巻頭インタビュー

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Date of Issue:2023.6.1
巻頭インタビューⅡ/2023年6月号
中川 悠さん
なかがわ・はるか
 
1978年兵庫県伊丹市生まれ。近畿大学商経学部経営学科、大阪市立大学創造都市研究科・都市経済学科卒業。2007年株式会社GIVE & GIFT、2012年NPO法人チュラキューブを設立。2016年「オフィス街のランチ×障がい者就労」テーマにした就労継続支援B型事業所「GIVE & GIFT」、2019年「高齢者団地の孤食×障がい者雇用」を解決する地域食堂プロジェクト「杉本町みんな食堂」で、グッドデザイン賞を2度受賞。近畿大学、関西大学にて非常勤講師を務めるなど教育分野でも精力的に活動を行っている。
「みんな食堂」で生まれる優しい地域の助け合い
特定非営利活動法人チュラキューブ 代表理事
中川 悠 さん
2018年8月、大阪市住吉区の高齢化が進む団地の一角にオープンした「杉本町みんな食堂」。週3日の営業だが、高齢者、親子、大学生など、さまざまな世代の多様な人々がその日を楽しみにしている。調理と接客を担当するのは、障がい者とサポートするNPOのスタッフ。お客は応援団であり、食堂は地域住民の交流の場でもある。
運営するのは中川悠さんが代表を務めるNPO法人チュラキューブ。障がい者福祉を核にさまざまなソーシャルビジネスを創出する中川さんに、活動の理念を聞いた。
精神障がいと身体障がいをつぶさに見て育った
― 中川さんは「障がいのある人」と「企業の障がい者雇用」を結びつける事業を手掛けておられますが、もともと福祉に関心があったのですか。
中川悠さん
中川 母方の祖父は、1953年に大阪府豊中市で「さわ病院」という精神科の医院を開設しました。その後叔父が引き継ぎ、いまは従兄が継いでいます。居宅介護や訪問介護のほかに、就労継続支援B型事業所や、就労移行支援事業も行なっています。幼い頃から、祖父に会うため、病院にたびたび足を運んでいたんです。そして、父は工学部出身の義足の研究員でしたので、自宅に義足が並んでいるという環境でした。
精神障がいと身体障がいの世界をつぶさに見て育ったのですが、大学を卒業して講談社の情報誌の編集者になりました。
その後、障がい者問題、高齢化など地域の課題や社会の困りごとを解決したいと思い、2007年、29歳のときに 株式会社 GIVE&GIFT を立ち上げました。でも株式会社でソーシャルビジネスをやりたいと言うと、「お金儲けでしょ」と言われてなかなか理解されませんでした。東日本大震災の翌年の2012年に NPO法人チュラキューブ を立ち上げて、被災地支援にも足を運んだのですが、今度は「お金いらないでしょ」と言われました(笑)。
現在 GIVE&GIFT では、障がいのある人と企業の障がい者雇用を結びつける「ユニリク(ユニバーサル・リクルーティング)」事業、企業とともにソーシャルアクションをテーマにしたフォーラムを開催したり、都市部の農業・漁業を応援する事業などを手掛けています。チュラキューブでは、「未来を伝える活動」、「ともに創る活動」として、ジャンルを超えた「ソーシャルビジネスの掛け算」をプロデュースしています。
持ち前の編集能力でソーシャルビジネスを掛け算
― なるほど。いろいろなことを掛け合わせて事業を創出する、まさに敏腕編集者ですね。具体的にはどんな掛け合わせがあるのでしょうか。
中川 編集者時代に企画もいろいろと勉強しましたから、編集能力はあるのかもしれません。具体的には「農業×イタリア野菜」「農業×高齢者福祉施設」「伝統工芸×障がい者福祉」「スーパーマーケット×こども食堂×障がい者福祉」「高齢者団地×障がい者福祉×孤食支援食堂」などです。
― 発想がユニークです。ひとつのテーマで完結するのではなく、ネットワークも広がりますね。
