主催:公益社団法人日本フィランソロピー協会
共催:毎日新聞社、
   特定非営利活動法人日本クリニクラウン協会
未来への手紙プロジェクト
 
~Archives~
 
2020.12.26
なっちゃんへ
坂巻まり子
コロナと猛暑を乗り越えてなっちゃんは生まれましたね。
 
なっちゃんのママの名前が亜希、お兄ちゃんの名前が和希、そしてなっちゃんの名前が夏希。じーじとばーばは、二人目は男の子だったら、パパの名前から1文字いただいてと思っていたのに、女の子だとわかってからはどうやらパパとママは「夏希」と決めていたみたいです。
 
パパはママをすごく愛しているし、お産は大変なことだからとママに敬意を払ってくれたみたいよ。亜細亜(アジア)の希望の星になってほしいとの願いを込めてじーじがつけたママの名前、そしてママとパパはお兄ちゃんには平和で希望に満ちた人生を歩んでほしいと「和希」と命名、なっちゃんは夏に咲くヒマワリのように太陽に向かって明るい健康的な女性に育ってほしいという願いを込めて「夏希」と命名したみたいです。
 
パパとママが二人に贈った最初のプレゼントですね。「希(まれ)」という文字、ことしはじーじとばーばも古希なので、最高のプレゼントをもらったような素敵な年になりました。ありがとう、なっちゃん!70歳の記念の年。コロナが終息しない大変な年に生まれてきてくれたなっちゃん。じーじも、ばーばも、がんばるよ!!
 
2020.12.19
世界は予想外なことばかり
山口百合
翔大(しょうた)へ
2020年5月24日、元気な産声をあげて翔大は誕生しました!
 
思えば、翔大を妊娠してから、ママは予想外なことばかり。妊娠当初、ママはてっきり「女の子だ!」と思ってしまいました。母親の勘なんて案外当たらないものですね。でも男の子だと分かってママはすごくうれしかったよ。2月ごろからは新型コロナウイルスの流行がはじまり、これまでの生活が一変。でも、その分、家族で過ごす時間が増えました。少しずつ大きくなるママのおなかを、蒼生(あおい)お兄ちゃんはなでたり話しかけたりしてくれました。
 
そして、あの5月24日の深夜、まだ37週にもかかわらず突如陣痛がきてビックリ。急いで病院に向かい、そこからはあっという間に翔大の、あの「オギャー」という元気な産声が聞こえてきました。きっと早く家族みんなに会いたかったのかな。「よし、世界に飛び出すぞ!」と自分で決めてきたんだと思いました。
 
これからも思いがけないことが翔大をたくさん待ち受けているかもしれません。でも大丈夫。あなたはこうしてどんな困難も乗り越えられる男の子。「大きく翔ぶ」で翔大。これから世界に大きく優しく力強く羽ばたいていってね!
 
2020.12.12
(あおい)君へ
プリばあば
1歳半になった葵君、生まれてきてくれてありがとう。
 
君のママが妊娠を望んで病院を訪れたとき、ママの二つの卵管が詰まっていて機能できず、体外受精という手段を選ばざるを得なかったことも非常に驚きました。ばあばは君のママを自然妊娠で新婚早々授かったからです。でも何度かの辛い不妊治療を超えて君が誕生したときは、うれしくてうれしくて大喜びでじいじとともに神様に感謝しました。
 
君のパパは医療従事者です。今、このコロナ禍の状況の中で毎日医者として使命感をもって現場で働いています。先日の君の1歳のお誕生会の時にも愚痴一つこぼさず、淡々と、勤める病院の事情を話してくれました。パパはとても肝がすわっているなと、ばあばは感心しましたよ。
 
君は日に日に成長し、歩き始め、言葉を発するようになりました。どうか、息子としてパパのことを思いやり、祈り、この過酷な逆境を乗り越えていけるように、その君の存在で支えてあげてください。
 
ばあばも毎日祈ります。
 
2020.12.05
退院おめでとう
大阪のあーちゃん
1年前、3歳の孫に悪性腫瘍が見つかり、長期入院になる投稿を掲載していただきました。あれから抗ガン剤治療に陽子線治療、容体の急変にコードブルーが発令されたりと、そのたびごとに一喜一憂し、お地蔵様に手を合わせ、お百度参りに行き、神様はケンカしないと聞きたくさんのお守りを送りました。
 
そんな最中のコロナの拡大で、もう半年以上会えていません。思えば壮絶な治療に小さな体で見事に耐え抜いてくれました。前の投稿で言っていた「元気になって公園を走り回る」という約束はまだ果たせていないけれど、あーちゃんは約束するよ。のぞみ君の成長を楽しみに、百歳目指して元気で長生きするからね。
 
孫の闘病にコロナの感染と、平々凡々に過ごせる当たり前の日常の幸せを思い知らされたこの1年でした。命がけで頑張ったご褒美のように誕生日には外泊許可がおり、家族で誕生日会ができてよかったね。
 
今後は治験の治療があるけれど、あーちゃんは近代医学の力を信じています。ひとまず退院おめでとう!パパは仕事を変え、ママは仕事を辞めて、全力でのぞみを応援してくれたこと、大きくなっても忘れないでね。
 
「のぞみ」4歳、お陰様で元気です!!
 
2020.11.28
小さなチームメートへ
プレママ
3年前のちょうど今ごろ、おなかの中にいるあなたに初めての手紙を送りました。今の気持ちを書き留めておきたくて、日に日に可愛くなっていくあなたに二つ目の手紙を送りたいと思います。
 
あなたが無事元気に生まれてきてくれた日、小さくて触っただけで壊れてしまいそうな姿を見て、思わず「何があっても守ってあげるからね」とささやいたことをよく覚えています。
 
その後いろいろなことがあって、あなたを一人で育てていくことに決めました。思い描いていた未来と全く違う毎日を紡ぐ中で、ふと、「あ…違うな」と思いました。あなたの存在がママの原動力になっていて、本当はママがあなたに守られているのかもしれないって。ありがとうを伝えていきたいなって。
 
あなたは、ママの最愛の息子であり、尊敬すべきチームメイトでもあります。毎日たくさんの気づきと幸せをありがとう。まだ設立3年弱の出来立てホヤホヤだけど、これから2人でどんなチームに育てていけるかな。私たちには頼もしい応援団もたくさんいるよ。みんなにも感謝しながら、のんびり楽しくやっていこうね。
 
小さなチームメイト、これからもどうぞよろしくね!
 
2020.11.21
韓国で頑張っている孫たちへ
まーちゃん
長女が韓国留学中にソウルで知り合ったすてきな男性が、偶然にも父の故郷である釜山の方でした。亡き父は生前ずっと望郷の念を抱いていました。娘が韓国留学を決めたのもそんな父の気持ちを思いやってのことでした。
 
そして父の思いに導かれるように父の故郷である地で結婚し、早くも7年の歳月が流れました。7年の間に2人の子宝にも恵まれ、やんちゃでシャイな韓国男子、りりしく食欲旺盛な韓国女子の子育てに日々奮闘しています。
 
お互い韓国と日本を行き来しながら楽しく過ごしていたさなかに新型コロナウイルスのまん延……。いきなり閉ざされた日々に戸惑いと不安がつのります。
 
幸いなことに今はテレビ電話でいつでも元気な姿を見ることができます。2人の孫は、当たり前のことですが流暢な韓国語を話すのですが、私と話す時は私をいたわってなのか通じないと思っているのか可愛い日本語で話してくれます。時々私が韓国語を話すと「まーちゃん韓国語勉強してるの!?」と。
 
