巻頭インタビュー

Date of Issue:2021.4.15
巻頭インタビュー/2021年4月号
ひらの・けいいちろう
 
1975年愛知県蒲郡市生まれ。北九州市出身。京都大学法学部卒。
1999年在学中に文芸誌「新潮」に投稿した『日蝕』により第120回芥川賞を受賞。40万部のベストセラーとなる。以後、一作ごとに変化する多彩なスタイルで数々の作品を発表し、各国で翻訳紹介されている。
著書に、小説『葬送』『滴り落ちる時計たちの波紋』『決壊』『ドーン』『空白を満たしなさい』『透明な迷宮』『マチネの終わりに』『ある男』等。
エッセイ・対談集に『私とは何か「 個人」から「分人」へ』『「生命力」の行方~変わりゆく世界と分人主義』『考える葦』『「カッコいい」とは何か』等。
最新長編『本心』2021年5月26日刊行予定。
民主主義の原点、分人、そして寄付について
小説家
平野 啓一郎 さん
30周年記念号は、小説家の平野啓一郎さん。多彩なスタイルで次々と話題作を発表、美術、音楽に造詣が深く、小説家として社会や政治について積極的に発信する平野さんにお話をうかがいました。
機能していない民主主義
― いま、民主主義社会が揺れています。平野さんは、日本の民主主義をどのようにお考えでしょうか。
平野 環境問題にしてもフェミニズムにしても、いろいろなところで議論が起きていますね。あまりにも格差が開いてしまって、その状況のなかで民主主義を考え直さないといけないと思っています。
日本の民主主義がどうして正常に機能しないかという要因の一つは、教育のなかで、民主主義的に主体的に何かを経験することがほとんどないことです。小学校に児童会、中・高校に生徒会がありますが、僕が経験した限りでは実質的な権限はなく、生徒総会で何かを決めても、職員会議で一方的に却下される。生徒会長の選挙も、校則を変えるような「公約の実現」という実質を持たない。子どものときに自分たちで制度を決め、運用してどこが問題点なのかを考えるような、具体的な実践の機会が全くありません。
政治とのかかわりでは、政治家は選挙で名前を連呼するとか、イベントに来て挨拶するだけ。子どもの時には、政治家が、生活の延長上にある問題を一緒に考えて解決してくれるというイメージを持っていませんでした。特に地方にいると、国会も遠いですので。
― 民主主義を育てる環境がないのですね。
平野 要因のもうひとつは、ゼロ年代以降に見られるある種のニヒリズム。「なんのために生きてるのか」「どうやって生きていけばいいのかわからない」というような青年たちの問題が文学的テーマになりました。
今世紀に入って、世界的インパクトで、あらゆるところで、一匹オオカミ型の無差別殺人のようなテロが起きました。背景は格差や差別など複雑ですが、やはり、ひとりの人間が、自分の住んでいる世界は、自分以外の人にとっては楽しく住みやすいかもしれないけれど、自分にとってはお金もなく、何の利益も得られないと感じたときに、どうして税金まで払ってその社会を維持しなくてはならないのかという意識が芽生えてしまうのは、理解できます。だからといって、テロを肯定するわけではないですが、原因を考えなければ社会は良くなりません。自分がこの社会から恩恵を被っていると感じれば、大事にしなければならないと思うことができる。社会をつくっていく過程で、自分も参加しアイデアを出してできた社会であれば、それを壊すことはできないはずです。
― 誰かがつくって押し付けられた社会への不満と憤りがあるのですね。
平野 そこが民主的につくられた社会でないと脆弱になり、多くの人を包摂することができない理由だと思います。目の前にいる他者と意見が異なるときに、どうやって一つの方針を決めていくのか。説得するのか、どこかで合意点を模索するのか。いろいろなやり方があるけれど、最小単位の他者との関係の延長線上に、政治があります。
いまの日本の小選挙区制では、トップ以外の候補者は切り捨てられますが、この発想は、国会で選挙で勝ったのだから何をしてもいいという形で露わになっています。他者と意見が異なるときの解決方法を探るというのではなく、嫌なら選挙で勝ってみろという話になってしまう。それが、社会の分断を加速させています。異なる意見の人間が共存するための知恵が、民主主義の根幹でしょう。
― その知恵は、プロセスの中で生まれる故か、社会づくりに主体的に参加する人が、まだまだ少ないですね。
