巻頭インタビュー

Date of Issue:2024.2.1
巻頭インタビュー/2024年2月号
木村泰子さん
きむら・やすこ
大阪市出身。武庫川学院女子短期大学教育学部卒業。「みんながつくる みんなの学校」を合言葉に、子ども、保護者、地域住民、教職員とつくる大阪市立大空小学校の初代校長を9年間務める。2015年春に退職し、現在は全国各地で、講演活動、教育研修を行なう。著書に『「みんなの学校」が教えてくれたこと』(小学館)ほか。
主体的に生きる力を育む教育とは
大阪市立大空小学校初代校長
木村 泰子さん
「すべての子どもの学習権を保障する学校をつくる」を理念に、2006年4月大阪市住吉区に開校した大阪市立大空小学校。その初代校長を務めたのは木村泰子さん。「不登校ゼロ」を目指し、児童、教職員だけでなく、保護者や地域住民と一緒に、誰もが通い続けることができる学校を作りあげた。退職後も教育に情熱を注ぐ木村さんに、子どもたちの幸せや健全な学びのために学校の果たす役割について聞いた。
「子どもを育てる」学校から「子どもが育つ」学校へ
― 大空小学校のドキュメンタリー映画『みんなの学校』が2015年に公開されてから、8年が経ちました。当協会でも公開後すぐに、映画を企画した迫川緑さんをお招きして、定例セミナー(第309回定例セミナー/2015年8月25日開催)で上映会と対談を行ないました。多様性、インクルージョンと言われますが、一方で、ますます画一的で不寛容な世の中になっています。やはり公教育、学校が変わらなければならないと感じます。いまの子どもたちの状況をどう見ていらっしゃいますか。
木村 文部科学省のまとめによると、2022年に自殺した小中高校の児童・生徒は514人で、過去最多になりました。学力や体力は世界でもトップクラスですが、自己肯定感や幸福度は断トツで低い。これが日本の教育現場の現実です。現実を突きつけられて、2020年度に学習指導要領が改訂されました。本来であれば現場が大きく変わっていなければならないはずですが、コロナを言い訳にしています。
― 学習指導要領の一番大きな変化はなんですか?
木村 一番の違いは、学びの主語が「子ども」になったことです。これまでは、「いい教師を育てて、いい指導力を持てば、子どもが育つ。子どもを育てるのは教師である」でしたが、その神話は崩れました。子どもが学ぶ、子ども同士が学び合う場をつくるために、教師は何をすべきなのか。この問い直しをして、子どもたちと共に学んでいく。「教えのプロ」から「学びのプロ」になるということです。
中学生の15人に1人は学校に行っていません。小学生では1クラスに1人は不登校の子どもがいる。そして自ら命を絶つ子どもたちもいる。一生懸命子どもを育ててきたけれども、本当に育っていると言えるでしょうか。「子どもを育てる」学校から「子どもが育つ」学校にチェンジする。そのために教師は何をするべきかが問われています。
指導力とは洗脳だった? ベテラン教師が変わるきっかけ
― 大空小学校は、誰もが同じ教室で一緒に学ぶ公立学校として注目されました。映画ではさまざまなご苦労も描かれています。
木村 大空小学校は2006年に開校しましたが、開校時から、これまでの指導力が何の役にも立たないということに教師たちが気づきました。私を含め、ベテラン教師は、自分たちは「いい先生だ」と思っている。「ついておいで」と言ったら、後ろを見なくてもみんながついてくる―それが指導力だと。でも、振り返ったら数人しかいない。あとは廊下でひっくり返っている、教室で「どこ行くの~」と叫んでいる、「自分は行かない」と泣いている。教室の扉が開いたら、勝手に運動場に走っていってジャングルジムの上で騒いでいる。大空小学校の開校時は、こんな状況でした。
― 「辞めたい」と思った先生もいたでしょうね。
