特別インタビュー

Date of Issue:2018.6.1
<プロフィール>
甲田真理さん
 
こうだ・まり
東京都出身。語学留学のためニューヨークに渡米。趣味で始めた独学のダンスで注目を集め、本格的に取り組むことに。その後、さまざまなコンテストで優勝。TV、CMなどで活躍し日本人初の「ヒップホップアーティスト」として米国永住権を2005年に取得。2008年、米ディズニー配給のハリウッド映画「ステップ・アップ2 ザ・ストリート」の一般公募オーディションで選ばれハリウッドデビュー。「ステップアップ オールイン」を含めシリーズ4作連続出演を果たし、今後の活躍が期待されている。
Sun Rhythm,Inc.
(www.SunRhythm.us)代表取締役
Instagram :@mari_koda
特別インタビュー No.386
行基(ぎょうき)さんを目指してダンスで世界を巡る
ダンサー・ハリウッド映画女優
甲田 真理
母子家庭で育った甲田真理さんは、小学生の時に病気で母を失い、親戚のサポートもなく暮らしてきた。高卒後に渡米。独学のヒップホップダンスが注目を浴び、CMやテレビ番組、ハリウッド映画4作に出演し、アーティストとして確固たる地位を築いた。
現在、ニューヨークとロサンゼルスを拠点に活動を続けながら、ヨーロッパ、南米、アフリカ、アジア各国で孤児院などを訪ねてダンスレッスンを開催。辛い時期を乗り越え、強く生きるための考え方を伝えるなど、子どもたち、若者を対象にしたボランティア活動を続けている。
今回は生い立ちからアメリカでの成功を経て、他者を想うことでより強く、楽しく生きられるという甲田さんのライフスタイルを聞いた。
固定観念で人を差別する日本を飛び出す
― 高卒という早い段階でニューヨークに拠点を移した甲田真理さん。そのきっかけは日本社会の生きづらさにあったそうですね。
甲田 私には兄弟もいないし、母とふたり暮らしで、その母も癌で亡くなりました。私が小学生高学年の時です。東京消防庁勤務で多忙だった父とは疎遠でしたし、母の死をきっかけに母方の親戚には縁を切られ、それからは一人で暮らしてきました。父の立場を守るため、誰かに相談することは一切ありませんでした。小学生なりに決断し、一人で強く生きていこうと決意していたんですね。ところが団地に住んでいたので、噂話に苦しみました。常に変な目でみられるんです。「あの子は親がいないし、外でぶらぶらしている」「ろくな生き方してない」と。子どもが一人で家に住んでいたせいなのか、空き巣に入られたり、殺してやるという内容の手紙がポストに入っていることもよくありました。当時の警察は、なにも対処してくれませんでした。学校側が母の死を全校生徒や親たちに伝えていたので、「可哀想な子」「片親」という固定観念で人を見て勝手に判断されて、自分は他の子とは差別されている感じを受けていました。
― その点、ニューヨークでは違ったのですか。

Ryan Guzman と甲田真理さん
甲田 ニューヨークでは国籍や人種、年齢、性別、家庭の環境などはまったく関係なく、個々の違いを認めた上で、もしダンスがかっこいいなら「おまえ、うまいな!」でつながっていく世界です。それがすごく好きで、あ、ここで生きていこうとすぐに決めました。もともとプロダンサーになりたかったわけではなく、大好きな音楽で、まわりの人がいろんなチャンスをくれたんです。「ショーで踊ってくれないか」とか「オーディションに行けばいいんじゃない?」と。
― ハリウッド映画「ステップ・アップ」シリーズに4作続けて出演されています。日本人としても初の快挙なんですね、すごい!
甲田 私には何のコネクションもないので、映画もオーディションで受かって出演しました。1500人の中から選ばれたのですが、他の出演者とは違って本格的なダンス教育を受けたこともなく、私の台詞もダンスもほとんどは即興です。でも映画監督はそれを面白がってくれたし、私の個性を認めてくれるのですね。たまたま私の選んだツールがダンスで、大好きなものであれば、必ずそこからご縁がつながり、仲間ができて、それが仕事になるということがわかりました。
強く生きていく方法を早く知って欲しい

