主催:公益社団法人日本フィランソロピー協会
共催:毎日新聞社、
特定非営利活動法人日本クリニクラウン協会
共催:毎日新聞社、
特定非営利活動法人日本クリニクラウン協会

2021.12.25
この世でひ孫と出会う
飯田秀夫
君が生まれる2年前、旅先で倒れて少々不自由な身体になってしまった。大好きだったドライブもままらない日々。つまらないな、自由に行きたい所へ行けなくなったと毎日を嘆いて過ごしていました。
そんな中、孫娘から「おなかに赤ちゃんがいるよ」との吉報。(性別を発表する)ジェンダー・リビール・ケーキカットの主役を私にお願いすると言う。それが何かもわからないままケーキカット。イチゴではなく、ブルーベリーが出てきたので君は男の子だと知らされました。
予定日より1週間早く生まれて、その様子を新型コロナのおかげでリモートでご対面。なんとも複雑で便利な世の中ですね。現在4か月の君をあやすと笑う。みんな笑顔になる。犬のぬいぐるみをつかむ、その小さな手で大きな幸せをつかんでほしい。
まさか!この世でひ孫を抱けるなんて!
私をひいじいちゃんに選んでくれてありがとう。なんとも言えないこの幸せ。ありがとう。生きていて良かった。ありがとう。君に感謝。ありがとう。ひ孫を産んでくれた孫娘にも感謝。ありがとう。
私をひいじいちゃんに選んでくれてありがとう。なんとも言えないこの幸せ。ありがとう。生きていて良かった。ありがとう。君に感謝。ありがとう。ひ孫を産んでくれた孫娘にも感謝。ありがとう。
2021.12.18
あなたへ
麗仙
くれなゐの 二尺伸びたる 薔薇(ばら)の芽の 針やはらかに 春雨のふる
ばあばの大好きな正岡子規の歌です。あなたの生まれる日、洗濯ものを干そうと庭に出たら、明るい日差しの中からキラキラ輝く雨粒が落ちてきました。神様の祝福と思いました。ほんときれいな雨でした。雨は万物に潤いをもたらします。あなたはそんなすてきな朝の日の夕刻に誕生しました。
よく笑い、よく泣き、お母さんのおっぱいをよく飲み、社長と呼びたいくらい堂々とした赤ちゃんに。あと10日でお正月という寒いときに一瞬春を感じさせてくれたあなたももう1歳。つかまり立ち、伝い歩き、指差して声上げて欲しいものを伝える。大きな声を出して笑う。そのうちはじめの一歩かな。
あなたにいつでもいつまでも幸せの慈雨が降り注ぎますように。
2021.12.11
護へ
福森茂香
7歳のお誕生日おめでとう。この1年は、幼稚園卒園、小学校入学といろんなことがありましたね。幼稚園の卒園式では、私が帰りを急ぎ、帰りたくなかったと言われた時は可哀想なことをしたなと思いましたが、後になって、卒園のさみしさで泣きそうになっていたので、あの場にいたくなかったと聞いて、こんなにも繊細な心を持っているんだなと驚きました。
小学校入学後は行き渋り、朝は毎日大げんか。帽子をかぶせては投げを繰り返し、授業が始まってから送っていったこともありましたね。少しずつ慣れ、ちょっと楽しくなってきたと話してくれた時は、本当に安心しました。毎日ゲームを楽しんでいるけれど、うまくいかないとイライラして、お母ちゃんにあたることもしばしば…。
自分の思い通りにならないと暴れたり、暴言を吐いたり、お母ちゃんは心身ともに傷つけられ、悲しい気持ちになります。でも、言えばすぐに動いて助けてくれたり、優しい言葉を掛けてくれたり、良いところもたくさんあります。
将来を期待し過ぎて、うるさく言ってしまうけれど、生まれてきてくれた時のことを思い出し、元気でいてくれるだけでいいということを忘れないようにしたいと思います。
2021.12.04
命をつないで
村上ひかる
ゆりは5歳半の女の子。3年半前に亡くなった母から受け継いだ、犬のパピヨンです。
一人暮らしの母は80歳にして初めて、子犬を飼うことにしました。その名に似合わず、ゆりはおてんばで、きかん坊。元気いっぱいなゆりに手を焼いて母は怒ったり、笑ったり。娘のような、孫のような、かわいい相棒との生活は、母の晩年の束の間の日々を輝かせてくれました。
我が家にやってきたゆりは、想像以上のやんちゃぶり。部屋じゅうをかけまわり、いたずらをします。ゆりのおかげで、子どもに恵まれず静かに暮らしていた私たち夫婦の生活に活気がでてきました。今ではわがままだけどかわいくてたまらない、まさにかけがえのない我が娘のような存在です。
人間の赤ちゃんではありませんが、改めて、命の輝き、そのまぶしさに驚いています。ゆりと近くの公園をお散歩すると、若いお母さんと小さなお子さんに出会います。二人は私に与えられなかった母子の時間を生き、明るくみずみずしい光に囲まれています。どうかお子さんが健やかに成長されますように。どうか若いお母さんが毎日を朗らかに過ごせますように。
二人が放つ明るい光に目を細めながら、私は母から受け継いだゆりをしっかりと抱いて、母から子へ、確かな次世代への命の継承を願っています。
2021.11.27
るんるんへ
えつか
るんるん、新しい学校はどうかな?ママが選んだランドセル背負って行ってる?ママもパパも通った小学校だよ。楽しいといいな。
夏休み、突然ママが死んじゃったね。パパが心臓マッサージをしたけどダメだった。るんるんはそれを見てたんだね。つらかったね。えらかったね。生き返ってほしかったね。ママはるんるんに「さようなら」も言わないでお空に行っちゃった。ずっと一緒にいたのに。さみしいね。
るんるんが生まれたとき、ママは血がいっぱい出て、パパは「ママもるんるんも死んじゃう」って大泣きしたんだよ。でも、二人が元気になって、みんな大喜び。私も奇跡に感動したよ。7年間、ママは一生懸命るんるんを育てたよ。いっつも楽しそうで幸せそうで、何の心配もなかったよ。なのに、突然いなくなって。7歳のあなたがどんなに悲しかったか、負けないように頑張ったか、見てるだけで胸がいたかった。
でもるんるん、ママと過ごした愛にあふれた日々、ママとの喜びいっぱいの思い出を胸に抱いてこれから大きくなってください。パパ、爺ちゃんばあちゃん、ひいばあちゃん、ママのおじさんおばさんもみんなるんるんが大好きでいつも守っているからね。不安なんて感じないで。ママもるんるんが大きくなるのをお空からみまもっているから。
ママのおばさんより
2021.11.20
独り立ちしたあなたへ
しおりママ
あなたが生まれて私の生活は一変しました。
おなかにいる間は、毎日産着を作って、新しい衣類は3回ずつ洗濯して、ワクワクするばかり。産院から連れ帰ってほぼ一人で育児に向き合う日々はわからないことの連続で、保健所が心配して助産師さんを派遣してくださったこともありました。何しろいっぱい母乳を飲んでほしかった。一生懸命にあなたを見つめる日々の中で、母である私は自分が何者かを問い続け、己を少しずつ知ることが驚きでした。
栃木のじいじはとても喜んでいつも遠路はるばるやってきて、名前を呼びながら抱っこしていたよ。そのあと、もう一人よく泣く弟を家族に迎えてさらににぎやかになり、じいじの家にしょっちゅう行っては、大勢の親戚に代わるがわる抱っこされ、あなたたちのちょっとしたしぐさや言い間違いに大きな笑いが起きていたね。
新たな命が家族や親戚に大きな喜びをもたらすこと、その将来の輝かしさに大人たちが希望を重ねていたことに今気づきます。
20年たって今、あなたは一人で人生を歩み始めました。いろいろなことを乗り越えて、強さも備えつつ、かつてと変わらずそのままの存在が周りを明るくする力があると思います。母は安心してあなたの社会での挑戦を応援しています。あなたが我が家に来てくれてパパやママの今があることに感謝しています。
2021.11.13
太陽のような笑顔の息子へ
イチロー
太一が生まれてもうすぐ6年が経ちます。予定日から1週間ほど遅く生まれた太一。きっとママの体の中に長くいたかったのかな。生まれてすぐの時から笑顔がとても輝いていて、周りの人たちを温かい気持ちにさせてくれる、太陽のような笑顔をする子だなあと思っていたよ。だからパパの名前の一部と太陽を組み合わせて「太一」と名付けました。