木村 ベテラン教師ほど、とまどいは大きかったですね。みんな「辞めたいね」って(笑)。「いい教師」になるために指導力を磨いてきたし、学級担任になったら、児童からも保護者からも「あの先生でよかった」と喜ばれる教師を目指してきた。でも大空小学校に来て子どもたちと向き合ったら、そういう指導力は効力がないと実感したわけです。自分たちが変わらなければならないと思ったきっかけは、ある教師のひと言です。「これまでの指導力って、もしかしたら洗脳していただけなのかもしれないですね」
子どもが自ら考えて自ら育っているのではなく、洗脳されて動いていただけなのではないか。その言葉で全員がどん底に落ちました。みんな思い当たるんですよ。自分の力で子どもを動かしていたんじゃないかって。これが、「みんなの学校」のスタートでした。
― そういう気づきはなかなかできませんね。でもどん底に落ちても、それを受け止める力がある先生方だったということですね。
地域の子どもが地域の学校に入るのは当たり前
木村 開校2年目は1年生が28人だったのですが、重度の知的障がいや発達障がいなど、医学的に障がいの診断を受けた児童が10人いました。障がいのある子が困らないように支援するのが、特別支援教育です。でも公教育ですから、地域の子どもが地域の学校に入るのは当たり前。校長が、特別支援学校に行くようにとか、うちの学校に来ないでというのは、人権侵害です。人権侵害が行なわれているということに、もっとみんなが気付かなければなりません。
小中の義務教育に特別支援学校、特別支援学級はありますが、社会に特別支援社会はないでしょう。ということは、義務教育のスタートである小学校に、10年後に子どもたちが大人になってつくる社会と同様の環境がなければ、学校で学んだ力が社会で生かされない。
― みんな一緒にというのは理想だと思いますが、「あの子と一緒のクラスは困る」という保護者もいますよね。
木村 学校がそうさせているんですよ。自分の子どもさえよければいいという親に育てられた子どもは社会に出たら不幸でしょう。それを一番わからなければならないのは学校です。もちろん、大空小学校にも最初はそういう親はたくさんいましたよ。そういう親御さんへの問いかけは、「どんな子どもに育ってほしいですか」ということだけです。「暴れている子がいるから、勉強できない。どこかにやってよ」という子に育ってほしいのか、「あの子困っているんやで。そんなん言うたらあかんで」という子に育ってほしいのか。歴然ですよね。当たり前の対話を重ねただけで、トップダウンで、間違っているとか、こうすればいいということは一度も言いませんでした。
学級担任制をやめよう
― でも先生方は大変だったでしょう。
木村 「誰か1年生の学級担任をやって」と言ったら、全員が「無理です」と言いました。障がいのある子は、マネジメント上は特別支援学級在籍なんです。特別支援学級は8人で1クラスというマニュアルがありますから、10人だと2クラス、つまり学級担任は計3人になります。でも10人は教室のドアが開いたら10の方向に走っていく。押し付け合っているのではなく、みんなが事実を出し合って「無理」となった。ならばどうするか。そこで学級担任制や学級経営という言葉を捨てました。
― 普通は、「無理」となったら、10人の子どもは特別支援学級に戻そうとしますね。そこで「どうやったらできるか」を考えて実践するところがすごいです。
木村 ぶれなかったのは、全員が当事者意識をもって、常に「この子が自分の子どもだったら」という発想で考えていたからです。障がいがあるから、貧困だから、親に虐待されているからという理由で、地域の子どもが地域の公立学校に行けないなんて、あり得ない。
では、地域の公立学校の最上位の目的とは何か。これを、すべての教職員、子ども、保護者、地域住民でまずは年度初めに合意する。ミッションを合意していれば、たとえ手段がバラバラでもオッケーです。でもミッションにつながらないことだったらやり直す。これがリーダーの仕事だと思います。
母からの教え
― 木村さんは小さい頃から芯があるお子さんだったんでしょうね。どんなご家庭で育ったんですか?
