まれてくるのだと思う。これから100年続く人生と未来を抱えて生まれてくるんだね。では初めて君に会えると聞いた時に作った短歌を贈ります。
5週目と 子が告げてより 毎日は 去るものではなく 積むものとなり
3人がちょうど区切りのよい記念すべき年代の揃った家族になる。
2019.12.14
晴太郎ちゃんへ
石岡のばばとじじ
晴太郎ちゃん、生まれてきてくれてありがとう。じじとばばは、ほんとうにうれしく、日々あなたのことを思っています。あなたのお父さん、お母さんに、命名について助言したことはなかったので、名前を聞いたときは、つながっていると思い、おもわず胸に手を当てていました。
ばばは中学と高校を浦和の学校に通うため、母方の叔父様の家で生活させてもらいました。その叔父様の名前が「晴太郎」でした。人生の多感な時期にほんとうに良くしてくれ、浦和での思い出は、楽しく、励みになっていました。これが絆としみじみ思います。ご先祖様の残してくれた絆は、こうやって受け継がれていくのですね。
晴太郎ちゃん、あなたは、このような幸福の背景のもとに生を受けて、これからの人生を歩んでいくのですね。じじとばばに、長生きして、見守らせてね。
2019.12.07
「のぞみ」と「ひかる」
大阪のあーちゃん
待望だったの2人目が後期流産で亡くなった時、神々しい光りに見えたので、ママは「ひかる」と名付けました。
ひかるを火葬する日、お兄ちゃんののぞみはいつも通り元気に保育所に行きました。荼毘(だび)に付した翌日、そんなのぞみに悪性腫瘍が見つかりました。朝からおなかが痛いと泣き出し、悲しむ余裕もないまま入院となり、これから長丁場の治療の戦いが始まります。
あーちゃんはお兄ちゃんの代わりにひかるが天国に行ってくれたと思っています。神がかり的な兄弟愛を、近代医学の力を、信じています。絶対元気になって、いとこの「凌平兄に(りょうへいにいに)」と、また、大好きな公園を走りまわろうネ!
2019.11.30
「かっちゃん、こんにちは」
かっちゃん
周りの友だちは、みんなお孫さんがいるのに、私はなかなかおばあちゃんになれませんでした。待ちに待って誕生したのが、丸々とした元気な翠(みどり)ちゃんでした。ようやく、孫話の仲間入りができると、とてもうれしかったです。
でも、翠ちゃんが生まれる3年前に私の夫が亡くなり、その後たった一人になった身内の私の弟も亡くなり、喜び合う身内がいなくて残念でした。私のことを「かっちゃん」と呼んでくれた人は一人もいなくなってしまいました。
そうだ! 翠ちゃんに「おばあちゃん」ではなく「かっちゃん」と呼んでもらおうと思いました。近ごろ、おしゃべりが達者になった翠ちゃんに「かっちゃん、こんにちは!」とあいさつされて感激でした。
これからもかっちゃんと仲良くしてくださいネ。アンパンマンショーに行ったり、おいしい物を食べに行ったりしようネ。翠ちゃんはかっちゃんの元気の源です。
2019.11.23
瑠璃色の人生を
新(しん)ちゃん
ことし、令和元年9月初旬が出産予定日だったから、まだもう少し、私ものんびりしていた8月半ばのお盆。酷い腰痛で検診のあと、再び診察へ行っているとの連絡を受け気が気ではなかったの。思いもよらぬ水腎症との診断で、2日間飲まず眠れず、痛みでのたうち回る我が子を見て、本当に可哀そうで代わってやりたかった。
そんな中、緊急帝王切開になり、2,618グラムで生まれた「るか」ちゃん。すぐにNICU(新生児集中治療室)に運ばれ、黄だんの治療をしたり、体重がなかなか増えなかったり。
心配ごとは次々起こります。でも不妊治療の末、子どもを授かった我が子が、新たに命を生み出し奮闘するのをハラハラして見守り励ますのは、何だか不思議で誇らしい気持ちです。
るかちゃん、もう少し大きくなったら、ばぁばが面白いお話いっぱいしてあげるね。歌も歌って一緒に踊ろうね。世の中の美しいものをたくさん見ようね。そうしてあなたの人生が、彩り豊かになることを願っています。
瑠璃(るり)色の輝きを放つ人生があなたを待ち受けています。小さな女の子だったあなたのママが強くたくましくなっていったように、たくさんの愛を受けてすくすくと大きくなっていってね。あなたに「ばぁば」と呼ばれるのを楽しみにしています。
2019.11.16
笑顔が素敵なあなたへ
まるちゃん
あなたが生まれたのは桜が満開の快晴の日。おなかにいるときから親孝行だったあなた。つわりもなく陣痛がきてからあっという間のスピード出産だったんだよ。
思ったより小さめで腕にすっぽり入ったあなたをみて、命の尊さと強さを知ったよ。おっぱいもたくさんのんですくすく育ってくれて、お兄ちゃんのまねしていいこともいたずらも覚えていったね。
あなたが生まれて半年でお父さんが単身赴任になって、一人での育児に疲れたときも、満面の笑みで笑いかけてくれたね。お父さんが帰ってきたときは、最高の笑顔で足元にしがみつきにいくあなたを見てると、お母さんも頑張らなきゃってエールをもらった気持ちになるよ。
あなたの可愛い笑い声やおぼつかない歩き方、小さなあったかい手に触れながらいつも元気もらってるよ。ありがとう。これからもそのあなたの笑顔でたくさんの人に幸せを届けてほしいなぁ。
生まれてきてくれてありがとう。
2019.11.09
2歳になった悠太朗君へ
我孫子のばんちゃん
あなたが2017年8月14日、お盆のど真ん中に生まれてから2年が過ぎました。元気に大きく育ってくれてうれしいです。
2015年8月30日に明治神宮でお父さんとお母さんは結婚式を挙げました。お母さんはとっても赤ちゃんがほしかったので、あなたがおなかにできたときは大喜び! でも、お母さんのおなかの中は心配なことがいっぱいで、あなたが無事に育ってくれるかどうか心配でした。まだ小さいうちに早く生まれそうになったので、5月からお母さんは入院しました。お父さんは会社がお休みのとき、甲府から東京の病院まで通いました。
日立のじいじとばあばは、ずっと無事を祈っていました。ばんちゃんは一生懸命「般若心経」を書いて、じんちゃんとお釈迦様に赤ちゃんが無事に育ってくれるようにお願いしました。お母さんは入院中、病院から出される食べ物以外は一切口にしませんでした。「もし赤ちゃんに何かあったら」。その意志と愛情の強さには本当にびっくりしました。
17年8月14日あなたが生まれた日、ばあばとお父さんとばんちゃんの3人が病室で待っていると、看護師さんが「9時51分、3,103グラムの男のお子さんが無事生まれました」と知らせてくださって、本当にうれしく、また、ホッとしました。
それからあなたはずっと元気でいい子に育ってくれて、あんなにみんなが心配したことを忘れそうなので、お父さんとお母さんが、どんなに心配しながらあなたが無事に生まれてくることを願っていたかを、忘れないように書いておくことにしました。
2019.11.02
じぃじの正夢
作田典子
じぃじは、ゆうちゃんが生まれてくる3か月半前に、重い肺気腫で彼岸に旅立ってしまったの。だけどあなたのお母さんが妊娠したときには、一番に知らせていましたからね。
