理事長・髙橋陽子のブログ

Date of Issue:2021.10.1
巻頭インタビュー/2021年10月号
ほさか・けんじろう
 
1976年生まれ。慶應義塾大学大学院修士課程(美学美術史学)修了。2000年から東京国立近代美術館勤務。2021年より滋賀県立美術館のディレクター(館長)に就任。フランシス・ベーコンを中心とした20世紀以降の絵画、建築展の方法論、アール・ブリュットの歴史などを研究テーマとする。主な著書に『アール・ブリュット アート 日本』(監修、平凡社)など。
アートの力を新たな文脈で読み解く美術館の挑戦とは
滋賀県立美術館ディレクター(館長)
保坂 健二朗 さん
2021年、滋賀県立美術館のディレクター(館長)に就任された保坂健二朗さん。東京国立近代美術館で20年間研究員(学芸員)を務め、アール・ブリュットにも造詣の深い若き逸材が、県立美術館を刷新。美術館をより多くの人たちに活用してもらうべく、運用を工夫し、ユニークな展覧会を企画しています。
2022年1月には、長年、研究を続けてきたアール・ブリュットに関連した展覧会を予定しているという保坂さんに、今後、必要とされるアートの力と可能性について伺いました。
模倣も真似もない生のままの芸術を探して
― 東京国立近代美術館という、まさに東京の中心にある美術館から、滋賀県立美術館へと移られました。滋賀とは、どういったご縁があったのでしょうか。
保坂 学生時代、国宝の「彦根屏風」を見に、彦根城のふもとにある彦根城博物館に行きました。ついでに湖北エリアをめぐって、仏像を見て回ったんですね。国宝の十一面観音が有名ですが、他にも重要文化財の菩薩像などが多く残っているんです。私が訪ねたのは2000年前後のことでしたが、寺の参道の脇に公衆電話があって、きょうの当番の人の名前と電話番号が書いてある。そこに電話をすると、当番の人が来て、お堂を開けて見せてくれるのです。住職がいなくなった寺でも、地域の人たちが観音様を守るということを続けてきた。その感覚がとても良くて、滋賀という土地が好きになりました。
2004年には近江八幡市にボーダレス・アートミュージアムNO-MAができて、私もアール・ブリュット(art brut)を研究していたので、何度も展覧会を見に行きました。2011年から、アール・ブリュットの専門家として、県知事直轄の懇話会に参加して以来、県との関わりが続いていて、それで今回、お話をいただいたのだと思います。
― 当協会は毎号、機関誌の表紙に障がいのある人の絵画作品を使っています。作家の皆さんを紹介するという意味もありますが、作品には今の日本人が固定観念や既成概念にとらわれて失いかけている生のパワーがあるし、彼らの存在自体も非常に濃厚で、それが作品と不可分につながっているのも興味深いです。
こういった活動の中でヨーロッパのアール・ブリュット作品に触れることもあるのですが、日本のほっとするような伸びやかな作品とはかなり雰囲気が違いますね。アール・ブリュットという言葉を使うとき、どのように考えたらよいのでしょうか。
保坂 確かに日本のアール・ブリュット作品とヨーロッパのアール・ブリュット作品は傾向が違います。その理由としては、ヨーロッパでは精神障がい者が作ったものが多くて、日本では知的障がい者の作ったものが多いからだと言われています。
― アール・ブリュットに定義はあるのでしょうか?
滋賀県立美術館
滋賀県立美術館 撮影:大竹央祐
保坂 よく言われるのは、正規の芸術教育を受けていないとか、誰の真似もしていないということですが、教育や模倣が皆無というのは今の社会では実際には難しい。ですから大事なことは、テーマ、技法、素材など、すべてが個人の深みから引き出されたオリジナルだと感じられるということや、主流の、あるいは流行の芸術的文化に毒されていない作品であることになります。1945年前後に、そういった作品をフランス人画家のジャン・デュビュッフェ(Jean Dubuffet)という芸術家が探したら、精神病院を中心に多く見つかり、彼はそれをアール・ブリュットと命名したのです。
― アール・ブリュットの定義に当てはまるか、当てはまらないか、判断が難しい場合はありませんか?
