巻頭インタビュー

Date of Issue:2024.4.1
巻頭インタビュー/2024年4月号
土井香苗さん
どい・かなえ
1975年神奈川県生まれ。大学在学中に司法試験に合格後、アフリカのエリトリア国法務省で法律作りのボランティアを行ない、1998年東京大学法学部卒業。2000年司法研修所修了。2000年から2016年まで弁護士(日本)。難民の法的支援や難民認定法改正にも関わる。2006年米国ニューヨーク大学ロースクール修士課程を修了し、2007年よりニューヨーク州弁護士。2008年より現職。
日本に「人権省」の設立を!
ヒューマン・ライツ・ウォッチ 日本代表
土井 香苗さん
武力紛争、難民流出、人種差別、ジェンダー差別等に加え、企業活動による人権侵害も枚挙にいとまがない現代社会。日本では特に人権意識が希薄とされ、法制度や専門機関の整備など、諸外国から大きく水を開けられている。人権尊重の実現に向けて、確固とした提言を行なってきた国際NGOヒューマン・ライツ・ウォッチ。日本代表を務める土井香苗さんに、日本政府の人権への取り組みや、日本企業に求める役割について、当協会理事で京都橘大学客員教授の河野通和が聞いた。
人権意識が希薄な日本
河野通和
 
【インタビュアー】河野通和
― 以前新潮社で『考える人』という季刊誌を編集していたのですが、この雑誌は「ユニクロ」を展開する株式会社ファーストリテイリングの単独スポンサーでした。「ユニクロ」がバングラデシュに事務所や工場を建設するなど、どんどんグローバル化していく姿も、それゆえに新たな課題に直面する様子も垣間見ていました。その後「ユニクロ」が2021年、商品に中国の新疆ウイグル自治区の綿花を使っているのではないかと、アメリカが輸入を差し止めたり、フランスの検察当局が調査に乗り出すなどの報道で、改めて「ビジネスと人権」について考えさせられることもありました。
2023年夏、国連人権理事会の「ビジネスと人権」作業部会のメンバーが初めて来日しました。メディアの取り上げ方は、ジャニーズ事務所を巡る性加害問題に偏っていた印象がありますが、作業部会は日本政府や自治体、企業や労働組合にもヒアリングしながら、実態をリサーチしています。2024年6月にも理事会に最終報告書が提出されるようですが、日本国内の世論はいまひとつ沸き立たないという印象があります。ウィシュマ・サンダマリさんの問題もしかりですが、日本人の人権意識が希薄なのか、物事がなかなか動かない。土井さんは長年人権保護に取り組んで来られて、現状をどのように感じていらっしゃいますか。
土井 おっしゃるとおりで、日本全体で見ると人権意識が希薄だと思います。まず、国家として人権を柱と掲げる欧米諸国なども多い一方、日本政府は、人権を柱に据えていません。そして、社会状況。人種差別が根深い多民族国家、例えばアメリカのような国では、大きな議論にならざるを得ません。一方日本は、人種的・宗教的マイノリティの数も少なく、人種差別や宗教対立が深刻な問題ととらえられていません。
しかし、企業がグローバル化することで世界中の人権問題に対応せざるを得なくなっていますし、ジェンダーギャップ指数で日本の順位が低迷・低下したり、諸外国から後れを取っていることは事実です。意識を変える、制度を変えざるを得ない局面に来ているのではないかと思います。
人権保護の義務は国家にある
― 意識や制度を変えるためには、何が必要なのでしょうか。
土井 人権とは、人であればだれでも、尊ばれ、まもられる権利です。英語では「hold ~ accountable」とよく言いますね。つまり、被害者には、加害者に責任を取らせる権利があります。日本では「accountability」を説明責任と訳すことが多いですが、人権の文脈で使う場合は、「責任追及」、特に法的責任の追及という意味です。社会で人権が尊重されることを保障する責任は、最終的には国家にあります。不平等· 差別が起きているならば、平等にするために制度もつくらなければならない。政府は個人に対して義務を負っているわけです。