「Step UP5」のシーンより
― 甲田さんはアメリカでの活動のほか、ボランティアで世界各国の子どもたちにダンスのワークショップや講演を行っていますね。
甲田 いろんな国にダンサーの友だちがいるので「ホームレスのキッズたちにダンスレッスンしているところがある」と聞くと、仕事の合間に出かけていくんです。孤児院とか児童養護施設の子はプロのダンスレッスンを受けるチャンスも少ないし、心のスイッチを押してもらえるような機会に、自力でたどり着けないことも多いので。当初は南米やヨーロッパに出かけて、2年前からアジアにも来るようになりました。
私が出演した「ステップ・アップ」という映画は世界50か国以上で公開されていて、アジアの人たちはこの作品をきっかけに、ヒップホップダンスを始めています。ファンの方々は私のことを知っていて、SNSを通してメッセージを送ってくれます。世界をつなげるシリーズ作品に4度も出て、あとは私がそれをどう役立てられるのかなのだと思います。恩返しをしたいですね。
― どんなことを伝えたいですか?
甲田 私は母親が亡くなって、1人になって、自分でいろいろとやっていかなければいけなかった。その中で味わった苦労もあったけれど、それを面白がって、明るく生きてきました。身の上話をすると「大変ご苦労されたんですね」と涙ぐまれることもあるけれど、自分で「私は不幸」とは思わなかったんです。今の環境を受け入れて、そこからどうするかを考える。すべてが自己責任です。親がいないから、自由が溢れていたし、クリエイティブになれた。大人の過剰な期待や固定観念にもしばられない。だからこそ、逆に自分で見つけようとする力が強まったのだと思います。私と同じような境遇の子には、そういう感覚を早めに知ってほしいんです。
― とはいえ、まわりに支えてくれる人がいない中で生きていくのは本当に大変です。甲田さんのその強さは、いったいどこから生まれているのでしょう?

ベトナムの孤児院の子どもたちと
甲田 当時、学校以外でもたくさんの友だちがいました。世話好きなお姉さん、お兄さん的存在の人たちもいました。そのなかで、落ちていく友だちもたくさん見てきました。でも私はこうなりたくない、これは違うと思ったんです。母は亡くなっていたけれど、母が悲しむであろうことは絶対にしたくないというのが、規準になっていました。短い時間しか一緒にいなかったけれど、母は明るくて面白い人でした。週末は車で海や山に連れて行ってくれました。私の父親に対しても、恨みや悪口を言ったことは一度もありません。家庭を離れていったことについては、その人なりの事情があるのだろうと考えて、受け入れる。そこにフォーカスして、恨んだり泣いたりするのでなく、明日からどう明るく生きようかと考えるんです。きっとその部分は受け継いでいるのでしょうね。母の友だちが私を見ると、似ているみたいで、母を見ているような気がするらしいです。
― そんな生き方は、厳しい境遇の子どもたちにきっと響きますね。
甲田 母は脳腫瘍でしたが、まわの大人たちは「大丈夫だ、治る」と私に言ったんです。まだ子どもだからと、嘘をつかれていました。でも本当は「お母さんは病気で、もう先はわからないから、1日1日を大事に過ごそうね」と言われたほうがずっといいんです。私も真実を知っていたら、母とのやりとりが変わっていたかもしれない。それは非常にむごい嘘です。
相手に嫌われるかもしれないけど、覚悟を持って本当のことを伝えるのは、すごく大事なことです。嘘は優しさと思っているけど、それは本当の優しさではありません。真理という私の名前は母がつけてくれたものですが、それは「真理(しんり)」、英語で言えば「truth」です。伝えるべきことは伝えないと。それは自分の好き嫌いではないんです。
― 施設で暮らす子どもたちにも、大人は事なかれで付き合うのでなく、真実を伝える必要がありますね。
甲田 彼らはきっとこれからも差別されるし、大変な思いもするだろうけれど、親がいないとか、お金がないことを言い訳に、ドラッグをやったり、自分の体を売ったりして欲しくない。苦しいときこそ、今がチャンスだと思って、ここから一歩、自分の好きなものを見つけて頑張ろうよと伝えたいんです。それがお守りになってくれると思う。私の場合には、それがダンスだったし、大好きなことだから、自然と努力できた。自分を生かせることのほうが楽しめるし、もっと学ぼうとします。出すエネルギーがポジティブになるから、まわりの人も楽しくなり喜びますね。大好きなことで人の役に立てるようになるんです。そして、これまでのことが何ひとつ無駄じゃなかったと気づきます。今、虐待を受けている子、お金がなくて苦しんでいる子に、早めにそれを教えてあげたいんです。好きなことを見つけて頑張ろうと。だから急いで行動しています
もっと世界をつなげて幸せな社会を創りたい
― 甲田さんは今、俳優やダンスの仕事よりも社会貢献に、より力を入れているとか。

