巻頭インタビュー
 
機関誌『フィランソロピー』2023年8月号
大切なのは「目的がない自由な遊び」
榊原洋一さん
 
榊原 洋一 さん
小児科医
チャイルド・リサーチ・ネット所長
さかきはら・よういち
1951年東京生まれ。東京大学医学部卒、お茶の水女子大学子ども発達教育研究センター教授、理事・副学長を経て、同名誉教授。専門は小児科学、発達神経学、国際医療協力、育児学。発達障害研究の第一人者で、「子どもの心と体の発達」に関する著書を数多く執筆している。
https://www.blog.crn.or.jp/
 
拡大解釈される「発達障害」
― 最近、発達障害の解釈が広がっているように感じます。
榊原 発達障害という言葉が多くの人に広く知られるようになりましたが、「発達の凸凹」「グレーゾーン」「発達障害もどき」などの言葉も一種の診断名であるかのようにとらえられ、拡大解釈されています。
昔は「正常」「異常」、今は「定型発達」「非定型発達」と言いますが、非定型発達は障がいではありません。発達障害の人たちは、平均的、定型発達の人たちの考え方、ルール、社会の仕組みに適合できないという大変さがある。医学的な定義は難しいですが、「一般社会で生きづらさが強い人」という表現になります。当事者は、大多数の人の普通と私たちの普通が違うだけなのに、なぜ私たちだけが障がい者になるのかと言われますが、たしかにそのとおりだと思います。
― 他者との関係性の中に障がいがある、ということですね。
榊原 発達障害という診断がついた人が、山の中で自活しているときは何の問題もありません。しかし、人とのコミュニケーションや、大多数に合わせようとすると難しくなる。大多数の人が使いやすいような世の中になっているのは仕方がないですが、発達障害の人たちが生きやすいようにサポートすることはできるはずです。
「こどもまんなか社会」とは、子どもが自分の考えを伝えられる社会
― 2023年4月1日にこども家庭庁が発足しました。その使命は「こどもまんなか社会」の実現ですが、どうお考えですか。
榊原 「こどもまんなか社会」とは、子どもが真ん中にいて周りを大人が囲んでいるのではなく、子どもを真ん中にして手をつないで横に広がる姿、世界です。大人が取り囲んで子どもの気持ちを聞いてあげる、何かしてあげるのではなく、子どもが自分の考えを伝えられる社会だと思います。そうでなければ、子どもの気持ちは満たされません。
これは障がいがある人についても、LGBTQでも同じです。周囲が忖度して、当事者のためにどうするかという話になる。私たちの社会は共生社会、ダイバーシティ社会ですが、子どももぜひ入れてほしい。政策についても、妊 婦さんや子育て中の親御さんへのサポートが中心になっていて、直接子どもに何を働きかけるのかがまだ見えていません。
「遊び」は、目的がないことが重要
― 子どもの遊びは、育ちにどのような影響があるのでしょうか。
榊原 生まれたての子どもは、どこで泣くか、どこで笑うかを誰からも教わらない。楽しいと思うことは本人が決めているのです。ところが教育課程に入ると、だんだんと修正させられる。一番わかりやすいのが絵ですね。自由に描画している子どもに対して、あるときから大人による“直し”が入る。例えば、太陽を青く塗っていると、そうじゃないとかね。
― そして、子どもが大人の気持ちを忖度し始めるのですね。
榊原 遊びも同様で、重要なのは「目的がない」ということです。楽しいからやっているわけで、そこに意味がある。それが許されるのはせいぜい小学校に上がるぐらいまででしょう。自由遊びは幼児教育で重要視されていますが、そこにも指導が入ってきています。
― 無目的だと、大人自身が不安になるのでしょうね。
榊原 子どものQOLを年代ごとに測る指標があるのですが、幼稚園や保育園に比べて、小学生になると明らかに下がります。幼稚園や保育園では評価されずに、誰もがお山の大将で良かったわけですが、小学生になると、点数を付けざるを得なくなる。つまり評価が始まると、QOLが落ちて自己肯定感も落ちる。5歳と7歳の子どもについて、東南アジア4か国(中国、ベトナム、タイ、日本)で調査しましたが、どの国も同じ結果でした。
日本はまだ幼児教育者ががんばっているから、なんとか自由遊びが守られていますが、例えば中国のある幼稚園では、レゴで遊んでいる子どもたちの真ん中に保育士がいて、パソコンに映し出された完成品と同じものをつくりなさいと言っているんです。
― それは遊びではないですね。
大切なのは、自分で判断し十分に遊んだ経験があるかどうか
― でも目的も評価もない状態で進むと、社会が収拾つかなくなるのではないか。そうしなくても、人間は自発的に、お互いに融通しながら生活できるのでしょうか。
