巻頭インタビュー

Date of Issue:2022.10.1
巻頭インタビュー/2022年10月号
日比野克彦さん
ひびの・かつひこ
 
1958年岐阜県生まれ。東京藝術大学美術学部デザイン科卒業。同大学院美術研究科修了。1982年第3回日本グラフィック展大賞、第1回デザイン賞(東京藝術大学卒業制作)を受賞。ベネチア・ビエンナーレをはじめ内外の美術展に作品を出展。1995年美術学部デザイン科助教授、2007年教授、2016年美術学部長を経て、2022年4月1日学長に就任。
アートは人間にとっての生きる力
東京藝術大学長
日比野 克彦 さん
2022年4月に東京藝術大学第11代学長に就任した日比野克彦さん。大学のYouTube 公式チャンネルでは、自ら藝大の魅力や多彩な取り組みを毎週発信し、まちづくりや福祉の分野にもアートのもつ力を注ぎこむ。その根っこにあるのは、「アートは人間にとっての生きる力である」という確信だ。社会課題の解決にもアートで貢献したいという日比野さんに、その真髄を聞いた。
縄文から連綿と続くアートの日本史
― 日比野さんは藝大在学中に段ボールを使った作品で注目されましたが、なぜ素材に段ボールを選んだのでしょうか。
日比野 アーティストは素材の持つ印象や特性を伝えようとしています。段ボールは日常的に親近感があるし、何かを包み込む、壊れないように衝撃を緩和させる、物を運ぶ、人から人、土地から土地へ届けるといった機能があります。段ボールと鉄では、素材から受ける印象が違う。「日比野の作品は優しいよね」と言われますが、見る人もそれを感じ取ってくれているということでしょう。
ただ、20代のころはそこまで深く素材を考えて選んでいたわけではないんですよ。自分がまだ何者かわからないから、いろいろな素材や造形を触って、その中で好きなもの、肌に合うもの、自分の性質に合って手が動くものが手元に残った。それが段ボールでした。
― 相性ですね。ところで英語では「アート」、日本語では「芸術」と言いますが、違いがあるのでしょうか。
日比野 「術」にはテクニック、あるいはハウツーという意味合いがあって、一人で研究しているというイメージがありますが、アートは表現したいというモチベーションが形になり、さらにそれが視覚化されて他者に伝わった時の状況、関係性です。
藝大の前身は明治20年の東京美術学校と東京音楽学校ですが、西洋を手本としてその技法を学び、それを日本に持ち帰って学校という場で教える、いわば「術」です。しかしアートにはもっと広がりがあります。美術で言えば、江戸時代には庶民的な浮世絵があり、着物の柄、襖絵、和菓子といった文化もあって、これらは皆アートです。もっとさかのぼれば縄文時代から、最先端のアニメーションや現代美術へ連綿と続くアートの流れは確かにあって、われわれ日本人にはその血が流れている。でも明治になって西洋文化が流入してきたことで、それまでのつながりがかすんでしまったのではないか。日本人よりもむしろ外国人のほうが、そのつながりが見えているようにも感じます。「アートの日本史」をきちんとつくるべきだと思っています。
― 一般庶民とアートの関係も切れてしまったように感じます。藝大にゲームコースが位置付けられたのはある意味でルネサンスですね。
日比野 藝大の大学院に映像研究科ができて15年ほど経ちますが、学生の就職先としてゲーム会社が非常に多かった。映像産業の一番の稼ぎ頭ですから、藝大としてそこをどう取り込んでいくかを検討し、2019年4月にゲームを中 心とした制作や研究を行う2年間のゲームコースを開設しました。ゲームは最先端のテクノロジーやデジタル化によって生まれましたが、その根本にあるアートの魅力を意識した上での学びの場にしなければなりません。
「福祉×アート」─福祉施設は新しい価値観と出会う場
― つながるという意味では、福祉×アート「DOOR」プロジェクトの取り組みも注目されています。
DOORプロジェクト
 
東京藝大で社会人と藝大生が一緒に学ぶ福祉と芸術
DOORプロジェクト
