巻頭対談
2025年6月号
前号・次号
Date of Issue:2025.6.1
2025年6月号
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巻頭対談/2025年6月号
雄谷 良成さん
おおや・りょうせい
 
1961年石川県金沢市生まれ。日蓮宗普香山蓮昌寺・行善寺住職。金沢大学卒業後、特別支援学校に教員として勤務。青年海外協力隊としてドミニカ共和国で障害福祉指導者の育成に従事。帰国後、北國新聞社に入社し6年間勤務。1994年実家の佛子園に戻り、事業を展開。
ごちゃまぜ福祉が生み出す地域のシナジー効果
副題
社会福祉法人佛子園理事長、公益社団法人青年海外協力協会会長
雄谷 良成 さん
社会福祉法人全国社会福祉協議会会長、公益社団法人日本フィランソロピー協会理事
村木 厚子 さん
障がいの有無や年齢に関係なく、多様な人たちがごちゃまぜで交流することで、誰もが役割を持ち元気になり、街が活気づく。福祉の垣根を超え、縦横無尽に地域のにぎわいネットワークを広げ、人と人とのつながりを生み出している佛子園。理事長の雄谷良成さんと地域共生社会の実現に奔走する村木厚子さんが、ごちゃまぜ福祉の活力と魅力を語り合う。
 
障がい者と共に育つ ごちゃまぜ福祉の原点
村木厚子さん
むらき・あつこ
 
1955年高知県生まれ。土佐高校、高知大学卒業。1978年労働省(現厚生労働省)入省。女性政策、障害者政策、子ども政策などに携わる。2013年から2015年まで厚生労働事務次官。退官後は、累犯障害者を支援する「共生社会を創る愛の基金」や、生きづらさを抱える若年女性を支援する「若草プロジェクト」の活動にも携わっている。2023年より現職。
村木 佛子園は地域全体を「ごちゃまぜ」にして、誰もが安心できる居心地のよい地域づくりを進めておられます。雄谷さんは幼い頃から障がい者と一緒に生活していたそうですが、そうした経験が原点にあるのでしょうか。
雄谷 佛子園は、住職をしていた私の祖父・雄谷本英が1960年に石川県白山市の行善寺の敷地に創設した、知的障がい者の入所施設からスタートしました。祖父や両親が施設で働いていて忙しかったので、障がい者と一緒に育ちました。金沢大学に進学して、卒業後は特別支援学校の教員や、障がい者教育の指導者を育成するために青年海外協力隊の一員としてドミニカ共和国で活動しました。そして、帰国して地元の新聞社に勤めました。
その後1994年に実家に戻りますが、きっかけになったのは障がい者を取り巻く環境のひどさを知ったからです。家族のように一緒に育った彼らを助けたいと、障がい者福祉について真剣に取り組むことを決めました。
廃寺をコミュニティセンターに
雄谷 佛子園はさまざまな施設を開設してきましたが、ある時、小松市野田町にある西圓寺と関わることになりました。他宗派の寺院で何の関係もなかったのですが、住民から「廃寺になるのをなんとかしてほしい」と言われたんです。荒れ地にならないように佛子園の利用者たちと定期的に清掃していたのですが、檀家や地域の方々の熱心な要望もあって、土地と建物を譲り受けて、寺ではなく佛子園の施設として活用することにしました。
2008年にコミュニティセンター(以降コミセン)「三草二木 西圓寺(さんそうにもく さいえんじ)」としてオープンしたのですが、障がい者の就労継続支援や生活介護、高齢者デイサービス、放課後デイサービス、児童発達支援など多機能施設で、誰もが利用できる天然温泉やカフェも備えています。私たちが廃寺を引き受けた当時の野田町地区は55世帯でしたが、若い世代がUターンして、いまは76世帯にまで増えました。
福祉、温泉、飲食店、保育園、スポーツ施設も備える多機能施設「B's行善寺」
村木 人口減少について各自治体が議論していますが、仕事があるかどうかは大きな課題です。野田町地区で人口が増えているのは、佛子園が仕事を用意していることもあるし、地域として魅力があるからでしょう。
雄谷 コミセンができたときに通っていた小学生が、お母さんになって子どもを連れてきました。結婚して金沢に住む予定だったそうですが、野田町で家を建てたんです。その理由は、「入湯札」をひっくり返したかったから(笑)。大人が「〇〇家」という札を返すところを見て自分もやったし、自分の子どもにもやらせたいと言うんです。廃寺がコミセンに生まれ変わって、多くの人の居場所、セーフティーネットになりました。餅つき、駅伝、コンサートなど、地元の人たちが勝手にいろいろなイベントをやっていますし、こうした関係性の中で子どもたちも育っていますから、居心地がいいのでしょう。
村木 ごちゃまぜの形が非常におもしろいですね。私は、福祉の世界でよく使われている「利用者様」という言葉が嫌いなんです。地域の中で同じ課題で困っている人はたくさんいるのに、「利用者様」と言ったとたんに、そこにしか目が向かなくなります。
