巻頭インタビュー

Date of Issue:2023.2.1
巻頭インタビュー/2023年2月号
山田庸男さん
やまだ・つねを
 
1943年生まれ。関西大学法学部卒業。1970年に弁護士登録。1973年に「山田法律事務所」を創設。1987年に「梅ヶ枝中央法律事務所」に改名。2007年大阪弁護士会会長、日本弁護士連合会副会長を務める。2013年10月、ひとり親家庭の子どもたちを支援するため、一般財団法人梅ヶ枝中央きずな基金を設立。10年目を迎えた2022年公益財団法人きずな育英基金に名称変更した。
https://kizuna-umegae.jp/
社会に役立つ人間力を養ってほしい
─ 学びの意欲を応援し未来を拓く
公益財団法人きずな育英基金 代表理事
山田 庸男 さん
ひとり親家庭で育ち、苦学して弁護士になった山田庸男さんは、2012年に私財4億円を提供し、「ひとり親家庭の子どもたちに学びの機会を」を理念に基金を立ち上げました。「勉学に励むことは大事だが、それはあくまでも手段で、学んだことを社会に役立ててほしい」と語る山田さんに、基金の生い立ちと活動、将来展望を聞きました。
高等教育で学んだことを生かして社会に役立つ人間になってほしい
― 少子高齢化が急速に進んでいる今、よりよい社会づくりのためには、あらゆる世代の人たちが共に知恵と力を出すことが求められます。地域のため、社会のために力を発揮したいという子どもたちをサポートする「きずな育英基金」(以下基金)の活動には、次世代への願いや祈りが込められていると感じます。
山田 基金では、潜在的能力と向上心があるのに経済的な理由で教育を受けることが困難な子どもたちのための、学習塾にかかる費用、スポーツや文化活動の遠征費・用具代等の費用を支援しています。できるだけ多くの子どもたちに高等教育の機会等を提供したいという思いからです。
― 大学や専門学校への進学のための給付型の奨学金はかなり増えていますが、現役の中・高生の塾代や部活サポートというのは珍しいと思います。今は公立学校の教育が本来の機能を果たせず、勉強したいという意欲をサポートする役割はむしろ塾にあります。
山田庸男さん
山田 そうかもしれません。学習塾に通うことが決して変則的なことではないのであれば、本来は保護者の所得いかんにかかわらず、平等にその機会が与えられなければならないはずです。しかし現実には、経済的な事情で、塾に行きたくても行けないというひとり親世帯は非常に多い。公立学校に通っていれば高等教育の機会に恵まれるというのが本来で、塾代を支援するのは、今の学歴偏重社会を是認している一面もあるのではないかという見方もあり、自問しつつ、根本にあるのは、高等教育で学んだことを生かし、社会に役立つ人間になってほしい、人間力を養ってほしいということです。
― 今は、児童養護施設では、塾代は支給されるようですから(※)、むしろ家庭における経済格差の問題が大きいかもしれません。
※ 厚生労働省の社会的養護自立支援事業の一環として、児童養護施設等の入所者に対し「学習費等の支給として、学習中等を利用した場合にかかる経費を支給する制度がある。
https://www.mhlw.go.jp/
分かち合いや、思いやりのあるコミュニティをつくりたい
― 山田さんは1943年生まれで、お父様はフィリピンの戦地に向かう途中で亡くなられたそうですね。基金を立ち上げるきっかけには、ご自身の生い立ちも関係しているのでしょうか。
山田 父は病弱のため1944年12月に丙種合格で召集されましたが、終戦が1年早ければ生きていました。戦争は、なんの責任もない一般市民を巻き添えにするわけですから、政治の判断はとても大事です。母からは口癖のように、「中学を出たら丁稚奉公に行け」と言われていて、勉強や宿題をしろと言われたことは一度もありませんでした。しかし、「貧乏は恥ずかしくない。心の貧乏はするな。人に後ろ指を指されるようなことはするな」といつも言っていました。当時、母は肺結核を患って入退院を繰り返していましたから、当然世話もしましたし、親孝行はそれなりにしたと思います。
― まさに今風に言うとヤングケアラーだったのですね。
餅つき大会
 