赤ちゃんのころも、よく食べよく笑う子でママとパパは太一の元気な笑顔に元気づけられることがたくさんあったよ。特にパパの仕事が忙しくなってきてからは、仕事で落ち込んだ時に何度も太一の笑顔に助けられてきたんだよ。
そんな太一に、少し他の普通の子たちと違うところが見え始めたのは、2歳になる前のころから。年を追うごとに言葉の遅れや、知的面での発達が遅いことが際立ってきました。それでも生まれたときから変わらない太一の笑顔や、健康優良児そのものの体の成長を見ていると、太一は他の子とは同じように成長できないかもしれないけど、太一なりの成長をこれからも見守っていこうと思っているよ。
パパは太一の笑顔が大好きだから、これからもたくさん写真を撮ったり、いろんなところに出かけたりして、たくさん思い出を作っていこうと思っているから、この先もよろしくね。
2021.11.06
小さな夜の歌~アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク~
アッキー
小夜歌(さやか)へ
あなたが生まれた日、パパは出産に立ち会いました。元気な産声を聞き、感動で涙が出ました。そして「幸せになってほしい」、それを何度も念じながら名前を考えました。
200くらい案を出しました。その中から光っていた一つの案に決めました。幸せな歌をたくさん歌ってほしい。ささやかな夜の、幸せの歌を。モーツァルトが作曲した、有名なアイネ・クライネ・ナハト・ムジークは、アップテンポで元気なリズムの曲です。小夜歌をドイツ語にするとこんな感じになるので、活発な一面も持ってほしいと願いを込めました。生涯のテーマ曲があるなんて、素敵なことだと思います。
パパもピアノを習っていたので、練習のレパートリーに加えました。一緒に演奏する日が来るのかな。お兄ちゃんが落ち着いている分、あなたはいつも元気に大きな声で笑い、家の中を明るくしてくれます。歌が大好きでLiSAの「炎(ほむら)」を見事に歌い上げて、ピアノの先生を驚かせていましたね。音楽の素質を感じて、パパはうれしいです。この名前のように、これからもたくさん歌を歌ってくれるといいな。
パパより
あなたが生まれた日、パパは出産に立ち会いました。元気な産声を聞き、感動で涙が出ました。そして「幸せになってほしい」、それを何度も念じながら名前を考えました。
2021.10.30
まだ会えぬさくらちゃんへ
東京のばぁーば
昨年の春に長女が東京から遠く、長崎の島原へ嫁ぎました。コロナ禍でお式を挙げる予定も立たないままの結婚でしたが、夏にうれしい妊娠の報告。世の中の状況は変わらず、里帰り出産の願いもかなわぬまま春になり、桜が満開になる中、元気な大きな女の子が無事に生まれたとパパさんから連絡がありました。
初孫の誕生にすぐにでも駆けつけて抱っこしたい気持ちでいっぱいでしたが、遠すぎる。こちらから行けばご迷惑になる。もっと近い所に嫁がせるんだったと少し後悔もしたり・・・。でも、世の中便利なもので、娘が毎日画像を送ってくれる。予防接種を打ったとか、お食い初めをしたとか。時には、ビデオ通話で話しかけます。まだ、私たちを認識はしていないようですが...。いつの日か会える日が来てもきっと泣かれるかも。でも、お洋服やおもちゃをいっぱい買ってあげるからね。
今は、それを楽しみに毎日を送っています。嫁ぎ先で可愛がられて甘えん坊になっているとか。元気に育って安堵しています。早くコロナが落ち着いてくれないと大きくなっちゃうね。
生まれてきてくれてありがとう。
2021.10.23
まだ名もなきヒーローへ
マイウェイ
13年前、孫が誕生したときに書いた「手紙」です。
こんにちは。私は君のおじいちゃん、お母さんのお父さんです。君はきょう、2008年6月25日14時15分に、西埼玉中央病院で誕生しました。約10か月間をお母さんのおなかの中で過ごし、君の登場を長く待ち望んだ私たちが見守る中、元気な産声を聞かせてくれました。
しかし、君の第一歩は決して順調ではありませんでした。君のお母さんは3日前から入院し、苦しみに耐えました。お父さんは自宅で仕事をしながら、お母さんに付き添い、君の誕生を待ちました。簡単な出産ではなかったために、君とお母さんはしばらく入院することになります。私たちは一日も早く無事に元気に退院することを待ち望んでいます。
君は福田家と伊坂家のヒーローとして誕生しました。両親、家族、周りの人々の愛情を全身で受け止め元気に育ってください。私も福田家の亡くなられたおじいちゃんの分まで君を愛します。
この手紙は君への初めてのラブレターですが、私はこれからこの手紙の続きを書くことを生きがいに君と共に歩こうと思います。この手紙は君が読める時がくるまでお母さん、お父さんに預けておきます。
浦和のおじいちゃんより
2021.10.16
一番の願い
のりぞう
逆子で生まれたあなた。生まれてすぐには泣かず、しばらくしてから「かあ、かあ」と泣きましたね。産声を廊下で聞いていた春ババが「母ちゃん、母ちゃん、と泣いているように聞こえた」と言っていたことを覚えています。そして、あなたを初めて抱っこするために、新しいワイシャツを着て髪をカットしてきた巣鴨じいちゃん。あなたの誕生をとても喜んでいました。
あなたの誕生と成長を思い返す時、助けてくれた多くの人の顔が浮かびます。そして同時に、私自身も同じように多くの愛と助けがあって育ってきたのだろうとわかるのです。あなたのおかげで、愛すること、感謝すること、待つこと、見守る勇気など、多くのことを経験し、私自身が成長できました。本当にありがとう。
平松のおじいちゃんが、子どもは3歳までに一生分の恩返しを親にしてくれていると言ったことがあります。そう、本当にそうだと思います。21歳のあなたからはもう十分すぎるほどもらっています。だから、何も気にせず自分の道を進んでいってほしい。
あなたの幸せ、それが一番の願いです。
2021.10.09
最愛の娘へ
メリル
子どもを持つことに興味がなかった私が、いきなり頭を金づちで殴られたようなショックを受けたのは、結婚して5年目のころでした。アメリカ赴任から帰ってすぐ旦那様が脳腫瘍になったのです。手術を待つ彼のベッド脇で、突然私は「子どもをつくろう。この人の命をつなごう。父親としての喜びを知ってもらおう」と思ったのでした。
手術の翌々年、あなたは生まれました。父親になった彼は不器用極まりなく、オムツ交換や、食事の世話など到底任せられるレベルではなく、私は子育てに孤軍奮闘しました。しかし、彼はお風呂に入れたり、少し大きくなったら毎週のようにスキーに連れていってくれたり、ミュージカルやテーマパークへも一緒に行きました。どの写真も幸せそのもの!彼はありったけの愛情を注ぎました。体が動くうちは「脳腫瘍です。何かあったら救急車を呼んでください」という手紙を財布に入れ通勤電車に乗って仕事に行ってくれました。
そうやって私たちを自分の命をかけて守ってくれました。手術から15年で、彼は力尽きましたが、きっとあなたは彼の愛の深さを知っているはず。愛って、与えても、もらっても幸せなんだね。あなたにもそういう出会いがありますように!
2021.10.02
未来への手紙 那波(なな)へ
ヒゲノスマイル
きょうは、2021年8月2日。きょうで「なな」は生まれてから8か月たった。きょうも新型コロナウイルスに感染する人が増え続けている。このような時代に生まれた「なな」だけれど、日々成長している君の姿を見るとうれしく、時に笑いながら見守っている。
君は腹ばいができるようになり、何とかはおうとしているようだ。それなのになぜか後ろに下がってしまいベッドの下にお尻から入って、そこで落ち着いている。お気に入りの場所になったのかな?