中川 毎日新聞から依頼を受けて、月に一度、関西各地で芽生えている市民の新しい活動を紹介する「あしたに、ちゃれんじ」という連載を担当しています。魅力的な方々の出会いがあり、いろいろなヒントをいただいています。奈 良県生駒市役所では、都市魅力創生部専門官として活動させていただき、近畿大学や関西大学で授業も担当しています。
障がい者の社会復帰を支援する
― 障がい者雇用に取り組むきっかけは?
中川 さわ病院では、精神障がい者の社会復帰を支援するためにパン工場を運営していたのですが、株式会社を立ち上げた時に、叔父から「売れずに無駄にしているパンを売れるようにできないか」と相談されました。当時ロールケーキがブームで、北海道から冷凍で送られてきたケーキを24時間冷蔵すると美味しくなるということを知って、商品をつくって冷凍でストックしておいて、注文があったら提供すればロスが減ると考え、製造工程を変えました。学生がインターンで手伝いにきたり、パッケージはリーマンショックの影響で経済的に苦しんでいるクリエーターにお願いしたり、ロールケーキ1本をつくるにもさまざまなアイデアを盛り込んでみたんです。
当時はこうした授産商品はめずらしくて、国や自治体も取材に来られて、多くのメディアに取り上げてもらいました。
その後は電子書籍のスキャニング事業や、東京都府中市でお墓参りの代行事業などもやりました。代行料として1回当たり9,000円をいただくのですが、お花代とろうそくや線香代で約3,000円ほど。障がい者と随行者の交通費は国から支給されますので、残りの6,000円ほどは障がい者施設がいただける。
― 中川さんたちはボランティアということですか?
中川 そうです。私たちはお金儲けではなく、社会実験をしたかった。だから、自分たちで助成金を獲得して、ビジネスモデルは福祉施設に託して伴走するという方法を選びました。
さらに、2014年には、大阪・淀屋橋で障がい者福祉施設「GIVE&GIFT カフェ」をオープンしました。1階がカフェ、2階に厨房、3階に作業所です。
都心部のビジネスマンは、おしゃれで、安くて美味しいランチが食べられれば、障がい者が働いていても気にしません。工賃を上げることを目標にしていましたが、評判がよくて、当時全国平均の工賃は月1万5,000円ほどでしたが、月3万円を支払える状態になりました。障がい者年金はだいたい月7万円ほどですから、3万円のお給料が出れば10万円になり、親御さんから自立することもできます。残念ながら、2018年の大阪北部地震の影響で閉店してしまいましたが、多くの気づきがありました。
障がい者が伝統工芸を守る─伝福連携
― でも、それがさまざまな事業のヒントになった。「伝統工芸×障がい者福祉」ではどのような取り組みをされているのでしょうか。伝統工芸は細かな作業が多いですし、こだわりが必要ですから、こだわりの強い障がい者に向いているのではないかと思います。
中川 京都市から、伝統工芸の跡継ぎがいないという話を聞きました。京都には74品目あるのですが、その多くが後継者不足という悩みを抱えています。最初にかかわったのは、明治20年創業の和・京ろうそくの老舗、有限会社「中村ローソク」さんです。石油ローソクが主流になったこともあり、和ローソクの需要が少なくなって、産業自体が低迷していた。加えて後継者不足です。そこから、製造工程を見直して、障がい者を絵付け職人として育てようという「伝福連 携」の取り組みが始まりました。デザイナーに協力してもらい、障がいのある人が下絵の練習ができるように、伝統的な絵柄を塗り絵にしたのですが、それをレーザープリンターでプリントして、ネイルの除光液を乗せると色が沈着することをうちのスタッフが発見したんです。ついに、ローソク本体に立体的な絵付けを練習する状態ができました。職人が作り上げてきた工程に異なる視点を加えることで、障がいのある人がその技術に取り組めるようになることがわかりました。
京鹿の子絞り」の株式会社種田さんでも障がい者を採用していただきました。手先が器用で、集中力が高いという特性がある人には向いている仕事で、高い技術を習得できるのです。
「高齢者団地×障がい者福祉×孤食支援食堂」
 
