理事長ブログ

2019.08.15

第13回 終戦記念日に「つながり」を思う

強い日差しと真っ青な空が定番だった8月15日の終戦記念日。台風襲来で、被害の少ないことを祈るばかりだが・・・。終戦記念日の記憶の映像が代わるようで、それ自体が、何だか不安になる。真夏の青空の下での平和への希求を、私たちの絶対的な価値として持ち続けることを再確認する日だ。

ところで、今年のお盆は、仕事はしつつも早めに帰宅し、迎え火を焚き、仏壇には、それなりに(?)盆飾りらしきものを設え、またまたそれなりのご馳走を供えたりしている。いつもより、ゆったりと仏壇の前に座り、お位牌を裏返してみたりしていると、蜷川幸雄のマクベスの舞台を思い出す。仏壇を舞台に見立てたシェークスピア劇。巨匠蜷川の、何とも自由な発想に驚嘆したものだが、実際には、企画に行き詰った時に、実家に帰って仏壇に手を合わせていて思いついたのだそうだ。確かに、仏壇の中には、代々の先祖の人たちの人生が詰まっているように思う。

私の曾祖母は、私が9歳の時に88歳で亡くなったが、私の知っているひいおばあちゃんは、おぼつかない足取りで家の中を手を引いてもらって歩いているか、横になっていた。そんな姿しか思い出せない。しかし、そのお位牌の裏を見ると、ひいおばあちゃんの夫が30歳で亡くなり、息子は21歳で亡くなっていることが分かる。3人の子どもを抱えて20代で未亡人になり、やっと育てた息子をこの若さで亡くし、さぞ苦労し、辛い思いをしたのだろう、と今頃になって思う。「もっとやさしくしてあげればよかった」と、何と60年近くもたって反省する愚かさよ。先祖たちは皆、それぞれに幸せや不運を味わった人生を生き切ったのだろう。そう考えると、仏壇は、見えない人たちのドラマがいっぱい詰まった劇場である。そして、それらがずっとつながって自分があることを改めて思い知る。それは、血縁、という意味だけではなく、生命はずっとつながって、そしてまた、次につなげていく、という見えないものを感じるというようなことだろうか。そう思うと、今、この時代に生きている人たちもつながっている。「つながり」が人を支えているのかもしれない。

ホームレスとは、単に住む家がないハウスレスではなく、つながりがなくなっていることを指すのだそうだ。数年前、横浜の公園で、夜中にホームレスの男性が中学生に襲われた事件があった。被害者である男性は、「あの子たちは家はあるけれど帰るところがないのだと思う。心配してくれる人がいないのだなー。あの子たちの気持ち、わかるなー」と言ったそうだ。そんな子が増えている。彼らのつながりのほころびを縫い、つながりを丁寧に紡ぎ続けることが、今、私たちに求められているように思い至る。おっと、疎かになっている自分の周りとのつながりも忘れずに・・・。たまに仏壇に丁寧に向き合っていると、殊勝な気持ちになる終戦記念日だ。チーン。