地域の雇用を支えるエネルギーは福祉
雄谷 地域の雇用を支えている一番のエネルギーは福祉だと思います。先日、全国社会福祉法人経営者協議会が製作したドキュメンタリー映像「A DAY in FUKUSHI」が公開になりましたが、そこで佛子園の職員2人が取り上げられています。
介護福祉士の谷内勝次さんは、輪島KABULETで高齢者デイサービスを担当しています。能登半島地震当日は自宅で被災し、家は無事だったものの、9月の豪雨災害で全壊してしまった。途方に暮れていたときに電話をくれたのが、佛子園で働いていた親友で、一緒に仕事をしないかと誘われたそうです。KABULETも豪雨で被災しましたが、職員も高齢者もみんなが笑顔だということに衝撃を受け、ここで働こうと決意したそうです。
介護福祉士でケアマネージャーの細川貴子さんは、特別養護老人ホームに勤務していましたが、地震で道路が寸断され、入居していた100名近い高齢者は県内の別の施設に避難したものの、水道も電気も復旧せず、施設は修復不可能になってしまった。細川さんは施設から離れて、公益社団法人青年海外協力協会(JOCA)で仮設住宅での被災者の見守りを続けていますが、今後は能登町にオープンするコミセンの運営に関わっていただく予定です。
輪島KABULETカブーレ
村木 佛子園が運営している福祉の拠点では利用者も働いていて、地域の人たちもたくさん来ているから、利用者というカテゴリーは見えなくなる。しかも、福祉施設なのに、居酒屋を営業したり、ビールをつくったり、資金獲得のエンジンも持っておられる。ごちゃまぜもここまでやるとは(笑)。
雄谷 私自身が、佛子園とJOCAの両方の代表をやっているので、ワンチームでできるのであれば、福祉でも災害支援でもどちらでもいいんです。それに日常で声がけができるのは福祉に携わる人たちだけではありません。仕事が終わってから、温泉や食事に行けば、また地域の人と出会うわけで、シームレスなんですよ。
地域住民が共に考え、参加する
2025年4月20日にオープンしたコミュニティセンター「コミセンマリンタウンBASE」
村木 早稲田大学の菊池馨実さんは、「地域において多様な主体が出会い・学び合うプラットフォーム」をいかにして創り出すかの必要性を述べておられます。地域の課題解決を目指した地域づくりと人・くらしを中心に据えたまちづくりが交わるところが、出会い・学びのプラットフォームになる。福祉の人間は個別支援だけになってしまうけれども、興味や関心から始まるまちづくりも必要で、そこにエネルギーがある。雄谷さんは、意識してごちゃまぜを設計されているのでしょうか。
雄谷 そもそも人がいるところに消費が生まれるわけで、お寺や神社に参拝に行って人が集まると、宿泊や飲食をする場が必要になる。高齢者が集まるデイサービスに生活介護や学童のシステムも入れ込めば、必然として関係する人たちが集まります。地域の皆さんが喜んで利用できる場にしたいと思っています。
村木 まさに出会いと学びのプラットフォームですね。福祉に限定してしまうと利用者しか来なくなる。
雄谷 福祉を大きな枠で捉えれば、困っている人だけではなくて、地域住民が一緒に考えて、参加することが大切です。シェア金沢も多機能施設ですが、介護や高齢者デイサービスの名目でつくった部屋も、休日や使っていないときは宴会場になります。もちろん、特養の施設をつくるときも地元の業者にお願いする。関係性を築いて顔見知りになっておけば、いざという時に助けてくれます。
村木 最近気に入っている言葉ですが、「福祉」を平仮名で「ふくし」と書いて「普通の暮らしの幸せ」と読むことです。制度で提供するものを福祉ととらえると、暮らしや人生を幸せにすることは福祉関係者の仕事ではなくなってしまう。佛子園がすごいのは、自分たちの普通の暮らしの幸せをどう取り戻すかについて、全力で考えて実践しているところだと思います。だから、皆さんが幸せな笑顔になるのでしょうね。
雄谷 2004年に、当時宮城県知事だった浅野史郎さんが「みやぎ知的障害者施設解体宣言」を発表され、「脱施設」「施設解体」「施設から地域へ」という流れがありました。でも必要なものは必要です。ならば、町に高密度の入所施設のような機能を持たせたらどうか。町全体に見守りがあるほうがいいという発想です。
村木 ダイナミックな逆転の発想ですね。ある種の市民教育ですね。
雄谷 地域力もついてくると思います。過疎で人がいなくなったと言われますが、障がい者も高齢者もいるし、彼らも働ける。どこで働くのか、となった時に、福祉の現場には需要がある。特殊技能が求められる分野もありますが、例えば運転ができる、食器を洗うとか、懐が深いからこそできることがあります。
連携福祉法人を広げるには
村木 福祉の事業主には多機能化を目指してほしいです。経営も安定するし、雇える人の幅も増えて、最後は地域が守られるでしょう。連携福祉法人の制度でそれが可能になりましたが、この制度はどう思われますか。