その時じぃじは、医師から生命の期限を告げられ、酸素ボンベをつけていても苦しそうだったの。それなのに、「それは良かった。初孫だ」と笑みを浮かべ、翌朝目を覚ますなり「生まれてくるのは女の子だ」と、自信ありげに言うの。久しぶりに聞くその口調に、ばぁばも同調し、「さっそく孫の夢ですか? 男の子のお印はなかったのね」と言うと、じぃじはニヤリとして、「これで血は繋がるし、子ども好きのあなたは元気に生きていける。もう何も心配することはない」と言ったの。思ってもみない展開に胸がいぱいになり、じぃじの手を握り締め額に当てちゃったら、じぃじがそっと握り返してくれたの。
じぃじの夢は正夢だったようで、可愛い孫娘を授かりました。公務員だったじぃじは、穏やかな人だったんだけど頑固な面があり、そんな場面に出合うたび、ばぁばはムッとしてきたの。だけど最近、「あの頑固」にばぁばはずっと守られてきたのではないかと思うようになったの。おかげさまでことし、元気にじぃじの三回忌を迎えることができました。
ゆうちゃん、生まれてきてくれてありがとう。
2019.10.26
お兄ちゃんになった大翔(だいと)君へ
三浦信子
「おーい! ちゃんちゃーん」と、2歳の大翔君はママの大きなおなかに呼び掛けていたね。その声はちゃんと届いていたみたい。妹の悠乃(ゆの)ちゃんが生まれて3か月、大翔君が顔を近づけると、悠乃ちゃんはにこにこ笑顔になるし、「ガオー」って恐竜に変身すると、びっくりして目をぱちぱちさせます。
そんな2人を見てバアバはありがたく幸せに思っています。2年前、大翔君が生まれた同じ月に、ひいおばあさんが、突然入院することになりました。ママや大翔君のことも心配でしたが、バアバは、遠くで一人暮らしをしていたひいおばあさんのところへ駆けつけました。看病しながら、ママが送ってくれる大翔君の写真や動画にどんなに癒されたことでしょう。
でも、日々成長する大翔君と入れ替わるように、ひいおばあさんの命の火が少しずつ燃え尽きていきました。その時のことを思い出します。
最近の悠乃ちゃんは「うーあー」と、とってもおしゃべりでよく笑います。寝返りをしようと手足をバタバタ動かします。ああ、大翔君もこの時期そうだったのかと、一緒にいられなかった時を重ね合わせます。そして、心の中でひいおばあさんをしのびます。
大翔君の最近のお得意はジャンプすること。名前の通り未来に向かって大きくとんでね。応援しているよ。
2019.10.19
「白血病」になったハルヤ君へ
心配性のばぁば
可愛い盛りの3歳のハルちゃんが「白血病」で入院して2か月が過ぎました。じいじとばあばは病名を聞いたとき、頭はまっ白、悪夢をみているのかと思いました。風邪だと思っていたのに、様子がおかしく血液検査をしたら、即入院。
つらい検査の1週間。化学療法とステロイド剤の治療で、白血球の値が落ち着き、一時退院したら今度は40度の熱が10日間上がり下がりし、治療は一時中止。原因がはっきり分からず、じいじもばあばも随分心配したけど、ママは何倍も心配し、泣いていました。
今は熱も下がり、笑顔を見せてくれているけど、ステロイド剤の影響で顔はむくみ、化学療法や骨髄の検査の後は、とてもだるそうにしているハルちゃん。ほとんどベッドの上なので、足は細く筋力も弱っています。痛々しくて、なぜ神様仏様は、ばあばではなくハルちゃんに苛酷な試練を与えたのか、悔しいです。
神社にお参りし、毎晩神様ご先祖様に感謝し、ハルちゃんの病気の完治と病気をはね返す力をお授けくださいと、お祈りしています。パパ、ママとお兄ちゃんは、ハルちゃんのために一生懸命頑張っています。ばあばもできるだけ、サポートするわよ! ママは泣くことが多かったけど、笑う方がハルちゃんのために良いよと言いました。
ハルちゃんガンバレ!みんなついているよー。
2019.10.12
大きな夢をありがとう
望月玉代
大きなお目々に、大きなお口。あっ、もしかして、お鼻がペチャンコかも……。
わたしが長女のママのおなかの中を写した画像を、初めて確認したときの正直な感想です。そして数か月後、そっくり同じ、かわいらしい初孫をこの腕に抱いたときの感動と興奮が今、しみじみと思い起こされます。当時のわたしは有頂天で、ベビーカーへ乗せては近くの川辺りを散歩したり、知る限りの童謡を歌って聴かせたり、絵本を読んで寝かしつけたりしたものです。
ママとタイ人のパパはチェンマイで恋に落ち、誕生した孫娘はエキゾチックな風貌で、成人して京都の大学へ行っている今は、長身ですらっとしたモデル体型に成長しました。自然体でほんわかとした性格は変わらず、敬老の日には動物の壁掛けをプレゼントしてくれたりします。
哲学を専攻したというあなたですが、今後はどんな夢をばあばに見せてくれることでしょうね。
2019.10.05
「華(はな)」ちゃんの生まれた日
阿久津ばあちゃん
平成最後の子か、それとも令和元年の子かと大人たちが騒ぐ中、2人兄弟の龍(たっ)ちゃんと、翔(しょう)ちゃんは、冷静にその日を待っていました。4月24日。予定日より5日早く、しかも、ひいおじいちゃんと誕生日が同じというプレミアム付きでやってきたのです。待ちに待った女の子。パパとママと龍ちゃんと翔ちゃんの4人で考えていた名前が付けられました。「華」ちゃんです。
日本中が、長期ゴールデンウィークでにぎわっているころ、小学2年生の龍ちゃんと、幼稚園年中組の翔ちゃんは、パパの実家で過ごしていました。ママのいない寂しさと、きょうからお兄ちゃんになるというプレッシャーに、小さな胸はつぶれそうでした。赤ちゃんを抱っこしてママが帰ってきた時はうれしかったけれど、翔ちゃんは、ママが、いつものママではないみたいで泣いてしまいました。龍ちゃんは、「華ちゃん、華ちゃん」と頭をなでなでして、ママと赤ちゃんから、ひと時も離れませんでした。
大きな家に引っ越して、きょうからは5人家族です。さぞかしにぎやかな家になることでしょう。華ちゃんは、慎重派と行動派の2人のお兄ちゃんをお手本に、たくましく育っていくことでしょう。ママのオッパイをいっぱい飲んで、丸々と太って笑顔を見せる華ちゃん。2人のお兄ちゃんと遊ぶ日も間近ですね。じいちゃんとおばあちゃんは楽しみにしています。いつも応援しています。頑張れ3人兄妹。
2019.09.28
初孫「唯花(いちか)ちゃん」へ
篠塚真利子
令和元年6月2日16時17分、2,680グラム。初孫が誕生し、私はおばぁになったよ。職場で陣痛がきたとの連絡を受け、仕事を終えたころには「無事、生まれました」との連絡。安堵感と喜びでいっぱいだったよ。
仕事を終え急いで横浜の病院へと向かった。最寄り駅で降りてタクシーに乗り、運転手さんに初孫誕生の話をすると、「6月2日は、横浜の開港記念日で、毎年お孫さんの誕生日には花火が上がりますよ」と教えてくれた。
初孫は「いっちゃん」と呼ぶことになった。家には、ママが運命を感じたといって大切に飼っている「小太郎」という柴犬がいる。いっちゃんが退院して、小太郎との初顔合わせの日。小太郎は、いっちゃんより数日会えなかったママに甘えてる様子だったけど、そのうち、いっちゃんが泣くと「ワン!ワン!」とほえて落ち着かなくなり、困ったように見守っていたよ。