日比野 きっかけは、アール・ブリュットです。2014年から2015年にかけて京都府、広島県、福島県、高知県の4館の美術館による合同企画展「TURN(ひとがはじめからもっている力)―陸から海へ」(※) を監修する機会がありました。アール・ブリュットは、フランスでは正規の美術教育を受けていないという解釈で、イコール障がい者アートではありません。それまでも障がい者の描く芸術作品としてのアール・ブリュットはたくさん見ていましたが、ある時、色鉛筆で作品を描く作者の制作現場を見る機会がありました。僕らは絵を描くときにまず色を選びますよね。例えば椅子があったとしたら、同じような色の鉛筆を見て、選んで描く。でもその作者は、きれいなグラデーションで並んでいる36色の色鉛筆を、右から順番に使うんです。芯がなくなったら削って使って、いよいよ使えなくなったら、隣の別の色鉛筆を使う。絵を描こうというよりも、鉛筆を丸くするために紙にこすっていく。施設の職員によると、「鉛筆を削るときのガリガリという振動や木の匂い、芯の匂いが好きなようだ」というのですが、視覚ではなく、振動や嗅覚で色鉛筆を使っていて、ワンケースの色鉛筆がなくなるとカラフルな絵が出来上がる。
※合同企画展「TURN」:2014年11月8日から2015年9月23日にかけて開催された日本財団アール・ブリュット美術館合同企画展 https://artbrut-nf.info/joint/
― ある意味、日常の暮らしと制作がシームレスなんですね。プロセスもアートなのかもしれません。
日比野 教育というフレームに収まっていない人たちの制作過程を見たときに、自分がいかに教育というものに羽交い絞めされていたかということを知りましたし、美術館に行って違う価値観の作品に出会ったときと同じくらいの衝撃を受けました。
アーティストなら、福祉施設を“新しい価値観と出会う場”ととらえることができるのではないか。アーティストたちがもっと福祉施設で活動することによって、その魅力や近隣住民の理解を高め、地域における交流の橋渡し役を担えるのではないか。そこから「福祉×芸術」という視点が生まれ、その人材を育てるプログラムとして、藝大美術学部の中に「Diversity on the Arts Project(通称DOOR)」(※)をつく りました。また、障がいの有無、世代、性、国籍などの違いを超えた人々との出会いで表現を生み出すアートプロジェクト「TURN」(※)でもさまざまなプログラムを展開しています。
※DOOR:「 アート×福祉」をテーマに、「多様な人々が共生できる社会」を支える人材を育成するプロジェクト。https://door.geidai.ac.jp/
※TURN:東京2020オリンピック・パラリンピックの文化プログラムを先導する東京都のリーディングプロジェクトとして始動。東京藝術大学は海外展開を企画・実施している。https://www.turn.geidai.ac.jp/
違いがあるのが人間。自分らしさを認め合うのがアートの特性
― そこに気付かれたことが革新であり、アートそのものです。日比野さんは発想が自由ですね。
日比野 オリジナリティを出したい、人と違うものを作りたいと言いながら、同じ画材屋に行って画材を買えば、その時点で同じものになる確率は高くなる。だから視点を変える。僕は、人と違う素材で作品を作りたかったから、画材屋の横の廃材置き場から段ボールをもらってきたんです(笑)。でも、大学2年生ぐらいまでは、皆と同じように画材屋で画材を買っていましたよ。わら半紙に下書きをスケッチして、それが出来上がると一枚500円ぐらいの紙やボードに写し取って仕上げていく。皆大体そういうやり方で描くのですが、当時講師だった有元利夫先生(※)に「わら半紙で描いたほうが日比野らしいよ」って言われたんです。えーっ、わら半紙のほうがいいのか!(笑)
※有元利夫は岡山県生まれの画家(1946-1985)(藤掛正邦「マスメディアが進化した昭和後期におけるコンテンツ開発の研究『導入期Ⅰ』」)
― 自分らしい、自分が楽しいが原点ですね。
日比野 それに気づかせてくれたのは他者ですね。そのころは下書きしてから清書をするものだと思っていたし、テクニックを学びたい、上手になりたいという時期でした。でも自由に描いている線のほうがいいよと言ってくれる先生と出会った。