平野 もうひとつ感じるのは、失われた20年30年によって、OECDの中でも異様なほど、日本は低賃金です。僕は、「分人」という概念で人間の内的な多面性を主張しています。ひとりの人間は、消費者として振る舞う時間もあれば、労働者として振る舞う時間もある。政治参加する自分もいるし、プライベートな生活を楽しむ自分もいると、バランスが保たれていることが理想ですが、新自由主義以降、企業は人を労働者として扱き使うことばかり考えてきました。人は長時間労働で気力も体力もなく、消費者としてお金や時間を使うことができない。僕もいろいろなところで政治参加の重要性を話すけれど、そんな余裕はないと、強く反発されることもあります。それでも政治参加しなくてはいけないんだけれど、そういう人たちの言っていることもわかるのです。これは、個人にもっと政治意識を持てというだけでなく、社会全体の問題です。
分人主義―生きやすい自分を探して
― 「分人」にある「人間は相手や状況に合わせて変化する複数の分人の集合体」という考え方には、複雑化する社会にあってその柔軟な発想に大変興味を感じました。生まれるきっかけがあったのですか。
平野 10代のときから、「本当の自分とは何か」という問いを突き付けられてきた実感がありました。団塊ジュニアとして人数も多く、受験戦争も激化するなかで、80年代くらいから中央教育審議会で学習指導要領に個性重視を掲げ、個性的に生きなさい、自分らしく生きなさいと言われました。それが何かは、10代のときにはわからない。そこで、本当の自分はこうだからこんな仕事に就きたいという理屈で、就職活動と結びついていったんだと思います。ところが、僕の世代は就職氷河期のまっただ中。自分なりに考えたにもかかわらず、やりたい仕事に就けない人が多くいたし、今もいます。自分は社会的に何ものだろうという「アイデンティティ・クライシス」に陥りました。
また、他者とコミュニケーションを図っていくときに、自分の周りの人間が多様になればなるほど、自分自身も内的に多様でないと、それぞれの個性を尊重しながらコミュニケートすることは不可能なはずです。バックグラウンドが違う人もいれば、年齢差のある人、ハンディキャップのある人などいろいろな人がいます。それに対して、本当の私はこうだと一本調子ではコミュニケーションが交せないので、自然とそれぞれの人向けの自分になっていく。すると、二重人格だとか表裏があるといわれ、主体が分化しているとネガティブなイメージにとらえられてしまう。
― ひとつの個性を貫くことと、誰とでも調和的にコミュニケーションすること。同時には、難しそうです。
平野 コミュニケーション能力が今ほど求められている時代はないですが、にも拘わず、自分らしく生きなさいと不変の個性を求められる。相矛盾する課題を同時に課されている状況で、その制御がうまくつけられなくなっていると、僕自身、また、社会を見ていて感じていました。ですから、いろんな人に向けていろんな自分になることは自然な現象だと、肯定的に捉えることから考え直したらどうかと、「分人」という概念を提起しました。
もうひとつは、小説家になって「死」の問題を扱うなかで、自殺について考えたことも大きかったです。ゼロ年代の途中までは、年間3万人の日本人が自殺していました。特に若者の自殺が多く、僕の身近にもいましたから、それを考えようとしたときに、主体が分化しない一体性のあるものだと考えると、自己肯定は極端に難しくなり、自己否定は非常に容易におこってしまう。
― オール・オア・ナッシングだと。
平野 自分の嫌なところは知っているので、全部を肯定するのは難しい。一方で、自己否定的な心境には簡単に陥り、学校や家庭で嫌なことがあると、自分全体の問題になってしまう。でも、自殺で家族を亡くされた方のお話では、家では本当に普通だったということがずいぶん多いのです。学校や職場で苦しんでいた分人と、家庭での分人が違っていて、相対的な視点を持つことができれば、自分を全否定するような自殺や自傷行為に至らず、ストレスになる分人に対して対処できるはずです。少なくとも問題を誰かと共有するときに、自分のなかの複数性をひとつのモデルとして利用すべきではないかというのが、僕の考えです。
― それを伺うと少し楽になりますね。
平野 はい。具体的な場所ごとに、人に会ったごとに自分を考えてみて、分けていく作業をしていきます。そのなかで楽しいと思える自分を発見できたら、それを足場にして、生きやすい自分を探していくことができるのではないかと考えました。
― 合理的でかつ温かく救いがある。