やがて、「なな」もハイハイで前に進めるようになり、そして立つ日が来るだろう。「なな」が生きる時代はどのような時代になっているだろうね。ヒトは地球上で住む範囲をつぎつぎと拡げ、その結果、地球に多くの傷をつけてしまっている。グランパは、これはヒトが地球の主人公だと勘違いした結果だと思う。そこに棲む多くの仲間たちと同じようにヒトも地球と仲よしになることが大切だと思うよ。
「なな」も、次の世代にかけがえのない星、地球を大切にリレーすることをグランパは願っているよ。元気に育って行けよ。
2021・8・2 グランパ 73歳の夏
2021.09.25
ひいじいちゃん 大好きよ
斉藤美代子
ゆきちゃん、かなたくん。
別々の家に住む3歳のひ孫2人が遊びに来てくれました。3歳だからはっきり言葉が出ないのに、なぜか「ひいじい、ひいじい」と呼んでくれます。ひいじいは86歳です。在宅介護で寝てばかりです。
ゆきちゃん、かなたくんは近くに住んでいます。2人は我が家に来るとまず、ひいじいと握手してにっこり笑って、踊って、歌ってベッドの周辺を歩いたり走ったり。またキーボードで「アンパンマン」の曲を弾いてくれます。うまく弾けないけれど。
コロナで公園へ行けない時、ひいじいを見舞ってくれるかのように楽しませてくれました。コロナ下でこそ来訪の機会が多くできました。肌と肌の人間同士のふれあいが多くなりました。その度に親しさが増し、病状も回復を見ることが多くなり、家族中、笑いの絶えない豊かなひとときを与えてもらいました。
でも、ひいじいの命の散るときが来てしまいました。暗くなる葬儀のときも家族を明るく、灯をともしてくれました。「ゆきちゃん、かなたくん、ありがとう」。ひいじいはお礼の言葉を口に出す元気はなかったけれど、心の中で、感謝を言っていたと信じます。
元気ですくすく成長してほしいと祈っています。
2021.09.18
1歳を迎えて
登生(とうき)のおかあ
エコーで黒い影が見えますねぇ。逆子になってますねぇ…。下がってきてるので絶対安静で!
おなかにいる時から、あなたにはヒヤヒヤさせられっぱなしでした。なかなか笑わない男。だったあなたも、最近は周りを見てへへッと笑うようになってきたね。向上心を持って前向きに。登っていく人生であるように……。という意味をこめて登るに生きると書いて、登生と付けた名前のはずが、ご飯という言葉が聞こえるだけで「マンマ! マンマー!」と叫びながら椅子によじ登り、目を離すとすぐに机の上に登ってハイポーズ。あなたは違う意味で名前の通りに育っていますね…。
タレ目で癒やし系な見た目からは想像もつかないような毎日に、今も昔もヒヤヒヤさせられっぱなしです。これからも、お散歩中の犬を見ても、公園にいる虫を見ても「マンマ!」と叫ぶ頼もしい存在でいてね。
今は世界中が大変で少し窮屈だけど、この生活を登っていった先にはステキな世界が待っているはずだよ。そんな生活の中、あしたも、笑わない男が笑顔を見せてくれますように。
2021.09.11
未来へ目を向けるきっかけをありがとう!
きよたにさえこ
お母さんがぬか漬けを始めた秘密を聞いてくれる?
お母さんはね、初めての妊娠で、2か月も早く匠(たくみ)を産んで、2人目を授かるのがずっと怖かったの。それでも、お父さんが、匠に弟か妹をつくってあげたいって言って。匠の誕生から5年がたった頃、授かったのが双子の妹。今では、一人っ子だった頃を思い出せないぐらい、匠は面倒見のいいお兄ちゃんに成長しましたね。お母さんは年を重ねていろいろと後退しているような気がしますが、匠の成長が、妹のこれからの成長を想像するのにとても役立っていて、初めての双子育児もリラックスしてできています。ありがとう。
そうそう。お母さんが、ぬか漬けを始めたきっかけはね、あなたたち3人の誕生なの。お母さんは、あなたたちが誕生し、子育てをして初めて、想像できない未来があることを知りました。お父さんと結婚して、匠が生まれて、双子に恵まれる。私が、3人のお母さんになるとは。誰が想像したでしょう。この先といったら、まだ見ぬ孫との出会い。孫に恵まれるかは未来になってみてのお楽しみだけど、未来に残せるもの、それが、お母さんのぬか床でありますように。毎日「おいしくなあれ」と大切に育てています。
2021.09.04
我が家のふたり娘へ
TOKYO1964
まず、長女。里帰り出産で陣痛が始まったお母さんを車で産婦人科まで送ってくれたのは「じぃじ」でした。母子ともに無事出産という知らせを受けた時、お父さんは「これから父親としての人生が始まるんだ」とうれしさはもちろん、晴れて大人になったという気持ちになったのを覚えています。
「おじいちゃん」と「おばあちゃん」が病院に着き、満面の笑みを浮かべながら初孫をおっかなびっくり抱っこする姿に親孝行ができたなあと思ったものです。お母さんの実家では「ばぁば」がおむつ替えからミルク授乳まで面倒を見てくれました。
そして、次女。前の晩からの陣痛に苦しむお母さんを、朝早く車で病院まで送ったのはお父さんでした。病院に着いて間もなく産声が聞こえたのにホッとしつつ会社に報告メールしたところ、同僚の人たちからのお祝いメールをたくさんもらったのも、とてもうれしい思い出です。
今では、祖父母では「おばあちゃん」しか会うことができません。けれど、ふたりは多くの人たちの愛情に包まれ育ったことを忘れないでください。そして、思いやりのある素直な女性になってほしいとお父さんは願います。
ふたりの娘よ、生まれてきてくれて本当にありがとう。
2021.08.28
6年生のこはなへ
ゆきはる
考えてみると、君は僕の杖をついて歩く姿しか知らないんだね。君が生まれる前の事を書いてみますね。
ある日の朝、いつも通りに家を出たのに、夜は救急病院のベッドでたくさんの管につながれていました。脳出血でした。懸命の治療とリハビリでなんとか杖をついて歩けるまで回復しました。
でもね、それまで普通の生活をしていたのに杖に頼る日々となり、外に出るのが嫌になり、何の希望もない毎日でした。
そんな時でした。君の母さんのおなかに新しい命が宿ったと聞いたのは。生まれてくる君を抱きしめたいその思いで、懸命のリハビリを始めました。杖をつきながら近所を歩き回り小さなダンベルを振り回す。半年が過ぎるころには2キロだった左手の握力が30キロにまで回復。君のおかげです。
その君がもう6年生に。コロナで1年半くらい会ってないね。早く会える日が来ると良いね。
2021.08.21
莉奈(りな)ちゃんへ
ようろうのばあば
莉奈ちゃんは今、2歳6か月。ばあばや、じいじに会うたび、覚えたての言葉を聞かせてくれる。虫や魚の名前。鉛筆の色。10までの数を数えて、あいさつやお礼もちゃんと言える。驚きの連続で、この子は世界中で一番賢いと思わせてくれる。
最近知ったことで古い仏典に「人が生まれた時には、実に口の中に斧(おの)が生じている」とある。怖い言葉だが、言葉にはそんな一面もある。莉奈ちゃんの可愛いお口から出る言葉は、いつも人をにこにこさせてくれるものであってほしい。
これからたくさんの言葉を覚えるだろうが、莉奈ちゃんの本当に大切な言葉を大切に使ってほしい。身も心も行いもまっすぐに、素敵なレディーになってください。優しくて綺麗な、そして思いやりのある言葉をお話しできたらお友だちもたくさんできるだろう。
ばあばだけでなく、パパやママ、じいじも楽しみにしています。
2021.08.14
第七脳室は颯(そう)ちゃんでいっぱい
ヤマショウビン2