そんな孫たちとのやりとりが、今の私の一番のパワーです!来年、お兄ちゃんは小学生。どうかコロナが終息して晴れ姿を見られますようにと願うばかりです。
 
2020.11.14
瀬奈(せな)ちゃんへ
平井智世子
孫夫婦の間に令和元年9月8日、次女の瀬奈ちゃんが生まれました。私は89歳。まだ瀬奈ちゃんに会っていません。病気になり、娘の家でお世話になっているからです。
 
先日、その家に写真入りの手紙が届きました。写真には富士山をバックににっこり笑う瀬奈ちゃんの顔。私は思わず「負けたー」と大きな声を出してしまいました。本当にびっくりしました。私は、いつか富士山の見える宿かホテルに泊まりたいといつもいつも夢に思い描いていたからでした。それなのにひ孫はわずか8か月で、もうその幸せをもらっているのです。なんて幸せな瀬奈ちゃん。どうかすくすくと元気に大きく育ってください。
 
夏、原爆の記事を読み、改めてその恐ろしさを思い出しました。親友の父母は原爆で命を落としました。瀬奈ちゃん、原爆の恐ろしさを文字にしておきますね。戦争がなく、日本中みんなが平和に生きられますように。一番大切なところです。
 
寝ころんで ひ孫の写真に 蝉の声
 
2020.11.07
娘の里帰り出産
浅沼英子
娘の里帰り出産がこんなに大変だとは思いませんでした。生まれるまではあんなに待ち望んでいたのに、生まれてすぐに呼吸がうまくできなくてあんなに小さな手足に管をつけて、本当に痛々しくて見るたびに涙が出てしまいました。娘も、出産したのに母乳をあげられず泣いていましたね。
 
退院してからもよく泣き、夜も寝られず、娘はオロオロ、不安で涙はポロポロ、ババは大きな声でギャーギャー泣くつむちゃんを抱っこするしかありませんでした。
 
それでも母乳はたくさん出て、今では小児科の先生に太鼓判おされるぐらい健康優良児になりました。スマートフォンのLINEに映るつむちゃんは、寝返りもすぐにおぼえて、やっぱり大きな声を出してアピールしてます。
 
家族3人の姿を見るとやっぱり会いたくなってしまいます。秋になったら元気なつむちゃんに会いに行きますね。楽しみに待っているババです。
 
2020.10.31
ありがとう、りぃちゃん
こんちゃんばあば
人と会ったり、話したり、映画に行ったりが大好きな私ですが、基礎疾患があったので、コロナ禍で自粛生活を送りました。私にとってはそれはつらくて知らぬ間に緊張とストレスが溜まり、世に言う「コロナうつ」を患ってしまいました。そんな中、娘が出産し、孫娘と過ごしているうちに心のリハビリができたようです。孫娘にお礼が言いたくて投稿しました。
 
りぃちゃん、お姉ちゃんになっておめでとう。5歳で妹が生まれて、赤ちゃんは可愛いしうれしいけど、ちょっぴりさびしくて……。ばあばにたくさん甘えてくれたね。二人でビーズや粘土、ままごとで遊んだり、料理も一緒にしたりして野菜を切るのとか上手にできたね。
 
コロナのせいで好きなことができなくて我慢して心が病気になったばあばは、りぃちゃんといろんなことをして過ごしている内に気が楽になりました。付き合っているつもりが付き合ってもらっていたのね。
 
赤ちゃんのいる生活が始まった、りぃちゃんと、りぃちゃんのパワーをもらって元気になれたばあばにとって、この暑い夏は特別でしたね。
 
兄妹がいてもりぃちゃんが大事で大事なことは永遠に変わらないよ。大好きだよ。
 
2020.10.24
会えなかったあなたへ
月の舟
私のおなかの中であなたが妊娠2か月と判明。「おめでとうございます」と祝福されたと思ったとたん、妊娠3か月も4か月も毎日毎日出血が止まらず、私の体力が持たないと言われ、泣く泣く手術をしました。
 
それも全身麻酔をするとそのまま母体が帰らない人になるのを恐れ、微量麻酔で行うと決断、くやしくてくやしくてどれだけあなたを待っていたことでしょう。おじいちゃまも、おばあちゃまも。でもあなたは尊い自分の命を捨て私を救ってくれたのです。
 
そちらへ行ってしまったあなた。どのようなつぶらな瞳だったのか、どのような小さなもみじのようなお手てだったのか、いつかあなたに会えますか。あなたとわかるようにそちらで曼殊沙華の赤と白の花をたくさん咲かせて待っていてください。私はお花を探しに行きますね。
 
私は今、あなただと思って近所の子どもさんに書道を教えています。会えなかった私の尊い小さな命さん、もう少しお仕事をさせてください。そしていつの日かお会いできますように、祈っています。
 
2020.10.17
忘れかけていたもの
金沢智恵子
遠い昔 人が海からあがってきたように
赤ちゃんは お母さんの羊水の海で
泳ぎながらこの世に生まれた。
 
力強い産声は どんな音楽よりも感動する
それは はじめての歌 生命の歌
この世に生まれた喜びの歌
 
産声を覚えている人はいない だから教えてあげる
愛すること 信じること 夢をもつこと
悲しみを乗り越えること
 
そんな未来を覚悟して 赤ちゃんは歌ったのです。
あなたは確かにすてきな声で歌ったのです。
天までとどく魂の歌を歌ったのです。
忘れないで 忘れないで 忘れないでほしい。
 
2020.10.10
「べーちゃん」へ
奥山洋子
あなたが生まれたあの日、私はとても不安でした。これからちゃんと育てられるのかと。
 
お姉ちゃん2人はおばあちゃんちに預け、お兄ちゃん2人と病院へ行きましたね。生まれてすぐに泣かなかったあなたに、障害があると知らされたのは、半年後でした。きっと私の情緒不安定がそうさせたのだと、自分を責めずにはいられませんでした。
 
ミルクもあまり欲しがらずに、舌をちょっとだけ出している寝顔に「べーちゃん」と名付けたのは、すぐ上のお兄ちゃんで、あれからあなたは20年も「べーちゃん」のままです。2歳にならずして医療施設に預けた日、「一緒に帰ろう」と泣いてしまったお兄ちゃんの声を、あなたは聞いていましたか?あなたをこの手で育てられないことが悔しくて、私も一緒に泣いてしまいました。
 
けれど、あなたが施設で可愛がられて成長し、あなたの笑顔を見ることができました。数えきれないほどの人の手を借りて、あなたの笑顔があり、その笑顔が私たち家族を幸せにしてくれたのですよ。20年前の私の不安は、あなたが感謝に変えてくれました。
 
「べーちゃん」、生まれてきてくれてありがとう。そして、そしてたくさんの方に「ありがとう」と言おうね、これからもずっと。
 
2020.10.03
ようこそのお目見え!
ダンケ
あなたが春に誕生すると聞いたのは2019年の秋。指を折って心待ちにしていましたが、年が明け、日を追うごとに世間は不穏な空気に包まれてきます。日本だけでなく、世界中が新型コロナという感染症に覆われ始めたのです。
 
やんちゃ坊主のお兄ちゃんも言われた通りマスクをつけ、「いまはネ、バイキンさんがいっぱいいるからネ。しずかにしなきゃいけないの」と神妙な構え。
 
いつもの日常に早く戻ってとの願いも虚しく、あなたたちの住んでいる地域が感染者数が最も多いなんて報道されると、気が気ではありません。毎日出勤するパパ、保育所に通うお兄ちゃん、産院のスタッフ、そしてママ。誰1人が感染してもアウトなんですもの。里帰り出産も拒否されるし……。挙句に全国に緊急事態宣言が発令。
 
ハラハラドキドキする中で4月14日あなたは元気な産声を上げ、生まれ出てくれました! 神さま仏さま、あらゆる創造神に感謝の祈りをささげました。世の中が不安でピリピリする中、生を受け、みんなに笑顔と幸せと希望を運んでくれたエマちゃん。きっと強い意志と優しい心を持った素敵な大人に育ってくれるでしょう。いつまでもあなたの成長を見守っていますよ!
 