平野 『私とは何か―「個人」から「分人」へ』という本を書いてから、自治体の自殺対策などの講演に呼ばれることがあります。行政の人には、好きな分人がひとつでもあって、その環境がいいものであれば、そこを起点に変わっていけるので、好きな分人になれる場所を市民のためにつくることが大事だと話しています。
― 当協会では、重犯の少年がいる久里浜少年院でボランティアをしてもらっています。子どもたちが、小さな胡蝶ランの花を咲かせて誰かにプレゼントするのですが、添えるメッセージに「幸せになってね」「コロナ禍で大変だけど頑張ってください」と書いてあるのです。かなり困難な状況にいる少年たちですが、人のためにという関係性の中では、そういう面も見せてくれる。ダメなだけじゃない、自分の中の分人を見つけてほしいと思います。
平野 僕の地元でも、昔は、家にいられない子どもが、路上でうろうろしている間に暴力的な世界と接点を持ってしまうといったことがありました。そこでの分人が大きくなると、学校の友だちとのコミュニケーションもますます難しくなってしまう。悪循環です。家に居られず、学校に行けなくても、ボランティアの大学生などがいて、一緒にバスケットをしたり、ギターの弾き方を教えてくれたりする居場所があれば、少し変わってくる気がします。
寄付の課題と利他的な行為
― 人間には、利他心と利己心の両面があると思います。当協会では、寄付を推進していますが、なかなか難しいです。利他性や寄付について、どう考えておられますか。
平野 ずっと考えていて、20代のころに、19世紀フランスを舞台にした「葬送」という、音楽家ショパンと画家ドラクロアを主人公にした小説を書きましたが、当時のブルジョアのサロンでは、チャリティが大変盛んでした。ヨーロッパの場合は、近代以降特にキリスト教精神が慈善活動を推進させていたと思いますが、日本にも仏教その他があったのに、なぜ寄付文化が根付かなかったのかと考えました。
実は僕自身も、寄付にそれほど熱心ではなくて、どこか偽善的というかネガティブな印象さえ無きにしも非ずでした。楽していいことをしてるような気になってるというか。
― その印象が変わったのですね。
平野 社会問題をテーマとする小説を書くなかで、具体的にその問題に携わっているNPOの人たちと話をする機会が増えました。そこで、みなさんが口を揃えて言うのが、何よりもありがたいのは寄付だと。お金集めに奔走していると、やるべき活動の時間を取られてしまうと聞いて、寄付への認識を改めました。
― 個人寄付は、企業や財団からの助成と違い、目的さえ明確なら活動に自由度があるのでありがたいです。
平野 リーマンショックのころ、貧困が深刻化している問題を受け、NHKの『クローズアップ現代』に出ました。中長期的には国の是正が必要だけれど、すぐにできることとして寄付があり、テレビにQRコードを出して、その場で寄付できる仕組みなどを導入するべきだと話したら、「よりによって寄付か」という否定的な意見がネット上で多く見られました。それが、東日本大震災で世界中から膨大な寄付が集まり、インターネット上の仕組みも整っていき、あのときを期に日本人も寄付にオープンになった印象があります。
― 自分事化できました。オンライン上でできるツールの進化もあった。
平野 もうひとつ考えているのは、寄付をする社会的評価が低すぎることです。ハリウッドのセレブが寄付をしていますが、そうするのは、正義感と同時に、お金を稼いだからには、社会問題に関心を持って寄付することが「カッコいい」と評価されるからです。むしろ、稼ぐだけ稼いで独り占めにしているのは「カッコ悪い」というマイナス評価もあるでしょう。一方日本は、お金持ちの立派な振る舞いが社会的に確立されていないので、稼いだら稼ぎっぱなし。何かあると、思いついたように慈善活動のプランをぶち上げたりしますけど、そうではなくて、しっかりしたプログラムで、継続的に社会にお金を還元する必要があるはずです。
― 日本に、「褒める文化」と「利他行動としてのお金の使い方」を広げたいですね。
平野 さらにいうと、日本人は自己肯定感が低いことが問題になっていて、僕もそれを感じます。アメリカでは、子どものときから褒めて育てるから肯定感が強いとか言われたりしますが、寄付したり、道ばたで困ってるおばあさんを助けてあげたりとか、何か振り返ったときに、「みんな冷たい目で通り過ぎたけれど、自分はそれほどひどい人間じゃない」と思えるような、自己肯定の材料になる慈善的なことをしてないんじゃないかと思います。
― 車内で席を譲るような日常的な行動でも、意外と勇気が要りますね。