いっちゃんは横浜に住んでるから、なかなか会えないんだけど、アクビをしたり、シャックリをしたり、オナラをしてすまし顔のいっちゃんの動画を見て笑みがこぼれ癒されているよ。小太郎との写メも送られてきた。生まれてからずっと一緒だから、仲良し兄妹になるね。
いっちゃん、わんぱくでもいい、たくましく育って欲しい。いっちゃんの笑顔、最高の癒し。
2019.09.21
産声
ばば
6月2日に詩織(しおり)ちゃんが元気な産声をあげて誕生しました。この産声には特別なものがありました。それはお兄ちゃんになる良太朗(りょうたろう)くんが生まれたとき、産声もあげずに天国に行ってしまったからです。
ですから、詩織ちゃんのときは、今度こそ元気な産声を聞きたい!と、毎日神にも祈る思いでした。そして詩織ちゃんが元気な産声をあげて誕生したとき、パパは目を輝かせて「ヤッター。この子はなんて親孝行な子なんだ……」と。その後は皆うれし涙でいっぱいでした。
ことしの6月、詩織ちゃんは4歳になりました。歩き始めたころ、私が「抱っこしよう」と言っても、「アンヨ、アンヨ」と言って一人で歩いていました。今でも体を動かすことが大好きで、公園に行っても帰ることを忘れて遊んでいる、天真らんまんな女の子です。
そんな詩織ちゃんを見ていると、元気に生まれて来てくれてよかった! 元気な産声を皆に聞かせてくれてありがとうと、感謝の気持ちでいっぱいです。
これからも元気ですくすくと育ってくださいね。
2019.09.14
一華(いちか)ちゃん一歳の誕生日おめでとう
ゆみばあば
いっちゃんがママのおなかに宿ったと聞いてから、心配性のばあばは毎日祈るような気持ちで過ごしていました。そして願いどおりに無事に生まれてきてくれたときの感動から、もうすぐ1年。初めてのお誕生日を迎えます。
4月からママが職場復帰して、保育園に行き始めました。自宅から少し離れた保育園に行くことになったので、送り迎えが大変なママの力になればと、ばあばも時々お迎えのお手伝いをしています。最初のころは、お迎えに行くと泣きながらすがりついてきて、帰り道もしゃくりながら寝てしまうこともあって、ばあばも泣きそうになってしまいました。でも、3か月が過ぎた今は、すっかり園生活にも慣れて、公園ではしゃいだり、先生方のまねをしたりと、いっちゃんらしく元気に過ごしている様子でうれしく思います。
保育園の帰り道、ばあばが歌をうたうと、体を弾ませてリズムをとったり、いろいろな物に興味津々で、指をさしては「あっ、あっ」と語りかけてくるいっちゃん。
これからも健やかに成長してくれることを願っています。
2019.09.07
愛おしい
SAI
あなたが生まれたあの日、初めて思ったのは「愛おしい」でした。
前日の夜に姉夫婦と「食事に行こーねー。まだ、大丈夫だからー!」と言って約束してましたが、夜中に陣痛が始まり、約7時間、あなたと向き合いました。梅雨の時期なのに朝日が昇り、分娩室はすごく明るかったのを覚えてます。
初めて抱っこした時は、お母さんは、愛おしくて泣きました。初めて愛おしい気持ちに出合えたからです。
初めての育児で戸惑いながらも成長して、あなたは弟の面倒もよくみてくれるお姉さんになりました。
令和元年の小学1年生! 黄色い帽子をかぶり、「行ってきます!」 「ただいま!」と元気に笑顔で言ってくるあなたに、また、愛おしさを感じてます。
ありがとう。
2019.08.31
小さな命・誕生。
神薗博子
ママが妊娠6か月で突然の切迫早産になり、590グラムの超低出生体重児で誕生した隼成(しゅんせい)くん。
それはそれは小さい体で驚きました。ママは臨月まで守れなかったと自分を責めていたけど、隼成くんは、そんなママの心を慰めるように頑張っていたね。
生後3か月には呼吸器も点滴も外れ、保育器からも出て初めて抱っこ出来た感動をバァバは忘れません! 1歳1か月で突然!お兄ちゃんになった航成(こうせい)くんも留守番が多い日々を頑張ってくれたね!
生後6か月で無事に退院できて医療センターの皆様には感謝です。この半年間の苦労と心配を、これからは喜びの日々に変えて幸あれと祈っています。
2019.08.24
希成くん
ちいばあちゃん
希成(きなり)くんがこの世に生まれ10か月が過ぎました。72歳になり初めておばあちゃんになりました。生まれたときからあまり泣かない穏やかな君は、10か月になってもギャーと泣きもせず……あまり泣かないので変に心配してしまったこともあったけど、今は握る力は強く、くるくると首を回し、ちいばあちゃんの私に会うとまるでワンちゃんがうれしいときに尾を振るように足をバタバタして喜んでくれ、私が見えなくなると悲しそうに泣きます。日々成長を感じているよ!
「おばあちゃんにはなれないかな」と思っていたのに、あなたのパパとママがあっという間に結婚し、あなたが生まれました。パパのおばあちゃんも初ひ孫のあなたに会って去年96歳であの世に召されました。
希望の希と成功の成で希成くん! ホープ&サクセスの希成くん! 良い名前です。毎日あなたに会い、抱っこすることができて、あなたのパパとママは本当に親孝行をしてくれています。克寿(かつひさ)じいちゃんが生きていたら可愛がったろうなあと残念です。
これから歩き、おしゃべりし、どんな子どもになってゆくのだろう。楽しみです。
2019.08.17
ひ孫の成長を夢見て
沼倉佐恵子
私92歳、ひ孫2歳。
ハイタッチで出迎えたり、見送ったりしています。ブランコも鉄棒もできます。「バレエ」とか言って、足を真上に伸ばしてみせます。
誕生日の歌も上手で、お祝いをしてくれます。記憶力も良くて、もう負けています。色もよくわかって、色鉛筆のピンクを見て、「自分のTシャツと同じ」と言って喜んでいます。ABCDと英語の歌もうたいます。風車を持って走りまわって元気いっぱいです。
今の子どもはスマートホンのように何でもでき、私は何もできないので完全に負けています。
将来どんな子どもに成長するか、一日でも長生きして、見てみたいものです。
2019.08.10
やっと会えたね。
金場愛実
やっと会えたね。
初めてこっちゃんの顔を見たとき、そう思ったよ。なぜなら、こっちゃんがママのところにやって来てから279日間、毎日こっちゃんのことを思っていたから。元気かな? 声は聞こえるかな? パパがおなかを触ったときによく動くのはうれしいから?
大きな音の映画をみてごめんね。辛い物食べてごめんね。あの日、狭くて暗い道を一人で通ってママに会いに来てくれたね。やっと会えたね。こっちゃんもそう思ったかな?
二人で初めて過ごした夜、ママは幸せと不安が入り混じって複雑な気持ちだったよ。おっぱいを飲むのがうまくいかなくて二人でたくさん練習したね。すくすく育って今はもう1歳4か月。頑張り屋さんでなんでも一生懸命なところはパパにそっくり。かわいい顔はママにそっくり。最近たくさんギューってしてくれるね。いつまでしてくれるかな? こっちゃんが嫌がってもママはするよ。大好きな大好きなこっちゃん、ママとパパはあなたの幸せをいつも願っているよ。お友だちとけんかした帰り道、勉強で悩んでつらいとき、初めての環境で不安なとき、こっちゃんは一人じゃないよ。いつもママとパパがそばにいるよ。
こっちゃんの未来が明るく、幸せに満ちたものとなりますように。
2019.08.03
私のところに来てくれてありがとう!