― 諸外国は「人権」について、どのように制度化しているのでしょうか。
土井 「人権」について源流をたどるとフランス革命などまでさかのぼるわけですが、しっかり制度化されたのは、第二次世界大戦のユダヤ人の大量虐殺が契機です。「世界人権宣言」が国連で採択されたのは1948年で、世界の共通基準である人権の基本文書です。その後、さまざまな国際条約もできました。さらにこの「国際人権」の履行を確保する制度も世界中にできてきました。例えばヨーロッパ人権裁判所など、アジアを除く地域ごとに人権裁判所があります。また、多くの国家が、「国家人権委員会」「コミッショナー」などの政府から独立した人権機関を自国内に設立しました。残念ながらアジアには、地域人権裁判所はありません。また、国内人権機関についても、日本政府は設立していません。
─ 普通の裁判所とは別に人権裁判所があるのですか。
土井 一国の中では、最高裁判所が最後です。しかし、最高裁判所で救済されなければそれで終わりという日本とは異なり、地域の人権裁判所に訴え出ることができます。例えば欧州各国では、人権侵害が最高裁で救済されなければ、改めてフランスにある欧州人権裁判所に訴えることができます。訴えられた政府が敗訴することも少なくありません。
─ 日本とは大きな違いですね。
土井 社会で人権が尊重されることを保障する責任は、最終的には国家にありますが、そのことが日本ではほとんど理解されていません。「お隣さんがうるさい。私の人権が侵されている」という文脈で使ったり、法務省が時々「思いやりをもとう」といったような人権啓発キャンペーンをやっていますが、漠然とした考え方のようにとらえられていると感じます。もちろん、“人に優しく”とか“他人を傷つけない”などは通底するものではありますが、やはり人権は一人ひとりが持つ法で守られた権利であり、人権を守るのは政府の義務で、しかも世界の基準であるという理解が必須です。
しかし、うがった見方かもしれませんが、政府にとってみれば自分たちの手足を縛るものでもあるので、国民にできるだけ知らせないほうがいいから、その本質を教育でも知らせてこなかったのでは。
─ やはり公教育できちんと教えるべきですね。
土井 日本には、「人権省」のような立ち位置の国家の人権機関がないことも一因でしょう。その結果、人権に関するプロフェッショナルも少ないです。学校教育の現場や企業の職場で起こる多くの問題の根っこにあるのは「人権」です。社会全体が人権を中心に置くようになれば、解はおのずと見えてくる。例えば、子どもの人権。もちろん、それですぐに自殺や不登校がゼロになるわけではありませんが、かなり改善するはずです。
「人権」は、第二次世界大戦後、世界の中心課題になりました。世界中のエキスパートが知恵を出し合って条約をつくっており、科学的な知見にものっとっています。日本も、人権を国家の柱に据えるべきだと思います。国連の三本柱は、「平和・安全」「経済開発」「人権」です。
なぜ、日本に人権機関ができないのか
─ 人権を国家の柱に据える。そのためにも人権機関は必要ですね。
土井 中央官庁に人権政策をつかさどる役所があるかどうかは非常に重要です。いまサステナビリティの二本柱は、環境と人権です。日本の環境政策を担っているのは環境省で、いろいろ批判されることもありますが、でも環境省がなかったら、大変なことになっていたでしょう。だから、「人権省」のような立ち位置の独立した役所ができて、人権にまつわる法律が整備されていれば、もっと違っていたはずです。
─ ではなぜできなかったのか。これからできる可能性はあるのでしょうか。
土井 諸外国で多くの人権機関ができたのは20~30年ほど前です。第二次世界大戦の反省の上に立って、国連が人種差別、女性差別の禁止、拷問の禁止、子どもの権利などのルール(条約)をつくりました。次に、つくったルールをどうやって実現するのかという執行のフェーズになり、各国で人権機関を設置したのです。国家人権委員会、コミッショナー、オンブズパーソンなど名称はさまざまです。