実はそういう経験は小学校の時にもあったんですよ。書道教室が盛んな時代でしたが、僕は習っていなかったから、字を書くと半紙が破れたりして、習字の時間は楽しくありませんでした。隣の席にとてもきれいな字を書く女の子がいたのですが、あるとき習字の先生がその女の子に「日比野みたいに書いてみなさい」って言ったんですよ。びっくりしましたが、それから習字の時間がすごく好きになりました(笑)。自由に書かせてくれたので、手が動くようになったんですね。後から知ったのですが、実はこの先生は現代書家の関谷義道(※)さんで、僕が作家活動を始めてからもいろいろなアドバイスをいただきました。
※関谷義道は岐阜県生まれの書家(1920-2006)https://www.pref.gifu.lg.jp/uploaded/attachment/209338.pdf
― いい出会いが、アートの魅力やアートの力につながったんですね。
日比野 人を通してアートと出会う、アートを通して人と出会う、その両方でしょうね。一人でコツコツやることも嫌いではないですが、人に伝える、他者と共有するとか、自分と他者をより意識しているところはあります。以前、僕の研究室で「自分と他人」という展覧会をやりましたが、根本にあるのはコミュニケーション、伝えることです。違いがあるのが人間で、一つの答えをみんなで探すのではなくて、自分らしさを互いに認め合うのがアートの特性だと思います。
アートがないと生きる力が弱くなる
― 共生社会とはまさにそういうことですよね。アートが人と関わることで、いろいろな関係性を紡ぐことができる。でも現実にはつながりが分断されて、孤立を感じる人が増えています。アートの力で心を動かすために、どうアプローチされますか。
日比野 スマホやネット、オンライン、在宅とか、動かなくても出会えるというコミュニケーション・ツールが出てきました。デジタル社会のリテラシーやその経験値は、実は大人よりも中学生のほうが持っているかもしれません。ただ頼る人、指導してくれる人がいないから、誰をリスペクトすればいいのかわからない。電子マネーで収入を得ることもできますから、まだまだ人間的に教育や指導が必要なときに、自分一人でも生きていけるような錯覚に陥って しまう。時間が経てば、デジタル社会の中での教育や、現実社会との両立について経験値が出てくると思いますが、いまは過渡期です。だからこそアートが必要なんです。
「アートは学問なのか?」と思うことがあります。進化しないんですよ、アートって。例えば科学や医学の分野では、有名な先生の研究室には先輩からずっと引き継ぐ研究テーマがあります。宇宙の起源についても、数千年を引き継いできて今の科学がある。でも藝大の研究室では、それぞれが自分の表現をするから、先輩の研究を後輩が引き継がない。芸術は、研究というよりは積み重ねです。
科学はタテに引き継ぐけれども、芸術は、時代時代にいろいろな表現者がいて縄文にまで行き着く。だからアルタミラの洞窟壁画を描いた人も延長線上にいるような感覚があって、それがアートの面白いところであり、アートたるゆえんです。表現したい、伝えたいという根本的な衝動を個人個人が追求し続けるアートの世界は、生きる上でのひとつの道しるべ、迷わないための灯台のようなものではないでしょうか。
― 根源的な問いかけですね。「DOOR」の取り組みと通じるものがあります。
日比野 アートの、もやもやとしたわからないところが好きなんですよ。科学はもやもやしたところをはっきりさせたい。でもその先にはまたわからないことが出てくるから、コンプリートはあり得ない。でもアートには、わからないものを引き受ける力がある。科学では許されないかも知れませんが、アートは許すんですよ。なぜ他者にわかってもらえないのだろう。でも「私は私」、70億人もいれば、そのうち自分をわかってくれる人と出会うだろうというよう な緩さがある。科学がないと進化しないけれども、アートがないと人として生きる力が弱くなるような気がします。
― 科学技術が行き過ぎた結果、負の遺産がたくさんある今の時代だからこそ、アートが必要ですね。わかってもらえないという気持ちもあるけれども、実は自分も他者を分かっていないということもあります。アートが触媒となって互 いに許し合える社会をつくる。