チャン・チーフェ
昨年の10月に急に気持ちが悪くなって、いったい何が起きたのだろう、もしかしたら妊娠かなと思いました。検査したら、自分のおなかの中に新しい小さな命が宿っているのがわかりました。その瞬間、私は本当にうれしかったのと、いったいどのような顔の赤ちゃんがいるのだろうと思いました。
月日が1か月経つごとに、私のおなかは少しずつ大きくなるのがよくわかりました。妊娠初期のとき、先生から切迫流産の可能性があると言われ、すぐに入院しました。そのとき私の頭の中は、とにかく赤ちゃんが無事に生きてくれることと、早く良くなれと考えることだけでした。
2週間後には無事に完治して、日々の生活に注意しながら過ごしていました。中期から後期に入るとめまいや吐き気がひどくなり、よく横になって休んでいたのを覚えています。しかし、頭の中は赤ちゃんを大切に育てることでいっぱいになっていました。
ことしの6月14日の夜、おなかの痛みが強くなり、我慢ができず夜中に入院しました。そしてついに朝10時に大きな産声とともに元気な女の子の赤ちゃんが生まれました。激しい痛みに耐えた後の喜びは、言葉で言い表せませんでした。ただ思ったことは、私のところにきてくれてありがとうだけです。
これからたくさん笑って元気いっぱいに生きてね。ママとパパはたくさんの愛情を注いであげますからね。
Be Happy Forever!
2019.07.27
大きな贈り物「大賀(たいが)」
たいたんママ
やっと、やっとこの手で我が子を抱いた日の喜びは、一生忘れることはないでしょう。1年前、帝王切開で生まれた「たいたん」は、小さな元気な男の子でした!おなかから出てきた時の産声は、安心と喜びの声でした。
結婚から11年目の秋、妊娠判定で出た陽性反応! それまでのたくさんの涙と経験がやっとかなった日でした。たいたん、ママの妊婦生活は不安の方が大きかったけど、お空にいるお兄ちゃんたちがずっと見守ってくれてると信じて、大切に大切におなかの中で育ててきたんだよ。
そして5月、たいたんは元気に1歳を迎えました! この1年、風邪ひとつ引かず元気に育ってくれて、ママとお父ちゃんは本当にうれしいよ。じーちゃん、ばーちゃん、おじちゃん、おばちゃん、いとこの3人のお兄ちゃんに愛されて、これからも元気いっぱいに育ってね。これからいろんなところに遊びに行こうね。いっぱいいっぱい幸せちょーだいね。
2019.07.20
お姉ちゃんのやきもち
佐藤真弓
お姉ちゃんが生まれて2年1か月目に賢聖(けんせい)クンが生まれた。男の子だったから、皆から「一姫二太郎だね、良かったね!」と言われたんだよ。昔から育てやすいって言われているからね。
ママは比較的に安産で、ねえねも「弟! 弟!」とあなたをなでなでして可愛がっていた。それが1か月もしないうちに、ねえねのやきもちが始まった。あなたのことを知らない振りをしたり、ママが抱っこしていると、自分を抱っこしろと命令したり、あげくの果てはあなたがオッパイを飲んでいると自分もミルクを飲むと言い出し、哺乳ビンに入ったミルクを赤ちゃん抱っこしてもらいながら「良い子、良い子」してもらってママの愛を確認する始末。
じじちゃまは、成長過程のひとつなのだから認めてやれとのんびり言っているけれど、ママは大変! そんなママを助けるかのように、ケンケンはいつもスヤスヤと寝ているか、起きているときはマシュマロのような笑顔で癒してくれる。生まれて4か月。優しいパパ似のケンケンが、ねえねを守ってくれる日が来るのかな?と、ばばちゃまは楽しみにしています。
やきもちやきのねえねをよろしくね。
2019.07.13
ママと玲良ちゃんの「大丈夫」の絆
伊藤由美子
玲良(れいら)ちゃんは、令和元年に小学1年生になりましたね。でも生まれるまでにちょっとしたハプニングがありました。あなたを授けてくれた神様が少しあわてんぼうで、ママのおなかから予定日より早く出そうとしました。さあ大変、ママはおなかの赤ちゃんにお願いしました。
「私の可愛い赤ちゃん、もう少し大きくなって、もういいよーと言うまで、元気で遊んでいてね」
赤ちゃんは「大丈夫、大丈夫だよ、ママがもういいよーと言うまでおなかの中で待ってるからね」
とうとう、もういいよーの日が来ました。赤ちゃんはおなかの中でたくさん遊んで元気いっぱいで生まれました。パパは心根のやさしい子に育つよう「玲良」と名づけました。
ママはおっぱいが上手に飲めないとき、お腹がすいているとき、おしりが汚れているとき、泣いている玲良ちゃんに「玲良ちゃん大丈夫、大丈夫だよ」と話しかけます。「大丈夫」は、ママが玲良ちゃんにおなかの中から励まされ勇気をもらった「ことば」。そして、二人の大切な「お守りことば」なのです。
玲良ちゃん、妹の彩良(あいら)ちゃんと、新しい令和の世で幸せに育ちますよう、じいじとばあばは願っていますよ。
2019.07.06
続・華鈴(かりん)ちゃんへ
松田郁子
昨年9月、まだ華鈴ちゃんがママのおなかに入っていたときにお手紙を書いてから、もう8か月が過ぎました。10月17日、華鈴ちゃんは、見事な産声をあげました。元気な子に生まれてくれてありがとう。
(大阪府の)寝屋川のお家も、ママの実家の池田もパッと明るくなりました。
宮に参ったら 何というて拝むさ 一生この子が まめなよに
その昔のこと、ばあばのママは先生をしていたので、ばあばはその又おばあさまに育てていただきました。これはその時に歌ってもらった子守歌です。
「まめなよに」は、「元気なように」ということです。ばあばのおばあさまは明治元年の生まれで、その名も「お元(もと)さん」。しゃきっとして、愛情深い人でした。ばあばはこの歌の通り、87歳まで、大きな病気もしないで、あのすさまじい戦争も、幸い田舎に住んでいたので、空襲もなく、無事に過ごしてきました。
今、可愛いひ孫の華鈴ちゃんに、祈りをこめて歌います。
一生この子が まめなよに♪
2019.06.29
1歳のまゆちゃんにささげる手紙「はたちのまゆちゃんへ」
くみちゃん
毎日、全力投球している、あなたの1歳の姿が今も目に浮かびます。
たとえば、生後11か月のころのまゆちゃんは、ひと通りのルーティンをこなします。まず、棚の物を一つ一つ落としては悦に入り、すみに押し込めてある物を発掘したり、ひからびたグリーンピースをほおばって、オェ~となったり。
大人を怠慢にさせない機敏な幼児でした。まゆちゃんの中のみなぎる力。それは、一分一秒を無駄にしない、ひろしじいちゃんゆずりなのかもしれません。
今、振り袖姿の似合う色白まゆちゃん、二十歳おめでとう!