2020.09.26
初孫、雛子(ひなこ)ちゃんへ
新潟の祖母
先日、あなたのパパから電話があった時、あなたが看護師になったことを知りました。初めて私をおばあさんにしてくれたあなた、でもパパとママが別れ、会いたくても会えなくなってしまいました。
 
押し入れの奥から出した古い日記を読むと、あなたが生まれた日は平成10年11月12日。今はもう、成人式も済み、どんな娘さんになっているのか想像もできません。
 
看護師の仕事は今まで机上で勉強したこと以上に人とのかかわりが大切です。病気になり、気弱になっている患者さんの身になって言葉がけをしてください。これからは高齢者の方と接する機会もあるでしょう。皆さまはあなたの何倍も人生を歩んできました。そんな方との話で参考になることがたくさんあります。耳を傾けてください。
 
これからも一日一日を大切に、元気にあなたの人生を歩んでいってください。21年前、地元の新聞に載った私の短歌です。
 
初節句 元気で育て みどり子よ
 
越後の里から 備前の国へ
 
2020.09.19
礼香(あやか)ちゃんお誕生日おめでとう
奈良のひいばあちゃん
「いない。いないばー」
 
生まれてからきょうまで、あなたのお父さんとお母さんが、あなたの成長する節目ごとに、奈良で一人で住む私に動画を送ってくれています。私はその度に何度も何度も見ては成長を喜んでいます。
 
ハイハイできるようになった様子を見ては「もうちょっと、もうちょっと手をのばせば、取れるよ」と応援します。ジュースをストローで飲めるようになったのには驚き、「何でも口に入れたら駄目よ」と、聞こえないのに声に出して注意をしたりします。
 
また、12回目の動画は、お母さんが出勤でいない時、コロナの感染拡大防止のため、自宅にいたお父さんが離乳食を食べさせている様子でした。この動画は忘れられません。私の子育ての時、夫がおむつを取り換えたり食べさせてくれたり、そんなことはありませんでした。私の知る限り大体の子は中学生ごろになると、女の子は特にお父さんよりお母さんばかりにくっつき、お父さんを避けたがる傾向があるように思います。私はあなたが大きくなるまでこの動画を残しておきたいと思いました。
 
7月8日の動画は、「ちょっと立ったよ」お父さんの前で一人で立った瞬間の動画でした。きっと次は「1歩か2歩あるけたよ」の動画が送られてくることでしょう。楽しみにしています。
 
2020.09.12
(ひいらぎ)君へ
みちよばあば
君がママのおなかにいるとき、重篤な心疾患があると知らされました。だから、未熟な私は君が生まれたとき「おめでとう」と伝えられませんでした。君の名前は、柊の葉のトゲがあらゆる厄災を退けるようにとの願いで、パパとママがつけました。君は可愛かった。私は神様から頼まれた子なのだと思いました。
 
3度の手術や付随するいくつかの病での入院を乗り越えた君は、ハンディを抱えながらも家族に愛されて成長し、もう6年生になりました。周りの心配をよそに君自身は楽天的で笑顔の似合う前向きな少年になりましたね。今、パパやママは君にふさわしい中学校を迷いながら探しています。
 
君からはいろいろな学びがありました。君はどんな青春を送るのだろう。どんな仕事につくのだろう。そう思いながら気づきました。私はそんな君の未来を楽しみに夢見ている!君の存在が私の日々を豊かにしてくれている!
 
君は神様から頼まれた子ではなく、神様からの贈り物だったのですね。「おめでとう」は言えなかったけれど、今、心から君に伝えますね。
 
「ありがとう」
 
2020.09.05
いっち、幼稚園に行く!
佐藤真弓
令和2年2月、いっちは3歳になりました。幼稚園も決まり、ママもばばちゃまも、やれ通園バッグだ!ランチョンマットだ、名前付けだと準備にバタバタしていた。
 
でも世の中を得体の知れないコロナウイルスが襲い外出禁止となってしまった。当然、幼稚園も休園になったんだね。毎日制服を着て帽子をかぶり通園バッグを肩にかけ、家の中を走り回るいっちを見て、ママは複雑な思いだったと思うよ。園どころか公園に行くこともとまどいがあり、家の中で遊ぶ日々。パパとママは色々工夫をして楽しませてくれた。
 
ばばちゃまは慣れないいっちのマスク作りにはまった。5月も開園できずガッカリしていたところに6月1日から開園のお知らせ。期待に胸ふくらませいよいよ登園日がやってきて、いっちは制服に身を包みうれしそうに出かけて行った。
 
当分は週3日の分散登園だけど、いっちもママも新しい希望の扉が開いたようでうれしかったよね。いっち頑張れ!
 
2020.08.29
ばぁばの気持ち
保坂恵子
のんちゃんは、回旋異常というごくまれで危険な分娩(ぶんべん)を経て生まれました。
 
ばぁばは、この歳になるまで、赤ちゃんが顔とおなかの側を下に向けて生まれてくることを知らず、ましてや回旋異常出産などという言葉は聞いたこともなく、病院にいるママから連絡を受け、すぐさまパソコンで調べました。「異常」という言葉が頭から離れず、キーボードを打つ指先が少し震えていました。
 
どんなに危険な出産であるかを知りました。赤ちゃんがこの世に現れようとひとりで頑張る様子には胸がつまりました。
 
のんちゃんは今1か月半になりました。出産に導いてくださった病院の方々には感謝の気持ちでいっぱいです。そして、最後まであきらめずに頑張ったママとのんちゃんには頭が上がりません。今ものんちゃんの顔を見ると「えらかったね。よくがんばったね」と言ってはすこーし涙が出でしまうばぁばです。
 
2020.08.22
まさかずじいちゃんの気持ち
代筆・坂口勝広
あさちゃん、朝、ママと別れるときに少し泣くこともあるけれど、4月から元気に保育所に通ってるね。まさかずじいちゃんは遠くから見ているよ。
 
あさちゃんがママのおなかにいるとわかったとき、初めての孫になるから、おじいちゃんはとてもとてもうれしかった。会える日を楽しみにしてました。何年か前に自分の病気が分かり、しんどいお薬も飲んで、あさちゃんが生まれ、学校に行ける日までがんばろう。そして、おじいちゃんの好きな阪神タイガースの応援に甲子園に一緒に行こうと思ってました。あさちゃんが女の子だということは知らないふりをしていました。
 
でも、あさちゃんが生まれる2か月前、おじいちゃんは急に身体が悪くなりました。すぐに入院したのに、とうとう天国にやってきてしまいました。ほんとうに、ほんとうに、残念でした。でも、元気に生まれてくれましたね。1歳を過ぎてよく笑い、よくしゃべり、この前はおじいちゃんのいる仏壇やお墓にみんなでやって来て小さな手を合わせてくれました。
 
やっと会えました。うれしかったよ。抱っこしたかったよ。みんなに可愛いがられていて、おじいちゃんは安心です。でも、やっぱ抱っこしたかったよ。一緒に遊びたかったよ。
 
いつも、いつも天国から見守っているからね。
 
まさかず
 
2020.08.15
やっと会えたね。碧(あお)ちゃん。
辻厚子
予定日から、1週間遅れて誕生した碧ちゃん。元気に生まれてくれて、とってもうれしくほっとしました。
 