2020年7月24日、初孫誕生の第一報が届きました。名前は颯ちゃん。以来、3日と置かず画像が送られてきて、その量は大変なものになりました。それでついに、いつでもすぐに画像を見ることができるようにガラケーからスマホにチェンジしました。
我が家は、おばあちゃんが長年単身赴任中で、まして他県なものだから、この時期の帰省が自粛となり、ことし定年退職したおじいちゃんは、依然として一人暮らしです。そして颯ちゃんが住む地域もまた、コロナど真ん中なものだから、余計に身動きが取れず、結局会えない日がもう1年近くになりました。まったく想定外のことでした。
「あら、きょうは少し鼻水が出てるんじゃない。大丈夫?」「保育園慣れたかな。お友だちできた?」などと何かにつけてメールするたびに、お父さんお母さんも面倒くさがらずに、返事をくれます。共働きで大変なのにね。最近は、生えてきた前歯を時々見せて笑ってくれるね。ありがとう。颯ちゃんが生まれてきてくれて、おじいちゃんも感謝の毎日です。硬化しつつあった脳に「第七脳室」という新たなコーナーができて、今はそこが一番活発ですよ。
もうすぐ1歳だね。だいぶ重いだろうね。早く抱っこしたいけど、泣かれたらどうしたらいいかなあ、ねえ、おばあちゃん。
2021.08.07
12年後の感謝状
田島真佐子
ブルーのとんがり帽子にブルーのベビー服。2009年、誕生したばかりのかわいい赤ちゃんのメールが届きました。私たちにとって、ひとりきりの初孫息子。
その日、主人と私は病と闘い暗い病室にいました。主人は「下咽頭癌のステージ4」。入院は、次女の初出産と重なりました。私は二つの病院へ行ったり来たりの毎日。病院へ急ぐ道すがら可愛い赤ちゃんのお顔が浮かびます。パワーをいただき前に進むことができました。主人も同じようでした。メールを見ては励まされ、赤ちゃんが日一日と成長していくのに合わせ、メールパワーで主人も薄皮をめくるように元気を取り戻してくれました。孫息子は「神様からの預かりもの」。主人は声を失いましたが、孫息子から元気パワーをいただき、見事に回復してくれました。
退院からことしで12年。3年前、主治医から「もう病院へ来なくてよいですよ」と、うれしいお言葉をいただきました。可愛い救世主はことし4月から中学生です。人に優しい、心の痛みの分かる、良き青年に育ってくれております。私たちは次女夫婦と2世帯です。若夫婦がいるから、孫息子がいるから、祖父母は毎日元気で過ごしていけます。あの日巡り合い家族となり、人生の宝物をいただきました。もうすぐ孫息子は巣立ちの時。あなたに祖父母から感謝状を贈ります。
2021.07.31
10歳の小華(こはな)ちゃんへ
メガネのバーバァ
6月16日、2分の1の成人式おめでとう。
「赤ちゃんは、それは宝くじ1億円大当たりが100万回連続するよりも、まれな確率」と、大学の先生がかつて言われていたのを聞きました。
60歳にして、おばあちゃんにしてくれてありがとう。
勉強はきらいだけど、食べることが大好き。背が伸びて、もうすぐ私の背を越すね。
誕生するまでは、性別をパパに内緒にしていたのに、婦人科の先生が「女の子」と、口を滑らせてしまったこともありました。
3歳下の妹・葵ちゃんに、ちょっかいばかりだして泣かせてしまうお姉ちゃん!
あと10年、ジィジィと共に元気に成人式を迎えられるまで、がんばるね。
勉強はきらいだけど、食べることが大好き。背が伸びて、もうすぐ私の背を越すね。
誕生するまでは、性別をパパに内緒にしていたのに、婦人科の先生が「女の子」と、口を滑らせてしまったこともありました。
3歳下の妹・葵ちゃんに、ちょっかいばかりだして泣かせてしまうお姉ちゃん!
あと10年、ジィジィと共に元気に成人式を迎えられるまで、がんばるね。
2021.07.24
松江の希空(そら)ちゃんへ
奈良のバァバ
去年の夏、希空ちゃんのお父さんを可愛がってくれたひいおばあちゃんが、肺がんで亡くなりました。その少し後に、3人目を授かったとママが教えてくれた時、バァバは、ひいおばあちゃんの生まれ変わりかも?と密かに楽しみにしていました。バァバの5人の孫は全員男の子だったからです。
冬になり、希空ちゃんが女の子と分かった時、やったー!と心の中で歓声を上げました。一番喜んだのは、お兄ちゃんの夢(ゆめ)くんでした。「次は女の子がいい」とママにお願いしていたのです。
年が明けると、希空ちゃんが逆子と分かり、ママは足の指におきゅうを据えていました。コロナで面会も立ち会いも出来なかったけど、桜のつぼみが膨らんだ頃、希空ちゃんは予定日より5日遅れで無事に誕生しました。
でもバァバは、コロナでまだ希空ちゃんを抱っこできていません。悲しいけど、お宮参りにも行けそうにありません。遠くから、ママが送ってくれる写真や動画を見ながら、早く会えますようにと願い、楽しみに待っているところです。
大きくなったらバァバといっぱいおしゃべりしようね。
2021.07.17
美結(みゆ)ちゃんへ
ひみつのアッコおばあちゃん
元気なあなたが成人式を終え、数か月が過ぎたある日、物が二重に見えるとのことで眼科へ行き、そして紹介状を持ち、大学病院で検査に次ぐ検査で判明した病名は、初めて聞く難病でした。
先生からは「治りません。今の医療では進行を遅らせることしかできません」と言われましたね。私もあなたも頭が真っ白になりました。信じられませんでした。泣き顔などを見せたことのないあなたが、病院の一角で背中を向けて泣いていたこと、帰りの車の中でも、部屋でも、一晩中泣いていたのを覚えています。突然、未来が真っ暗に閉ざされ、女性として一番輝くはずの20代前半なのに、薬の副作用で顔や体もむくんでしまい、嫌な思いもしましたね。
そんなあなたも同級生と結婚し、思いがけず妊娠し、コロナ禍の中で誰一人立ち会うことも、お見舞いも駄目という中、一人で立派に出産しましたね。元気な可愛い女の子でした。名前は、人との絆を大切にとのことで、「美結」と名付けましたね。
美結ちゃん、あなたのママは、強くて可愛くて素敵な女性です。そして、世界で一番、あなたを望んでいました。元気に育ってね。
2021.07.10
元気に育て
宮のばぁば
孫の慶太が我が家に4か月住んでいたのは、娘の里帰り出産のときでした。
2歳の慶太との生活が始まりました。夫は肺気腫でしたが、うれしそうによく遊んでくれました。娘は出産時を考えて、私の隣に慶太を寝かせました。毎晩あちこち転がる元気な子でした。朝6時になると寄ってきて、「オアヨ(おはよう)、オアヨ」と声をかけ、「ばぁば、ゴアン(ごはん)よゴアン」と、私を揺すります。ふすまを開け、ベッドで寝ているじぃじのおでこをさわり、「お熱ない」と得意そうな顔で私を見ます。その声でじぃじが起き、私が笑い出すのが一日の始まり。
金曜日はパパが来て、ママと慶太と過ごします。平日は保育園にお世話になりました。娘が出産間近になった時、じぃじが肺炎で入院。続けて娘が入院。パパが急いで駆けつけ、出産を見届けて戻って行った日、ばぁばと二人の朝食、その日は保育園に行くのを嫌がりました。その後じぃじが無事退院。ママも赤ちゃんを抱いて退院し、にぎやかになりました。そして親子4人で元の生活に戻っていきました。
それから3年後、じぃじは旅立ちました。孫たちの成長を何より楽しみにして。葬儀の日、5歳になった慶太は、いとこと妹の3人で「おじいちゃん、ありがとう!さようならバイバイ」と、別れの言葉を言いました。写真の夫がうれしそうに笑っていました。
2021.07.03
元気もらったよ
八尾のばあちゃん