2019.06.22
心春ちゃんへ
村瀬たけ子
お父さんとお母さんは、あなたが生まれたとき、いっぱい悩んで、心の春と書いて、「こはる」と名付けました。おばあちゃんはこの名前がとても気に入っています。
お母さんは、あなたが生まれる前に3回赤ちゃんができましたが、大きくなることはありませんでした。病院で調べてもらったら、赤ちゃんに栄養がいかない病気でした。お薬をいただいて、あなたが生まれる少し前まで、毎日飲んでいました。
順調に育ったあなたは、あと何分かでお父さんと同じ誕生日というときに元気に生まれてくれました。お父さんの誕生日は、あなたが成長する令和の時代に天皇陛下になられた浩宮様と同じ日です。お父さんを生んだ、ばあばもすごいと思います。
お母さんが仕事を始めたので、あなたは保育園に通うことになりました。人見知りが激しいあなたのことを、おばあちゃんは少し心配しましたが、給食もたくさん食べていると聞いて、安心しています。
名前のとおり、あなたの心がいつもぽかぽかしていること、そして、周りの人たちの心もほっこりさせられるように成長してくれるよう、おばあちゃんはずっと見守っています。心春ちゃん、本当に生まれてきてくれてありがとう。
2019.06.15
いつもごめんね……
須藤杏香
次男の妊娠がわかってからは、不安でいっぱいだったよ。生まれるまでは長男をいつも以上に愛してあげようと思いました。生まれてからは次男にかまってばかりになると思うから二人を同じように愛せるのか不安でした。
次男が生まれてから、「ぱぱーっ」て行くようになった長男。いつもごめんねって思ってるよ。いつも怒りすぎちゃってごめんね。
だから帰ってからのお散歩、寝る前のお話が毎日の長男との時間です。
息子たちよ、いつも幸せと癒しをありがとう! ママお仕事頑張るよ。
2019.06.08
バァバの宝物
テルバァバ
バァバの宝物は、初孫の釆生(ことは)です。生まれてきてくれて、本当にありがとうございます。
お母さんは、なかなか結婚しなくて、もう一人で行くんやろうかとあきらめかけていた時に、結婚すると報告がありました。後は二人で決めて、やっと結婚してくれました。
それからは早く赤ちゃんができるといいと待っていました。3年目で授かったと聞いて、おなかの赤ちゃんが順調に育ちますようにと毎日お願いしていました。生まれてきてくれて、ジジババにも初孫が見られてうれしかったです。ジイジイは、お母さんから送られてきた動画を「コトちゃんタイム」と言って、毎日半時間見ています。
でもバァバには、心配ごとがありました。一人っ子で育ち、自分の子どもは母にまかせて育ててもらったので、どう接したらよいのかわかりません。実家に帰ってきたお母さんとコトちゃんの面倒をしっかりみられるか心配でした。
お母さんには、気がつかないとよく言われ、おこられておりました。でも気持ちは、かわいくてしょうがありません。ジジババも70代の夫婦で、いつまで元気で成長が見られるかわかりませんが、人の気持ちがわかるやさしい人に育ってください。毎日祈っております。
2019.06.01
私の初孫は白雪姫
山中美枝子
初孫は昨年1月末に誕生しました。病院に駆けつけてからおよそ2時間で対面したとき、新米バァバはうれしくて泣いてしまいました。色の白い女の子。大きな女の子。元気な女の子。手足をバタバタと動かして、泣いていました。すぐにママのところに行ったら、今度は小犬のようにクンクンとママに甘えていました。
この日から「育バァバ」デビュー。誕生前にバァバは、赤ちゃんの抱き方を練習しました。そっと片手で頭を持ち上げて、もう一方の手でおしりを抱く。家の中で何度も練習していましたが、ついに地下鉄の中でも練習してしまい、まわりの人からジロジロと見られてしまいました。
誕生後およそ1か月間、バァバの家に来ていましたが、バァバたちは慣れない育児のお手伝い。3時間おきのミルク、オムツ替え、もく浴の手伝いなど、ママに怒られながらも頑張りました。おうちに帰って行った日、がらんとした部屋に忘れていったピンクのタオル一枚を見たら、急にさびしくなり、バァバは号泣してしまいました。
童話の中の白雪姫は、7人の小人に守られています。初孫の白雪姫は、大人7人が守っています。パパ、ママそして東京のジィジ、バァバ、バァバの長男のおにいちゃん、そして、福島のジィジたち。
可愛い、いとしい私の初孫の白雪姫ちゃん。生まれてきてくれて本当にありがとう!
2019.05.25
5月に生まれてくる君へ
志貴歌子
美男美女のパパとママだから、きっとすてきな子だろうね。でもね、とても悲しい、残念なの。君のおばあちゃん、君に会えずに天国へ行ってしまったの。とても会いたかっただろうけど、これも運命かと思うように曾祖母の私は自分に言い聞かせています。愛情深く育ててもらった君のパパとママだもの、きっときっと元気でよい人生を送ってくれるでしょう。ばあばは天国で見守っているからね、君は元気で育ってくれるでしょう。曾祖母は毎日お願いしています。
でもでも、ひと目君に会わせたかった。きっと賢い元気な君だろうな。天国で君のばあばも見てるだろうと思います、きっときっとね。君もすてきな君のばあばに会いたかっただろうね。君は今もママのおなかで元気に動いていると君のパパは言ってます。
2019.05.18
3人のひ孫たちへ
西渕テル子
私の大好きなひ孫の和笑(なごみ)ちゃん、芽衣(めい)ちゃん。6月に生まれてくる予定の○○君も首を長くして待っています。
1月に誕生日を迎えた和笑ちゃんは、歩きもしっかりしてきたね。笑顔もとてもすてきだよね。イチゴとバナナが大好物で、食欲も旺盛。パパに似て背が高くなるね。5月生まれの芽衣ちゃんは、誕生日が近くなってきたね。名前のとおり目がパッチリで美人になりそうだね。芽衣ちゃんは、ママがお仕事しているので接する機会が少なくて、LINEを通してのお目通しが多く、少し寂しいよね。暖かくなったら、また来てね、待っているからね。そしてまだ見ぬ○○君は、どんな笑顔で迎えてくれるのでしょうね。
バーバも3人それぞれのママたちが生まれてしばらく、よく世話をしましたよ。忙しかったけど、楽しかったね。芽衣ちゃんのママはよく泣き、和笑ちゃんのママは少し気むずかし屋さん。まだ見ぬ君のママは、おとなしかった。今は懐かしいばかりです。
あなたたちをいつまで見届けられるのか、それを思うと少し寂しくなるときがあります。でもこうしてあなたたちに会えたことは、ひバーバの宝物です。優しいパパ、ママの元で、素直で元気で明るく育ってほしいです。新しい元号の年に生まれ育っていく子どもの未来に幸多くあらん事を祈ってやみません。
2019.05.11
朔久くんへ
パパばあば
朔久(さく)くんがママのおなかにできた時、はじめは双子やったんやでー。子育ては大変やろうけど、可愛さも2倍やなあって皆喜んでました。
でもしばらくして、もう一人がおなかの中で亡くなってることがわかって、ママは毎日泣いてた。おまけに、ママの胎盤を二人で共有してたのが、一人になったから、血液の流れがうまくいかなくて、朔久くんも丈夫に生まれてきてくれる確率が2分の1という大変な状況でした。
寂しかったし、一人になって心細かったなあ。でも、その後血液の供給がうまくいって、12月17日、朔久くんは元気に生まれてきてくれました。パパは郵便屋さんやから、ホンマはめっちゃ忙しい時期やのに、たまたま予定日より早く、お休みの日に生まれたので立ち会えました。
その日、じいじとばあばは、病院の朔久くんに会いに行ったら、ママの病室に小さなベッドが二つあって、一つでは朔久くんが元気よく泣いていて、もう一つのベッドには、お骨に小さな小さな可愛らしい産着と帽子がかぶせられていました。朔久くんの弟、岳久(がく)くんのものでした。
朔久くん、元気に大きくなって、岳久くんの分もいろんな経験をしてくださいね!