お母さんにとっては初めての出産なのに、コロナの影響で立ち会いもできず、面会もなく、一人で病院に入ったお母さん。どんなに心細く、不安だったかを思うと、ばあちゃんは心が痛みます。陣痛が始まっても、なかなか生まれず、お母さんは分娩台の上で2日間陣痛と闘っていたといいます。ようやく生まれてきたあなたは、3,870グラムの大きなかわいい女の子でした。病院に行って、初めてあなたを見たときの、感動と安心した気持ちを、今も忘れません。胸がいっぱいになりました。
 
病院から帰ってきた碧ちゃんは、お母さんのおっぱいをいっぱい飲み、大きな声で泣いて、家中をにぎやかにしてくれました。抱っこしてのばあちゃんの話や、みんなから昭和やなあと言われる歌をじっと聞いてくれる、この時間が今は宝物です。大きくなったとき、「あなたが生まれたときはコロナで大変だったんだよ」と言われるでしょうが、それとともに、あのしんどかった時期だからこそ、碧ちゃんの誕生は多くの人を笑顔にしてくれたことも忘れないでと付け加えたいです。
 
生まれてくれてありがとう。元気に育ってね。
 
2020.08.08
いつかは孫と女子会を
川和良枝
2年前、52歳のとき2人の息子がいる男性と初めて結婚しました。息子たちはすでに結婚しており、3人の孫もいました。嫁いでからまた2人の孫が増え、現在は5人のおばあちゃんになりました。
 
3人の孫との初対面では、一番上の孫が「ばあば、トイレ一緒に行ってくれる?」とニコニコしながら近づいてくれました。あの時のうれしさは今も忘れません。子どもを産んだこともなく最後は孤独死も覚悟していた私にとって、88歳になる母を一人で介護してきた私への神様からの贈り物だと思い、感謝の日々を過ごしております。昨年、ことしと新たに2人の孫が続けて生まれました。コロナの影響で会うのを遠慮していますが、抱っこするのを楽しみに待っています。
 
孫たちが大人になったときは、より明るくみんなが笑顔で生活できる日本になっていることを祈る毎日です。「みんな元気でがんばって!」と、エールを送りたいです。私の夢ですが、5人の孫のうち4人が女の子なので、女子会(恋バナ)をしに旅行に行きたいです。あと20年以上は体に気をつけて、長く生きたいと思っているばあばです!
 
2020.08.01
優真(ゆうま)君へ
千葉のおば
優真君、生後10日目、私は喜び勇んで自宅に会いに行きました。ずしりと重くて、私は座ってから抱っこしないとよろけるくらいでした。床に寝かされていて、すぐそばで6歳のおにいちゃんが、うれしくてうれしくて「僕がおにいちゃんだよ」と、逆立ちしています。
 
私はヒヤヒヤしながら、その光景を眺めていると、ママが君を隣室のベッドに寝かせました。すると、どうでしょう。すぐにウエッウエッと泣きそうな声を出したのです。それでママがまた皆がいるところの床に寝かせると、あら不思議、またすやすや眠りました。皆と一緒の方が良かったんだね。
 
後日、我が家にお米が届きました。それは内祝で、なんと君の生後すぐの顔と「体重3,692グラム」の文字が印刷されていたのです。
 
あれから6年、ことしはコロナウイルスにより、入学式だけは済みましたが、長い間、ステイホーム。これからどんな困難が待っているか計り知れない未来にはばたく優真君、そして世界中の子どもたちに幸あれと祈ります。
 
2020.07.25
続・孫の桃子へ
佐藤ノブ
東日本大震災後9年。10年目に突入。あの時生まれた桃子は当然9歳だ。避難した先々で超アイドル的な気分だった赤ちゃんが、南三陸町での子育ては津波などが怖いからと、内陸の宮城県栗原市に家を買い求め、この4月から小学4年生だ。元気に両親に見守られ素直な女の子に育つ姿は、年数回の家族旅行などで会えるのと、母さんからの電話ですべて知ることができる。
 
赤ちゃんの時に避難したことは覚えていないが、体が覚えているのだろう。地震で揺れると、怖さもあるのか、いち早く母さんと共に逃げる行動に入る。2人とも生後1か月足らずの体験が、大きくなっても敏感になる姿や、避難中多くの温泉に入浴したからか、温泉大好きな子になり、どこの温泉へ行くの?と道中しりとり遊びなどしながら出かけています。
 
80代の年齢になった祖父母に、学校の様子や「漢検6級、5級も合格したよ」とか、楽しませてくれる孫になった。今度は、新型コロナウイルスだ。学校も休み、不要不急で何もかも大変になり、会うこともままならないが、毎日の電話で癒され、心の安らぎを得られるのが何よりうれしく助かってるよ。
 
早くコロナが収まって、また会えるのを楽しみに、ありがとうネ。
 
2020.07.18
誕生から50日
りんご
君が生まれて50日目の真夜中。おっぱいを飲んだのに眠くならず、目をキラキラさせていたので、玄関先に出て夜風に当たりました。桜が満開の日に生まれたのに、季節はもう夏だね。
 
君が生まれた夜、ママは新型コロナの影響で立ち会いが禁止になった病院の部屋で一人、陣痛に耐えながら、君と無事に会えることをただ祈っていました。君は小さな身体でよく頑張って生まれてきてくれたよね。本当に感謝しかありません。
 
予定より1か月早く生まれた君は最初、ミルクを吸う力が弱くて、鼻から通した胃管でミルクをおなかに入れていました。今では小さな両手をいっぱいに広げ、自分でおっぱいを支えるようにしながらぐいぐいと飲みます。新米ママの私も、1日8回の授乳だってずっと前からやっていたように君のお世話ができるようになりました。
 
この50日、大変なこともあったけど、君をこうやって抱っこできて幸せだなあ——。そんなことを考えていたら、星空の下で目に涙があふれました。どうぞ、これからもすくすくと育ってください。一緒にお話をしたり、海や山に遊びに行ったりできる日をパパとママはとても楽しみにしています。
 
2020.07.11
久朔(きゅうさく)日記
小塚久枝
八朔(はっさく)の弟、久朔がもうすぐ生後6か月を迎えます。帝王切開で2週間早く産んで小さかったのに、3回目の対面でもうその進化、成長、人間らしくなった様子に、幸せを感じます。
 
そしてふっと、昔読んだ和田誠創作の「おさる日記」を思い出しました。パーサーとして船に乗っているお父さんが、半年ぶりの帰国で、「ぼく」にくれたお土産がちいさなおさるでした。その「もんきち」がどんどん成長していくお話。
 
ページをめくりながらドキドキ、ワクワク。育児は、現実にはこんなに簡単なものではなく、両親は今も新型コロナウイルスの影響下で四苦八苦しているでしょうが、ばあちゃんは何もかも楽しめます。子育てなどしたことないと言うじいちゃんも、けらけら笑ってくれる孫に言葉をかけて接しています。
 
久朔もページをめくるように、日に日に成長しています。八朔もおさるの「もんきち」をかわいがるように、弟と接しています。「おさる日記」には、最後にどんでん返しがあるのですが、さて八朔、久朔の成長日記はどうなるのでしょうか。
 
「はち」「きゅう」名前だけでも、ゆかいです。大作になったら、ばあちゃんが本にしようと思ってます。
 
2020.07.04
初孫の君へ
島田はるみ
あの日生まれた君が、大学生になった。
 
離婚して、手探りで始めた居酒屋の経営に四苦八苦していたとき、娘に、男の子が生まれた。初孫の、君だ。うれしかった。「万歳」と叫んだ。
 
毎日、仕入れや仕込みの時間を割き、君に会いに行った。心が、恋人に会いに行くように、ときめいた。むぐむぐしたやわらかな手、口をすぼめたり顔をゆがめたり。見ても見ても見飽きない、君の百面相。君に、心癒され生きる希望をもらった。
 