日本でも20年ほど前に法務省が人権擁護法案をつくり、人権擁護委員会という組織をつくろうとしましたが、結局できませんでした。さまざまな理由がありますが、主な理由は一部の国会議員が強硬に反対したからです。その後もずっとできないのは、同じ理由です。
─ LGBTQや夫婦別姓の問題についても、抵抗している議員がいますね。
土井 ジェンダー問題も人権ですから。また当時は、北朝鮮の拉致問題がクローズアップされた時期でもあって、在日韓国人・在日朝鮮人に対する差別問題も、人権擁護法案反対の背景にありました。
─ いろいろな人たちが権利意識に目覚めて、何かを請求してきたときに、賠償していかなければならないから、コストもかかりますよね。
土井 政府から見れば、人びとが人権意識をもって、政府に責任を問うようになると都合が悪い。だから静かにしていてもらおうと考えているのかもしれません。でもそれはどこの国でも同じでしょう。日本は政権交代がないから、与党議員には、与党・政府に都合の悪いものを導入するインセンティブがないのだとも思います。
─ 健全な民主主義社会は、面倒なことを言う人やうるさい人もすべて相手にしなければならない。それを見据えてコストをかけるより、相応にお金を分配するから、静かにして任せておきなさいと言って社会構造には手を付けない。こうしたメンタリティーだから、人権機関もできなかったのでしょうね。
諸外国と足並みをそろえるために─企業がなすべきこと
─ 日本は時代の変化や環境の移り変わりに対応するのではなく、場当たり的にやっているだけで、制度面での整備ができていない。
土井 制度を整えたほうが結局は効率がいいと思います。対応が遅れると大変です。特に独裁国家で不満が溜まって爆発したときには大変なことになる。日本のように、問題が起きた時に一々対応したほうが結局はコストもかからない。これをさらに場当たりではなく制度的に解決するとより効率がいいのですが。例えば中国などの一党独裁では、政府のアカウンタビリティを市民が問うことはできません。不満はあっても、自由で民主的な選挙もないし、司法も独立していないので、草の根から解決する方法がない。
でもビジネスと人権に関しては、日本企業は、この環境の中ではある程度がんばっているのではないかとも思います。欧米では日本よりも法制度も整備されています。一方、日本は「人権」に対する意識も制度化も遅れている。日本企業は国や制度を頼っていられないから、自分たちでどうにかしようと手探りでがんばるしかありません。
─ 企業の意識改革で、その遅れを取り戻すことができるでしょうか。
土井 LGBTQの人権を守ろうと10年近く活動してきましたが、2023年にようやくLGBT法案が可決しました。その理由のひとつは企業の支援です。特に大企業が欧米諸国に足並みをそろえようと、率先して支援してくれました。あの動きがなければ法案は通らなかったのではとさえ思います。企業が企業市民的な動きをすることで、日本の国会の閉塞を打ち破ることができると示しました。
─ やはり声を上げていくことは大切ですね。企業でも若い社員は人権意識を持っている人は少なくないと思います。
土井 人間の心を変えるのは難しいですよね。私は制度論者なのですが、なぜ制度が素晴らしいかと言うと、制度が直接人の心を変えるわけではありませんが、制度が変わればルールも変わる。例えばハラスメントにしても昔は当たり前だったことが、ルールが変われば事件になり、これはひどいことだとニュースになる。そういう情報に日々触れることで、だんだんと人の考えも変わってくる。言い方を変えれば、最終的には人の心が変わることが重要なんです。だからこそ人権を守るための社会的枠組みが必要です。
─ 水路にきちんと水が流れるように、社会構造を変えていくことも必要ですね。漢方薬のように優しく穏やかな薬もいいけれども、特効薬も必要でしょう。効き目のある薬は劇薬の場合もありますが、緊急に入れなければならない薬はなんでしょうか。
土井 国の制度を変えるのは大変ですが、ビジネスは、国が法律をつくらなくても、企業独自で動いていけます。国の動きが遅い分、私は企業に期待しています。