2019.05.04
イッキとエイト
大阪のばあ
イッキが1歳半のころ、お母さんのおなかに赤ちゃん(エイト)ができたとわかってから、イッキの生活が変わりました。お母さんは今までのように、イッキをひょいと抱くことができなくなりました。イッキは、「なんでー」と戸惑って、お父さんにべったりになりました。お父さんも、まんざらでもなく、土・日には二人で楽しく遊びに出かけていました。
イッキは岸和田のばあやおねえちゃんたち、大阪のばあとじいとも仲良くしてくれました。お母さんとおなかのエイトのことを直感でわかるのでしょう。お母さんに甘えたい気持ちを抑えて、みんなに愛されるイッキに育ってくれました。
エイトとの初対面。「何、これは?」というように、距離を置いていたそうです。エイトと一緒に生活するようになって、だんだん距離が近くなり、兄弟は仲良くなっています。エイトはイッキにぎゅっとハグされても泣かないそうです。エイトの誕生を、イッキをはじめ家族全員ができることを交代で手伝いながら、迎えることができました。この連係プレイはとても素晴らしいものです。特に岸和田チームの連係プレイは絶妙で、現在も続行中です。
これからも家族全員で二人の成長を見守って、みんなで笑っていきましょう。
2019.04.27
鳴(なる)ちゃん
小塚久枝
「なるちゃんなるちゃん、なんになる?」。ずっと心の中で呼びかけていました。そしてきょう、現実に声に出して、語りかけました。8か月になる孫が、初めて我が家にやって来たのです。会った瞬間からニコニコ、ぐずりもせず、ご機嫌です。
「なるちゃん、なるちゃん、なんになる?」。「なんにもならないよ!」と嫁はふざけて答えました。「そうか、自由に生きたらいいよ。でも世界に羽ばたいてほしいな」
「なるちゃん!」と、恥ずかしげもなく、身ぶり手ぶり、体全体であやす自分がいます。何のテレもなく、まるでお笑い芸人のように、キャー、ヒィーと笑う孫がそこにいます。こんな自分にびっくりです。人って、縁によって変われるものなんですね。若いころはこどもが苦手だったのに、私も一皮むけたようです。
なるちゃん、輝かなくてもいい、活躍しなくてもいい、あなたらしく幸せに生きてね! キャーキャー笑っていたこと、忘れないで! こんなこどもたちに、世界中のこどもたちに、安全、平和な社会を引き継ぎたいと切に願います。
2019.04.20
もうすぐ1歳
要太(ようた)のおかあ
「おはよー!」とばかりに顔をバンバンたたいてきて、きょうも私の一日が始まる。最近、急にあれもこれもとできるようになってきたね。生まれて8か月のあなたの成長ぶりに、みんな感心させられる毎日です。
2018年6月、ワールドカップのために大きいテレビを電器屋さんに見に行った日、だんだんおなかが痛くなってきて、テレビそっちのけで病院へ向かいました。そこから5時間のスーパー安産で、あなたはこの世界へやってきました。午後10時半からのサッカーの試合が見られる!とお父さん。記念すべき第1回目の親孝行です。と思いきや、呼吸の乱れでしばしNICU(新生児集中治療室)行き。心配だったけど、よく寝てよく飲む姿は私たちを安心させてくれました。
大事に大切に育てようねとお父さんと誓ったはずが、スリッパをガジガジ、つかまり立ちをして頭からドスンと目が離せないあなたについイライラしてしまう私は、まだまだですね……。ひいおじいちゃんの「要」という字を受け継いだあなた。周りのたくさんの人に必要とされる人になってね。
家のテレビはまだ古いままだけど、それとは比べものにならないくらい新しい世界を見せてくれるあなたに、これからは私たちがたくさんの世界を見せてあげるよ。だからあしたの朝は、優しく起こしてね!
2019.04.13
マーシャへありがとう
南海子
沖縄の真冬の夜だった。初産の私は、陣痛を感じ、大雨と停電の中、産婦人科へと向かった。逆子とわかっていたので、不安があった。子どもの名前は、男児なら夫が、女児なら私がつけることになっていた。
夜勤の助産師さんも妊婦さんだった。立会い出産が可能な総合病院。夫も私の手を握りながら、一緒に呼吸法をしてくれた。赤ちゃんの臀部(でんぶ)が見えたとき、「女の子ですよ」と、教えてもらった。予め検討中の娘の名前で、「Mちゃん! ママ、頑張るからよろしく」と声がけした。
当時私は、短大在学中で出産後に卒業。あなたは冬に生まれたけれど、あなたの誕生は私の心を早咲きの沖縄の桜色に染めてくれた。その後、あなたはロシア語に関心を持ち、勉強を頑張ったね。そしてあなた自身の出産は帝王切開の予定だったのに、自然分べんで子どもを産んだ。
あなたのロシア語のニックネームは、「マーシャ」。私の娘に生まれてくれたことに感謝したい。
2019.04.06
美月ちゃんのファンです
れい子ばあちゃん
2年前に2,600グラムと、小さく生まれた美月(みつき)ちゃん。すくすく育って、3か月過ぎには、人見知りをはじめたのにはびっくり。早く人の顔の見分けがつくのだから、頭が良いのに決まっていると、ひーばあちゃんの私は、誰かれなしに自慢して、少々うるさがられていたらしい。
お座りができるころには人見知りもしなくなり、いつもニコニコ顔ですね。何にたとえればいいかな、ピンクのコスモスの花がパッと咲いたという感じ。1歳を過ぎたころからパパ、ママ、マンマと話せるようになり、2歳年上のお兄ちゃんのことは、「ニイニイ」というのよね。美月ちゃんのハイハイのスピードはものすごかった。この子は運動神経もバツグンやと、またまた自慢のタネがふえました。
1歳半のころよりニイニイと兄妹げんかが始まりました。ミッちゃん(美月ちゃん)が赤い車にまたがると、ニイニイが飛んで来て、ミッちゃんを押しのけようとするんだもんね。でもミッちゃんは負けてません。女の子ならここで泣くのが普通だけど、顔を真赤にして全身でニイニイに向かってゆきます。あるときは車から転げ落ちても歯を食いしばってニイニイにむしゃぶりついて行ったね。あなたは根性がある。行く末、頼もしい。
ばあちゃんは、百まで長生きして、あなたの成長を見守りたいです。
2019.03.30
大ちゃん、勇ちゃん
ばぁば
大(だい)ちゃんのかぁかは、結婚も出産もちょっぴり遅かったので、ばぁばはずいぶん心配しました。大ちゃんは生まれてすぐにNICU(新生児集中治療室)に10日間も入ったので、毎日冷凍した母乳を運んだりもしました。
その後はすくすく育って、1歳6か月で保育園に入園しましたが、そのときは「捨てられた」と思ったのか、やさぐれて2週間近く誰とも目を合わせませんでした。このときも、ばぁばはとても心配しました。ところが入園して2か月も過ぎると、保育園大好きっ子になりましたね。一安心しました。そして、去年の春、弟の勇(ゆう)ちゃんが生まれました。病院で、かぁかのおっぱいを飲む勇ちゃんを見て、ショックを受けて固まっていましたが、「赤ちゃんはかわいい」と言っていましたね。
周りの人から「お兄ちゃん」と呼ばれると、「にいちゃんちゎう(違う)!大ちゃんは2ちゃい(歳)」と言っていました。最近は、「僕はお兄ちゃんだから、春から保育園に入る勇ちゃんを守る」と頼もしくなりました。勇ちゃんは、かぁかのおなかにいるときから大ちゃんの声を聞いていたので、眠いときと、おなかがすいたとき以外は、いつも大ちゃんの声を聞いて上機嫌です。大ちゃんが「カモンベービー」と踊ると、一緒に体を揺らして「ウーウー」と歌っています。
これからもふたり仲良くすくすく育ってね。これがばぁばの願いです。
2019.03.23
ババのかわいい「七菜」(なな)ちゃん!
広川英子
「七菜ちゃん」、生まれてきてくれて本当にありがとう。七菜ちゃんのママは、結婚半年目に酒酔い運転の車に正面衝突され、車が大破。一時は「車イスの生活か」と、ずいぶん心配しましたが、幸いにも3か月で退院することができました。
その後、子どもは無理かと思われていた矢先に、おめでたがわかりました。しかし、流産という悲しい結果に。やっと授かった七菜ちゃんも、8か月目に入ってすぐに、切迫流産のおそれで即入院と、誕生までにはドラマがありました。
それだけに、3月8日、元気な産声をあげてくれた七菜ちゃんに、ババはうれしくてうれしくて、涙が止まりませんでした。とってもなついてくれて、よくひとりでお泊りに来てくれましたネ。「きょうは、とくべチュだもんネ!」と言っては、好きなものを食べ、好きなように遊びましたネ!