一昨年、長女が2人目を妊娠。長引くコロナ禍に加え、高齢出産という心配事が重なった。しかし本人たちは待望の2人目に大喜び。無事生まれてきたのは、大きめの男の子。泣き声はでかく、母乳もしっかり飲み、すくすく成長している。
6月で1歳になった。名前は「虹伸(にの)」だ。出産と引き換えに娘の体調は思わしくない。「元気の素をとられたかな」と言うと、「いいねん、この子が元気だったら」と。母親の自覚満々の娘にうるっとする。
娘は年末に1か月ほど入院したので、その間、私の家で虹伸君を預かった。夫の顔を見ると泣いていたが、毎日一緒にいると表情が柔らかくなった。夫は重い物が持てなくなっていたが、立ち上がって虹伸君を抱っこしていた。驚いた。夫にもやる気が芽生えたのかな。
私の周りは高齢者ばかり。虹伸君を連れて外に出ると、どの人も笑顔で話しかけてくださる。じいっと見つめて、にこっとする虹伸君にほっこりする。赤ちゃんってすごいなあ。いるだけで周りを穏やかな雰囲気にして、幸せな気分にしてくれる。この子たちのために、もう少し頑張ろうと大人に思わせてくれている。
娘はこれからも体調に気をつかいながら暮らしていかなければならない。子どもたちの成長を楽しみながら、困った時は周りに声をかけてゆっくり歩んでいこうね。
2021.06.26
入園おめでとう
西村義弘
孫娘の香衣(かえ)ちゃんがこの春、保育園に入園し、小さな体に大きな制服とカバン、可愛い帽子姿で写真に納まっていました。
香衣ちゃんは3年前の冬、予定日より2か月以上早く大学病院で超未熟児として誕生しました。このころはコロナ禍などなく、都合がつけばジイジとバアバは車で2時間以上かけて見舞いに行き、うれしさ半分、心配半分でガラス越しに日々の変化に一喜一憂していました。次はいつ会えるのかと思うことがうれしくてたまりませんでした。
3月のひな祭りも、百日のお食い初めも病院内でお祝いしたのですよ!その後順調に育ち、病院関係者の皆様のおかげで3か月後に無事退院することができました。
今では、妹2人と仲がいいお姉さんとして、成長した姿をLINE(ライン)電話で見るのが、ジイジとバアバの楽しみです。
これからも毎日、園庭を楽しく走り回っている香衣ちゃんを想像しながら、会える日が待ち遠しいです。元気でガンバレ、香衣ちゃん。コロナ禍が落ち着いたら遊びに来てね。待っています。
2021.06.19
だいじなだいじな宝もの
グランマけいこ
ママはとても痛く、つらい、不安の多い不妊治療を経て、思いがけず双子の男の子を授かりました。ママは妊娠中も元気とは言いがたい、ひどいつわりや入院などを経験しながら出産に至りました。リスクの高い双子ちゃんは、小さくて、やせていて、まるでカエルの子のようでした。特に双子の弟の慶(けい)は、羊水過少や心拍が弱かったり、吸引分娩だったりで、とても心配しました。
その双子の憧(しょう)と慶が、8か月を迎え、離乳食もたっぷり食べ、ハイハイやお座りもできるようになり、ほっぺも落ちそうなほどに元気に成長してくれました。ミルクを飲む横顔を見ていると「生命の神秘」をひしひしと感じ、いとおしくて胸いっぱいの気持ちになります。この小さな体が健康でスクスク成長し、成人しますようにと、グランマは毎日近くのお地蔵様にお祈りしていますよ。
パパ、ママ、じいじ、グランマは、たっぷりの愛情であなたたちをずっと温かく見守っていきますよ。双子の子育て、孫育ては思いのほか過酷で、夜泣きで眠る時間もあまりとれない日も多いけれど、あなたたちのためにこれからも精いっぱい頑張るね!もちろん、コロナなんかに負けずにね!
2021.06.12
祖父母の涙
伊東桂子
暖人(はると)君、はじめまして。君の新米おばあちゃんの親友で、伊東桂子と申します。
2月16日の早朝、いまだガラケーの携帯にメール。律っちゃんからでした。そう、私たちは姓が同じ「いとう」なので、出会ったころより、律っちゃん、桂子さん、と呼び合ってきました。メールには、「けさ3時58分、母子ともに健康で、男の子が誕生しました。修一も生まれてすぐに会えて、2時間だけ一緒にいられたようで、ぎこちなく抱っこをしている息子が新鮮でした。ラインでの動画を見て、〝新米おじいちゃん″の憲ちゃんと2人で泣きました」と。
早い人は、40代でおじいちゃん、おばあちゃんになりますが、70代になるまでずっとずっと長い間、君の誕生を待ちに待っていたのです。君がパパとママのところに、こうのとりに連れられてやって来た時、律っちゃんは泣いて喜んでいました。
この先、君の成長を楽しみ、見守るためには、100歳まで元気で長生きしなければなりません。でも大丈夫。二人はとても元気ですから、君の存在でますます元気になるでしょう。ママのおっぱいをたくさん飲んで、たくましく優しい男の子に成長することを、律っちゃんと一緒に祈っています。
2021.06.05
コロナで会えない湊(みなと)君
奈良のばあちゃん
コロナで騒がれている最中、待望の赤ちゃんが生まれるというので、みんな大喜びでした。でもコロナのため生まれても、お父さんでもすぐ会えないというのです。男の子と分かっていたので「湊(みなと)」とつけました。予定日より早く生まれ安堵しました。でも動画で見ただけです。3、4日過ぎ、退院するのでお父さんは車で迎えに行きました。そこで初めて会えたのです。
怖々抱っこして、いろいろと心配したこともすっとんで、うれしくて胸いっぱいになったそうです。いつもならすぐ会わせてもらえたのに、コロナのために不都合なことがいっぱいありました。でもおうちに帰った湊君は、お父さんと毎日過ごすことができました。お父さんの大きな手で産湯に入れてもらった湊君は、とっても幸せそうでした。今までであれば、お父さんはお昼は仕事に出ているので、産湯に入っている我が子など見たこともなかったでしょう。しかし、テレワークで自宅で働いている今は昼間にお父さんがお風呂に入れている動画が届いています。お父さんは、湊君が両手足を動かしているその横で仕事をしています。なんてほほえましい様子でしょう。
これはちょっぴりコロナのおかげでしょうか。私はコロナのため湊君に会えないけど、コロナに打ち勝つため「よく考えないといけない」と思います。
2021.05.29
ひかりちゃんへ
ヴェロニカ
息子の嫁からうれしい知らせ。「妊娠したんです」「エッ?」。
初孫を諦めていたわけではない。息子夫婦は夫婦だけで十分に幸せな人生を送れると、私は勝手に感じていた。結婚10年目にしてのひかりちゃんからのプレゼントだと思った。
ひかりちゃんは5年前この世に生を受けることなく、嫁の胎内から天国に旅立っていった。息子夫婦の悲しみとつらさは計り知れない。3か月くらいたって嫁の「たった1か月でしたが母親でいられたこと、幸せに思います」という言葉に私は涙した。
息子夫婦は人の心の温かさを感じる豊かな人生を送っていると感じた。その時から私は「ひかりちゃん」と名前を付け、「どうぞあなたのお父さん、お母さんを支え、見守ってください」とことあるごとに祈っている。
今秋、あなたの弟か妹が誕生します。どうぞあなたとお母さんとおなかの赤ちゃんを守ってください。ひかりちゃんは大空の白い雲にちょこんと座り、手拍子しながら応援してくれている。「お母さん、ガンバレ。赤ちゃん、ガンバレ」と。
ひかりちゃんは私たちの希望。これからもずっとよろしくネ。あなたは私たち夫婦の永遠の初孫。
2021.05.22
めいの誕生に感謝
楓(かえで)
1974年5月23日女の子誕生。
兄の初子。母の初孫。私は独身。その私が、めいの誕生の知らせに自分でも驚くほど喜んだ。幼子の成長は、会うたびに発見があった。一つ一つのしぐさに、目の中に入れても痛くないという世の親の気持ちも味わわせてもらった。