2011年に国連で「ビジネスと人権に関する指導原則」というガイドラインが作られました。人権保護は国家の義務ですが、企業も人権を尊重して行動する責任があるとされました。サプライチェーンやバリューチェーンもきちんと見て、人権侵害が起きていないかチェックして、もし起きていれば自ら正さなければならない。これが人権デューデリジェンスです。枠組みが導入されたのは10年ほど前ですが、ヨーロッパではすでに法整備されています。日本でもようやく皆さんが知る言葉になりつつあります。
遅くはなりましたが日本でも、2022年に経済産業省が「サプライチェーンにおける人権尊重のためのガイドライン案」をつくりましたから、少なくとも大企業はやらなければならないという流れになっています。
人権の専門家、専門機関の必要性
─ まずは企業が声を上げることが必要ですね。
土井 大きな枠組みで言うと、「人権省」的立ち位置の国家の人権機関の設立に向けて、ビジネス界が声を上げてくれれば、それも進むのではないかと期待しています。
例えば、現状では、人権侵害に関する情報が日本語でまとまっていませんから、サプライチェーンにおける人権デューデリジェンスにしても、世界でどのような人権侵害が起きているかわからないし、一企業がその実態を把握するのは難しい。また、この10年で諸外国から制度的にもどんどん水をあけられていますから、欧米に関連する企業は、欧米の法律を守るために、自力で外国の制度を勉強しなければならない状況です。日本でも、人権機関が設立され、そこの専門家がきちんと法制度をつくり、情報も収集・公開し、それに合致していれば世界中どこを相手にビジネスをしてもだいじょうぶだという状況ができればビジネス界にも利益があると思います。そういうパラダイムシフトを期待します。
─ そのためにも、専門機関と専門人材は必要です。予算をもって、政策提案もきちんとやってほしいですね。
土井 2022年に設立された一般社団法人ビジネスと人権対話救済機構(JaCER)の取り組みなどにも期待しています。企業が共通で使えるような苦情処理や対話救済のプラットフォームを立ち上げました。対象は大企業だと思いますが、まずは意識が高い大手が始めて、それが広がっていけば、いずれ日本政府が法制度をつくる下地になるかもしれません。私の希望としては、ビジネスだけではなく、子ども、女性、外国人などすべての人の人権を包括したような人権機関、法制度、そしてビジョンを期待したいです。
─ 2024年6月の国連のビジネスと人権作業部会の報告書についてはいかがですか? 影響力を持ちそうでしょうか。
土井 勧告ですから、法的拘束力はありませんが、日本政府も企業も完全に無視することはできないでしょう。基本的には企業に対する勧告ですから、日本のビジネス界がどれだけきちんと向き合うかですね。日本政府に関する勧告もあると思います。メディアもどれだけ報道してくれるか、期待したいです。
─ メディアもだいぶ変わってきています。新聞の影響力が落ちているので、そこはつらいところですが、きちんと報道して世論を醸成していくことが必要ですね。
【インタビュアー】
公益社団法人日本フィランソロピー協会
理事 河野通和
 
(2024年3月8日 公益社団法人日本フィランソロピー協会にて)
ヒューマン・ライツ・ウォッチ(HRW)
世界各地で起きている人権侵害を調査・公表し、人権の尊重の実現に向けて、政府や企業、国際機関に対して、確固とした提言を行なう国際人権NGO。1978年設立。難民、子どもたち、戦時下にある人々、社会的なマイノリティなど、最も危険にさらされている人々の人権を守るために活動している。独立性を確保するため、いかなる政府からも資金援助を受けない。
https://www.hrw.org/ja
機関誌『フィランソロピー』巻頭インタビュー2024年4月号 おわり

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