ある日その思いを、佐賀県白石町が主催する「三十一文字(みそひともじ)コンテスト」に出した。佳作になり、歌が書かれた白磁板が届いた。
 
< 好物の 婿へのカツオは 口実で 会いたい見たい 初孫の顔 >
 
この額を、君が二十歳になる日、君の未来に贈ろう。君が生まれたあの日の感動を、君にずっと知っていてほしいから。
 
2020.06.27
啓仁(けいと)君へ
奈良のひいばあちゃん
「生まれました」
 
おじいさんから私にラインで知らせが届きました。2月3日、節分の日の午後1時38分でした。「あ、よかった!」と思っていると、その30分後には動画も届きました。私は生まれて30分くらいで君に会うことができました。お父さんがすぐにスマホで撮り、おじいさんが送ってくれたそうです。
 
まるまるとした男の子。おててをおくちのところに持っていったり、おめめを片方ずつ開けたり、おくちを動かしたり、かわいい! 生まれてすぐとは思うことができません。ありがとう! ひいばあちゃんは涙が出ました。
 
あなたのお父さんもお母さんもお医者だから少しは安心していましたが、やっぱり生まれてくれるまで心配でした。おじいさんの次のメールは、「節分の日ですねー。きかん坊かなあ!」でした。私は笑ってしまいました。節句の日で、鬼と戦うことでも想像したのでしょう。君もたくましい子になり、お兄さんの博仁(ひろと)君と仲良く育ってほしいと願っています。
 
あなたのお父さんが生まれたとき、ひいばあちゃんはタクシーでかけつけ、やっと安心したものです。今は違います。神奈川県海老名市と奈良は遠く離れていても、すぐに生まれてくれた君に会うことができるなんて驚きです。何回も何回もスマホのラインで見ています。一人ぼっちのひいばあちゃんにうれしさと勇気をくれています。
 
でもやっぱりこの手で君の小さなおててをさわってみたいなあ。
 
2020.06.20
いやされ、元気をもらい
森作典子
ゆりかちゃんが生まれたのは、予定日まで3週間あるからと40年ぶりにばあばがペルーへ海外旅行に旅立った翌日でした。じいじとパパ・ママ、そしてママの2人の妹はワンチームとなり、昼夜、悪戦苦闘。頑張りました。
 
ばあばが帰国すると、あなたは我が家ですやすやと眠っていました。それからは、ばあばが活躍する番。やっと腕の中で寝かせたあなたをふとんに置くと泣いていたのが昨日のことのようです。寝返りしたと喜び、ハイハイしたと喜び、つかまり立ちしたと喜び、離乳食を食べたと喜び、あっという間に10か月が過ぎました。
 
ママは毎日あなたの姿をSNSにアップしてくれます。「きょうのゆりちゃん見た?」とじいじとばあばの会話はあなたのお陰で増えました。先輩ばあばから孫は可愛いよと聞いていましたが、あなたの存在はそれ以上。時にいやされ、時に元気を与えてくれます。
 
4月から保育園に通うゆりかちゃん、今までみたいにたくさん会えないのはさびしいけれど、あなたの成長を楽しみにばあばも頑張るからね。
 
2020.06.13
初孫を見て
鈴村恵子
娘がアメリカ人男性と結婚した。すぐに孫が生まれると思っていたが、5年待ってやっと初孫の顔を見ることができた。とっても小さくて驚いた。体重が2,000グラムに届かず、隣で寝ている4,000グラムの赤ちゃんとあまりにも差があり、どうなることかと心配したが、入院期間が少し長引いただけで、すくすくと育っている。
 
外国人と思われるような顔だと思っていたが、娘によく似た孫である。1歳を過ぎて元気に公園遊びを楽しんでいる。日本に住んでいるが離れているので、頻繁には会うことはできない。しかし、携帯ビデオで日々の元気な姿を見られる。義理の息子の両親はアメリカに住んでおり、初孫であるので来日もしたが、彼らも頻繁に会うことができず寂しい思いをしているだろう。それでもパソコンでビデオ電話ができる便利な世の中になった。
 
孫は二重国籍で将来、自分で国籍を選択できると聞いているが、どちらを選択するにしても自分の意志ではっきり決められる、自己主張ができる子どもに成長してほしい。
 
英語をしゃべるのも自然なことになるだろうから、祖母の私も頑張って日常会話を習得しなければ。孫の成長が喜ばしいのと同時に自分自身の語学勉強の励みになっている。
 
2020.06.06
3世代へバトンタッチ
谷津裕子
現在私は64歳。21歳のとき長男を、24歳のとき長女を出産しました。私の両親は現在90歳ですが、二人とも元気で毎朝1時間くらいのお茶の時間を楽しんでいます。元気でいることに感謝です。
 
長女が生まれたとき、母は頭の手術で家にいませんでした。代わりに父が2歳の長男の食事、おむつ換え、お風呂などの世話をしてくれました。しかし、何よりつらかったのは「ママ、ママ」と泣きじゃくり、長男が泣きながら寝付くのを待っていることだったと後で聞きました。そのころは1週間の入院で、父は毎夜、長男をおぶって病院を訪れ、玄関をうろうろ。寝静まってから家に帰る日々でした。
 
現在、長男は43歳、長女は41歳になり、次の世代にバトンタッチする命の尊さを感じます。私に対する両親の気持ちもずいぶんと理解できるようになりました。どんなときにも見守ってくれるすごい存在と気づかされています。長男も長女も家庭を持ち、子どもも生まれました。彼らもいつか、親の気持ちを理解してくれるでしょう。一方で、私も両親に寄り添い、少しでも親孝行ができるような日々を過ごしていこうと思っています。
 
2020.05.30
ばあばは願う
まゆばあば
予定日より少し早くやってきた、りく君。パパに似て色白で、ママに似た笑顔でよく笑う。1週間に1回くらいのペースで、あつかましくも会いに行き、2時間ほど一緒に過ごす。今では、ばあばが帰るとき、足にしがみついて別れを惜しんでくれる。
 
きょうハイハイができました、つかまり立ちができました、歩きましたと、ママが報告してくれる。今は写真も動画もすぐに送ってもらえて見ることができる。なんて幸せ。
 
この春から保育園に入ることが決まり、ばあばとしては会える日が少なくなるのでさみしいよ。あっという間に大きくなって、やんちゃになっていくんだろうね。お友だちもたくさんできて、楽しく生活してほしいと願う。思いやりとやさしさを育んで。あなたたちの未来、世界が平和でありますように。まずは保育園で小さな社会を大切に。
 
思いっきり遊ぼう。いろんな人とふれ合おう。自身の感情のコントロールを学んでいこう。
 
そして、忘れずにばあばとも遊んでおくれ。
 
2020.05.23
未来は明るい
福ちゃん
初孫「諒太」の誕生は、とてもうれしく、家族で病院に面会に行きました。顔は真っ赤で、目鼻が確かに我が家の孫です。
 
が、その日に面会に行った全員が「インフルエンザ」にかかり、新パパ、ママを慌てさせました。退院後は、しばらく我が家で過ごす予定だったからです。でも新パパ、ママは見事にこの危機をのりきりました。
 
成長した「諒太」は、ことし3月13日中学校の卒業式でした。コロナウイルスの影響で中止の所もありましたが、先生方のお力により、無事行うことができました。写真を見ると全員マスク姿でしたが、堂々と行進して、多くの皆様方に支えられて大きくなったことを感じます。
 
この先何があっても大丈夫です。ばあちゃんは安心しました。
 
2020.05.16
14歳の息子へ
泣き虫ママ
あなたがおなかに宿って、この上ない幸せとともに、つわりがひどくて、出血も起こり、切迫流産だと言われ、不安な日々が続きました。点滴を受けながら、いつもあなたに語りかけていました。
 