保坂 そうですね。定義に厳格になろうとすると、作品だけを見ても判断できなくて、作り手の人生を深くリサーチしないと分からないということになります。例えば、いい作品だと思っても、作者が以前、誰かに絵画を学んでいたとなると、芸術的文化に毒されているからアール・ブリュットとは言えないとなってしまう。ある作品をアール・ブリュットと呼べるかどうかは、つくった人のことを調べないとわからない。これは一般的な美術史の概念とちょっと違うのです。さらにややこしいのは、デュビュッフェ本人は自分のコレクションだけをアール・ブリュットと呼んで、他の人が見つけた作品がそう呼ばれることは認めませんでした。登録商標に近いような形です。
― 日本における障がい者アートは、ボーダレス・アートとか、エイブル・アートなど、いろいろな呼称があって、さらに混乱しますね。
保坂 確かに難しい状況になっていますね。ただアール・ブリュットについては、最初はデュビュッフェ個人の概念だったのですが、現在では美術史の中で一般化された概念でもあるので、議論の出発点になり得るんです。たとえばヨーロッパの人たちと展覧会をやろうとしたとき、私たちが「これがアール・ブリュットだ」と考える作品を提示する。それを受け取った彼らが「いや、これはそうは言えない」「むしろこれを選ぶべきではないか」などと議論になる。私はそういう対話が生まれることこそが大切だと思うんです。
福祉からの視点と美術館の考え方との出会い
― アール・ブリュットを福祉の側の視点で見ると、障がいがあるからこその個性があるというとらえ方があります。一方、美術の専門家は芸術作品として評価する。アール・ブリュットという言葉があることで、マインドセットが変 わったという気がします。
保坂 デュビュッフェがアール・ブリュットという概念を提唱する以前にも、障がい者の作ったものの中にすごい作品があるということに気がついた人たちがいます。その中でも重要な一人が、ドイツのハイデルベルク大学の精神科医であったハンス・プリンツホルン(Hans Prinzhorn)です。彼も精神障がい者が作った作品を集めていて、それはハイデルベルク大学にプリンツホルン・コレクションとして残されています。興味深いことに、彼は「障がい者だからといって、誰もが面白い作品を作れるわけじゃない」と言うんですね。彼はその著書で、経験値として、健常者の中で優れた作品を作れる人の割合と、障がい者の中で優れた作品を作る人の割合は、それほど変わらないと述べています。
― 作家に障がいがあろうがなかろうが、優れたものは優れているということなのですね。
保坂 私のような展覧会をつくる者にとっては、作品だけを取り上げてその良し悪しについて議論するのは当たり前のことです。作品に対する価値判断と作者の人格や属性は関係ありません。ですから当初、私はアール・ブリュットの作品紹介の書き方にしても、作り手が障がい者であるとは書かないほうがいいし、まして作り手が毎日をどう過ごしているのかなどの情報もいらないと思っていました。そういう情報が入ると、美術業界の人たちは評価を無理強いされていると感じて、結果、作品への関心を見せなくなると思っていたんです。
しかし、いざ自分が作り手の制作現場に行ってみると、そう簡単ではないことに気がつくんですね。さっきまでご飯を食べていた人が突然、制作し始めるとか、寝っ転がって作っているとか、生活と制作がシームレスな場合が多々あるんです。これを無視することはできないし、その状況を言葉で表現しようとすると自分の解釈や主観が入ってしまう。そこで考えたのが、映像で作者の制作風景を紹介するというスタイルです。
― 確かにビジュアルの力は大きいですね
保坂 日本のアール・ブリュットの作り手の多くを占める知的障がい者や、彼らを支える人たちと話していて思うのは、私たち美術業界側の意見を押しつけてはいけないということ。今後は福祉施設と美術館がもっと密接にコミュニケーションを取ることで、美術館をはじめとする業界側が変わっていく必要があるだろうと思っています。
美術が分からないなら分かろうとすることが重要
キッズスペース
キッズスペース 撮影:大竹央祐
― 滋賀県立美術館のホームページの中にある「こども美術館」は秀逸ですね。小倉遊亀さん、志村ふくみさんといった著名な芸術家と並んで、アール・ブリュットの作家の紹介もされています。読みやすい文章ですし、子どもへの美術教育についても思いがおありですね。
保坂 子ども美術館の特徴は、ひとつはひたすら平易な言葉を使うこと、そしてもうひとつはアートを見るきっかけを、質の高い作品により提供することです。長い淘汰の時間を経て残っている美術作品には、さまざまな意味が潜んでいるはずで、見た人の中には「なんでこう描いたのだろう」など、いろいろな想像が生まれたりするだけでなく、良し悪しについてもさまざまな意見が出たりしてくる。それこそ優れた美術作品なんですね。