めいが生まれる以前、私は童謡詩を学ぶ中、思うように書けずにいた。それがめいの誕生をきっかけに詩作が楽しくなっていった。例えば「あかちゃんは/ないて/わらって/ねんねする/ただそれだけなのに愛される」という一節が浮かび、『ただそれだけなのに』という詩が生まれた。あるときには「あかちゃんがわらってる/おてても/あんよもわらってる/あかちゃんて/まるごとこころなのね」という一節からは『あかちゃんて』という詩が生まれた。
愛らしかっためいも、あれよという間に成人式を迎え、社会人となり、よき伴侶にも恵まれた。それでも私は、めいの幼き日々をたぐり寄せると詩作に没頭できた。
ことしの誕生日。「あなたの誕生なくして私の童謡詩はなかった。ありがとう」と、カードには感謝を託して送ろう。
2021.05.15
14歳の君へ
マーチャン
待ちに待って生まれてきた君が3歳の時、飛行機や電車が大好きだったので、二人でしっかりと手をつないで飛行場へのバスに飛び乗ったよね。電車で抱かれたまま眠ってしまい、仕方なく終点まで行き折り返してきたことも覚えているかな?春には弟の誕生を楽しみにしているお母さんと花見に行ったね。でも君は青空をすかして咲く桜を見るより、下に落ちた花びらをいっぱい拾っていたね。
暑い夏の真っ盛りに水族館へおじいちゃんと行って、水槽のガラス面いっぱいに引っ付いていた大きなエイを不思議そうに見ていた君をはっきりと覚えてるよ。そして帰る途中に雷がゴロゴロと鳴り出し、転がるように家にたどり着いたこと覚えているかな。
弟が生まれてお見舞いに行った時、居眠りしたおばあちゃんを乗せたままバスが動き出したので、君は大きな声でバスを止めてくれたよね。
君がお父さんの転勤で九州へ行ってからは、おばあちゃんは君と一緒に行った場所には寂しくて行けなくなったんだよ。
おばあちゃんは今一番心配していることがあるの!君が優しすぎる子になったのではないかと。そんなことないよね。優しさはそのまま持っているが、きっと強くて男らしい青年になってくれると信じてるよ。今でもしっかりと手をつなぎたいけど……。今度会う時には指切りしようね。
2021.05.08
3歳のお誕生日を迎えた悟(さとる)へ
あーちゃん
悟、君は両親が結婚して7年目に生まれました。あーちゃんはもう孫の顔を見ることはないのかなと思い、悟のお父さんに「ずっと子どものいない生活になるかもしれないから、その時は夫婦で仲良く暮らす老後も考えておきなさいね」と、言っていました。
ところが、悟のお母さんから「妊娠しました」と電話があり、「エッ!」と驚きました。その後、じわじわと喜びが湧いてきました。「家事は二人で分担し、体、無理しないでね」と言いつつ、おじいちゃんと予定日を指折り数えて待っていました。
平成30年4月7日、予定日より遅れましたが、元気に生まれた悟の可愛いこと。長崎と大阪とに離れ、またコロナのために今は会えません。寂しいです。送ってもらった「プラレール」やボール遊びをしている写真や動画を繰り返し見ています。抱っこして悟に「あーちゃん」と呼ばれるのを楽しみにしています。
悟、あなたは周りのいろいろな人たちに望まれて生まれてきたのよ。あーちゃんには悟の成人式まで元気でいたいという目標ができました。
生まれてきてくれてありがとう。
2021.05.01
3人の赤ちゃんへ
オマ
「おかあさん、三ついました……」
妊婦検診のあと、あなたたちのママからそう聞いて、「えっ?」。心臓がバクバク、ドキドキ。「頑張るしかないよね」と、何とか応えたものの、頭の中は「三つ子」という言葉がぐるぐる駆け巡りました。
あのびっくり仰天の日から6か月後、1,000グラムちょっとの3人の赤ちゃんが、元気にこの世に生まれ出てきてくれました。杏(あんず)ちゃん、柚季(ゆずき)ちゃん、花梨(かりん)ちゃん。もうすぐ1歳の誕生日で、すべてが奇跡です。本当に、おめでとう!
一番がんばっているママ、休日なんかないパパ。おむつ・ミルク・お風呂、全部できちゃうお兄ちゃん。みんなすごいです。そして「楽しい!」なんて……。こんな日が来ようとは、夢のようです。何も手伝っていない私、オマはただただ、うれしいです。
病院のお医者さん、看護師さん、スタッフさん、ありがとうございました。たくさんの方々に、感謝でいっぱいです。どうか元気に育って、良いお仕事ができる人になってくださいね。
2021.04.24
入学おめでとう
ときわのばあちゃん
ことしの年賀状が6歳の晴香(はるか)ちゃんから届いた。「じいちゃんが死んじゃって、ばあちゃんさびしくないですか」。昨年の4月に73歳で夫が亡くなり、その後ひとりで暮らす私の心中を察して書いてくれたのだ。こんなに成長したのかと、とても胸が熱くなった。
6年前、シンガポールに単身赴任していた息子からの連絡で、夫と一緒に産院へ駆けつけたのは夜の11時ごろだった。嫁は3人目ということもあり、落ち着いていて、分娩室に入り5分ほどで産声が廊下に聞こえた。「一人で産もうと思っていた」と言った気丈な嫁も、出産という大仕事をなし終えて緊張の糸が切れたのだろう。赤ちゃんを初めて抱いたその頬を涙が伝った。そして15時間後、息子がシンガポールから駆けつけ、その様子は「めばえ」というテレビ番組で放送されたのだった。
その子も今は「鬼滅の刃」に夢中で、新聞紙で作った刃を手に、禰豆子(ねずこ)の箱を背負い、炭治郎(たんじろう)になり切っている。こんな晴香ちゃんのこれからの成長を、少しでも長く見守り、ばあちゃんは天国へ行った時、じいちゃんに報告するからね。
2021.04.17
成長、ありがとう
あらたのおとん
娘が生まれたのは22年も前のこと。私の仕事中に妻から電話があり、妊娠の報告を受けました。8か月後、娘の出産は難産でした。入院翌日に仮死状態で誕生し、担当の先生はじめ看護師さんの手当てにより一命を取り留めました。妻の希望で立ち会いはせず、産後聞いた話です。
出産を待っていた私は娘の産声を聞き、今までにない喜びで胸が熱くなったことを記憶しています。生まれた娘は、看護師さんからも笑みがあふれるほど妻にうり二つ。私としては少々さみしく、どこか似ているところはないか探し、耳の形が私似であると妻に主張し笑われたことを覚えております。
名前は「天音(あまね)」。私には産声が天使の音色にしか聞こえなかったことから命名。両親には名前に天の漢字はいかがなものかと反対されましたが、私の名前を決める際に、祖父母に相談したかと問い詰め、両親を納得させました。
やりたい習い事はさせたつもりです。何一つ身に付きませんでしたが、そこは私の子なので仕方がない。大きな病気やけがもなく、来年3月には大学も卒業し社会人になりますが、これからも自分らしく生きていってもらいたいと願っております。
2021.04.10
諒(りょう)くんの背番号
マポちゃん
「レミンちゃんをナンパする諒くん」。
ママはいつもこんなふうに面白いタイトルをつけて動画を送ってきてくれます。ポチっとすると、3か月になる諒くんは、お顔の横に置かれたお姉ちゃんのお人形に向かって「あう~」を連発しながらの猛アタック!何とも可愛くて繰り返し見てしまいます。
コロナ禍でも元気に生まれた諒くんに会えた時、バァバは神様に心から感謝しました。そしてバァバは男の子を育てたことがないので、諒くんがこれからどんなふうに成長していくのかとても楽しみにしています。令和生まれながら、何となく雰囲気は昭和の色の濃い諒くん、ジャニーズには遠いかもしれないけれどバァバとは仲良く遊んでくれるかな?