榊原 結局、自分で判断して自分で好きなことをするという時間をつくれるかどうかでしょう。文字や算数は覚えてもらわなければなりませんから、そこはどうしても教学的になりますが、それですべてを固めてしまうと、子どもの出口が無くなってしまいます。『未来のイノベーターはどう育つのか』の著者であるハーバード大学テクノロジー起業センター初代フェローのトニー・ワグナーは、世界的に成功した人の幼児体験に共通する特徴があることを発見します。それは、共感性、コラボレイティブ・マインド(みんなで一緒にやりましょう)、楽天的であること、失敗してもめげないこと、そして遊んだ経験があるかどうか、です。自分で好きなことをやって楽しいという体験をした子どもは、大人になって仕事をするときも結果的にうまくいくそうです。
― 数理物理学者の保江邦夫さんと幸福学で有名なロボット工学者の前野隆司さんが幸福論について論じた『人間はロボットよりも幸せか?』でも、データを分析した結果として、「幸せの4因子」として「自己実現と成長」「つながりと感謝」「前向きと楽観」「独立とマイペース」を紹介していますが、これを満たせば幸せになると言われています。
榊原 小学校に上がると遊びが削られていきますから、幼少期に十分遊びこんだ経験をしたかどうかが大切ですね。
「自己決定」によって不登校の子どもが変化する
榊原 文科省が不登校特例校を全国で30校指定しましたが、岐阜県の草潤(そうじゅん)中学校もそのひとつです。不登校を経験した生徒のありのままを受け入れる教育方針で注目されています。登校して授業に出たくなければ、図書室や木工室など、自分の行きたい場所にネームプレートを貼って先生にわかるようにしておけばいい。図書室には漫画がたくさん置いてあるし、ハンモックや大きな抱き枕、テントもあって、中で寝転んでもいい。
― 自分で居場所も行動も選べるということですね。
榊原 登校率が85%ほどだそうです。入学したときは登校しても一人ひとりが好きなことをしているだけでバラバラだったけれども、学年が上がるにつれて、だんだんとまとまってくるんだそうです。
― 人間は自由で開放されていれば、逆に協力しよう、一緒に何かを作ろうということが本能的にあるということでしょうか。
榊原 そうですね。3年生になると、どこに進学するかなど、友だちとも熱心に話すそうです。最初は学校が嫌いだったけれども、行けばいろいろな選択肢があって、何をやるかを自分で決めることができる。だんだんと友だちができて、学校に行きたいという気持ちが出てくる。
つまりキーワードは「自己決定」です。子どもたちにはもともとレジリエンスがあるから、多少のことは我慢できますが、一定の割合でできない子どもがいるのもたしかで、そこに気付かなければならない。でも同一のカリキュラムの一定教育では、その一定数ははじかれてしまいます。
レジリエンスを高める要素
― レジリエンスのレベルや時期には個人差がありますね。
榊原 子ども食堂が増えているのは、楽しい思いをしながら食事をした経験が少ない子どもが増えていることもあるでしょう。特別なことをしなくても、幸福や安心、安全が保障されていれば、レジリエンスは高くなります。コミュニティとのつながりも大事で、お祭りなどの行事があることや勉強したいと思ったら行くところがあるということも、レジリエンスを高める要素に入っています。
― それが満たされない、閉じられて孤立する家庭そのものが増えてきていると思います。
榊原 そうですね。ウクライナのような紛争地域や難民の子どもたちのレジリエンスも高くなりません。遊びはレジリエンスに入っていませんが、自由に自分を表現する場所として遊びがあると思います。
「自由遊び」を保障する
― 遊びは安全や安心が保たれている場でもあるということですね。
榊原 特に年齢が小さいときは最高の場です。しかし、それが小学校に入るととたんに崩れていく。社会のルールとして一定のことは知らなくてはなりませんが、遊びが補充されていれば多少のストレスがあってもだいじょうぶです。
― まさに、「子どもの遊びを保障する」ことが必要なのですね。
榊原 大事なのは自由遊びです。先日、お茶の水女子大学の付属幼稚園に台湾の幼児教育の専門家たちを連れて行きましたが、徹底していて見事でした。登園してから昼過ぎの解散まで、8割が自由遊びなんです。どこにどのような遊び道具を置くかといった設定や環境づくりを計画しているのが先生方で、そこから先は子どもたちが自由に選択して遊べるシステムができていて、すばらしいと思いました。
― 昔はいろいろ考えなくても、結果的に遊びが担保されていましたが、いまは意識的に場と機会と環境を設計しなければならないということですね。
榊原 遊びの場を設定するのは大人の仕事ですが、子どもたちが自由に自分のやりたいことができるようにするのは大変です。私も指導教官として学生の実習に同行したことがありますが、子どもたちに「あれをやってみよう」「これをやってみよう」と言ってしまって、終わってから先生方にそれをやってはだめだと言われました(笑)。子どもたちがやりたいことをどう引き出していくかが大切で、こちらから引っ張ってはいけないということです。「自ら選んで、やったら楽しかった」という体験は、重要なことだと思います。