第2回餅つき大会(2021年12月29日)
山田 私たちの幼少時代は等しく貧しい時代に育っていて、食べ物は長屋の隣近所でおすそ分け、お風呂も共同で、寄り添い分かち合う社会でした。でも今は競争社会で奪い合い、他人に対する思いやりがない。昔のような他者への思いやりのあるコミュニティをつくれたらいいなと思っています。
それには、子どもだけでなく保護者も笑顔になることがとても大事です。基金では、支援する中高生、卒業した大学生、保護者という3つのかたまりがひとつの輪になっているとイメージしています。社会で学んだというより、まさに自分自身の生い立ちから思いついた活動です。将来的には、卒業した子どもたちが、世話をする側として基金の理事や評議員になってくれれば、好循環になる。それが理想です。そこまで見届けたいですね。
― 親の代わりはできないけれども、皆でその子たちを応援する。選考では保護者の面接もあるのですね。
山田 子どもの向上心ももちろん大切ですが、親が子どもの向上心を理解し、一緒にサポートしようとする姿勢が必要だと思います。ですから選考に当たっては、支援を希望する中高生と保護者と一緒に面接し、子どもや家庭、社会に対する考え方なども質問します。親子関係が良好な家庭が多いですが、中には親との関係に悩んで相談してくる子どももいます。乏しい基金の中でどこにフォーカスするのか。どのような子どもたちを支援して、どう成長させるのかということは難しいですが、決めなくてはなりません。
― 社会的弱者の味方になる ─ 目指した弁護士への道
― 勉強するなと言われて育った山田少年は、一生懸命に勉強して、商業高校に進学されました。
山田 大阪市立天王寺商業高等学校に入学しました。本心から船場に丁稚に行くつもりでしたが、中学3年のときの担任の先生がわざわざ家に来て母を説得してくれたんですよ。高校では弁論部に入りました―というか、一人っ子で人前であまりしゃべれないことを心配した母に無理やり入れさせられました(笑)。
― まだ、お母様の教えは絶対ですね。しかも、それが将来の仕事につながっているわけですね。
グラフ
 
きずな育英基金で支援している子どもたちの数
(グラフをクリックすると拡大します。)
山田 そうです。高校卒業後は日立製作所に勤めまして、働きながら、勤務先から近かった関西大学に通いました。弁論部に入りたくて、法学部に在籍したんです。一方で、日立という大企業の中で、高卒で仕事を続けても、どれほどのポストに就けるのか。所詮歯車のひとつではと思い、そこに限界を感じて3年で辞めました。母は反対しましたが、1年半だけ勉強させてほしいと言って、卒業まで一生懸命に勉強しました。大学卒業の年に市役所に就職しましたが、司法試験に一度だけチャレンジしたいと思い受験して、 結果として合格しました。
― がんばりましたね。周りの方にも恵まれたのですね。
山田 振り返りますと、自分の人生を変えてくれた人が何人かいます。中学3年の担任の先生、そして当時の日立で上司だった課長もそうです。辞める時に「今度会う時は、日立以上の会社に就職してから顔を出せよ」と非常に刺激的な激励をしてくれました。二十歳前後の若者にとっては発奮材料になりましたね。
― 負けん気の強い青年だったんですね。どういう弁護士になろうと思われたのでしょうか。
山田 戦争で父を亡くしていますし、ひとり親であるがゆえの差別を受けたこともあります。自分の能力の無さで道を閉ざされるのは仕方がないですが、能力と関係のない出自や身分で差別を受けるのは不条理です。だから、社会的弱者の味方になろうと思っていました。
― それが今につながっているのですね。
山田 最初に勤めた法律事務所では、主に市民事件や労働組合の事件を担当しました。非常におもしろくてやりがいがありました。その後、独立しましたが、私の事務所に入ってくる人たちには「弁護士の本来の仕事とは、社会的弱者に寄り添う人権擁護であり、それが原点だ」と言っています。社会的、経済的弱者の依頼を受けて、一生懸命にやって「ありがとうございます」と言われたら、これはもうお金には代え難い。弁護士の本望です。
― しかし事務所の経営も考えなくてはなりませんから、稼ぐというバランス感覚も必要でしょう。
山田 そのとおりです。そこは苦労しているところです。弁護士というのは、プロフェッションではあるけれども、マネジメント力まで兼ね備えている人は少ない。私は商業学校で学び、短期間ながらサラリーマン生活を送れたということもプラスになっていると思います。人生で無駄なものは何ひとつないですね。
どういう生き方をすればいいのか ─ きずな育英基金設立の原点
― 与えられた環境でいかに前向きに頑張るかですね。基金をつくろうと思われたきっかけは?
保護者の会
 