― アール・ブリュットの作家、澤田真一さんの作品が子ども美術館に紹介されていますが、とげとげが無数に生え、顔が3つあるトーテムポールのような焼き物。これはいろいろな見方ができそうです。子どもたちには、自由な見方 をして、自由に感想を伝え合ってほしいですね。一方で、「美術は難しくて分からない」と言う大人も少なくありませんね。
保坂 「美術は分からない」という発言は決して謙遜には聞こえず、とても危険な発言としてとらえられる可能性があるということを、ぜひ多くの人に知ってほしいです。作家が頑張ってつくった芸術に対して、「難しくて分からない」というひと言で済ませてしまうのは、他人のやっていることには興味がありませんと言っているのに近いのです。分からないなら、分かろうとすることが大事なんですね。作品を見たら、ぜひ怖れずに「分からない」以外の意見を言ってほしいと思います。本来美術館では、どの意見が正しいとか、間違っているということは問われません。関心を寄せることが重要なのです。
― 美術教育の原点ですね。
美術館がリビングルームになる
陶器の照明「カプセルライト」
陶器の照明「カプセルライト」
光を透過させる特別な「信楽陶土」で作られている
― 約4年間の休館と改装を経て、新しい滋賀県立美術館がスタートしましたが、「CALL」というユニークな運営方針を掲げておられますね。
保坂 Cはクリエーション。作品が生まれる場所、創造の現場に寄り添うという意味です。Aはアートではなくて、「Ask」。「アートは人にとって、どういう意味があるの?」とか「これはアートなの?」と問いかけたくなるような展示を実施したいと思っています。残る2つのLは「Local」と「Learning」です。滋賀県という地域の魅力を発信する。また皆が学びたいということに対して、できるだけ多くの場を提供したいと思っています。
井上裕加里さんの作品「こうさするこうえん」
井上裕加里さんの作品「こうさするこうえん」
― この美術館は、週末ともなると親子連れが大勢遊びに来る緑豊かな公園の中にあります。保坂さんは目指すべき美術館の姿として、「公園の中のリビングルーム」「リビングルームのような美術館」と表現しています。美術館はどこか入りづらいと思う人もいますから、敷居を低くするユニークな発想だと思います。
保坂 リビングルームという言葉を使ったのは、まず皆さんにくつろぎに来てほしいからなんです。ですから、エントランスを入ったところにあるロビー棟では自由に飲食ができるようにしました。
― 普通、どこでも美術館は飲食禁止ですから、驚きました。
保坂 この美術館の周囲にある公園は公共の場ですから、自由に食べたり、飲んだりできます。ところが美術館に入った途端、全部禁止にするというのは厳しすぎると思います。そこでロビーは公共空間と捉えて、家族連れで来て、持参のお弁当を食べてもかまわないという形にしました。幸い、この美術館は構造上、展示棟とロビーが分離しているので、ゾーニングしやすいんですね。
― なるほど。そしてリビングルームでくつろいだついでに、美術作品も楽しめるというわけですね。
館内で
館内で
保坂 ただここで問題なのは入館料です。常設展示では、中学生以下は無料ですが、大人は常設展示で540円かかります。「お金がかかるなら、やめておこう」という人も多いでしょう。できれば無料にしたいけれども財政的に難しい。
― 目の前のことで余裕がなく、美術館に行く費用は真っ先に削られそうですね。
保坂 そうなんです。でも私たちからすると、そういうときこそ美術館に来てほしい。それで始めたのは企業からの寄付金で、ある曜日の入館料を無料にするという方法です。これはすでにユニクロがニューヨーク近代美術館でやっているんです。「ユニクロ・フリー・フライデー・ナイト」というのですが、企業にとっても良い宣伝です。当館でも地元企業の谷口工務店が賛同して寄付をしてくださったので、日曜日は常設展を無料にすることができました。きっと親子連れが多く来てくれます。
― なるほど、そういう社会貢献の方法もあるのですね。企業にとっても興味深い取り組みではないかと思います。
保坂 違う時代の人、違う地域に暮らす人が作ったものが集まる場が美術館です。そういうさまざまなものに対して興味を持ち、社会や環境の多様性をより深く感じられる場として、美術館をより多くの人に好きになってほしいと思います。
― 美術館というと、構えてしまいがちですが、きょう伺って、とても自由で開放された気分になりました。アール・ブリュット展も楽しみにしています。本日はありがとうございました。
【インタビュー】
公益社団法人日本フィランソロピー協会
理事長 髙橋陽子
 
(2021年9月6日 滋賀県立美術館にて)
機関誌『フィランソロピー』巻頭インタビュー2021年10月号 おわり