ジィジも仲間に入れてキャッチボールをしようね。バァバは年がいもなくバッティングも大好きです。諒くんとしっかり遊べるようにこれからもスクワットは続けます。真っ赤なTシャツを着て、こいのぼりを手に持ち、一緒にカープを応援しましょうね。Tシャツの背番号は何番にしようかな?ジィジとよく相談しておきます。
2021.04.03
20歳になった歩美(あゆみ)ちゃん
静澄子
生まれた時から小さな赤ちゃんで内向的だったあなたが、自分の選んだ道に進みたいと突然上京し、一人暮らしを始めました。折悪く昨年来よりコロナウイルスによる感染症の拡大で、どうなることかと心配の毎日。成人式も中止で残念でした。
でもお母さんと、お姉さんが着た振り袖姿の、あなたのかわいい写真がメールで送られてきました。その姿を見て自然に涙が流れてきました。立派になったね、ありがとう。おばあちゃん心配しないでという言葉に少しは安堵しました。
でも心配です。困ったときはいつでも相談してネ。おばあちゃんは高齢で何も出来ない。でも、何かの力になれると思います。
あなたの未来に乾杯。おばあちゃんはいつもあなたのファンです。応援しています。コロナに負けないで。
2021.03.27
リカちゃんへ
大和直子
3歳で白血病と診断され、1年近く入院していた次男のハルちゃんが退院して7か月。5歳になって保育園に通い、空手のおけいこにも行って元気だけれど、毎日1回抗ガン剤を飲み、月2回は病院に行って血液検査。抗ガン剤は免疫機能を下げるから、コロナにかからないか心配しているけど、感染症予防の薬も投与してもらっているし、ハルちゃん自身すごい生命力を持っているから、大丈夫だよ。
3歳の女の子が同じリンパ性白血病で完治したと思っていたのに、10歳になって再発し、亡くなったのを知って、泣いていたね。病院の先生が大丈夫と言ってくれても、つい悪いほうに考えてしまう。
リカは愛情深い母親で心も優しいから、気持ちはよくわかります。リカのお姉ちゃん、お兄ちゃん共に辛い時期があったけど、リカが一番辛いよ。これからもずっとだから。でも神様、仏様、ご先祖様たちがきっと見守ってご加護してくださっているよ。他人様に優しく、親切にしていれば必ず良いことがあるはず!
泣きたいときは泣いていいけど、夫のキンヤ、お兄ちゃんのソラヤ(小2)、ハルヤの前では、「ひまわり」のように明るく、太陽の方へ向いていてください。
ママは生きている限り、リカをサポートするよ。元気でいられるよう、テニスと声楽のレッスンも頑張るよ!
2021.03.20
廉(れん)ちゃんへ
みっちゃんばあば
予定日が近づき、ママに出産の兆しがあり、入院した次の日の午前2時ごろ、生まれそうですと連絡を受け、パパとばあばは急いで病院へ行きました。
あなたは大きな産声をあげて生まれてきました。丸々とした赤ちゃんでした。パパがつけてくれた「廉」という名前、とてもすてきです。それから1か月、2か月、いろいろと手がかかり、大変でした。春になり、お出かけを楽しみにしていたら、コロナ、コロナでどこへも行けず悲しかったですね。
人見知りが激しく、笑ってくれた時の笑顔がとても可愛い。母乳とミルクもいっぱい飲んで大きく育ち、体が重くて他の子より寝返りも、おすわりも、ハイハイも遅く心配したけれど、熱を出すこともなく、風邪ひとつひかず、すくすくと育ちました。廉ちゃんが重くて、ママが腰を痛めたりしたけれど、健康優良児だとばかり思っていました。
10か月健診で異常が見つかり、1歳になったら手術をしないといけないことになりました。みんなとても心配しています。でも廉ちゃんの将来のため、頑張ってね。手術が終わったら、またかわいい笑顔見せてね。ばあばと呼んでくれる日を楽しみにしています。
2021.03.13
ありがとう、えりちゃん
ヤっちゃん
私は自分の名前が大嫌い。なぜ嫌いかと言うと、名前の漢字を他の人から聞かれたとき、私は、安心のアンに子どものコですと答える。でも、聞いてきた人は、「安いっていう字ですね」と聞き返す。これがイヤでイヤでたまらなかった。
しかし孫娘が、私に安子という名前を大好きにしてくれた。私のスマホにお話がままならないころの孫が、「ヤっちゃんー」とかわいい、癒される声で話しかけてくる。孫娘の恵莉(えり)の声だ。
「合ってるかなあ」と不安そうな声に、この響き。私は癒され、私の名前が大好きになってしまった。
「安(やす)ちゃん、安ちゃん……。「えりちゃんね、わかるよ」と言うと「う~ん」。また、安ちゃんーって、かわいい澄んだ声。
70歳にして私に安子という名前を大好きにしてくれた孫娘。今は5歳になり、しっかり自己主張もし、お話ができる、笑顔のかわいい女の子になりました。
まだまだ、癒されている安ちゃんです。
2021.03.06
小さな紳士
としばあば
こうちゃんは、じいじとばあばの2人目の孫として、予定より2か月早く会いに来てくれました。4月には3歳になりますね。
6歳違いのお姉ちゃんが大好きなこうちゃんは、お姉ちゃんのコピー人間。このごろはお出かけするときに、「はい、お姉ちゃん、お姉ちゃんの」と言って、マスクを渡したり、靴下を渡したりします。今まで、お姉ちゃんに面倒をみてもらったお返しかしら?でもたまに悪いことをすると、「お姉ちゃんがやった」と、お姉ちゃんのせいにもしますね。
誰かがクシャミをすると、「大丈夫?」と聞いてくれます。ばあばが階段を下りてくると、階段のところにかけてあるカーテンを「どうじょ」と言ってあけてくれますが……、カーテンの前にいるので通れません。
そんな優しいこうちゃんが可愛くて!可愛くて!お歌をいつも歌っているこうちゃん、将来は?電車が大好きなこうちゃん、将来は?どんな青年になるのでしょうか?
大きくなっても、ばあばとお話をしてくれるこうちゃんでいてくれたら……。ばあばはとってもうれしい!ばあばの小さな願いです。
2021.02.27
いのちのバトン
柴沼迪子
コロナ禍の11月、ひとりの男の子が産声をあげた。父親は私の弟の三男。彼は平成元年、末期がんの母親の命がけの出産でこの世に生を受けた。育てることはできない、すべてを後に託すしかない、すべて承知の上での決断を、周囲のだれも止めることは出来なかった。母親は40日後に亡くなる。34歳だった。
小さく小さく生まれ、母親の名前の一字に、生(生きる)をつけて「文生(ふみお)」と命名された。その彼が今、父親になった。
瑛仁(あきと)くん、純粋な心、明るく光る個性をもち、思いやり、やさしさのある人に……。との願いを込めて両親がつけたあなたの名前には、しっかり二人の祖父の名前の漢字が入っている。若かったあなたのおばあちゃんが命を懸けてつなぎ、子に託した「いのち」のバトンが、今あなたに引き継がれたことが心からうれしい。
誕生の知らせをもらった日、息子達との家族ラインは喜びと感動でおおいに盛り上がった。生まれて来てくれてありがとう、72歳になる弟をおじいちゃんにしてくれてありがとう。
今、新型コロナの感染拡大でなかなか面会できないようですが、一日も早く、じいじと瑛仁くんが対面できますよう祈っています。
2021.02.20
命の恩人、翔ちゃんへ
ハマばばちゃん
保育園の先生のお誕生日カードに「いつもニコニコ笑顔で、目が合うと顔をくしゃくしゃにして笑う翔ちゃんが、大好きです」と、書かれてあったそうですね。
2年前、あなたが生まれそうと連絡があり、慌ててお家へ行ったけれど生まれず、いったん自宅へ帰りました。帰ったその夜中に、なんと健康だったじじちゃんが発作を起こし、救急車で病院に運ばれました。そのまま入院となり脳手術を受け何が何だか……。
その翌日、あなたは無事に元気に誕生しました。前日だと誰もいなくてどうなっていたことか?偶然とはいえあなたは、まぎれもなくじじちゃんの命の恩人です。
優しいパパ、ママ、サッカー好きの2人のお兄ちゃんに可愛がられ、すくすく成長し、歩き始めた頃からボールを蹴っていた翔ちゃん。将来はサッカー選手、いや長いまつ毛が可愛いからジャニーズかな?