平野 そういうことをしていないのに、他者からの承認願望だけで、なんとか自己肯定感を打ち立てようとしているところに無理があるのではないか。僕は、慈善行為とか寄付は、自己肯定感を高めるにも役立つと思います。
― 当協会で推進する「寄付育」は、子どもたちが、地域の社会課題を解決するために募金活動をし、解決の一助としてNPOに寄付する活動を通して、自己肯定感を育みます。
子どもといえば、平野さんには小学生のお子さんがいらっしゃいます。どんな環境で育てたいですか。
平野 社会が激変していて、少子高齢化と温暖化が進んでいけば、日本の未来はかなり大変だと思います。世の中を生きていくのに、どんな力をつけさせればいいのかと考えますね。漠然としたことでは、差別的な意識を持つと生きていくのに苦労するので、多様性を尊重し、いろいろな価値感に対してオープンなものの見方をすることは、かなり意識して言い聞かせています。
― 差別される側も辛いけれど、差別する側も生きにくくなると。
平野 差別主義者は、差別主義者で徒党を組むしかない。差別に反対の人は、差別主義者と友だちでいることは出来ないですので。そうなると差別主義者の分人ばかりで人生は悪くなる一方、親子関係も破綻してしまいます。これからは、日本に入って来る外国人も増えるし、自分が外国で生活するかもしれません。バックグラウンドを異にする人とうまくやっていくことは、ますます必要になります。本当の自分とか、日本人としての誇りということを言い過ぎるのは悪い影響のほうが大きいので、こだわりを捨てて柔軟に生きていくことの方が大事だと思います。それでも、結果的には、その人らしさは自ずと現れるものです。
― 日本人のこだわり、生真面目さというと、寄付で思うのは「ちゃんと使われているか」とよく言われます。利他的行為には失敗が許されない、だから進まないのかと。
平野 あまりエモーショナルなものとしてやるのではなくて、制度的にきちんと形づくっていくことが、重要だと思います。感謝を求めたり、活かす使い道にしなさいと過剰にいうのは違うと思います。その制度を民主的に、必要だということで作った以上は、それを利用するのは当然だと受け止めて、普通に活用していく。そういう国の状態を守っていきたいならば、そういう国でありえるように、政治参加して努力していくことが大事だと思います。
つながりをつくる寄付
― 個人の寄付文化醸成のために寄付へのメッセージをいただけますか。
平野 いろいろな社会問題が起きていて、貧困家庭でシングルマザーの親子が亡くなるなど悲惨なことがあり、こころを痛める人が多いと思います。そのときに、額は多くなくても、その問題に対処しているNPOに継続的な寄付をすると、自分は、その問題を解決しようとする側に立っているという気持ちを抱くことができます。実際に、それで救われる命や人間関係もあります。寄付は、その人のためでもあり社会のためでもあるけれど、自分自身のためでもあると思います。
そのつながりで見えてくることもあるし、どこに寄付をしようかと考えているときに資料を取り、関心を持って、最初は少額でいいので寄付をしていく。すると自然と寄付先がひとつ、ふたつ増えていく。僕も分散的に寄付をしていて、20 年近く継続しているところが複数あります。そういうつながりをつくっていくことも大事じゃないかと思います。
― 最後に、属性・境遇を超えた「共感」は希望になると考えています。共感についてどのようにお考えですか。
平野 相手に共感することは、人が孤独にならないうえで、する側もされる側にも必要です。何といっても、人が小説を読んで感動する一番強い力は共感だと、僕は思います。一方で、こちらの思い込みで、辛い他者の心情すべてがわかったつもりになってはいけない。共感は重要ですが、権利の主張や法的な整備とセットにしないと、共感できない人には、支援する必要がないという考え方になってしまう。人権問題と共感は二本立てで、常に考えていく必要があると思います。
― Cool head but warm heart ですね。平野さんのテーマ「分人」は、不寛容な時代に生きていくための人間へのいとおしさと知恵が詰まっているように思います。誰もが、自分の居場所と役割を感じられる「分人」を発見し、許し合い助け合えるコミュニティができればと願いつつ、微力だが無力ではないと自らを励ましながら尽力して参りたいと思います。ありがとうございました。
【インタビュー】
公益社団法人日本フィランソロピー協会
理事長 髙橋陽子
 
(2021年3月22日)
機関誌『フィランソロピー』巻頭インタビュー2021年4月号 おわり