カンボジアの児童養護施設のダンスレッスン
甲田 ハリウッド映画に出て、私のやるべきことはやったし、他の日本人にも続いて欲しいんです。映画のアジア枠の中で、日本人はまだ少ないので。私自身は、次の世代の人たちに何を残せるかだと思うんです。戦争のない世界、人生は勝ち負けではないし、他との比較の中で生き方を見つけるような世界では、苦しいと思うんです。
もっと世界をつなげたい、もっと世界が平和になったらいい。そういう思いで活動すれば、世界中、どこに行っても同じ思いの人と出会えます。私は年間、世界中で1,000人くらいの人と関わっていると思いますが、ダンスがあればすぐにつながれるし、一緒にどう活動すればいいのかという話ができます。
― 日本の児童養護施設や少年院などへの訪問に興味があるそうですね。
甲田 そうですね。元受刑者の方々の雇用促進のお手伝いもできたらいいなと考えています。
生きていれば失敗もあるし悪いことも起こります。ただ、そこから学び成長し目標を見出し努力すれば、その先に成功があります。ニューヨークで無名の私にチャンスをくれた人たちがいたように、私はそのチャンスを創りだせる人でありたいと考えています。この世の中にいる人たちは全員、ある才能を持って生まれてきていて、すべての人たちに、存在価値があるんです。私はそれを探し当てたい。その人はなにが得意で、なにができて、なにが好きなのか。その人の適職を見つけるエージェントのような役割です。
― 自分自身の経験、ダンスという素晴らしいツール、そしてポジティブに物事を捉えていく力。甲田さんの中には世界をつないでいくパワーがみなぎっています。
甲田 私の行動のベースには、奈良時代のお坊さんで、日本初の福祉家とも言われている行基さんがいます。彼は説法をしながら農民や病人を助けて全国を歩きました。誰かに指示をするのではなく、自らが動き、一緒に井戸や池を掘ったり、祈りを捧げてみんなとともに働き、一生を通し庶民のために頑張ったんですね。奈良の大仏ができたのは彼の御陰といっても過言ではありません。行基さんは歩いて全国を回ったのですから、今はこんなに便利な世の中になって、飛行機も車もあるのだし、私は世界を回って行基さんになろうと思ったのです。これまで、20か国以上に仕事やボランティアで出向いていますが、まだまだ行きたいですね。活動資金とのバランスが取れていないのが悩みですが(笑)。これからも一歩一歩地道に頑張っていきたいと思います。
― まさに、世界をダンスしながら巡る行基さん! わたしたちも元気をいただきました。本日は、ありがとうございました。
【インタビュー】
公益社団法人日本フィランソロピー協会
 
(2018年5月14日 当協会にて)
機関誌『フィランソロピー』No.386/2018年6月号 特別インタビュー おわり