雄谷 考え方はいいと思いますが、お互いの理念や考え方に温度差がありますから、制度的にやっても、違和感が出るのではないでしょうか。例えば保育事業と高齢者事業が連携した場合、互いの事業に関与できるようなチームワークが必要になりますが、無理をすると共倒れになりかねません。ごちゃまぜの事業者が増えて、みんなで共有しながらハードルを越えるためにどうすればいいかを実践していく。事例が必要でしょう。
村木 佛子園の仕組みをほかの地域にも移植したいですね。
雄谷 この春に輪島と能登町にコミセンを開設しますが、福祉の部分は佛子園、見守りや災害救助に関するところはJOCAが担当します。相互乗り入れしているわけで、そこまでやらないとワンチームになりません。法人組織は異なりますが、日ごろから一緒に仕事をしているし、海外研修もやっていますから、困ったことがあったらお互いに連絡を取り合って対処しています。
村木 大事な点です。横展開を考える場合には、地域に根付いたチームをつくるということですね。
災害と福祉 フェーズフリーで対応する
村木 災害と福祉は遠いようで、非常につながりが深いと感じます。災害救助法で災害支援のプロがいち早く現場に入れるようにコントロールタワーを一カ所にするというのは、ある意味正しいと思いますが、社協としては、早く地元の人たちが主役にならなければいけない、と言い続けています。一方で、早く手を引こうとしているのではないか、見放すのではないかと思われてしまう懸念もあります。
雄谷 災害からの復旧・復興は長期化します。だからこそ長期化を前提に、最初の1年は緊急支援でプロが入ったとしても、その後は地元の人たちが活躍する方向にもっていくことが必要で、そのためには日頃の関係性やネットワークが重要なのです。JOCAには災害支援の現場を経験している優秀な人材がいますが、KABULETの土着な人間関係には太刀打ちできません。災害になったらJOCAのノウハウの方が強いと思っていたのですが、これは誤解で、住民である職員のほうが強いですね。
震災後の今がチャンスですから、一種別しかやっていない法人も、ごちゃまぜでやってみればいいと思うのですが、なかなか従来の福祉の枠組みからは出られないようです。単一だと、災害が起きて施設を閉鎖せざるを得なくなると職員も辞めざるを得ない。しかし、自分が生まれ育った場所で何とか支援する側に回りたい人たちは場を求めて探すし、そういう人が必要です。
平常時と災害時という社会のフェーズを取り払って、安心して豊かに暮らせる社会にする、フェーズフリーが必要だと思います。
村木 地域全体が多機能であることは、災害時でも同じことで、役立ちますね。
雄谷 多機能にすることは、実際にはそれほど難しくありません。福祉にかかわっていれば、認知症対応も障害者対応も違和感はない。多機能にしておけば、例えば高齢者との人間関係がうまくいかなければ、障がい者に関わってもらうという選択肢があるので、離職率も下がります。佛子園の場合は飲食店もやっていますから、そこで働いてもいい。
海外研修制度で得た経験が組織風土を作り上げる
村木 佛子園の研修制度は、通常の福祉の職員研修とは一味も二味も違いますね。
雄谷 福祉に従事する人たちは給料が高くないし、社会福祉という領域から外に出て学ぶチャンスがない。自分の意志で研修に行くという判断をしないと、現場に埋没してしまいます。青年海外協力隊は、短期間で徹底的に語学や緊急事態における救助を実践しますが、何よりも文化や価値観の違う人とどう関わっていくか、さまざまな背景を考えて行動しなければなりません。そういう経験や体験は福祉の世界にも必要な要素です。
佛子園では、自ら手を挙げれば海外研修に行けるシステムです。関連企業の社員も一緒ですから、福祉以外の観点で多様な意見を聞くことができる。これは非常に大切です。多くの職員が参加するのは、中間管理職が「しんどいけれど楽しいよ」と伝えているからで、この伝え方は中間管理職のトレーニングでもあります。プログラムをつくるのは理事クラスですので、こうした経験が積み重なって、組織風土になっていると思います。
村木 雄谷さんご自身が青年海外協力隊で活動された経験も大きいのでしょうね。
雄谷 そうですね。この子は前回イタリアに行ったから今度はアジア、ここまではリーダーとして、次はアドバイザーをやらせてみようかとか、試行錯誤しながら決めています。短期間ですが、さまざまなところに目を向ける力が育つように思います。
村木 ごちゃまぜ福祉の真髄を教えていただきました。今後の発展を心から期待しています。
(2025年4月2日 公益社団法人日本フィランソロピー協会にて)
機関誌『フィランソロピー』巻頭対談/2025年6月号 おわり
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