サッカーの持つ身体的リズム感はアートに近い
― 日比野さんは学生時代サッカー部だったそうですね。日本サッカー協会の社会貢献委員長もなさっておられます。サッカーとアートはどうつながるのでしょうか。
日比野 サッカーはスポーツの中で一番アートに近いと思っています。道具を使うスポーツでは正しいフォームを学びますが、例えばアフリカンダンスなどは、教わらなくても持って生まれたリズム感で踊る。サッカーは人間が一番器用に動かせる手を使ってはいけないというスポーツだから、身体的なリズム感が必要です。世界で一番競技人口の多いスポーツですが、南米、アフリカ、アジア、ヨーロッパと、ダンスのようにそれぞれに地域性がある。なぜあんなに盛り上がるかと言うと、自分たちの身体性のリズムに合っているから楽しいんですよ。
アートもスポーツも根源的なところでは同じだと思います。小学校に上がると国語、算数、理科、社会、英語があって、図工や音楽、体育も入ってきますが、幼稚園のときは、お絵描きやお遊戯で時間割もない。お絵描きは図工だし、お遊戯は音楽とスポーツみたいなものだから、学問に分化する以前の基本は、スポーツとアートとミュージックです。
アートの力をまちづくりに生かす
取手アートプロジェクト
取手アートプロジェクト TAP
― キャンパスがある茨城県取手市では、行政と一緒に「取手アートプロジェクト」(※)に取り組んでおられますが、アートによるまちづくりなども構想していらしたのでしょうか。
※取手アートプロジェクト:1999年より市民と茨城県取手(とりで)市、東京藝術大学が共同で行なっているアートプロジェクト。https://toride-ap.gr.jp/
日比野 藝大にはゼネコンや不動産会社など、いろいろところからまちづくりの相談が来ます。地域のブランディングを上げるうえでもアートが必要だということでしょう。施設の充実もありますが、どれだけ文化と接することができるかが、まちづくりの重要な視点になっていく。少し前は、有名な作家や建築家の作品があるといった表面的なことでしたが、最近はそのまちにアート活動をする人がいるか、活動できる場があるかとか、地域の文化を学ぶこと、旧住民たちとの交流なども含めてアート活動だという考え方になってきています。そこに、藝大の持つさまざまな知見を生かしたいというお話は最近多いですね。
― そのプロジェクトはどこで受けているのですか。先生方がプロジェクトにかかわるのでしょうか。
 
 SDGs×ARTs展 ― 十七の的の素には芸術がある。
日比野 いまは社会連携センターで受けていますが、先生方は基本的に教育の現場があって忙しいので、こうした外部からの仕事を受け入れてそれを回せる研究所のような組織を整備したいと思っています。受けるだけではなくて、藝大のビジョンやスキル、ノウハウも含め、営業もできるようにしたい。芸術をより社会に出していくときに、藝大だけのマンパワーと事務能力だけでは到底できないので、外部の専門家ともつなげられるようにしたいと思っています。
― 社会課題の解決やSDGsの達成に向けて、大学をあげてアートの力を最大限に活用しようと、さまざまなプロジェクトに取り組んでおられます。
日比野 社会的な課題は人間が起こすもので、それは繰り返される。人間らしいと言えばそうだし、業のようなものでしょう。人と人とのかかわりや心の関係性は、まさにアートにとってのフィールドで、つまり芸術が生まれるのはそこなんです。アートで心が動くし、心というものを苗床にしてアートが生まれる。だからこそ、アートが関係することによって、社会的課題の解決の方向に、違う視点を入れることができるのではないかと思っています。
― 日比野さんの手腕で、藝大で学ぶ学生たちが日本のアートをさらに自由に発展させ、かつ、アートと社会の触媒になることを大いに期待しています。ありがとうございました
【インタビュアー】
公益社団法人日本フィランソロピー協会
理事長 髙橋陽子
 
(2022年8月30日 東京藝術大学にて)
機関誌『フィランソロピー』巻頭インタビュー/2022年10月号 おわり