栄養満点の日替わりメニューは400円
― こうしたさまざまな経験の積み重ねから、生まれたのが「みんな食堂」ですね。
中川 子ども食堂をやっている人たちから資金不足などでスクラップしてしまうケースが多いという話も聞いていたので、持続可能な運営にするためにはどうすればいいか。福祉には、児童・高齢・障がいがありますが、労働に関するのは障がい者福祉だけなので、私たちが得意とする障がい者福祉の領域で、企業と連携した仕組みがつくれないだろうかと考えていました。ちょうど2018年ごろに企業から「障がい者を雇いたいけれども、どのような仕事をしてもらえばいいのかわからない」という相談を受けたこともあり、障がい者と企業の障がい者雇用を結びつける就労支援事業をスタートさせました。
ここ杉本町(大阪市住吉区)の団地は高齢者が多く、近所には一人暮らしの大学生もいますが、どうしても孤食になってしまう。団地の空き室を使って、いろいろな人が集える場をつくろうと思い、食堂をオープンしました。調理や清掃を担当するスタッフは、企業に雇用された障がいのある社員たちで、在籍出向として食堂に勤務しています。発達障害、双極性障害、うつ病を抱えるスタッフもいますが、一人暮らしをしている人も、グループホームで生活している人もいる。生きる力を養うためにも、こうした食堂で、地域のいろいろな人と触れ合えるのはいいことだと思っています。シニアのお客様も多いので、のんびりと優しくて、少々お茶をこぼしても平気ですし、中には「洗い物を手伝おうか」と言ってくださる方もいる。子ども食堂より穏やかな気がします。
 
「杉本町みんな食堂」で作業する障がい者
― 団地の一室なので、ご自分の家の作りと同じで、食堂というよりご近所のお宅にきたという感じもあるのでしょうね。ただ、精神障がいの方の場合、気持ちのコントロールも難しいですよね。

 
隣接する空き室を利用してオープンした「杉本町みんなカフェ~にばんめのリビング」には「まちライブラリー」のコーナーも
中川 その通りです。毎朝メールできょうの気分や不安感を入力してもらっています。自己肯定感を持ってもらうという意味もありますが、溜め込んであるとき突然「辞めます!」となるのを防ごうということです。調子が悪そうだったらすぐに面談したり、施設とも連携して対応していますので、3年間やってきて離職者はゼロです。
― 核は障がい者だと思いますが、中川さんの一番の関心事はなんでしょうか。
中川 日本経済・産業の縮小と、障がい者雇用の掛け算の可能性です。農業や漁業、伝統産業の衰退は悲しいことです。長年やってきて感じるのは、生き残ろうとしているところは、良質な覚悟があり、切迫感を持っていて変わろうとしているということです。京都で伝福連携をやったとき、さまざまな企業に福祉連携の打診をしましたが、「うちはまだだいじょうぶなので障がい者は要りません」と言われました。
生き残るために障がい者は非常にいいプレイヤーになるのではないかと思っていますが、問題は障がい者への理解があるかどうかです。その一方で、障がい者がいかに将来を考えながら働ける環境を確保できるかどうかも、重要な課題だと思います。
人口減少社会の中で、今後、国内の産業のみならず、子ども食堂などの社会支援の場までも、継続が難しくなってくると思われます。だからこそ、障がいのあるなしにかかわらず、みんなで知恵を出し合いながら乗り越えていかなければなりません。「社会の無関心を関心に~ソーシャルビジネスで、個人の意識、社会の意識をプラスに変える!」をテーマに、企業や地域と障がい者を結びつけ、多様な就労支援のモデルを提案し、未来がハッピーになる活動に取り組んでいきたいですね。
― これからまだまだ掛け算ビジネスが生まれそうですね。私もあちこちの困りごとを持ち込みます! 今後が楽しみです。ありがとうございました。
【インタビュアー】
公益社団法人日本フィランソロピー協会
理事長 髙橋陽子
 
(2023年4月21日 「杉本町みんな食堂」にて)
機関誌『フィランソロピー』巻頭インタビューⅡ/2023年6月号 おわり