そんな七菜ちゃんも、ことしは中学2年生に。部活は、「吹奏楽部」でがんばっています。パパの転勤でなかなか会えなくなりましたが、夏休みには遊びに来るとのこと。ジジとババは、今から首を長~くして、七菜ちゃんに会える日を楽しみにしています。
2019.03.16
平成最後の年に生まれる初孫ちゃんへ
みーばあちゃん
あなたのお母さんは平成元年3月、ばあちゃんが21歳の時に生まれてきました。俗に言う、できちゃった婚でした。なので、ばあちゃんはお母さんが結婚して3年間、子どもがなかなかできずに悩んで苦しんでいた気持ちに、なかなか気付いてあげられませんでした。ばあちゃんのお父さん、つまりママのおじいちゃんにひ孫を見せてあげると言っていたのに、去年かなわない夢となってしまいました。
その後、ママはつらかった気持ちをいろいろ打ち明けてくれて、つらかった仕事も辞める決心をつけたのですが、そうするとあなたがママのおなかにやって来てくれたのね。ちょうどそれは、10年前に亡くなったばあちゃんの友だちのお墓参りに行ったすぐ後だった。その友だちはつらい生い立ちを抱えていたのだけど、それはそれはママのことを可愛がってくれたのよ。なかなかお墓参りに行けなかったのに、行ったらすぐにあなたがおなかに来てくれたので、ママは彼女が一番幸せに生まれ変われる場所を見つけたんだと思ったんだって。
パパのご両親も家族もとてもとても素敵な温かい家族だから、今度は愛情たっぷりの幸せをいつもあげるから、いっぱいいっぱい甘えておくれね。たくさんの愛があふれる毎日でお出迎えするからね。
2019.03.09
1+新オムツ3人衆
博と潤子
「オムツ3人衆よ。生まれて来てくれてありがとうね」と、未来への手紙プロジェクトに投稿してから早や2年。平成最後のお正月、ジジババんちは子連れ里帰りママが3番目の男子を出産し、「1+新オムツ3人衆」のそろい踏みになったんだ。
まず、オムツ卒業の「1」は長男「仁誠(じんせい)」君で、満5歳になる甘えん坊の年中さん。次に控えし、共に2歳半の息子の娘で活発印の「恵」チャンと、人見知り児の次男「健晴」君。そして、3人のしんがりで誕生した「耀生(ようせい)」君。
ジジババんちは、ママが宅配してきた大荷物と、おもちゃなどで足の踏み場もないのに朝から連日の大運動会。ババが「歳とってからの孫の世話は超超大変よ」とババ友に愚痴ったら、「それ、ぜいたくよ」「孫で大変な終活なんてかえって羨ましいわよ」とのご託宣。うう~んジジババ納得。
でも、残念だけど共に古希過ぎのジジババは、君たちが大人にまで成長する姿は見られないかもしれない。けれど、心から「生まれて来て本当に良かった」と実感できる「素敵な人生」を歩んで欲しいと願っていますよ。
ジジもババも「今、最高に素敵な終活中よ」と言えるように、君たちと一緒に頑張ろうと思っています。「1+新オムツ3人衆」よ。生まれて来てくれて本当に本当にありがとうね。
2019.03.02
もうすぐ2歳になる凛ちゃん
厚木のバアバ
2年前の3月、凛(りん)ちゃんは初めからママのおなかを切って生まれることになっていたんだよ。大学病院で、ママを入院させてくれるというお約束をもらって、凛ちゃんが生まれることになっていたんだよ。
ママとパパが結婚した時、バアバは、赤ちゃんは生まれないと思っていたの。でもある日、ママから凛ちゃんが写っているママのおなかの中の写真を見せてもらったの。その時、バアバはキャーって大きな声を上げてジイジたちを驚かせてしまったの。だってそこには赤ちゃんの小さな姿が。
ママはおなかの赤ちゃんが落ち着くまで、バアバたちには内緒にしていたんだよ。それでもそのあと切迫流産でママに出血が続いたの。心配したんだよ。でもお産の日。パパは仕事を休んでママに付き添って。かわいい凛ちゃんが生まれたの。
今凛ちゃんは毎日お風呂を入れてくれるパパが大好き。パパと言えるようになったの。でもバアバは嫌いなの。凛ちゃんがかわいすぎて、大きな声を出して「凛ちゃん、凛ちゃん」というから、だからバアバが嫌いなのね。
2019.02.23
気長にまっているよ
としじいじ
もうじき3歳になる孫の悠陽(はるひ)くんだけど、まだしゃべれない。「あっ! 悠陽くんが笑顔でしゃべっている」……今まで何回も夢で見て目が覚めました。
しゃべりたいんだろうなあ? 心の中では、しゃべってくれているんだね。パパお帰り! ママおなかすいたあ! でも、言葉が出てこないんだね。
昨年は、夏から秋にかけノロウイルス、ロタウイルス、手足口病と立て続けにかかり、発熱や嘔吐、下痢などが続いてしんどかったね。じいじは、その都度代われるものならば、代わってあげたいと思いましたがそうもいかず、ただただ早く回復することを祈るのみでした。
ロタウイルスの時は、パパもママもかかったそうですが、ママは自分も発熱や嘔吐が続く中、一生懸命に悠陽くんを看病してくれました。悠陽くんも「カユイ」「イタイ」「シンドイ」などと言えないのに、その小さな体で病気に耐え、よく頑張ってくれましたね。元気になったと聞いた時は、じいじはホッとしました。
春から幼稚園に行きながら、療育で「少しずつ少しずつ」頑張ればいいんだよ。いつかきっと悠陽くんが、しゃべってくれるその日まで、皆んな、皆~~~な気長に待っていますよ。
頑張れ悠陽くん!
2019.02.23
気長にまっているよ
としじいじ
もうじき3歳になる孫の悠陽(はるひ)くんだけど、まだしゃべれない。「あっ! 悠陽くんが笑顔でしゃべっている」……今まで何回も夢で見て目が覚めました。
しゃべりたいんだろうなあ? 心の中では、しゃべってくれているんだね。パパお帰り! ママおなかすいたあ! でも、言葉が出てこないんだね。
昨年は、夏から秋にかけノロウイルス、ロタウイルス、手足口病と立て続けにかかり、発熱や嘔吐、下痢などが続いてしんどかったね。じいじは、その都度代われるものならば、代わってあげたいと思いましたがそうもいかず、ただただ早く回復することを祈るのみでした。
ロタウイルスの時は、パパもママもかかったそうですが、ママは自分も発熱や嘔吐が続く中、一生懸命に悠陽くんを看病してくれました。悠陽くんも「カユイ」「イタイ」「シンドイ」などと言えないのに、その小さな体で病気に耐え、よく頑張ってくれましたね。元気になったと聞いた時は、じいじはホッとしました。
春から幼稚園に行きながら、療育で「少しずつ少しずつ」頑張ればいいんだよ。いつかきっと悠陽くんが、しゃべってくれるその日まで、皆んな、皆~~~な気長に待っていますよ。
頑張れ悠陽くん!