「だいじょうぶだよ。心配いらないよ」「もしもあなたに病気や障害があったとしても、ママとパパが必ず幸せにするから、生まれておいで。あなたに会いたいよ」
 
帝王切開で3週間早く生まれたあなたの顔を見たとき、「やっと会えたね」と、うれしくて、ほっとして、涙が止まりませんでした。
 
よく食べるあなたはすくすく成長して、いつも2学年ぐらい上に見られましたね。人より苦手なことが多かったけれど、素直で明るかったあなたが、発達障害と適応障害に苦しみ、中学校へは通えなくなってしまいました。
 
不安に苦しむあなたを見ているのはつらいけど、あなたがあなたらしく、幸せに生きていくためには必要な時間なのだという気がします。
 
あなたと共に泣いたり笑ったりする毎日の全てが愛しくて、何度でも伝えたい言葉があります。
 
「生まれてきてくれて、ありがとう!」
 
2020.05.09
大好きなアコりん
すんちゃん
妊娠9か月、突然の早産で生まれたアコりん。2,980グラムで、全身が腫れてパンパン……。すぐに腹水をおなかから抜いてもらい、次の日、1,500グラムのアコりんを NICU(新生児集中治療室)の窓越しに見た。半分の体重になり、小さくてビックリしたけど、色白の目のパッチリしたアコりん。とっても可愛かった。
 
2か月後、退院してからはずっと一緒だったネ。あれから20年、ことしは成人式を迎えました。先日、成人式の写真撮影の前撮りに行き、感激して何度も涙が……。20年間、ばあちゃんにたくさんの楽しかった思い出をありがとう。お手紙も3歳のときから20歳までたくさんくれてありがとう。今は大学生になり、毎日忙しいので、そんなに会えないネ。でも会ったときは、ずっと変わらず優しくて可愛くて、ばあちゃんはアコりんにメロメロです。
 
ばあちゃんは今66歳。アコりんが結婚して、アコりんそっくりな赤ちゃんを見れるまで元気でいますよ。素敵な20歳の女性になってくれてありがとう。
 
アコりん、大好きだよ。
 
2020.05.02
望君へ
まきばあちゃん
「かわいらしいなあ、大きな手してるなあ、大きな子に、育ってくれるんやろうなあ」
 
一昨年7月17日、じいちゃんとばあちゃんは、生まれてすぐの望(のぞむ)君に会わせてもらいました。まだ、片目をつむったままで、体を動かせていました。産着を着せてもらった望君に会って10日後、じいちゃんは天国に逝ってしまいました。
 
1歳10か月になった今、よく食べて、よく遊んで、よく寝て、ニコニコと笑顔いっぱいの望君……。じいちゃんは、天国から目を細めて見ていることでしょう。ああ、だっこしてあげたい。遊んであげたいと思っているでしょう。
 
望君のお姉ちゃんの、咲(さき)ちゃん、萌(めい)ちゃんは、「むーちゃん、むーちゃん」と望君のことを、とても可愛がってくれてます。そのうちに、また、いたずらが過ぎて、怒られる日も来ると思うけど、ずっと仲のよい3姉弟でいてくれると思っています。
 
望君の笑顔は、宝物です。その笑顔でまわりのみんなを幸せにしてね。元気で、大きくなってね。
 
じいちゃん、ばあちゃんより
 
2020.04.25
大好きな弘(こう)君へ
田中道子
バァバは、30年ほど前にジィジの仕事で、弘君と同じ位の年齢の息子、辰(たっ)ちゃんを連れて、南インドに住んでいたことがあります。40度を超す猛暑と、度々の停電。安全な水と食料の確保に日々格闘していました。そんなバァバの前に現れたのが、子守りのデヴィさんでした。
 
面接の日、サリー姿で肌の色も違うデヴィさんに辰ちゃんは、泣きもせずすぐ抱っこされ笑ったのです。それだけのことで、バァバの心の緊張と不安がぱっと晴れたのを、今でも覚えています。その日から、デヴィさんは、辰ちゃんを我が子のように世話をしてくれました。
 
最近、弘君といると、デヴィさんのことを思い出します。大理石の床にあぐらをかき、辰ちゃんを抱きながら、穏やかに楽しそうに笑っているデヴィさん。外では他の子守りさんたちに辰ちゃんの自慢話ばかりするデヴィさん。数年後、私たちの帰国が決まってからの寂しそうなデヴィさん。まるで今のバァバのようですね。
 
バァバはデヴィさんに心から感謝をしながら、弘君の子守りを愛情と責任をもって頑張りたいと思っています。でも一つだけ。辰ちゃんになかった、弘君のイヤイヤ期への対処。心の中のデヴィさんに尋ねても答えてくれません。弘君、どうかお手柔らかにね。
 
2020.04.18
賢聖(けんせい)の逆襲
佐藤真弓
バレンタインデー生まれのケンケン(賢聖)は、ちょうど1歳。2歳違いのねぇねはとても焼きもちやき。おもちゃで遊んでいると取り上げる。ママの抱っこも割り込んで来る。ケンケンのお菓子は横取りして食べてしまう。なんてお姉ちゃんだ。
 
でも、ケンケンだっていつまでも赤ちゃんじゃないんだよ。最近、リビングにあるジャングルジムの滑り台を登っていけるようになった。登った先にねぇねが立っている。案の定、「何しに来たの?邪魔だよ!」とばかりに足で蹴ってきた。いつもはやられっぱなしのケンケンが短い手を伸ばし、一発くらわした。ペシ!
 
「ボクは男だ。もう1歳だ」
 
びっくりしたねぇねが泣いた。ママとババちゃまは、爆笑してしまった。あまりに素早い逆襲に笑いが止まらない。ねぇねはますます泣いている。ケンケンは何がなんだかわからないらしく、皆を見回している。もうすぐあんよだってできるよね。
 
でも、去年ケンケンが風邪をこじらせて入院したとき、我慢してお留守番してくれたねぇね。ねぇねもお熱が出て辛かったのに頑張ってくれたんだよね。パパもママも皆も忘れないよ!大きくなったらきっとケンケンがねぇねを守ってくれるよ!だから仲良くしてね。
 
2020.04.11
天国へ逝った子どもたちへ
宮本喜久子
昭和30年、34年と2人の娘を死産でなくしたとき「女の子には、縁がないのやなあ」と、慰めてくれた母。しかし昭和35年に女の子が授かりました。
 
あれから60年。還暦をむかえた娘は、子ども2人、孫3人のおばあちゃんになりました。天国へ行った姉たちが守ってくれたおかげです。けれどその時は60年先のことを誰が予想するでしょう。
 
私は現在、孫が6人、曾孫4人、卒寿(90歳)になりました。私は予想致しません、また出来ません。けれども、100歳にむかって一段一段のぼるように生かされることをこの目で確かめながら、孫やひ孫の成長をこの目で見守って送っていきたいと考えています。
 
年毎に 孫の写真の年賀状
手にした我は 幸(しあわせ)祈る
 
一人暮らしの私に娘から毎朝電話で、食事のこと、歩くこと、けがをしないようにと励まされながら万歩計をもって歩いています。
 
2020.04.04
すくすく元気に
お山のバーバ
娘の女孫、千恵ちゃんは4歳、息子の男孫、和輝君は3歳。待ちに待った孫たちの誕生は、それぞれに容易なものではありませんでした。
 
2人ともに、娘と息子が結婚5年目に誕生しました。女孫は臨月まで逆子が元に戻らず、帝王切開で生まれましたが、すぐに新生児集中治療室(NICU)に入り、ママより遅れての退院となり、ママとバーバは授乳のために、毎日病院へと通いました。男孫は日曜夕方から陣痛が始まり、自然分娩準備中に赤ちゃんの鼓動微弱が生じ、急きょ帝王切開に。ママは大量出血のために、輸血。高熱が下がらず入院が長引きました。まさに「出産は命がけ」を痛感した日々……。ご先祖様や、神仏様にどれだけお願いをしたことでしょう。
 
千恵ちゃんや、和輝君の可愛い一挙手一投足に、6人の祖父母はたくさんの活力をいただきつつも、かなうことなら、あなたたちの成人式を元気で共にお祝いできたらと願う毎日です。素直で明るく成長していく二人の笑顔に接する都度、あなたたちのパパとママには、心より感謝しております。
 
元気に生まれてきてくれて、本当にありがとうね!!
 