木村 一人っ子なんですが、母のことでよく覚えているのは、「外では泣くな。家に帰ってから泣きなさい」と怒られたことです。だから外では絶対に泣きませんでした。我慢して家に帰ったら、もう泣かなくてもよくなっている、家は安心できる場所だから。
でも小学3年か4年のころ、廃材置き場で遊んでいて、転んで大怪我をしたのですが、そのときも泣かずに家に帰ったら、母に「なんで大声で泣いて、助けて!って大人を呼ばなかったの」って言われて。大人って勝手だなと思いました(笑)。
― 母の情は理に勝る。その勝手さが母の無償の愛そのものですね。聡明なお母さまだと思います。
木村 親戚の子があるとき人形を買ってもらったんです。わが家は貧しかったのですが、私もほしかったので母に言ったら、「お人形を買っても、家に泥棒が入ったら盗られるよ。でもあんたの心の中にいっぱい宝物を貯めてたら、泥棒が入ってきても盗られることはないよ。どっちがいい?」って。それで納得したんですが、後からなんとなくごまかされたなと思いました(笑)。母を失ってから、気づいたことがたくさんあります。私は母に何も返せなかったけれども、自分が母から気づかせてもらったことは、後悔しないように、いまの人たちに話しておきたいです。
― 大したお母さまですね。木村さんの教師像、校長像がわかったような気がしますし、学校経営の原点がお母さまとの関係性にあるように思います。
 
教師は「風」、地域の人は「土」
『みんなの学校』
 
『みんなの学校』チラシ映画の舞台は、2006年に開校した「不登校も特別支援学級もない 同じ教室で一緒に学ぶ ふつうの公立小学校」―大阪市立大空小学校(大阪市住吉区)。「すべての子どもの学習権を保障する学校をつくる」を理念に掲げ、「不登校ゼロ」を目指し、児童と教職員だけでなく、保護者や地域の人たちも一緒になって、誰もが通い続けることができる学校をつくりあげた。常識にとらわれない学校づくりに情熱を傾けたのが、初代校長の木村泰子さん。映画は、そんな大空小学校の1年間を見つめた作品。2015年公開。文部科学省特別選定作品にも選ばれた。現在も各地で上映会が行なわれている。
公式サイト https://minna-movie.jp/
― 以前『みんなの学校』上映会後のトークショーで、校長が変わったら、学校も変わってしまうのではないかという質問がありました。そのとき木村さんは「教師は風です。地域の人は土です」とおっしゃった。教師がいい風を吹かせて、地域の人たちがいい土壌をつくる。教育にしろ、社会をつくるにしろ、一人ではできないとおっしゃいましたが、そこがとても大事ですね。子どもは学校だけではなく、地域の人と一緒に育つ。この言葉は本当に響きました。
木村 大空小学校に来た子どもは、地域の子どもですから、しゃべれなくても、動けなくても、等しく地域の宝です。親や地域の人が変わっていくと、子どもは育ちますよ。今は卒業生が20代半ばになっています。
映画に出ていたセイシロウは、2019年2月に東京大学で開催されたシンポジウムに登壇しました。文科省の局長や大学教授らが集まって日本のインクルーシブ教育を問い直すというテーマで、私に基調講演の話が来たのですが、子どもに話を聞きましょうと、大空小学校の卒業生2名も一緒に登壇しました。セイシロウは高校2年生でしたが、ある大学教授の発言を受けて、「あなたの考え方は間違っています。障がいは病気だって言いましたけれど、それは間違いです。障がいは個性です。障がいは治すものではありません。僕は発達障害ですが、これは病気ではなく僕の個性です。個性は伸ばすものです」って言い切りました。いつも私たちが言っていることなんですが。
― すごい!それが自然と出てきたんですね。
木村 そうです。ものすごい拍手でした。セイシロウが自分の言葉で話したことに、大学教授も納得していました。「大空小学校では、僕の当たり前をみんなが受け止めてくれた。だから僕も、僕と違うみんなを受け入れなければならないと学んだ。これが大空小学校や」
― 映画で、校庭で座り込んでいる子に友だちが肩をさすりながら声をかけたら、その子が立ち上がった。自分のことを心配してくれていることを、肌で感じたのでしょうね。
木村 私たちが、「教室に行きなさい」とか「みんながやっていることをなぜしないの」と言うと、先生の持っている当たり前が出て、指導になってしまう。指導が一瞬で暴力につながることもあります。
先生と子どもの関係性は、ほかの子どもたちも見ています。暴れている子も殴っている子も、悪いとわかっていてやっている。だから「暴れるのをやめなさい、迷惑でしょう」ではなくて、「だいじょうぶか」と声をかける。これで学校の環境は一変します。先生は残念ながら、これが苦手なんです、指導したがるから。でも地域には「土」がたくさんいる。地域の人たちがサポーターとして入ってきて、困っている子どもに声をかけてくれます。怒って指導するよりも、「だ いじょうぶか」と声をかけるほうが、子どもが前を向くことに大人も気づきます。
人を変えたかったら、まず自分が変わるということを、みんなが納得して、大人が自らアップデートしていったのが「みんなの学校」です。
― 「みんなの学校」は、いまも「土」の人たちが支えているのですか?