ツボにはまるとケラケラ笑う声に、じじ、ばばはいつも癒されていますよ。2歳のお誕生日、心よりおめでとう。
2021.02.13
なっちゃん誕生
丸房代
なつ希ちゃんが生まれてきてくれたのは、令和2年5月8日。日本中が、否、世界中がコロナの恐怖に戦々恐々としているころ。ただでさえ初めてのお産にあなたのママは不安であったろうに、3密回避の名目でたったひとりでお産という闘いに挑んだ。
無事、可愛いなつ希ちゃんに会えたのは誕生して10日目。大きな声で泣いておっぱいもミルクも飲んでスヤスヤ眠る。声をかけると声のする方を見て「もう一度名前を呼んで」と言わんばかりに声の主を探す。ママの実家で4か月を過ごし、小さなアパートの部屋に戻ると、なつ希ちゃんの泣き声が大きくて、パパとママはご近所の方々に恐縮している。元気の良いのはいいけれど、少しいい子にしていてね。
生まれてすぐに浮世の厳しい風にさらされましたが、パパとママはあなたを愛情のカプセルに包み大事に育てています。新米だから失敗もあるけれど、それに優るあなたへの慈しみを、いつも全身全霊をもって生活しています。なつ希ちゃんは何の心配もせず、パパとママに思い切り甘えてくださいね。
コロナにも負けず、3人で楽しく元気で過ごしてください。
2021.02.06
君の名前
小野和子
君の名前は「楽」(たのしい)と書いて。ガクと読みます。
音楽の「楽」、そして、苦あれば楽ありの「楽」です。君の父さん、母さんが、一生懸命考えて、いっぱいある中から選んだこの名前。いい名前だとバァは思います。たぶん、誰もが生まれて初めて受け取る世界中でたったひとつの贈り物……名前。それが君の「楽」(がく)という名前。
バァは今70歳。君が二十歳の時、90歳になる。産着からめいっぱい手足を伸ばし、バタつかせている君。受話器越しに聞こえてくる泣き声。遠い昔に聞いたあの赤ちゃんの泣き声がどんな声に変わるのだろう。
きょうから私はどこまでどんな楽を見ていけるのだろう。君が二十歳になった時、君は何を見るのでしょう。その時、君が見聞きするものを知りたくもある私です。
2021.01.30
紗奈ちゃん、千紗ちゃんへ
西村義弘
紗奈ちゃん、千紗ちゃんは、一卵性の双子で予定日より3か月も早く生まれざるを得ない運命で誕生しました。誕生日は必然的に決まり、偶然にもじいじと同じ日に帝王切開で生まれましたね。
生まれて直ぐ医療機器の何本ものチューブにつながれ、危機感を持ちながら保育器で過ごしていましたね。じいじもばあばもコロナ禍の影響で見舞いにも行けず、お母さんが送ってくれる映像を見ては日々の変化に一喜一憂していました。医療関係者の献身的な看護と最新医療のおかげで4か月後に無事退院できたことに感謝の思いの一言です。
8か月経った10月1日に元気な顔を見せてくれて改めて感謝です。まだまだ病院通いは続きますが、紗奈ちゃん、千紗ちゃんが元気に成長してくれることを願っています。いつか二人が生まれた時の大変さを知った時に、多くの人にお世話になったことに感謝しその後の人生に生かしてください。
2021.01.23
「ジイジ」と呼んで
鈴村冨二男
アメリカ人の父と日本人の母を持つ孫が間もなく2歳になる。2歳ごろは成長過程の“イヤイヤ期”と呼ぶらしい。東京、大阪で離れて暮らしているので、ビデオ動画を見るだけの成長であるが、確かに気に入らなければ「イヤイヤ」と言っている。
言葉が少しずつ発せられるのも、2歳ごろからだろう。ダディの日常生活は英語で、マミーはもちろん日本語であるが、父母の会話も英語だから孫はどのような言語習得をしていくのかとても興味がある。数字を英語で言っている動画を見ると、確かに英語らしく聞こえる。果物の名前は日本語で発音していた。面白い。集団生活が始まると、きっと日本語オンリーになるのだろうか。
英語ではおじいちゃんのことを「パーパ」、おばあちゃんのことを「ナーナ」というそうだ。おばあちゃんはバアバと言われるより、ナーナと言われる方がうれしいと喜んでいるが、私はやっぱり「ジイジ」と呼んでほしいとリクエストした。「イヤイヤ」されそうだが、会うときには「ジイジ」と呼んでくれることを楽しみにしている。
2021.01.16
赤ちゃん、しがみついていて
くう
以前この欄に不育症を乗り越えた出産で孫を授かったおばあちゃんからのお手紙があり、何度も何度も読み、切り抜きました。お守りにしています。
お嫁さんが妊娠5か月にはいり、はじめて安定期になったと息子からの手紙にあった。今回が5回目の妊娠である。
1回目の妊娠を知ったのは、2回目の妊娠の連絡の時だった。3回目の時は、私の母が亡くなったころだと思う。4回目の時は、私の娘の出産と同時期だと思われる。
これまで4回、さぞつらかったことだろう。お嫁さんと電話で話していたら、涙が出てきて、鼻もぐちゃぐちゃになってしまった。
東京での暮らしから、青森県のお岩木山の近くに移り住んで1年になる。環境が変わった中で、ゆったり過ごしてほしいと思う。
「赤ちゃん、ママから離れないで。お願いだからママにしがみついていて!」
天の神様、私はじいちゃんとふたりで水天宮に行ってお願いしてきました。私は大好きな甘いものを妊娠を聞いて以来食べていません。春になるのが待ち遠しいばあちゃんです。
2021.01.09
ことちゃんへ
くめばあちゃん
おじいちゃんとおばあちゃんと18歳になる猫のきぃちゃんは、福島で東日本大震災を経験しました。その後いろんなことが落ち着いて、元の生活が戻ってきて、ことちゃんが生まれました。もうすぐことちゃんは3歳の七五三を迎えます。
ことちゃんはおばあちゃんちを離れ、都会に近い街で暮らしています。今、コロナという世の中で、みんながいっしょうけんめい工夫して生活をしていまが、ことちゃんに今までのように会えないことがいちばん残念なことです。お母さんがかけてくれるビデオ通話という方法でことちゃんとお話をするのが楽しみです。
おじいちゃんと近くのお山の公園を元気に歩いていますが、遠くの山々や大きな木に向かって「どうかことちゃんがあと百年しあわせにくらせますように!」と、手を合わせています。ことちゃんも大人になったら、次の百年、「みんなが元気にくらしていけますように!」と、大切な人や、おともだちのことを思って手を合わせてお願いしてくれたらうれしいな!
2021.01.02
退院おめでとう
奈良のばあば
ミーちゃん、無事の退院おめでとう。長い入院生活をよくがんばりましたね。やっと家で皆と暮らせますね。
コロナ禍の中での妊娠。健診も少なく心配していましたが、無事に生まれてくれてどんなに喜んだことでしょう。なのに、お母さんと一緒の退院がかなわず、一人居残り、原因不明の体調不安定。小さい体で大きい機械の中に入っての検査にも耐えたのに原因がわからずじまい。
コロナ禍の中、かけつけることもできず、どんどん入院が長引き心配しました。先生が普通の生活で徐々に回復の見込みがあるかもとの意見で、器具装着という条件付きで退院許可。生まれた時よりずいぶん大きくなっているのでしょうね。
あなたには3人のお姉ちゃんがいます。皆にたくさん抱っこしてもらって思い切り甘えて、泣いて、笑って、大きく成長してください。若草物語の姉妹のように明るく元気で仲良し姉妹になってくださいね。
本当に一人での長い入院頑張りました。退院おめでとう。すこやかに大きくなってくれることを願っています。