2020.03.28
わたしのおなかのなかの赤ちゃんへ
榛葉智子
わたしのおなかのなかで元気に動き回っている赤ちゃん、おはよう。いつもたくさん動いて、心配性のわたしに、きょうも元気だよって、心配しないでって、伝えてくれてありがとう。生まれる前からとってもお母さん思いだね。
 
あなたには、ほんとはお兄ちゃんかお姉ちゃんがいたね。昨年10月。待望の第1子が誕生するはずだったその月に、あなたはわたしたち夫婦の悲しみを癒すかのように、エコーに1センチほどの体をちょこっと映してくれたよね。わたしはそのときにね、赤ちゃんが、悲しむわたしたち夫婦をみかねて戻ってきてくれたのかなって思ったの。それとも、あのときの赤ちゃんに天国から見送られて、あなたは来てくれた子なのかな?
 
そんなとりとめのないことを、わたしは毎日、幸せな気持ちで思い巡らせているよ。わたしにとってあなたたちを身籠もるのは、一筋縄ではいかないことでした。だけどそれってきっと、わたしにとって、とても大切なことだからなんだね。マイペースなわたしを、わたしに合ったペースで、少しずつお母さんにしてくれて、ありがとう。
 
きょうも、とってもとっても元気だね。
 
2020.03.21
結希ちゃんへ
東京のばあば
パパ、ママは結婚して7年たっても赤ちゃんができなかったのね。そこでパパ、ママは、一生懸命赤ちゃんができるよう病院に通ったの。そのたびにママは腕に注射をして、めまいがしたり、気持ち悪くなるような思いをしてきたの。そんな大変な思いを週に2~3回、1年くらい続けてきたのね。
 
そしたらとうとう「○○日、出産予定だよ」とママから電話があり、ばあばも涙を流して喜んだの。予定日近くになると、ママは象のように足がむくんでしまい歩くのもつらく、ばあばも見ていて可哀そうになったの。これは少しおかしいとすぐに病院に向かい、すぐに入院しました。
 
そしてついに次の日に大望の赤ちゃんが生まれました。パパもママもすごく喜びました。本当にドラマのような結びつきで、パパとママの希望で生まれてきたので、結ぶ希望で、結希(ゆき)という名前をつけました。
 
今ではすくすく大きくなって4歳になりました。おばちゃんたちの子どもとも仲良く楽しく遊んでいて、皆でこれからの成長を楽しみにしているね。
 
2020.03.14
ちひろとゆうと
ちかぞう
ちひろは生まれる前に普通より小さいことがわかり、母である私は即入院。逆子だったこともあり帝王切開が決まり、1,800グラムで生まれ、新生児集中治療室(NICU)に入りました。1か月入院し、ある夜中に保育器が足らないからと、2,200グラムでいきなり退院。不安な育児スタートでした。小さいながらも無事育ったと思ったら脳腫瘍が見つかり、手術になりました。幸い良性でしたが、女の子なのに今も薄毛です。
 
下の息子、ゆうとは、普通に生まれたもののアレルギーがあり、粉ミルクがだめでした。耳も真珠腫性中耳炎になり、大きくなってから3回手術しました。
 
でも今は、ちひろは大好きなサッカーに関われるJFLのチームにスタッフとして就職が決まり、ゆうとは希望の大学に受かり一人暮らしをしています。
 
人生ほんまにいろいろありますが、おかあさんが笑顔でいれば大丈夫! みなさんの幸せを祈ります。
 
2020.03.07
誕生、おめでとう。そして、ありがとう。
冠名(かんな)
春、大好きなヨットに2日間だけ乗りました。大好きなお酒を1週間だけ飲みました。大好きな人たちに会いに、BARをハシゴしました。それから再度挑んだ、不妊治療でした。
 
まさか、こんなに早く、あなたに会えるなんて思ってもいなかった。どこかで神さまが手のひらを返すんじゃないかと、ずっとビクビクしていたけれど……。予定日よりは1か月早いけど、ちゃんと最後まで仕事をさせてくれて、産休に入ってからの1週間で、会いたかった友人にも会わせてくれたね。待っていてくれて、ありがとう。
 
小さなお姉ちゃんも、あなたの誕生を見守ってくれたよ。あなたが生まれてからは、毎日ベビーベッドを指さしお話ししてる。
 
和空(わく)
 
あなたが生きるこれからの時代も、どうか平和な空が続きますように。この空のように、広く大きく、自由に生きていってください。誕生、そして退院おめでとう。そして、ありがとう。
 
母の私よりたくましい男に……なれるかな?。
 
2020.02.29
みっちゃんとりっちゃん
新米ばあば
昨年、待望の孫が誕生しました。それも男の子2人です。2月の寒いころ、長女のところにみっちゃんが生まれました。みっちゃんは緊急の帝王切開で生まれたので、小さい赤ちゃんでした。ミルクを飲む力が弱く、パパもママも昼夜の別なく世話をしました。今は10か月の元気な男の子に成長しました。
 
そして、8月の猛暑のころ、長男のところに、りっちゃんが生まれました。りっちゃんはママのおなかの中が気持ちよいのか、なかなか生まれず、先生が2人がかりで介助し生まれてきました。先日の100日目のお食い初めでは、ばあばの腕がしびれるほど重くなっていました。
 
生まれ方も成長の様子も違いますが、それも二人の個性かなと思います。ママたちがスマホに送ってきてくれる二人の写真を見ていると、夜は癒されよく眠れます。朝は二人から元気をもらい、きょうも頑張ろうと思います。みっちゃんは県外にいるので、りっちゃんと2人でいつ会えるかな。その日を楽しみにしています。
 
2020.02.22
わおに贈る応援歌
カズリン
WOW!(ダブリュー・オー・ダブリュー) WOW! わおっち わおっち
 
メロディをつけ、何度歌ったことか。これは、ママと私の口から自然に生まれた、初孫わおへの応援歌。声に出さずにはいられないほど二人で励まし合い、わおを育ててきました。
 
ママはシングルマザー。それがわかった時は奈落の底に突き落とされました。立ち直れたのは、健診に付き添い、エコー映像を見せられた時の医師の一言でした。
 
「おばあちゃんに手を振っていますよ」
 
まだ数センチの胎児が、あたかも「待っててね」と呼びかけているように思えたのです。孫を育てるためには落ち込んでいられない。気持ちの切り替えができました。
 
わおは1歳になりました。ママは産後2か月で職場復帰したので、保育園に預けるまでの5か月を私が担当しました。40年ぶりの育児はとまどいましたが、孫というより私の子という思いで育ててきたのでつらくはなかったです。逆に、わおからは元気と癒しをもらって育児を2倍楽しめました。夫亡き今、わおにとっての祖父母は私ひとり。成長をじっくり見守ってあげたいです。
 