2019.02.16
小さな想ちゃんへ
えみこ
「ママお顔がむくんでいるね、大丈夫?」。「そうちゃん、ママのおなかの中で、もう少し大きくなってね。でも最近、ちょっと元気がないよね、大丈夫?」 病院の先生は二人の声を丁寧に聞いてくださいました。そして、ベストのタイミングで帝王切開になりました。月曜日の午前3時5分、そうちゃんは1,575グラム生まれました。小さかったですが、大きな声で元気に泣いたそうです。
がんばったね。えらかったよ。
ママは初対面のそうちゃんの頭をやさしくなでたそうです。部屋に帰ってきたママは心配して待っていたパパに言いました。「かわいかったよ。」
おじいちゃんと2人のおばあちゃんは、すぐにはそうちゃんに会えませんでしたが、保育器を卒業した日曜日に新生児室のガラス越しにやっと面会できました。小さい小さいそうちゃんは、ママの腕の中で気持ちよさそうに眠っていました。パパにおしめをかえてもらって、うれしそうに足を曲げたり伸ばしたり。
「パパ似かな。」「早く抱っこしたいね。」そうちゃん、みんなが応援してるよ、見守ってるよ。ママのお乳をいっぱい飲んで、ゆっくりゆっくり大きくな~れ。ママはそうちゃんと動物園に行きたいそうですよ。
2019.02.09
あっくんへ
ばあば
あっくんは1歳7か月の男の子です。パパとママの宝物であり、離れたところに住むじいじとばあばにとっては、かわいい初孫です。
あっくんが「バイバイ」と言って、小さい手を振りました。ばあばが、「もう一度バイバイと言って」と言うと、あっくんは「バイバイ」と言いました。本当に聞こえたのです。でもそれは夢の中で聞こえた、あっくんの声でした。
あっくんは、気が向けばバイバイと手を振ることはありますが、まだしゃべれません。でも本当に夢の中で、ばあばは、あっくんがしゃべるのを聞きました。この前は、「ばあば、好き」と走って来てくれました。あっくんが「ばあば、好き」と確かにしゃべるのを聞き、うれしくて抱き上げました。このときも、夢の中で聞いたあっくんの声でした。
あっくんとは、なかなか会えませんが、少しずつ成長しておしゃべりできる日が来ることを、ばあばは祈っています。そして、ママとパパに、「ママ、大好き」「パパ、大好き」と大きい声で言ってね。その次でいいので、「じいじ、好き」「ばあば、好き」と言ってくれれば、じいじもばあばもうれしいな。
2019.02.02
ばばちゃん、負けないからね
ゆみ子ばばちゃん
生まれてきてくれてありがとう。
あなたが育っていくのをいつまで見られるのか分かりません。あなたがハイハイするまで。あなたがたっちするまで。あなたがあんよするまで。
ばばちゃんの身体にはがんという悪い子が住んでいるので、いつまであなたに会えるか分かりません。あなたが生まれてくることが分かった時は「本当なの」と思えるほどうれしくて。ママのおなかにいる時から可愛いくて。あなたに会えただけでばばちゃんはラッキーです。
あなたはどんどん大きくなって何を見るのかな? 何を感じるのかな? ばばちゃんに聞いてほしくなったら紙に書いてママに渡してください。紙はピンクがいいな! パパのこと、ママのこと、友だちの声、学校のこと、たくさん、たくさん教えてください。ママはきっとあなたの頭をそっとなでてくれるでしょう。それがばばちゃんからのお返事です。「お手紙ありがとう」のお返事です。
ばばちゃんは1日でも長く、あっ君の可愛い顔が見られるよう、がんなんかに負けず頑張ります。ばばちゃん負けないからね。
2019.01.26
出産。一時どん底に
浦和の母
誠へ。
もう43年も昔の、あなたが生まれてきたときの話です。産気づいたのになかなか生まれず、陣痛55時間は、とてもきつくつらかったです。いよいよ……と思った時、羊水がにごったとかで、帝王切開。その後は、にごった羊水を飲んだとかで、小児科へ。先生から「酸欠なのでどうなるかわかりません」と聞いたときは、人生のどん底でした。
退院したのは、約2か月後。チアノーゼが出るのでと、おっかなびっくりの育児。1歳になったとき、先生から「異常ありません」と言われたときは、ほっと一安心。それからは、あなたは順調に育ってくれ、今は5歳の娘のパパになりました。
今でも、あの時の苦しさを思い出すと涙がでます。面会はつらかったです。でも、今では、みんなで思い出話ができるのが、何よりと思っています。医療の進歩がありがたいとも思いますよ。
2019.01.19
生まれてくる初孫へ
奈良のばあちゃん
「赤ちゃん、できました」って、初めてママからTEL(電話)あったときは、本当に本当に、うれしいうれしいの一言。涙、涙でした。だって初めての孫ですもの。それも女の子。5人兄弟で育ったおじいちゃんの夢。ばあちゃんの姉妹の孫も男の子ばかり。みんな、女の子の赤ちゃんに憧れて……。女の子のふりふりドレス。七五三の赤い着物、振り袖。どんなに想像していたことでしょう。もう、今から、あれもしてあげたい、こんなこともしてあげたいと、夢がふくらみます。
子ども大好きなあなたのパパは、スタートが遅れた分、人の何倍もの夢をそそいで、育ててくれることでしょう。ばあちゃんの家でも、もう会う前から、ワクワク、ドキドキしています。古希も過ぎ後期高齢者に近づいてきたばあちゃんですが、ついこの間までは、好きな音楽を聴きに行ったり、地元の奈良の史跡巡りをしたりと、何となく過ごしていました。でも今は、全然違います。
もうすぐ生まれてくる赤ちゃん、あなたに、まずはどんなあいさつをしようかな。初めまして、どうぞ、よろしく! かな。これから、仲良くしてネかな。顔を見たら、きっと何も言えなくて、泣いてしまうでしょうね。みんなが待ち望んでいます。早く会いたいな。元気に出ておいで、みんなで待っているよ!
2019.01.12
3人の子どもたちへ
3人の子どものお母さん
今から6年ほど前、小学生だった長男が急病で倒れ、わずか2日後に亡くなった。長男が亡くなった時、2歳だった次男が現在は小学生になり、お兄ちゃんのランドセルで元気よく登校している。
そして次男が小学生となったと同時に妊娠が分かった。安静生活を余儀なくされ不安な日々が続いた。結局、緊急帝王切開で2か月ほど早い出産となった。小さいけれど出産したとき、元気に泣いてくれた赤ちゃんをみて、ほっとしたのを覚えている。亡くなった長男と同じ申(さる)年の初めての女の子だった。次男と長女にはお兄ちゃんの記憶がないと思う。
とても優しいお兄ちゃんだったよ。お母さんは3人の子どもたちが大好きです。
2019.01.05
8歳になったれいちゃんへ
れいのばあば
お誕生日おめでとう! パパとママが希望をもって名付けた「嶺(れい)」。その名にたがわず山好きの元気な、でも優しい女の子に育ってますね。歩き始めると背負子(しょいこ)に乗り、6歳、7歳には富士登山、ことしは槍ケ岳とか。また、「登ったよ!」のうれしい声が届くのを待ってます。
れいちゃんが「お外へ出たいよ」と、ママのおなかをたたいているとき、パパはママの汗を拭き、ネネちゃんとばあばは背中をさすり、頑張れと声援を送ってました。生まれましたよの声に、元気な泣き声かなと産室へ急ぐと、何とれいちゃんはお腹が空いたとばかり右手をお口に入れ、チューチュー吸ってました。その後はママのおっぱいを力強く飲み、保育園の初めての離乳食は足りないと大泣きし、先生をあわてさせましたね。元気に育ってくれるでしょうと、ばあばは安心しました。
ばあばが古希のとき授かったたった一人の孫、大切な大切なれいちゃんです。大好物のおはぎと「ばあばスープ」がいつまでも作れるように、ばあばも頑張りましょう。
この混沌とした世の中、平和で明るい未来になるように、今のまま素直で、元気いっぱい、気配りのできる子に育ってくれますようにと願うばあばです。