「感謝される」を体験する
― VUCAの時代と言われるようになって不安が増長し、虐待も増えるという悪循環になっています。どうしたらいいでしょうか。
榊原 レジリエンスやメンタルヘルスが落ちるような状況を逆境的小児期体験(Adverse Childhood Experience:ACE)と言いますが、主なものはネグレクト、虐待、家庭の不安定さなどです。それに対して、保護的・補償的体験(Protective and Compensatory Experiences:PACEs)といって、レジリエンスを下げないための研究も始まっています。「誰かに無条件に愛されること」「十分な食事と清潔で安全な住居に住んでいること」といった尺度があるのですが、そのなかに「市民的・社会的な活動への参加体験」― つまり他人を助けるボランティア活動も入っています。小さい子どもでも、やはり「ありがとう」と言われると本能的にうれしくなる。自らの行動について誰かから感謝されるという経験は、本人の自信にもつながります。
― JPAでは寄付育に力を入れています。街頭で募金をお願いすると、素通りする人も多いけれども、中には「ありがとう」と言って寄付してくれる人もいて、子どもたちは感謝されたことに感動する。どんな職業に就くかも大事ですが、どういう人間になるかも大切で、大事なキャリア教育ではないかと思います。
榊原 子どものときに一度でもそういう体験をするのは大事ですね。
― ただ、教育的な効果が表れにくいということなのか、なかなか広がらないのが悩みです。
榊原 効果や評価となると、せいぜい5年先ぐらいでしょう。文部科学省はすぐに「教育の質を上げる」と言いますが、教育の目的は、立派な大人(コンピテント・シティズン)になることでしょう。
企業のフィランソロピーについても同じですよね。企業はプロフィットを上げるだけでいいのかというとそうではない。社員が社会貢献活動をすることは、プライドにもつながるでしょう。子どもについても同じことで、自分が誰かのために何かをするということは、生きがいにつながります。
サン=テグジュベリの『人間の土地』に、一番尊敬する人は、ある病院で出会った死にゆく老いた植木屋だったという話があります。彼は、「リューマチで足が痛いときは、土を掘るという仕事が苦労だったが、このごろは土を掘って掘りぬきたい。私がしなかったら、誰が樹木の手入れをしてくれるのか」と言う。こういう人こそ、世の中にとって重要だと、涙が出ましたね。
― 自己実現の呪縛から解放されることが大事なのではないでしょうか。自分が一生懸命やってできなければ、次世代の誰かがやってくれるだろうと祈り続け、それがつながっていく。そこに生きる意味があるように思います。
「こどものため」に何をすべきか
― 最近のスマホ遊びについてはどう思っていらっしゃいますか。
榊原 節度を持ってやるのであれば、それ自体が脳に悪いということはありません。ただ、寝食を忘れたり、課金したり、大人で言うところのギャンブル依存のような中毒になるのは問題です。特に小さな子どもについては、親が場面設定する必要がありますから、きちんとした方針や約束のもとでやらせるべきでしょう。教育やしつけ、我慢することや人との関係性など、一方的な押し付けでなくて接していくことが必要ですね。
― 大人が子どもの遊びや育ちの環境をきちんと設計することには、大きな責任がありますね。
榊原 利他心というのはもともと持っているものではなく、経験の中で獲得するものだそうです。例えば、泣いている子どもを大人が慰めているという場面を見ることによって、自分が泣いたときにも慰められたいということを学んでいく。そういう意味で、テレビで若手芸人が痛い思いをさせられているのに、それを周りの人たちが笑ってみているという場面を子どもに見せるのは良くない。脳科学的にもちゃんと根拠があります。ミラーニューロンは、他の個体の行動を見て、自分自身も同じ行動をとっているかのような反応をする脳内の神経細胞です。家族がDVを受けているのを見るということも、子どもの発達にとって悪影響だということもわかっています。コンプライアンスということではなく、「子ども自身のため」なんです。
― 子どもの遊びは、子どもの未来のためにも大切なものなのですね。遊びのための理論武装も不可欠です。小児医療と発達心理を融合させた本をご執筆中とのことで、楽しみです。本日はありがとうございました。
【インタビュアー】
公益社団法人日本フィランソロピー協会
理事長 髙橋陽子
 
(2023年6月20日 日本フィランソロピー協会にて)
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