木村 「土」は変わりませんよ。開校時から根強く当事者として学校をつくっています。子どもが卒業してもコーディネーターをしたり、地域住民として土を耕してくれています。行政は横並びにしたがりますから、大空小学校が目立つから、他の小学校に合わせようとしたけれども、子どもたちが自らつくっている学校だからそうはいかない。すごい力です。
自分の命は自分が守る 隣の人の命を大切にする
― それこそが、まさにシティズンシップ教育ですね。「人のために」や、「人を思いやる」というところが意外とうまくいっていない。自己実現が目的になってしまって、何かあったら助けなければという、周りのことを考えることを教えないという印象があります。
木村 東日本大震災のあとに、まずは自分が助かることを考えようと、避難訓練をやめましたが、次に何をすればいいかわかりませんでした。訓練をやめようと職員で合意した次の日、授業中に私が「いますぐ講堂に集合します」という放送を入れたんです。
放送後、すぐに私は講堂に行ったのですが、ほぼ同時に5人ほどの児童が走って講堂に来ました。「校長先生、何があった?」って。「放送しただけ」と答えたら、全員倒れ込みました(笑)。3分の1ほど支援が必要な子どもたちがいたのですが、その後1分も経たないうちに全員が集まりました。子ども同士で声をかけあってね。ところが教職員でその場にいたのは、管理作業員と教師が1人。あとは誰も来ない。主体的に行動していないからです。「きょうの朝の打ち合わせで何かあった?」予定調和なんです。瞬時に対応できない。想定外でも生きる力って、平時にはつかないでしょう。
講堂前の廊下を歩いてくる先生たちを見て、子どもたちが「先生、何してる!これが本番やったら、みんな死んでんで」と叫びました。そんなことから、一つひとつ「やり直し」をしてきました。命を守る学習をカリキュラムに入れて、自分の命は自分が守る。隣の人の命を大切にする。これを大空小学校の教育の根幹に位置付けました。
元日に能登で地震がありました。阪神淡路大震災、東日本大震災を経験し、その教訓をどう生かして、想定外に対応する力を身につけてきたか。今、全国の校長先生が問われていると思います。学校というところは意図的、計画的に事を進めたい。子どもに失敗させたら、親に文句をいわれるし、周りからの評価が悪くなる。でも、子どもが失敗するために学校があるんです。失敗をやり直す行動が成功体験につながって、社会に通用する大人に育つ。大空小学校では、意図的・計画的なものはすべて捨てて、必要なものをみんなでつくってきました。
― 「全校道徳」もそのひとつですね。
木村 「正解のない問いを問い続ける」ことを目的に、「全校道徳」をカリキュラムに入れました。教師も子どもたちも一緒に考える。「人権って何?」という問いに、子どもたちのグループが「空気だよ」と答えました。理解できない大人が「どうして人権が空気なの?」と質問したら、「空気、なければ死ぬやん」と、子どもたちは口々に言いました。子どもを主語に学校の当たり前を問い直し、すべての子どもが吸える空気を学校に充満させよう。「空気をつくろう!」は合言葉になりました。
― シティズンシップ教育の真髄が見えた気がします。大人が本気で子どもと一緒に道徳・人権に向き合うことが大事ですね。それが良き市民を創る。ありがとうございました。
【インタビュアー】
公益社団法人日本フィランソロピー協会
理事長 髙橋陽子
 
(2024年1月10日 スイスホテル南海大阪にて)
機関誌『フィランソロピー』巻頭インタビュー2024年2月号 おわり

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