愛くるしいわおも、将来悩む時が出てくるでしょう。私は歌いながら応援します。
 
WOW! WOW! わおっち わおっち
 
2020.02.15
子どもに大事にしてほしいこと
太子東中3年 小椋心暖(こころ)
今回は、兵庫県太子町立太子東中学校から寄せられた手紙です。家庭科の「保育」の授業で「将来、仮に子どもを望んで授かったとしたらどんな家庭でどんな子育てをしたいか」のテーマで生徒が書きました。
18歳になると、結婚や就職など、多くのことを自分で考えなければならなくなります。私はまだ、たくさんの世界を見たいので22歳になって子どもを授かりたいと思っています。
 
昔は、戦争により、やりたいこともできない時代があったけれど、今はやりたければできる時代です。なので、私は子どもに自分がしたい、やりたいことを進んでやってほしいと思います。「できない、無理」という意識に縛られることなく、自由に大きく精一杯生きてほしいです。
 
私は、学校ではそこまで目立っている存在ではありません。しかし、人に優しく、寄り添ってあげることをいつも心がけています。子どもにはそうした、何かしらの自分の特徴や良いところ見つけてほしいです。他の人の良いところを見つけるのも大事ですが、自分の良いところを見つけることで、生きる価値に気づき、生きることの大切さを知ってほしいです。
 
元気に生まれて、良い人生を歩んでほしいです。
 
2020.02.08
我が家のエンジェル
もうすぐ小学生、楽しみなバァバ
孫はアンジェルマン症候群という2万人に1人の、言葉が出ない、今は歩けない障害児です。同じ仲間はエンジェルちゃんと呼ばれ、笑顔が得意な子どもたちです。
 
保育園に入園した当時は、お友だちに迷惑をかけないか、嫌な思いをさせないか心配でした。しかし、理解ある園長のもと、保育士さんたちがお友だちといっしょにできるよういろいろと考えてくださり、お友だちと楽しそうにふれあっている姿を見るにつけ、うれしく胸いっぱいになります。来年は小学生になります。今はつかまり立ちができ、両手を支えると、一歩、一歩、もう少しでいっしょに歩けると、待ち遠しいです。
 
不安ないらだち、いろいろな葛藤もありますが、助けていただく多くの皆様に感謝を忘れず、両親が見守るやさしいまなざしがずっと続くよう願っています。精いっぱいの笑顔の孫に、元気をくれ、笑顔にしてくれてありがとう、の思いです。
 
2020.02.01
3人のかっかになれて幸せ
かっか
二人姉妹の私が3人のお母さんになった。最初は念願の女の子、そして次は男の子、やっぱり同性の妹弟がいた方がええなぁとなり、ツワリが酷いのを乗り越え男の子が生まれ、3人のお母さんになった!
 
お母さんではなく、「かっか」と呼ばれ、寝る前は、きょうはかっか私の、僕の、隣で寝て、かっかきょうはこの本を読んで、かっか眠れないから手をつないで……。
 
中学、高校に入れば、かっか今度の日曜日に試合が入った、かっかきょうのシュート見た? かっか試合のダメ出しせんといて……。
 
趣味は子どものスポーツの追っかけですと言ってたのに、子どもたちも大きくなり、子どもの追っかけも無くなり、かっか!かっか!と呼ばれなくなり寂しい。
 
あ~!ウルサイ!早く一人で寝て!買い物一人で行かせて!一人でゆっくりお茶させて!--とずっと願ってたのに、かっか!かっか!と呼ばれて、あの時が一番幸せやってんなぁ……。
 
3人のお母さんになれて、ほんまは幸せやったの子育て必死やったから分からんかったけど、今なら分かるわ。そしたら子どもたちも親になった時、幸せな気持ち分かるかなぁ~。
 
2020.01.25
ありがとう
りん
2月26日、予定日より2週間早くユウは生まれましたね。妊婦健診の時から、平均よりも小さいと言われ続けたから、早く生まれた時は心配したけど、元気な産声を上げて生まれてきてくれて、安心したしうれしかったよ。辛かったつわりの通院も、陣痛の痛みも吹き飛んだのを覚えてます。
 
退院してからは、初めての育児に慣れず泣いたりしたこともあったし、逃げたい時もあったけど、日々成長していくユウを見て、お母さんも成長できるように頑張らな!って思いました。
 
日に日に可愛さが増してきて、ユウが笑うと周りのみんなも幸せな気分になって、お母さんの人生の中で一番幸せな時やなーと思っています。
 
生まれてきてくれてほんとにありがとう!。これからユウが大きくなって色んな壁にぶち当たることもあるやろうけど、お母さんも迷いながら手助けできたら良いなぁと思います。みんなから愛される人になってくれること、そして何よりも健康に育ってくれることを願ってます。
 
2020.01.18
百花(ももか)ちゃんへ
西佳美
あなたがママのおなかに宿ったと知ったとき、バアバは思わず「ヤッター」と叫びたいくらいうれしかったです。
 
でも少し心配はありました。ママの年齢は39歳、いわゆる高齢出産です。でもそんな心配をよそに、あなたは一昨年7月、無事、元気な姿で生まれてくれました。バアバは、今まで生きてきたなかで一番幸せと思いました。
 
アレ、どこかのアスリートのコメントのような。うれしくて、うれしくて半時間くらい涙が止まりませんでした。そして、世の中のあらゆる物に感謝しました。立っている電柱にさえ、お礼をしたいような(笑)。
 
あれから1年3か月、あなたはちょっとやんちゃで、男の子みたいで、ママは育児におおわらわだけれど、これからも元気ですくすく育ってね。
 
百花ちゃん、生まれてきてくれて、ほんとうにありがとう。
 
2020.01.11
(かえで)ちゃんへ
ばあば
楓ちゃんは7か月の女の子です。お兄ちゃんの旭(あさひ)くんと仲良く大きくなあれと、ばあばは願っています。ばあばは、ママがあなたを産んだときのことを知ってほしく、未来への手紙に託します。
 
ママの出産にはパパが付き添いました。生まれたら連絡が入る予定でしたが、なかなかありません。分娩室にママが入るのを見届けて、じいじたちは戻ってきたのに、何か起こったのかと心配になっていました。旭くんもこの夜は寝つきが悪く、ばあばはずっと抱いていました。
 
ようやくパパから電話がありました。楓ちゃんは、真夜中に大きな産声をあげて元気に生まれてきました。しかし、ママはあなたを産んだ後の出血が止まらず意識がなくなり、救命救急センターへ搬送されました。先生たちの懸命な治療のおかげで一命を取りとめ意識が戻りました。やっとママの容態が落ち着いたので、電話をかけたとパパは話しました。
 
その後はママも順調に回復し、母子そろって退院できました。ママの命は皆に助けていただいた命。楓ちゃんが、命がけでもらった命を大事に力強く生きてくれることを、ばあばは願っています。
 
2020.01.04
倫太朗君へ
(つかさ)じーちゃん
今か今かと待っていたよ。予定日よりも2日遅れて生まれ、誕生日がパパと一緒になったね。上手に生まれたね。
 
パパとママ、それに翔太朗兄ちゃん、じーちゃん、ばーちゃん
皆楽しみにしていましたよ。よく我が家族になってくれました。これから何があっても皆で協力して、力を合わせて頑張っていこうね。特に翔兄ちゃんとは仲良くして、兄弟で力を合わせてどんな困難も乗り越えていってほしいです。それから、君には伯父さん、伯母さん、いとこもたくさんいますよ。皆会えるのを楽しみにしていますよ。
 
しかし、とにかく今はおっぱいをたくさん飲んで、ぐっすり眠って、大きな声で泣いて、健康に育ってくれることを願っています。じーちゃんも長生きをして、君の成長を見守りたいと思っています。できれば一緒に酒が飲めるまで生きたいなあと願っていますが。
 
とにかく生まれてきてくれてありがとう。成長が楽しみです。これからよろしくね。