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1999年 第2回受賞者
まちかどのフィランソロピスト賞
江國 和彦(えぐに かずひこ)さん
主な寄贈先(年度別)
- 昭和42年
岡山県立岡山養護学校 標識工事(岡山市) - 昭和44年
(福)旭川荘 「結びの園」造園及び碑(岡山市) - 昭和46年
岡山県立岡山養護学校 「心魂之碑」工事(岡山市) - 昭和48年
(福)旭川荘 標識工事(岡山市) - 昭和52年
岡山県立総合福祉センター 碑及び造園工事(岡山市)
(福)ももぞの学園 歌碑及び造園工事(岡山市) - 昭和54年
(福)ゼノ少年牧場 園訓碑及び造園工事(広島県)
(福)みのり学園 学園碑及び造園工事(津山市)
(福)みのり学園 越畑農場 標識工事(津山市)
岡山県立早島養護学校 歌碑及び造園工事(早島町)
(福)ももぞの学園 慰霊碑及び造園工事(岡山市) - 昭和55年
愛媛県立宇和養護学校 碑及び造園工事(愛媛県)
倉敷市立倉敷養護学校 歌碑及び造園工事(倉敷市)
岡山県立誕生寺養護学校 歌碑及び造園工事(久米南町) - 昭和56年
岡山県立西養護学校 歌碑及び造園工事(岡山市)
西養護学校ももぞの教室 歌碑及び造園工事(岡山市)
西養護学校弘徳学園教室 歌碑及び造園工事(岡山市)
岡山市障害者体育館 歌碑及び造園工事(岡山市)
岡山県立ろう学校 校歌碑及び歌碑造園(岡山市) - 昭和57年
岡山県立西備養護学校 碑及び造園工事(笠岡市)
(福)ももぞの学園 動物慰霊碑(岡山市) - 昭和62年
岡山県立岡山養護学校 「心魂の碑」副碑・山田千恵子の歌碑(岡山市)
(福)旭川荘 松本先生 川柳の碑(岡山市) - 平成3年
岡山県立西備養護学校 「キジ」の慰霊碑」(笠岡市) - 平成4年
(福)ももぞの学園 標識工事(岡山市)
(福)みのり学園 標識工事(津山市) - 平成6年
宇和島市(福)はまゆう 歌碑(愛媛県) - 平成10年
(福)あしたば モアイ像碑及び築庭(倉敷市)
岡山県立ろう学校 彫刻モニュメント碑・築庭(岡山市)
岡山県立西備養護学校 彫刻モニュメント碑・築庭(笠岡市)
岡山県立岡山東養護学校 彫刻モニュメント碑・築庭(岡山市)
岡山県立誕生寺養護学校 彫刻モニュメント碑・築庭(久米南町)
岡山県立東備養護学校 彫刻モニュメント碑・築庭(備前市) - 平成11年
岡山県立総合福祉センター 碑及び造園工事(岡山市)
(福)わくわくワーク モアイ像碑及び築庭(岡山市)
日蓮宗 妙林寺 彫刻モニュメント碑・築庭(岡山市)
特別賞
市川 幸雄(いちかわ ゆきお)さん・市川 静江(いちかわ しずえ)さん夫妻
税制上の理不尽な取り扱いにも負けずに日中友好のために寄付
長野県の寒村に生まれた市川幸雄さん(82歳)は、少年時代は大変貧しく暮らした。戦争中は航空整備兵として中国に渡り、1940年、事故で負傷、当時陸軍病院として使用されていた清華大学に収容された。日本へ帰国後、サラリーマン生活を送りながら、小さな家を新宿に購入した。ところが、バブルのときに地上げに合い、高額の売却益を得た。市川氏はこの売却益を「余慶」として捉え、自らの戦争経験から日中友好のために尽くしたいと常々考えていたことから、昭和61年(1986年)に奥さんの静江(79才)さんとともに故郷の長野県八千穂村に「日中青年の家」建設費用6千万円並びに運営資金6千万円の計1億2000万円を寄付した。6千万円は6分2厘の5年定期にされ、372万円の利子を、招待する留学生が4泊5日、40名編成4班で合計160名の滞在費に充当するという綿密な計画が立てられていた。2名単位で農家にも分宿し、地酒を酌み交わしながら、心置きなく夏の世を語り明かしてもらいたい、そんな夢がこめられていた。
ところが、確定申告時に、自治体への寄付であっても税金が課せられることを知らされ、昭和62年3月に、大蔵大臣宛てに、市川氏、日中友好会館理事長、八千穂村長の三者の連名で、実情と施設の充実、ならびに善処を訴え、大蔵大臣に嘆願書を提出、受理された。何の連絡もないままに、嘆願書提出から1年6ヶ月後、突如として世田谷税務署から、譲渡所得税、住民税の納税通知が来た。市川さんの驚きとともに、悔しい思いは晴れない。税金がかかることも納得がいかなければ、せめて税務署が更正通知を昭和62年にくれれば、寄付金の計画そのものも見直しができた。市川さん夫妻は、寄付金のうち3000万円を返してもらい、一旦は延滞税を含めた税金を支払った上、裁判で争うことにした。国や地方公共団体への寄付金は、法人は100%損金算入ができるのに対して、個人の場合には所得の25%を限度としている。そこで、「所得税法78条は、憲法14条(法の下の平等)、84条(租税法律主義)に違反し、無効」として違憲裁判を東京地裁に起こしたのである。しかし、裁判でも市川さんの訴えは届かなかった。
さらに、市川さんのフィランソロピー活動には追い討ちがかけられた。八千穂村の村長も変わり、低金利で運営資金の運用もままならず、中国留学生の利用頻度も落ちたため、わずか年でこの事業中止を余儀なくされたのである。「青年の家」はスキー客用のロッジとして使用されるだけになってしまった。そこで、とうとう運営資金を返却してもらい、別に「市川氏記念基金」を設立、その利息で、毎年、自らが傷を癒した清華大学から研究者1名を日本の大学に留学させるための費用を援助することになって、現在に至っている。
市川幸雄さん・静江さんのフィランソロピー活動は、寄付としては決して成功とはいえないかもしれない。しかしフィランソロピーの計画は緻密で意義深いものであった。このような庶民の気持ちを弄ぶような制度と税務署の対応がなければ、違ったものになっていたはずである。まちかどのフィランソロピスト賞選考委員会は全員一致で両氏のフィランソロピー活動を称え、両氏のフィランソロピーを阻害した税制上の問題等の問題提起を含めて、ここに、まちかどのフィランソロピスト賞特別賞を贈るものである。