保護者の会「ゆるっと絆の会」
山田 自分はもともと無から生まれてきている。苦労もあったけれども、弁護士という職業に就くことができて、少しは蓄財もできた。来世に持っていけるわけではないし、また無に還る。と考えた時に、自然と今までに稼いだ浄財は社会に還元しようと思ったわけです。そこで、子どもの権利委員会や人権擁護委員会を担当している中堅弁護士たちに相談しながら、基金を立ち上げました。彼らは今でも活動の中心になってくれています。幸いなことに家族も誰も反対しませんでした。心から賛成しているかどうかはわかりませんが(笑)。
― 基金設立当時、お母様はご存命だったのでしょうか。
山田 母は1996年に77歳で亡くなりまして、基金の設立はその後です。私は50代半ばの働き盛りで母に小遣いを渡すぐらいの稼ぎはあり、孝行として定期的に渡していましたが、母は生来の倹約家で、「お前が病気になった時の蓄えだ」と言ってそっくりそのまま残していました。笑い話ですよ。
― 母心、ありがたいですね。残されたお小遣いはどうされたのですか。
山田 経済的な理由で弁護士にアクセスできない人たちのための法律扶助協会、現在は日本司法支援センター(法テラス)に承継されていますが、そこに寄付しました。私自身は運よく人に恵まれましたが、同じようなひとり親の環境であっても、同じ機会に恵まれるとは限りません。努力してもしょうがないと、やる気をそいでしまうような格差社会の弊害はどんどんと大きくなっていますし、しかも連鎖しています。基金の活動は些細かもしれませんが、能力があってすでに頑張っている子どもを後押しする仕組みをつくろうという思いが原点です。
― 現在は社会課題が複雑化、深刻化していますから、政府や行政の太いセーフティーネットと、民間のきめ細かいセーフティーネットの双方が重なり合わないとなかなか機能しません。親御さんにとっては本当にありがたい活動ですね。
山田 あるお母さんに言われた「貧乏は辛いですが、孤独はもっとつらいです」という言葉が、いまだに心に刺さっています。私の母もそうでしたが、世間の目もあったでしょうし、背伸びしながら子育てをやっていたと思います。今のひとり親たちも同じでしょう。親同士が悩みや課題を話し合い、壁をつくらずに、共感し理解してもらう、あるいは互いにアドバイスすることで、親御さんたちが元気になってくれればいい。月に一度、保護者会を共感と励みの場にしてもらいたいですね。
2022年の秋に、南森町駅(みなみもりまちえき/大阪市北区南森町)の近くに山田きずなビルをつくりました。中高生の自習ルームに使ってもらったり、中高生たちを対象に各界のリーダーの話を聞く会を開催したり、人間力教育の場にしたいと思っています。
― 進化し続けておられますね!居場所と出番があるコミュニティが、きずなビルを核に広がっていくといいですね。
山田 私が元気なうちに種だけは蒔いておいて、あとの成長は次の世代に託していきたいですね。法律家の一人として、民主主義、人権尊重、平和主義ということを教わってきましたが、日本は民主主義国家ではあるけれども、本当に民主主義が根付いているのかについては極めて懐疑的です。監視するような目線を感じる時もありますし、寛容性が少なく居づらい社会になっていると思います。
― 寛容さがなくなりましたね。
山田 言葉を切り取って批判する。ある意味でデジタルの弊害かもしれません。顔を見ながらコミュニケーションを紡ぐのが本来の姿で、その中で多様な意見に耳を傾ける寛容な心が育つのではないでしょうか。アナログ世代のやっかみかもしれません(笑)。
― 何も言えなくなって、孤独になっていく。絆は一番必要ですね。
山田 遠藤周作も書いていますが、一人で抱え込むと苦しみは十倍になるけれども、分かち合えば十分の一になる。逆にうれしいことは、皆で喜び合えば十倍になるでしょう。「きずな」という言葉で、その気持ちを表現できればいいなと思いました。
次代につなぎ、育む〝きずな〟
― 設立10周年を迎え、子どもたちの環境は変わったでしょうか。
山田 2022年に10周年の記念パーティーをやりました。2期生の一人が弁護士資格をとって大手企業で企業法務を担当しているのですが、「苦しい生活をしていましたが、今こうしてこの場で話ができる立場になりました。貧しいままだったら、誰にも何も言えずに社会の片隅でひっそりと暮らしていたかもしれません。基金のおかげです。ありがとうございました」と苦労話を語ってくれて、涙しました。
― 学校に入ることが目標ではなくて、どう生きるか、どう社会の役に立つのかということが目指すことなのですね。この活動はある意味で社会全体の社会教育ですね。
山田庸男さん
山田 スタート時は、「梅ヶ枝中央きずな基金」でしたが、10周年を機に「きずな育英基金」に名称変更しました。そのとき論争もあって、「きずな奨学基金」というのも考えたんです。しかし、奨学と育英は意味が違う。奨学は幅広い人に公正に教育の機会を与えるものですが、育英は社会に有為な人物を育てることで、その思いも込めています。
毎年3月の終わりごろに春の交流会をやっていますが、中には志望校に入れなかった子どももいます。挨拶では、「失敗を恐れることはない。むしろ失敗から学ぶことのほうが大事だよ、それを次のステップの糧にしなさい」と言っています。私自身もそうでしたが、チャレンジすることが大切で、結果は二の次だと。
― 基金と出会えた子どもたちは幸せですね。ここでの絆は財産だし、拠り所でしょう。また、中学生、高校生、大学生(卒業生)と異年齢で交流できるところもいいですね。今後は?
山田 自分の使命としては、社会のセーフティーネットがほころんでいる中で、基金を次の世代にバトンタッチさせることですね。ただ、それを見届けるにはあと10年ぐらいはかかりそうです。無の中から何かを見つけ出すような、無形の愛情、精神、理念といった目に見えないものを大切にしていかないと、ギスギスしたおもしろくない社会になってしまうのではないか。いったい何が欠けているのか。豊かになればなるほど失うものもある。競争より共生の社会、奪い合うより分かち合うという精神、やはり共に生きるという社会が素晴らしいと思います。
― 共生社会は温かく力強い共創を生みますね。それを広げるためにまだまだ種を蒔き続けてください(笑)。どうもありがとうございました。
【インタビュアー】
公益社団法人日本フィランソロピー協会
理事長 髙橋陽子
 
(2022年12月26日 大阪商工信用金庫にて)
機関誌『フィランソロピー』巻頭インタビュー/2023年2月号 おわり