連載コラム/私の視点・社会の支点
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「豊かさ」と「幸せ」
経済成長と「幸せ」の乖離
戦後、物の不足していた時代に育った世代には、家電製品をはじめ様々な耐久消費財を手に入れることが、「幸せ」への第一歩でした。車、カラーテレビ、クーラーは3Cと呼ばれ、これら三種の神器のある暮らしが人々の憧れであり、豊かな生活の象徴でもありました。このようにわが国は戦後、目覚ましい高度経済成長を遂げ、やがて一億総中流社会と言われるようになり、国民の多くがその経済成長の果実を享受してきたのです。
しかし、物が充足し、人々のニーズが大量消費から多様な価値を求めるようになると、物の豊かさが生活の豊かさとは必ずしも同義ではなくなりました。内閣府の「国民生活に関する世論調査」を見ても、90年代以降、経済成長は続いているものの、国民生活の充実感は低下し、不安感が増大し、国民の「幸せ」は経済成長と乖離しつつあるように見えます。
そこで近年アメリカでは、国内総生産(GDP)に替わり、真の進歩指標(GPI:Genuine Progress Indicator)なども考案されています。これは環境破壊や犯罪・テロ対策などわれわれの「幸せ」にとってマイナス面から生じる生産額は除外し、家事労働やボランティア活動などのプラスの経済価値を算入して、国民生活の真の豊かさを図ろうというものです。
ブータンの「国民総幸福論」
最近、ブータンという国が注目されています。ブータンはヒマラヤ山脈の東部、インドと中国の間に位置する日本の九州ほどの広さの国です。人口は63万人あまりで、多くの国民が敬虔な仏教徒です。2008年に王政から立憲君主制に移行しましたが、この国の第4代国王が1976年に国家の発展を示す指標として国民総幸福(GNH:Gross National Happiness)という概念を提唱しました。
これは経済成長・GDPの拡大イコール国民の幸福ではなく、そのあり方を再考しようとするものです。公平な社会経済開発、環境保全、伝統文化の保全、民衆参加の統治を国家の基本政策とし、ブータン憲法には、個人の自由と人権、10年間の無償教育、無償ヘルスケア、働く権利の保障を掲げ、国土の60%を森林として保全することが謳われています。
確かにブータン国民一人当たりのGDPは、1,422ドル(2006年:国連統計)で、日本に比べると25分の1程度に過ぎず、経済的には「豊か」ではないかもしれません。
しかし、国民の9割がその生活に満足しているといいます。家族との時間を大切にする、幸せに暮らすために働くなど、そこにはブータンの人々の「幸せ」の哲学があるのでしょう。
今、日本は国として経済的に豊かになったものの個人格差が拡大し、国民全体が「幸せ」と感じているでしょうか。そんな中でブータンの「国民総幸福論」には、われわれの「幸せ」を見直すヒントがあるように思えます。